悪ノ王子――ボカロ(悪ノ娘)二次小説――   作:PlusⅨ

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第十話・レン、カイト~革命の予兆~

 レンが親衛隊を従えて王宮を出たのは、もう夜も明けようとしていた頃だった。

 

 本当なら知らせを受けた直後に飛び出して行きたかったものの、暴動があまりにも城下一体に広がりすぎたため、更に情報を収集する必要に迫られたためだ。

 

 城下の治安維持を担うはずの警備兵の指揮系統は、完全に失われていた。

 

 警備兵は法務大臣の直轄であり、実質、私兵といっても良かった。

 

 そもそも当時の軍隊の編成自体、貴族や各地方領主の私兵集団の集合体であるのが一般的である。

 

 その編成も一般民衆からの徴兵ではなく、大半が傭兵、もしくは軽犯罪により兵役を命じられた者たちであり、現代の我々がイメージする規律が維持された近代的な軍隊には程遠かったのが実情であった。

 

 このような軍隊において規律と統制、そして戦術を担当するのが“生まれながらの士官”を義務付けられた貴族階級の役割である。

 

 彼らは代々培われた私兵集団との契約関係と、戦術の知識、そして味方からもしも反乱されたときに身を守るための武芸をもってその任にあたっていた。

 

 いわば貴族階級とは本来は軍事の専門家でもあり、そのために特権階級として君臨していた訳だが、この時代の黄王国の貴族はすでにそのような役目を放棄していた。

 

 法務大臣の私兵である警備兵は、その権力を嵩に着た汚職と賄賂の巣窟であり、その恣意的な取り締まりは、当時、黄王国城下民の憎悪を一心に招いていた。

 

 この刑務所の火災に端を発した暴動――後に春暴動と呼ばれたこの事件は、警備兵に対する民衆の報復とも言えた。

 

 火災を起こした刑務所の周辺で、避難した受刑者の処遇をめぐって民衆とのあいだに生じた小競り合いが、ほとんど間を置かずして城下全域に広がったのは、このような理由によるものである。

 

 レンが暴動の知らせを受けたとき、民衆は既に城下中の警備兵の詰所を包囲していた。

 

 詰所の周囲の通りはバリケードによって封鎖され、その背後には小銃と剣で武装した民衆が詰所に銃口を向けていた。

 

 別の通りでは出撃した警備兵部隊と武装民衆が遭遇し、激しい銃撃戦が展開されるという事件も起きた。

 

 城下二十箇所の詰所のうち、二つの詰所でこうした遭遇戦が発生し、三つの詰所が包囲した民衆によって焼き討ちされた。

 

 残る詰所は外部との連絡手段を失って孤立した。

 

 火災現場に出動していた警備兵部隊(資料によれば五十名程度であったという)は、民衆との小競り合いを繰り返しながら城下中心部にある中央広場へと退却。

 

 その間に、市中に展開していた夜回り組も順次合流し、夜明け頃には二百名の大集団となって、最も近い詰所へと移動しようとしていた。

 

 中央広場は東西南北にいくつもの通りが放射状に伸びているほか、南北を大通りが貫通している。

 

 だがこの時既に民衆の手によって各通りはバリケードで封鎖された上、南北の大通りには続々と民衆が詰めかけ、この警備隊二百名の集団を中央広場に閉じ込めていた。

 

 この緊急事態に、法務大臣がとった策は、皆無であった。

 

 もとより指揮系統と情報経路が寸断されたことに加え、法務大臣自身が暴動の報に触れた際に、真っ先に城下街を脱出してしまったからである。

 

 法務大臣をはじめとする各大臣の館は、城下街の東西の川沿いにあり、また兵の駐屯地の近くでもあった。

 

 法務大臣はそこから護衛兵をかき集め、川をわたり郊外の別荘地へと逃げ去ったのだ。

 

 また、これを知った残る大臣も次々と城下を脱出。

 

 唯一この状況に対処しようとしていたのは、レン率いる国王親衛隊だけであった。

 

 もはや黄国は、国家としての体をなしていなかった。

 

 

 

 

 

「状況は最悪です」

 

