斂の軌跡~THE MIXES OF SAGA~   作:迷えるウリボー

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6話 翼と太陽①

 四月のケルデイックでの盗難を解決したエステルたちは、元締めや被害者のみならず、大市関係者や宿酒場の女将マゴットにまで感謝された。

 それらの暖かな気持ちを名残惜しく思いながらも、四人はケルデイックを後にした。

 翌五月の某日。一度拠点である帝都には戻ったのだが、四人は再び別の都市へ訪れている。

 大陸横断鉄道にて帝都ヘイムダルと交易町ケルデイックの中間にある、皇族の直轄地である近郊都市トリスタだ。

 この町へやって来た理由は近隣での依頼があったから、というのもあるが、今回に至ってはそれはついでだった。本懐は別にあり、それはガイウスが帝都にやって来た日のサラの台詞にまでさかのぼる。

『エステルも結構仕事をしてくれて頼もしくなってきたし、そろそろ自分の目的のためにガッツリ仕事をしてもいいわよ?』

『いい情報屋を知っているの。五月になったら紹介してあげる』

 エステルには帝国本土に来た目的があり、そのために動くことをサラが許可してくれた。そして動くためには、情報というものはこの上ない財産になる。

 サラが仄めかしていた情報屋に会うのが今日の目的だ。

 トリスタで列車を降り、四人はサラとエステル、ガイウスとフィー、と二手に別れることになった。サラとたちは情報屋に会いに、そしてガイウスとフィーは後学として近郊都市トリスタを巡るために。

 サラとエステルは、目的の場所がはっきりしているため簡単だった。駅から出て右手に歩き、人通りの少ない道へ入る。しばらく歩くと、そこには《質屋ミヒュト》の看板が。

「ここよ」

 それだけ言って、サラは無遠慮に扉を開ける。申し訳程度の来店を告げる鈴の音が聞こえたが、カウンターの向こうの男性は構わず新聞に目を通していた。

「相変わらず愛想がありませんねぇ」

 サラは困ったように笑って店内へ。エステルも続く。

 知り合いだからだろう。サラの言葉の後、ようやく男性は顔をあげる。

「なんだ、お前かサラ。久しぶりじゃねぇか」

 店員は仏頂面の彼一人だ。

「繁盛してます?」

「これでも、学生相手の交換業じゃ人気店だぞ」

 閑散ぶりと店主の言葉に矛盾を感じざるを得なかったが、店内の雑貨を見るとエステルも見て回りたい程度には豊富で、なるほど一笑に付すことはできなさそうだ。

 学生、つまり自分と同じ世代の若者だろう。彼ら相手にならば、確かに重宝するかもしれない。

「そういえば、この町って士官学院があったわね。納得だわ」

 店主ミヒュトは変わらず仏頂面である。

「で? 今日は情報をお望みか?」

「それもあるけど、紹介する人が一人ね」

 エステルは前へ出た。

「初めまして。エステルといいます。サラさんに着いて教わっている準遊撃士です」

 ミヒュトは顎をさすって「ほぉ」とエステルを見た。別に全身を舐めまわすような視線、というわけではない。少女の目と、そして髪を見て頷く。

「なるほど……あのリベール領邦軍の将軍の娘か」

「うぇ!?」

 エステルは驚いた。

「な、なんでわかるのよ」

「なに、あんた自分の父親の有名っぷりをわかってないの?」

「そ、そういうわけじゃないけど!」

 サラに突っ込まれたが、別に自分の父親の表の評価は理解しているつもりだ。自分の姓を明かさなかったのに看破されたことに驚いている。

「なんだ、娘のほうはそんなに覇気がねぇな」

 エステルの顔が驚きから笑顔に変わる。しかしこめかみがピクピクと震えて口角がつり上がる。

「気にしなさんな。この人、いつもこうだから」

「おいおい娘っ子、俺の副業を知らないのか? ああ、だから紹介するってことか」

 情報屋を紹介する。そのアポイントをサラが取っていたわけではないだろう。

 別に情報収集能力が本物かとは疑っていなかったが、いきなりボディブローを喰らわされた形だ。

「参った、参りました。よろしくお願いします、ミヒュトさん」

「おう、どうか御贔屓にってところだな」

 改めて、エステルは自分がここに来た経緯をミヒュトに明かす。ミヒュトは得心がいったような顔となった。

「なるほど……それでまずは俺とのパイプを繋げに来たか。リベールくんだりとはつながりが薄かったからなあ。サラ、よくやった」

「ふふ、それじゃあ」

「ああ、そんな剣聖の娘にお近づきの印として、一つリベール州に関する耳寄りな情報をやろうじゃないか」

 今まで両手に広げていた新聞を綴じてカウンター脇に置く。ようやく店主はこちらと話をする気になったらしい。

「五月、てまあ今月だな。今度バリアハートで領邦会議が開かれるだろう?」

 両腕をくんだままカウンターに肘をつけ、グイっと身を乗り出す。注目する女遊撃士二人の視線にニヤッとオヤジらしい笑みを浮かべながら、今やこの場を掌握したミヒュトはその情報を口にする

