悪ノ王子――ボカロ(悪ノ娘)二次小説――   作:PlusⅨ

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第六話・カイト、メイコ~ガラクタ酒場と赤い女~

 城下街の、迷路のような路地の、奥の奥。

 

 そのさらに奥詰まった袋小路に、看板の傾いたガラクタ酒場があった。

 

 ガラクタ酒場というのは、オンボロな建物を修築するのに、廃材やら古道具やらをタダ同然の安値で引き取ってきては、それを素人の手で打ち付けるということを繰り返したために、店の外観がまるでガラクタをよせ集めた様になったところから付けられた名前だった。

 

 店の外観がガラクタの寄せ集めなら中身も似たようなものだった。

 

 一体どこから手に入れてきたのか怪しげな酒や食料が雑多に並ぶ棚。

 

 所狭しと並ぶ、形も大きさも不揃いの椅子やテーブルには、これまたどこから集まるのか、様々な種類の人間が日夜出入りしていた。

 

 出入りする客の半分が、ボロをまとった貧乏人。

 

 残りの半分は、けばけばしく着飾った娼婦に、相手を威嚇するように派手な身なりをしたゴロツキども。

 

 そして、住むところさえない浮浪者たち。

 

 そんな連中に混じって、時おり、妙にこざっぱりとした格好の青年たちの姿もあった。

 

 青年たちは、大抵が中小貴族や小売商人の次男や三男坊。

 

 つまり、自分ひとりを養う金はあるが、この先、家督や家業を継げる見込みもない、そんな若者たちだった。

 

 彼らは夕闇が近づく時間になると、どこからともなく娼婦を引き連れてガラクタ酒場へやって来る。

 

 そして、そこで貧乏人やゴロツキに混じって、酒をおごり、どんちゃん騒ぎを沸き立たせ、その内にひっそりと店の奥の部屋に消えていくのが常だった。

 

 娼婦を引き連れてやってきた彼らだったが、店の奥の部屋でやっていることは、娼婦との秘められた遊びではなかった。

 

 娼婦たちはお祭り騒ぎの酒場に置き去りにされ、青年たちばかりが集まった奥の部屋では、酒を片手に夜を徹した政治批判が行われていた。

 

「昨今の政治中枢は、もはや腐り切っている。国王をはじめとして、大臣たち有力貴族は国家を食い物にしているとしか思えない!」

 

「ここ十年で既に二度も税が引き上げられているというのに、国家財政は依然として苦しいままなのは、どういう訳だ?」

 

「税率が高いのは庶民だけだ。上流階層はむしろ減税されている」

 

「利権が一部の有力貴族とその周辺の豪商に集中しすぎている。税率といい、国家は既に、奴らの収益装置も同然だ」

 

「小売業者への高額の店税も、利権集中政策の一環だ。奴ら、ほとんど国外産業とつるんでいるからな。国内産業を圧迫した方が儲かるのさ」

 

「おかげで、今や国内の商業活動の三割近くが闇市化してしまっている。これを打開するには、店税を廃し、闇市に認可を与えて公然化する必要がある」

 

「そんな政策、今の政府が出すものか。奴ら、むしろ闇市を黙認するかわりに賄賂を徴収しているんだ。店税よりもタチが悪い」

 

「警備隊に至っては、今では税や賄賂を払わない連中を摘発しては罰金を巻き上げることに一生懸命で、治安維持活動を放棄している有様だ。この街の治安は悪化する一方だ」

 

「このままでは国が潰れるぞ」

 

「もう限界が近い」

 

「ならば革命か?」

 

「おぉ、革命だ!」

 

「革命万歳!!!」

 

 城下街の、迷路のように複雑な路地の奥、獣の巣のような袋小路にあるガラクタ酒場。

 

 そこで包み隠さず本音を言い合い、革命を叫ぶこの青年たちを、人々は密かに「本音党」と呼んだ。

 

 そして、彼らが集うこのガラクタ酒場は、いつしか人々から「本音亭」とも呼ばれるようになっていた。

 

 カイトは、アンに腕を引かれながらその本音亭の扉をくぐった。

 

