黄国王宮、その広い敷地にある、とある庭園。
秋の傾きかけた日差しが、色付きかけた庭園の草木に穏やかな輝きを与える中……
……その庭園の中央には、穏やかな空気をたちどころにして張り詰めさせるような、危険な輝きをたたえて佇む、二人の影があった。
一人は小柄な、まだ十代の半ばぐらいでしかない歳頃の少年。
いま一人は、二十半ばか、三十手前ほどの長身の青年。
この二人は、互いに長剣を両手に構え、およそ2~3mほどの距離を置いて向かい合っていた。
彼らの持つ剣は、真剣である。
刀身の長さおよそ1m。
幅はたったの4~5cmほどしかない細身の剣だが、その刃は片側にのみ存在しており、反対側は分厚く平になっている。
突きよりも、斬ることを目的として拵えられた剣だった。
おおよそ細身の長剣というのは突きに特化したものが主流で、斬るといえば刀身の幅を広くして重量を増した大剣が普通である。
だがこの剣は細身の長剣の長所である取り扱いの良さと、大剣の長所である攻撃範囲の広さと攻撃力の強さを兼ね備えた剣だった。
しかも軽量化によって減少した斬撃の威力を増すために、柄を長くして両手で扱えるようにしている。
ゆえに、この長剣は細身の長剣のように素早く、大剣のように鎧ごと相手を倒すことのできる、恐ろしい武器だった。
その恐ろしい武器を構える少年。
名は、レン。
若干十四歳にして黄の国の頂点に立つ、若き国王である。
秋の日差しに輝く金髪。
晴れ渡った蒼穹のごとき碧眼。
白く透けるような肌。
優雅と気品を備えたその顔立ち。
どこをとっても、王族として人の上に立つために生まれたような容貌の美少年だった。
その美少年が、自分が手にしているのと同じ武器を持った相手を真正面に見据えながら、張り詰めたように息を殺していた。
その目の中には、こちらへ向けられたまま微動だにしない相手の切っ先が、危険な輝きを発しながら映りこんでいる。
真剣勝負の恐ろしさは、剣が動けばどちらかが死ぬという、確信的な予感の中にある。
レンは、常々剣術の師が語っていた言葉を、今また改めて噛み締めていた。
模造刀や木剣を使った稽古なら、怪我はすれど死ぬことは滅多にない。双方、その確信があるからこそ、稽古では思いっきり大胆に踏み込んでいけるのだ。
だが真剣は違う。
間違って死ぬどころか、確実に殺すためにその刃は振られるのだ。
その当然でいて、全く別次元の道理が、相対するものを恐怖で支配する。
その恐怖にどう打ち克つか。これが真剣勝負の極意である。
そうレンに教えた剣の師は、あろうことか今、そのレンの目の前にいる。
レンと対峙する長身の青年、その名はガクポ。
背中の中ほどまで伸ばした紫の長髪を無造作に後ろで束ねたその出で立ちは一見柔らかな印象の優男である。
しかしその手にあるのは人の命を容易く断ち切る刃である。
であるにもかかわらず、ガクポのその面長の顔立ちには真剣手に対峙しているという緊張も恐怖も現れておらず、まるで感情そのものが抜け落ちたかのような無表情を保っていた。
呼吸さえも眠っているかのように深く穏やかで、その体躯は長身であるが決して大柄ではないのに、雰囲気はまるで山のごとく恐ろしく巨大であった。
一見鷹揚と構えているように見えるが、まるで隙が無い。
レンはただ対峙するだけで、気力体力を激しく消耗させられた。
(これが……命懸けということか)
レンは剣を構えているのもやっとという重圧の中、それでも腹の底から愉悦を感じていた。
生まれながらの君主として生きてきた短い人生の中で、この剣術を遣っている時のみが、彼がただ一個の生身の人間であると実感させてくれる貴重な瞬間だった。
秋の日差しに白刃がひらめいて、上段の構えになった。レンである。
ガクポは正面に構えたまま、視線さえも動かさない。
いや、そもそも切れ長の瞳はいつも以上に細められていて、正面に立つレンでさえ彼の視線を捉えることができない。
レンは剣を頭上に振り上げたまま、またぴくりとも動かなくなった。
そのまま、やや時が過ぎ。
二人のいる庭園に、王宮の鐘楼の鐘の音が届いた。
