悪ノ王子――ボカロ(悪ノ娘)二次小説――   作:PlusⅨ

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第十六話・カイト、リン~あなたが好きだから~

 深夜。

 

 本音亭の二階にある部屋の一室で眠っていたカイトの元に、一人の女が忍び込んできた。

 

 女は、物音ひとつ立てずに、カイトのベッドのそばに近寄ると、その寝顔を眺め下ろした。

 

 窓から差し込む月明かりに照らされたカイトの寝顔は、深手を負ってからまだ日が浅いために、未だに憔悴していて、青白い。

 

 女はしばし、その顔を見つめた後、その耳元に顔を寄せた。

 

 その唇から発せられた言葉が、カイトの耳を静かに撫ぜる。

 

「メイコからの伝言だ」

 

 その冷たい声に、カイトはハッと目を覚ました。

 

 思わず声を上げかけたが、それよりも早く、白くしなやかな女の手がカイトの口を塞いだ。

 

 そのまま、声と共にカイトをベッドに押し留める。

 

 そばに立っていたのは、ハクだった。

 

 カイトが落ち着いたのを確認して、ハクはゆっくりと手を離す。

 

 カイトは声を抑えながら問いかけた。

 

「……何の用だ?」

 

「メイコが呼んでいる。すぐに来い」

 

 いつものように、ぶっきらぼうな物言いだったが、何故だか小さく、ささやくような声だった。

 

 そんなハクの態度に違和感を覚えていると、カイトを見下ろすハクの視線が、スッと横にそらされた。

 

 その視線を追ってカイトも横を見る。そこで、ようやくハクの態度に得心がいった。

 

 ハクとは反対側のベッド脇で、ミクが上体をベッドにうつ伏せて眠っていた。

 

 カイトが怪我を負って以来、ミクは付きっ切りで看病に当たっていた。

 

 特にここ数日は、カイトが怪我による高熱に浮かされていたために、ほとんど寝ずに看病していたのだ。

 

 その疲労が溜まっていたのだろう。カイトとハクの気配に気づく様子も無く、ミクは深い寝息を立てていた。

 

 カイトは、ミクを起こさないように静かにベッドを降りた。

 

 立ち上がると、目眩と共に脇腹がズキリと痛んだ。

 

 カイトは素肌にガウンを纏っただけの格好だった。

 

 そんな彼に、ハクが黙って部屋の隅にある衣装箪笥を指差す。

 

 カイトは衣装箪笥から着替えを引っ張り出し、特に躊躇うことも無くガウンを脱ぎ捨てた。ハクとは今更、着替えを見られて気にするような間柄でも無かった。

 

 ハクは、カイトの脇腹にある傷痕を一瞥し、それから眠り続けるミクのそばに寄った。

 

 微かに上下するその細い肩に、そっと毛布をかけてやる。

 

 カイトが、シャツとズボンという格好に着替えながら、言った。

 

「意外と優しいんだな」

 

 ハクは不機嫌そうに、カイトを睨む。

 

「さっさと着替えろ」

 

「終わった」

 

 靴まで履き終え、カイトは答える。

 

 何も言わずに部屋を出るハクの後に続いて、カイトも部屋を出る。

 

 扉を閉める直前、カイトはもう一度、ミクを見た。

 

(哀れな少女だ……)

 

 カイトはそう思う。

 

 彼女に近づいたきっかけは、レンに謁見するための足掛かりとしてだった。

 

 半ば死を覚悟した行動であったから、彼女の想いの行く末を深く思いやらなかった。

 

 その結果が、この有様だった。

 

 全て、カイトが自ら招いた事態だ。だから、彼自身、十分に責任を感じている。

 

 それだけに、カイトは、ミクを何としてでも公国に返してやりたかった。

 

 ミクの幸せは、間違ってもカイトのそばには無い。ここでミクを待ち受けているのは、悲惨で、不幸な未来だけだ。

 

 しかもそれは、ミクひとりに限った話では無い。

 

 レンや、リン、そして黄王国と緑公国の全てを道連れにしかねない不幸だった。

 

 その意味で、ミクは二重に不幸と言えた。

 

 王位も何も無い只の一平民であったならば、己ひとりの不幸だけと引き換えに、自由な恋に生きられたものを、しかし彼女にはそれさえも許されないのだ。

 

 しかも、そんな許されざる恋を政治的陰謀に利用されているなど、皮肉を通り越してもはや悪夢的でさえある。

 

 そんなミクの胸の内を思うと、いたたまれないものがあるが、だからと言って、カイトがミクを受け入れる訳には行かなかった。

 

 受け入れてしまえば、全てが終わる。

 

