その日、空は抜けるように高く、澄み渡っていた。
広場には、もはや革命の象徴と化したあの櫓の隣に、さらに一回り大きな櫓が建てられていた。
その上には、背の高い断頭台が組み立てられていた。
人々は早朝から広場に詰めかけ、昼頃には立錐の余地も無くなっていた。
裁判所から広場へ至る通りには完全武装した革命軍兵士が立ち並んでいた。
レンはその通りを、窓ひとつ無い鋼鉄製の馬車に乗せられ、運ばれた。
後世、伝え聞くところによれば、国王は処刑当日、何か言い遺すことは無いかと問われ、こう答えたという。
――ああ、おやつの時間だな。
処刑の時間である午後三時の鐘を聞いての言葉だという。
この逸話は、国王が自分の処刑を最期まで他人事のように捉えており、民衆の怒りなど意に介していなかったように伝えている。
事実は、違う。レンはそんなことを一言も言っていない。
彼はただ、生涯最後の食事となるその日の朝食に出された黒パンに、砂糖を少々、所望しただけである。
――ブリオッシュが食べたくてね。
その言葉に看守は首をひねったが、最後の食事には多少の便宜を利かせるものである。
レンは差し入れられた砂糖を黒パンにかけ、時間をかけてゆっくりと食した。
先の逸話は、このときの様子が世間一般に流布する“悪の王子”のイメージと結びついて、捻じ曲げられた結果、生まれたものであろう。
レンがどんな思いで“ブリオッシュ”を所望し、それを食したか。
それはもう、誰にもわからぬことである。
午後二時半。
レンを乗せた馬車は、広場へ到着した。
群衆は激しい罵声をもってそれを出迎えた。
いくつもの石が馬車めがけ投げられ、警戒に当たっていた革命軍兵士や、馬車の御者が、巻き添えをくらって怪我を負うという事件まで起きた。
そのため革命軍兵士は空に向かって威嚇射撃を行い、群衆を通りと、そして広場の断頭台から、石が届かないくらいまで遠ざけなければならなかった。
午後二時四十五分。
レンが馬車から姿を現した。
レンは継ぎ接ぎのある囚人服を着ていたが、身なりは小ざっぱりしており、また背筋も伸びて卑屈さと言ったものがまるで無かった。
何より、手枷も、足枷もされていない。
レンは周囲の革命軍兵士に急かされるまでもなく、自らの足で櫓の階段を登った。
櫓の上では、臨時裁判官に選ばれた革命勢力代表のひとりが待っていた。彼はそこで、レンの有罪判決文を、広場中に聞こえるように浪々と読み上げた。
レンは、断頭台のそばに佇みながら、黙ってそれを聞いていた。
群衆もまた、沈黙していた。
もはや石を投げようとする者も、罵声を浴びせようとする者もいなかった。
誰も彼もが、死を前に静かに佇む少年の姿に見入っているようだった。
判決文の読み上げが終わり、改めて死刑が宣告された。
レンは小さく頷くと、自ら断頭台に首を差し出した。
首枷と手枷が嵌められ、引き上げられた刃を支える縄の下に、火の点いた蝋燭が設置された。
――レン!!
静寂の中、何処かで、誰かが、その名を呼んだ。
しかしすぐに教会の鐘が鳴り響き、その声をかき消した。
午後三時の鐘だった。
三つ目の鐘が鳴る直前、縄が焼き切られ、刃が落とされた。
黄国元国王、
第一王位継承者、
“悪の王子”
レン
享年十五歳。
その死の間際、彼は微笑んでいたと伝えられている。
レンの処刑から数ヶ月後、革命政府は、黄国政府として正式に発足した。
革命軍は解体され、改めて民衆からの徴兵による正規の常備軍が構成された。これによって名実ともに国民による国民のための国民軍となり、黄国全域を新政府の統治下に置いた。
周辺諸王国は、王政打倒を掲げてレンを処刑した黄国に対して警戒感を露わにし、幾つかの国とは実際に紛争まで起きた。
しかし、国民国家を守ろうとする国民主体の黄国軍の士気は高く、私兵・傭兵中心の各国軍はまるで歯が立たなかった。
その後、緑公国が黄国と各国の仲裁に乗り出したため、全面戦争という事態だけは、かろうじて避けられたのである。
その緑公国では、レンの処刑からほどなくして大公が正式に退位を宣言していた。
次期大公には、ミクが即位した。
ミクオは引き続き宰相として国家運営の実務を担当したが、もはや彼を大公の傀儡と思うものは誰もいなかった。
彼は後に、公国を王権政治から立憲君主制へと導き、民主政治と近代発展を成し遂げた偉人として、歴史に名を残すこととなる。
大公に即位したミクは、革命から数年後、黄国と諸王国との関係が落ち着いた頃、黄国を再び訪れた。
彼女はそのとき、城下街の広場に建てられた革命記念碑に立ち寄っている。
その記念碑は、カイトが晒され、レンが処刑された櫓の跡地に建てられたものだった。
記念碑に花を手向けた彼女が、何を想い、何を悼んだのか。
ミクはこの日、何も語らずにその場を後にした。
そしてその後、再び訪れることも、語ることもなかったと言われている。
