斂の軌跡~THE MIXES OF SAGA~   作:迷えるウリボー

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1話 リベール士官学院②

 

 七耀暦一二〇四年四月中旬、夕刻。リベール士官学院のギムナジウムの一室、訓練場。

 学院全クラスの授業が終わり、また部活動の規模も縮小されたために夕方の静けさが増したその場所で、少年が一人鍛練を続けている。

 得物は《太刀》と呼ばれるものだった。大陸西部では珍しい部類のもので、騎士剣とは違い《反り》と呼ばれる緩やかな湾曲が、儀礼的な美しさをも表す片刃の剣。

 それを操るのは、八葉一刀流初伝。リィン・シュバルツァー。

「……」

 声を張らず、黙々と上段から降り下ろす。既に数百回を数えた切り下ろしは、未だ精度が落ちていなかった。

「ふぅ……」

 一つ深呼吸の後、太刀を鞘に納める。しかし鍛練を終えたのではない。

 半身になって左手で鞘ごと太刀を腰に当てる。一瞬の静寂の後、常人の目にはとらえられない速度で抜刀され、ヒュッと空を切り裂く音が聞こえた。

 居合いの残心を解かずに数秒、やっと体を楽にして、再び太刀を鞘に納める。

「……うん、今の俺にしては上出来だな」

 太刀は高等技術が必要と言われていて、生半可な技術や覚悟では扱えない。汗を滴らせ柔らかい笑顔を浮かべるリィンは、自分の太刀に少しの不安が伴っていることを感じていた。

 入学式から早二週間。学院は歓迎ムードから通常のカリキュラムへと移行し、目が回るような忙しさに駆られている。

 不安の正体には大体思い付く節があったが、その時点で直接解決できるものでもなかった。

 数日前から再開した型稽古は、少なからず武術の世界に自分を没頭させてくれた。

「精が出るね、リィン」

 後ろから放たれた声は、優しげな声色だった。それだけで、誰なのかすぐに判る。入学以降、二年生の中で最も親しくさせてもらっている人物だ。

「お疲れ様です、ヨシュア先輩」

 自分と同じ青と白の学院制服。だがたかが二週間の自分と違い、一年の長があるだけ馴染んだ制服。リベール州では自分と同じく珍しい黒髪に、さらに琥珀の瞳は学院の女生徒の人気を一手に引き受けている。

「君こそお疲れ様だ。少しは納得いく心持ちになれたかい?」

 リベール士官学院、二年主席。ヨシュア・アストレイ。文武両道、品行方正と文句のつけようがなく、歴代でも類を見ない逸材としての呼び声が高い彼が、実地演習におけるリィンのパートナーだった。

 多くの同級生から慕われ、また下級生からも尊敬されつつある彼を一人占めするのは気が引けつつ、それでもこの一年間のカリキュラムを共に過ごす者として話さないわけには行かない。

 幸い、リィンとヨシュアは共通点も多かった。帝国本土出身であること、黒髪の容姿、剣を主武装としていること。

 またリィンも決して勉学が苦手というわけでもない。柔和で頼もしく、率先して空気の良し悪しに気づく彼は入学二週間で多くの友人に恵まれつつある。

「やっぱり、自分はどこまでも剣士ですね。迷いもそこまで強くないせいか、太刀を構えると自然と落ち着けます」

「うん、いいね。言うまでもなく士官学院は多忙極まる。自分を律する手段は持っておくに越したことはない」

「ヨシュア先輩の手段は、なんなんですか?」

「読書、それに武器の手入れかな。士官候補生でもなければ武器商店のバイトでもしたいところだよ」

 お互いの性格もあり、取っつきやすさもあり、二人はこの二週間で信頼関係を築いて気さくに接するようになっていた。

 今日のこの接触も、別に指し示したわけではない。ヨシュアがリィンの所在をリィンの友人に尋ね、赴いた形だ。それでも堅苦しさはお互いにない。

「ところでリィン。この後の時間は空いているかい」

「はい」

 後輩のまっすぐな返事にヨシュアは笑い、二枚の書類をリィンにも見えるように掲げる。

「明日は自由行動日だ。深夜帰宅の外出届けも出してある。ツァイス市で実地演習の壮行会がてら、君のことを聞かせてもらおうかな」

 

 

────

 

 

 リベール州ツァイス市は古くから工房都市として有名な場所だ。世界に導力革命を巻き起こした偉人《C・エプスタイン博士》。その三高弟の一人であるA・ラッセル博士が当時のリベール国王の資金援助を受けて設立した《ツァイス中央工房》、通称ZCFがあるのもツァイス市。

 技術の側面以外にもリベール領邦軍の本拠地レイストン要塞の存在、カルバード共和国との国境線もあり、軍事的にも重要な役割を持つツァイス市は、いつからか州都グランセルに次ぐ要衝になった。当然人や物も集まり栄え、ただの町だった場所は徐々に広がっていった。

