斂の軌跡~THE MIXES OF SAGA~ 作:迷えるウリボー
「はぁ」
「サラ、溜め息なんかついてどうしたの?」
「そりゃ気にもするわよ」
サラは頬杖をついていた。目線の先にはフィーがいて、丸テーブルをはさんで二人して座っている。
「普段と違って心配性だね。あの二人なら大丈夫だって」
「そういうあんたは普段通りね。お菓子にぱくついちゃってまあ」
「糖分接種は大事」
二人がいるのは喫茶店で、アルバレア城館からはそれなりに距離があった。一応城館を外部から気にかけてはいるが、実際のところ貴族街を必要以上にうろつくわけにもいかないからだ。
サラはフィーの胸元まで盛られているお菓子の山を見た。おもむろにクッキーに手を伸ばす。
「あ、それ私の」
「私のミラで買ったの。食べ過ぎよ」
丸テーブルはそれなりの大きさで、二人は対面に座るが実際は四人用だった。なのでサラの挙動は全身を伸ばしたものになり、それなりに大きい音がした。結果、喫茶店内の近い席の人たちはサラがクッキーをほおばる瞬間を目撃した。
「クッキー……」
「いやあんた……」
少女の落胆ぶりに驚いた。だが多分演技だ、大衆を味方につけるための。サラの行動を大人げないものとして、弾劾するつもりなのだ。
「その手には乗らないわよ」
「とはいってもなあ、今の場面だけ見たら誤解するぜ」
聞こえた男の声は、意外と近かった。サラに対する冷静な突っ込み。同時、男はテーブルの椅子を引く。
「よう、紫電の。嬢ちゃんも」
「ナイアル、いたんだ」
「あら、記者さん」
リベール通信社のナイアル・バーンズは、「よっこらせっと」など呟きながら椅子に腰かける。今度はフィーが自分の大量のチョコを差し出した。
「悪いが嬢ちゃん、甘いもんは趣味じゃなくてな」
「そっか」
もともと、ナイアルはバリアハートにいる間は密に連絡を取り合おうと決めていた。ナイアルもこの街には知り合いはいないらしい。そうなれば協定でなくとも自然と集まるものだ。
「エステルとノッポ君は? 無事に城館に入れたのか?」
「私たちは見送りまでだからね、でもユリア大尉がいるなら大丈夫でしょうよ」
サラは言った。今回に至っては、サラとフィーは起こりそうにない有事までは待機するだけだ。正直、暇なのだ。
「俺もまあ、ここまでくりゃできるのは会議終わりの貴族に突撃するぐらいだ。……まったく、この街はどうにも堅苦しいぜ」
ナイアルはぼやいた。十年前までリベールに貴族制度はなかった。正確には百年ほど前の民主革命でリベール王国における貴族制度が廃止された。ナイアルをはじめとするリベール人には馴染みのない制度だったので、未だ貴族の街に対するある種の閉塞感を感じるのも判る。
ナイアルは頬杖をつき、もう一方の手の指を震わせながら机をたたいた。サラとほとんど同じ格好だった。
その様子を見ていたフィーは、数秒の黙考の後につぶやく。
「煙草」
「ん?」
「ナイアルって、煙草吸うんだよね」
「ああ……よく判ったな、この街に来てから吸ってないのに」
「まあね。匂いは多少残ってるし」
ナイアルは自分の服の裾を顔に近づけた。
「ナイアルさん、気にしなくていいわよ。この子の嗅覚は犬並みだから」
「サラ、言い過ぎ」
「じゃなんで判ったんだ?」
「似てただけ。懐かしいなって」
「んん?」
ナイアルはフィーを見た。少女は今、サラもナイアルも見ていなかった。かといって店内の何かに意識を向けているわけでもなさそうだった。瞳孔は、わずかに開いているように見えた。特に感情も見えない、第一印象からして猫のような少女ではあるが。
『懐かしい』。フィーにそう言わせる自分のヘビースモーカーの特性を、けれどどう関連付けていいかも判らない。
だからナイアルは煙草に関する雑談をする程度のことしかしなかった。記者なので話題を膨らませることだけは下手ではなかった。
「ま、なんだ。煙草を嗜む奴には話せば判るのが多い。知り合いが吸ってるんなら、お前さんは恵まれてるな」
「うん」
沈黙。
フィーは言葉数が少ない。今日のサラはやる気がない。ナイアルもナイアルで消沈気味。
はっきり言って、明確な目的がない。待つばかりである。何か、新たな乱入者でもいない限りは。
「紫電。西風の妖精。リベールきっての敏腕記者。なんだか不思議な人選だなぁ」
いた、新たな乱入者が。
