シルバーアッシュの屋敷から逃げるように離れた後、カイナは自宅に戻らずに市街地を目指していた。その目的は、義手の制作者を訪ねるため。迷路のように入り組んだ路地裏を迷うことなく進み、その突き当たりにあった
扉の先の作業場で赤熱する鋼を打ち錬成していく老人は、一瞥すらせずにカイナへと声を掛けた。
「何をしにきた、中途半端め」
「アンタの実験台に成りに」
「……ほう、遂にイカレたか?」
「いいや、もう
鋼の鍛造を止めて炉へ突っ込み、カイナへと向き直る老人。その罵倒を、カイは苦笑して肩をすくめる事で返事をする。鉱石病の進行により自身の腕を切り落としたカイナに破格の性能の義手を与えた
「薬品による再生力の一時的向上、それによる両腕の再生。聞いたときはアホかと思ったけど、今のコイツじゃどうにも違和感が、な」
「ふむ……やはり、
「下手な再生力さえなけりゃコッチの方が良かったのかもしれんけどな」
それは、
会話をしながらクレバスは金庫の扉を開けて薬品の入ったアンプルを取り出し、注射器を準備し始める。
「“復活”するだけなら幾らでもできたが、それだけではただの肉塊だ。真に“再生”させるには、極東の一族の血が必要だった」
「そこに俺という最適の被験者が現れたってか……どのぐらいかかる」
「最短でおよそ三日、長くて一週間といったところか」
「この体でそれか、随分しんどいな」
彼のアーツである高周波振動の反動で発生する
仕事で散々撃退してきた連中から追っ手がかかる可能性を考えれば、今すぐにでも国を出た方が良いのだろう。だが、イェラグを出てから誰に義手のメンテナンスをしてもらうのかという事を考えれば、自力で修復できる生身の方がリスクは少ない。
「分かった、やってくれ」
「良いのか?」
「言ったろ、貰えるもんは全部貰うって」
適当に返事を返し、奥の部屋の施術台へ寝そべる。準備が終わると同時にクレバスから義手を取り外され、麻酔を掛けられたことで眠りに落ちた。
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「…………それって、もしかしてロドスやレユニオンに置いてきた恋人とか?」
「有り得るわね。あれだけ目を掛けられて靡かないないなんて操を立てている以外に考えづらいわ」
「―――――――――――許せない」
衝動が爆発する。想いに火が灯り、業火から溶岩へと変異していく。
叶わぬ想い? すれ違い?
「
此処まで抑えてきたが、ああもう限界だ。
導火線に灯った炎が連鎖的に爆発を起こし、独占欲を加速させていく。爆発し、炸裂し、心の中で想いが火山の噴火のように溢れていく。
「カイナ、カイナ、カイナ、カイナ、カイナ―――――――」
貴方が好きなの。貴方を誰にも渡したくないの。貴方が私から離れていくのに耐えられないの。
兄の時はその選択に失望し、諦めた。だが、今度は諦められない。貴方が自分の意思で私の元から離れて、手の届かないどこか遠くへ行ってしまうなんて、ああ、ああ、嗚呼――――――――
「そんなもの認めない、許さない」
傍に居てなんて言わない。今までみたいに一緒に居させて欲しいだけ。誰の許可を得て、なんて高圧的な物言いはきっと嫌われてしまうだろうし、自分でも言いたくない。けれど、どうやっても貴方が離れてしまうのなら、そうなる、くらいなら。
浅ましいだろうか。先代の巫女達は私を嘲り詰るだろうか。我らが神は見限るだろうか。でもごめんなさい、これだけは譲りたくないの。この煮え滾るような熱だけは、他の何にも譲らない。
他者からすればどれだけ薄い繋がりであったとしても、私にとっては大切な人だから。それにもう――――――
「渡さない、離れさせない…………カイナは、私のだ」
――――――この感情は、もう
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「…………さて、どうしたものか」
思案する。己が主の決断を止めるべきか。
カイナ――――彼の、
「申し訳ありません、カイナ。私は、何時でもあの御方の側と誓っていますので」
本当は彼を援護してあげたいという気持ちもある。無事に脱出して、そしてどこかで生きていてくれと願いたい。だが、自分にも立場や守るべき心情があるから、貴方の味方は出来ないとクーリエは内心で深く謝罪した。