 店の奥にあるカウンターにもたれながら煙草をくわえていた一人の男が、その姿を見つけてニヤリと笑い、声を上げた。

 

「見ろ、俺たちのカナリアが凱旋したぞ!」

 

 その言葉に、酒場に屯していた人々が一斉に歓声を上げた。

 

「お帰り、カイト!」

 

「我らの声よ!」

 

「代弁者!」

 

「弱者の味方、革命の歌い手!」

 

 乾杯、と次々にカイトに向かって杯が掲げられる。

 

 カイトはその熱烈な歓迎の一つ一つに会釈で応えながら、アンと別れ、ひとりで店の奥のカウンターへ進んだ。

 

 カウンターで、最初に声をかけた男が、カイトを待っていた。

 

 男は、火の点いてないタバコを口にくわえたまま、口元に笑みを浮かべ続けていた。そのくせ、その目は一向に笑っていなかった。カイトを眺めるその瞳には、暗い淀みが湛えられていた。

 

「カイト、二ヶ月ぶりだな。どこをほっつき歩いていた?」

 

「いつも通り、各国を歌いまわってきた。本当は一ヶ月で帰るつもりだったが、緑国で引き止められてしまった」

 

「あの公国か。確か、大公には年頃の娘がいたな」

 

「邪推だな、デル」

 

「果たしてどうかな。その姫の馬車に乗って帰ってきたことは知ってるぜ」

 

 その男、デルはカウンターにもたれかかりながら、靴の裏で擦ったマッチでタバコに火をつけた。

 

 胸いっぱいに吸われた煙をカイトに向かって吐きつけながら、デルは言った。

 

「王宮に入ったらしいな」

 

「ああ、国王と会った」

 

「殺すつもりだったのか」

 

「殺される覚悟で、この国の窮状を歌ってみせた」

 

「ほう?」

 

 タバコから立ち上る紫煙の奥で、デルの暗い瞳が細められた。

 

「よく生きて帰って来られたな」

 

「国王に批判をうまくはぐらかされた。あの少年王、中々の器だぞ」

 

「たかがガキだ。大臣どもに糸を引かれた操り人形ではないか」

 

「今はな。しかし、あと十年、いや、五年経てば実権を握り、この国を立て直すかも知れん」

 

「立て直すとは、随分と持ち上げたものだな」

 

「あの緑の大公が、娘を嫁がせるほど見込んだ少年だ。命懸けで会うだけの意義はあった」

 

「“意義”だと? バカバカしい」

 

 デルはタバコを床に投げ捨てると、それを靴で踏みにじりながら、言った。

 

「国王がどれほどの器であろうと、五年も待っていられるか。その前にこの国が滅びるぞ。そもそも、王政という政治形態そのものが、すでに限界に達しているのだ」

 

 デルはカイトに近づき、顔を寄せて低い声で言った。

 

「カイト、なぜ死んでこなかった。お前ほどの男が国王に殺されたとあらば、国民は怒りと悲しみに蜂起し、この国を革命の火の手で包んだであろうに」

 

 デルの苛烈な言葉と視線を、カイトは真正面から受けとめていた。

 

「……デル、俺をここに呼んだのは、そんな話をするためか?」

 

 カイトがそう聞き返すと、デルは、「ふん」 と鼻を鳴らし、険しい目のまま身を引いた。

 

そして、

 

「お前に見せたいのものがある。地下だ。ついてこい」

 

 そう言うと、デルは店の片隅にいる別の人物にも目を向けた。

 

 店の隅には横に広いソファがあり、そこに、ひとりの女が寝そべっていた。

 

 長身の身体を男物のシャツとズボンで包んでいる。そのシャツの胸元は大きく開いていて、深い谷間を見せる豊かな胸が、呼吸のたびに上下に波打っていた。

 

 女は気だるそうな目で、ソファに寝そべったまま、手で刃の長い銃剣を弄んでいる。

 

「ハク、お前も来い」

 

 デルがその女の名を呼ぶ。

 

 女、ハクは感情の抜け落ちたような顔をデルに向けると、弄んでいた銃剣を鞘に収めてズボンのベルトに無造作に挟んだ。

 