 リベール士官学院とその学生寮も、広がったツァイス市に徒歩で行ける程度の近さだ。工房の技術者・科学者だけでなく学生も賑わう繁華街。その中の居酒屋にリィンとヨシュアはいた。

「二週間……改めて、入学おめでとうリィン」

「ありがとうございます、ヨシュア先輩」

 リィンは十七歳、ヨシュアは十八歳。未成年なので当然酒の類は飲まないが、二人は思い思いの肴を口に運んでいる。

 リィンは恐縮気味に言った。

「慣れたとは言えないですが……でも、毎日が充実してます」

「僕は慣れてきたかな。《先輩》って言われること」

 この二週間、ヨシュアと過ごす中でリィンが持っていた緊張は概ね消え失せた。とはいえ尊敬の念が消えることはなく、優し気でありながらしかし要所で覚悟を突き付ける二年主席にはむしろ末恐ろしいものを感じているほどだ。

「士官学院とは言え、同級生は宝だ。どうだい、友人はできたかい?」

「はい。本土とリベールだとか、得物の違いだとか。カシウス将軍は入学式で確執とは言ってましたけど……そんなものは全然感じなくて、本当に心強いです、同級生たち」

 ヨシュアは笑った。

「君の場合は、男女の隔たりもなさそうだ。さぞ黄色い声が聞こえるんじゃないのかな?」

「え? それは先輩のほうでしょう?」

「え?」

 お互い首を傾げる。どちらも少なからず女生徒の目を引く存在であることは気づいていない。自分のことに関しては完全に朴念仁な二人だった。

 年頃の少年だ。二人も集まれば、笑い話にも花が咲く。浮かれた話も生まれてくる。

「好きな料理ですか……母の作ったキジ肉のシチュー、でしょうか」

「そういえば、『シュバルツァー』は男爵家だったか」

「はい」

「僕の村は小さくてね、皆家族のようだった。リィンは兄弟姉妹は?」

「十五の妹が一人。今は帝都の女学院に通っています。兄としては心配な部分も多いんですが」

「そうだね……年上はやっぱり弟妹を心配するものか」

「ええ……ヨシュア先輩?」

「はは、何でもないよ」

 穏やかな二人、会話にメリハリはなくとも心地よく時が流れる。

 趣味だとか、あるいは己の剣術のことだとか、講義のことや教師陣のこと、話題は尽きない。

 だが粗方を話し終えると、一転ヨシュアは顔つきから少しだけ表情を空虚なものにして、言った。

「さて……それじゃ、本題に移ってもいいかな」

「え? ええ……」

 リィンは少し惚けたが、思い返す。ヨシュアは言ったのだ。君のことを教えてくれと。

「今年度からの『実地演習』は、元々有名士官学院の呼び声が高かったリベール士官学院をさらに上へと上げるほどの難易度が高いもの。だからこそ、困難を共にする君のことは少なからず知っておきたい。もちろん、僕のことも話すつもりだ」

「はい」

「聞きたいのは、君の学院の志望動機だ」

 リベール士官学院。元々は王国における随一の士官学院だった。だが帝国領となったのを機に状況も変わり、帝国軍人としても色が強くなった。属州となったことで生まれる反乱を少しでも抑えるため州の軍事養成校をすべて集約させ、その統括をカシウス・ブライト将軍を理事長として据え置いた。

 十二年の時が経てば、リィンのような州外から入学するもの、あるいはリベール州出身だとしても帝国本土の正規軍やあるいは各領邦の軍へ進路をとる者も出てきた。

 とはいえほぼすべての人間はリベール州出身で、そしてリベール領邦軍への入隊に落ち着く。ヨシュアもだが、リィンのような州外の人間が来るというのは、相応の理由があるはずだ。単に有名士官学院に来たというならば、帝国本土にもそれは存在しているのだから。

「志望動機は二つあります」

 リィンは言った。リィンが自分を卑下することを表す一端。自分にとっての自分の汚点だが、この先輩になら話してもいいと思った。

「一つは自分の道を見つけること。ただ、これに関しては他の学院も候補ではありました」

 自分の道を見つける、少しいやそれなりに言葉にするのは恥ずかしい言葉だ。それだけなら、リィンは別にこの学院でなくともよかった。例えば、帝都近郊には帝国中興の祖と言われる偉人が立てた士官学院もある。そこは貴族も在籍していることが多く、決してリィンのような地方貴族の嫡男が浮くこともなかっただろう。

「リベール士官学院に決めた理由は、カシウス・ブライト将軍に近づくためです」

「……そうか、君のその八葉一刀流は、カシウス将軍が関わる流派でもある」

 八葉一刀流。東方に伝わる太刀を用いる剣術。《剣仙》と謳われるユン・カーファイか創り上げた流派。武術ひいては剣術のの筋では有名で、この流派で皆伝に至った者は理──万物の真理に至ると云われている。