「満を持して出席されるらしいぜ。リベール州領主、デュナン・フォン・アウスレーゼ公爵閣下がな」

 

 

────

 

 

 

「フィー、礼拝の姿勢も板についてきたな」

「そうかな?」

 ガイウスとフィーはトリスタ礼拝堂の中にいた。例によって日頃の礼拝である。ガイウスと生活を共にして一ヶ月以上、フィーも女神に祈りを捧げれば慣れてくる。『慣れた』という言い方そのものが女神への冒涜のような気がしないでもないが。

 帝国の遊撃士はそれなりに忙しい。エステルも、ガイウスも、サラも、日々忙しく駆け回っているが、中でもガイウスは毎朝の礼拝を欠かさず行っている。いつの間にかフィーもそれについてくるようになった。

 別に年の礼拝堂ごとに礼拝すれば信仰心が……という決まりなどないけれど、風と女神への感謝を忘れないガイウスからすれば苦でもないし、当たり前のことだった。

「ご兄妹で礼拝ですか?」

 修道服に身を包んだ金髪の女子が、声をかけてくる。自分と同い歳ぐらいだろうか、自分も大概だが、その年で職務に当たっているというのも珍しい。

「そうではないが。トリスタへ来るのは初めてでな。邪魔になった」

「いいえ。素晴らしいことです。お二人に女神の加護があらんことを……」

「感謝する」

「ども」

 太陽の下に出ていく。五月、まだまだ春と言ってもいいだろうが、ライノの花はもう散っている。風は涼しく、陽は温かい。過ごしやすい気候だ。

 トリスタの町は、駅を出たその瞬間から町の大部分を眺められるようになっている。町の中央に公園があり、そこを取り囲むように服飾店、雑貨店、宿屋、喫茶店、住宅などが並んでいる。トリスタ礼拝堂もその一つだ。

 ガイウスとフィーはトリスタの町を知るために散策する。エステルたちと共に情報やを訪ねる選択肢もあったのだが、彼女たちの話は後でも聞ける。自分のために、遊撃士の本文に沿ってその土地を知ろうと思っていた。

 とはいっても、ガイウスは十字槍を長物として目立たないようにしているし、フィーの双銃剣は懐に閉まってある。普段着でなく戦闘もこなせそうな服ではあるが、先の女子が言ったように端から見れば仲のいい兄妹のようである。

 今回はケルディックと違って、エステルたちに続いてすぐに町を後にする可能性が高いので、一つの店舗に長居はできない。それぞれの店内を簡単に巡りつつ、ガイウスとフィーは世間話にも興じるのであった。

「ガイウスって、故郷の外を知りたくて遊撃士になったんだよね?」

「ああ」

「じゃあ、遊撃士は別に目標ってわけじゃないんだ?」

「そうだな。こう言っては何だが……手段の一つだった」

 遊撃士はその崇高な信念から、子供たちの間では正義の味方として扱われ、絶大な人気を誇っている。魔獣とも戦うから憧れだけでなれる職業でもないが、それでも将来就きたい職業としての人気は高い。

 だが現実のところ、遊撃士になっている者は別の職業と兼ねていたり、あるいは武術の流派を修めた後に遊撃士の門をたたく者も多いガイウスやエステルのように、若くしてなんの経歴も踏まずに遊撃士となるほうが珍しかったりするのだ。

 フィーは独り言のように呟いた。

「私、サラから何かやれとか言われてないんだよね。最低限、一緒に動きなさいとは言われてるけど」

 フィーはサラが連れてきた。そして現在もサラと寝食を共にしている。年齢は十五歳だ。二十五歳のサラの子供であるわけがないが、彼女が保護者変わりであることは間違いないだろう。

