TSロリエルフの稲作事情   作:タヌキ(福岡県産)

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米ディッ!!


米狂い邂逅編
目指せ米の街、オラリオ


 米が食べたい。

 リリアは、この世界に生を受けてから数え切れないほど抱いたその願いを今日もまた、心の中で呟いていた。彼女がその眠たげな瞳で見つめるのは、風光明媚な新緑の森。魔力に満ちた空気は木々によって浄化され、心地よい森の香りを孕んでいる。

 そんな彼女の前に並べられているのは色とりどりの野菜達。サラダをメインに数々の料理が並べられたそれにちらりと視線をやり、リリアは表情を変えることなく、人知れず心の中でため息をついた。

 

(ああ……米が食べたい。いや、別にサラダ美味しいけどね。文句があるわけじゃないんだけどね。でもね、でもね……米が食べたい)

 

 とは言え、ここで米が食べたいのだと近くに控えている()()()に言っても意味のないことである。……というより、彼女は既にそれを試していた。結果は空振り。「コメ……とは、なんでしょう?」という付き人の言葉に落胆を覚えただけであった。味は文句なしに美味しいため、リリアは願望を隠しつつ、もしゃもしゃとサラダを食べ始めた。

 自分たちに食べられるためだけに専用の畑で育てられた野菜達は、この森の清浄な空気と豊富な栄養をたっぷりと吸って育っており、瑞々しい葉のシャキシャキとした食感や、果実の程よい酸味が舌を刺激して心地よい満足感をリリアに伝える。メニューはどうしても野菜中心になりがちなためにボリューム不足が否めないが、そこはまあ、慣れだ。

 これまた自分たちのために栽培された紅茶を飲み、ふう、と1つ満足げなため息をつくリリア。そう、満足はできるのだ。というより、ここまで自分のために作られた料理に文句をつけるなど余程の傍若無人な者でなければ出来ないであろう。なにせ、彼女は日頃の()()の一環として自らの食事やその材料を作っている者たちの様子を見て回っているのだ。彼ら彼女らの、自らの作った食材や仕事に対する誇りを見れば、余程食べられないものが出てこない限り文句を言う気にはなれないというもの。

 しかし、それとこれとは別なのだ。

 食事を終え、下げられていく食器達を静かに見つめながら、リリアはゆったりとしたローブの裾の中でぐっと小さな手を握った。この世界に生を受けて早10年。自我の芽生えていなかった3歳ごろまでならまだしも、それからの7年間は忍耐の日々であった。

 野菜中心の食生活に不満を抱き(その後の視察で考えを改めた)。

 米が存在するかを確かめれば近辺では存在すら見受けられず(付き人を困らせるだけであったのでしばらくして止めた)。

 かと言って日本人の魂である米を食べる事を諦めきれる訳もなく。……そう、何を隠そうこのリリア、転生者である。それも、現代日本から異世界に転生するという今流行りの「なろう系」の。転生先は《ウィーシェの森》というエルフが作っている集落の王族(ハイエルフ)。いわゆる「勝ち組転生」という奴である。美男美女溢れるエルフ達に傅かれ、()()()()と大切に育てられる日々。少し窮屈すぎるきらいもするが、それ自体に不満はなかった。それよりも「こんないい暮らしをしてたら後が怖いな」と思えるくらいには現在の生活に満足していた。

 ただ2点「転生前との性別が違う」という点と、「この世界に米が見当たらない」という点を除けば。

 性別が違うのは、まあいい。ようは慣れと覚悟の問題だ。7年も時間があれば自分の性別が女である事を理解はできる。王族ということもあって、将来は政治的な結婚をするのであろうこともまあ、覚悟はできる。

 ただ、米よ。お前の姿が見当たらない事だけは物申したい。一体なんなんだ、この日本人に優しくない異世界は。というか植物全般を食べるエルフであれば稲作文化の1つや2つ持っていてもおかしくはないだろう。そこんところどうなんだ自称《森の人》。

 何故だ、なぜ稲がないのだ。稲があれば、即座に輸入して稲作文化を王族特権で根付かせて見せるというのに。

 リリアは前世では米を大層好いていた。それこそ、稲刈り体験などのイベントに参加し、収穫したての米を口いっぱいに頬張って至福のひと時を過ごすくらいには。しかし、彼女の前世は一介の学生。米農家ではないから稲を輸入しても田んぼを作るにはどうすればいいのか、まず苗を作るにはどうすればいいのか、といった稲作の基本知識がまるでなかった。米の品種は言えるがそれがどんな生育条件で、どんな特徴を持っているかなどはさっぱりわからないし、唯一ある知識は昔某農家アイドル番組で見た良い種籾の識別方法(塩水につけるやつ)だけだ。