 王宮内の親衛隊隊長室で、広げられた城下街の地図を前にして親衛隊副長・アルが緊迫した声で告げた。

 

「各詰所は完全に包囲され、警備兵の出撃は不可能。中央広場へとつながるクリプトン、インタネ、エーエイチエスの三つの主要大通りにも大型のバリケードが構築されているほか、周辺の路地もほとんど塞がれております」

 

「これでは刑務所に近づくことができないな……」

 

 レンは地図を見ながら言った。

 

「……火災はどうなっている?」

 

「消火の主体は民衆側に移りましたが、いまだ延焼中です」

 

「……リツの安否は?」

 

「不明です」

 

 アルの言葉に、レンは俯き、唇を噛み締めた。

 

 そうしないと怒りと不安で喚きだしてしまいそうだった。

 

 親衛隊は服役したリツを支援するために、警備兵や刑務所内に独自の情報網を敷いていた。

 

 この暴動により警備兵が孤立した状況で、それでも親衛隊が火災の様子から暴動の発生とその推移まで正確に把握できていたのは、この情報網によるところが大きかった。

 

 本来ならばこれは、緊急時にリツを救出するためのものだった。だが、大規模な火災と暴動によりそれは失敗に終わった。

 

 そして今の状況下では、彼の捜索よりも暴動の鎮圧に力を注がざるを得なかった。

 

 なお余談ではあるが、革命後にこの刑務所火災に関する記録がまとめらた。その際に公表された死者リストの中には“リツ”の名も含まれていた。

 

 この名が親衛隊員リツ本人であるかどうかはハッキリとしないが、この日の暴動からあの歴史的な革命にいたる一連の流れの中で、彼が親衛隊に帰還することがなかったのは事実である。

 

「報告!」

 

 隊長室にまた新たな斥候が帰還し、声を上げた。

 

「ルシフィニア街区にて警備兵第9小隊と、民衆が衝突。バリケードをはさんでの銃撃戦となっております。既に双方に死傷者多数!」

 

 その報告に、レンは目を剥いた。

 

「民衆が武装しているのか!?」

 

「おそらく、投降した警備隊詰所から武器を奪ったのでしょう」

 

 と、レオン。彼は部下から別の報告資料を受けとり、目を通した。

 

「どうやら、それだけでもないようです。革命勢力が銃弾薬を密造していたいう報告もあります。武装した民衆のほとんどはその革命勢力かもしれませぬ」

 

 そこにさらに新たな斥候が帰還し、中央広場に警備兵部隊二百名が包囲され孤立していることを告げた。

 

 レオンが言った。

 

「拙いですな。この二百名の大部隊と武装民衆が衝突すれば、大規模な市街戦となります。そうなればもう、歯止めがききません」

 

 その言葉にアルも眉をしかめた。

 

「広場への主要通りにはバリケード……我々が討って出れば、包囲している民衆との衝突は避けれないでしょう」

 

 この二人の意見に、レンは、

 

「だが、見殺しにはできん」

 

 そう、きっぱりと答えた。レンは言った。

 

「民衆に、これ以上警備兵を殺させるわけには行かない。警備兵もだ。民衆を殺してはならない。なんとしてでも、僕たちがこの間に立たなくてはならない」

 

「バリケードを避けて、広場に進出せよと?」

 

「そうだ」

 

「そうなると………ううむ」

 

 レオンとアルが腕を組みながら地図を眺める。

 

 その地図上に、レンが指をおろした。

 

「道はある」

 

「なんですと?」

 

「ここだ」

 

 レンの指は、王宮内を指していた。

 

「陛下、まさか秘密通路を!?」

 

「広場近くの廃屋に出口があったはずだ」

 

「あそこは今、封鎖しております」

 

「押し破ればいい。簡単なことだ」

 

「通路も狭く、小部隊しか移動できません」

 

「それでも構わん。いや、いっそ僕だけでも――」

 

「お一人で向かうおつもりですか!? 何をおっしゃいますか、陛下っ!!」

 

 レオンの怒鳴り声に、レンはハッと我に返った。

 