 生活態度とか、戦闘力とか、そういったものを考えれば彼女が普通の少女でないことは簡単にわかる。それを無駄に暴こうとするガイウスやエステルではないが。

 フィーにとっては、今がモラトリアムなのだろう。彼女が今後自立していくための。あるいは自立が多少遅くなってしまうにしても、この世界で彼女が歩む道を自分で決めるための。

 そう考えると、外向的な理由とは言えすでに自分の目的を持っているエステルとガイウスとは正反対と言えるが。

「やりたいこと、見つけられるのかな」

「なに、焦って決める必要もないだろう」

 と、そこで。賑わう声を耳にする。ケルディックの大市にも似た喧噪だった。

 耳と、そして気配察知に優れた二人だ。常人からすれば静かな場所からでも、それはすぐに判った。

「ガイウス、あれなに?」

「施設のようだが……」

 二人して近づいた。トリスタの町の中央から少し離れた、坂の上のその空間。

 間に十字路。左右はそれぞれ、アパートのような建物が控えていく。一方には貴族家に仕えるようなメイドの姿もあった。

 さらにガイウスとフィーは、十字路をまっすぐ進む。本来、この場所はあまり関係者以外の人間が気軽に立ち寄ることはないのだが、良くも悪くも世間の常識から離れた二人だ。気にせず、ずいずいと進んでいった。

 辿り着いた正面に見えたのは、大きな建物。周囲には、活発的にそれぞれ動いている緑と白、二種の制服を切る若者たち。ガイウスと同年代だろうか。

「ふむ、学校か」

「あ、書いてあるね。『トールズ士官学院』だって」

 正門の看板を見た。二人はあまり関りがないのだが、由緒正しき帝国内においても伝統的な士官学院である。

「……そういえば、ノルド高原に詰めていた師団の兵士と話したことがあるが……聞いたことがあったな」

「そうなの?」

「ああ。士官学院ではあるが、軍事でない進路を進む者もいるという」

「ふーん」

 士官学院とはいえ、座学の時なら静かにもなるだろうが、聞こえる喧噪は収まる気配がない。正面の校舎、左手に見えるグラウンド、右手の図書館──の奥にある会館。いずれからも、若者らしい快活な声が続いている。

「さあナイトハルト教官。一緒に飲みましょうよ~」

「し、失礼する、トマス教官!」

 しばらく眺めていると、学生ではない男性が二人。校舎から出てきて、速歩きでガイウスたちの近くへ。

「うっふふー、今日こそは逃がしませんよ~」

 身なりからして教官だろうか。先頭で逃げるように歩くのは堅物そうな印象の金髪の青年、後ろから追いかけるようにふらふらと歩くのは丸眼鏡をかけたお調子者風の男性だ。

 学院から出るためだろうが、必然的に二人はガイウスとフィーに近づいてくる。部外者に関しては金髪の青年のほうが気にかけそうなものだが、意外にも目を向けてきたのは後ろの男性だった。

「おや?」

「む?」

「おやおや……おやおやおや~?」

 ガイウスとフィー、特にガイウスに目を向け顔をずいっと近づけてきた。大抵のことに動じないガイウスもこれにはたじろぎ、フィーは露骨に嫌な顔をしてガイウスの後ろに隠れた。

「な、なんだろうか……?」

「見慣れない人ですねぇ。生徒さんのご家族の方でしょうか?」

「す、すまない……別に関係があるわけではない」

「うふふー、別に敷地に入っちゃだめとは言いませんが、気を付けてくださいねぇ」

 それだけ言って、丸眼鏡の青年は去っていく。

「なに、あれ」

「帝国には、個性的な人がたくさんいるのだな……」

「……その個性的な人って、他に誰が入るの?」

 サラだった。

 何とも言えない動けないまま空気に二人が沈黙していると、今度は緑の服の学生が三人出てくる。

「うーん……委員長、どうしよう」

「そうですね……」

「あの二人、少しは仲良くしなさいっての」

 三人だ。橙色の髪の男子、紫髪の眼鏡の女子、金髪サイドテールの女子。並んで歩いている。晴天の下とは思えないようなどんよりとした空気だが。

「今度、四人で交換留学もするじゃない? エマ、大丈夫なの?」

「うぅ、ラウラさんと作戦を練ることにします……」

 ガイウスとフィーは例によって正門にいるので、必然彼らとも距離が近くなる。そして一瞬金髪の女子に目線を向けられた。

「あら……どうされましたか?」

 その声で、残る二人にも一気に視線を向けられた。

「いや……」

 ガイウスが唸った。人見知りいうわけでもないのだが、直前の奇人のせいで警戒してしまった。

 そんな態度が『困っている人』のように見えたのか、橙髪の男子が声をかけてくる。可愛らしい風貌に関して、意外にも堂々としている。

「学院になにか御用ですか?」

「いや、そういうわけではないのだが」

 そこで気づいた。長身のガイウスが呆然と立ち尽くしていて、その後ろには小さなフィーが彼につかまる形で控えているので、完全に緊張して兄に頼り切る妹──のようになっているのだ。