ひとつ、
ふたつ、
みっつ。
午後三時を告げるひとつめの鐘の音が鳴った瞬間、両者同時に鋭い奇声を発して、身体ごとぶつかるようにダッと躍り込んだ。
白刃が空中に交叉して、ふたつめの鐘が鳴る。
みっつめの鐘の音が鳴り終わったとき、
「それまで」
ガクポが低く厳しい声で告げた。
対するレンは剣を振り下ろした姿勢のまま硬直していた。
大上段から気迫の全てを込めた放った一撃は、ガクポがわずかに引き上げた剣先によってたやすく軌道を変えられ、彼の腕を軽く掠めたに留まった。
対してガクポの剣は、レンの右脇腹にピタと吸い付くように押し当てられ、そこで止まっていた。
「僕の、負けか」
レンはようやくそれだけ声を搾り出すと、大きく深呼吸して身体の力を抜いた。
全身に冷たい汗が流れていた。
「紙一重にございます。腕一本は覚悟いたしました」
ガクポが剣を鞘に収めながら、平然と言った。
しかし、その右腕は袖が切り裂かれ、血が流れ落ちていた。
「済まなかった、ガクポ。寸止めが間に合わなかった」
「いいえ、あの一撃を、こうまで上手く扱えるならば充分でございましょう。もはや私が教えることはもうございません」
「嬉しい言葉だが、寂しくもあるな」
「それは、私もです」
少年王と、その剣の師は互いに顔を見合わせ、笑った。
「前々から決まっていた事とは言え、お前がこの王宮から去ってしまうのは惜しいな。もう少し剣を交えたかった」
「ミク様とのご婚姻を果たされた折には、また御側でお仕えできましょう。次の勝負は、またその時に」
「そうだな」
ガクポは元々、黄の国の剣士ではない。特定の主を持たず、諸国を渡り歩く傭兵だった。
傭兵といえどその種類はピンからキリまである。
戦争が起きるたびに人数合わせで掻き集められる素人や野盗同然のような連中から、正規の訓練を受けて組織だった戦力を持つ傭兵団。
そして己の腕一本で戦場を切り抜ける一匹狼。
なかでもこの一匹狼のような傭兵は、生業として戦場を求めるのではなく、ただひたすら剣を極めるためにその道を選んだ者が多かった。
ゆえにその振る舞いは騎士道にも通じ、傭兵でありながら彼らだけは世間からの尊敬を勝ち得ていた。
その一匹狼の中でも、ひときわ剣名高かったのが、このガクポだった。
ガクポは、レンが王位についた二年前から黄の国に剣術指南役として雇われていた。
当時、諸国を収める領主の間では、名高い剣士を側に仕えさせるのが一種の流行だった。
その風潮にあってガクポは特に人気で、この黄の国に来る以前からも数カ国で仕えた経歴を持っていた。
もっとも、その経歴の中で拝命した職といえば、大概が護衛官であり、しかしその実態は彼を雇った有力者たちのアクセサリーの一つに過ぎなかった。
貴族たちの華やかな宴席に主人に付き添っては、そこでこれみよがしに見せびらかされ、虚しく飾り立てた冒険譚を面白おかしく吹聴する羽目になるのがその主な役目だった。
人並みの世渡りができるほどのガクポだったが、生来が実直な性格でもある。
一匹狼の求道者などという道を自ら選んだ彼であるから、このような生活に嫌気がさすのも時間の問題だった。
だから彼は、人に雇われるのは常に一年と決めていた。
一年が経ち、男一人しばらくは食っていけるだけの収入を得ると、彼はまたぶらりと放浪の旅に出かけ、武者修行に精を出す。
路銀が尽きる頃になると、また一年の契約でどこぞに雇われるということを繰り返していた。
ずいぶん勝手気ままな士官の仕方のように思えるが、元々ガクポに限らず一匹狼の傭兵はみな似たようなものだった。
当然、それを雇う方もそのあたりは承知の上で有り、ガクポ以外の傭兵もその契約はだいたい長くても二~三年というのが当時の常識だった。
レンが即位した日に、新国王に一種の泊をつけるためにガクポに士官の誘いが来たのは、彼にとってはいつもの事であったし、当然、少年王のそばに人形のように一年ほどかしこまっていたら、すぐにとっとと辞退しようと、ガクポは考えていた。
そんなガクポが気がつけば自分のルールを翻して二年もこの国に留まっている。