 デルは、面倒くさそうにやってきたハクと、カイトを引きつれ、店の奥へと向かった。

 

 カウンターの脇を通り、厨房を超えて倉庫へと続く扉の横に、大きな戸棚がある。

 

 戸棚の傍らには、背の高く腕の太い巨漢が佇んでいた。

 

 いかにも腕っ節の強さが自慢そうな男だった。加えて、腰のベルトには火打石式の短銃が挟まっている。

 

 デルがその男に向かって手をさし出すと、巨漢の男は黙って腰の短銃をデルに渡した。

 

「開けろ」

 

 デルの言葉に、巨漢はおとなしく従った。

 

 その太い腕が戸棚の横に当てられ、体重がかけられる。大きな戸棚は、重い音を立てながら、横へスライドした。

 

 その奥には、地下へと続く長い階段。

 

 深く、長い通路を降りた先は、地下水路につながっていた。

 

 あの王宮の秘密通路にも利用されている、城下街に縦横無尽にめぐらされた地下水路のひとつだ。

 

 そこに、十人近い男たちが待ち構えていた。

 

 数人がランプを持って通路を照らし、残る数人が長いロープの端を掴んでいる。

 

 彼らの足元には、そのロープで手足を縛られ、猿轡を噛まされた四人の男たちが、跪いていた。

 

「カイト、こいつらに見覚えがあるだろう」

 

 デルの言葉に、ランプを持った男たちが、縛られた男たちの顔を照らし上げた。

 

 カイトは、確かにその男達に見覚えがあった。

 

 闇市での騒ぎに乗じてリンをさらった、あのゴロツキたちだった。

 

 ゴロツキたちの怯えて憔悴しきった目が、カイトを見上げていた。

 

「……いいや、知らない」

 

「つまらない嘘をつくな。いいか、こいつらはここ最近、何度も強盗や暴行を働いてきた悪党どもだ。警備隊があの有様だからな、俺たちが代わりに追いかけていたんだが、逃げ足が早くてなかなか捕まらん。それが、ついさっき、フラフラの状態で路地を歩いているところを見つけて、こうしてお縄にかけたわけだ」

 

 それでだ、とデルは、カイトに目を向けた。

 

「闇市で聞き込みをした結果、こいつらが闇市で少女をさらった事と、それをお前が追いかけていったという目撃談をいくつも聞いた」

 

「………」

 

「少女をさらったこいつらを、お前が叩きのめした。と、いうのが俺の見立てなんだが、どうだ?」

 

「………」

 

 カイトは黙ったまま、視線をデルから、縛られたままのゴロツキへ移した。

 

 彼らは恐怖に怯え、身体を小刻みに震わせていた。その目は、デルの手に握られた短銃と、ハクの腰のベルトに挟まれた大振りの銃剣に向けられている。

 

 ここでカイトが「そうだ」と肯定すれば自分たちがどんな目に合うか、それを自覚して怯えているのだ。

 

「いいや、知らない」

 

 カイトはもう一度、はっきりと言った。

 

 ゴロツキたちが目に見えて安堵した一方で、デルは大きく溜め息をついた。

 

「カイト、度を越した情けはむしろ害悪だということが、なぜ理解できん?」

 

 デルが、イライラとした口調でそう吐き捨てた。だが、真相を知っているはずのカイトの証言が得られないのであれば、仕方ない。

 

 デルはその暗い瞳でカイトとゴロツキを交互に睨みつけていたが、やがて仕方なさそうに手に持つ短銃を、腰のベルトに差した。

 

 その時、階段からカツコツと足音が響き、地下水路にひとりの女が姿を現した。

 

 それは、教会にカイトを呼びに来た娼婦、ローラだった。

 

「デル、メイコからの伝言です」

 

 ローラはそう言うと、直ぐにデルのそばにより、その耳元で小声でつぶやく。

 

 それを聞いたデルの目が、大きく見開かれ、そしてその口元に例のニヤリとした笑みが浮いた。

 

「……そうか。了解したと伝えてくれ」

 

 デルが頷くと、ローラはすぐに踵を返し、階段を上っていった。

 

 デルが、カイトを見た。

 

