この話を我が友人、オレンジに捧げます。
桃の夭夭(えうえう)たる 桃の若々しく
灼灼(しゃくしゃく)たる其の華 赤々としたその花
之(こ)の子 于(ゆ)き帰(とつ)がば この子は嫁いで行くが
其の室家に宜しからん あちらの家にお似合いだ
桃の夭夭たる 桃は若々しく
奮(ふん)たる其の実有り どっさりと実がなる
之の子 于き帰がば この子は嫁いで行くが
其の家室に宜しからん あちらの家にお似合いだ
桃の夭夭たる 赤々としたその花
其の葉 蓁蓁(しんしん)たり その葉は生い茂る
之の子 于き帰がば この子は嫁いで行くが
其の家人に宜しからん あちらの家の人にお似合いだ
~桃夭 無名氏~
黴臭い研究室。
据えた匂いを放ついくつもの試験管。
天井には蜘蛛が巣を張り、軒下には百足が這い回る。
私の研究室はそんな所である。
私は此処で探し物をしている。
一つ一つの試験管にはそれぞれ可能性があって、そして、一つ一つ夢破れて行った過程が刻まれている。
私の事を分析するに、私は事実が分からないと先に進めない人間なのだと思う。
一つの疑問が湧けば、私は其れに懸りきりとなり、他の者には興味を示さなくなるのだ。
厄介な事にその問い掛けは、外からの出力には見向きもせず、唯内の声に耳を傾けるのみで、私の命題は常に己の中から生まれ続けた。
といっても、それも随分前の話。
随分前から懸りきりの命題はとっくの昔に足を止め、遅々として進もうとせず、デンと私の中に居座り続けた。
曰く“生命とはなんなのか?”
人間として生を受けたものならばいつしか抱くこの疑問。
小さな時にぶち当たっていればなんとなくで納得し、打ち流せたかもしれないその疑問は、生憎と私のこの性質が定まった後に湧きあがった。
それからというもの私はこうだ。
延々と業の中にいる。
閉塞した世界で、自己の命題の答えを探し求めて。
「我命令、児使役的勅令」
自己の天命と云うものを自覚して私は人間を止める事にする。
目的を達成するために私のこの器はあまりに短命だった。
目的の為に手段は問わず、あっけなく人間の私は終わった。
「覚醒勅使」
その令に其れは目を覚ました。
体を起こしながらそれは唯、呆ッとしている。
視界には何も映っていない様に見える。
「あなたの名は?」
その言葉に彼女はこちらを向いた。
「…………」
しかし、それ以降彼女からの反応はなく、目線をこちらにむけたまま固まっている。
「名前がないのかしら?」
その言葉に彼女はコクリと頷いた。
都を歩いていた時、私は死体を見つけた。
出来たての死体は首を絞められていて、白目で泡を吹いていた、その顔色はどす黒く浮腫(むく)んでいて、壁に寄りかかる体からは糞便の匂いが漂っていた。
死んで間もないその死体は、誰に見向きをされるでもなくそこにいて、彼女をどうにかしようなんて誰も思わなかった様である。
平安の都は腐敗の一途を辿り、市井ではうずたかく積みあげられた死体の山がいくつもあった。
死体なんて珍しいものではなく、そこらへんにたくさんある。
それでも彼女に目がいったのは死にたてほやほやであったこと、糞便に塗れた彼女はとても惨めで、触った彼女からはまだ仄かな温もりがあって、その死体を見ても山に加えようともしない、さながら渣のようなその存在は、道行く人には路傍の石と同じだったのである。
私は幸いとばかりに彼女を引き取って来た。
体を清潔にしてやり、血抜きを行い、顔の汚れを落とし、整える。
其処にいたのは思いの外端正な顔をした、あどけない少女であった。
名は体を表すとはよく言ったもので、この存在をこの場に置いておくためには、彼女を固定させる何かが必要だった。
都を満たすその腐臭、都はもうすぐ終わり、また新しい時代が始まるのだろう。
吐気を催すあの匂いが消えること等未来永劫ない。
彼女からも、そんな澱んだ匂いは発せられ不愉快にならざるを得ない。
いくら体を洗おうが拭い落とせないそれは、都に染みついた呪いの様でもあった。
「芳しい香り」
ならば其れを名前にしようと思った。
この呪いが永遠に解けない様に、死を固定するためには最適だと思った。
「都の、芳香」
先程から微動だにしないその彼女に向けて告げる。
彼女はこれ以降此れを名前とし、延々勅令に従い続けるのである。
「あなたの名前は都 芳香」
「みやこ……よし…か」
そう呟く彼女に私は頷いて―
「とりあえず、……部屋の掃除からお願いできるかしら?」
私の言葉に素っ裸の芳香は可愛らしくコクリと頷いた。
―――
“生命とはなんなのか?”