その理由は、少年王・レンを思いのほか気に入ったからであった。
レンは、ガクポを単なる護衛官としてではなく、自らの剣の師として側に置いた。
いままで貴人の剣術師範として雇われたことが無い訳ではなかった。だがそのいずれもが、趣味や余興の域を出なかった。
けれど、レンは違った。
生まれながらの王族でありながら、レンは本気で剣の稽古に励んだ。
レンには剣才があった。
しかし、何よりも剣に対して誠実に向き合うその姿勢に、ガクポは惹かれ、この少年王に心底惚れ込んだ。
(いずれ歴史に名を残す名高い王となるに違いない)
ガクポは、剣とともに人間的にも成長していくレンの姿を見てそんな確信を抱き、そして彼に仕えることに誇りを抱いた。
(このまま、この国に骨を埋めるのもいい)
そうまで思い始めた矢先、ガクポは剣術指南役の任を解かれることとなった。
理由は、レンの婚約である。
黄の国の隣国である、緑の国の第一公女と、レンの婚姻が決まったのだ。
かねてより親交のある両国であり、両家の間に姻戚関係が結ばれるのは当然の成り行きだった。
婚姻に合わせ、両国のあいだで多くの祝いの品々がやり取りされた。
その祝いの品々の中に、ガクポの移籍が含まれていたのである。
未来の夫から花嫁へ、その身を守るために凄腕の剣士を護衛に付ける。
ガクポにとっては、またつまらぬ飾り物の日々が始まるのだが、惚れ込んだ君主からの頼みでもあるし、それに結婚してしまえばまたレンに仕えるのと同じことなのだから、彼はその辞令を二つ返事で引き受けた。
そして今日が、ガクポがレンの下を辞し、隣国へと旅立つ日であった。
「ガクポ、今夜の舞踏会には出席するのだろう?」
「はい」
レンの問いに、ガクポは頷く。
今夜、隣国の公女・ミクを招待した舞踏会が催される予定だった。
ガクポは舞踏会終了後、そのまま公女一行に従って緑の国へと赴くことになっている。
「出立の準備もありますので、ミク様へのお目通りと従者の方々への挨拶が済みましたならば、それで失礼したいと思っております」
「踊らないのか?」
「そちらは不得手にございます」
「そうか? あの時は、そうは見えなかったがな」
「あの時?」
「数日前の晩、この辺でルカと踊っていただろう」
レンは口端を釣り上げつつ、可笑しそうに言った。
真剣勝負の場において揺らぎもしなかった凄腕剣士の顔が、みるみると紅潮した。
「み、みみ、見ていらしたのですか!?」
「名高い剣士の割に、動揺しすぎだな」
「あ、あれはですね……」
「まぁ、あれだけ月の綺麗な晩だったんだ。しばしの別れを惜しむ恋人同士、気持ちが昂るのも当然か」
「こ、恋人などと、わ、私とルカ殿はそんな大それた関係では」
「お~い、ルカ」
レンは鞘に収めた剣を小脇に挟み、軽く手を叩きながらメイドの名を呼んだ。
庭園の背の高い植え込みの影から、清潔なタオルとお湯の入ったボオル、そしてお茶とお菓子を乗せた銀の台車を押しながら、メイド服に身を包んだ若く美しい女性が現れた。
国王付メイドの一人、ルカだった。
彼女は剣の稽古の邪魔にならないよう、離れた場所で控えていたため、今の二人の会話は聞こえていなかった。
まさか自分が話題に上っていたなどとは露知らず、レンとガクポの二人に汗を拭くためのタオルを手渡そうとした。
「あっ、ガクポ様。腕に血が……!?」
ルカが血相を変えて、ガクポの腕に取りすがった。
「あ、いや、ルカ殿、カスリ傷にござれば、心配無用」
「しかし、まだ傷口から血が滲んでおります!」
「あ~、ルカ。悪い、その傷をつけたのは僕だ」
自分で汗を吹きながら苦笑して謝るレンに、ルカが厳しい表情で振り向いた。
「陛下、大切な家臣をその手で傷つけるとは何事ですか。だから真剣勝負など私は反対したのです!」
たかが一介のメイドとは思えぬその物言いに、しかし少年王は苦笑を続けながら「ごめん、ごめん」と軽く謝り続けた。
むしろガクポの方が、恐縮していた。
「へ、陛下。そのように謝ることなどありませぬ。この傷は陛下の練達の証。むしろ誇りに思うております!」
