この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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今回も一万六千字程。


純血主義

 今年は何も起こらない。

 最初は、そう思っていたものだ。

 

 空飛ぶフォード・アングリアは少しばかり派手では有った。

 違法行為にも軽重が有るが、国際機密保持法を破壊しかねない類は基本的に重罪である。アズカバン送りまで行かずとも、杖を折られる事態、つまり一発退学になっても可笑しくなかった。だが、その〝偉業〟を成し遂げたのは〝生き残った男の子〟である。仮にアルバス・ダンブルドアの介入が無かったとしても、彼の処罰がどうなるかなど明白だ。

 そして個人的な意見を述べるのならば、過去に飛べない時点でデロリアンよりも旧式(old-fashioned)である。次の機会が有れば逆転時計と組み合わせて欲しいものだった。

 

 一方で、新しい闇の魔術に対する防衛術教師もまた派手では有った。

 愚かしい程に、という一語を付け加えるべきだろうが、それは良い。ギリギリの所で踏み止まっていた去年と違い、今年は完全に講義の秩序が崩壊しているのは明らかだ。

 

 しかし、彼はそれ以上の物でも無かった。

 我等がスネイプ寮監に尋ねるに『アレは小物だ。そしてクィレルの時とも違う』との有り難い保証が返ってきた。それと同時に、校長閣下が不愉快な策謀を張り巡らせているとも。

 ただ寮監と違い、僕にとってそれは別にどうでも良い事だった。僕と寮監のスタンスは、確かに似ていても、決して一致するものでは無い。あの老人が学生の七分の一を台無しにするだけの意義が有ると判断したというのならば、それは必要な事では有るのだろう。

 

 一応他の教授陣──三寮監にも確認したが、濁した言葉ですら伝わってくる程度には大した人物で無いという確信が抱けただけだ。スネイプ寮監と学生時代が被っているという興味深い事実も聞けたが、流石にわざわざ地雷を踏みに行く趣味も無い。いずれにせよ、闇の帝王の手駒として彼がクィリナス・クィレル教授よりも不適格なのは歴然としているように見えた。

 

 故に、僕にとっての一番の関心事は、ハーマイオニー・グレンジャーの対応が何故か冷たいように思えるという事で有ったし、またハロウィンパーティーに彼女が再度居ないという事で有った──去年の同日に起こった事を考えれば当然だった──のだが、まさかそれを完全に頭から吹っ飛ばす事態になるとは思わなかった。

 

 秘密の部屋は開かれたり。

 継承者の敵よ、気をつけよ。

 

 そんな不愉快な文言が、壁に描かれている。

 

 秘密の部屋。ホグワーツに秘された、サラザール・スリザリンの遺産。

 〝秘密〟であるのに知られているという、余計な揚げ足取りは不要だった。

 サラザール・スリザリンはホグワーツの創始者であり、実在の人物である。そして、子孫の存在も当然に確認されている。四寮の絆の崩壊後においても、グリフィンドール、レイブンクロー、そしてハッフルパフは、当然のようにスリザリンの子孫をホグワーツ──但し、スリザリン寮ではあるが──に受け容れ続けた。

 であれば、そのような遺産が遺されていた所で全くもって不自然では無いし、それが語り継がれる事もまた何ら疑問を抱くものでは無い。

 

 もっとも、伝説という物が全て真実を語る物では無いというのも僕は当然に理解していた。

 つまり、時には全くの嘘である事も、或いは真実の一側面を語れども誇張されたに過ぎないという場合も多々存在する。特に秘密の部屋の性質を考えれば猶更疑うべきだった。

 

 サラザール・スリザリンはゴドリック・グリフィンドールに敗北した。

 

 決闘裁判。そのような風習がノルマン・コンクエスト(1066年)以前のこの島国において通用したのか、そもそも魔法界において()()()()()()それが存在したのかは不明である。当然ながら、彼等が雌雄を決するその意図をもって決闘を行ったか――もしくは本当に決闘(或いは寮間での内戦)を行ったのか――というのも歴史の闇の中である。

 

 しかし、重要なのは、後世の人間がどう考えるかという事だ。

 決闘により正義を示すというのは、古代ゲルマンからの由緒正しい権利救済の手段だった。

 理性と合理を備えた者によるその手段の明確な禁止は遥かに時代を下る必要が有り、グレートブリテンでは近代に入ってすら何度も幾度も却下された歴史が、合衆国においてはほんの数年前に、決闘での裁判の申し出が裁判所に却下されるような事態も起きている。

 

 それを馬鹿々々しいと取るのは自由だが、どんなに調査を尽くしても不明瞭な罪は神に委ねるしかないという一種の諦念と、全知全能が正しき者を見捨てる筈も無いという篤き信仰が根底に存在していた事を忘れてはならない。

 

 付け加えるならば、少なくとも現在においては、魔法界でも決闘という制度が今尚存在している事に疑いはなく、当然に勝った方が正義であるという思考もまた当然に有している。

 

 故に、ゴドリック・グリフィンドールの勝利という歴史的事実は、スリザリンにとっては長らく屈辱的で有った事に疑いはない。つまり、サラザール・スリザリンが他の三創始者の目を盗んで〝マグル〟殺人兵器を残せしめたという、そんな虚偽の神話を創作しても可笑しくないと思える位には。