丸テーブルに残された最後の席、そこに近づいた青年がいた。三人の二つ名や所属、意味ありげな言葉を言う彼は、当然三人の注目を集める。
「なんだ? お前さんは」
「赤髪……」
「あら、
青年は遠慮なく座ってさらにフィーの菓子類に手を伸ばす。今度はフィーも己の財産を守るべく腕で抱えようとしたが、青年が抜け目ないのかお菓子が多すぎたのか、どちらにせよフィーの目測は誤った。
「私のお菓子……」
「いただきぃ」
失礼な輩だが、サラが警戒するでもなくそのままでいる。フィーも同様で、その正体は知らずともサラの態度に従うようだ。ただ、何者でもないのは判っている。ナイアルはさらに訪ねた。
「こいつのこと知ってんのか?」
「ええ、良く知ってるわ。いけ好かない連中の一人よ……自己紹介したらどうなの?」
「おっと、こりゃ悪いな」
青年は言った。面白いものを見るような顔で。
「帝国正規軍情報局の特務大尉、レクター・アランドール。この翡翠の公都には似合わない野郎だ」
────
デュナン公爵が部屋に戻ってきた。彼は言葉数少なげで、そして疲労の色が見えた。
執事フィリップが静かに彼の後ろに続いている。さらに親衛隊の兵士が一人。
「閣下、お疲れさまでした」
「うむ」
デュナン公爵はまた、控室のソファーに腰かけて言った。
「しばらく一人にしてくれるか」
「仰せのままに」
そして、また護衛を一人だけ伴わせて、彼が構えるその部屋の扉は閉じられる。
その様子をエステルはクローディアの控室から観察していた。
「デュナン公爵……すごい疲れてるわね」
「ああ。帝国領邦会議……俺たちには計り知れない重圧があるのだろう」
エステルとガイウスは口々に言い合う。会議前のわずかな挨拶と、そして今。これだけの接触では、デュナン・フォン・アウスレーゼの本質は判らない。
ガイウスが会議と聞いて想像するのは、故郷ノルドの集落での会合だ。酒も交えた大人たちの話し合いの場は、状勢にもよるがもっと和気あいあいとしたものだった。ガイウスが住む集落以外にも高原にコミュニティは存在するが、ガイウスはまだその部族間の会議には出席したことがない。
これに至ってはエステルのほうが体験不足だった。故郷ロレントは王国時代、五大都市の一角を担っていたが、最も牧歌的な町だ。帝国領に組み込まれた今、上には上が沢山いることを思い知らされている。そんな帝国の片田舎で、大規模な某かの会議など開かれるはずもない。
「リベール州は旧王国だが、財源や軍備としては当時からラマール州やクロイツェン州と比べ劣っていた。サザーラント州もノルティア州も負けず劣らずの大貴族たち。公爵閣下の心労も察するに剰るだろうな」
ユリアが教えてくれた。別に勝ち負けが大事なわけではないが、現実であることには違いない。
帝国西部ラマール州領主、カイエン公爵。
帝国東部クロイツェン州領主、アルバレア公爵。
帝国中南部サザーラント州領主、ハイアームズ侯爵。
帝国北部ノルティア州領主、ログナー侯爵。
この四大名門に、帝国南部リベール州領主、アウスレーゼ公爵を入れた五家が、帝国における五本指の大貴族。
格としては明確な筆頭としてカイエン公爵がいて、その下にアルバレア公爵、さらにここ十年で次席の座をアウスレーゼ公爵と争う形になっている。
只でさえ注目の的であるデュナン公爵は、魑魅魍魎の貴族社会を歩かなければならない。緊張しないわけがない。
「だが、君たちがクローディア殿下の護衛に回るおかけで、我々も少なからず閣下の御身を守ることができる」
別にクローディアを蔑ろにするわけではない、言葉の綾だ。少なくともエステルとガイウスは、少しでも言葉を交わしたことのあるクローディアに当てるほうがいい。先にユリアが話した通り、どう事が転ぶかはわからないが。
エステルは、当事者でもないのに少し疲れたようにぼやく。
「でも、クローディア殿下も会議の間はこの部屋で待機なんて、暇になっちゃいますね」
すでに会議は一日目の前半を終えていた。デュナン公爵が控室に戻ってきたのは、昼休憩のためなのだ。その間、会議への出席でなく社交的事例のために当てが割れたクローディアは、何をするでもなくこの部屋にとどまるだけだった。
別に城館内を散策することが許可されていないわけでもないが、つい先日も悪漢に襲われかけた身だ。率先して動こうとは彼女自身思わなかったし、仕える身であるユリアも彼女を拘束するような状況とはいえ、勧めることはしなかった。
