悪ノ王子――ボカロ(悪ノ娘)二次小説――   作:PlusⅨ

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第十二話・レン、親衛隊~命の盾~

 王宮から城下街へと続く地下通路。

 

 狭いその通路を、レンは九名の親衛隊員と、十頭の馬を率いてひた走っていた。

 

 地下通路の天井は低い。

 

 また、明かりも手持ちのランプしかないため足元が暗く、騎乗して走ることは不可能だった。

 

 そのため、小柄なレンのみが騎乗し、残る親衛隊員たちは右手で馬の轡を引き、左手にランプを持ちながら、一列になって駆けていた。

 

 本来の彼らの武装である、兜、胸当て、剣、小銃、弾薬は馬の鞍にくくりつけられている。

 

 身軽になった親衛隊員たちの足は、風のように早い。

 

 レンの馬も、親衛隊員のひとりが自分の馬とともに轡を引いているが、それでも普段の乗馬で並足をしている以上の速さで走っている。

 

 むしろ馬の方が引っ張られてかけているほどだ。

 

 なにしろ精鋭ぞろいの親衛隊の中から、更に選りすぐられた、まさしく一騎当千の者たちだ。

 

 一国の危機に立ち向かおうというこの状況で、これほど頼りになる者たちもいないだろう。

 

 けれど、レンには彼らを銃火に晒すことに躊躇いがあった。

 

 いや、むしろ恐れていたと言った方がいい。

 

 自分の命令で大切な部下を危険にさらすことが恐ろしかった。

 

 去年の秋、街に出したリンの身を案じるあまり、オリバーに無謀な命令を下した結果、彼は片目を失った。

 

 オリバーは、あの怪我さえなければ、いまレンの周りを走る親衛隊最強の九人の中に間違いなく入っていだろう。

 

 その彼の将来を奪う傷を負わせてしまった責任は、レンにある。

 

 レンはあの一件で、迂闊な命令を下してしまったことを激しく後悔していた。

 

 そしていま、また新たな後悔がレンの心を襲っていた。

 

 リツのことだ。

 

 潜入任務などという危険を冒させた上、政治的な駆け引きのために無実の罪を着せて刑務所に送り込んだ。

 

 その挙句が、この事態だ。

 

 未だ生死のわからぬ……

 

 ……いや、もはや絶望的であろう部下の身を思うと、レンは悲しみと自分に対する憤りで、大声で絶叫してしまいそうだった。

 

 しかし、それはできない。

 

 国王としての立場と責任が、それを許さない。

 

 この国家存亡の危機に、レンは三度、大切な部下たちの命を盾にしようとしていた。

 

 休むことなく馬を引きながら走ること、およそ一時間。

 

 暴動とバリケードに塞がれた迷宮のような地上を走ったならば数時間はかかるであろう距離を、彼らはその数分の一の時間で、目的の場所へと到達した。

 

 板を打ち付けられて塞がれていた出口を蹴破って、彼らは地上へと姿を現す。

 

 そこは、広場の一角に面した、一件の古びた廃屋だった。

 

 元々は警備隊の詰所の一つだった建物だ。

 

 だが、親衛隊による地下通路の調査によってここにも秘密の出入り口が隠されていたことが判明し、それで国王命令によって親衛隊の管轄に移されたという経緯がある。

 

 その際、警備隊に怪しまれないために、彼らには建物の老朽化による移転と説明していた。

 

 さらに警備隊の功績への恩賞として、国王がその移転費用を賜るという形が取られていた。

 

 おかげで警備隊は今に至るも、この出入り口の存在は知らない。

 

 そもそも地下通路自体、レンと親衛隊しか知りえない国家の最高機密だ。

 

 見かけは廃屋となっているが、その内部はいざという時のために使えるよう小奇麗に整備されている。

 

 また、元詰所だけあって十人の人間と十頭の馬が入っても、充分な余裕があった。

 

 先頭を走っていたレオンは、廃屋に馬を止めると、ほとんど息を切らした様子も見せず、後から続いて入ってきた部下に命令を下した。

 

「総員、鎧をつけろ、剣を差せ、銃に弾を込めろ、急げ。――アル」

 

「承知」

 

 副長アルは、レオンが指示を下す前に、素早く廃屋の隅にある階段を駆け上っていった。

 

 元詰所であるこの廃屋の二階からは、広場の様子が一望の下で見晴らすことができる。

 

 アルはそこから、広場で起きている状況をつぶさに観察した。

 