「何が誇りですか。早く手当しないと化膿してしまいます。さ、こちらへ」
「る、ルカ殿……あ、痛い痛い」
傷ついた腕を引かれ、ガクポは台車のそばまで連れてこられた。ルカに腕を拘束され、濡れタオルで傷口を洗われる。
このメイドの、どうみても国王に対するよりも甲斐甲斐しいその介護の様子を、当の国王であるレンはニヤニヤと笑いながら眺めていた。
「ガクポ、傷の手当は確かに大事だ。舞踏会もあるし今日はもう退け。……ルカ、ガクポの手当を頼む」
「はい、陛下」と、ルカ。
「ついでに押し倒してもいいぞ」
「はい、陛下――って、いえいえいえ!?」
思わず頷いてしまったルカは、力いっぱい首を横に振った。思わずガクポの腕に添えた手にも力が入る。
「っ!!!???」
ガクポは傷口を襲う激痛に悶絶しながらも、悲鳴を必死にかみ殺す。
しかしルカはそれにも気づかず、
「へへへ陛下、突然何を仰るのですかっ!?」
「ガクポと過ごす最後の夜だから、気を遣ったんだ」
「そんな下世話な遣い方は結構ですっ!」
「そうか……じゃあ、お前も今日の仕事は終わりだ。あとはガクポのそばにいて色々と手伝ってやれ」
「そういう言い方なら、まぁ――って、ダメですよ。陛下の舞踏会の支度もなさらないといけませんですし」
「いいえ、それなら心配には及びませんよ」
しぶるルカに対し、その背後から別の声がそう告げた。
ルカがやってきたのと同じ方向から、また別のメイドが姿を現した。
「陛下のお支度なら、私一人でも充分に間に合います」
「リン様……」
ルカが困ったような顔をしたが、リンと呼ばれたメイドはニッコリと笑って、
「陛下のお言葉を受け、メイド長である私が許可すると言っているのです。従ってくださいますね」
そこまで言われてはルカも頷くしかなかった。
「よろしい」
と、頷くレン。
「では、せっかくお茶を用意してくれたのに悪いが、僕たちはもう部屋に戻るよ。ルカ、くれぐれもガクポをよろしく頼む……リン」
「はい」
レンはメイド長と連れ立って、王宮へと戻っていく。
やれやれといった風情で二人の後ろ姿を見送っていたルカだったが、不意に、レンが立ち止まって振り返った。
「舞踏会まで時間あるから、一発ぐらいはやれると思うんだが」
「陛下っ!」
添えていた手にまた力が入り、ガクポがついに堪え切れず悲鳴を上げて飛びあがった。
慌てて彼の介抱をするルカの様子に笑みを浮かべながら、レンは、リンと一緒に自分の部屋へと向かった。
二人、並んで歩くその姿は、とてもよく似ていた。
服装こそ違うものの、その年格好、背丈、そしてなによりその顔立ち。
その全てが、非常に似通っていた。
きっと、服装を変えれば、そのまま誰も気づかないのではないのか。そう、思わされるほどだ。
それも当然。
国王であるレンと、そのメイドであるリンは、双子だった。
双子の姉弟だった。
今から十四年前の冬。
当時の王女が、男女の双子を産んだのがすべての始まりだった。
赤子や子供の死亡率がまだ高かった時代のことである。王族などの世襲制の世界においては、世継ぎを確実に確保するために子供は複数いたほうがいいのは当然であった。
しかし、それは同時に世継ぎ争いという危険と背中合わせでもあった。
世継ぎ争いは、大概が国を二分する権力闘争に発展する。最悪の場合は内戦すら引き起こしかねない問題だ。
そうならないために長子もしくは末子相続などの生まれの順番で継承者を定めるルールが各文化で定められていた。
しかし双子となると話しは複雑になる。それも第一子で双子が生まれた時などは、どちらを第一継承者にするかだけでも大きな問題であった。
それを回避するために、生まれてすぐに人知れず消された双子の片割れは、歴史の裏に数多くいた。
その点、この双子は男女であっただけ幸運であった。
双子はどちらも消されずに済み、第一継承者は家臣団内で多少のいざこざはあったものの、最終的には当時の王の意向により息子であるレンに、第二継承者は娘であるリンに決定した。
双子は姉弟仲良く、すくすくと育った。
しかし数年後、状況が変わった。
当時の国王が急死したためである。