 

 そして僕は、その後者の考えの方が──つまり、秘密の部屋など存在しないという考えの方が、至極妥当のように思われたのだ。

 

 アルバス・ダンブルドア。あれ程化物染みた存在ですら、彼は今世紀で最も偉大な魔法使いに留まり、至上最も偉大な魔法使いでは無い。

 まあ四創設者という〝殿堂入り〟が存在する以上已むを得ない事であるともいえるが、しかし、アルバス・ダンブルドアと同程度に傑出した魔法使いが、この千年間全く現れなかったと考える方が無理な話だ。スリザリンにも、マーリンという偉大な先達――彼の残した功績からすれば、秘密の部屋を使うとは思えないのも確かだが――が居る。

 

 いずれにせよ、並外れた力を持つ多くの大魔法使い達が伝説を追い求め、ホグワーツという限られた空間を隅から隅まで捜索し続けた筈であり、しかしその結論は現在に示されている。

 秘密の部屋は、誰にも見つけられていない。であれば、そのような物は虚構と考えるのが当然の論理の筈である。

 

 そして──この文字を見て思う事もまた同じ。

 秘密の部屋が開かれたと書かれた所で、それが真実である保証など全く無い。都合よく伝説を騙って、人を恐怖に陥らせようとしていると考える方が理に適っている。

 

 死んだ猫が傍の松明に吊るされているのは脅しのつもりかも知れないが、()()()()()()()()()()()()()()()。秘密の部屋の伝説からは、余りにもそぐわない。吊るしておくならば、サラザール・スリザリンがホグワーツに不適切だと考えた、〝マグル〟の死体の方が余程相応しいと言えるだろう。

 

 ……まあ、そぐわないからこそ、逆に余計不気味でもあるのだが。

 

 しかし、今僕の頭を占めているのは、たった一つだった。

 

「継承者の敵よ、気をつけよ! 次はおまえたちの番だぞ、〝穢れた血〟め!」

 

 そんな愚かしい言葉を堂々と吐き捨てたドラコ・マルフォイを後ろから撃ってやりたいという欲求を、何とか押し留める事だった。

 

 

 

 

 

 純血主義。

 スリザリンの特性として表されるソレは、しかし、そうされてしまったが故に、歪んだ形で現在まで引き継がれてしまったように思う。

 

 現に()()()グリフィンドール的人間は〝純血主義〟を唾棄すべき下らないモノとして結論付ける。別にそれは構わない。僕とて純血主義に真正面から賛成する訳では無い。が、彼等がそこで思考停止してしまっている事だけは頂けない。

 

 純血主義の伝統は、それなりに良い面も有る。

 文化と知識、教育の継承。縁戚化による対立の回避。政治と社会の団結の密接な連携及び強化。今は汚泥のようになっている事も否定しないが、それはあくまで今だからだ。

 

 グリフィンドールは忘れているのだろうか。

 彼等のゴースト、ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿は、〝マグル〟の王宮に仕え、公然と魔法力を貸したにも拘わらず、一度の些細な失敗によって魔女狩りの下に処刑されたのだと。杖を奪われ魔法が使えないようにされた挙句、斬れ味の鈍い斧で拷問され、死に至らしめられた──まあ、ゴーストになった以上死んでは居ないが──のだと。

 

 国際機密維持法。

 かの大分裂の時代まで、〝マグル〟と魔法族は同じ世界を生きていた。

 裏を返せば、その瞬間まで、魔法使いは〝マグル〟の脅威に晒され続けていた。

 

 そして民族浄化の手段は、一つは女を奴隷化する事であるが、もう一つは子供を殺戮する事である。都合の良い事に、未成年の──特に、十一歳未満の子供は、魔法を上手く制御出来ない。しかも酷く原始的な形で彼等はそれを発現させてしまう。つまり、〝マグル〟にも解りやすい形でだ。その果てに起こる悲劇など、わざわざ説明する必要無いだろう。

 

 多くのスリザリン──つまり純血同士の結束を深める事に終始し、内に内にと閉じ籠り続けた者達──以外の魔法使いは1692年まで期待を捨てなかった。名誉革命(1688年)後、グレートブリテンとアイルランドの魔法界は、ウィリアム三世及びメアリー二世に対して、〝マグル〟法の下での魔法使いの保護を求めすらした。

 そして、その〝成果〟が、先の国際機密維持法だった。

 

 サラザール・スリザリンは聡明であり、賢明だった。

 〝マグル〟は魔法族を護らない。だからこそ、純血を死守し、その内で教育を課し、御互いの結束を図るべき──もっとも、かつてのマルフォイ家がそれまで〝マグル〟との付き合いが最も深い一族の内の一つだったというのは、歴史の数奇さを示すものと言えよう──だった。それを違えた結果、魔法族はそれまでより深く、〝マグル〟から隠れ棲まざるを得なくなった。今の人間は忘れているが、それは紛れもない魔法族の挫折であり、敗北なのだ。

 

 何せ国際機密維持法の成立はすんなり行った訳では無く、〝マグル〟に宣戦布告をしようとする者達は決して少数派では無かったのであり、しかし最終的な結果は今見ての通りなのだから。

 