 

 要するに「食べ専」であったのだ。リリアは。

 

「……むう」

 

 コツコツと、磨き抜かれた大理石で出来た廊下を歩きながら、リリアは米について思いを馳せる。今の彼女は、米への愛はあるもののそれを形にできるだけの技術や知識が欠けている、そんな状態だった。

 どうしようかな。でももう米は無いっぽいしな。諦めるかな。いやいやでも日本人としてそれは……うーん、お米食べたい。

 最近のリリアは常にそんな事を考えていた。そのため、日頃から眠たげに細められた瞳は更に考えが読みづらくなり、周囲の者達からは「自分たちには考えの及ばない崇高な事を考えていらっしゃるのだろう」と何やら勘違いをされていた。そんな事はない。彼女の頭の中にあるのはこの世界ではまだ見ぬ米と数々の米料理のことだけである。

 

 そんな事を考えながら日々の活動を終え、部屋に戻ってきたリリア。ぽすんとその小さな体を豪奢な天蓋付きのベッドに預け、黄金色の稲穂溢れる思考の海へと沈んでいく。内容はいつもの如く「お腹いっぱいお米を食べるためには」である。

 異世界転生という胸躍る体験をしたリリアであるが、米が無いのならば彼女にとってその魅力は半減する。彼女にとって米とは魂そのものであり、それがない世界というのはライスのないカレーの様なものだ。それはただの美味しい茶色いスパイシーなシチューだ。それはそれでありなのかもしれないが、というか一回厨房でそれを作ってみたことがあるのだが、彼女にとっては米の欲求をただひたすらに高める自殺行為にしかならなかった。

 などと、意味のない思考がぐるぐると頭の中を回っていく。そうやって時間が過ぎること暫く。

 

「リリア様?リフィーです、入ってもよろしいでしょうか」

「……ん、はいっていいよ」

 

 そんな声とノックが聞こえ、リリアが許可を出すとガチャリと開いたドアから1人の少女がリリアの自室へとやってきた。美形揃いのエルフの例に漏れず、かなりの美少女であった。1つに纏められた亜麻色の髪は艶やかな光を帯び、大きめの翡翠のような澄んだ緑色の瞳は愛嬌のある表情を顔に与えている。体つきはスレンダーながらも、全体を見れば文句なしの美少女エルフであった。彼女の名前はリフィーリア・ウィリディス。リリアの付き人を務めるエルフの1人にして、リリアが生まれた時からの付き合いである幼馴染でもある。もっとも、彼女の年齢は15歳で、10歳のリリアに比べたら遥かにお姉さんなのだが。

 

「……あー、また着替えずにベッドに潜り込んで。衣装がシワになるからやめて下さいって言ってるじゃないですか」

「ごめん、つい」

「ほら、立って下さいリリア様。水浴びに行きましょう」

「うん」

 

 リフィーの小言に謝罪を返しつつ、リリアは彼女に連れられて水場に来ていた。リリアが住まう屋敷は丁度片仮名の「ロ」の字を描くような形であり、その中心には霊樹を中心に数々の木々が植えられた小さな森が作られている。その更に中心に位置しているのが、この王族専用の水場である。そこでは微精霊達が集い、夜になると仄かに光を放ち幻想的な空間を作り上げている。

 リリアは、高価な絹の布をふんだんに使った高級なローブをリフィーの手を借りて脱ぎ、生まれたままの姿になると、何度か水を体にかけた後、ぱしゃぱしゃと音と水飛沫を少したてながら水場へと入っていった。物心ついたばかりの頃は慣れなかったこの水浴びも、今では慣れたものだ。霊樹や微精霊の魔力、もしくは木々の生命力に影響されているのか、仄かに温かい水に浸かって身を清めるリリア。

 水音を立てて掬われた水が彼女の真っ白な肌を濡らし、滑り落ちる。見る者によっては良からぬ事を考えそうな程に、その光景は艶やかであり、神秘的であった。

 

(やっぱり、王族の方は何をやっても絵になるなあ……)

 

 リフィーは、まるで絵画の一枚をそのまま切り取って来たかのような目の前の光景を見て、ほうっとこれまでで累計何回になるかもわからないため息を漏らした。見目美しいと言われるエルフ、その中でも、リリアの美しさは(中身の残念さとは裏腹に)際立ったものであった。