 この黄王国が滅ぶ。

 

 レンの、破滅だ。

 

 それだけは絶対に避けなければならない……

 

 ……そう、結局はそれなのだ。と、カイトは自覚した。

 

 この自分は、レンを裏切りたく無いのだと。

 

 民衆のためよりも、国のためよりも、それよりも尚、

 

 あの美しい少年の心を、失いたくないのだと。

 

 カイトは扉を閉める。

 

 ハクに続いて階下へ降りると、酒場に灯りが点いていた。

 

 そこでは一人の男がカウンターに寄りかかって酒を煽っていた。

 

 デルだった。

 

 カウンター上には幾つもの酒瓶と、そして足元には何本もの煙草の吸殻が散乱している。

 

 デルは、降りてきた二人を胡乱な眼つきで眺めると、くっくっく、と陰気な笑い声を漏らした。

 

「よお、色男。こんな夜中に女とデートか」

 

「……メイコからの呼び出しだ」

 

「夜のお誘いか。メイコもご盛んな事だ」

 

 その物言いに、ハクがデルを睨みつけた。

 

 デルは陰気に笑いながら、煙草をふかす。

 

 泥酔しているのは一目でわかった。

 

 普段から強気で挑発的な言動が目立つ男だったが、メイコに対してだけは、礼儀をわきまえていたはずだった。

 

 それが、この物言いである。

 

 先日の暴動でのメイコの処置を不満に思っているのは明らかだった。

 

 デルは咥えていた煙草を吐き捨てると、グラスを煽った。

 

 火が付いたまま吐き捨てられた吸殻が、近くのテーブルの下にある小樽に当たって跳ね返った。

 

 小銃弾用の、火薬樽だった。

 

 その近くには、細い棒状の、手製の炸裂弾まで転がっていた。

 

 火薬樽はともかく、炸裂弾は火薬を紙で包み導火線を着けただけの代物だ。火の点いた吸殻でも着火する可能性は十分あった。

 

 ハクが素早く駆け出して、火の残る吸殻を踏み潰した。

 

「デルっ、貴様この酒場を吹き飛ばすつもりか…っ」

 

「ああ、吹っ飛べばいい。どうせクソみたいな世の中だ」

 

 ハクがデルのそばに寄り、その胸ぐらを掴むと、思いっきり殴り飛ばした。

 

 デルが、近くに並べられていた椅子を跳ね倒しながら、床に崩れ落ちた。

 

「拗ねるのもいい加減にしろ。いい大人が、いつまでもつまらない真似をするな」

 

「つまらん? ああそうだ。つまらん男さ、俺は。だからメイコにも軽んじられる」

 

「もう一度殴られたいらしいな、デル」

 

「それには及ばん、自分で殴る」

 

 デルは倒れた床から上体だけ起こし、その場に座り込むと、自分の拳で自分の頬を思いっきり殴った。

 

「呆れた男だな。勝手にしろ」

 

 ハクの言葉に、デルは鼻を鳴らして、そして切れた口から血液混じりの唾を吐いた。

 

 その目が、カイトを見上げる。

 

「なあ、カイト。教えてくれ。メイコはいったい何を考えている?」

 

「……あいつの考えていることなど、誰にも分からないだろう」

 

 カイトはかぶりを振って答えながら、「ただ」と続けた。

 

「…ただ、シスターとして振る舞っている時のあいつの考えなら、少しは理解しているつもりだ」

 

「…慈悲深い女、か」

 

「少なくとも、進んで人を犠牲にする女じゃ無い。戦わずに世の中が変わるのなら、それに越したことは無い」

 

「それはカイト、お前の考えだろう」

 

「そうだ。そして今は、あいつ……メイコも同じだろう」

 

「今は…な」

 

「そうだ」

 

 不必要な犠牲は望まないが、必要とあれば躊躇いもなく人を殺せる女だ。

 

 捕らえたスパイや無法者たちへの処断の数々を通して、メイコが恐ろしいまでに冷酷な現実主義者であることを、カイトは思い知っていた。

 

「戦わねばならんのだ」と、デルは言った。

 

「戦って得たもので無ければ、民衆はその価値を理解できない。民衆による、民衆のための国を作るには闘争が不可欠なのだ」

 

「そんな理想も、お前にとっては所詮、旗印の一つにしか過ぎないんじゃ無いのか。俺に人柱になれと言ったように、民衆を戦乱に駆り立てるための道具なんだろう」

 

「理想があるからこそ手段があるのだ。闘争を求めるだけなら、とっくの昔に俺一人でこいつを王宮に投げ込んでいる」

 

