悪ノ王子――ボカロ(悪ノ娘)二次小説――   作:PlusⅨ

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第十五話・ガクポ、ルカ~運命の皮肉~

 冬が明けきらぬような春がようやく終わり、季節は、夏に移ろうとしていた。

 

 気温は日に日に上昇に転じ始めたものの、次にやってきたのは延々と続く日照りの日々だった。

 

 春先の日射量不足と、冷たい雨によって弱っていた作物は、この日照りでほとんど立ち枯れてしまい、ことここに至って、全国各地の農村の多くで、今年の収穫は絶望的となったのである。

 

 このままでは各地で飢饉が発生する。

 

 本来ならこういった場合、国が非常用に保管している種籾等を配布する一方で、食料に関する税率などを下げ、少しでも被害を減らす対策を取らなければならない。

 

 しかし、国政の中心を担う王宮と議会では、春暴動に伴う国王の実質的な蟄居状態と、政治的混乱によって政府機能はほとんど麻痺していた。。

 

 また、地方を預かる諸領主や中央から派遣された行政官たちも、政治的派閥が激動する中、それぞれに自分たちの保身にばかり傾注し、農村への救済は一向に進む気配が無かった。

 

 また、一部の商人が食料の買い占めに走り始めたことから、全国的に食料価格は急激な高騰を見せ始め、庶民への負担と、現政権への失望をさらに推し進める形となっていた……

 

 そんな、ある日の夜。

 

 雲ひとつ無く、満月が煌々とあたりを照らす夜の街をひとり、ガクポは歩いていた。

 

 何処へ、というわけでもない。

 

 その目は前を殆ど見ておらず、足元に落とされている。

 

 肩も力なく落とされ、背中は丸まり、足取りも覚束ない。

 

 およそ剣豪とまで呼ばれた剣士の足取りとは思えない。

 

 まるで酒に酔ったかのようだが、しかし、ガクポは酔っていなかった。

 

 とても酔えるような心持ちでは無かった。

 

 ガクポは己の悲痛な運命に打ちのめされ、酒に酔うことも出来ずに、ただ無目的に街を彷徨い歩いていた。

 

 本来、ガクポの任務はミクの護衛である。

 

 一国の姫君が家出同然に国を出て、他国の、しかもあろうことか革命勢力に身を寄せているのである。

 

 護衛官でなくとも、ミクのそばから離れるのをためらう状況だ。

 

 だが、ガクポにとって今の状況でミクのそばにいるのは、針の筵に座ることよりも辛いことだった。

 

 なぜ忠誠を誓った主に仇為さんとする輩のために、力を貸さねばならぬのか?

 

 いや、今の主はレンでは無く、ミクであり、その彼女は革命勢力の人質として囚われているのだから、その身を守る任務は決してレンに歯向かうものでは無い。

 

 だが、しかしだ。

 

 そんな人質などという立場は建前にしか過ぎず、緑公国そのものが既にレンを見限り、革命勢力を支持しているのは、もはや公然の秘密だった。

 

 いっそ、逃げ出してしまいたい。

 

 ガクポは一度ならず、そう思ってしまっていた。

 

 ミクの護衛など放り出し、今すぐレンの元へ帰参したかった。

 

 しかし、出来ぬ。

 

 それは出来ぬ相談だった。

 

 なぜなら、ミクの護衛は他ならぬレンによる命令だったからだ。

 

 決して緑公国大公のものでも、ミク自身によるものでも、まして革命勢力のためでも無い。

 

 全てはレンの命令だ。

 

 例えそのミクがレンを捨て、革命勢力の中枢にいる男――カイトの元に走ったとしても。

 

 そして、それを緑公国と革命勢力の政治的駆け引きに利用されようとも。

 

 それでもガクポの任務は、ミクを守ることだった。

 

 いや、そうやって政治的駆け引きに利用されているミクだからこそ、ガクポは命にかえてでも守らなければならなかった。

 

(陛下っ、それでも私にミク様を守れとおっしゃるのですか!?)

 

 ――そうだっ!!