今この時のエステルとガイウスの役割は、クローディアの護衛である。よって彼らもまた控室に缶詰めとなった。少しは何もしないことによる疲れが出てしまう。
だがエステル個人としては、悪い気はしなかった。要人と言葉を交わすことなんてめったにない機会だ。彼女自身が個人的に感じている同郷の同年の少女という意味でも心弾むものがある。
ガイウスも、事前にサラからいい機会だということを言われていた。特異な状況下にある貴族の令嬢……帝国のゆがみと状況を見定めるのにはもってこいだ。少年も人見知りというわけではないので、早々にクローディアとは打ち解けている。
少年少女の目線からだが、クローディアも砕けた態度が出つつあることが嬉しかった。同時に彼女自身博識で、政治的な意見をおいそれとは出さないものの、その鋭い考察には目を剥く機会がこの数時間の間でさえ何度かあった。細かい情勢までも頭が回らない二人にも判りやすいように教えてくれている。
彼女は聖アストライア女学院に在籍しているという。だがその淑女の学び舎だけで得られる知識でないのは確かだ。
「よろしければ、お二人が遊撃士になった経緯を教えていただけませんか?」
クローディアはそんなことを聞いてきた。世間体としても頼れる職業である遊撃士。彼女としては、同い年のエステルが遊撃士となっているのは驚きだったりする。純粋な興味もあり、差し支えなければ同窓の友人にも話したいと思っていた。ガイウスに至っては年下なのだ。ますます持って尊敬できる。
クローディアのことは信用しているし、特に明かすことをためらうこともなかった。ガイウスは帝国のことを知るために。エステルとしてはリベール州そのものへの疑念を言うのは気が引けたので、父親への疑念を興味という表現で代えて伝えた。
「クローディア殿下はどうして女学院に? やはり貴族子女としてのたしなみなのだろうか?」
なんとなしにガイウスが聞いてみた。両家の子女であれば、別におかしいことではないことだ。
「それは……ええ、そうです」
クローディアは答えたが、わずかな沈黙を含んでいた。
午後の会議も午前と変わらず、デュナン公爵は言葉少なげに、そして喜怒哀楽の感情を見せず会議に臨んだ。
一日目の会議の議題は、主に経済的な地方間の協定が多いのだと、ユリアが教えてくれた。帝国は皇帝アルノール家が治める国家で帝国政府も存在しているが、実際に適用される税率などは地方により異なる。それは各領主が権力を決めることが大半で、だからこそ領主は貴族派という一つの勢力として認知されているのだが。
ちなみにリベール州の税率もまたデュナン公爵擁するアウスレーゼ家が独自に決める裁量を持つが、結果として帝都や皇帝直轄領とほとんど変わらない。それもまた、デュナン公爵にとっては悩みの種だろう。
いずれにせよ、特に一日目は大きな障害もなく終わるだろうというのが、事情を知る各人の見立てだった。逆に言えば二日目は、貴族派が革新派に対抗するための議題や、そして異分子であるデュナン公爵に対する何かしらの議題が上がるのでは、という予想が多い。むしろ本番はこれからだった。
一日目のすべての議題が
護衛を連れて、デュナン公爵・クローディア両名は城館を歩く。先頭は城館付の侍従に任せ、エステルとガイウスは最後尾を勤めた。
アルバレア城館で最も壮麗な装飾が黄金のように輝いている。侍従の話では帝都バルフレイム宮の翡翠庭園には劣るが、それでも帝国五本指に入る規模の会場なのだとか。
すでに会場には貴族、給仕など何十人もの人で溢れ返っていた。特に狙ったわけではないが目立たないのは助かる。
デュナン公爵たち以外にも護衛を引き連れている貴族はいるが、それでも少数だった。それぞれ上下関係はあるだろうが、自分の陣営だ。警戒するほうが珍しいのだろう。
しばらく待っていると、ざわめきの中から手を叩く音。リベール関係者のみならず、その場の貴族たち全員が顔を向けた。
「本日、この良き日に。皆様とこの時間を共にすることができる。これほど良きことはありません」
会場の舞台側、壇の上で自分たちを見下ろす男の顔を、エステルは初めて見た。だが知らないわけではなかった。その顔は今日城館内の絵画で、印象に残ってしまう程度には目にしてきたのだから。