 デルはそう言って、床に転がっていた炸裂弾のひとつを手に取った。

 

「俺が望むのはテロでは無い。民衆のための革命だ。だから、メイコの指示に従い続ける。……メイコには、そう伝えてくれ」

 

 

 

 

 

 ハクに連れられて教会の勝手口を潜ったカイトを、メイコと共に、三人の男女が出迎えた。

 

 ガクポと、オリバーと、そしてルカだった。

 

 ガクポについてはミクの護衛という役目上、カイトとも何度も顔を合わせている。

 

 しかしその印象といえば、懊悩を全身で現しているかのような、そんな暗いものだった。

 

 ミクが教会にいる時は、その片隅で、

 

 本音亭ならば、やはりその片隅で、全てに背を向けたような体で、うつむき佇んでいるのが常だった。

 

 だがそんな状態でも、時折不審な気配を感じた時などは、まるで閃光のような鋭い剣気をはらんだ視線がそちらに向いていたのをカイトは知っている。

 

 その剣気は、武術の心得のある者たちのみならず、素人同然の者たちまでを威嚇し、喧騒な酒場をたちまち静まり返させる程だった。

 

 だが、きっと懊悩に落ち込んでいなければ、そんな剥き出しの剣気を外に出すことも無かっただろう。

 

 カイトはそう思っていたし、そして今のガクポを目の当たりにして、その見解が正しかったこと知った。

 

 今のガクポには懊悩の代わりに精悍さがある。

 

 剥き出しの剣気の代わりに、全身に行き渡った十全の剣気がある。

 

 剣を持って相しても、正面は言うに及ばず、背後から襲おうとしても隙を見出すことは出来ないだろう。

 

 これが剣豪ガクポの本当の姿か。

 

 カイトは瞠目しつつ、同時に彼の変化を訝しんだ。

 

 ガクポ復活の理由は、恐らくオリバーと、そしてルカにあるのだろう。と、カイトは思った。

 

 オリバーの登場は、カイトにとってさほどの驚きでは無かった。

 

 親衛隊が、あの日の一件をこのまま放っておくはずが無いし、そしてその先鋒に立つのは、カイトと二度に渡って剣を交えた因縁を持つ、この片目の少年だろうと思っていた。

 

 だが、こうして再び合間見えてみると、いささか様子がおかしい。

 

 カイトとの決着をつけに来たという雰囲気では無い。

 

 もっと別種のシリアスさが、オリバーにはあった。

 

 そして同種のシリアスさを纏う者がもう一人。

 

 ルカという女だ。

 

 たしか国王付きのメイドのひとりだったはずだ。と、カイトは以前の王宮での舞踏会の時の記憶を手繰り寄せた。

 

 沈黙する教会の中、先ずはガクポが口火を切った。

 

「この二人、オリバー殿とルカ殿は、リン様の密命により、メイコ殿とカイト殿に会いに来た由」

 

 ガクポは元々、レンの剣術指南役である。

 

 当然、国王のそばに仕える親衛隊やメイドとの交流も多い。

 

 オリバーとルカがその伝手を頼ってここに来たとなれば、いよいよ敵対行動とは考えづらい。

 

 それに、

 

「リンの密命だと?」

 

 カイトの疑問に、オリバーが不快そうに片目で睨んできた。リン、と呼び捨てにしたことが気に食わなかったのだろう。

 

 しかしオリバーはグッと堪えたようで、カイトから目をそらした。

 

 その片目を、メイコに向ける。

 

「陛下が体調不良を理由に自室に籠られているのは、知っていると思う」

 

「ええ」

 

 とメイコは頷く。

 

 メイコだけでは無い。国の内外に広くその話題は知れ渡っていた。

 

 何しろ主流派の大臣や有力貴族らが、こぞって喧伝しているのだ。

 

 レン退位に向けた布石だった。

 

 しかし大臣らが望んだところで、直ぐにレンを退位に追い込めるわけでは無い。

 

 絶対王政ほどの権力を持たないとはいえ、この国の最終意思決定権をレンが持っていることに変わりは無いからだ。

 

 不測の事態でも無い限り、国王の進退は国王自身が決めることだった。

 

(まさか、レンに暗殺の危機が?)