 

 心の中の自問自答。

 

 その結果は、いつだって明快なものだった。

 

 ガクポの心の中のレンは、いつだって迷わずにそう答えた。

 

 ――彼女を守ってやってくれ。

 

 ――彼女も結局は、国のために利用される、哀れな姫君なのだから。

 

 王族の宿命、国家のために私心を捨て、時に道具として利用される哀しき宿命。

 

 それをレンは誰よりも良く理解している。

 

 だからこそ、どんな時も彼女を、ミクを守ってやって欲しい……

 

 それが、レンが、ガクポに託した想いだった。

 

 ならば、なぜそれを裏切れようか。

 

 それを裏切り、レンの元へ馳せ参じたところで、レンはどう思うだろうか?

 

 ――よく帰ってきてくれた!

 

 などど喜んでくれるだろうか。

 

 そんなはずが無い。

 

 そんなはずが、あってはならなかった。

 

 何故ならそんなものは、ガクポが忠誠を誓った主の姿では無いからだ。

 

 嗚呼、だがそれは結局、己の理想をレンに投射して、それを裏切られたく無いからではないのか?

 

 全てはガクポ自身が、己の理想の主の姿を壊してしまいたく無いが故の、身勝手な忠誠心ではないのか。

 

 本当にレンに対して忠誠を誓ったのならば、レンに例え恨まれようとも、レンの身を守るべく動くべきではないのか。

 

 嗚呼、それでも!!

 

 ガクポの脳裏に、レンに続いて、ミクの姿が思い浮かんだ。

 

 レンを捨て、己の初心な恋心に全てを賭けた少女。

 

 それが叶わぬ恋と知りながら、それでも一縷の望みを捨てぬ少女。

 

 しかしそれすら、実の家族から陰謀の道具とされてしまった、哀れな少女。

 

 そんな彼女を見捨てることが出来ようか。

 

 出来ぬ。

 

 ミクにとって、真の意味で味方と呼べるのは、ガクポひとりしかいないのだ。

 

 ならば、出来ぬ。

 

 剣士として以前に、男として、無力な少女を見捨てる真似は出来ぬ。

 

 ……なのに、

 

 なのに、今、ガクポはひとり街を彷徨っている。

 

 レン、ミク、双方への離れ難い心に引きずられ、結局そのどちらにもつけぬ、中途半端な愚か者と化している。

 

(私は……莫迦だ、大莫迦者だ!)

 

 うなだれ歩くガクポ。

 

 メイコによって今のところミクの安全が保証されているという事実が、ガクポの無力感を一層募らせていた。

 

 ミクのそばに常時いなくとも、ひとまずは問題ない。

 

 そんな事実に甘えて街に逃げ出した自分自身があまりにも情けなくて、ガクポは嗚咽さえ漏らしそうな溜め息をつきながら、夜の街をとぼとぼと歩き続けていた。

 

 そうやってほとんど前さえも見ずに歩いていたため、ガクポは、目の前に立っていた人影に気付くことが出来なかった。

 

 ガクポに対して背中を向けて立っていたその人影にぶつかり、ハッとして顔を上げると、慌てて後ろに跳び退がった。

 

「す、すまぬ」

 

 謝ったガクポに、相手が振り返る。

 

 ガクポは相手の姿を目にして、思わず息を呑んだ。

 

 相手は男だ。しかしその顔つきは、怒りと殺気に染められていた。

 

 背後からぶつかったのが原因なのか?

 

 いや、違う。

 

 男は右手に、危険な光を宿したナイフを握っていた。

 

 さらに男の左腕は、誰かに斬られたのか、肩口の切り傷から血がだらだらと流れ落ちている。

 

 明らかに尋常ではない。

 

 相手の男が、ガクポの姿を見るやいなや、

 

「邪魔をするなっ!!」

 

 問答無用でナイフで切りつけてきた。

 

 理不尽極まりない行為だ。

 

 恐らく左腕の傷のせいだろう。

 

 手負いの獣同然に、理性を失っている男の刃が、ガクポに襲いかかった。

 

 だがそれよりも早く、ガクポは右手を、反射的に左から右に水平に振り抜いた。

 

 相手の首を狙った、抜き打ち様の一撃。

 

 もし今のガクポが腰に剣を帯びていたならば、相手の首は宙を舞っていたことだろう。

 

 しかし相手にとって幸いなことに、ガクポは剣を帯びていなかった。

 

 素手で振るわれたその一撃は、男の顎先をかすめただけだ。

 

 しかし、それだけでも充分だった。

 

 男は脳を強かに揺さぶられ、失神して倒れた。

 

 ガクポにとってこれは、全く無意識の反撃だった。

 

 いったいなんだったのだ?