 広場では、二百名ばかりの警備隊と、それを包囲する数倍もの群衆で埋め尽くされていた。

 

 その数、およそ五千は下るまい。

 

 広場には東西南北にいくつもの通りが放射状に伸びているほか、南北を大通りが貫通している。

 

 しかし細い路地はバリケードで封鎖され、大通りや他の主要な通りは民衆によって塞がれている。

 

 結果、警備隊は袋の鼠状態で広場の一画に追い詰められていた。

 

 恐ろしくまずい状況だ。

 

 だが、わずかに幸運だったのは、警備隊と民衆との間にまだ本格的な衝突が発生しておらず、双方の間に百メートル以上の距離があいていたこと。

 

 そして、レンたちが潜むこの廃屋の位置が、ちょうど双方の中間の隙間となっている部分に面していたことだった。

 

 つまり、この廃屋から飛び出せば、そのまま彼らの間に割り込むことができる。

 

 もっとも、一触即発の状況の、そのど真ん中に飛び出していくことが果たして幸運と言えるかどうか。

 

 しかしアルは、これから自分たちがそのような無謀な真似をしようとしているにもかかわらず、表情ひとつ変えることなく一階へと戻り、現状を報告した。

 

「――もはや、一刻の猶予もないかと」

 

「そうか」

 

 レオンは頷きながら、自分の銃に弾を込めていた。

 

 報告を終え、アルも装備を身に付ける。

 

 羽飾りのついた兜。

 

 王家の紋章が刻まれた黄金色の胸当て。

 

 腰のベルトには右に弾薬筒をつめた弾嚢と、左腰には騎兵用のサーベル。

 

 馬の鞍のホルスターに収められた小銃は、歩兵用の物よりも銃身の短い騎兵仕様だ。

 

 アルはその小銃を左手に持ち、銃口を上に向けた。

 

 右手で、右腰の弾嚢から弾薬筒をつかみだし、紙製のその端を歯で噛みちぎる。

 

 弾薬筒の中には一発分の火薬と弾丸が収められており、口の開いたそれを小銃の銃口から流し込む。

 

 そして、銃身の下に備え付けられたサク杖と呼ばれる細い棒を抜き出し、それを銃身に差し込み、弾丸と火薬を奥へと押し込んでいく。

 最後に撃鉄部分の火蓋を開き、そこへ弾薬筒の切れ端を擦り付けた。弾薬筒には点火薬となる油が付着しているのだ。

 当時の銃は先込め式で、一発込めるのにこれだけの手順が必要なのだが、十分に訓練を積んだ兵士たちならばこの一連の作業をわずか十数秒でやってのけてみせた。

 

 現にアルも、最後に装備を装着し始めたにもかかわらず、他の親衛隊員とほとんど遅れることなく武装を完了していた。

 

 親衛隊員全員が騎乗する。

 

 その全員が、レンを見た。

 

 彼らが命をかけて忠誠を誓い、守り抜くと誓った、少年王。

 

 赤地に金モールが煌びやかな国王専用の軍装に身を包み、

 

 黒字に金で縁どられたビロードのマントを羽織り、

 

 左腰にはガクポ直伝の片刃剣を帯び、

 

 そして輝くほど眩い白馬にまたがるその姿。

 

 それは親衛隊ほど物々しくなく、むしろ戦場には似つかわしいほど華美なものだった。

 

 遠目からみてもすぐに高貴な者だと見てとれてしまうその出で立ちは、式典か、もしくはそれこそ大軍を率いてでも居ない限り、着用するものではない。

 

 しかも、国家の体制に不満を持つ殺気立った群衆の前に、ひと目で国王とわかる姿で出るなど、命知らずな行為、いや自殺行為にも等しい真似だった。

 

 だが、しかし。

 

 だからこそ、レンはこの姿を選んだのだった。

 

 この暴動を収めるには、国王であるレンの姿を民衆に見せ、この国を改革するという意志と態度を直接、示してやらねばならないと考えていた。

 

 それがどれだけ危険なことか、今更言うまでもない。

 

 レンもそれを覚悟の上で、やってきた。

 

 そして親衛隊員たちは、レンの覚悟に殉ずる覚悟を定めている。

 

 

――陛下にこそ我らが命、使い捨てる覚悟がおありでしょうや?