存在しているだけの彼女は生きていると言えるのか。
寿命を克服し、変化は固定され、彼女のような存在はもう何も生み出す事はない。
しかし―
「……おちゃを…………おまち」
そういって私の前に明らかにお茶とは形容できないような色の液体をおくこの少女。
芳香の手際は正直決して良いものではなかった。
こういった類のものを使役する際重要になるものの一つに記憶が挙げられる。
体に染みついた記憶、生きていた際に蓄積されていた経験。
簡単に言ってしまえば“お茶を汲め”と行った時に緑茶を注ぐのか麦茶を注ぐのかである。
平時に彼女が喋っているものは彼女自身の性質が決めたものであり、私が~~な口調で喋れなどど命令した訳ではないし、彼女がいつの間にか身に纏っていた襤褸布も彼女自身が選んだ選択なのである。
コレ達は自己判断をしている様に見せかけて、肉体の記憶の範疇で行動し、動いているだけで、その根底には何もなく、ただ与えられた勅令のみが、彼女を外部から構成するもので、それだけが全てといっても過言ではない。
其処から見るにこの娘、対してそんな経験をつんでいないようである。
痩せぎすなその体、骨ばった体に浮き出た肋骨、恐らく平民であった彼女にはそんな習慣は必要なかったのだろう。
「これを……のめと………?」
思わず頬をひくつかせながら呟いた私に、少し首を傾げて“え?飲まないの?”みたいな顔をする芳香。
「いや、飲まないわよ」
実はえらくうまいなんてこともあるまい。
大体、お茶一つ汲んでくるのに時間がかかりすぎだ。
一つつくるのに一時間以上たっている。
「下げなさい、こんなもの飲めないわ」
そういうと芳香はコクリと頷いてそのお茶を持って下がっていった。
――――
「……しょるい…おまち」
「これは去年の私がまとめた記録じゃないの…」
あの書類を持ってこいと言っても碌に持ってこない。
呆れて顔を見ると首を傾げて“え?ちがうの?”という雰囲気をだす芳香。
「私がとってくるわよ…」
とってきた書類の日付、印があるか等々彼女に説明した後でそんなもの全く意味がないのだと気付いて思わず机に項垂れた。
「芳香」
「は……い」
術式が安定していないのだろうか、彼女はうまく喋れない。
伝えたいことを無理矢理口から出している感じ。
「もっと綺麗に喋ってみなさい」
「は……い」
・・・・・
その返答からして流暢ではない。
正直、彼女を廃棄しないのはこれが原因であったりする。
当たり前の事が当たり前に出来ない。
その原因がとても気になる。
「まぁいいわ、こっちに来なさい」
その言葉にとことことこちらに来る芳香。
「いつまでそんな襤褸布着てるつもりなのよ、私が馬鹿にされたじゃない」
日々衰退の一途を辿っているとはいえ私の今の立場は貴族のようなもの。
そんな私の周りに襤褸い布を来た貧相な娘を侍らせていたら私の品格が問われてしまう。
命令ではないので反応はしない彼女。
パシンッ!!