 

 事態の異常性を受けて、ガクポの沈み切ってきた感覚が、ようやく覚めた。

 

 その瞬間、彼の五感が周囲の状況をはっきりと捉えた。

 

 明かりの少ない夜の通り一帯に、十数人もの人間がひしめいている。

 

 それも、誰も彼も殺気だった状態で。

 

 こんな殺気の渦に飛び込んでしまうなんて、もはや剣士以前に普通の人々の危機感にさえ劣るようなものだ。

 

 だがガクポは、それを恥じるよりも前に、この殺気だった男たちの原因に気がつき、

 

「あっ!?」

 

 と声を上げた。

 

 殺気だった男たちの向こうに、金髪、隻眼の小柄な少年がいた。

 

 オリバーだ。

 

 右手に剣、左手に短剣の二刀流の構えで、鬼気迫る表情で男たちと対峙している。

 

 その両手の剣は血にまみれて、オリバー自身もいくらか返り血を浴びているようだ。

 

 そして、そのオリバーが背中に庇う、もうひとりの人影。

 

 それは長く艶やかな髪を夜風に揺らせながら、美しき顔を恐怖で青白くさせた若い女性。

 

「ルカ殿っ!?」

 

 ガクポの声に反応し、オリバーとルカと、そして彼らを取り囲む男たちの目が一斉にガクポに向けられた。

 

「貴様、何者だ!?」

 

 男たちの一人が怒声をもって誰何する。

 

 しかし当のガクポは、そんな男たちなど眼中に無く、一目散に二人の元に向って駆け出していた。

 

 男たちに突撃する格好となったガクポに対し、すぐに手近の者が行く手を遮ろうとする。

 

 だが、ガクポはそんな男など存在しないかのように、するりとその脇をすり抜けて行った。

 

 そのまま、次々と立ち塞がろうとする男たちを、まるで水が流れるかのように、ガクポはすり抜けて行く。

 

 男たちから指一本触れられること無く、ガクポはオリバーたちの前に辿り着いた。

 

「オリバー殿、これはいったいどうなされた?」

 

「が、ガクポ殿!?」

 

 まったく不意に、しかも真正面から現れたガクポの存在に、オリバーは驚きに片目を見開いた。

 

 しかし、すぐに気を取り直す。

 

「ここでガクポ殿に会えるとは、まさしく僥倖。我ら、貴殿を探してここまで参ったのです」

 

「何?」

 

「しかしここでゴロツキどもに囲まれ、ご覧の有様。……事の仔細はルカ殿が承知しておりますれば、ガクポ殿はルカ殿を連れてお退き下され。ここは私が引き受けます!」

 

 両手の剣を構え直すオリバー。その背後に立ちすくむルカに、ガクポは目を向けた、

 

「ガクポ……様……」

 

 恐怖に震えていたルカは、ガクポと目が合うと安心したのか、ふっとその場で意識を失った。

 

 倒れこむルカを、ガクポは慌てて抱きとめた。

 

「ガクポ殿、早くお退きを! 突破口は私が切り開きます!!」

 

 そう言って斬り込もうとするオリバーを、ガクポはとっさに止めた。

 

「待て、早まるな!」

 

 ピシャリと叩きつけるような声に、オリバーの足が思わず停まった。

 

「ガクポ殿、何故!?」

 

「此奴ら、ただのゴロツキではない」

 

 ガクポはルカを抱き留めたまま、周囲を囲む男たちを見渡した。

 

 その数、二十人。

 

 その全員が、武器を持っている。

 

 小銃、短銃の類は無いが、短剣に、手斧、棍棒、長剣やサーベルを持っている者さえ居る。

 

 そして、その構えは決して素人のものでは無い。

 

「お主ら、革命勢力であるな、……本音党か?」

 

 ガクポの問いに、男たちの中で最も近くに居た者が答えた。

 