「……そうだな、流石に僕ひとりは無理だ。熱くなりすぎていたようだ。すまない、レオン」

 

「こちらこそ、無礼をいたしました」

 

 レオンは頭を下げると、すぐにアルに顔を向けた。

 

「アル、この通路を素早く進める人数は?」

 

「ざっと二十名」

 

「馬も入れてだ」

 

「ならば十名」

 

「七人集めろ。最も手練な者たちを七名だ」

 

「ハッ!」

 

 アルは敬礼すると、すぐさま隊長室を出て行った。

 

 レオンはそれを見送ると、再びレンに顔を向けた。

 

「陛下、私と、アルもお供いたします」

 

「いいのか、レオ?」

 

「畏れながら申し上げます。陛下にこそ我らが命、使い捨てる覚悟がおありでしょうや?」

 

「……っ!?」

 

「使い捨てなされ。でなければこの国、今日を持って滅びますぞ!」

 

 その言葉に、レンは腰に差した自らの剣をギュッと握り締めた。

 

 剣の師であるガクポから、命懸けの意味は教わったつもりでいた。

 

 しかし、レンが懸けるその命には、部下の命も含まれるのだ。

 

 己一つの命よりもなお重い覚悟を、レンはしなければならなかった。

 

「……わかった。お前たちの命を、僕に、くれ」

 

「喜んで」

 

 レオンが答えると同時に、アルが七名の親衛隊員を率いて戻ってきた。

 

「我ら、いつでも出撃可能にございます」

 

 報告を受け、レンは立ち上がった。

 

「民衆を、この国を救うために……征くぞ!」

 

 

 

 

 レンが僅かな手勢を率いて王宮内の秘密通路に進入した頃。

 

 リンとオリバーを人質としたカイトとハクが、その秘密通路から城下街へと脱出しようとしていた。

 

 通路の中央部を流れる水路の水は轟々と勢いを増していた。

 

 どうやら、外はひどい雨のようだった。

 

 時折、増水した水がその脇の通路にまで飛沫となってかかってくる。

 

「まったくこの街は混沌だな……」

 

 ハクが、通路の先に見えてきた出口である排水口を眺めながら言った。

 

「……街並みだけでなく地下まで迷宮同然とはね。あんたみたいな王様達の逃げ道のために随分と大層なものを作ったものだ」

 

「無駄な努力だと言いたいのですか?」

 

 ハクに銃剣を突きつけられたまま、リンがそう訊く。

 

 ハクは無表情のまま、こう答えた。

 

「国を捨てるような王様に、存在する意味なんかないさ」

 

「極論ですね」

 

「王様だろうと何だろうと、役目を捨てた奴はただの無価値な肉の塊だ。無意味にツマラない人生を過ごすくらいなら、死んだほうがマシさ」

 

 ハクはそう言うと、足を止め、背後を振り返った。

 

 今まで無表情だったその顔に、急に不敵な笑みが浮かぶ。

 

 彼女の視線の先には、遅れて後をついてくる、二人の男の姿があった。

 

 カイトと、オリバーだった。

 

 カイトはオリバーに支えられながら、おぼつかない足取りで歩いていた。

 

 その脇腹に押し当てられたハンカチは血の赤を通り越してもはやどす黒く染まっており、その色は彼の足元にまで染みわたっていた。

 

 かなりの出血だった。

 

 カイトの顔は既に蒼白に近くなり、呼吸も浅いものに変わって、肩を貸すオリバーに引きずられるようにして歩いている。

 

「おい、カイト、しっかりしてくれ」

 

 オリバーが額に汗を流しながら、カイトの身体を支えていた。しかし、その傷を負わせたのは当のオリバーなのだ。

 

 その皮肉な様子に、ハクが、くくっ、と喉を鳴らして笑った。

 

「小僧、その男を死なせるなよ。その男が死ぬ時は、この姫様も死ぬ時だ」

 

「だまれ、下郎っ!」

 

 激昂したオリバーだったが、

 

「ふうん?」

 

 ハクの手の銃剣が、リンの首すれすれに素早く滑らされた。

 

 皮一枚、切れるか切れないか、それほどまでギリギリの距離で、無造作に刃を振るったのだ。

 

