斂の軌跡~THE MIXES OF SAGA~ 作:迷えるウリボー
1話 リベール士官学院①
七耀暦一二〇四年三月。エレボニア帝国領リベール州、工房都市ツァイス地方。
リベール士官学院はツァイス地方、リベール領邦軍の拠点であるレイストン要塞の近隣に存在する。
リベール州内唯一の士官学院である以上元々敷地内は広い。一般的な校舎に演習場、校庭、ギムナジウムなど軍人養成校としても豊富な環境が整っている。さらに帝国領となったこの十年でリベール州外からの人材や資源が入るようになり、さらに士官学院としての知名度は上がっていった。
今日、そのリベール士官学院では入学式が行われていた。
学院内の講堂には、今年入学することとなった新入生がパイプ製のイスに座っている。端には教官人が控え、後方には先輩方が立ち並んでいる。
新入生の一人、リィン・シュバルツァーはどことなく居心地の悪さを感じながら、新入生の列の中、端でも中心でもない位置に座って参加していた。黒髪を弄りたい衝動を抑え、薄紫の瞳を備えた端整な相貌を、今は少しだけ情けなく崩している。
リィンは祝辞を述べる学院関係者を眺めつつ、同時に周囲の新入生たちを見比べる。
二百人を優に超える新入生たちは、当然リベール州出身の者が多いはずだ。髪の色などの身体的特徴だけで出身地を細かに調べられるわけではない。それでもまだ、本質的にリベール州出身の生徒が多いに決まっている。
そんな中で、帝国本土からやってきた自分はどちらかと言えば少数派の人間。どことなく居心地が悪く感じるのも仕方なかった。
そして入学式前に挨拶を交わした上級生である彼のことを、一足先に尊敬することになった。一年の長があるとはいえ、堂々とした立ち振る舞いに、武術を幼少からたしなむ自分だからこそわかる強さ。果たして自分が、この学院でそれを身に着けることができるのか。期待と共に不安も多くやってくる。
『次は、学院の理事長であり、リベール特区独立警備軍総司令を務められるカシウス・ブライト将軍からの祝辞です』
その進行役の声に、リィンははっと目線を動かした。元から壇上へ向けていた眼差しをさらに強くして、たった今威風堂々とした振る舞いでマイクの前へ立った人物へ、揺れざるをえなかった瞳を向ける。
茶髪と同じ色の顎髭が似合う、壮年の男性。リベール領邦軍の特徴である深緑の軍服に、そして将官の位であることを示す金の飾緒。羽織るのは帝国正規軍の将軍であることを示す紫を基調とした長い丈の外套。
彼がマイク越しに、その深く茫洋とした声を震わせた。
「新入生の諸君、入学おめでとう。リベール領邦軍総司令、カシウス・ブライトだ」
リィンは彼を見る。いや、新入生全員が、彼のことを注視せざるをえなかった。
「このリベール士官学院は過去、私も通っていた。同期、先輩、後輩、教員方。たくさんの絆を育んできた。そんな大事なものは変わらず……それでも、変わったものもある」
最初の祝いの挨拶から始まる彼の言葉の一つ一つが、重く力強い意味を持って聞こえてくる。
「十二年……長いようで短い時間がたったものだ。
過去、王国だったこのリベール州と、帝国本土との闘い。数多くの悲劇を生んだ過ちから十二年。こうして今、リベール州は帝国の一員としての絆を育むことができていると感じる」
十二年前の百日戦役は、帝国のみならず、多くの国が歴史上の重要な出来事として扱うものだ。結果自体は予想通り帝国の勝利であったものの、一時は電撃作戦によってリベール側が勝利を掴みかけた。
その作戦を発案したのが、当時大佐であったカシウス・ブライト。帝国正規軍に組み込まれたととはいえ、彼の存在感の前には大抵の軍人のそれなどかすんでしまう。
帝国を脅かした存在の言葉だ。軽くないはずがない。
「かつてリベールの守護者を育てたこの学院は、しかし今、本土からの若き志ある者が来てくれている。未だ、本土の者に対して確執を持つ者もいるかもしれない。未だ、呪いのようにひしめく過去を持つリベール民に、恐怖を持つ者もいるかもしれない」
そんなカシウス将軍だが、将軍となって以降の帝国本土との折衝はとても柔らかなものだった。力を誇示しようとせず、あくまで一地方の軍としての立場を弁えた指針は、帝国本土にもリベール領邦軍の多くの者にとっても好意的に映った。