「本音党? …あぁ、あのデルが率いている連中か。あんなのと一緒にするな。俺たちこそメイコ直属の革命勢力。メイコ親衛隊だ」

 

 聞いたこと無いな、とガクポは思う。

 

 ミクの護衛の為にメイコの教会に住み込むようになって暫く経つが、親衛隊を名乗る彼らの姿を見たことは一度もない。

 

 メイコのそばに居るのは、ネルやネロといった孤児たちを除けば、得体の知れない娼婦たちぐらいだ。

 

 しかし、

 

「仮にも親衛隊を名乗る者たちが、多勢で婦人を襲うとは感心せぬ。……まさかとは思うが、これもメイコの命令であるのか?」

 

「こいつらは貴族か金持ちだ。そうに違い無い。ならば民衆の敵、革命の敵だ。倒さねばならぬ」

 

「メイコの命令では無いのだな」

 

「喧しい! だいたい貴様こそ何者だ。こいつらの仲間、革命の敵だな!!」

 

 ガクポは呆れ返った。

 

 孤児や娼婦を除けば、今現在、メイコに最も近い位置に居るのは、このガクポなのだ。

 

 仮にも親衛隊を名乗る者たちならば、ガクポの存在は知っていてしかるべきだった。

 

 それすら知らぬというのだから、恐らく本音党と同じ、メイコが従える数多の革命勢力の一つにしか過ぎないのだろう。

 

 そして、オリバーとルカを襲ったのも、貴族や商人を狙った追い剥ぎ紛いのテロに過ぎない。

 

 素人ではない。しかし浅はかな連中だ、とガクポは結論付けた。

 

 何しろ狙った相手が悪い。

 

 オリバーはカイトとの決闘で片目を失ったとはいえ、親衛隊でも屈指の手練れだ。名前だけの親衛隊もどきが敵う相手ではない。

 

 しかしそれだけに、たった一人を相手に手痛い反撃を受けた彼らは、より逆上しているようだった。

 

(見たところ死人は出ておらぬな……)

 

 手傷を受けた者は数多いが、まだ致命傷を受けた者はいないようだった。

 

(いっそ、二、三人ほど叩き斬ってやろうか。さすれば恐れをなして逃げ去るものだが……)

 

 ガクポはどんどん冷たく醒めていく心でそう思った。

 

 が、すぐに腕に抱いた温もりに、その考えを改める。

 

(ルカ殿に、そんな惨状を見せたくは無いな)

 

 ガクポはルカを抱いたまま、オリバーのそばに寄った。

 

「オリバー殿、ルカ殿をお頼みします」

 

「えっ!?」

 

 ガクポからルカを渡され、オリバーは慌てて剣を置き、ルカを抱き留める。

 

「ここは私一人に任せてもらおう」

 

「しかしガクポ殿、相手は二十人。しかもガクポ殿は丸腰ではありませんか!?」

 

「丸腰で幸いであった。今の私が剣を遣えば手加減が出来ぬ故」

 

 素手ならば、遠慮はいらぬ。

 

 そう言い捨てて、ガクポは男たちに向かって、ためらい無く進み出した。

 

「剣士ガクポ、手刀にてお相手いたす」

 

「ふざけるなっ!!」

 

 愚弄されたと感じたのだろう。目の前の男は、容赦無くサーベルを振り下ろした。

 

 しかし、それよりも早く、ガクポの手刀が男の手首を打ち、サーベルを弾き飛ばす。

 

 間髪入れずに手刀が男の首筋を打ちすえ、同時に足払いをかける。

 

 一瞬の早技だった。

 

 ガクポの足元に倒れ伏した男は既に意識を失い、それきり立ち上がる素振りも無い。

 

 ガクポはその男の身体を飛び越えると、そのまま一息に次の男へと距離を詰めた。

 

 まるで空でも飛んだかと思う程のその速さに、詰め寄られた男は、

 

「わっ!?」

 

 と、声を上げると同時に、手にしていた棍棒で殴りかかろうとする。

 

 しかしその時既に、ガクポの拳が、相手のみぞおちを深く突いていた。

 

 げっ、と呻き声を漏らして前屈みになった男の首筋に、手刀が落ち、意識を刈り取る。

 