 悲鳴と動揺を必死に押し殺したリンに代わり、オリバーが泣きそうな声で「やめてくれ!」と叫んだ。

 

「お願いだから、やめてくれ……」

 

 オリバーはカイトを背負うようにして担ぎ直した。

 

 そんなオリバーの姿と、そして、ほとんど意識を無くしたようなぐったりとしたカイトの様子に、リンは心が痛んだ。

 

「いい子だ」

 

 ふふん、と鼻を鳴らして、ハクがリンの手をひいて出口に向かって歩き出す。

 

 出口となっている排水口から外に出る。

 

 その場所に、リンは見覚えがあった。

 

 目の前には大河と、その頭上には対岸へと伸びる大橋の姿。リンが以前、街へしのび出たときに出た場所だった。

 

 前来た時はゆったりと流れていた西の大河も、今朝は激しく降る雨のせいで水かさをまし、轟々と音を立てて流れている。

 

 頭上の橋梁の端からも、大量の雫が滝のように流れ落ちていた。

 

 その周りは、薄闇の厚い雨雲と、景色をけぶらせる雨煙に包まれている。

 

 そんな雲の中を、さっと稲光が駆け抜けていった。

 

 直後に、

 

 

 ――パァァァン……

 

 

 という破裂音が響き渡った。

 

「雷……?」

 

「それにしちゃキナ臭いね。火薬の匂いだ」

 

 ハクは鼻を鳴らすと、リンを置いて独りで河岸を登っていった。

 

 橋のたもとから、わずかに身を乗り出して通りの様子を伺う。

 

 そのあいだにも、先ほどの雷のような破裂音が断続的に聞こえてきていた。

 

 ハクが身を引いて、河岸を降りて排水口の入口まで降りてくる。

 

「通りの向こうにある警備兵の詰所が、民衆に包囲されている。……どうやら暴動みたいだね」

 

「暴動だなんて、そんなっ!?」

 

「驚くことじゃないさ。暴動ぐらい、いつ起きたっておかしくなかった。些細なきっかけがあればすぐに火がついて燃え上がるくらい、誰も彼も頭に来てたのさ。……まぁ、もっとも」

 

 ハクはフンと鼻を鳴らして、頭上の橋と、その向こうの雨雲を見上げた。

 

「もっとも、その火もこの雨で湿気り気味みたいだけどね。銃が雨に濡れるせいで不発が多い。出るか出ないかもわからない銃を構えあって、睨み合ってるだけさ。物足りないね。銃なんぞに頼らず剣で斬り合えば手っ取り早いのに、お互いそんな度胸もないらしい」

 

 ハクは皮肉を込めてそう言うと、排水口から遅れて出てきたオリバーと、その背に担がれたカイトに目を移した。

 

「この火を、炎に掻き立てるにはこの男の力が必要だ。メイコはそう言った。……聞こえているか、カイト。メイコはお前に、革命の旗印になれと言ってるんだ」

 

「……あいつの考えてることなんて…誰にも分かるものか……」

 

 オリバーの背中で、カイトが弱々しい声で言い返した。

 

 苦しげに息を付きながら、それでも顔を上げ、ハクに言った。

 

「だが…革命を起こすも…止めるも、全てあいつの意思次第なのは確かだ……教会へ連れて行ってくれ……頼む……」

 

「断る」

 

 ハクが、にべもなく答えた。

 

「お前はこのまま本音亭へ連れて行く。そっちのほうが近いからな」

 

「この暴動を……止めなければ……」

 

「その前にお前が死ぬぞ。ここで死んでもらっては困ると言っただろう。お前の死に場所は、ここじゃない」

 

「死に場所か……何が旗印だ……人柱の間違いじゃないか……」

 

「少なくともデルはそのつもりだな。ふん、そんな無駄口が叩けるなら、まだ少しはもつ。…行くぞ」

 

 ハクはそう言うと、再びリンに銃剣を突きつけ、その腕を取った。

 

 ハクに連れられ歩くリンの後ろを、オリバーがもう何も言わずに、カイトを背負ってついてくる。

 

