斂の軌跡~THE MIXES OF SAGA~ 作:迷えるウリボー
晩餐会の人ごみは、ただの人ごみではない。帝国の領邦を統括する主たちの群れ。そんな人の群れを、エステルは少し緊張しながら歩いた。
本文は遊撃士でも、今自分は貴族を守護する領邦の兵士に他ならない。下手に存在を主張すれば、それは守るべきアウスレーゼ公爵家の沽券にかかわる。
エステルはやっとデュナン公爵の近くへやってきた。だが彼は依然として他の貴族諸侯に囲まれている。
「ほう、リベールは食通が多いと聞きましたが……公爵閣下も御多分に漏れないようだ。ずいぶんと豊富な舌をお持ちだ」
「なに、私は随分と子供のような舌でしてな。昔は執事に小言を言われたものです」
話し相手は四大名門ではないが、それでも身なりからして上にいる諸侯だ。デュナン公爵は笑顔を浮かべて話を続けていた。
「リベールはそもそもが牧歌的な地域。帝国資本が入るまでは鉄道とも縁がない場所だった。時勢に揉まれにくい故、気のままな者が多いのでしょう」
「はは、ユーモアも利く。帝国貴族の未来は明るいようですな」
依然、デュナン公爵は笑顔のままだが、それでも疲労の色は見て取れた。それが判らない諸侯ではないだろうが、貴族独特の体裁の繕い方なのか、疲労の色そのものを心配する様子はない。
エステルはどうにか、デュナン公爵の目に自分が映るように目に留まる。その同線の保ち方は、本来後ろに控えるべき近衛兵としては反省が必要なものだったが、それが判らないエステルは続ける。
デュナン公爵はエステルに気づいた。そして、彼にとってはエステルの動きは感謝するほどのものだった。
「失礼……」
その言葉に加え場を離れることに対する体裁を整えてから、デュナン公爵は動き出す。その先にいたのは言わずもがなエステルだった。
「デュナン公爵……?」
「ついてくるがいい」
至近距離にいた人は聞こえただろうが、その者たちは給仕や侍女だった。エステルを除けば、その公爵の小さな声に反応する者はいなかった。
デュナン公爵はそのまま人ごみをかき分け、会場の外まで歩く。その扉に控えるクロイツェン領邦軍兵士に一言告げ、少し先で立ち止まった。
「えっと、デュナン公爵? どうしたんですか?」
「急なところで済まぬな、エステルよ。迷惑をかける」
「いえ、そんな」
デュナン公爵は振り返った。エステルは彼が少し小さく見えた。
彼からすれば、今のエステルは自分に仕える一兵士でしかないはずだ。なのに、その挙動は会場の貴族に対するそれと同じくらい静かなものだ。
そして、人の少ない静かなこの場所に逃げるのも、明らかに彼が心労を抱えていることを見れば判るが。それでも、なぜ今、なぜここで、なぜ自分に対して? という思いがエステルにはある。
だが、おもむろに発せられた問を耳にして、エステルは納得した。
「聞きたいことがあってな。そなたがこの場にいるのも渡りに船だ。今後話せるかも判るまい」
「……はい」
「そなたには、そなたの父君はどう見える?」
ああ、そうか、と。
目の前の人は、自分の父と並んでリベールの頂点に立つ人物だ。だが覇気を感じられないから、そのことを頭の外に除けてしまっていた。
世間的に帝国内において革新派に属しているといわれるリベール州。軍属たるカシウス・ブライトはより鉄血宰相との距離が近いといわれる。対して、こうして今も魑魅魍魎の世界の中心にいるデュナン公爵。
そしてデュナン公爵は、カシウスの娘であるエステルが今ここにいる理由を知っている。胸中は明快であり、複雑だろう。
エステルは、少しだけ言葉を見つけるのに時間がかかった。
「……私にとっては、尊敬できるお父さんです」
「なのに、こうして今私というリベールの中枢を見届けている」
「それは違います。私はリベールが好きです」
半分は、疑心暗鬼もあるとみられているのだろう。彼にとっては、いま目に映る多くの人が、自分に対して何かしらの色眼鏡をかけていると感じているのかもしれないし、実際に多くの人が色眼鏡をかけているのだろう。
それを自分もそうだと向けられるのは、純粋に人としても、個人としても少しだけ気に入らなかった。