 ガクポはそのまま流れるように左へ移動し、そちらから襲いかかろうとしていた三人目の男の胸に肘を打ち込んだ。

 

 胸を打たれた息苦しさに、声も上げられずに悶絶する男を、さらに突き飛ばす。

 

 その後ろから奇声を上げながら、ナイフで突き込んでこようとしていた男が、突き飛ばされた仲間にぶつかりそうになり、慌てて立ち止まる。

 

 すかさずガクポが接近し、ナイフを持った相手の右手を左手で掴むと同時に、右手で相手の胸倉を掴み上げ、足払いをかける。

 

 相手は背中から石畳に叩きつけられ、昏倒した。

 

 これで、四人。

 

 ここまで十秒とかかっていない。

 

 その短時間で、しかもあまりにも無造作に、四人もの武装した男たちが倒されたのだ。

 

 実力差は圧倒的だった。

 

 しかし、度を越した呆気ない勝負は、敗者側にその実感を与えない。

 

 それどころか素手の人間一人に良い様にあしらわれた、という有り得ない現実が信じられず、男たちはそれを払拭しようと、余計に戦意を駆り立てることになった。

 

 もし、ガクポが当初の考え通り、二、三人ほどを容赦無く血祭りにあげて見せたならば、男たちも残酷無惨な現実に恐れをなしただろう。

 

 しかしガクポは、それをするくらいなら二十人全員を叩きのめす方を選んだ。

 

 男たちにとってそれが果たして幸いだったかは分からないが、ガクポにとってはどうでもいい話だった。

 

 そもそもガクポに男たちの命を惜しむ気など無い。単純に、想い人のルカの前で血を流したくないだけだ。

 

 そして死なない程度ならば、ルカを襲った男たちに対して容赦するつもりは全くなかった。

 

 ガクポが足を進める。

 

 その先に居るのは、長い樫の木の棒を構えた男だった。

 

 男は真っ直ぐに向かってくるガクポの姿に気圧され、一、二歩後退りしたが、すぐに大声を上げて、棒の先端をガクポに向かって突き出して来た。

 

 ガクポの左手が動き、棒の先端を掴む。

 

 と、そのまま相手の突きの速度よりも速く、棒を手元に引き寄せる。

 

 相手は前につんのめる。

 

 前に差し出された首筋に、ガクポの手刀が稲妻の様に落ちた。

 

 五人目を倒したガクポの背後から、その首に太い腕が回された。

 

 長身のガクポよりもさらに背の高い巨漢が、丸太のような腕を交差させて、ガクポの首を締め上げようとする。

 

 ガクポは素早く腰を沈めると、肩越しに相手の頭を両手で掴んだ。

 

 そのまま一気に、前へ投げ飛ばす。

 

 背負い投げられた巨漢は、石畳の上に背中から叩きつけられ、悶絶苦悶。

 

 ガクポの身体がまたスルリと横に流れる。今度は右だ。

 

 左から手斧を振り下ろして来た男の攻撃が、虚しく宙を切る。

 

 ガクポがすかさず踏み込み、距離を詰める。

 

 次の瞬間、手斧が弾き飛ばされ、男の身体が錐揉みを打ちながら石畳に激しく叩きつけられた。

 

 これで七人。

 

 ガクポの息はわずかばかりも乱れてはいない。

 

 ガクポは倒した男たちを跨ぎ超えて、悠然と前に出る。

 

 敵はまだ十三人。

 

 この人数が前後左右を取り囲んで一斉に襲いかかれば、いかにガクポといえども身動きが取れなくなるはずだった。

 

 しかし、そうしようにもガクポの背後には倒された男たちが悶絶しながら地面でのたうちまわっている。

 

 これでは足場を塞いでいるのと同じだった。

 

 背後が取れないまま左右から襲いかかれば、わずかな隙を突いて正確無比なカウンターが飛んでくる。

 

 まして正面など、攻撃するよりも先に、ガクポから間合いを詰められ、打ち倒されてしまう有様だった。

 

 一人、また一人と、ガクポが歩みを進めるたびに、男たちが石畳に倒れ伏していく。

 