 

 カイトは一瞬そう思った。

 

 国王退位など、レンが認めるはずが無い。故に大臣らが強硬手段に出る可能性はあった。

 

(しかし……)

 

 だからと言って、オリバーとルカがここへ現れた理由にはならない。

 

 第一、暗殺の危険性などあのレンならとうの昔から、それこそ即位した時から覚悟の上だという気がした。

 

 王宮に忍び込んだ時に痛感した親衛隊の厳重な警備と練度の高さを考えれば、油断など片時もしていない事が分かる。

 

 カイトとて、容易く忍び込んだわけでは無いのだ。

 

「陛下を自室に閉じ込めたのは――」

 

 オリバーが言った。

 

 閉じ込めたという物言いに不審を感じる間も無く、その続きが口にされる。

 

「――閉じ込めたのは、リン様だ」

 

「何だと?」

 

「リン様には、他の者には無い特権を一つだけお持ちである。陛下にのみ有効な法律を発布できる権限だ。リン様はそれを持って、大臣どもを討伐なされようとした陛下を止められた」

 

 あの暴動で、レンが自ら出動したのは、カイトも後になって知った。

 

 そしてその時、大臣らがこぞって城下街から逃げ出していたことも。

 

 大臣討伐。それはすなわち、内戦の危機でもあった。

 

 緑公国から見放されたレンが国を率い続けるには、それ以外に無かったのだろう。

 

 そして、それを防げるのはリンだけだったのだ。

 

 レンも、リンも、お互いに他に選択肢が無かったのだ。

 

 それを思うと、カイトの胸はひどく痛んだ。

 

「つまり…」

 

 と、メイコがここで口を開いた。

 

「あの子、リン王女はこの国で唯一、国王に退位を命じることが出来る人間でもあるわけね」

 

(っ!?)

 

 そうだ、そういうことになるのだ。

 

 カイトはメイコの言葉に、ゾッと背筋が凍える思いがした。

 

 恐ろしく悪い予感がした。

 

 その予感に突き動かされるまま、カイトは訊いた。

 

「リンは、何をする気だ?」

 

 オリバーの片目が、カイトを睨む。

 

「リン様は、即位なされる」

 

「何故だ!?」

 

 カイトの声が荒いだ。

 

 リンの即位は、そのままレンへの裏切り行為だ。

 

「リン様は…」

 

 不意に、憂いを帯びた女の声が流れた。

 

 ルカだった。

 

「…リン様は、陛下の代わりに主流派を討つおつもりです」

 

「バカな…」

 

 カイトは呆然とつぶやき、そしてルカを問いただそうと声を出しかけた。

 

 が、その前にメイコに先を越された。

 

「リン王女の考えはわかりました。それで、私たちにどうして欲しいというのかしら?」

 

「革命を起こさないように、民衆を抑えて頂きたいのです。大臣たちを討ち果たした直後には大混乱が起きるでしょう。その時に、不要な戦いを起こして欲しく無いのです」

 

「都合のいい話ね。もしかしたら主流派との内戦になるかもしれないのに?」

 

「内戦は起こさせません。手を汚すのは、私たちだけで充分です」

 

「手を汚すとは、どのように?」

 

 メイコの問いに、ルカはその計画を話した。

 

 その内容に、カイトと、そしてガクポまでも慄然とした。

 

 絶句した男たちをよそに、メイコは静かに頷き返した。

 

「わかりました。あなたたちの計画に乗るとしましょう。リン王女には、まだ革命は起こさないと伝えて頂戴」

 

 メイコはそこまで言って、ふと考え込む素振りを見せて、

 

「何か約束を示す証が必要かしら? と言っても、私は口約束しかしない性質だけど」

 

「その必要はありません。リン様からも、そのように仰せつかっております」

 

「信用してくれてるのかしら?」

 

「信用は出来るが、油断は出来ないお方とお聞きしております。私自身、こうしてお会いしてその意味がよくわかりました」

 

「正直にはっきりと物を言う娘ね。リン王女が代理として遣わすだけあるわ」

 

 メイコは穏やかに微笑んだ。

 

 この場で笑っていられたのは、彼女だけだった。

 

 

 

 

 カイトが本音亭へ戻った時、酒場にはもう、デルの姿は無かった。

 

 火薬樽と炸裂弾も片付けられ、無人の酒場に残っていたのは床に散らばった吸殻と、カウンター上の飲みかけの酒瓶だけだった。

 

 カイトはカウンター席に座り、酒をグラスに注いだ。

 

 それを一息に煽る。

 

 強いアルコールが喉を焼きながら胃に落ちて行ったが、酔える気はしなかった。

 

 ルカから聞かされた話が、冷たい澱みとなって胸の底に溜まっていた。

 

 そのルカとオリバーは、あの後ガクポに送られて帰って行った。

 

 経路は恐らく、あの秘密通路だろう。

 

(何も言えなかった…)

 

 カイトはグラスを煽り続けながら、思い返す。

 

 ルカが語った計画の内容は、カイトにとって受け入れ難い物だった。

 