 無論、先の学年におけるアルバス・ダンブルドアの冷ややかな指摘に対して、僕は忸怩たる思いを抱きながらも否定出来ない。

 

 あの老人は暗に言ったのだ。仮にかつてのサラザール・スリザリンの考えが正しかったからと言って――ゴドリック・グリフィンドールによる勝利が間違っていたからと言って――現在もまたそうであるとは限らないと。スリザリンは、創始者の無念を晴らす事に固執し過ぎて、〝今〟大事な事を見失っているのではないかと。

 確かにそれは一応の真理を突いているのだろう。

 

 しかし、スリザリンが間違っていた所で、グリフィンドールが正しいという訳でもまた無いのだ。そして、それは現在の状況により証明されてしまっているように僕には思えてならない。

 

 純血主義は歪んだ形で伝わり、必然として他も歪んだ。〝マグル生まれ〟を〝穢れた血〟と呼ぶ最大の怨敵(スリザリン)に対して結束してしまったせいで、魔法族はそれ以外に目を配る事を忘れてしまった。

 

 すなわち、〝マグル生まれ〟は厳密には()()()なのだ。何故なら、魔法を使えるのだから。

 スリザリンは目を逸らしがちだが、その事実は変わらない。そして、それを理由にグリフィンドールの後継者達が彼等を同胞として――()()()使()()()()()()()強く擁護してしまった事の帰結として、魔法を使えない者への差別を寧ろ浮き彫りとしてしまった。

 

 〝スクイブ〟。〝マグル〟。

 殆どの魔法使いは、彼等を明らかに蔑視している。

 

 僕に言わせれば、スリザリンが魔法族同士婚姻した家系である事を理由に〝純血〟主義を掲げているのであれば、それ以外は魔法力の有無を〝純血〟主義として掲げている。言葉の定義が多少違うだけで、本質的には同じ穴の狢である。

 

 半ば已むを得ない事であるとは言え、〝スクイブ〟は魔法族の社会から公然と排除され、家族以外に助けが与えられる事は無く、非魔法族社会へと追いやられるか魔法界の片隅で惨めに生きる事を強いられている。

 〝マグル〟に対しても、善良な見方をしている魔法族ですら、非魔法族を奇妙で物珍しい道具を作る珍獣扱い程度にしか思っておらず、その知識と叡智に対して何ら敬意も理解も示そうとしない。

 

 それが差別では無いと――純血以外を徹底的に排斥するスリザリンと違うのだと、どうして言えようか。

 

 本当の意味で非差別的に近かった創始者の理念の余波か、ハッフルパフだけは多少違う見方をしている気がしたが──それは余談だろう。何にせよ、殆どの魔法使いが自惚れた差別主義者である。それが僕の認識だった。

 

 そして、僕もまたその千年以上続く宿痾から逃れられているつもりも無い。

 何故なら、僕は結局それを是正する為に動くつもりは無いのだし、その考えを誰にも──目の前の正義の騎士にさえ伝える気もまた無いのだから。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは僕を呼び出した。

 学期当初から一貫して僕に余所余所しかった気がしたが、先日の危機はその態度を撤回するに十分だったらしい。というより、わざわざふくろう便を経由してまで手紙を出してきたのは初めてだった。その中には日時と、四階の()禁じられた廊下という言葉だけが記されていたが、その筆跡が誰の物であるかなど僕が見間違えようがない。

 他の生徒の目を盗み、その指定した時刻より僅かに早く着いてみれば、その端に隠れるように、彼女は腕を組んだまま待っていた。

 

 

 

 

 

 彼女は怒っているというか、やはり微妙に不機嫌なように見えた。

 秘密の部屋が開いたという事を考えればそれは別段不思議でも無いと思ったのだが、それも違うような気がした。何故なら学年当初から、彼女は僕を避けないまでも図書室内でそんな感じでは有り、また今回も同種の感情を継続しているように見えたからだ。

 

「待ってたわ、ステファン」

 

 彼女はそう言って、僕が入ってきた扉の方に杖を向けて呪文を唱える。

 

「……二年の力量では簡単に開けられると思うが」

「それでも、隠れる程度の時間は稼げるでしょう。去年は禁じられていたというイメージも有る訳だしね。それに今回は適当に場所を見繕っただけで、また適切な場所が無いかを探しておくわよ。或いは、一か所に固定しなければ良いかも知れないし」

 

 当然の事のように、彼女は言ってのけた。

 

「……僕達は、余り接触しない方が良いと思っていたが? 生徒が居ても可笑しくない図書館ですらリスクが有るのに、他の場所で出会っていると知れたら──」

「――あら、私も今年が始まるまさにその瞬間までは同じく思っていたわよ。もっとも、去年スリザリンをギリギリで救い上げた人は、また違った考えを持っていたみたいだけど」

「……まあ、去年と僕の立場が多少変わっている事は認めるが」

 

 皮肉めいた口調を隠そうとしない彼女に、僕は肯定の意を示す。

 

 学年末の加点は、僕が考える以上に大きな物だったらしい。

 当然ながらあの老人を嫌っているスリザリンは褒め称えたりもしないし、反対に老人の手駒だとして身内から排除する事は、スネイプ寮監の助力も有ってか無かった。

 しかし、他のスリザリンが気付かなかった事に気付き、尚且つ自ら手を下さずに干渉してしまったせいで、油断がならず触れてもならない(アンタッチャブルな)人間という風には認識されてしまったらしく、去年以上に微妙な立場に押しやられていた。

