八結っぽい空気出していきたいです。
次回があるかどうかも未定です。
己の八結とカレーへの思いだけで書いてます。
──無性に、カレーが食べたくなった。
別に、何も変わらない普通の金曜日だった。学校へ行って、だらだら本を読んでそのまま帰路についてた時、ふと前を通った家からカレーの匂いがした。それがきっかけだろう。悲しい事に、その日の夕飯は小町ちゃん特製野菜炒め。カレーのカの字もなかった。だからだろうか、部屋に帰ってだらだらと本を読み、そのまま布団に入っても頭の中からカレーが離れなかった。そして、真っ暗な部屋の中で意識が遠のく直前、俺はふと思いついた。──ああ、そうだ。明日はカレーを作ってみようと。
●
翌朝、昼前ぐらいに目を覚ました。眠い目を擦りながら一階へと降りていくと人の姿はない。両親は明日まで出張に行っている。今日も俺を養うために休みなく働いてくれている。敬礼。小町の姿もない。テーブルの上を見ると、目玉焼きが乗った皿が一つと、その横にメモが一枚。……小町は友達の家に泊まりに行くそうだ。家でもぼっちか、なんて自嘲気味に笑う。家族が居ない、たった一人。一日の大半はぼっちなのに何とも言えない解放感を感じる。そして、
「そうだ。カレーだ」
家族がいないので日曜の夜までは一人だろう。飯も自分で何とかしなければならない。専業主婦を目指している身である俺としては、得意料理の一つでも作っておきたい所だ。そうと決まると何だかテンションが上がってきた。カレーを作るのなんか以前に参加した千葉村以来だろうか。あれもなんだかんだロクな思い出がない。
嫌な事は忘れてまずはネットで検索。……なんかすげえいっぱいある。カレールーを入れればカレーになるのは当然だが、なんだかんだで奥が深い。そして、動画を見たりブログを見ている間に一つ気になったカレーがあった。──スパイスカレー。なんと甘美な響きだろうか。ルーを使わないカレーというものは新鮮だった。
「これにするか……」
今の時代少し大きなスーパーに行けば何でも揃う。カレーのスパイスなんかも大分手に入りやすくなったと書いてある。近所のスーパーではなく、遠くにある大き目のスーパーに行こう。適当に身支度を整え、財布と印刷したレシピを持って外へ出る。春の終わりも近い良い天気だった。やる事が決まっているからか、足取りも軽い。頭の中でどんなカレーができるか想像していると目的のスーパーはもう目の前だった。店に入り、スパイスコーナーを探す。店員に聞くのはあまり得意ではないので、最悪の手段にしたい。本当に生きづらい世の中である。俺ぐらいになると、生まれながらの枷を背負って生きていかなかければならないのかとため息まで出てきた。そして、店内を探す事、五分。ようやく見つけた。
「クミン、ブラウンマスタード、フェンネルか……」
……おお、あった。完全に種だなこれ。他にもパウダー系が必要だとも書いてある。ターメリック、コリアンダー、カルダモンとレシピ通りのものを探していく。だが、
「あれ、ヒッキーじゃん」
ここで予想外の事が起きた。声だけでわかる。──相手は、由比ヶ浜だ。視線をやると、流石にまだ寒くないですか?と聞いてみたいぐらい短いTシャツに、ホットパンツ。以前見たような格好だ。これが彼女の夏のスタイルなのだろう。……いや、それはどうでもいい。今はこの窮地をどう逃げ切るか、だ。折角の一人楽しい休日だ。俺がカレーを作ろうとしているなんて知ったら「え、休みに一人でカレー作るの!? 暗っ!」ぐらいは言ってきそうなものである。もう慣れたけど。ここは、──奴を使うしかない。
「よぉ、久しぶりだな由比ヶ浜。あっちのレジの方に雪ノ下居たぞ」
「はぁ? ゆきのんは今日実家に居るってさっき連絡きたもん。居るわけないじゃん。……あっ! ヒッキー、あたしの相手すんのめんどくさいからそういう嘘ついたんだねっ! マジ最悪! キモい!」
「今日も仲良すぎかよ……」
高校3年になっても仲の良さは健在で凄いと思う。