「領邦会議の主催を務めさせていただくアルバレア家当主、ヘルムート・アルバレアでございます」
薄茶の髪色に髭。今は笑顔を取り繕っているが、鈍色の瞳がもたらす眼光は鋭い。四大名門は領地を象徴する色を基調とするのが習わしなのか、翡翠の貴族服だった。
「帝国の未来を担う皆様の思い、それが今日の会議には痛いほど表れていた。そこに感謝すると同時に思う。さぞ心を震わせたでしょう、方々の疲れを見ればよくわかる」
彼は魑魅魍魎の貴族社会の次席。それが判っていても、エステルは『偉そうだ』という印象を拭えなかった。続く演説はどこか空々しく聴こえて仕方がないのだ。
言葉そのものは、会議の場で何度も交わされているだろう。アルバレア公爵は早々に演説を打ち切ると、彼の背後に控える青年を見た。
「重圧に苛まれる皆様に少しでも癒しを。今宵の晩餐会は私ではなく、我が息子が企画したものであります」
青年もまた、翡翠の外套を纏っている。アルバレア公爵の紹介でなんとなく招待は掴めたが、彼自身の言葉によって明らかとなる。
「只今ご紹介に預かりました、アルバレア家ご嫡男、ルーファス・アルバレアです。本来ならば主催する家の者全員でお出迎えするのが最低限の礼ですが、我が弟は今士官学院で研鑽を積んでいる……その努力に免じ、今日の欠席をご容赦いただきたい」
恭しく一礼を捧げた。帝国社交界の注目を二分する貴公子に、会場から拍手が舞い上がった。
彼の声は、聴く分には甘いそれだった。エステルがさりげなく見回すと、侍女たちが頬を赤らめている。辛うじて職務に影響が出ないその努力は涙ぐましい。
(残念だけど共感できないわ……)
恋に恋するような性格でもなかった。
「晩餐会は立食形式とさせていただきました。会議後の皆様には非情な仕打ちかもしれない。それでも、今日は記念すべき日でもある。栄えある帝国貴族に、とりわけ四大名門に、志を共にする一翼を迎える日なのですから」
デュナン公爵・クローディアの後ろに控えていたエステルは見た。ルーファスの言葉が終ると同時、ばっ、という音が聞こえんばかり一斉に、貴族たちがアウスレーゼ公爵を見定めたのだから。
「……」
壇上に上がることを促されたわけではない。だが故意にか偶然にか、しつこいぐらいに注目される。デュナン公爵は静かに、ゆっくりと一礼を捧げた。
「今宵は会議以上に大いに語らい、親睦を深めてほしい。それが、主催アルバレア家の願いであります」
巻き起こる、アルバレア公爵とルーファスへの拍手の嵐。それが合図となって晩餐会が開かれる。
――――
当然ながら、エステルもガイウスも社交界とは無縁だった。晩餐会は少年少女やデュナン公爵たちを置き去りにして、反して雰囲気は穏やかだった。
そう多くはないが、クローディアのように令嬢子息も招待されているようだ。
実に十年近い時を経て再び領邦会議に参加したデュナン公爵とその姪であるクローディアは、注目の的でもある。近くにアルバレア公爵をはじめとする四大名門の当主はいなかったが、それでもすぐにその他の貴族諸侯に囲まれることになった。
エステルとガイウスは今のところクローディアについている。仮にも親睦を深める社交の場なのであからさまな危険行動をとるものなどいないだろう、そのために悪漢たちは城館の外でクローディアに接触したわけで。それでも、主に危険が迫るのであれば護衛も本人も警戒するのは当たり前だ。
「初めまして、クローディアさん。よろしければ、ご一緒してもよろしいですか?」
貴族諸侯の目はデュナン公爵に集中しているが、クローディアもずっと一人でいるわけではない。年上の諸侯から紛れて、長身の青年が近づいてきた。
「アレックス・ハイアームズ。ハイアームズ侯爵の次子です。今回の会議、父であるフェルナン
ハイアームズの付き添いとして参加しています」
二十代始めだろうか。
頭一つ抜けた背丈に、眼鏡をかけた穏やかそうな顔つき。四大名門の四番目、南のサザーラント州を統括する責任者だ。
「アウスレーゼ家当主、デュナンが姪、クローディアです。初めまして、アレックスさん」
「あくまで領邦会議は領主たる父が本命……ですが、貴女と同様に、損な役回りもあるわけです。お互い、引き立て役は大変ですね」
「ええ、本当に」
貴族諸侯の黒い噂をよく聞いていたエステルにとって、二人の会話は意外であり、そして微笑ましくもあった。アレックスは抜け目ない感もあるが、物腰も柔らかくどこまでも好青年に見える。