 

 

 出撃前に、レオンから放たれた言葉が、重い。

 

 しかし、それに対する答えはもう出していた。

 

 

――……わかった。お前たちの命を、僕に、くれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パアアアアアアァァァァン。

 

 

 

 

 

 

 雨音響く外から、それを引き裂くように一発の銃声が響き渡った。

 

 警備隊か、武装民衆のどちらかがついに発砲したのだ。

 

 立て続けに数発の銃声が後を追う。

 

「始まったか!」

 

 始まってしまった。

 

「行くぞ!」

 

 レンの命令を受け、

 

 レオンが、

 

「出撃!!」

 

 そう叫ぶと同時に、馬の足で廃屋の扉を蹴破って外へと飛び出した。

 

 レンと、そして親衛隊員たちもそれに続く。

 

 外は雨。

 

 土砂降りの雨。

 

 空では雷光が、音もなく雲の中を走り回っていた―――

 

 

 

 

 

 レンが広場に到着したとき、まだメイコによる撤収命令は出ていなかった。

 

 時間的には、ちょうどリンたちが傷ついたカイトを本音亭にかつぎ込んだくらいの頃だ。

 

 暴動が街全体に広まり、この広場に二百名もの警備隊が孤立してから一時間以上が経過していたが、その間、今まで本格的な衝突が発生していなかったのにはいくつか理由があった。

 

 ひとつは、孤立した警備隊に攻撃的な意思がなかったことである。

 

 彼らの大半は火災発生の報を受けて、夜明け近くになって押取り刀で街に出てきたところを、既に暴徒と化した民衆に追い立てられて、広場に追い詰められた連中だ。

 

 火災と思って出てきただけに、最初から暴動鎮圧の為に出撃し、各所で銃撃戦を繰り広げてしまっている一部の小部隊に比べ、その為の覚悟も、装備も足りなかった。

 

 加えて、ここに居るのは本来の部隊を分断され、広場に逃げ延びてきて合流した寄せ集めでもあった。

 

 まともな指揮系統すら存在していない。

 

 挙げ句の果てには、警備隊を本来指揮するはずの法務大臣自体が、己の職務を放棄して街から逃げ出しているのだ。

 

 もはや警備隊は組織として崩壊していた。

 

 一方で、警備隊を包囲する数千の民衆も、積極的な攻撃に出られない訳があった。

 

 武器が足りないのだ。

 

 数こそ圧倒しているものの、小銃は警備隊を包囲している一番前の人間が持っている程度で、最低限の装備が整っている警備隊と比べても圧倒的に不足していた。

 

 そのため、本音党をはじめとする各革命勢力が、この事態に乗じてそれぞれ独自に武器を民衆に流していた。

 

 それによって時間とともに銃と弾薬は行き渡りつつあったが、それでも、それを扱うのは素人の民衆たちである。

 

 こちらにもまともな指揮系統は存在しない。

 

 各革命勢力の構成員たちもこの民衆に多数紛れ込んでいたが、彼らとて武器を流すのが精一杯で、民衆を統率し、指揮を取るだけの能力がある者は存在しなかった。

 

 そもそも、革命勢力同士の連携さえできないのだ。

 

 それぞれの勢力はメイコを通してのみ繋がっており、それ以外で交流手段を持たない。

 

 そのメイコからの指示は未だもたらされず、各革命勢力は、それぞれが独自の判断で暴動を煽り立てることしかできなかった。

 

 だが、だからこそ、レンが到着するまで、この大人数同士の大規模な衝突が今まで回避されてきたと言える。

 

 しかし、それもついに崩れようとしていた。

 

 民衆側に十分な銃弾薬が行き渡り、そして緊張に耐え切れなくなった誰かが、不用意に発砲するのは時間の問題だった。

 

 そして、ついにその瞬間が訪れる。

 

 初めの一発がどちらからだったのか、それは誰にもわからない。

 

 しかし誰かが発砲した。

 

 してしまったその一発は次々に銃声を呼んだ。

 

 混乱と怒りの衝突が始まろうとしていた。

 

 その、矢先―――

 

 

 

 

「撃つな! 撃つでない!」

 

 大音声とともに、きらめく鎧に身を包んだ騎馬集団が、両者のあいだを駆け抜けた。

 

 輝く黄金色の鎧に身を包んだ騎兵を周りに引き連れ、ひときわ艶やかな出で立ちの美しい少年が、ビロードのマントを翻して銃弾と硝煙で渦巻く危険な空間を駆け抜けていく。

 

「撃つな、国王命令である、撃ち方やめぃッ!」

 

 集団の先頭を走るレオンが、銃声をも圧する声で双方に呼びかけた。

 