 

 勿論、それは僕の立場が大幅に改善したという訳では無い。相変わらず軽蔑され、嘲笑されるのは普通で有ったし、ドラコ・マルフォイも僕を都合の良い小間使いとして扱う事は──僕とてそうされない方が寧ろ困るので有るが──止めなかった。けれども、多少自由に動けるある種の貯金が出来たというのは、確かな事だった。

 

「図書室では、御互い好きに話せない事は去年を通して十分理解しているでしょ。マダム・ピンズの目を盗んで会話するのも大変だし、話せる内容自体も限られてるし。それとも──」

 

 彼女は息を大きく吸って、言い切った。

 

「――〝穢れた血〟とは会っている事を見られたくないって事?」

「…………」

 

 鋭い言葉に、僕は黙り込まざるを得ない。

 

 その言葉を彼女から聞く事は、去年から予測はしていた。

 グリフィンドールが、あの無駄に騎士道精神に満ち溢れた集団が、その刺激的な単語を彼女の耳に入れる事は可能な限り無いであろうとは思っていた。しかし、それでも彼女には二人の友人と共に対立している、悪いスリザリンの敵が居た。彼女がその差別用語を聞く機会が()()()()()になったのは予想の斜め上だったが、しかしこれは必然であるとも言えた。

 

「その差別的な言葉については色々と聞いたわ。表している意味も、それがスリザリン内でどう考えられているかも。貴方が、去年一貫して他の人間から私と話されているのを見られたくなかった理由は、私が〝穢れた血〟だったから?」

「……まあ、その理由が無い訳では無い」

 

 語気の荒い彼女の言葉に、僕は嘘を吐いても仕方ないと肯定する。

 一番僕が念頭に置いていたのはグリフィンドールとスリザリンという敵対的な関係性――つまり、僕と友誼を続ける事で彼女の立場を損なうという点――だったが、純血主義の内実を知る中で、彼女が〝マグル〟生まれの魔法使いである事も遠ざける理由へ当然に加わったのは事実である。

 良くも悪くも僕は半純血であり、それより劣等の地位──勿論、純血(スリザリン)的価値観によってだが──の者の立場について真剣に考えて居なかったという事だった。

 

「当然ながら、貴方はマルフォイと交友が有る訳だから、こうなる事は予測していた訳でしょう? まさか、あのマルフォイが自重するなんて思えないし」

「……それもまた肯定する」

「じゃあ、私にそれを伝えなかったのは何故? 貴方ならば、去年の時点でスリザリンの彼等が私を何と呼んでいるか当然聞いていた訳でしょう? なら、私に対して去年の内に、私の魔法界での立場を伝えるべきだと思わなかったのかしら」

「…………何故、と言われても」

 

 その質問に対して、初めて困惑して言い淀む。

 先程までは筋が通っている質問だった。だが、今の質問、つまり僕が知っている事が何故彼女に伝える事に繋がるのかは良く解らなかった。けれども、彼女はそれが重要であると言うように、腕組みしたまま僕の方を見上げ、答えを待っていた。

 だから、これが正しいのかという確信が無いまま、僕は思った事のみを紡ぐ。結果的に間違っていたとしても、彼女に嘘を吐くよりはマシだった。

 

「自分が差別されている、なんて聞いて愉快になる人間は居ないだろう。恐らく君は、去年のように遠ざけられる事は有っても、悪意を持った差別を受ける経験は今まで無かった筈だ。別に知った所でどうしようも無いし、わざわざ気分を害する必要も無いだろう」

 

 何より、彼女との貴重な時間をそのような事に費やしたくなかった。

 

「それは……確かにそうだけど。でも、マルフォイに最初に聞かされるのは嫌だったわ」

「ああいう事件の場で、叫ばれるように、か?」

「いえ、違うわ。マルフォイが私をそう呼ぶのは二回目だもの」

「……二回目?」

 

 その事実を、僕は知らない。そして思い当たるような機会も無い。

 だが、ハーマイオニー・グレンジャーは何故か驚いたような顔をした後、その表情を笑みへと変えた。全くもって不可解な事に、何処か嬉しそうですら有った。

 

「わ、忘れて頂戴。兎も角、貴方が去年私に伝えなかったのは別に変な理由じゃなかったというのは何となく伝わったし、貴方が私をそう呼びそうに無いというのも理解したわ。ネビルやレイブンクローの子とだけコンパートメントを一緒にした理由も」

 

 慌てたように早口で言った彼女に、僕は更に困惑を深める。

 

「……ネビル・ロングボトムやルーナ・ラブグッドが何故そこで出て来る? そもそも、君が通り掛かった時、ネビル・ロングボトムはコンパートメントに居なかっ──」

「兎、も、角! 今は、それは良いの!」

 

 強引に話を打ち切ろうとする彼女に、僕はそれ以上追求する事を諦める。

 通常は非常に理性的で有るが、時として感情的になり、その場合は全く手が付けられなくなる事を僕は良く理解していた。

 