私は、お父さんとお母さんの娘だ。
「私がここにいるのは、お父さんを知りたいから、それにギャフンと言わせたいからです」
まっすぐ、デュナン公爵の目を見た。
彼はどういった返事を期待していたのだろうか。はいそうですと、猜疑心を向ければよかったのか。
判らないが、正直な言葉を聞いたデュナン公爵はふっと頬を緩めた。
「……そうか」
「はい。私の知らないお父さんは確かにいる。けど、それが悪いだなんて思いません。ただ……」
「ただ?」
「ただ、家族のルールを破ってるから私が思い知らせてやるだけです!」
別にそんなルールなどないが、ブライト家はレナを筆頭に女性社会である。妻であるレナに、娘であるエステルに秘密を抱えたままだというのは、ブライト家の意向に反する。これに関してはレナも異存はないだろう。
そんな、子供じみたエステルの決意は、少なからずデュナン公爵の心を解きほぐしたらしい。
カシウス・ブライトの娘と、彼が忠誠を仰ぐ公爵の邂逅。まったくの偶然であるこの出会いは、少なからず
「……ふふ、そうか」
さらに頬を緩めて、デュナン公爵は吐き出した。
「ならば、思うが儘に、私の姿を見届けるがよい。剣聖の愛娘よ」
その瞳に、凡そ暗躍を働く暗い光は感じなかった。
この人は信頼できる。まだ信用できるほど知らないにしても、信頼できる。エステルは直感した。
と、同時に思う。そんなデュナン公爵と共にリベールを導くカシウスには、やはり自分が行動するに値する何かがある、と。
勧善懲悪では語れない何か。それを、自分は探さなければいけないのか。
どちらにせよ、自分も、デュナン公爵も、明日から始まる会議に臨まなければならない。この笑顔を取り繕ったままで、会議の時間を過ごせれば、と思う。
と、そこで。
「おや、アウスレーゼ公爵。ご気分がすぐれないのかね?」
全体として穏やかな、しかしどこか空々しい声が二人の鼓膜に届く。その方へ顔を向けると、そこには一人の男がいた。
いや、正確には三人いたのだが、先頭に立つ一人の男がどこまでも存在感を主張していたのだ。だから後ろに控える二人の領邦軍兵士が小さく見える。
クロワール・ド・カイエン。濃紺のマントに色艶やかなファーを首に巻き、どこまでも大きな圧を放つ髭面の男。
四大名門の筆頭、そして一領邦にして周辺小国を凌駕する財力・兵力を持つ男が今、目の前に立っている。
近づいてくる彼を認識し、デュナン公爵は先ほどまでの姿勢を正し、貴族服のしわを整える。
エステルもまた、デュナン公爵の後ろに控える。彼女においては、動き回ってはいたがそれほど佇まいを直す必要はなかった。元からそれほどからの動きを乱させてはいなかったのだ。このあたり、一少女であっても彼女の芯の強さが少なからず伺える。
二人の貴族は対面した。
「これはこれは、カイエン公爵閣下。この度は栄えある領邦会議にお招きいただき、感謝します」
「はは、そなたは四大名門と命運を共にする大貴族だ。招かない理由などあるまい?」
「そして、重ねて今までの無礼を詫びたい。……この十年会議を欠席し続けたことを」
貴族社会は特に礼儀や建前の取り繕いが多い。エステルにとってはいまいち理解できないことだが、前提にどんな革新派との諍いがあっても、帝国の情勢を左右しうる大貴族が領邦会議に参加しないというのは無礼行為に他ならない。
「いいのだよ、
だが、カイエン公爵の声はどこか優しいものだった。デュナン公爵は顔をあげる。そこには、笑みを浮かべたカイエン公爵がいる。
「君は現四大名門の、いや多くの貴族諸侯の中でも若い。未来ある若者だ。若気の至りの一つや二つ、筆頭としては見届けなければなるまい」
カイエン公爵は笑いを溜め息に変えて続ける。
「それなのに今年の領邦会議の台風の目ともあろう君が、まさか
その言葉に、エステルが目を泳がせた。
こちらに声をかけたのはカイエン公爵だ。ならば、一兵士とはいえデュナン公爵と話す自分の姿は認めていただろう。会話内容までは聞き取れてはいないだろうが、仮に業務的な連絡だとしてもそこには確かに一人の兵士がいるはずなのに。
彼は、デュナン公爵を一人だと言った。
(私……そもそも眼中にないってこと!?)