「陛下の御前であるぞッ!」

 

 陛下。

 

 国王陛下。

 

 突如として現れた国王と親衛隊の存在に、その場に居た者たちは皆一様に息を飲んだ。

 

 誰も思いもしなかった展開に、ついに銃撃が止んだ。

 

 もとより双方、彼我の距離は百メートル以上。

 

 当時の無旋条先込め火打石発火式の銃の性能から言えば、この距離での命中率はまったく期待できないほど低かった。

 

 鋳型で抜かれただけの弾丸は不揃いな上に、旋条のない銃身から放たれたそれは不規則な回転を生じ、結果、上下左右に曲がった弾道をとってしまう。

 

 その上、弾薬に火をつける撃鉄は火打石であり、その火花が弾薬を燃焼させるのは不確実で、しかもわずかな時間差も生じてしまい、それが狙いを狂わせてしまう。

 

 個人個人でバラバラに撃って、百メートル先の相手を倒すのはまず不可能。

 

 そのため、当時の銃というのはできるだけ相手に近づいて、集団で一斉に発砲するのがセオリーだった。

 

 ゆえに、最初のこの銃撃で双方にほとんど負傷者が出なかったことも、銃撃が止んだ原因のひとつであろう。

 

 しかし、その両者の中間に馬を止めたレンたちは、十分にその銃撃の射程内に入っていた。

 

 遮蔽物も何もないその場所で、レンたちは指揮系統の崩壊した部隊に背を向け、殺気昂る民衆を前にして立っていた。

 

 雨は降り続ける。

 

 頭上に立ち込める暗雲に光が走り地上の群集を青白く染め上げた。

 

 雷鳴は無い。

 

 青白い雷光が雨雲を蛇のようにうねりながら人々を見下ろしていた。

 

「国民よ!」

 

 馬上からレオンが訴える。

 

 銃声さえも圧したその声は、雨音響く広場の中を隅々にまで渡っていった。

 

「国民よ、国王陛下の御前である。銃を下げよ!」

 

 ざわ、と武装民衆のあいだに動揺が広がり、前面に立っていた者たちが構えていた銃を次々に下げ始めた。

 

 もとより、彼らの憎悪の対象は、警備隊に対してである。

 

 国王がこの警備隊を要する体制の頂点に位置していると理解してはいるが、しかし、あまりに遠い存在だった。

 

 この少年を前にしてどのような感情を抱けばいいのかわからない。

 

 そのための動揺だった。

 

「国民よ!」

 

 レオンが再び訴えた。

 

「陛下は此度の事態を憂い、解決のために御自らご出陣あそばされた。陛下は民衆が傷つくことを望んではおらぬ。即刻、銃を捨て解散せよ!」

 

 ざわ、と再びどよめきが起こる。

 

 だがそれはすぐには収まらず、徐々に大きくなって、やがてはっきりとした抗議の意思として噴出した。

 

「ふざけるな! 刑務所の火災で大勢死んでいるんだぞ!?」

 

「警備隊が邪魔しなけりゃ、もっと助けられたんだ!」

 

「こいつらはいつもそうだ! 街を守るどころか、俺たちを喰いものにしてやがる!」

 

「もうたくさんだ! 我慢の限界だ!」

 

 轟々と沸き起こった非難が、嵐となってレンに襲いかかった。

 

(……これが、民衆の声か!?)

 

 レンは馬上にあって民衆を見下ろしながら、身のすくむ思いだった。

 

 これが民衆の怒りか。

 

 これが民衆の嘆きか。

 

 これが民衆の絶望か。

 

 直に浴びせかけられたその負の声が、レンの心を打ちのめそうとしていた。

 

「静まれ、静まれぃ!」

 

 レオンの必死の声も、民衆の心には届かない。

 

「静まれぇっ――――」

 

――――雷鳴!!