小気味いい音をたてて私は芳香の頬を叩いた。
表情一つ変えない私のお人形。
「気持ち悪いわね」
私は笑いながら芳香を見つめる。
彼女はずっと表情もなくただそこにいる。
「ついてきなさい」
「…は……い」
いつもより返事が遅く感じたのは私の気のせいだったのだろうか。
――――――
「どれがいいかしらね」
私は箪笥を開く
私自身そんなに服に頓着する方ではないからそんなに服は持ってきていない。
小さい服なんてなおさらではあるけれど、
「ほら、こっちに来なさい」
近付いて来る芳香に服を合わせる私。
「まぁ、なんとか着れるでしょう」
それは私が子供の頃に来ていた服。
かつて、母と呼んでいた人と、かつて父と呼んでいた人が私の一番めでたい時に着る為に買ってくれた服。
こっちに来る荷物の中に偶然紛れこんでいたそれは着れないからさっさと捨ててしまおうと考えていたのにすっかり忘れてここにある。
まぁ、不幸中の幸いという奴だ。
「さっさと服を脱いで」
そういうと少しのたのたしながらも服を脱ぎだす芳香。
私がこんな汚らしい布なんて触れる訳ない。
「遅いわね、ほら、この服を着るの」
服を渡すが反応しない芳香。
良く考えたら中華の服だからどう着ていいのか分からないのだろう。
「チッ、使えないわね、分かったわよ、着せればいいんでしょう」
舌うち一つで済ませてやっただけありがたがれ。
四苦八苦しながら、芳香は私の服を着た。
――――――――
また時がたって。
「髪が汚いのよ」
そうやって言う私に首を傾げる芳香。
「かみ……です?」
少しづつ言葉を話す様になって来た彼女、有り得ない事だった。
それではまるで成長しているみたいではないか。
死を固定し、無理矢理目を覚ました彼女は存在自体がまさしく固定されているのである。
そうでなければすぐさま死体に逆戻りなのだからそれは当り前のことなのだけれど。
「そんなぼさぼさじゃ、私が笑われるのよ」
パシンッ!!
やはり反応はない。
「死人の髪の毛を梳くことになるなんて、意味が分からない。必要性を見いだせない」
ブツブツ呟きながら
「とりあえず此処に座りなさい」
「……ハイ」
そうやって彼女は座った。
そこに櫛を通す。
「桃之夭夭」
髪を梳きながら口ずさむのは故郷のありふれた歌
「灼灼其華」
相当傷んでいたものだから櫛を持つ手が度々引っかかる。
その度「う゛っ」だの「ぐぇ!!」だの聞こえてくる。
「五月蠅いわね、少し黙りなさい」
「うぅ……はい」
前から涙声が聞こえてくるが無視。
「之子于歸」
少しづつほぐれて行く。
「宜其室家」
一櫛一櫛丁寧に梳く。
一度やりはじめたら止まらないのはこんな所でも同じであった。
「桃之夭夭」
生憎と私はこの歌しか知らない。
「有奮其實」
姉の結婚式の時に、皆で歌った。
私は歌わなかったけれど、姉さんは幸せそうだった。
「之子于歸」
良く考えたら私も一度結婚していたのだけど、思い返せどもほとんど記憶にない。
一日中家に籠もってばかりだったから仕方ないとも思うけれど。
「宜其家室」
私はあの家にあっていると。
「桃之夭夭」
桃の花が咲いたり
「其葉蓁蓁」
紅葉が彩ったり
「之子于歸」
綺麗な景色の中で、
「宜其家人」
あの家に私はふさわしいといって嫁いでいくのだ。
「さぁ、終わったわよ」
我ながら綺麗に梳けたと思う。
「立ちなさい」
「はい」
服が歪んでいるのが気にかかる。
「服位自分で整えなさい」
「はい」
そういいながら動こうとせず、私のされるがままになる芳香。
「本当に使えない」
「はい」
「そこは返事しなくていいの!!」
でも、何故か聞こえるそのハイはいつもより嬉しそうな気がした。
――――――
年月が過ぎる、言葉にすれば数年の間に満たないけれど、よく私は我慢したと思う。