 その証拠に、眼鏡の女子が膝に手を当ててフィーの目線に合わせてくる。

「驚かせてごめんね。でも、お兄さんを取ったりはしないから」

「……別に、違うけど」

 兄妹ではないという意味だが、眼鏡の女子は驚いていないという言葉に対する返答だと思ったらしい。

「そっか。えらいえらい」

 変わらず笑いかける眼鏡の女子。極端に年が離れているわけではないと思うが、すでに子供として見られている。フィーは複雑な表情だった。

 一方のガイウスは他二人と話している。

「こちらこそすまない。この町に来て二人で散歩をしていただけだ」

「そうですか。ごめんなさい、私ったら勘違いして」

「あはは、妹さんと二人して、生徒か教官の家族と思いましたよ」

「いや、かまわない。……邪魔をしたようだ」

 少しだけ会話をして、そして別れる。彼らは再び三人で話し続け、やがてはその姿も小さくなっていく。

 ようやくフィーはガイウスの後ろから離れた。

「何だったんだろう?」

「やはり、何かと兄妹に見られるのだろうな。そろそろ行くとしよう」

 ガイウスとフィーは歩きだす。両者ともに少し無言だった。

「軍事学校っていうけどさ。三人とも軍人っぽくなかったね」

「……浅見だが、確かにあまり似合わなそうだな」

 女子二人もさることながら、橙髪の男子も武器を持って敵に突撃する絵は浮かばなかった。

 思うところがあって、ガイウスが言う。

「フィー、先ほどの話の続きだが」

「え?」

 フィーがやりたいことがない、とぼやいていたことについてだ。

「フィー。彼らもまだ、お前と同じように道を考えている最中かもしれない」

 フィーは歳と体格もあって妹扱いされていたが、そもそもガイウスとも二つ程度しか変わらない。

「俺は族長の息子という立場もあるが、外を気にするようになったのはノルドにいたからだろう」

 実力があるとはいえ、進む道に悩む年下の少女だ。ガイウスは少しでも力になりたいと思った。

「やりたいことと言うのは人に言われてできるものではない。己の心が求めるものだ」

「うん、そだね」

「フィーはまだ若い。遊撃士になるにも、例えばあの学院に入学する歳でもないだろう」

 後ろを振り向き、学院の様子を見る。やむことのない喧噪は、どうしてか心地よかった。

「少しずつ、俺やエステルと道を共にする中で、やりたいことを見つければいい」

 ガイウスは弟妹がいるだけあって、まさに兄のような優しい笑顔だった。

 励まされたフィーは、変わらない様子で両手をあげて伸びをする。

「どうだろうね……遊撃士って、まだガラじゃないし」

 その顔には、わずかに笑みがあった。

「別の道もあるかもしれない。だから、のんびり探すよ」

 

 

────

 

 

「……領邦会議?」

 その言葉を聞き届けたエステルは、少し理解するのが遅れてしまった。

「そういえば、そんな時期だったか。今年はバリアハートなのね」

 サラは納得している。この辺りは経験や帝国本土で過ごした時間ゆえか。

 帝国領邦会議。二年に一度の頻度で帝国各地の領地を持つ貴族が集まる会合だ。開催場所は四大名門の四都市が交代で受け持っている。領地運営に関する議題などが話し合われているが、革新派が台頭してきて以降はもっぱら革新派へ対抗するための議題が多くなっているようだが。

 そこへリベール州の領主が招かれ参加する、その意味は。

 ミヒュトは言った。

「少し混乱しているようだな。リベール問題は例え州民であっても理解が難しいくらい複雑だ。おさらいと行くか」

 これにはエステルでなくサラが答えた。

「ええ、お願いするわ。これに関しては、あたしも集中しないといけないもの」

 エステルにとってもありがたい。ミヒュトが明かした情報は、自分が暴こうとしてるものの(おお)きさを改めて感じさせる。

「百日戦役終戦以降、帝国を二分する貴族派と革新派にとって、リベール州ってのは常に歪な緊張をもたらし続けた」

 もともとがアリシア上王の賢政で帝国と共和国の緩衝国だった。それが貴族制度の残る帝国側に回ったってのは、大陸情勢にも、帝国内情勢にも波紋を広げる。平和な田舎国はついに西ゼムリアの火薬庫になってしまったという。