「ハイアームズ家の御子息は、どなたもご立派だと、噂はかねがね」
「兄は諸外国の駐在武官を。私はジュライ市局にいます。ただ、末のパトリックは士官学院にいる……まだ未熟者でしてね。兄としては困ったものだ」
「まあ」
「確か……貴女と弟は歳もそう違わなかったはずだ。良ければ、またの機会に紹介させてもらえると嬉しいものです」
まさか……とエステルは心の中であんぐりと口を開けた。庶民には縁のない、物語の中だけで繰り広げられるラブロマンス。貴族や王族たちの縁談というやつだ。
「ええ、私もパトリックさんとお会いできるのを楽しみにしています」
女学生の身と言えど貴族、さらに言えば元王族のなせる技か、クローディアもまたどこまでも丁寧な対応だった。控室でずっと沈黙を保ってきたデュナン公爵を見てきたエステルとしては、クローディアのほうがその佇まいに高貴なるものを認めてしまう。
そして、不敬にもそんな感覚を抱いたのはエステルだけではないらしい。近づいてくる男の影が、もう一つあったのだ。
「さすが長く旧リベール王国を支えてきたアリシア上王陛下の実孫だ。帝国貴族にはとても真似できない」
その貴公子は、エステルも判っていた。この晩餐会において乾杯の音頭をとった主催者その人だからだ。
「ルーファスさん」
「はは、さすがに貴方も抜け目ない方だ」
なおも穏やかだが、アレックスは困ったように笑っていた。渦中の人物、ルーファス・アルバレアは優雅な足取りで翡翠の外套を翻している。
「失礼、アレックス殿。それに、クローディアさん。是非、私も歓談に加わりたいと思ってね。お互い、帝国の名だたる領主の後継だからね」
始まる会話は、エステルからすればついていけるはずもなかった。
サラからハイアームズ家は穏健派だと聞いている。アレックスもその印象から外れなかったが。対してルーファスは一見穏やかな貴公子でも、どこか油断できない。何の理屈も根拠もないが、エステルはそう直感した。
「エステル君」
「ユリアさん」
後ろから声をかけられた。人の並みの中からユリアが出てくる。
「どうしたんですか?」
「すまない、少し配置を変えてくれるか? 君は公爵閣下の近くに移動してほしい」
「はい……でも、どうして?」
ユリアは少し、苦虫を嚙み潰したような表情だった。
「予想したとおり、公爵閣下への接触をする方が多い。私では、それなりに目立ってしまうようでね。近くにいると、各方面を刺激してしまう」
自慢しているわけではないだろうが、ユリアの言ったことは事実だった。エステルは知らないが、彼女はリベール領邦軍の中ではある程度名を広げている。それは貴族社会にも届いていたのだ。そんな名のある彼女がデュナン公爵の近くにいれば、黒子でなく露骨な護衛として方々の印象に影響される。
つくづく、煮え切らなくて複雑で、めんどくさい社会だとエステルは思った。だがそれが現実だ。
対して、クローディアに話しかけているのは領主でなくその子息が多い。それもまた安心とか言われれば別だが、冗談も飛び交う以上、確かにユリアがいてもそう気まずい空気にはならなそうだった。
「判りました、それじゃあ行ってきます」
「よろしく頼む」
エステルはクローディアから離れるのを少し寂しく思いつつ、それでもデュナン公爵の下へ向かった。広い晩餐会場だが、探すのにはそれほど苦労しない。諸侯が密集している場所を探せば、自然そこがデュナン公爵のいる場所になっているはずだ。
(アレックス・ハイアームズとルーファス・アルバレア。クローディア殿下に寄ってきたのは四大名門の子供たち。なら……これから目にする人たちは少し緊張するわ)
誰にも気づかれないように嘆息する。
嫌な予感は、的中してほしくない。それでも、これは予感というより事実に近い。
帝国における国の中枢の一翼。その四大名門の筆頭たち。
魑魅魍魎のその場所に、エステルは飛び込んでいく。
想定以上に「翼と太陽」が長丁場に……まあ、作者としては楽しいからいいんですけど
ちなみに、四大名門の子息(学生たち)はだいたい士官学院にいて、今回は呼ばれていません。原作も(夏休みを除いては)そんなそぶりもなかったし。
ミュゼ? 彼女は女学院に閉じ込められていましたね。
そして……創の軌跡発売まであと一週間。どんな物語となるのか、本当に楽しみです。