まだ幼年であったレンに代わり、その母である王女が、女王として即位した。
問題はここから起きた。
もともと黄の国では男系優位が確立しておらず、歴代の王には女王も数多く存在していた。
このような歴史背景に加え、当時の大臣同士の権力争いが、国王の死をきっかけに一気に加熱し、レンとリンの継承者争いを再び蒸し返してしまったのだ。
権力闘争に世継ぎ争いが利用された形だった。
女王は、大切な子供たちが政治闘争の具に使われてしまうことにひどく心を痛めた。
そして女王は、悩んだその果てに事態を解決するための非常手段に打って出た。
リンの臣籍降下である。
リンを王位継承者から除外し、さらに王族からも外す。いわば勘当だった。これによって世継ぎ争いの原因そのものをなくそうとしたのだ。
すべては女王の一存で、強引に勧められた。
臣籍降下にリンが選ばれたのも、レンを第一継承者に選んだ亡き先王の意思を尊重してのことであり、大臣たちの権力争いの内実を考慮してのことではなかった。
リンは新たに領地と屋敷を得て、いち貴族となって王宮から出て行った。
これによって、リン派についていた大臣や有力貴族たちは権力闘争の旗印を失い、没落し、重要な役職から左遷させられた他、国内でも辺鄙な領地へと追いやられた。
黄の国に、一時的に平穏が戻った。
しかし、この処置は後に大きなしこりを残すことになった。
幼いレンは、大好きな姉と別れさせられたことでひどく傷つけられたし、女王は双子を引き離さなければならなかったことに深い悲しみを抱いた。
しかし、それ以上に統治上の面で大きな問題を残してしまっていた。
レン派についていた大臣たちや有力貴族は、この処置によって一方的な勝利を得て、国内での影響力を大きなものとした。
そして敗れたリン派の貴族や役人たちは、その直接的な原因である女王に対し不満を大きくし、左遷させられた役職や、追いやられた領地で、度々サボタージュやボイコットなどの抵抗を見せるようになった。
国内の政治的対立と混乱は一層根深く、深刻なものとなった。
国家の中心としてまとまっていた議会はいつしか貴族の有力派閥に牛耳られるようになり、国王の権力は形骸化し始めた。
そして、その影響やしわ寄せを一心に受けてしまったのが、民衆だった。
行政は法律通りに執行されなくなり、役所の管轄や、国の各地ごとで食い違いを見せた。
各地を領主として治める貴族たちが自分の懐を温めるために、税を二重三重に課したり、勝手に新たな税を設けることさえする始末だった。
民衆の暮らしぶりは、悪化していった。
国内の一時的な平穏の下で、日に日に民衆の不満が高まりつつあった。
女王もそのことには気づいていたのだろう。これが、自分の下した処置の結果であることも。
女王は深い心痛で体調を崩し、即位から数年と経たぬうちに、崩御した。
レンは、母の葬儀を行ったその日に、国王として即位した。
十二歳であった。
幼くして両親を失い、姉と生き別れになった少年は、即位してすぐに、その姉を王宮に呼び戻すよう命令した。
孤独な少年の、家族恋しさ故の要求だったが、いちど臣籍降下した姉を再び王族に戻すことは、なかなか困難な話だった。
だが、レンが国王に即位した今、王族には世継ぎがひとりもいない状態になっていた。
本来ならばリンが王族に戻ればそれで済む話なのだが、しかし、かつての権力争いでリン派についていた勢力が、没落して追いやられたとは言え、未だに国内に存在していることが問題となっていた。
不用意に王族に復帰させれば、また権力争いが再燃するかもしれない。
かといって王位継承者がひとりもいないという事態は避けなければならない。
様々な議論が尽くされた末に、リンは臣籍のまま王宮に戻ることになった。
王族ではないので役職を持った貴族の一人として国王のそばに仕えるのだ。
レンにとっては、とにもかくにもリンとまた暮らすことができるし、大臣たちにとってもリンを王宮に囲い込むことでかつての敵対勢力との接触を絶つことができる。
その上で、いざという時には彼女を再び王族に復帰させ、王位を継がせればいい。