 そのまま河岸を登り、土砂降りの通りに出た。

 

 通りのむこう、雨煙に沈んだ景色の向こう側で、多くの人影が詰めかけているのが見えた。

 

 人々が群衆となって、盛んにシュプレヒコールを上げている。

 

 そこに発砲音が加わり、その度に群衆から悲鳴とも雄叫びともつかないどよめきが上がった。

 

 ハクはそちらには見向きもせず、すぐに狭い路地に入っていった。

 

 迷路のように入り組んだその狭い路地を、ハクは迷うことなく突き進んでいく。

 

 その早い歩みは、腕を引かれるリンや、その後に続くオリバーのことを気にもかけていないようだった。

 

 それでも、オリバーが少しでも遅れそうな気配を見せると、すぐにリンの首すれすれに刃が迫った。

 

 そのたびに、オリバーは疲労と怒りに顔を歪めながら、必死になって歩き続けるのだった。

 

 街を小走りに進んでいると、周囲から、遠くくもぐった銃声が何度も聞こえてきた。

 

 暴動は街の至るところで発生しているようだった。

 

 その遠雷のような銃声に混じって、時折、本物の雷鳴が轟きわたり、リンの身を竦ませた。

 

 やがて、オリバーの体力が限界に達しようとした、そのとき、

 

 路地の一本を曲がった先に現れた、まるでガラクタをよせ集めたような建物を前にして、ようやくハクの足が止まった。

 

 すぐにガラクタの山と見えたその建物の出入り口らしき場所から、数人の男たちが飛び出してきた。

 

「ハクか! こんな重大な時にどこへ行っていたんだ!?」

 

「我々が待ちかねた時がついに始まったぞ!」

 

「革命だ、革命万歳!」

 

 雨の中、小銃と赤い旗を振りかざしながら口々に叫ぶ男たち。

 

 そんな彼らに、ハクは覚めた態度で言い放った。

 

「怪我人だ、どけ」

 

 その言葉で、彼らは、ハクに銃剣を突きつけられたリンと、オリバーに背負われたカイトの存在に気がついた。

 

「おい、まさかカイトか? カイトが怪我をしたのか?」

 

「何があった? いや、そもそもこいつらは誰だ?」

 

「そんなことより、カイトは重傷のようだぞ!」

 

 男たちは小銃と旗を投げ捨てると、すぐにオリバーの背からカイトをおろし、そのまま数人がかりでガラクタ酒場:本音亭の中へと運び込んでいく。

 

 これにより、オリバーは一時的に自由の身になったが、

 

「逃げるなよ?」

 

「……リン様を置いて逃げるなど、親衛隊を愚弄するのもいい加減にしろ」

 

 リンを引きずって本音亭に入っていくハクのあとに、オリバーも続いた。

 

 本音亭の中は、はもはや酒場というより、銃弾薬の倉庫のようであった。

 

 テーブルやカウンターには小銃や剣が所狭しと並べられ、店の片隅には酒樽の代わりに火薬樽が置かれている。

 

 店内にいる人間たちは、酒も飲まず、弾丸と火薬を紙に包んで紙薬莢を一心不乱に作っていた。

 

 そんな中に、カイトを抱えた一団が割り込んでいく。

 

「どけどけ、テーブルを空けろ!」

 

 カイトの怪我を知らされた瞬間、店内は喧騒状態になった。

 

 たちまちテーブルのひとつから、物が乱暴に押しのけられ、そこにカイトが横たえられた。

 

「医者だ、医者を呼んで来い!」

 

「それととりあえず包帯だ、脇腹を斬られている。とにかく傷口を押さえないと!」

 

 わっ、と人々が右往左往する中、その喧騒から、

 

「カイトっ!?」

 

 フードをかぶった少女が、横たえられたカイトのもとに駆け寄ってきた。

 

「っ―――!?」

 

 彼女は、血まみれで顔面蒼白のカイトの姿を目の当たりにし、声にならない悲鳴を上げ、身体を震わせた。

 

 彼女のかぶっていたフードが下がり、左右に二つ編みにされたエメラルドのような緑の髪があらわになる。

 

 リンは、その彼女の正体を知って、目を見張った。

 

「ミク…様……?」

 

 そこにいたのは、隣国の姫君にして、レンの婚約者。

 

 緑公国第一公女、ミクだった。

 

「え? ……り、リンちゃん?」

 

 リンのつぶやきに、ミクもまたその場にいるはずのない少女の存在に気づいた。

 

 どうして?

