遠雷のような銃声の木霊を聞きながら、ガクポは今、一台の馬車と共に馬を並べて城下街を出て郊外を走っていた。
リンの計画が失敗に終わり、カイトが死んだあの後、ガクポはミクの元へ戻っていた。ミクを安全な場所へ避難させる。最低でもキヨテルの館、可能ならば国外まで脱出させるのがその目的だった。
しかしガクポ自身は、黄王国を出るつもりは無かった。ミクを逃した後は、すぐに城下街へとって返し、王宮へ行って、レンとリンを救い出すつもりだった。
それはガクポ自身の強い願いであると同時に、緑公国大公から下された、ミク護衛以外のもう一つの任務でもあった。
いざという時、レンか、リン、せめてどちらかの身柄を確保し、保護せよ。
それは政治的思惑を伴わない、大公個人の願いでもあった。この命令はつまり、大公としてはレンの失脚を望んでいないという本心の現れでもある。故にガクポをして、リンの計画への参加を決意させた一因にもなったのだ。
しかしその計画は失敗に終わり、恐れていた“いざという時”が来てしまった。ならば全力を持ってミク、レン、リンを救わなければならない。それがガクポに課せられた使命であった。
だが既に、ミクをここまで連れ出すのに丸一日以上を費やしてしまっていた。
理由は幾つかある。
ひとつは民衆の武装蜂起の為に、脱出用の馬車を手配するのに手間取ったこと。
もうひとつは、本音亭の警戒が厳重になり、ミクを連れ出す機会がなかなか見出せなかったことである。
しかし、一番の原因はミク自身にあった。
ミクは黄王国を出る事を、頑として拒否した。そんな彼女を文字通り引きずって馬車に押し込み、なんとか城下街を抜け出してここまで来たのだ。
ガクポは自分の馬を馬車と並走させながら、馬車の中の気配を伺った。
中からは物音ひとつしない。しかし、抑えきれぬ程の陰惨な気配と、そして鼻を突く強い腐臭が、外に漏れ出していた。
その気配と腐臭はガクポだけでは無く、馬車を操る雇われ御者にも届いていた。
御者には、これが危険な任務であることを、余りある金と共に充分言い含めてある。御者自身も、それくらいの危ない橋は何度だって渡ってきた男だった。しかしそんな男ですら、背後から漂う気配と腐臭に青ざめ、怯えきっていた。
腐臭の原因は、カイトだった。ミクはカイトの首を、片時も離さず、胸に抱き続けていた。
後にした城下街から、再び銃声が木霊する。一発では無い、一斉射撃だ。何十という小銃が並べたてられ凄まじい銃撃戦が行われていることが、遠く離れたこの場所でも容易に察せられた。
その音に、ガクポは焦った。急がねばならない。せめてキヨテルの館に辿り着けば、そこは治外法権、緑公国の主権の及ぶ場所である為、革命軍も下手に手出しは出来ない筈だった。
ガクポは御者に、速度を上げるように指示を出そうとした。しかしその時、進行方向のその先から、騎馬の一団がこちらに駆け走ってくるのが見えた。
すわ、敵襲か。
ガクポは身構えたが、相手が小銃などで武装している様子は無い。しかもその先頭に立って一団を率いているのは……ガクポは目を疑った。
あれは、ミクオだ。緑公国の公子にして宰相でもある男が、革命真っ只中にある他国で馬を走らせている。
恐らく戴冠式以来、まだキヨテルの館に留まって居たのだろう。その男がいま自ら出て来た理由は、そう、ミクだとガクポは察した。ミクを脱出させる事は、当然、前もってキヨテルに連絡済みである。
ミクオ率いる騎馬の一団が、馬車を前にして停まった。
「よお、ガクポ。ご苦労だった。妹の事は俺たちに任せな」
ミクオはそう告げながら、馬を馬車に寄せた。彼も腐臭に気づき、その顔つきが険しくなる。
「……どうやら、なかなか面倒臭え事になってるみてえだな」
「申し訳ありませぬ」
「お前さんのせいじゃ無えだろ。他人にゃどうこう出来ねえ問題だ。それより……」
ミクオの目が、ガクポを捉えた。
「……親父から命令を受けてんだろ。どっちかを救い出せってな」
「どちらも、救いまする」
強い決意を込めてガクポがそう答えた時――
――バァン!!
馬車の中から、ミクが壁を激しく叩いた。
「殺せっ!!」
聴く者の背筋を凍らせるような声だった。
「殺しなさい! レンも、リンも、あの双子を殺してしまいなさい!!」
まるで地獄の底から、魔女が猛り狂っているかの様な叫び声だった。
ガクポは恐怖を感じた。
剣をもてば向かうところ敵なしの剣豪が、そばに居ることさえ恐ろしいと感じたのだ。
ミクはもはや、かつてのミクでは無かった。気が違ったわけでも無い。しかしもっと別の、恐ろしい何かに……
「ミクめ、恐るべき女になったな」
ミクオは薄笑いを浮かべていた。妹の変化を、まるで歓迎して居る様にさえ見える。それはガクポにとって、もはや理解できない感覚だった。理解したいとさえ思わない。
一刻も早く、ここから立ち去りたかった。レンとリンの元に帰参したかった。
「これにて御免」
ガクポはミクオに一礼し、城下街めがけ馬頭を巡らせかけたが、
「待ちな、ガクポ」
ミクオが引き止めた。
「どっちも救いたいっていうお前さんの決意は結構だ。だがよ、それでも、リンか、レン、どちらかを選ばなけりゃならねえ時が来る」
「………」
振り向かぬガクポに、ミクオは続けた。
「ガクポ、お前さんは賽だ。すでに投げられちまったサイコロさ。投げたのは親父であり、俺であり、メイコであり、ミクであり、そしてリンとレン自身でもある。誰も彼もが、お前さんの出す目に賭けてんのさ。だが、どんな目が出るかは誰にもわからねえ。お前さん自身にさえな。……運命は神のみぞ知るだ。そのことを胸に留めておきな」
ガクポはもう聞いていられなかった。馬の腹を蹴り、城下街へ向かって走り出す。
「殺せっ!!」
風に乗って、壮絶な殺気がガクポの背中を打った。