 

 国中のガラスや陶器を一箇所に集めて、一度に大地に叩きつけて砕いたかのような大音響が、その場にいた全ての者たちの耳を打った。

 

 悲鳴。

 

 そして、銃声。

 

 警備隊と民衆、双方がパニックに陥り、雷鳴を銃声と勘違いした者たちが反射的に引き金を引いていた。

 

 銃声と、

 

 硝煙と、

 

 弾幕が、

 

 一斉に双方のあいだを、

 

 いや、レンと親衛隊を包み込んだ。

 

「陛下っ!?」

 

 銃声からほとんど間をおかずに、親衛隊員たちがレンの周りに殺到していた。

 

 レンを隙間なく取り囲んだ親衛隊員のひとりの身体が、ぐらりとよろめく。

 

 それは、

 

「――アルっ!?」

 

「うろたえなさるな、陛下っ!」

 

 アルは、身体をくの字に折り曲げながら、それでも顔を上げ、レンを叱咤した。

 

「我らに気遣いは不要。陛下は前だけを、民だけを見据えなされませ!」

 

 アルはそう言って、すぐに身体を起こし、背筋を伸ばした。

 

 その姿に、

 

 その言葉に、

 

「………っ!!」

 

 レンは彼から目を離し、再び前を、

 

 ひしめく民衆に目を向けた。

 

 銃撃は止んでいた。

 

 止まったのは、一時的に発砲可能な銃が無くなったからに過ぎない。

 

 その隙に、ひとりレオンが、民衆と警備兵のあいだを駆け回りながら、今のが雷鳴であることを訴えまわっていた。

 

「怯えるな! たかが雷鳴ひとつに浮き足立つでない! 皆、落ち着け!」

 

 広場に漂う白い煙が、雨に溶かされていく。

 

 レンは、歯を食いしばった口を無理やり開き、自分を取り囲む親衛隊に告げた。

 

「陣を解け。……僕が前に出る」

 

 その言葉に、親衛隊員たちは驚いて身を固くしたが、

 

「民衆に僕の姿を見せる。……見せなくちゃならない」

 

 レンがそう言って、ゆっくり馬を進め始めると、彼らは反論せずに大人しく従った。

 

「民衆を威圧しないよう、離れて付いて来い」

 

「……承知しました」

 

 アルが、いつものように沈着した声と態度で頷いた。

 

 レンは一人、親衛隊の囲みから抜け出して、白馬を民衆たちに向け進めていった。

 

「陛下ッ!?」

 

 離れていたレオンがそれに気づき、すぐに馬を寄せてきた。

 

 だが、その彼もレンの横顔を一目見るなり、何も言わずに馬の足を止めた。

 

 レンと、民衆との距離が少しずつ縮まっていく。

 

 30メートル、

 

 20メートル、

 

 10メートル、

 

 撃てば間違いなく当たる、外しようがない距離まで近づき、レンは馬を止めた。

 

 銃を持った民衆たちの人垣が、レンを見ていた。

 

 そのひとりひとりの顔が、はっきりと見て取れる。

 

 雨に濡れ、その表情は皆一様に固い。

 

 ひそめられた眉の向こうには、不信と怒りの光を発する瞳。

 

 目の前に立っていた民衆の一人が、持っていた小銃を、グイと、レンに向けた。

 

 まだ硝煙を立ち上らせるその銃の先端には、鋭く光る銃剣が取り付けられている。

 

 レンは、馬から降りた。

 

 そのまま、残る10メートルの距離を、徒歩で近づいていく。

 

 民衆たちの怒りに満ちた視線が、困惑に変わった。

 

 いったい、この少年は何を考えているんだ?

 

 国王という雲の上の存在が、怒れる民衆たちの前に姿を晒し、のみならず、突き付けられた銃に向かってまっすぐに歩んでくるなんて!?

 

 困惑しながら、それでも銃を構えるその民衆の前で、レンは立ち止まった。

 

 銃剣の切っ先は、レンの喉元にある。

 

 ほんのわずか、ほんの数センチでいい。

 

 手元の小銃が押し込まれたなら、国王は死ぬ。

 

 デルたち本音党を始めとした革命勢力たちにとっては、まさに革命成就の願ってもない好機だった。

 

 しかし、ここに居るのは革命勢力ではなかった。

 

 彼らによって武器を与えられた、ただの民衆だった。

 

 国の体制の横暴と、苦しい生活のために怒りを爆発させはしたが、普段はその日を穏やかに過ごすことを望む者たちだ。

 

 いま銃を握るその手も、つい昨日まで、愛おしい我が子達を撫でるために使われていたものだ。

 

 その我が子と、ほとんど年の変わらない少年が、目の前にいる。

 

 銃剣を突きつけられ、雨に濡れた金色の髪の下、悲しげな目をした少年。

 

 

 これが、国王か。

 

 

 この国の頂点に立つ存在か。

 

 

 この腐りきった国の支配者の正体か。

 

 

 民衆たちは初めてその存在を間近に見て、そして絶句した。

 

 

 

 

 

―――まだ、子供じゃないか!?