「私が言いたいのは、たとえ不愉快になっても、貴方から穏当に伝えて欲しかったという事よ。そりゃあ、聞かされた瞬間は冷静でいられる自信は余り無いけれど、それでもマルフォイから初めて聞かされるよりも数千倍マシよ」

「……そう言う物なのか? 見ない振りをしても良い事が無いのは否定しないが、見ないままで居られるならそれに越した事も無いだろう」

「首に手を添えて敢えて見せてくれる事が有り難い場合だって、世の中にはあるものよ」

 

 確信をもって紡がれた言葉に、僕は小さく息を吐いた。

 

 たまに話している論理が解らなくなる点を考えれば、アルバス・ダンブルドアとの会話の方が彼女との会話よりも気楽な面も有るのだと認めざるを得なかった。

 あの老人は、若者の言葉に容易に怒らない程度には老成しており、突飛な話題にも当然のように対応し、何よりその知識と叡智は深かった。常に曖昧な事を言うのを好むという気に入らない点は有るものの、その裏に理由の存在が透けて見えるのは解りやすく、また理解を示しやすいとも言えた。

 

 もっとも、それを彼女に真正面から伝えるべきではないという程度の常識は僕にも有る。

 

「まあ、本題は終わった事だし、余談の方に入りましょう」

 

 彼女はそう言って、表情を真剣な物に戻した。

 

「秘密の部屋について、貴方が知っている事は有る?」

「…………」

 

 その彼女の言葉に、今度は深く溜息を吐いた。

 僕は君に去年のように危険に突っ込むような真似をして欲しくはないのだと言いたい気もしたが、しかし、僕は彼女の親ではない以上それを言う権利もまた無かった。何より、〝穢れた血〟が──危険の方が近寄ってくる可能性が高い彼女が、その事に関心を抱くのは理解出来る話だった。そして、知人にスリザリンが居ればこうなるのは必然である。

 

「『ホグワーツの歴史』は?」

「全部借りられてたわ。やっぱり、皆気になるみたい」

 

 書籍の信奉者、ハーマイオニー・グレンジャーは肩を竦める。

 

「でも、ビンズ教授が話してくれたわ。スリザリンが、真の後継者が現れるまで開かない〝秘密の部屋〟を作ったって。そこには恐怖、何らかの怪物が残されていて、真の継承者のみがそれを操れるらしいわよ」

「……待ってくれ。彼に話を聞いたのか?」

「ええ。だって、教授は魔法史学を教えていらっしゃるし、ゴーストでしょう? 〝秘密の部屋〟について聞くには適切だと思ったの」

 

 あっけらかんと言うが、言葉が出て来ない。

 無茶苦茶というか、知識旺盛な彼女らしいというか。そして、答えが返ってきたのも驚きだ。彼は〝教授〟として十分過ぎる知識を有しているが、全くもって生徒に興味が無く、その講義に工夫も無かった。そして、ゴーストというのは、そのような存在である事が宿命である筈なのだが──彼女は、少しばかりとはいえ、それを打ち砕いたらしい。

 

「それで、スリザリンの貴方に聞きたいの。〝秘密の部屋〟について、もっと知ってる事が無いかって。出来れば、その怪物の正体についても」

 

 期待の眼差しで見上げてくる彼女に、僕は視線を微妙に逸らす。

 それに応えられないというのも有るが、それは余りにも目に毒だった。

 

「はっきり言って、秘密の部屋について僕が君に言える事は無い」

「え?」

 

 彼女の驚いたような声に、僕も少しばかり意を決し、今度は彼女に視線を合わせた。

 

「何故なら、僕は君が聞いた事以上の内容を知らないからだ。怪物だったという噂も聞いた事が有るが、それがゴーストでも関心を抱く程度に確度が高いものだとは思ってもみなかった。僕はそれを完全な虚偽だと考えていたからな」

「? どうしてそう思えるの? 私には真実な気がするけど」

「仮に実在するとして、アルバス・ダンブルドアが今までそれを探さなかったとでも? まさか、それを発見出来ないとでも?」

 

 偉大なるグリフィンドールの先輩の名前を出してやれば、彼女は口を噤む。

 あの老人とて、その類の職務怠慢をする事はしないだろう。それは間違いない。

 

「何より、秘密の部屋が開かれたという犯行声明が出されたからと言って、それが真実である保証は全く無い。その上未だ起きているのが猫一匹を殺しただけともなれば──」

「――殺してないわ。石化させただけだとダンブルドア校長は仰っていたもの」

「……そうなのか。ならば余計に、奇妙な話だ。サラザール・スリザリンの遺産が、たかだか猫一匹すら殺せない訳だからな。しかも、非魔法族を初めとする〝適切で無い者〟をホグワーツから排除するのに、何ら役に立っていない」

 

 そう付け加えてやれば、彼女も少しばかり自信を失ったらしかった。

 スリザリンの怪物。それを聞いて、思い当たる節が無い訳では無い。スリザリンが象徴とする生物が何であるかを考えれば当然に思い当たる事であり、『幻の動物とその生息地』(去年の教科書)においても、その名前は明確に記載されている。

 しかし、あの視線が齎す結果は〝死〟だった筈だ。明らかにそぐわないように見え、可能性としてはやはり低い気がする。その仮説を語る必要が有るとも思えなかった。

 