目の前にいるのは、下手をすれば大陸十本指に入る財力を持つかもしれない。それに対し、将軍の令嬢という箔はあってもたかが一市民のエステル。
一瞬、エステルの心臓が口から飛び出しかけた。辛うじて頭の端に母親の面影が浮かばなければ飛び出したかもしれない。
父親の顔は幸か不幸か常に浮かんでいるが、それでもの能力はこれっぽっちも上がらない。
カイエン公爵とデュナン公爵の歓談は続いている。
「そういえば、そなたはまだ身を固めてもいなかったな。どうかね? 我が姪は中々に聡明で、蝶よ花よと愛でられるものだが」
「はは、私のような歳食いでは、ミルディーヌ殿の可憐さには釣り合わないでしょう」
「確かに年は離れてはいる。だが貴族社会で必要なのは見合う《格》だ。二人の仲は遅れてついてくる」
クローディアに続き、どこかの令嬢が本人もいないのに縁談の話が持ち上がっている。一少女としてエステルは嘆息した。
「それに、リベールは王国時代は貴族制度がなかったといっても、そなたが民を導く一族にいたことは間違いあるまい? 今更驚くこともなかろう」
「それは……」
「まあいい。急な話だったのでな。……今日の会議もまだ、貴族同士の親睦に過ぎない」
カイエン公爵は今度は誰も見ず、下を向いて右腕の指を握りしめる。ともすれば傷心の少年のように見えなくもない。
その拳を強く握りしめ、そして弱く開いて、口を開く。
「明日……明日は、私も
その手を、デュナン公爵の肩に手をかけ、皇帝家に続き帝国の二番手たる男は告げた。
「差し出した手を取ってくれることを、期待しているよ」
────
帝国領邦会議、二日目が始まった。
先にユリア大尉が告げた通り、一日目の会議の議題は主に経済的な地方間の協定が多い。そして二日目は、より貴族派そのものの態勢を問うことになるだろうとも言っていた。
そしてそれは、その通りになった。
「──ということからして、鉄血宰相は今年も軍備を増強させている。ログナー侯爵、ザクセン鉄鉱山の鉄工の運搬量はどうなっていますかな」
「……ああ。ザクセン鉄鉱山が皇帝家の直轄地であることや、鉄道憲兵隊の妨害もあった。だが予測はできる」
軽く拳を机に叩き、重々しく告げたのは、短く借り上げた髪が目立つ筋骨隆々の大男。
「四大名門に流れるもの以外も、確実に過剰に取られている。これは明らかにアハツェンをはじめとする軍事兵器のためのものだろう……そうですな、アルバレア公爵?」
対面に座るアルバレア公爵が返す。
「……ルーファス、答えなさい」
返すのだが、それはそのまま後ろに控え立つ嫡男へ。
「はっ」
一礼の後、ルーファス・アルバレアは手元の書類を見ることなく進める。
「帝国革新派の要衝たる施設は二つ。一つはサザーランド州ドレックノール要塞」
ルーファスはある男性を見つめる。それはサザーランド州領主であるハイアームズ侯爵だが、当の彼は沈黙を貫いている。
「そしてもう一つは、我がクロイツェン州東端に存在するガレリア要塞。そこに運ばれるアハツェンは、調べられる限りでは増加の一途をたどっている」
話を遮り、四大筆頭カイエン公爵が告げた。
「ふむ……やはり鉄血宰相のやることなすこと、横暴が過ぎる。まるで患者に麻酔も刺さずにメスを入れているようだが。さあ、四大名門だけでなく。他の帝国の明日を担う皆もどう思う?」
空々しく、仰々しく、領主たちの口論を聞き、エステルは心の中で溜息を吐いた。そして仁王立ちを崩さぬまま、視界を向けずに左隣に立つガイウスへ意識だけを向ける。
そのどの五感にも響かない想いが伝心したわけではないだろうが、ガイウスも場を乱さない程度の大きな息を吐いた。
エステルたちは今、帝国領邦会議会場の、その場所にいた。デュナン公爵の後ろに控えて立ち、さらにはデュナン公爵の最も近くに控えるユリア大尉と、そして執事フィリップの背を眺めながら。
この場にいるリベール関係者は五人。デュナン公爵の、執事フィリップ、ユリア大尉、そしてエステル・ブライトにガイウス・ウォーゼル。その五人だけだ。
迂闊と言えば迂闊だった。だが仕方ないと言えば仕方ない。今この場には貴族諸侯、その世話役などが軒を連ねている。リベール州においてもそれは例外ではない。領邦軍兵士だっている。
だが、場が場である以上兵士の数もそう多くは配置できない。そして何より、リベール州はユリア大尉以外の
エステル、そしてガイウスの存在のその細部までを把握している者がいるのかは判らない。だが少なくとも、リベール州の人間をその思惑通りに動かせまい、という強い意志はひしひしと感じる。
どれだけあがこうが兵士は会議の動向そのものに介入はできない。介入するのは、主たちの身が危ぶまれたその時のみ。
動くことが来ないことを望みながら、そのままこの位置に仁王立ち続けるしかない。今はただ、公と一個人双方としての自分がすべきことを続けるだけだ。
エステルは耳を再び傾ける。話は正規軍に対する直接的な対抗策に移っている。