俺なんか葉山と一緒のクラスだが全く仲良くなってないのに。クラスが違うのに仲良くできるってどういう事? この前、雪ノ下に声かけたらどちら様?って言われたんだけど。奉仕部が活動をほぼ終了して受験シーズンに入ってからというもの、こいつらと昔のように一緒に居る事も少なくなった。それでも忘れずに俺を見かけたら声をかけてくれるのは有難いが今は有難くない。
「一人で買い物なんて珍し……くないか。ヒッキーだし」
「言い直す必要ある? 間違ってないけど……」
由比ヶ浜がカゴを覗き込んでくるのを反射的に後ろに隠してしまった。俺の反応が気になったのか「見せてよー」と無邪気に近寄ってくるのはいいが、ああ、ダメそれ。近い近い当たる当たってるってば。……卑怯なり由比ヶ浜。俺が全神経を他の部分に集中している間に、俺の手からカゴをいつの間にか奪っていた。いまだに当たっていた右半身に全神経が集中しているのが悲しい。
「なにこれ? 種?」
「そうだ。ハムスターの餌だ」
「いや、ハムスター飼ってないじゃん! ヒッキーあたしが何でもすぐ信じるって思ってない!?」
「すぐ信じるとは思ってないが、すぐ騙されるとは思っている」
「それ変わんないじゃん!」
最近受験勉強している所為か、由比ヶ浜のツッコミが前より鋭い。これ以上言うと雪ノ下にチクられた時怖いのでそろそろ本題に入りたい。
「悪かったよ。あー……なんつーか。ふとカレーが食いたくなってな。これ、スパイスなんだよ」
「すぱいす……? カレーに?」
ダメだ。ガハマさん完全に思考が追いついていない。そもそも料理の知識が壊滅的だ。俺だって調べるまでスパイスカレーなんかろくに知らなかったので当然の反応だろう。
「ルーを使わないでカレー作るんだよ。その為に買い出しに来たってわけだ」
「へぇぇ、凄いね! ヒッキー少しだけ家事出来るのは知ってたけど、カレーまで作れるなんて凄い! 小町ちゃんも喜びそう」
「いや、小町は遊びに行ってるからいない。ついでに両親も居ないから、一人で作って一人で食べる」
しまった、と思った時にはもう遅い。しらーっとした何とも言えない空気が流れる。いや、でもカレー作って一人で食べるって何か楽しそうじゃん。冷凍しておけばしばらく晩飯替わりにもなるし。なんて言い訳したところで、由比ヶ浜の可哀想な子を見る目は変わらないだろうと思ったが、反応が違う。何か少し照れたような顔をしている。何で?
「あー……あはは。そうなんだ。量多くない?」
「まぁ……家族も明日には帰ってくるし」
「そ、そうなんだ。……あー……そのヒッキー。ちょっと、あたしもカレーに興味あってさ。良かったら、材料費半分出すから一緒についてってもいい?」
「え……」
ここ最近由比ヶ浜とこうしてつるむ事なんかなかったから、顔は平静を保てたと思うが内心どきっとしている。なんせ、親も小町もいない。小町がいればワンチャンあったかもしれないが気まずい。……しかしこの由比ヶ浜を見ているとどうしても断りにくい。昨年散々迷惑をかけたし、何だったら未だに約束すら守っていない。彼女からは多くを貰った。だが、何か一つでも返せただろうか。失敗するかもしれないカレーをふるまうぐらいなら……とまで考えため息をつく。俺も随分と弱い人間になったのか。丸くなったのか。わからない。だから、せめて何時もの如く──
「食材に触らないなら、別にいいぞ」
「どういう意味だ!」
俺の言葉に彼女は怒ったが、それでも花咲くような素敵な笑顔を浮かべていた。この笑顔は、ずるい。眩しいから。惹かれるから。だから、俺は一人になれない。
●
買い物を終え、我が家についた。
しかし緊張が止まらない。料理をするからなのだろうか。──いや、違う。由比ヶ浜が居るからだろう。それは間違いない。学校の時はまるでこんな事思わないのに、家に連れてきただけでこうなってしまうのか。……当然か。小町も親もいないからな。平塚先生辺りだったら全くこういうのなくて安心できるのにね。先ほどまでのしおらしさはどこへ行ったのか由比ヶ浜は元気そうだ。鼻歌歌いながら買ってきたものを袋から出してくれている。……ねぇ、そのチョコなに?? カレーに要らないと思うんだけど。
「ヒッキー。小町ちゃんのエプロン借りるね」