「体を……付け替える…です」
「そう、そろそろあんたも交換の時期よ」
しばらくの時間この芳香と一緒にいたけれど、体の老朽化は止められない。
大体こんな貧相なチンチクリンが私の従者だという時点でおかしかったのだ。
体には防腐処置を施した。
しかし脳髄は無理だ。
だから、この芳香はもうお払い箱。
「本当に、手間をかけてくれたわね」
「はい」
「だから、返事をするな」
彼女は最後まで家事がうまくはならなかった。
掃除も出来ず、録に家の仕事を手伝えなかった。
「次は、ちゃんと優秀なのをつくるわ」
「はい」
「もう、うるさいっての!」
術式を施す部屋に向かう。
彼女を死体に戻す最後の作業。
これでやっと、彼女の後ろからついて来るたどたどしい足音から解放される。
彼女は、もういなくなる。
「桃之夭夭」
もう不味いお茶を飲まなくても済むし。
「灼灼其華」
もう掃除を頼んで逆に汚くなることもない。
「之子于歸」
仕事の手間を増やされることもなく
「宜其室家」
服だの、髪だの手間取ることもない。
「桃之夭夭」
新しい従者はどんなのにしよう。
「有奮其實」
なんでも食べる奴が良いな。
「之子于歸」
こんな貧弱な体で
「宜其家室」
食事という外からの力の供給をしなかったものだから、私の力を食ってばかりで困っていたの。
「桃之夭夭」
大丈夫、都には死体が溢れているから。
「其葉蓁蓁」
死体には事欠かないわ。
「之子于歸」
実はもう、見つけて来てあるの。
「宜其家人」
健康的な少女
「桃之夭夭」
毒で殺されたみたいだから
「其葉蓁蓁」
体も綺麗
「之子于歸」
ねぇ、芳香、もし―
「宜其家人」
もしもあなたが成長出来てたなら、あんな風になってたんじゃないかな。
「ついたわ」
数年前に芳香を蘇らせた部屋。
始まって、そして終わる。
「ここに寝なさい」
「はい」
そう言って仰向けになる芳香。
「それじゃあ、お別れね」
「はい……お別れ…です」
敬語まで使えるようになった芳香。
「我勅令終」
力を込め札をはがす。
彼女に流れていた力の供給が止まり、後は彼女の中にある力が尽きて終わり。
「じゃあね、芳香」
私は立ち上がって部屋を出る。
その瞬間―
「桃之……夭…夭」
あの歌が聞こえた。
「灼…灼其…華」
「……之子于…歸」
私があの娘に歌った歌。
「宜…其……室家」
「桃之……夭…夭」
いつ覚えたのかは知らない。
「有…奮…其實」
「之……子于…歸」
でも、たどたどしい中でもちゃんと歌えていた。
「宜…其…家室」
「桃之……夭…夭」
最後の時間を使って
「…其……葉…蓁蓁」
「之子于……歸」
か細い声が部屋から聞こえる。
私は振り向く事はせずに扉を閉めた。
最後に―
「宜此家人」
そう彼女は言った。
其(そ)の家ではなく此(こ)の家に私はふさわしかったと。
其処だけは途切れることなく、しっかりと言った。
彼女はそうやって力尽きるまで、歌い続けた。
歌声が途切れたのはその日の夜明け。
有り得ない想像をしてみる。
彼女はもっとここにいたかったのだろうか。
あの歌の意味は妄念だったのか、それとも…感謝だったのか。
有り得ない想像をしてみる。
そもそも死んだ生命が何かを残せるのか。
私は、その朝、新たな死体に術を掛けた。
―どうしたの、ご主人様
―…懐かしい夢を見てたのよ
―そう、いつもみたいに煩わしかった?
―そんなこともなかったわ
―珍しいこともあるんだね
―五月蠅いわね、さっさと次の材料とってきなさい。
―はいはい、ご主人様
そうやって芳香は部屋を出た。
秋の紅葉が明々と輝いている。
「之子于歸」
そう呟いた彼女は若干窮屈な服を着て、目的の部屋に向かっていく。
「宜此家人」
そう歌いながら笑う彼女の顔は満足気で、昔死んだ誰かに、少しだけ似ていた。
感想頂けたら幸いです。