 少し癖のある豊かな銀髪は、まるで魔導銀(ミスリル)を溶かし込んだかのように淡い蒼色を帯び、この世に存在するありとあらゆる宝石にも遅れを取らないであろう瞳は美しい瑠璃色に煌めいている。その肌は身を包む絹よりも白く滑らかな手触りであり、神が理想の人形を作り上げたらこうなるのであろう、と思ってしまうほどに整った顔立ちであった。要するに、リリアはこのウィーシェの森において一番の美人であるのだ。今はまだ幼い年頃ということもあって、美しさよりもあどけなさや可愛らしさが優っているが、今のリフィーと同じ年頃になれば、きっと神ですらも放っておかないほどの美女となること間違いなしだと彼女の姿を知る皆が噂しているのをリフィーは知っていた。

 学区を卒業し、里に戻って王族の付き人という職についたリフィーは、最初こそ親に言われるがままに道を選んだ自分とは違う道に進んだ妹のことを羨んだものの、リリアと過ごす日々のうちに、そんな想いは消えていた。元々幼い頃から面識があったことに加え、久しぶりに会った彼女の美しさに心奪われたのもある。

 

「リリア様、そろそろ上がって下さい。就寝の時間ですよ」

「……ん、いまあがる」

 

 ちゃぽん、と小さな音を立てて水場から上がって来たリリアの体を、リフィーが手に持った布で優しく拭いていく。そして僅かに湿り気を残すのみとなった髪を布で包むと、リリアに夜着を着せていく。無抵抗に、まるで人形のようにリフィーの指示に従って着替えていくリリア。周囲の者からは深い叡智を湛えていると評されるその瞳の奥では、

 

(やっぱ東だよ。極東の国とか探せば絶対米は見つかるはずなんだよなあ……でもなあ、水田作るスペースが無いし、そもそも里の金は自分が好き勝手するための金じゃ無いし……そもそも、極東がどこらへんに存在するのかも知らない状態で行動するのは危険だよなあ)

 

 相変わらず米の事しか考えていなかった。

 そして、元来た道を戻り、大理石の廊下を進み、自室に戻ったリリア。「お休みなさいませ」と綺麗なお辞儀を見せていたリフィーにおやすみと返すと、扉が閉まると同時にリリアはベッドの側に魔石灯を置き、ベッドに横たわってとある本を開いた。題名は「迷宮都市オラリオについて」。先日、極東の国について調べようと屋敷の書庫を探している時に見つけたものだ。エルフの基本に違わず他種族嫌いらしい彼らが持っていた、エルフの里以外のことが載っている本、という事でリリアはこっそりと書庫から持ち出していた。……手法はここでは秘密としておく。

 日々王族の義務としてエルフの講師から英才教育を受けているリリアだが、どうにもこの世界の地理については教えて貰えなかった。どうやら地理についての知識を知った挙句、里を出奔してしまった王族が過去に存在するらしい。その王族の出身地はこの里では無いらしいものの、それから王族の出奔を防ぐために地理の知識は大雑把にしか与えられず、政治的に付き合いが必要な国の名前や特産品、国家元首の名前などを教えられるのみであった。この事を教えてくれたのは他でも無いリフィーで、彼女の妹の知り合いがまさにその「出奔した王族」の方であるらしい。

 とはいえ、米以外の事はだいたい「へー」で済ませるリリア。自らを縛っているというエルフの教育事情については特に不満を抱いてはいなかった。そもそもこの里を出るつもりが彼女には無く、ここでの生活を彼女なりに気に入っているのも理由の1つにあった。しかし、外の情報が知れるのであれば知りたいと思うのがヒトの性というもの。書庫でこの本を見つけたリリアは、毎晩ワクワクしながらこのエルフの里以外の詳細な知識を吸収していった。

 

「ふむふむ……あまたのかみのおりたつまち、おらりお、ね」

 

 その本には、作者がこの本を書いたきっかけをはじめとする前書きののちに、オラリオの大まかな概要が書いてあった。

 

 —————その街は、世界で唯一「迷宮」が存在する円形の都市。大陸の最西端に位置し、都市は堅牢かつ巨大な市壁に囲まれており、外周ほど高層の建築物が多く、中心ほど低層となり、中心部にはバベルが聳える。また、神が下界に姿を見せ始めた後、神々の多くがこの地に居を構えたことで神の恩恵により人が成長する絶好の場となり、世界中を見回しても他に類を見ないほど高みに到達する者が多く、武力においても世界最高峰の大都市である。

 

「へー……なんか、ライトノベルのぶたいみたい」

 

 概要を読んだリリアはそう呟いたが、実際その通りである。

 