城下街には、もう二つ、革命を記念する碑が建てられていた。
ひとつは春暴動のきっかけとなった刑務所火災の跡地にあり、この火災で亡くなった受刑者たちの名が刻まれていた。
あの親衛隊員・リツと思われる者の名前も、そこにある。
そしてもうひとつは、革命時、もっとも激しい戦闘が行われた王宮副門であり、そこにも戦死者たちの名が刻まれていた。
その記念碑には、あの本音党のデルの名も刻まれていた。
ガクポは、あの革命の後、緑公国を正式に辞した。
彼は妻を娶り、数名の使用人と共に黄国領の外れにあるカガミネという地方に移り住んだ。
そこは辺境の貧しい地方であり、黄国新政府からも忘れ去られたような土地だった。
ガクポは私財をはたいて、その土地に残っていた織物工芸を取り扱う会社を設立し、また、小さな学校も建てて、子供たちに無償で教育を施した。
この会社と学校のおかげでカガミネは少しずつ発展して行くのだが、それはまた、別に語られるべき物語である。
この土地に移り住んで以降、ガクポが剣を握ることは二度と無かった。
心地よい風が吹く丘の上に立って、リンは海を眺めていた。
眼下には小さな港町があり、船が白い帆を立てて沖へと出て行く。
港町では、船がつく日には決まって市が立つ。
その市で織物を売るために、リンは村を夜明け前から出立し、数時間かけてこの港町へとやってきていた。
市は早朝に立ち、昼過ぎには終わる。
今日の売り上げは悪くなかった。
港町からの帰り道、見晴らしの良いこの丘で人を待ちながら、リンは思った。
最近は常連の客もつくようになり、まとまった量があれば船荷として扱いたいと言ってくれる船主もいる。
このことを帰って伝えれば、村のみんなは喜ぶだろう。
学校の子供たちにも、美味しいお菓子を作ってあげられるかもしれない。
そう、例えば本物の“ブリオッシュ”とか……
……リンの胸が、感傷でかすかに痛んだ。
市では品物の他に、色々な情報も手に入る。
近ごろじゃ世間で、こんな歌が流行っているそうだ。
――
むかしむかし、あるところに
悪逆非道の王国の
頂点に君臨するは
齢十四の王女様……
――
カイトが生前、最期に唄った歌として、今では広く世間に流布しているらしい。
本来なら“齢十四の王子様”となるべきであろうが、それが王女様なのは、これが歌われたのが女王の戴冠式のときだったからである。
しかし不思議と、この歌が現実に即して訂正されることは無く、“悪ノ娘”として歌い継がれていた。
それはもしかすると、“悪ノ王子”とはいえ年若い少年を断頭台にかけてしまった事に対する気後れのようなものが、世間にはあったのかも知れない。
だが、リンにとってそんな事はどうでもよかった。
ただこの歌は、カイトとレン、二人の運命を決定的にしてしまったあの日の出来事を、まざまざとリンに思い出させてしまっていた。
いつかリンの暮らす村にも、この歌は届くだろう。
学校の子供たちも、何も知らずにこの歌を口ずさむかも知れない。
そのことを思うと、リンの心中は複雑だった……
「……リーン!」
遠くから、彼女を呼ぶ声がする。
港町の方角から、ネルが丘を登りながら手を振っていた。
リンと一緒に織物を売った後、手分けして買い出しを行っていたのだ。
「お待たせ。魚市場で新鮮な魚介類いっぱい買えたよ」
ネルは顔を綻ばせる。山間の村にとって海の幸は貴重品だ。
リンとネルは自分たちの分だけではなく、村中の注文も請け負っていたので購入品が多く、そのためオリバーとネロが馬車を用意して荷を積んでいるという。
もうすぐ来るよ、とネルは告げて、
そして、
「リン……どうかした?」
心配そうに顔を覗き込むネルに、リンは胸が熱くなる。
ああ、どうして彼女はこんなにも他人の心がわかるのだろう。
リンは素直に、流行歌のことを話した。
「そっか……」
ネルは頷いて、優しく肩を抱いてくれた。
下手な言葉よりも温かい、無言の慰め。
しばらくそうやって寄り添ってくれたあと……
「……そうだ。リン、いいこと思いついたよ」
そう言って、リンの正面に向き直る。
「いいこと?」
「そう。あのね、私たちも歌を作ったらどうかな、って思ったの」
「歌を作るって……ええ!?」
自分で作るなど、今まで考えたことさえ無かった。
ネルの突飛な提案に目を丸くするリンに、ネルは、ゆっくりと言った。
「流行歌の印象をまるで変えてしまうような、そんな歌を作るの。“悪ノ娘”は悪逆非道の王様なんかじゃなくて、本当はとても優しい女の子で、それを知っているのは、双子の弟である召使ただひとり……」
ネルは話しながら、丘の草むらに腰を下ろした。
リンも隣に座り、ネルの言葉に耳を傾ける。
「二人はね、大人たちの勝手な都合で、別々の道を歩むことになった哀れな双子。でも弟は、姉を守るために召使となって、いつも、そして最期までそばにいてくれた……そんなお話の歌」
どうかな?