 そしてカシウス・ブライトは八葉一刀流において皆伝を授かり、《剣聖》の二つ名を名乗ることが許される数少ない人物だった。

「俺は昔、ユン老師の下で修業をして、初伝を授かりました。……でもそこで修業を打ち切られたんです」

「……会ったことはないけれど、それは意味のあることではなくて?」

「そうだと思います。けれど感情では意味のあることとは、思えなかった。怖さを感じたんです」

 慧眼を持つ老師が見出した自分。突き放された自分。迷い子である自分にとっては拠り所を失ってしまったようだった。

 だからこそ、ある時兄弟子カシウスがリベール州にいることを思い出して、リベール州に士官学院があることも調べ、自分の進学先は決まったのだ。

 決してただ言葉を貰うだけの受け身になるつもりはない。けれど《剣聖》として、リベール領邦軍将軍としての地位を持つ兄弟子の下でならきっと。

「きっと、彼の人となりを、軍人としての生きざまを見たうえで、俺自身の……己の剣を見出せるかもしれない」

「なるほど。リィンにとって、リベール士官学院は渡りに船だったわけだ」

 得心が言った顔つきのヨシュア。ヨシュアにとって、この志望動機はリィンの人となりを知るうえで最も力強いものだった。

「幸運にもと言うべきか、首席ってこともあってカシウス将軍と会う機会があるんだ。学院生のうちにだって、もしかしたら叶うかもしれない」

「はい」

 それはとても心強い言葉だった。迷ってばかりの自分だが、この学院に来たことでようやく、一筋の望みが見えてきたのだから。

「ヨシュア先輩は?」

「うん?」

「どうしてリベールに?」

 せっかくの機会にと、リィンは聞いてみた。

 学院の志望動機が気になるというのであれば、それは目の前の先輩とて同じこと。ヨシュアの出身は帝国の中心である帝都の南方──サザーラント州であると聞いていた。本人に聞いただけでなく噂話好きの同級生女子からも耳にしたのだから、リィンのように問われなければ答えないというようなものでもないだろう。

「……僕も、君と似たようなものさ」

 ヨシュアは、どこか遠くを見つめている。

「さっきも言ったけれど、僕が生まれた所は皆が家族、とでも言うような小さな規模でね。それに当時としては帝国南部を冠する場所だった。だからこの十二年で沢山の変化があったんだよ」

 当時としては帝国南部。この十二年で変化があった。そこから読み解ける事象は、リィンがリベール州出身であったならさらに得心がいっていただろう。

「リベールの資本がサザーラント州に流れたことで……百日戦役によって、僕の回りはどんどん変わっていった。僕ら十代にとっては半分以上の時間の十二年。落ち着ける心地なんてなかったよ」

 リィンは不思議と相槌を打てた。何故か自分の過去に照らし合わせ、共感ができたと思った。

「僕の生活を変えた旧リベール王国。その国が帝国に併合されたこと。そこにどんな意味があるのかを知りたくて、僕はこの学院に来たんだ」

「ヨシュア先輩にとっても、この学院は渡りに船だったんですね」

「けど感情任せで、半ば家出のようなものさ。進学の時、家族に何をどこまで話したのか……そんなことでさえ、激昂してた僕には覚えがないんだ」

 だから、あまり出身地方以上のことを回りには話す気にはなれなくてね。そうヨシュアは嘆息した。

 そう、きっとヨシュアとリィンでなくとも感じている者は多いはずだ。リベール州に、自分のなかの価値観を覆すような何かが、眠っていることに。

「けど僕らは幸運だった。リベール州出身でもないのに、本来冷たい目でみられてもおかしくはないはずなのに、カシウス将軍と話せる可能性があるんだから」

 ヨシュアは続ける。

「リベールの軍神、カシウス・ブライト。彼の下で学ぶことができるなんて、こんなに嬉しいことはないよ」

 その尊敬の念は、誰の目から見ても明らかなものだ。

 ヨシュアが既に走っている、リベールを知るという目的への道程。リィンが求める、己の剣を見出だすための一歩。

 そのために目下、必要なこと。新たなカリキュラム『実地演習』を、自分たちの糧とすること。

 互いの目的を明かした二人は、また一歩班として成熟していく。

 二人の信頼に狂いはない。

 リィンにとってもヨシュアにとっても、ここから始まる演習の日々は、どうなるのか予想できたものじゃない。何せ激動に揺られるゼムリア大陸西部、その地震の震源地とも言える場所なのだから。

 だから二人とも、これからの学院生活を見透すことができず、不思議な高揚に身を任せた。

「頑張ろう。僕らの最初の演習先は……海港都市ルーアンだ」

 

 





今回の変化
・リィン、リベール州にカシウスがいるせいで志望先をトールズからリベールに鞍替え。

次回、ルーアンでの実習開始。
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