 

 同じ問いが、二人の少女から同時に発せられた。

 

 唖然とする二人をよそに、喧騒する酒場の中に、鋭い声が飛んだ。

 

「針と糸を用意しな。それと酒だ、一番強い奴を持って来い!」

 

 ひときわ通るその声は、ハクだった。

 

 彼女はテーブルの周りに集まった人垣を押しのけ、カイトの脇に立つ。その彼女のもとに、針と糸、そして酒瓶が運ばれてきた。

 

 ハクは酒瓶の栓を歯でくわえて引き抜くと、そのままカイトの脇腹の傷口に酒をふりかけた。

 

「ぐぁっ…!!!!」

 

 強度のアルコールに傷を洗われた激痛に、カイトが全身を震わせながら、上げかけた悲鳴を必死に押し殺した。

 

 そんなカイトに向かって、ハクが酒瓶を差し出す。

 

「飲め。少しは痛みが和らぐ」

 

「……俺に構うな。いま、意識を手放すわけには…いか…ない……」

 

「縫合中に暴れられても困ると言っているんだ」

 

 ハクは手にした酒瓶を自ら煽ると、カイトの顎に手を伸ばし、その口を無理やり開かせた。

 

 そのまま唇と唇を重ね合わせ、口に含んだ酒をカイトの喉に流しこむ。

 

「っが…げほっ…!!???」

 

 カイトは激しくむせ返った。

 

 ハクは口元を拭いながらそんなカイトを見下ろし、そして周囲の者たちに命じた。

 

「痛みで暴れないように、こいつを押さえつけろ。…時間がない。少し手荒くいくからな」

 

 屈強そうな男たちが四~五人、カイトの周りに立ち、その手足を押さえつける。

 

 ハクが針の先端をランプの火で炙り、傷口を縫い始めた。

 

 医療用ではない、裁縫用の針と糸だ。

 

 傷口を襲う痛みに、カイトの身体が何度も仰け反り返り、その度に男たちにテーブルに押さえつけられた。

 

 治療というには、あまりにも乱暴なその光景に、リンとミクは圧倒され、酒場の隅で黙って見ていることしかできなかった。

 

 そこへ、ひっそりとオリバーが近づいていく。

 

(どうする? 今ならリン様を連れて逃げられるか……?)

 

 オリバーは、リンをすぐに庇える位置に立ちながら、酒場を慎重に見渡した。

 

 ハクをはじめとして、ほとんどの人間はカイトの治療に気を奪われていたが、酒場の入口や、その他の扉のそばに立っている武器を構えた者たちは油断なく警戒を続けていた。

 

 おそらくそれなりの訓練を積んだ者たちだ。

 

 オリバーがリンのもとへ移動したのも、その警戒の視線でしっかりと捉えられている。

 

 今のところ何も言ってこないが、リンのメイド服や、オリバーの着ている制服から、彼らが国側の人間だというのは分かっているはずだ。

 

 黙って酒場から出してくれるとは、到底思えなかった。

 

(いざとなれば、斬り抜けるか…)

 

 リン一人を近くの秘密通路の入口へ逃がすだけなら、自らを盾にして、この命一つを引き換えにするだけで足りるだろう。

 

 だが、ここにはミクまでいた。

 

 革命勢力の拠点に隣国の姫君がいるなど、誰が想像し得ただろうか。

 

 その理由は想像さえできないが、ここに居てはならない人間だというのは確かだった。

 

 ミクの意思がどうであろうとも、リンと共にここから連れ出さなければならない。

 

(一人でお二方の盾となろうにも、流石に荷が勝ちすぎるな)

 

 今は状況を見守るしかない。オリバーはそう決めた。

 

 カイトの傷の縫合はまだ続いていた。

 