 それは共に聞いていたガクポにとっても同じだっただろう。彼の顔が青ざめていたことに、カイトは気づいていた。

 

 しかし、それでも何も言えなかった。

 

 なぜなら、リンの計画と同じ事を、彼自身も行おうと考えていたからだ。

 

 結局のところそれしか無いと、カイト自身も思っていた。

 

 しかし、それをまさかよりにもよって、あのリンが……

 

 キィ、と音がして酒場の戸が開いた。

 

 入って来たのは、ガクポだった。

 

 ルカとオリバーを送り届け、ミクの居る本音亭へ帰って来たところだった。

 

「おや、カイト殿。まだ起きていられたか」

 

「…あの話を聞かされては、とても眠れそうに無い」

 

「であろうな」

 

 ガクポが、フッと笑った。

 

 諦観めいた笑みだった。

 

 カイトはその笑みが気になって、彼に向かって酒瓶を示して見せた。

 

「飲むか?」

 

「相伴させて頂こう」

 

 ガクポがカウンターの向こう側からグラスを取り、カイトの隣に座る。

 

 カイトが彼のグラスに酒を注ぐと、

 

「どうも」

 

 とガクポは礼を言って、ちびりと舐めた。

 

「強い酒であるな」

 

「この店で一番強い酒だ。こいつで脇腹の傷を洗われた」

 

「さぞかし効いたであろう」

 

「おかげで生き延びた」

 

「それは重畳」

 

 ガクポはまた、ちびりと舐める。

 

 落ち着いた飲み方だった。

 

「どうも思って無いのか?」

 

「何の話であろうか?」

 

「計画の話だ。衝撃を受けてないのか」

 

「ふむ」

 

 カイトの問いに、ガクポはグラスを見つめた。

 

「衝撃を受けてないと言えば、嘘になる」

 

「では何故、反対しなかった?」

 

「反対しなかったのは、お互い様であろう。…それに反対しなかったわけでは無い。今しがた送り届ける際、思い留まるよう伝えたところだ」

 

「それで、思い留まったのか?」

 

「まさか」

 

 ガクポは小さく首を横に振った。

 

「ルカ殿の決意は固いものであった。リン様への忠義に殉ずるつもりであろう」

 

「あの女も死ぬつもりか」

 

「であろう」

 

 ガクポは頷き、グラスを舐める。

 

 醒めた反応だな、とカイトは思いつつ、同じようにグラスを傾けた。

 

 ガクポがグラスを置き、言った。

 

「であるから、私も一緒に死んでやろうと思う」

 

「何だと?」

 

「陛下のためにリン様が命をお懸けになろうというのだ。お止め出来ないとあれば、共に命を懸けようと思ってな」

 

 それに…とガクポは話を続けた。

 

「実は、あのルカ殿に惚れておってな」

 

 ガクポはフッと、はにかみ、

 

「陛下とミク様のご婚姻の折に我らも、と思ってたのだが、このような情勢では共に生きて行くことさえ難しくなった。ならばせめて、共に死んでやるのが惚れた女への誠意であろう」

 

「……」

 

「ミク様の護衛任務を捨てるのは心苦しいが、メイコ殿は信用できる方だ。大丈夫であろう。己の人生の最期ぐらいは、惚れた主と、惚れた女のために使ってやりたいのだ」

 

 ガクポはグラスを舐めた。

 

 カイトもグラスを傾ける。しかし、中身は既に空だった。

 

 ガクポが酒瓶を差し出し、カイトのグラスに注いだ。

 

「カイト殿、死に場所を自分で定めるのも、ひとつの生き様かも知れぬ」

 

「…そういうものか」

 

 注がれたグラスを口元に運びながら、カイトは思う。

 

 ならば己の死に場所は、どこにあるのか、と。

 

 その答えはもう、自分の中で出ているように思えた。

 

 

 

 

 

 

 陛下ご乱心。

 

 血相を変えて隊長室に飛び込んで来た部下からの報告に、レオンは、

 

「そうか」

 

 と冷静に頷いた。

 

 どんな状況でも冷静に振る舞うのが指揮官たる者の務めだが、それだけではなく、この状況は半ば予想の範囲内でもあった。

 

「陛下はなんと仰られている?」

 

「リン様に会わせろ、の一点張りです。会わせなければ喉を掻き切ると、自らの首に剣を当てており、大変危険な状態です」

 

 部下の報告を聞きながら、レオンは国王の私室へ向かう。

 

 部屋に辿り着いたレオンが見たものは、酷い有り様と成り果てた室内だった。

 

 テーブルや椅子は、バラバラに切断され、窓のカーテンは引き裂かれ、ガラスも砕かれている。

 