「そういう訳で、僕は秘密の部屋が開かれたという事を真実として真剣に受け止めていない。神話は神話であり、それを利用した何者かがホグワーツを闊歩している。その可能性が高いのではないかというのが、個人的な見解だ」

「ビンズ教授と同じ結論ね……。教授の方は、それが誰かに利用されているとは当然言わなかったけど。でも、それならばそれで、危険である事は変わりがないでしょう?」

「……まあ、そうだな」

「そして、騙るにしても、秘密の部屋がマグル排除を目的としたサラザール・スリザリンの遺産である以上、今回の事件においても同種の目的を持っていると考えるのが自然だわ」

 

 それも道理だった。そして、それこそが問題だった。

 別に秘密の部屋に何が遺されていようが、仮にそれが怪物であろうが、究極的には些細な事と言える。秘密の部屋は、スリザリンの継承者によって開かれるものである。要は、スリザリンの継承者こそが真に脅威なのであり、()()()()()()()()こそ最も注意を払うべき事項であると言えた。

 

「つまり」

 

 僕は深く息を吐く。

 

「君はスリザリンにその継承者が居ないかも、僕に聞きたい訳だ」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは強い視線でもって肯定する。

 解ってはいたが、何となく気が進まないのは確かだった。しかし、彼女とて引き下がる気が無いのもまた同様に解りきっている。彼女にとって、これは生命線であった。自らの身の危険という意味でも、恐らく今回の件に反対したであろう二人の友人を説得するという意味でも。

 

「僕も一応スリザリンである以上、露骨に身内を売る事は出来ない。それがたとえどんな人物で有ってもだ。だから、特定の人物については語らない」

 

 彼女が──彼女達が誰を疑っているかは察する事が出来るが、予め念押ししておく。

 そして、彼女は多少不満そうな表情を見せたが、確かに頷いた。

 

「現状のスリザリンの雰囲気は真っ二つに別れている。秘密の部屋の神話の再誕を喜ぶ者と、有り得ないとして表面上馬鹿にする者。前者が純血で、後者が半純血や非魔法族生まれだ」

「……え? 待って、スリザリンにはマグル生まれも居るの?」

「知らなかったのか──というのは酷か。表向きはそうでは無いからな」

 

 彼等が〝相応しい〟態度を取る限り、純血は一応見て見ない振りをしてくれる。それを知る半純血も、仮にその人物が自分と敵対的であったとしても、絶対にそれだけは口外しない。そして当然ながら自ら言い触らす事でも無い。となれば、外部が気付かないのは必然だった。

 

「今はそれは置いておこう。しかし、スリザリンの中に今回の功績を自慢する者は見る限り居ない。まあ、今起こっている事が猫を石化させた程度であるというのも有るが、談話室で交わされるのは殆ど秘密の部屋の謎自体についてだ。有ってもこれからどうなるかの予想程度でしかない」

「……でも、幾らスリザリンであっても、皆が皆仲良しって訳では無いんでしょ? 仮に秘密の部屋に居るのが怪物で、それを操れたとして、そんな武器を晒すような真似はしないと思うのだけど」

「そうだな。それは余りに不用意過ぎる」

 

 蛇は団結主義である一方、身内が自らと同様に毒を有している事も良く知っている。

 

「けれども、その犯行を仄めかす程度の人間は居て良い筈だ。或いは、これから起こる事を少しばかり〝予言〟しても良い。何せ、スリザリンの継承者だ。純血がその地位を欲しているのは明らかだし、一目置くであろう事も確かだ。自身がそうである事を明かした瞬間、王族になれる、とでも言うかな。その地位と価値というのは非常に高い」

「だけど、そのような人間は居ないって事ね。但し、当然ながら貴方が知り得る範囲の事に限られるでしょうけど」

「解ってくれて嬉しい。僕は純血のコミュニティの中に居る訳ではない。彼等が内輪で話しているという可能性は全く否定出来ない」

 

 もっとも、その可能性は低いようにも思えた。

 これは外部の人間に伝えにくいのだが、何と言うか、スリザリン内でこの騒動を冷ややかに見ている者が皆無なのだ。仮に真犯人が居るのであれば、この騒ぎを内心愉快に思い、ほくそ笑んでいても可笑しくないに違いない。しかし、純血・非純血問わず、それが期待にしろ、好奇にしろ、恐怖にしろ、今回の件に対して少なからず心を動かしている。

 

 勿論、これは僕の勝手な見方によるもので、上手く演技をしている可能性も有る、というかその場合に見抜ける自信が有る訳でも無い。

 けれども、スリザリン内に今回の犯人が居るというのは、どうもしっくり来なかった。

 

「ともあれ、僕には未だにスリザリンの継承者として思い当たる人物が居ない。別に全ての者が全くの無実だと主張したい訳では無く、言ってみればスリザリン全員が怪しいままであり、他よりも抜きん出て疑念を抱けるような人物が居ないという事だが」

「うーん、難しいわね。貴方に聞けば簡単に解ると思ったけれど、甘かったようね」

「……すまないな。この程度しか言える事が無い」

「……いえ。知らないのであれば、それは仕方がない事だわ」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは明らかにガッカリした様子を隠しきれていなかったが、それでも確かに微笑んで見せた。