 ガクポの身体が水の様に流れる。

 

 しかしそれは最初、この集団をすり抜けて行ったものとは違い、まるで濁流の様に、立ち塞がる者を容赦無く押し潰し、叩き潰していく。

 

 武装した二十人対、素手の一人。

 

 それでこの有様である。

 

 強いなどというものでは無い。

 

 もはや、次元が違う。

 

 メイコ親衛隊を名乗る男たちが、自分たちが決して相手にしてはいけない相手に挑みかかってしまったのだと思い知った時、男たちの内で残っていたのは、既に三人に減っていた。

 

 通りには、倒された十七人の男たちの苦悶の声が響き渡っている。

 

 ガクポはそれを背中に聞きながら、息切れ一つ、服の乱れさえ見せずに、平然と歩いてくる。

 

 化け物。

 

 三人は恐怖を感じ、後退った。

 

 三人も当然、武装している。

 

 二人はサーベル。一人はナイフ。

 

 サーベルを持った二人が、退がろうとしていた足を止めた。

 

 しかしそれは、攻撃の為では無い。

 

 単に、壁際に追い詰められ、逃げ場がなくなっただけだ。

 

「く、来るなぁ!?」

 

 口から泡を拭きながら、一人がサーベルを滅茶苦茶に振り回す。

 

 剣術も何もあったものではなかった。

 

 ガクポは相手の希望通り、サーベルの切っ先が届く一歩手前で足を止めた。

 

 そして、待った。

 

 さほど間を置かず、もう一人のサーベルの男が、

 

「ぎゃっ!?」

 

 と叫んでサーベルを取り落とした。

 

 隣の仲間が無闇にサーベルを振り回した結果、腕に切りつけられてしまったのだ。

 

 同士討ちしてしまったことに唖然となった男に、ガクポが詰め寄る。

 

 サーベルを持つ手を抑えると同時に胸倉を掴んで投げ飛ばす。

 

 その時、ガクポは無意識のうちに相手からサーベルを奪っていた。

 

 そのせいだろう、普段なら石畳に叩きつけられるはずだった相手の身体は、地面をうまく転がった。

 

 少ないダメージに、相手の男が立ち上がろうとする。

 

 ガクポはその動きに反応して、反射的に、手にしていたサーベルで斬りつけていた。

 

 サーベルの鋭い切っ先が相手の首を薙ぎ払う直前、ガクポはなんとか寸止めに成功した。

 

(危なかった)

 

 危うく相手の首を刎ねるところだった。

 

 ガクポは峰打ちにしようと、サーベルの柄を返す。

 

 それで再び打ち据えようとしたところで、ガクポは相手の様子に気づいた。

 

 相手は既に、ガクポの剣気に当てられ、白目を剥いて失神していた。

 

 ガクポはサーベルを持ち直すと、残る最後の一人を探した。

 

「……ふむん」

 

 最後の一人は、サーベルの二人とは別方向に逃れていた。

 

 しかも、その男はナイフを捨て、隠し持っていたのだろう、別の武器を構えていた。

 

 短銃だった。

 

 しかし男は落ち着きを失っている為、呼吸は荒く、銃口も左右にぶれて定まっていない。

 

「それでは、当たらぬ」

 

 ガクポはそう言い捨て、平然と足を進めた。

 

 互いの距離は、およそ二十歩。

 

 火打石式の短銃では、慎重に狙いを定めてギリギリ当たるか当たらないかの距離だ。

 

「今のお主が当てようとするなら、十五歩……いや、十歩でなければ無理であろう」

 

 そう言いながら、距離を詰めるガクポ。

 

 その距離は既に十五歩を踏み越えて 、十歩に迫ろうとしている。

 

 相手は息を呑み、短銃の狙いを定めようと腕に力を込めた。

 

 しかし不用意な力みは、かえって腕の震えを呼ぶ。

 

 それでも、その引き金に指がかかる。

 

「七歩だ」

 

 ガクポの言葉に、引き金にかけた指が止まった。

 

「十歩では身体に当たりはすれど急所には当たらん。一撃で眉間か心臓を撃たねば、このサーベルがお前を襲うだろう」

 