そして今、カシウス将軍には一つの噂が付きまとっている。帝国正規軍の七割を掌握しているという、とある人物との協力関係。
カシウス将軍は、さらに続ける。
「だから、君たちがその先駆者となるのだろう。確執、誤解、恐怖、欺瞞。それらを乗り越え、州と本土の垣根を超え、ともにこの帝国を護るための力を養っていくことを。
私から言える言葉は、ただの少しだけだ。その言葉を、少しだけ、心に刻み付けてほしい。
このリベールの学院に来たとて、すべてがリベール州の軍人になるわけではない。守る人は……守る世界は、君たち自身が決めるのだ。大切な者、それはどんな時代も変わらないのだから」
カシウス将軍は一礼の後、壇上を降りる。新入生のみならず、一年前に同じ言葉を聞いたはずの上級生も、何度も聞いているはずの教官人もまた、ただの根性論より難解で困難な願いを受け止める。
歴史上の偉人にもなれたかもしれない人物の心を穿つ言葉。入学式は、張り詰めた空気と希望と共に終わった。
入学式が終わると、今度は新年度のオリエンテーションが始まる。しかし事前に知らされたクラスへ移動した後ではなく講堂で、上級生も残ったままだ。
リィンが事前に調べた限り、士官学院としての環境は優秀でもカリキュラムに大きな特色はなかったはずだ。帝国内にいくつかある士官学院の中には、総合高等学校のような芸術にも力を入れる学校もある。また地方であれば海兵学校や地域毎の地政学や兵站論が強化されたカリキュラムもあった。
確かに、カリキュラムに変更があるとは事前の資料で把握していたが、上級生も交えたオリエンテーションとは。いったい何なのか。
入学式の時とは違い、今は待機の時間。新入生も上級生もざわついており、教官陣も忙しそうに動いている。
リィンが気配を何となしに辺りを振り返ると、教官陣とは纏う空気の異なる大人が、講堂後方の扉から現れた。
その人物を見て新入生・上級生問わずざわつきが増す。「なぜあの人がここに」、「噂の達人をこの目で見れるとは」、そんな言葉が聞こえてくる。
金髪を整え一纏めに合わせた彼もまた、カシウスに及ばずとも似たような雰囲気を纏っている。それもそのはずだ、外套こそつけないが佐官であることを表す飾緒つきの軍服なのだから。
壇上にたち、さらりとした口調で端整な面持ちの男性は告げた。
「リベール士官学院、士官候補生の諸君。調子のほどはどうかね?」
ざわつきは五秒もたたずに収まった。
「新入生の諸君は入学、二年生の諸君は進学、それぞれ祝辞を述べたいところだが、またの機会としておこう。今、私は未来ある若者ではなく、一人の士官候補生たちに向け言うものだからね」
自然、生徒たちの肩が張る。
「リベール領邦軍グランセル方面隊司令、アラン・リシャールだ。本日は『リベール士官候補生の実地演習』について、諸君らへ説明するためこの場に来ている」
リベール州に疎いリィンにとっては初めて知る名だった。階級は大佐。
そのリシャール大佐が、士官学院の教官でもないのにこの場に立つ意味。それは新入生にとっては驚愕し、上級生でも肩肘を張るような事実だった。
「諸君らの知っての通り、リベール特区独立警備軍──通称リベール領邦軍の前身は『リベール王国軍』だ。リベール王国は北にエレボニア帝国、東にカルバード共和国と二大国に挟まれ、アリシア三世上王陛下の賢政の下緩衝国としてゼムリア大陸西部に存在していた」
七耀暦一一九二年以前、王国時代の歴史だ。ここまで実直にものを言うのも珍しい。
「《百日戦役》を境にこのリベールは帝国領となったが、幸運にも旧リベール王国軍はほぼそのままの編成として、大改革を経ずリベール領邦軍となった。その役割としても大筋が『リベール州の防衛』であり、王国時代と大差なく混乱もなかった」
だが、誕生から十二年。リベール領邦軍は変革の時を迎える。
「帝国正規軍の一部となったことによる軍拡化やテティス海方面の海軍強化、帝国本土への兵派遣。これまでも人員不足が叫ばれていた主な理由だが、近年これに拍車をかけることが生じている。共和国国境沿いに存在している『ヴォルフ砦の要塞化』がそれに当たる」