 カイトは酒が効いてきたのか、苦悶の声も静かになってきていた。

 

 しかしそれでも意識はハッキリしているようだったし、時折、激痛にかすかに身体を震わせている。

 

 傷を縫うハクも、押さえつける男たちも、額に大粒の汗を浮かべていた。

 

それから十数分も経った頃、ようやくハクが、カイトから離れた。

 

 血まみれの傷口と自分の手を酒で洗い流すと、残った酒を一息で呷り飲む。

 

「ふん、手間をかけさせる男だ。殺しが仕事の私に、二度も傷口を縫わせるなんてな」

 

「お互い、ひどい皮肉だな。……礼は言わないほうがいいか?」

 

「ああ、いらん。言われると反吐が出そうだ。メイコの命令でなければ殺していた」

 

「――いっそ、その前に殺されていれば良かったものを」

 

 そう言った声は、カイトではなかった。

 

 酒場の奥、カウンターにもたれかかりながらカイトを眺めているその男。

 

 カウンターの上にも銃弾薬が所狭しと並べられているというのに、その男は片手で短銃を弄びながら、火のついた煙草を悠然と燻らせていた。

 

 本音亭に集う青年革命家たちのリーダー格。本音党を率いる男、デルだった。

 

 デルは煙草を咥えたまま、酒場の隅に立つリンとオリバーに目を向けた。

 

「死にかけのカイトに、王宮のメイドと、衛兵か。……ハク、状況を報告しろ」

 

「これはメイコからの命令だ。お前に報告する義務はない。知りたければ、メイコからの伝言を待つか、それか本人にでも訊け」

 

「ふん」

 

 デルは、ハクの態度に面白くなさそうに顔をしかめると、咥えていた煙草を床に吐き捨てた。

 

 その煙草を靴底で踏みにじりながら、デルはカイトのそばに歩み寄る。

 

「大方、王宮にでも忍び込んで返り討ちにでもあった。というところだろう」

 

「……答えるつもりはない」

 

「俺も、答えを聞く気はない」

 

 デルはそう言い放つと、にやりと笑った。

 

「我らがカイトは、刑務所の惨状に激怒し国王へ直訴しようと王宮へ乗り込んだが、そこの衛兵の手によって無慈悲に殺された。安っぽい脚本だが、まぁそんなもんだろう」

 

「デル……!?」

 

「革命のためだ。ここで死ね、カイト」

 

 デルが手に持っていた短銃を、横たわったままのカイトの頭に突き付けた。

 

 デルのその言動に、酒場が再び喧騒に包まれる。リンとミクも、思わず声にならない悲鳴を上げていた。

 

 しかし、短銃が火を噴くことはなかった。

 

 短銃を構えたデルの首筋に、ハクが銃剣を突きつけていた。

 

「デル、メイコからの伝言は、“カイトの死に場所はここじゃない”だ」

 

「では、どこだ。街中に暴動が広まっている今こそ、革命の好機ではないか。いまカイトが国王の手によって殺されたと民衆が知れば、革命の火は間違いなく国全土に広まるんだぞ!」

 

「銃を引け。さもなければメイコへの背信としてお前を殺す」

 

「やればいい。俺が絶命する前に、カイトも死ぬ。そうなればメイコとて、カイトの死を利用しないわけにはいかないはずだ」

 

「ダメだ、デル……いま革命を起こしては……いけない……」

 

 短銃を突き付けられたまま、カイトが訴えた。

 

「命乞いか、カイト。見苦しいぞ」

 

「俺たちの敵は国王ではない。王制を利用して私欲を満たそうとする、大臣ら有力貴族たちだ……」

 

「そんなことは百も承知だ」

 

「レンは……国王は、この国を変えようとしている。民衆のためを思って、争いで人々が傷つくことなく改革を進めようとしている。頼む……国王を信じてくれ……」

 

「革命を否定する気か、カイト?」

 

 デルの目が、冷たく光った。

 

「違う」

 

 と、カイトは力を振り絞って訴える。

 

「争うことなく国を変えるんだ……今のまま革命を起こせば、それは怒りと憎悪による復讐にしかならないぞ……!」

 