「おお……」
なんていうかこう同級生の女の子が妹のエプロンをしてるって何とも言えないぐっとくる感じがあった。律義なガハマさんは小町に事前に借りると連絡しているとこまで凄いと思う。気の使い方は流石のトップカーストだ。俺なら気にせず使って後から死ぬほど文句を垂れられるか、ゴミ箱に捨ててあるのを見て悲しい気持ちになるかの二択しかないだろう。この世は地獄である。小町はそんな事しないけど。しないよね。
「よーし。ヒッキー。気合入れてこう!」
「何でそんなテンション高いのお前。……食材には触らないでねって言ったじゃん」
「え……あたしが触ったの食べるのそんなに嫌……?」
「触っただけなら問題ないんだけど、調理されたら問題あるんだよなぁ……」
「失礼な事いうなし! あたしだって、最近ママの料理眺めたりして勉強してるんだから!」
「今日も眺めてて欲しかったなぁ……」
「大丈夫、心配しないで。だって、ヒッキーがちゃんと教えてくれるんでしょ?」
こいつずるい。本当にずるい。何がずるいのか具体的には何も考えたくないけどとにかくずるいって思いました。主にエプロンとか距離とか言い方とか諸々あるがずるい。これ以上由比ヶ浜に気をとられると、何も進まなさそうなので調理を始める事にした。まずは、スパイスからだ。何種類もあるので使う種類と分だけ、きちんとわけておかねばならない。、
「由比ヶ浜、フライパン準備しといてくれ。……わかるよな?」
「流石にわかるし! そこに引っかかってるのでいい?」
「おう、サンキュ。それ終わったらにんにくと玉ねぎの皮とっといて。俺は鶏肉やるから」
偉そうに言ったが大した事はない。軽く塩コショウを振って、7割ぐらい焼くだけだ。どうせ最後にカレーに入れるし。焼き色だけつけばいい。由比ヶ浜は玉ねぎを剥くのに必死だ。もう少し時間がかかりそうなので、スパイスの袋を先にあける事にした。……おおお、良い匂いだ。鍋に油を入れて熱する。スパイスの香りを油に移す準備だ。
「ヒッキーできたよ」
「おっし。んじゃ、玉ねぎとにんにく切るから鍋の方見ててくれ。マスタードシードがパチパチ言い始めたら頃合いみたいだ」
「うん。任せて」
しかし由比ヶ浜と並んで料理をする日が来るとは夢にも思わない。玉ねぎを切りながら無心になろうとしたが、どうしても心がざわつく。ふとした時に肩があたったりとか、匂いとか。おかげで玉ねぎがかなり細かくなった。ついでにニンニクとショウガも刻む。
「おお、ヒッキー。良い匂いしてきた」
「そうだな。すげぇぞこれ。んじゃ、ニンニクとショウガいれるわ」
スパイスと油の中にニンニクとショウガを加える。じゅう、と言う音が鳴り更にいい香りが広がってくる。そして、しばらくしてきつね色ぐらいになった頃に今度は玉ねぎを入れる。この玉ねぎの工程が大事だとレシピには書いてある。強火で最初炒めてから、徐々に火を弱めて色が茶色ぐらいになるまで炒めるらしい。ここからが長そうだ。
「ヒッキー。あたしなんか手伝う事ある?」
「いや、しばらくこれ炒めてるだけだからなぁ。鶏ガラスープも今回は素で代用すっから準備あんまいらねぇから、そっちで休んでてもいいぞ」
「ううん。見てる」
それはそれで困るんだけどそうは口が裂けても言えない。適当に玉ねぎを時折かき混ぜながら、ぽつりぽつりとお互いの近況を話していく。葉山と海老名さんと同じクラスになって辛いとか。雪ノ下が俺の存在を忘れかけてるとか。戸塚が昨日も大天使だったとか。そんな話だ。去年はクラスが一緒だったので、そんな事はあまり話さなかったが、クラスが違えばそれなりに知らない事も多い。由比ヶ浜と雪ノ下は3年になってもそれなりに交流があるようで、最近は元部室で勉強会を開き始めたらしい。何それ。誘われてない。小町が俺を呼ぶの少し嫌がってるなんて聞きたくなかった。
「なんだかんだ、やっぱ同じ学校だと少し恥ずかしいんじゃない?」
「俺は全く恥ずかしくないし、何だったら毎朝一緒に登校したいまである」
「あはは……。あたし、こんなお兄ちゃんいたらちょっと嫌かも」
「俺も嫌だぞ。こんな兄」