 エステルは心苦しく思う。『火薬庫』とは、導力器が繁栄するこの時代にまた前時代的な言葉が出てきたものだ。

 そして少女は否定する。

「……そりゃリベールが関係する問題は増えたけど、『火薬庫』っていうほどじゃないじゃない。猟兵だって未だに運用禁止だし」

 帝国自体は猟兵運用を禁止していないので、あくまでリベール領邦軍が意向として固く禁じているだけだが。

 ミヒュトは首を横に振った。

「いいや、『火薬庫』といって差し支えない。なんせ、《剣聖》カシウス・ブライトが束ねる精鋭の軍団だ。それが帝国政府や貴族の陰謀に巻き込まれて、縦横無尽に、いたるところに武器を向けかねない、危うい火薬になったのさ。将軍自体が厭戦家だとはいってもな」

 エレボニア帝国領リベール州は、現在、世間的には革新派の一勢力として数えられている。百日戦役の終戦に関与したといわれるギリアス・オズボーンとの関係もあるだろう。しかし実際のところ旧国の風習もあってか、リベール州は革新派の中の中立派として努力する様子が見て取れた。

 大陸情勢を見てみる。帝国と共和国という二大国に挟まれている地域はいくつかある。北はレミフェリア公国やノルド高原、中央はクロスベル自治州、南はリベール王国。百日戦役以前はそれぞれの形で二大国を取り持ってきたが、結局南の境界線はなくなった。

 他の地域が理想的な緩衝地帯となっているのかという別問題も出てくるが……それはさておき、一つの場所が決壊すれば、ダムに溜まった水は決壊部位から尋常でない力を持って吹き荒れていくだろう。

 帝国内の地理関係を見てみる。リベール州と州境を接するサザーラント州は貴族派の中では穏健派だが、結局のところ帝都とリベール州に南北を挟まれている形だ。もし()()が起きたときには、これほど有利なことはない。

 そして帝国内情勢を一層複雑化させていることが一つある。それはリベール州を統治しているのがアウスレーゼ公爵家という旧王家──現貴族家であることだ。

 当時の統治者アリシア女王は百日戦役の責任を問われて退位することとなったが、王家そのものの血筋は絶たれることはなかった。旧王国において絶大な支持を誇る王家を断絶・処刑すれば、リベール州統治における市民の求心力が危ぶまれる、という政治的な配慮もあったのだろう。旧アウスレーゼ王家は敗戦の一頭としては好待遇を受けることになった。アリシア上王の息子である王太子夫妻が過去に海難事故で失われていることも相まった。

 軍部において元将軍モルガンの後をカシウス・ブライトが継いだように、アリシア女王の甥であったデュナン公爵がそのまま新アウスレーゼ公爵となり、統治者となったのである。

 アウスレーゼ家はそういった経緯もあるが、正真正銘の貴族家だ。だからこそ、貴族という立場でありながら革新派に与する大貴族という、異質な存在が生まれたのである。

「アウスレーゼ公爵家は中立派を謳っている。ここ十年近く、領邦会議には参加していなかった。それが今回、満を持しての会議への参加。自ら希望したのかそれとも強要されたのか……どちらにしても、仲良しこよしで終わるはずはないよなあ」

 ミヒュトは、「さあどうする?」と挑戦的な笑みでエステルを見る。

 帝国の革新派や鉄血宰相という、エステルが最も注意を払っている存在ではない。しかし、帝国という暗黒の地の中のリベール州を確かめること。それを行うには、絶好の機会であることには変わりない。

 さあ、どうするか? そんなことは決まっている。

「サラさん」

「判ってるわよ。言ったじゃない、自分の目的のために動いていいわよって」

 ガイウスとフィーはこの場にはいないが、反対されることはないだろう。彼らだって、興味のある話には違いない。

 だから、エステルは一切迷わずに行った。

「行くわ。《翡翠の公都》バリアハートへ」

 

 

 









今回の変化点
・リベール地帯の新当主、デュナン公爵
・革新派に属する四大名門と同等の大貴族、アウスレーゼ公爵家
・リベール併合による帝国内外情勢の複雑化
・1204年帝国領邦会議、デュナン公爵の参加

次回。エステルたち、バリアハートへ。


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