「……貴族がその義務を果たすため、革新派が現体制を急激に壊そうとするのであれば、確かにそれは我々の義務を果たすに値する。しかし、下手に動けば貴族の矜持を失う……そうではないですかな」
物腰柔らかな、ハイアームズ侯爵が告げた。四大名門としての威風を兼ね備え、しかし親しみやすい空気のまま言っている。
その前には、カイエン公爵、アルバレア公爵を筆頭に態度の大きい貴族たちが革新派に抗するための手立てを血気盛んに語り合っていた。エステルも政策や戦略に精通しているわけではないが、「増税でアハツェンを増やす」というすでに判る単純な手や「政府に貴族派の手の者を回す」など、それほど考えられてないことは判った。
それを諫めているのがハイアームズ侯爵で、ログナー侯爵は下手な発言をせず慎重に言葉を選んでいるという印象だ。
「……はっはっはっは、ハイアームズ侯爵。さすがの舵取りだ。だが……少々役の違いが過ぎるようだ」
カイエン公爵が卑しく笑っている。
「役の違いとは?」
「貴方もまた四大の名門。言った通り、我々が帝国においてその指揮を発揮するにはその誠実さが必要だ」
「嬉しいことを言ってくれますね」
「だが」
一言、その雄弁に反して一言の否定。叫んでもいないその言葉は、貴族全員の沈黙を強要させる。
「穏健派、それは派閥があるならばどこにでもいるものだ。だが舵取りは船長が、あるいは機長が行うもの。穏健派たる貴方の役目は……荒れる進路を穏やかな近路へ導くことに過ぎない。断じて……進路を決めるわけではないのだよ」
シン、と静まり返る会議場。誰かが生唾を飲む音が聞こえた。
目線をそらす貴族諸侯の中で、ハイアームズ侯爵だけはしっかりとカイエン公爵を見据えている。
そして瞑目し、なおも柔らかな笑みを湛えて続けた。
「……で、しょうな。であれば舵取りは、どのようにするおつもりか?」
「ふっふっふっふ、それはもはや、一蓮托生である我ら貴族派であれば判っていることであろう」
会議は今、カイエン公爵の独壇場だった。細々とした意見は参加しているどの貴族諸侯も語るにせよ、大筋は常にカイエン公爵が握っている。
まさに手の付けられない怪物たちの饗宴か。少しでも情報を胸にとどめるために集中しつつ、けれどエステルは心の中で溜息をつかずにはいられなかった。
(なんか……遊撃士として見逃せないことばかりだわ)
きっと、ガイウスも同じ気持ちだろう。彼の場合は少し純朴なところもあるが、それでも遠回しに革新派を出し抜くためにと語る貴族諸侯の本質を、ガイウスは感じ取るに違いない。
語られていることは沢山ありすぎて、中には隠語らしきもので語られる謀略もあって、エステルには具体的な作戦と言うべきものは判らなかった。ただ、これだけは判る。
高まりつつある二大派閥の緊張の中、貴族派は確実に
サラやミヒュトから聞いていた通り、領邦会議は革新派に対抗する貴族派の作戦本部だったのだ。
人知れず軍服の中がじっとりと汗ばむ。大貴族の館、空調管理がしっかりしているのに、どうして汗をかいてしまうのか。その理由は考えるまでもなかった。
エステルは、デュナン公爵の後頭部に目を向ける。どうあがいても、ここからは彼の表情を見ることはできない。
少なからず、《良い人》という印象を持つことができた年若い公爵は、けれど帝国の大貴族としてこの場にいることは変わりない。
貴族という立場にいながら革新派に属すると目される、帝国近代の歪みの象徴。属州として中立、平和を模索するリベール州の指導者は、いったいこの会議において何を語るのか。
何を考えても、今のエステルは足の一歩すら動かすことができなかった。せめて彼が心労に倒れることなくこの会議が終えられるよう、心の中で祈るだけだった。
そんな中、久しぶりにデュナン公爵が口を開く。それは、カイエン公爵に対する返答のようだった。
「……カイエン公爵」
「何かね? デュナン公爵」
「申し訳ないが……今一度、説明してもらいたい」
「ふふふ……お望みならば、何度でも」
初めてデュナン公爵と会ったとき以上に、張り詰めた言葉遣いだった。
「そなたは……誇りあるリベール州の指導者だ。いや……《旧リベール王国》の王だ。その座を今、取り戻したくはないかね?」
10月初めに創の軌跡をクリアしました。
いろいろネタバレになるのでここでは控えますが……すごい満足感でしたね!
とまあ、いろいろ考察記事を他で書いていたら、こっちに戻ってくるのが遅くなりました……orz
2020年11月1日付の活動報告に外部サイトリンクを張らせていただきました。ネタバレありでいろいろ考察しているので、良ければ見ていただけると嬉しかったり……
↓活動報告URLになります。良ければよろしくお願いします!
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=249255&uid=60159