「自分で言っちゃうんだ……」
くだらない話をしていれば体感時間も短い。いつの間にか、玉ねぎの色が凄い事になっていた。狐色とかそんなん通り越してもはや熊みたいな色になっていた。由比ヶ浜に準備していたヨーグルトをとってもらい、投入して再び炒める。水気が飛ぶまでしっかりと炒めよう。そうしたら、今度はパウダーの出番だ。ターメリック、カルダモン、コリアンダー、フェンネルを用意して、弱火にして混ぜる。またも良い匂いがキッチンに広がった。もう、これだけご飯の上にのっけて食べたい気分だった。
「フライパン洗っておいてくれ。最後にもう一回使うから」
「うん!」
由比ヶ浜のこういう何でも楽しそうにやれるところは本当に才能だろう。俺まで何だか楽しくなってくるぐらいだ。しかも、この俺がだ。鶏ガラスープを作ってるだけなのにこんなにも楽しいとは。素に水を入れているだけなのに。少しだけ味を見て、鍋に加える。いよいよ、カレーらしくなってきた。今度は蓋をして、弱火でしばらく煮込む工程だ。この隙に米を準備したい。
「ちょっと代わってくれ」
「うん」
もう本当にこの子警戒心薄い。場所代わるだけなのにそんなに体当てちゃいけません。ドキドキしながら米を準備して研ぎ始める。
「洗剤いる?」
「正気か?」
「じょ、冗談だし!」
もはや取り繕うものもないとは思うが、ここは流してあげる事にした。そのまま炊飯器にセット。由比ヶ浜は興味深そうに鍋を眺めている。
「そろそろ鶏肉入れてくれ。そうしたら少し休憩しよう」
恐る恐る鶏肉を鍋に入れる由比ヶ浜は動画にしておきたいぐらい面白かったが、流石に怒られそうなので辞め。後は、しばらく煮込んで最後にスパイスを炒めた油を入れて完成だ。味見はあまりしてはいないが、初めて作ったにしては中々よくできたと思う。由比ヶ浜と二人でやったので幾分余裕があったのも事実だ。キッチンの椅子の座って一息つくと、由比ヶ浜も向かいに座った。
「お菓子も買ってきたけど、食べる?」
「あのチョコとかやっぱお前か……」
一体何種類のチョコを買ってきたのだろうか。袋の中には複数のチョコが入っているので一つ頂いた。完全にカロリーオーバーじゃない? その栄養何処に──まで考えて止めた。変な空気になりそうだった。危ない。
「久しぶりだね。こういうの」
「いや、初でしょ」
「……そうか。ヒッキーと二人きりで料理するなんて確かに初めてだ! 料理する時は、何時もゆきのんがいたもんね」
気づくの遅くない?理性と自意識の化け物のこちらは一緒に買い物してる時から完全に自覚してたし、緊張でまあまあ死にそうだったんだけど。この男心、もう少しわかってもらいたかった。「へぇぇ……こんな感じなんだ」と一人満足気に呟く由比ヶ浜さん。少し居心地が悪くなってきたので、立ち上がって鍋の方へと向かう。再び油とマスタードシードを入れて炒め始めた。これが最後の工程だ。パチパチと弾けてくるまで炒め、油ごとカレーの入っている鍋に投入。後はゆっくりと煮て飯が炊けるのを待つだけだ。
「これで、一先ず完成か。助かったわ」
「ううん。あたし、あんま手伝ってないし。……あっ、食器並べるね。そこの借りていい?」
エプロン姿の由比ヶ浜が食器を並べているのを黙って見る。……やべぇ、これ何か凄く男心がたまらない事になってきた。同級生女子と自分の家で料理する。中学時代布団の中でよく妄想した事が現実になっていた。ただ、一方でそんな感情を持ってしまう自分に嫌気がさす。こんな良い子に邪な感情を抱く自分に腹が立つ。何も返せてないというのに。食器の準備が終わった由比ヶ浜が優しい笑みで再び話しかけてくる。最近ああだった、こうだった──と。頭の中で邪な自分を殺し、俺はいつものように振舞えるよう、目を腐らせ皮肉を言うのだ。
●
「できたね」
「おお……」
あれからじっくりと煮込み、飯も炊けた。後は食べるだけなのだが、その前に味見をしたい。香りは問題なし。肉も良い感じだろう。スプーンですくって味を確かめる。──美味い。これ全然いけるじゃんと思うが、何かが足りない気がする。俺のそんな表情を読み取ったのか由比ヶ浜もスプーンで一口味見をした。