 ベッドのシーツにも切り傷が幾つも走り、部屋中にクッションの羽毛が舞い散っていた。

 

 そんな部屋の中央で、レンが自らの首に片刃剣の鋭利な刃を押し当て、部屋の外に集まった親衛隊と、そしてやって来たレオンを睨みつけていた。

 

「いったい、これはなんの真似ですかな?」

 

 そう言って、前に進み出たレオンを、レンはキッと睨んで叫んだ。

 

「下がれ、レオ! お前には関係無い!!」

 

「そういう訳には参りませぬ」

 

「リンを呼べ!」

 

「何ゆえに?」

 

「問い質したい事がある。どうしてもだ!」

 

「問い質す? ……それは出来ませぬ」

 

「うるさい、早く呼べ!」

 

「お立場をわきまえなされませ、“レン様”」

 

「っ!?」

 

 レオンは今、レン様と呼んだ。

 

 陛下では無い。

 

「ふ…ふざけるな。僕はそんなこと認めて無いぞ!」

 

「リン様からご宣旨を受け、議会での決議が既になされております。後は戴冠式を残すのみ」

 

「リンを連れて来い! 今すぐにだ! でなければ、この首かっ切るぞ!」

 

「見え透いた脅しなど、無意味なことです」

 

「脅しだと思うか?」

 

 レンが片刃剣を押し込み、その首筋にうっすらと血の赤が滲んだ。

 

 しかし、それでもレオンは眉ひとつ動かさなかった。

 

「もう一度申し上げます。脅しは通じませぬ。ここで無意味に死ねるほど、あなたは愚かでは無い」

 

「………」

 

 レンは自らの首を浅く切ったまま、しばらくレオンを睨んでいたが、

 

「だったら…」

 

 と、やおら首から剣を離した。

 

 そのまま、切っ先がレオンに向けられる。

 

「だったら、お前たちを斬り伏せてでも、リンの元まで押し通る」

 

「どうぞ、お斬りくださいませ」

 

 レオンは答え、両腕を左右に拡げた。

 

「手向かいはいたしませぬ。その代わり我ら親衛隊、最後の一兵までことごとく立ちはだかりましょうぞ。その全てを斬らねば、リン様の元へ辿り着けぬと心得られよ」

 

「よくぞ言った!」

 

 レンは片刃剣を構え、間合いを詰めた。

 

 その剣が上段に構えられる。

 

 レオンは相変わらず表情を変えない。

 

 しかしそれは、レンも同じだった。構えに躊躇いが無い。

 

 両者、どちらも危ういまでに本気だった。

 

 レンが上段に構えたまま、さらに間合いを詰めた。

 

 レオンは退かず、真っ直ぐレンを見つめている。

 

 レンも真っ向から見返しながら、その剣を振り下ろした。

 

 片刃剣が、左の肩から右脇腹にかけて、ざっくりと斬り裂こうとした、その直前、

 

 レオンの肩に触れるか触れないかギリギリのところで、剣は寸止めされた。

 

 レオンは身じろぎひとつ、瞬きひとつしなかった。

 

 所詮、斬られることは無いと確信していたのか。

 

 いや、違う。逆である。

 

 本気で斬られる覚悟があったこそ、なんの動揺も無いのだ。

 

「命拾いしたな、レオ」

 

 レンは片刃剣を鞘に収めた。

 

 その目が、レオンの背後、部屋の入り口へと向けられている。

 

 レオンは振り返る。

 

 部屋の入り口に詰めかけていた他の親衛隊員たちも、自分たちの背後に近づいてくる気配に気がつき、一斉にその道を開けた。

 

 国王の私室へ向かって、リンがやってこようとしていた。

 

 しかしその服装は、いつものメイド服では無い。

 

 黄を基調とした気品あるドレス姿だった。

 

 道を譲った親衛隊員たちが、一斉に最敬礼を行った。

 

 それは彼女が、単なる国王の姉ではなく、第一王位継承者、すなわち王女としてあることを示していた。

 

「……リン!」

 

 彼女が部屋に入るより先に、レンが部屋を出ようとする。

 

「止まりなさい。部屋を出ることを許可した覚えはありません」

 

 リンの言葉に、レンの足が止まった。

 

 その顔が、憤りに赤く染まっていく。

 

「リンっ、自分が何をしでかしたか、わかっているのか!?」

 

「ええ、わかっているからこそ、ここに居るのよ」

 

「大臣たちの思うツボだ。利用されて捨てられる道具だぞ!」

 

「口が過ぎるわよ、レン」

 

「国王陛下と呼べ!」

 