 その言葉に相手はガクポの胸に狙いをつけようとしたが、そのときガクポは半身になり、右手の剣先を相手に向けていた。

 

 半身になったことで、銃口から心臓が隠される。

 

「故に、七歩」

 

 刺突の構えをとったガクポを前に、相手は油汗を滴らせながら、短銃をガクポの眉間に狙いを変え、構え直す。

 

 小銃もそうだが、当時の銃は先込め式のため、一発しか撃てない。

 

 外せば、終わり。

 

 ガクポは、その強迫観念をサーベルの切っ先と共に相手へ突きつけたのだ。

 

 ガクポは刺突の構えのまま、間合いを詰める。

 

 十歩……九歩……八歩……

 

 ……七歩!

 

「だが、これは既に私の間合いだ」

 

 その刹那、ガクポが稲妻の様に踏み込んだ。

 

 サーベルがうねり、相手の手元をかすめる。

 

 相手は引き金を引けなかった。

 

 両手を前に突き出したまま、息をすることさえ忘れて固まっていた。

 

 その手に、短銃は無い。

 

 短銃は、ガクポの持つサーベルの切っ先にぶら下がっていた。

 

 ガクポはサーベルを軽く振って短銃を投げ上げ、それを左手で掴み取る。

 

 そのまま短銃に詰まった弾丸と火薬を抜き取ると、サーベルごと投げ捨てた。

 

「去れ」

 

 ガクポの短い言葉に、相手は壊れた人形の様に何度も頷き、そして一目散に暗がりへと逃げて行った。

 

 残る者で、意識のある者たちもフラフラと立ち上がって、引き上げようとする。

 

「気絶している者たちも連れて行け」

 

 全員、大人しく従った。

 

 それを見届けるガクポの胸には、戦いの興奮も、勝利への昂揚感も何も無かった。

 

 ガクポにとってこんな事は、所詮、些事である。

 

 それよりも気にかけるべき重要なことがあった。

 

 メイコ親衛隊が残らず引き上げたのを確認して、ガクポは、オリバーとルカに向き直った。

 

 ルカはまだ、オリバーの腕の中で失神していた。

 

 そのオリバーは、ガクポの鮮やかな戦い振りに、片目に陶酔めいた光を浮かべていたが、

 

「オリバー殿」

 

 と呼びかけられて、ハッと我を取り戻した。

 

「が、ガクポ殿。お見事にございます。先ずは窮地を救って頂いた礼を……」

 

「そんなことより、ここに現れた仔細を聞かせてもらいたい。…何があった?」

 

 その問いに、オリバーの片目がスッと細められた。

 

「メイコの元へ案内していただきたい」

 

「何故?」

 

「リン様の願いにございます」

 

「リン様が……?」

 

 ガクポは直ぐに、その意味するところを悟った。

 

「そうか、リン様が陛下のために動きなさるのだな!」

 

 オリバーは頷く。

 

 それだけで、ガクポは決断した。腹を括ったと言ってもいい。

 

「承知した!」

 

 ガクポはオリバーからルカの身体を受け取ると、彼女を横抱きにして立ち上がった。

 

 その動きに、ルカが目を覚ます。

 

「ガクポ…様?」

 

 自分がガクポに抱かれていると知って、彼女の頬に朱が差した。

 

 そして同時に、その宝石のような瞳に涙が滲んだ。

 

「ガク…ポ…様……」

 

 涙ぐみながら自分の名を呼ぶ彼女を優しく見下ろしながら、ガクポは告げた。

 

「これから走る故、舌を噛むといけぬ。黙ってしっかり捕まっておられよ」

 

「はい……」

 

 ルカは微かに頷いて、ガクポの首に両腕を回し、その胸に顔を埋めた。

 

 ルカの瞳から、涙が零れ落ちる。

 

 愛する男との再会と、その男に命を救われ、そして抱かれているという喜びが、ルカの胸に溢れていた。

 

 このまま、時が止まればいい。

 

 ルカは、リンから託された秘命の残酷さに涙しながら、そう願った。

 

 ガクポが、人ひとりを抱えてるとは思えない速度で走り出す。

 

 オリバーもその後を追う。

 

 影は疾風の様に、夜の街を駆け抜けた。

 

 

 

 

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