この十年、カシウス・ブライトを総司令としたリベール領邦軍の練度は進化し続けているため、リシャール大佐が先に述べたいくつかの理由も、多少の兵力増強程度で事足りていた。州北部の帝国本土と隣接する《ハーケン門》に割く人員が減ったのも助けとなった。
王国時代のリベールは共和国と表向き友好国であったため、国境沿いのヴォルフ砦は軍事施設としては牧歌的な雰囲気の場所だった。だが共和国と犬猿の仲である帝国の属州となったことで事情が変わり、リベール州は対共和国防衛の最前線となったのだ。それでも属州としては少なくない権力を持ったリベール州は共和国と融和路線を目指していたものの、数年前から帝国政府より通達された『ヴォルフ砦の軍事要塞化』は防ぐことができず、リベール州を窓口とした共和国との友好は夢物語として終わった。
ともあれ重要なのは、ヴォルフ砦が要塞して稼働することにより、リベール領邦軍に慢性的な人員不足が訪れるということ。ここ十年で悪化している共和国との関係の前に、帝国正規軍から人員を派遣することは多く望めず、またヴォルフ要塞は帝国東端の《ガレリア要塞》に匹敵する規模の巨大さ。数年前より軍拡を行ってもまだ不足分が残ったのだという。
一通りの背景説明の後、リシャール大佐は心なしか強い声で告げた。
「そこで諸君らの出番となる。リベール士官学院は本年度より兵站演習などの演習カリキュラムを縮小、さらに全員参加であった部活動を任意参加とし、新たに『実地演習』の項目を加えた。
……実地演習とはすなわち、『リベール領邦軍が配属される市街区及び軍事施設へ遠征し、哨戒をはじめとする諸任務を行うこと』である」
学生へ向けた、リベール州全土を股にかけた特別演習。だが悪く捉えるならば、帝国領となったことによる煽りが学生の現場派遣という形で現れているのだ。
一通りの説明を初めて聞いた新入生たちは何も言えずにいる。
だがリィンは、少しだけ高揚めいたものを感じていた。
リシャールの説明は終盤を迎える。
「この演習は一年生と二年生を混成した二人以上を一班として行う。防衛における人員としても期待しているため、私が説明役を務めさせてもらった。全員ではないが、現場でまた会えることを楽しみにしているよ」
そんなリシャールの軍人故の厳しくも、しかし生来の性格としての穏やかさが垣間見えた挨拶を最後に、オリエンテーションは終わった。
新入生にとっては波乱尽くしの入学初日。とがまだまだ半日もたっていない。
その後は所謂通常の入学オリエンテーションが、各クラスに分かれて行われた。各生徒と担当教官の簡単な自己紹介、通常カリキュラムの内容、学院生活の諸々や部活動。早速実地演習の影響もあってか、それらは駆け足で進められた。
明日より通常授業が始まり、四月末から件の演習も始まる。日曜学校や通常の高等学校ではあり得ない早さだ。ちなみに今日は昼過ぎには退校となり、その後は学生寮での説明会や歓迎会もある。
だが退校直前となった今、新入生たちはそれぞれ目的の人物のクラスへ訪れていた。例によって実地演習による変更点であり、演習はじめ学院生活でのイロハを教わることとなる先輩との対面だった。
クラスオリエンテーションで配られた資料に学生たちの組み合わせは載せられていた。下級生である一年生が上級生である二年生を探し、挨拶を交わしている状況だ。
そしてリィンは、先ほど感じていた微かな高揚が高まっているのを自覚していた。
自分を指導する立場となる上級生の名前。今日、学院の門を潜った時からあった予感は本物だった。
リィンは二年生のクラスへと入り、目的の人物を探す。
多くの一年生は多少なりとも同班の二年生を探すのに苦労していたが、リィンは彼をすぐに見つけられた。知っていただけでなく、特徴的な顔立ちだったから。
彼もまた、近づいてきたリィンにすぐに気づいた。
正面から向き合った二人は、それぞれ優しく頼もしい笑顔を浮かべた。
「待っていたよ、リィン」
「やっぱり、あの時から知っていたんですね。ヨシュア先輩」
校門での邂逅、そして実地演習における班編成の組み合わせ。
これがヨシュア・アストレイ士官候補生との、リィン・シュバルツァー士官候補生の出会いだった。
今回の変化
・ヴォルフ砦の軍事要塞化
・要塞化によるリベール軍の学生派遣
・アラン・リシャール大佐、グランセル方面隊司令