「そうだ。それこそ多くの民衆が求めているものだ。それこそが革命の炎だ。理想を語る政治家などひと握りでいい。重要なのは怒りと憎悪の力だ!」

 

 デルの指が、短銃の撃鉄を引き起こす。

 

「カイト、共に死んで革命の炎となれ!」

 

 ハクが銃剣の刃を、デルの首に押し付けた。

 

「銃を引け、デル!」

 

「革命万歳!」

 

 デルが引き金を引こうとした、そのとき、

 

「――だめよ、デル」

 

 優しげな、静かな声。

 

 しかしそれでいて、はっきりと通る力強いその声が、酒場に響き渡った。

 

 その声に名前を呼ばれた瞬間、デルの指が凍りついたように動かなくなった。

 

 畏怖、

 

 畏敬、

 

 威圧、

 

 理屈を超えた圧力が、デルの動きを束縛した。

 

 酒場の入口から、フードを深くかぶった一人のシスターが入ってきていた。

 

 雨に濡れた修道服のフードが下げられ、そこに晒された素顔に、誰かがつぶやく。

 

「……メイコ」

 

 静まり返った酒場に、その名前だけが雨だれの波紋のように広がっていった。

 

 メイコ、赤い女。

 

 メイコ、革命の火を灯す女。

 

 メイコ、全ての導火線を握る女。

 

 酒場にいる誰もが、その名と存在を知っていた。

 

 それが目の前にいる優しげなシスターのことだということも知っていた。

 

 それでも、その彼女を前にしてそうだと確信が持てる者は少なかった。

 

 それくらい、普段の彼女は、革命や暴力といった世界とは無縁の、敬虔なシスターだった。

 

 だが……

 

(これが……あのメイコさん……?)

 

 酒場の隅で、リンは思わず身を震わせた。

 

 突然現れたメイコの姿は、以前会った時とほとんど変わらない。

 

 浮かぶ笑みも、以前のままだ。

 

 それなのに……

 

(……怖い)

 

 笑みの裏側に潜む得体の知れない何かが、この酒場を圧倒していた。

 

「デル」

 

「は……はい」

 

 メイコにその名を呼ばれ、デルは引きつったような声で答えた。

 

「下がりなさい」

 

「……はい」

 

 短銃を構えていた手がだらんと下がり、デルはそのまま、ふらついた足取りで後ろ歩きに下がっていった。

 

 メイコは、そんなデルから、ハクへと目を移す。

 

「ハク、ご苦労さま」

 

「ありがとうございます、メイコ」

 

 ハクは忠実な臣下のように、メイコに向かって深々と一礼し、テーブルから離れていく。

 

 テーブルに横たわったままのカイトのそばに、メイコが歩み寄った。

 

「おかえりなさい、カイト。あの子はどうだったかしら?」

 

「あいつには、まだ時間が必要だ……頼む……この暴動を止めてくれ……」

 

「……そう、わかったわ」

 

 メイコは頷くと、ハクに目を向け、手招きした。

 

 駆け寄ったハクに、メイコは耳打ちする。

 

 何らかの指示を受けたハクは、放たれた忠実な猟犬のように土砂降りの外へと駆け出していった。

 

 そのハクを見送ったメイコは、次に酒場の隅を振り返った。

 

 リンと、ミクと、オリバーに、メイコの笑みと視線が向けられた。

 

「この子達を教会へ連れて帰ります。……誰か、雨よけのマントを三人分、貸してくださらない?」

 

 すぐに三人分のフード付きマントが差し出された。メイコはそれを三人に着せると、

 

「いらっしゃい」

 

 そう言って、酒場の外に向かって歩き出した。

 

 しかし、酒場を出ようとした寸前、メイコは立ち止まり、カイトに向かって振り返り、言った。

 

「カイト。私に出来ることは、誰かの声や祈りを他の誰かに伝える事だけ。この暴動は止められても、革命を願う人々の心は止められないわ。それを忘れないでね」

 

 そして、メイコは再びフードを深くかぶり直し、外の雨へと歩き出す。

 

 その後を、三人はおとなしく従った。

 

 

 

 

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