 

「……ただ、これまで以上に周りに注意はしておこう。たとえ確信が持てなくても、可能性がそれなりに有ると判断すれば、君に伝える」

「あら、身内は売らないんじゃないの?」

「たまには例外が有っても良いだろう」

 

 少しばかり顔を顰めつつ言えば、今度は彼女も面白そうに笑ってみせた。

 

「そうしてくれると助かるわ。貴方が言う通り、今は猫を石化させるだけに留まっている事だしね。少なくとも現時点では、余計な心配をするべきでは無いのかもしれないわ。この学校には、ダンブルドア校長やマクゴナガル教授もいらっしゃるし」

 

 自分を安心させるかのように、彼女はそう結論付けた。

 しかし、そこで彼女は何かを思い出したような表情をした後、そう言えば、と口を開いた。

 

「聞く機会が無かったし、今の今まで忘れていたけれど。貴方、去年の賢者の石で結局何をしたの? 加点されたからには、間違いなく何かをしたのでしょうけど」

「……ああ、あれか」

 

 恐らく、ダンブルドアという名前から連想したのだろう。

 けれどもこちらの方は、たとえ彼女に対しても明確に首を振らざるを得なかった。

 

「それはアルバス・ダンブルドアに対して、誰にも語らないという事を杖に対して誓っている。こればかりは、君に対しても口に出来る事では無い」

 

 細かい事を言えば、『賢者の石の件』での『この校長室での会話』が果たして何処まで適用されるかが問題だったが、やはり語るべきでは無いだろう。

 

 あれは簡単に話せる内容でも無いし、御互いに踏み込み過ぎていた。

 何より、あの老人にとっては、クィリナス・クィレル教授は、ハリー・ポッターがその良心を痛めてはならない悪役のままであるべきだと考えているに違いなかった。僕にとっても、〝生き残った男の子〟が使い物にならなくなるというのは今の所歓迎しかねる事態だった。

 

 もっとも、流石のハーマイオニー・グレンジャーもまさかそんな発言が飛び出て来るとは思わなかったのだろう。目を丸くしながらも、こくこくと頷く。

 

「そ、そう。それは話しちゃマズいわね。余計な事を聞いちゃったわ」

「それこそ知らなければ、仕方無い事だろう。これは誰にも言っていない事でも有るからな、気になるのが自然だ」

「そう言ってくれると有難いわ。そうね、確かにダンブルドア校長も、学期末で私達には解るような嘘を言ってたものね。

 ――けど、少しばかり安心もしたわ」

 

 彼女は、悪戯っぽく、そして何処か揶揄うように言った。

 

「グリフィンドールでは、貴方がスリザリンの誰よりも闇の魔術に詳しくて、実はクィレルを操っていただとか、賢者の石での黒幕だったという話も出ていたのよ。本当に馬鹿な話よね。そんな外部からの変な干渉が無かった事なんて、ハリーや私が知っているのに」

「…………」

 

 ダンブルドア校長が知っているなら余計にそんな事は有り得ないわねと続ける彼女に、僕は何も答えられなかった。

 

 噂は常に真実を語る訳でなくとも、常に虚偽を語る訳では無い。

 

 だが、彼女は当然ながら僕の内心に気付くような事は無かった。朗らかな表情を崩さず、彼女は言う。

 

「また、ふくろう便で連絡するわ。……えっと、確認して無かったけど、図書館の外で私と会う気が全くないわけでは無いのよね?」

「……ああ、既に一度こうして会っているんだ。今更の話だろう」

「そう。安心したわ。ただ今度は手紙にも細工すべきかもしれないわね、マルフォイや他の人間が見る可能性も無い訳ではないし。暗号とかが良いかしら?」

「……それは君に任せる」

 

 悪巧みを楽しむような表情を浮かべて考え込んでいる彼女に、僕は諦めて答える。

 彼女は失敗を極度に恐れるタイプであり、このようなリスクを負うのは本来の気質では無いと思っていたのだがどうやら違ったらしい。グリフィンドールに染まったのか、それとも元々グリフィンドール的だったのか。

 

 ただ、彼女と自由に話せる回数が増えるのは、僕としても歓迎すべき事だった。僕の方とて、何か〝密会〟を隠す為の手段を考えておかなければならないだろう。

 暫く彼女は思考に沈んでいたが、僕の存在を思い出したように顔を上げた。

 

「予想以上に話し込んじゃった訳だし、今日はお開きにしましょう。ステファンもそれで良い?」

「……そうだな。ズルズルとここに居座った所で、余り得られる物はないだろう」

 

 名残惜しいが、それは事実だった。

 

「じゃあ、今回は貴方の方が先に帰って頂戴。言うまでも無いと思うけど、気を付けてね。今は禁じられては居ないにしても、教授方は生徒がこの辺りをうろつく事を良しとはしないでしょうし。御互い優等生だから、見つかってもどうにでもなりはするけど」

「……扉を出た瞬間に鉢合わせるというのはどうしようも無いがな。それは祈るしかないが。しかし、僕の方が先で良いのか? 君は僕より先に来ていたんだろう?」

 