 

 

 

 

 その少年が、口を開く。

 

「……お願いがある。道を、開けてくれないか」

 

 頼む。

 

 と、レンはそう言った。

 

「どうか、僕にもう少しだけ時間を与えて欲しい。この国をやり直すための時間を、僕に与えて欲しい」

 

 だから、とレンは訴えた。

 

「だから、僕を前に進ませて欲しい。僕に、道を開けて欲しい。……頼む」

 

 レンは一歩進んだ。

 

 銃剣が刺さる瞬間、民衆が慌てて後ろへ退いた。

 

 銃口がそらされ、人垣が、左右に分かれた。

 

 それはレンの言葉が届いたからか?

 

 いや、そこに明確な合意などなかった。

 

 ただ、民衆たちのあいだに広まった感情的な戸惑いが、レンの自殺的行為に困惑したに過ぎない。

 

 しかし、それによってレンの前には確かに道が出来ていた。

 

 レンは迷うことなく、民衆たちの間を歩き続けた。

 

 民衆たちは、まるで腫れ物から逃げるように、その前に道を開けていく。

 

「……親衛隊も後に続くぞ」

 

 レオンが静かに宣言し、馬をゆっくりと進め始めた。

 

 他の親衛隊も、慎重に馬をすすめる。

 

 その時、最後尾に続こうとしていたアルが、一人の親衛隊員を呼び止めた。

 

「トニオ。お前は警備隊のもとへ行き、彼らにもついてくるように伝えよ……」

 

 ただし、とアルは念を押す。

 

「……何があろうと抵抗はするなと厳命しろ。反撃は一切許さん。いいな?」

 

「了解しました。……それより、副長」

 

「俺のことは気にするな。行け」

 

「ハッ」

 

 親衛隊員のひとり、トニオは、青ざめていくアルの顔から目をそらし警備隊のもとへと馬を走らせた。

 

「警備隊に告ぐ。陛下に続け。しかし、民衆に対する一切の抵抗を禁ずる」

 

 この言葉に、警備隊員から悲鳴にも似た声が上がった。

 

 しかし、トニオは、

 

「陛下が開かれた道を、貴様らが閉ざす気か! 不満があるならここで死ね! 死にたくなくば命を捨てる覚悟で着いて来い!」

 

 そう言って馬を返したトニオのあとに、警備隊が、おっかなびっくりとついてきた。

 

 レンが民衆たちの間に開けた道を、親衛隊、そして警備隊がゆっくりと進んでいく。

 

 それは恐ろしいまでの緊張を孕んだ、永遠にも似た時間だった。

 

 銃の射程内どころの話ではない。

 

 剣先触れ合うどころか、肩がぶつかりそうな距離に敵同士がいるのだ。

 

 いつ脇から剣が飛び出し、突き刺されるかわからない。

 

 いつ手が伸び、引きずり倒されるかわからない。

 

 そんな恐怖を抱えて居るのは、警備隊だけではなく、民衆もまた同じだった。

 

 口約束さえない、

 

 誰が合意したのかもわからない、

 

 この無言の停戦状態。

 

 レンは親衛隊と警備隊を引き連れ、その中を歩み続け、そして、

 

 ついに民衆のなかを抜け出した。

 

 レオンが、レンの白馬の手綱をとりながら、そばによって来る。

 

 レンは無言でその手綱を受け取ると、白馬にまたがった。

 

 そのまま、それでもゆっくりと白馬を進めていく。

 

 まだだ。

 

 まだ、振り返るな。

 

 レンは必死に自分にそう言い聞かせた。

 

 まだ、警備隊全員が抜け出していない。

 

 彼らと、民衆を充分に引き離すまで、振り返ってはいけない。

 

 民衆に、焦りや動揺を悟られてはいけない。

 

 この、砂上の楼閣よりももろい、まさに奇跡同然の、幻影のような停戦状態を崩してはいけない。

 

 そうやって、

 

 進んで、

 

 進んで、

 

 進み続けて、

 

 ようやく、背後から急いで馬を飛ばしてきたトニオが、民衆と警備隊が充分に離れたことを告げた。

 

 その瞬間、レンは弾かれたように背後を振り返った。

 

「アルっ!?」

 

 親衛隊副長は、いつものようにレオンと共に馬を並べながら、レンの後をついてきていた。

 

 彼は、いつものように、平静な顔で、

 

 いつものように落ち着いた笑みを、レンに向かって浮かべて見せて、

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 糸の切れた人形のように、落馬した。

 

 

 

 

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