愛用のサーベルの手入れが終わり、それを再び腰のベルトで吊る。すると、タイミング良く扉が叩かれマッターホルンが入室してきた。その手にはいつも使っている盾と片手剣があり、彼も既に準備が出来ていることが伺える。
だが、反面その表情は苦虫を噛み潰したようなものだった。どうしてこうなったのかと彼は今も深く煩悶している。
「準備は出来ましたか」
「……ええ、何時でも」
互いに準備の有無を確認し、万全であると認識してから己が主の元へと向かった。
マッターホルンとクーリエ、彼等がその胸に秘める決意と覚悟は、総じてシルバーアッシュのためのもの。例えどれだけ親しくなった者だとしても、
――――――運命は、
歯車に紛れ込んだ砂粒一つ。しかし、それが正史から外れる要因となった以上、彼を『脇役』のまま終わらせてはくれない。
どこまでも、執拗に、苦難や試練という形で襲い来る。
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「…………」
心停止するのではないかという程の圧力と殺気でカイナは目を覚ました。
時刻は夜中、時計は見えず月明りも差し込まないために視界は一面真っ黒に塗りつぶされている。久しく感じていなかった生身の両腕の感覚は、これまで義手だったために機能していなかった分の遅れを取り戻さんとするかのように鋭敏に空気の流れを感じ取っていた。試しに力を込めてみれば、自身の象徴たる高周波振動のアーツは問題なく起動、脚のポーチに入れていた大型ナイフがガチガチと震えて音を立てていた。
「クレバスの爺さんは、どこに………」
家主であるクレバスが居ない。嫌な予感がして、同時に何か違和感のある反響を感じて、鍛造用の炉へ向かう。何日経過しているのかは分からないが、炉は中まで冷え切っていて、そしてそれはクレバスが数日仕事をしていないことを意味していて――――――
「…………っ」
灰の中に、棒状の異物が幾つも転がっていて、全てを察してしまった。
いやに滑らかで手触りが良く、そして両端が盛り上がっていて棍棒に丁度いい。奥の方にはカーブしたものから籠状のものまで転がっていて、そしてその
「ああ、最悪だ」
こうなってしまえば、もう案ずるも何もあったものではない。今すぐ逃げなければと頭が警鐘を鳴らし続けていて、衣服を着直してズボンのポケットに入っていたグローブを着けて、なるべく音を立てないように床に手で触れた。
アーツを起動、蝙蝠のように反響音を利用して外の様子を探るが、それらしい反応は無い。もしや誰も居ないのか、いや、音の射程外で陣取っているのではと様々な憶測が頭を過るが、しかしこの現状、動かなければ手詰まり。
「クソ、行くしかない」
意を決して扉のノブに手を掛け、慎重に開いて―――――そこにあったワイヤーに、怖気が走った。開いた瞬間殺すと言わんばかりに扉とその枠を繋ぐその鋼線は、そのまま顔の扉枠の爆弾に直結されていた。
アーツを起動、ナイフに高周波振動を付与。起爆しないように慎重に切断し、一気に開いて…………
「しま―――――」
足元のワイヤーに気付かず、起爆させてしまった。いつもこうだ、詰めが甘い。
即座に靴裏へ振動を付与、衝撃波へと転じて身体を捻ることで爆風の直撃から逃れ、そしてゴロゴロと無様に転がった。
全身打撲で痛くてたまらないが、この程度なら身体の側が勝手に直してくれる。問題なのは、今のミスで轟音を立ててしまったという事。この起爆を合図に下手人は真っ直ぐ此方へ向かってくるだろう。
「ぎ……っく、そ!」
無様に立ち上がって、そのままもう一度、今度は靴を媒介に地面へと振動をエンチャント、起爆剤にして加速する。そのまま路地の壁へと激突するその瞬間、壁を蹴って
屋上へと着地、そしてそのまま疾走。足元に振動の地雷をセットしてコンクリートを激発させることでブースター代わりにしながら駆け抜ける。屋根から屋根、ビルからビルへ、屋上から壁面へ。縦横無尽に、かつ地上にいるであろう敵の目を避けるように最高速で移動していく。
着地の際に両手足を使うものの、多少軋む以外に問題はない。試す時間こそなかったものの、再生した腕は問題なく機能しており、また殺しきれなかった衝撃で損傷する筋肉も端から治癒が始まり、1秒に満たない滞空時間の間に再生は完了する。