 この場所は、当然と言えば当然だが、御世辞にも会話するのに適した環境では無い。

 微妙に肌寒く彼女の身体も冷えているだろうと思ったのだが、それでも彼女は微笑んで見せた。

 

「ええ。貴方が先に出てくれた方が適切だと思うし、ここに長居するつもりも無いわよ。特に今回に限っては()()()()()()()()()()帰るつもりだから」

 

 

 

 

 けれども、僕が甘かった。

 結果的には彼女が抱いた危機感の方が正しかった。

 

 ギルデロイ・ロックハートがハリー・ポッターを骨抜きにし、スネイプ寮監の授業で花火を爆発させるような命知らずが現れ、決闘クラブの行いによりハリー・ポッターがスリザリンの継承者候補筆頭に成りあがったのは些細な事とすら言えた。

 

 犠牲者は出た。

 コリン・クリービー。ジャスティン・フィンチ・フレッチリー。

 ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿も巻き込まれはしたが、いずれにせよ、サラザール・スリザリンの残した遺物は、純血以外──彼がホグワーツで学ぶべきでは無いと考えた者に対して牙を剥いた。

 

 結果として生徒は教授、監督生、そして首席らによって監視され、図書館ですらまともに向かう事が出来なくなったし、一人で出歩くなどもっての他であった。必然、ハーマイオニー・グレンジャーと隠れて会う事など全く不可能な状況に陥っていた。

 

 その間一度だけ、彼女からふくろう便が来た事が有る。

 彼女の筆跡で、『前に言っていた、心当たりはあるか』と。それに対して、僕は『無い』と一言だけ返した。それは紛れもない事実だった。

 

 スリザリンの中で、そのような人間は居なかった。談話室で声高には言わなくとも〝純血派〟はいよいよ上機嫌に──けれども微妙に不安さを隠すように──なり、〝非純血派〟は逆に恐怖を隠せずに居られなくなっていた。

 

 そして、スリザリン内での会話にも決定的な変化は見られない。今回の事件について、スリザリンの継承者へ助力したいと言う人間は居ても、或いは誰が次の犠牲者になるかを賭け出す人間が現れても、その犯行を示唆したり、今後の〝予言〟をする者は全く居なかった。僕の眼において、スリザリンは、犯行に関与していないという点では白のようにしか思えなかった。

 

 猜疑と陰鬱は、日が進むにつれてどんどん深くなっていく。

 〝マンドレイク回復薬〟により石化は解く事が出来るのだという発表が有って尚、生徒を安心させるには全く至らなかった。

 

 完全な石化というのが並外れた闇の魔術で無ければ実現し得ない事を、特にスリザリンは良く知っている。そして、そのような存在は人を殺しうる力もまた当然有している筈であり、気紛れに今までの方針を変える事もまた十分に有り得るのだという事も。

 

 そして、そこまで詳しくないスリザリン以外でも、非常に危険な存在がホグワーツを自由に闊歩しているという事は正確に認識していた。寧ろ詳しくないからこそ、更に恐慌に陥っていた。教授陣は何とか統制を保とうとしていたが、ミネルバ・マクゴナガル教授やスネイプ寮監の授業ですら怪しくなる程度に、生徒は今後に対して不安と恐怖を抱いていた。

 

 勿論僕も気が気では無かったし、何処かの老人に対してさっさと解決してくれという思いを抱いていたが――ただ一つ、大きな疑問を抱かざるを得なかった。

 〝マンドレイク回復薬〟によって石化が回復されるのは良い。しかし、ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿、つまりゴーストに対し、一体どのようにしてそれを服薬させるというのだろうか──?




・空飛ぶ車
 Ford Anglia 105 E(ハリー・ポッターで用いられるのはDeluxe)が登場したのは1959年。
 DeLorean(これは通称であり、正確には DMC-12)の登場は1981年。会社破産が1982年。
 Back to the Future三作は、1985年、87年、90年。

・決闘裁判の却下
1983年のMcNatt v. Richards。

・純血主義
 「君の家族はみんな魔法使いなの?」というハリーの質問に対し、ロンは「あぁ……うん、そうだと思う」「ママのはとこだけが会計士だけど、僕たちその人のことを話題にしないことにしている」と答えている(一巻・第六章)。もっとも微妙な発言で、そのはとこが魔法使いで無い可能性も有り得、話題にしないのも差別に基づく理由では無いかもしれない。
 一方で、スクイブに対して、ロンは「本当はおかしいことじゃないんだけど」と述べながらも、フィルチは生徒を「妬ましいんだ」という感想を表明している(二巻・第九章)。
 誤解を防ぐ為に述べておくと、これらの事実によってロンが差別主義者だと主張したいとか、その言動を非難したいという事では無い。

・スクイブ
 アラベラ・フィッグに対して「ハリー・ポッター以外に魔法使いや魔女がいるという記録はない」「両親についての詳細を知らせておくよう」という発言(五巻・第八章)が有るように、魔法省は明らかにスクイブ個人について記録を取っておらず、関心も有していない。
 フィッグ自身も「あたしゃ登録されていませんでしょうが?」と述べている。

 一方で、設定上、スクイブ支援協会というものが魔法界にあるらしい。しかし、その創立者の功績が公然と評価されるようになったのは、創立者の死から22年後の2007年の事のようである。

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