「うーん……美味しいよ。ね?」
「何だその抽象的な表現。……まぁ、言いたいことはわかる」
「後ちょっと何か足りない気がする! 何かは全然わかんないけど」
「スパイス足してもなぁ……。バランスすげぇ崩れそうだし。きっと、隠し味的な何かが欲しいんだろうな」
その何かがわからない。初めて作ったにしては上出来だが、それでもあと少しという所まで来た。辛さも申し分ない。だとすれば──コクだろう。もう少しコクが欲しい。由比ヶ浜も頭を捻らせていたが、不意に何かを思いつき、まだ封を開けていないチョコレートを手に取った。
「お前、まさか……」
「この前、ママがカレーにチョコ入れてた気がする。隠し味とかなんかとか言ってた」
カレーにチョコ。由比ヶ浜さんルーと間違えたんじゃないの?なんて口に出かけたが、何となく違うような気がした。カレーとチョコ。色は似ている。しかしコク──とまで考えてしまう。だが、やっていたのはママヶ浜さんだ。娘よりは信用できる。──そもそも失敗したっていい。だって、もう十分満足しているからだ。
「入れてみるか……?」
「ヒッキー。信じてくれるの?」
「俺はもう思いつかん。だったら、お前とお前の母ちゃんを信じるよ」
「わかった」
板チョコを半分に割ってゆっくりとかき混ぜながら溶かしていく。熱でチョコはすぐに溶け始め、ある程度の所まできたらチョコを引き上げた。これぐらいならまだ修正できる。「一緒に味見しよ」という由比ヶ浜の言葉に従い、いっせーので口に含む。
「───おおっ!」
「美味しいっ!」
あと少し足りなかったコクが無事に補われていた。いや、これめっちゃ美味い。思わず顔が綻ぶ。由比ヶ浜もとても良い笑顔で笑っていた。
「ヒッキー早く食べよ。これ、すっごく美味しい!」
「おう。任せろ」
由比ヶ浜が皿に米を盛り、俺に渡す。俺はカレーは上から全部かける派なのでそのままカレーを米の上に乗せた。由比ヶ浜は違うらしい。半分米をよそってきたのでもう半分にカレーを流し込んでやる。冷蔵庫から麦茶を取り出しコップに注ぐ。やはりカレーには麦茶だろう。由比ヶ浜にも注いでやり、席についた。スパイスの良い香りが鼻を満たしてくれる。
「それじゃあヒッキー。いただきます」
「おう。いただきます」
感謝するぜ、お前と出会えたこれまでの全てに。心の中でハートマークを作りいざ実食。──やっば、確かにこれ美味い。ヨーグルトを入れたからか、尖った味がしなくてまろやかだ。肉もそのお陰か柔らかいし、焼きのついた面の触感と苦みも悪くない。心の底から満足のいくカレーだった。しかも作り立てでこれである。明日もまた美味くなってるから猶更得をした気分だった。
「うん! 美味しい! ヒッキーについてきて良かった!」
オーバーリアクションが過ぎる、なんて笑ってしまう。この笑顔も、言葉も、疑いたくない。何もかもを疑う俺ですらそう感じてしまう程に由比ヶ浜は眩しい。普段も、飯を食ってる時でさえも。
「──だから、またやろうよ」
不意にそう呟く。何時もの俺だったら、適当な言葉で誤魔化す。小町が居る時にとか。それよりももっと経験を積んでからとか。いくらでも逸らす言葉はあったはずだ。
「そうだな」
カレーが美味しかったからか。何故かはわからない。ただ、するりと喉の奥から言葉が漏れた。俺の言葉に由比ヶ浜は一瞬驚いたような顔をしたが、それでもすぐに優しく笑った。──多分、俺だってわかっているのだ。一人では、このカレーは完成しなかったのだと。あいつがチョコを買ってこなかったらこの味は出ていないだろうし、この発想もなかっただろう。何より、誰かと料理するのは初めてで、緊張もしたがそれも少しだけ楽しくて。──その辺りの諸々がこもってのこの味なのだ。一人では、きっと出せない味。それぐらいは俺にだってわかる。
「今度はクッキーでも作るか。次は、由比ヶ浜が先生な」
「……いじわる。でも頑張る」
たまには誰かと料理するのも悪くはない。じとっとした目でこちらを見てくる彼女に嫌味な視線を送りながら、俺はもう一口、カレーを食べた。