技巧が鈍っていればこの治癒にも遅れが生じ、そして最終的に足を砕く羽目になる。一度経験して痛いほどに思い知って、そして死ぬ気で訓練した移動技術は今も健在だった。しかし一方で自分の血に流れる治癒能力が存在していなければ、今頃自分は半身不随で野垂れ死んでいたのだろう。
だから驕らない、誇らない。ロドスの面々はこれを治癒能力抜きでやってのけたのだから、それと比べれば未熟も未熟と気を引き締める。常に下方の地上と前後左右を確認しつつ、音響に反応がある度に即座にルート変更を行って都市の外を目指す。
そして居住区を抜け、雪原を足を取られないように疾走し、あと少しで国境、という所で。
「…………っが!?」
―――――肺まで凍りそうな銀世界の中、更に底冷えするような銀色の殺意が影と共に襲来した。考えてみれば当たり前だ。あんな惨状が起きていたのに無事に逃げ切れる訳が無かったのだから。
間一髪回避できたのは正しく偶然。
次いで襲来する黒い影。その手には盾があり、それを構えたまま、まるで雄牛のように突っ込んでくるが、その本命は盾の影になった片手剣と
「くっ、そ、がァ!」
絶大な衝撃を伴う刺突をナイフでどうにか受け流し、運動エネルギーを回転に変じて死角から迫った銀閃を弾き飛ばす。
刹那、飛来するのは
もう此処まで来てしまえば、敵手の正体など見ずとも分かってしまう。
「嘘だろオイ、何でだよ、最悪じゃねぇか……!!」
此方へ刃を向ける三人―――――クーリエ、マッターホルン、シルバーアッシュ。同時に、後方からも気配が襲い掛かる。身体を無理矢理動かして回避すれば、先程まで立っていた場所に咲き誇る氷の花。もしも避けていなければあの中に閉じ込められて砕かれていただろうと考えて怖気が走る。そして、こんなことが出来る奴は自分は一人しか知らない。
「プラマ、ニクス…………!」
「……」
見た事も無いほど凍り付いた表情は、何よりも雄弁に“逃がさない”と告げていて。苛立ちに任せて拒絶を叩き付けたことを今更になって後悔する。
その動きに最大限警戒しながら後方へ目を向ければ、得物を持った三人もまた、無機質な殺意を此方へと突き刺している。その中で、シルバーアッシュが口を開く。
「カイナ、お前には
「な――――――」
「知人として傷つけるのは憚られる。投降するのなら武器を捨てて手を挙げろ。これはカランドの巫女殿からの直々の命であると心得よ」
身に覚えなんてある訳が無い。放たれた言葉が示すのは唯一つ、
要は契約破棄を契機にして適当な理由を付けて捕縛し、イェラグで飼い殺すという意思表示だ。やけにあっさり解放してくれたと思ったら、此処まで仕込んでいやがったのかと歯噛みする。どうして気付けなかった、どうしてあの時疑問に思わなかったのだと過去の自分に向けて無数の罵倒を投げつける。
そして、逡巡しているうちに時間切れ。此処から逃れるにはもう戦って出し抜くしかない。逃げの一手が通じるほど相手は甘くないが、しかし負ければどんな扱いを受けるか分からない。もう契約という庇護の無い異邦の犯罪者にどんな罰が下されるのかなんて考えたくもない。
生きたい、嫌だ、勘弁してくれと泣き言を吐きたくなるのを堪えて四肢に力を込める。ただ勝つだけでは駄目だ。仮にシルバーアッシュとプラマニクスのどちらか一人でも再起不能にしてしまったら、それだけでイェラグという国はひっくり返りかねない。だからといって手加減して勝てるなんて妄言を吐くほど頭は逝っていない。
勝率は最悪、勝っても取り分はゼロ。しかし負けても降りても手持ちのチップは全損の最悪なレートの中、必死の思いで戦意を固めた。
カイナ
装備:大型ナイフ
アーツ:高周波振動の付与・操作
状態:両腕は再生、しかし体表にまばらに結晶が発生中。
シルバーアッシュ「お前みたいな有能逃がすわけないやろ、気づけよ」
プラマニクス「他の女の所へ行くんでしょ? 逃 が さ な い」
クーリエ「主人がこう言ってるんや、すまんな」
マッターホルン「俺が仕えてるのは主人だから、すまんな」
次回、主人公は死ぬ
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