「お黙りなさい!」

 

 レンにも負けぬ声で、リンが叫んだ。

 

「既に宣旨を下し、議会の決議は得た。諸国諸侯も承認済みよ。あなたはもう国王では無い。一介の王位継承者、王子に過ぎないわ」

 

「………!?」

 

 レンの全身がワナワナと震えている。

 

 まるで今にも、手にした剣を引き抜いて斬りかからんばかりの形相で、リンを睨んでいる。

 

「……出て行け」

 

 感情を必死に押し殺したような、低い声だった。

 

「全員、この部屋から出て行け。早くしろ。でないと、もう、誰彼構わず叩き斬ってしまいそうだ……ッ!」

 

 事実、レンの右手が小刻みに震えながら、既に剣の柄に伸びていた。

 

 リンはそれを一瞥し、告げた。

 

「レオ、親衛隊を下がらせなさい」

 

「承知しました」

 

 親衛隊が全員、部屋を出て行く。

 

 リンもまた、部屋を出て、自ら扉を閉めた。

 

 閉じられた扉の向こうで、レンの吠えるような声と、何かが切断される音が響いた。

 

 リンは部屋に背を向け、歩き出す。

 

 レオンがそばに付き従った。

 

「陛下から剣をお預かりすべきでありましたかな」

 

「その必要は無いわ。無意味に自分や他人を傷つけられるほど、レンは弱く無いもの」

 

 それに、とリンは続けた。

 

「レンにとって剣は心の支えよ。今それを奪ったら、きっと立ち上がれなくなる」

 

 彼にはまだ、未来があるのだ。

 

 戦うべき苛酷な未来が。

 

 だからこそ、今、レンから牙を抜くわけにはいかなかった。

 

(ゴメンね、レン……)

 

 

 

 

 

 

 その夜、リンは一人、王宮の庭園を歩いていた。

 

 女王即位に向けて彼女の周囲は慌ただしくなっていたが、それでも、夜にはこうして庭園をひとり歩きするのが日課になっていた。

 

 別に庭歩きが趣味になったわけでは無い。

 

 これにはちゃんと理由があった。

 

 ただ、この理由というのも言葉にしてしまえば確たる理由とも言えぬ、曖昧な、願望めいたものでしか無かったのだが……

 

 今夜の庭園は、青白い月が中天に輝いて、ほのかに薄明るい。

 

 リンは親衛隊の見回りと行き合わないよう、背の高い木立の影から影を縫うように歩みを進めていた。

 

 やがて、リンの足がある場所で立ち止まる。

 

 そこは、噴水のある場所だった。

 

 そこはいつぞやの夜、ガクポとルカが束の間の別離を惜しんで月下に踊った場所。

 

 そして、あの舞踏会の夜、カイトとミクの逢瀬を垣間見た場所。

 

 リンは噴水のそばに立ち、そっと辺りを眺め渡した。

 

 木立の向こう、遠くに国王の私室が見えた。

 

 レンの部屋の窓だ。

 

 そう、レンは考えごとがあると窓辺に立って庭園を眺めるのが癖だった。

 

 今にして思えば、レンは、ガクポとルカの関係も、そしてカイトとミクのあの夜のことも、全部知っていたのではなかろうか。

 

 こうやって夜のひとり歩きをするようになってから、リンはしきりにそう思うようになっていた。

 

 今もレンは、あの窓辺に立って居るのだろうか。

 

 リンはそう思いつつ、レンの部屋の窓を眺めた。

 

 しかしその窓は、昼間にレンが叩き割ってしまったために、応急処置として外から板が打ち付けられていた。

 

 リンはうつむくと、噴水の池の淵に腰掛けた。

 

 そのまま、しばらく待ち続ける。

 

 来る、という確かな証は無かった。

 

 けれど、来る、と信じていた。

 

 そして来るなら、きっとこの場所だろう。そう確信していた。

 

 リンは待ち続けた。

 

 夜風が吹き、木立が揺れて葉擦れの音が辺りを満たす。

 

 雲が流れて空の月を隠した。

 

 青白く照らされていた庭園に。一時、影が差し、

 

 しかしそれはすぐに吹き払われて、月光下の景色に戻った。

 

 リンは、誰かに呼ばれた気がして顔を上げた。

 

 立ち上がり、振り返る。

 

 

 

 

 そこに、カイトが居た。

 

 

 

 リンとは噴水を挟んで反対側。

 

 月光煌めく薄い水の膜を透かして、リンを見つめていた。

 

 二人は数秒間、そうやって見つめ合っていた。

 

 お互いに、驚きは無かった。

 