 —————都市内は、その中央から8方位に放射状のメインストリートが伸びており、東のメインストリートには闘技場、西には多数の飲食店、南には大劇場や大賭博場などの施設がある。南東のメインストリートに沿って歓楽街が栄え、北西のメインストリートは冒険者通りと呼ばれ、ギルドの本部をはじめとして武具屋などの冒険者関連の店が軒を連ねている。また、都市内はメインストリートで分けられた八つの区画で構成されている。都市外は、その東部方向に草原が広がっており、セオロ密林の先にアルル山脈が連なり、その先は大陸中央に繋がる。北部方向には天然の山城であるベオル山地がそびえ、南西方向に港町メレンが位置し、南東にはカイオス砂漠が広がる。

 

「……名前もきいたことのない地名がいっぱいだ……」

 

 おおう、と頭を抱えるリリア。ここに来てエルフの教育方針の弊害が出ていた。地名が分かっても自分の現在地や目的地の方向が分からなければそれはその場所を知らない事と同義である。

 しかし、そうやって頭を抱えた瞬間。彼女の脳裏に、凄まじい勢いで1つの仮説がたてられていった。

 

「神様がいっぱい、神様はなんでもできる、つまりお米のさいばいほうほうを知ってる神様がいるかもしれない……?」

 

 ぺたん、とベッドの上に座り込むリリア。コツコツという見回りの衛兵の足音を聞き、魔石灯の灯りを消して、急いでベッドのシーツの中に潜り込むリリア。見回りの衛兵が部屋の前を過ぎ去っていったのを静かに確認してから、リリアはベッドから抜け出し、ポツリと呟いた。

 

 

 

「よし、里をぬけだそう」

 

 

 

 エルフの英才教育、完全敗北の瞬間である。

 思い立ったが吉日。こういう時に無駄な行動力を発揮するリリアは、ブツブツと何事かを呟くと、ガチャリとドアを開けて館の廊下へと出ていった。

 

 

 

 

 

「リリア様?……リリア様?入りますよー?」

 

 そして、翌日。

 いつもの如くリリアを起こしに行ったリフィーは、いつもなら返事が返ってくるはずが返事が返ってこなかったことに違和感を感じた。しかし、珍しく寝過ごしたのだろうと思ったリフィーは、特に何を思うでも無く扉を開け、リリアの部屋へと入っていった。そして、予想通りベッドにできた膨らみを見て微笑み、ゆっくりと近づくと激しくはないものの一気にかけられていた布団を剥ぎ取った。

 

「ほら、起きてくださいリリア様。いい朝です、よ……?」

 

 そして、ピタリとその動きを止めた。

 彼女の視線の先にあったのは、リリアと同じくらいの大きさに丸められた布の塊。何処から持って来たのか分からないその布の上には、「迷宮都市オラリオについて」と題された本と共に、羊皮紙に共通語(コイネー)で書かれた置き手紙が1つ。

 

《オラリオに行ってきます。暫くしたら戻ります。—————リリア》

 

 その端的な文面が指し示す事実は、つまり、つまるところ。

 

「…………きゅぅ」

 

 ばたん、とリフィーがうつ伏せに倒れこむ。運良くベッドの上に倒れ、頭を床で強打するという事態は避けられたが「王族が里を出奔する」というとんでもない事態を理解しきれなかったリフィーには少しの救いにもならないことであった。やがて、不審に思った衛兵が目を回してベッドに倒れこむリフィーリアと姿の見えない部屋の主人に非常事態だと察し、館がにわかに騒がしくなるのであった。

 

 

 

 

 

 そして、そんな里のてんやわんやなど知る由もないリリア(ゲスロリ)は。

 

「……すぴー」

「……オレは、こういう時どうすればいいんだ……?」

 

 ガタゴトと割と激しめに揺れるオラリオ行きの乗合馬車の中、新緑に染め抜かれた高級そうなローブに身を包み、恐れ多くも見知らぬ強面の男に思いっきり寄りかかりながら健やかな寝息を立てていた。寄りかかられた男はその強面を困った様子で歪め、周囲を見回すが、彼に有用な助言をくれる者はついぞ現れなかった。

 

 

 

 

 

 これは、少年が歩み、女神が記す眷属の物語(ファミリア・ミィス)、ではない。

 強さを求め続ける少女と、その眷属の物語、でもない。

 迷宮に挑む冒険者たちの、輝かしい栄光の物語、でもなく。

 それを支える者たちの、隠された過去や事情の物語、でもない。

 

 

 

 ただ米が食べたくて、ただそれだけの為に世間を騒がせる事となった、傍迷惑な幼女の物語だ。

 

 




読了ありがとうございました。

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