そんな思惑の元、リンは、レンの隣に帰ってきた。
与えられた役職は、国王付きメイドの監督官。つまり、メイド長だった。
そして、それから二年の時が過ぎ……
レンは、王宮内の、国王の私室に戻ってきた。
レンは部屋の隅に剣を片付けると、後から部屋に入ってきたリンに振り向いた。
「なぁ、リン。あれで良かったのか? ガクポもルカも、なんか迷惑そうだったけど、もしかしたら余計なことだったんじゃないか」
「そんなことないわよ。二人とも照れてただけ」
「本当に二人が踊っていたところを見たのか?」
「見たわよ。それに他のメイドたちのあいだでも、あの二人が付き合ってるってウワサなんだから」
二人の会話には、国王としての威厳も、それに仕える家臣としての恭しさも微塵もなかった。
二人は、国王とメイドとしての立場から、ただの双子の姉弟に戻っていた。
リンは部屋の扉の一つを開け、そこにズラリと並ぶ豪奢な服から、数着を引っ張り出して、部屋の隅にある広いベッドの上に並べた。
レンはベッドに腰掛け、ひらひらなフリルが大量に付けられた上着を手にとった。
「こういう服、苦手なんだよなぁ。動きづらくてたまらなくてさ」
「動きやすいのがお望みなら、裸の王様にでもなってみる?」
「それもいいな。ご婦人方が狂喜乱舞するだろう」
「もし本当にそんな真似したら、あんたを殺して私も死ぬ」
「冗談に決まってるだろ。だからそんな冷たい目で見るなよ」
興奮するじゃないないか。
そう言ったら、頭をはたかれた。
「はぁ、まったくもう。今日の舞踏会にはミク様も来られるっていうのに、もうちょっと緊張感を持ったらどうなの」
「緊張感といっても、相手はあの脱力系天然娘のミク姉だからなぁ」
「こら。仮にも一国の公女に向かって、なんて言い草するの」
「だって幼馴染で、しかも婚約者なんだぜ。いまさら遠慮するような仲じゃないだろ。それに僕は国王だ」
えっへん、と胸を張る。
「こう見えても偉いんだぞ。さぁ、跪け」
「跪かせたければ、まずは威厳を身につけなさい。威張るのはその後よ」
リンが舞踏会用の衣装をレンに押し付けた。
「げ、下にこれ履くのか」
「今夜の舞踏会は黄の国の伝統に従ってやるんだもの、当然よ」
「これほとんどレオタードじゃないか。股間がもっこりするから恥ずかしくて嫌なんだよ」
「普段から下ネタ連発してるくせに今更何言ってんのよ。王家の伝統衣装なんだから仕方ないでしょ」
「フリフリレースの上着に、もっこりレオタードが伝統だなんて、ご先祖は変態か……」
「血は争えないわね」
「他人事みたいに」
「私、もう王族じゃないもの」
「畜生、こんな国滅ぼしてやろうか」
「そんなことよりも、レン、ダンスは大丈夫? 緑の国での舞踏会の時みたいにミク様の足を踏んじゃダメよ」
「大丈夫、踊らなきゃ問題ない」
「問題大アリよ。なに下らないこと考えてるのよ。ちゃんと練習するって約束したじゃない」
「足さばきは毎日練習してる」
「剣術の足さばきばっかり練習したって意味ないのよ。あぁもう、あんたをかっさばいてやりたいわ」
リンは、レンのそばに歩み寄ると、ベッドに腰掛けていた彼の手を取って立ち上がらせた。
「なに? 僕、かっさばかられるの?」
「ばか、まだ時間に少し余裕があるから練習するの。……ほら、私の腰に手を回して」
「はいはい」
レンは言われたとおり、リンの細い腰に手を回して、その身体を引き寄せた。
レンの鼻腔を、リンの香りがくすぐる。
香水はつけていないはずなのに、どうしていつも良い香りがするのだろう。
レンは、この香りが好きだった。
「さぁ、基本ステップからおさらいするわよ。……アン、ドゥー、トロワ――痛っ!?」
「あ、ごめん」
香りに酔いしれてたら、リンの足を踏んでしまった。
「もう……でも、ミク様の足を踏むよりかはマシよ。ほら、続けるわよ」
二人は踊る。
国王と、顔の良く似たメイド。
双子の、姉弟。
これは、むかしむかしの物語。
後に、悪ノ王子と呼ばれることになる、悪逆非道の王国の頂点に君臨した少年と、その少年に仕えた少女の物語。