と、訊ねてくるネルに、リンは頷いた。
いい考えだと思った。
そして何より、そんな風に考えてくれることが嬉しかった。
「ありがとう、ネル」
「えへへ、どういたしまして。じゃあ、メロディはどうしようかなぁ……」
ネルは空を見上げ、目を閉じた。
しばらくそうやって考え込んだ後……
……その唇から、旋律が紡がれた。
それはまるで、そよ風のような、優しい音の調べ。
――
君は、王女
僕は、召使
運命分かつ、哀れな双子
君を守るその為ならば
僕は悪にだって、なってやる……
――
「ネル……すごい……!?」
驚き、感心するリンに、ネルは、はにかんだ。
「うん。歌、好きなんだ。カイトさんに憧れてたから……」
ネルの声に、寂しさが混じる。彼女は呟くように、言った。
「……カイトさん、言ってたよ。歌があるから、自分は生きてこれたんだって。歌があるから、人は希望を持てるんだって。だから」
歌おう。
と、ネルは、リンの手を取った。
運命に翻弄されながらも、懸命に生きた双子の想いを遺す為に。
一緒に、歌い継いで行こう。
ネルはそう言って、リンを立ち上がらせた。
支えてくれるネルの手の温もりが、リンの心を包み込む。
「うん。ネル、私も歌うよ。歌いたい……でも、歌うの下手だけど」
「下手? そんなこと無いよ。リン、綺麗な声してるじゃん」
「私、音痴なのよぉ」
「あははは、じゃあ、練習しよ。村に帰るまでに歌、全部作っちゃうからさ。そしたら、学校で子供たちと一緒に歌おうよ」
「うん!」
遠くから、おーい、と呼ぶ声が聞こえて、二人は振り返った。
馬車に荷をいっぱいに乗せて、オリバーとネロが丘を登ってくるのが見えた。
「こらー、おそいぞー」
ネルが笑いながら片手を振る。
そして、
「行こう、リン、帰ろう」
「ええ」
手を繋いで、二人は歩き出す。
歩きながら、ネルが歌の続きを口ずさんだ。
――
たとえ世界の全てが、君の敵になろうとも
僕が君を守るから
君は、そこで笑っていて……
――
ネルの歌声を聴きながら、リンは想う。
ねえ、レン。
私は、生きて行くよ。
だって、あなたが最期にそう願ったのだから。
いつも私を守ってくれた、強いあなたのように、私も生きて行くよ。
最期まで微笑むことができた、あなたのように、私も強くなるよ。
ねえ、レン。
私は、あなたのことを忘れない。
たとえ人が、どんなことを言おうとも、
私は、あなたの本当の姿を語り、
そして、歌い継いで行くよ。
だから、ねえ……レン……
私が、強く生きて……
精いっぱい生きて……
そして、笑って最期を迎えることができたら……
そのときは、また、二人で―――
君は王女
僕は召使
運命分かつ、哀れな双子
君を守る、その為ならば
僕は、悪にだってなってやる
期待の中、僕らは生まれた
祝福するは、教会の鐘
大人たちの勝手な都合で
僕らの未来は二つに裂けた
たとえ世界の全てが
君の敵になろうとも
僕が君を守るから
君はそこで笑っていて
君は王女
僕は召使
運命分かつ、哀れな双子
君を守る、その為ならば
僕は、悪にだってなってやる
たとえ世界の全てが
君の敵になろうとも
僕が君を守るから
君はどこかで笑っていて
むかしむかし、あるところに
悪逆非道の王国の
頂点に君臨してた
とても可愛い僕の姉弟
もしも生まれ変われるならば
その時はまた、遊んでね……
悪ノ王子/悪ノ娘 ~~了~~