 来るだろうと思って、待っていたのであり、

 

 待っているだろうと思っていたから、来たのだ。

 

 やがて……

 

「……見違えたな」

 

 と、カイトがぽつりと呟いた。

 

「え?」

 

「君のことだ」

 

 カイトは噴水の縁を回って、リンのそばへと歩み寄る。

 

「メイド服か、質素な服の君しか知らなかった。…着飾った君は、とても綺麗だ」

 

 リンが今着ている黄を基調としたドレスは、いつぞや街へ忍び出た時、店先のショーウィンドウに飾られ、見惚れていたドレスよりも、もっと高価なもの。

 

 リンのためだけに仕立てられた、唯一無二のドレスだった。

 

 華やかな中にも落ち着きがあり、凛とした佇まいを感じさせる。

 

 美しさと威厳を兼ね備えた王女としてのリンは、綺麗だった。

 

 カイトの言葉に、リンの顔が月光下に、みるみると赤くなり、その顔に笑みが浮かんだ。

 

 それは嬉しさと、恥ずかしさと、

 

 そして何処と無く、哀しみをはらんだ笑顔だった。

 

「……レンはいつも言っていたわ。こんな風に着飾るのは、とても窮屈だって。今になって、その気持ちがよくわかる」

 

 リンは、板で塞がれたレンの部屋の窓に、目を向けた。

 

「…国王というものが、こんなにも重く、孤独なものだなんて思わなかった。レンはずっと、こんな世界に身を置いていたのね」

 

「これから先も、あいつはその世界で生きて行くことになる。国王として戦い続けることになる。本当の意味で…独りで……」

 

「できるなら、あなたにそばに居てあげて欲しかった。私の代わりにそばに居て、レンを支えてあげて欲しかった……」

 

 でも、とリンは続けた。

 

「でも、駄目ね。だって、あなたには私のそばに居て欲しいと願ってしまっているんだもの」

 

 リンの瞳が、再びカイトを見つめていた。

 

「ひどいわがままだって、わかってる。だけど……」

 

 それは、真剣な眼差し。

 

 心からの言葉。

 

「……だけど、あなたをレンに渡したく無いの」

 

 それは、カイトの心を見透かした言葉。

 

 カイトは微かにため息を付いた。

 

 ようやく自覚した己のレンへの想いを、彼女に告げる前に見透かされてしまっていた。

 

「レンではなく、君が好きだからここへ来た。と、言ったら信じてくれるか?」

 

「信じないわ。だって、あなたはずっと、レンだけを見ていたでしょう? あの街で出会った時だって、そう。あなたの心は、とっくにレンに奪われているのよ。だから、ここへ来た」

 

「君が呼んだんだ。わたしと共にありたいと願い、わたしはそれに応えた」

 

「レンの代わりに、私を抱きたくなったのね」

 

「ひどい言われようだな」

 

 カイトは笑った。

 

 笑いながら、否定はしなかった。

 

 本当に我ながらひどい男だと、カイトは思った。

 

 ミクをたぶらかし、そしてリンに、レンの面影を重ねている。

 

 自嘲気味に笑うカイトを見つめながら、リンが、ふと囁くように言った。

 

「……抱かれてもいいのよ」

 

 その言葉に、カイトの顔から笑みが消えた。

 

「どういう意味だ」

 

「心はレンにあげる。その代わり、あなたの命を貰い受けるわ」

 

 リンが、カイトのそばに寄った。

 

 立ち尽くすカイトの胸に、身体を寄せる。

 

「カイト……」

 

 見上げた瞳が、カイトを映す。

 

 瞼が閉じられ、小さな唇が、カイトの唇に触れた。

 

 数秒間の、キス。

 

 唇と唇が触れ合うだけの幼いキスだった。カイトにはそれが、リンの精一杯の虚栄心の表れであるように思えた。

 

 そして同時に、彼女の想いの切なさも感じて、無性に愛おしさを感じた。

 

 唇を離し、リンが微かに吐息を漏らした。

 

 赤くなった頬、再び開かれた瞳は涙で潤んでいた。

 

 羞恥心に耐え切れなくなったのだろう、リンはうつむき、カイトの胸に顔を埋めようとした。

 

 しかしカイトは、リンの細い顎に指をかけ、もう一度、その顔を上げた。

 

「ひどい女だな、君は」

 

「ひどいのは、あなたよ――」

 

 その言葉を塞ぐように、リンのわななく唇を奪った。今度は深く、熱く。

 

 風が吹き、雲が流れた。

 

 月が翳り、二人の影が重なり合い、暗がりへと溶けて消えて行った。

 

 

 

 

 

 

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