「どうやら、俺の見立てが合っていたようだ。メイコから、お前が襲われた少女を連れて教会へきたとの連絡があった」

 

 デルは言うやいなや、腰から短銃を抜き出した。

 

「デル、やめろ!?」

 

「裁決は下された!」

 

 デルは跪いていたゴロツキの一人の髪を掴むと、その男の耳に銃口を押し付け、引き金を引いた。

 

 轟音と共に、ゴロツキは前のめりに倒れた。

 

 それを見て残りの三人が恐慌状態に陥り、他の男たちに取り押さえられたまま、猿轡を噛まされた口の奥で、声にならない悲鳴を上げた。

 

 ハクが、腰から銃剣を引き抜きながら、いつの間にか、その背後に回っていた。

 

 ゴロツキのひとりの首根っこを抑え、そこに鋭い切っ先を突き立てる。

 

 正確に脊髄を貫かれ、ゴロツキは即死した。

 

 ハクは機械的な正確さで、残る二人も淡々と屠っていった。

 

 短銃の残響がまだ消えきらない程の早業だった。

 

 まだ煙の立ち上る短銃を手にしたデルに、カイトが、低く感情を抑えた声で、言った。

 

「デル……お前は、血を求めすぎる」

 

「法を犯したものに正当な罰を下したまでだ。国にそれが出来ないのだ。ならば、誰かが代わりにやるしかない。……こいつらを片付けろ」

 

 デルの命令に、男たちが従う。

 

 四つの死体が運ばれていくのを見送りながら、デルは、カイトに告げた。

 

「メイコが裁決を下した。ならば俺は、それに従うだけだ」

 

 

……

 

………

 

…………

 

その頃、メイコの修道院では、

 

「へえ、アンタ上手じゃん」

 

 手元を覗き込んで感心するネルに、リンは苦笑しながら次のシャツを手にとった。

 

 孤児院が請け負っている裁縫の内職だった。

 

 リンはおやつをご馳走になった礼に、ネルと共に、山と積まれたシャツにフリルを縫い付けていた。

 

 大きなカゴいっぱいに縫い付けて、ようやくパン一個になるかならないかの値段なので、短時間で大量に裁かなければまとまった収入を得ることができない。

 

 内職の苦労は、リンも貧乏貴族時代に身に沁みて味わっていた。

 

 そのおかげで手先も随分と器用になったが。

 

 リンは、ネルが感心する程の手つきで、裁縫をすすめる。よもやこれが現国王の姉だとは、夢にも思うまい。

 

 二人が裁縫をしている部屋の窓の外から、庭で子供たちが遊んでいる声が聴こえてきた。

 

 その楽しげな声は、この街の影ばかり見てしまったリンにとって、陽だまりでまどろむような温もりを感じさせてくれた。

 

 そんな子供たちの声の中には、ネルの弟の、ネロの声も混じっていた。

 

 リンの前では大人びた様子を見せ、ネルに対しては意気がっていた少年も、今は年相応のあどけない声を上げていた。

 

「ネロのやつ、きっとまた服を汚してくるよ。洗濯するこっちの身にもなれっての」

 

 そうぼやいたネルの姿に、リンはどことなく通じるものを感じて、思わず、クスクスと笑みを漏らした。

 

 ネルがそれに気づいて、

 

「ねぇ、ちょっと訊きたいんだけどさ」

 

 と、リンを呼んだ。

 

「アンタの弟てさ、どんなやつなの?」

 

「そうね……」

 

 リンは少し考えて、正直に思った通りのことを答えた。

 

「やっぱり、手のかかる弟よ」

 

「だと思った。アンタも苦労してそうだもん。……そのさ、もしかしたら」

 

「……私も、両親がいないの」

 

 少し言いよどんだネルに、リンは先回りして答えた。

 

「わ、ホント!?」

 

 やっぱり同じなんだぁ、とネルは顔を輝かせたが、すぐに、

 

「あ、ゴメン。嬉しそうに言うことじゃないよね」

 

「ううん、気にしないで。私も、同じ気持ちだったから」

 

「そう……なの?」

 

「ええ。私ね、実は母親から捨てられた子だったの……」

 

 自然と、己の身の上が口に出ていた。

 

「……お父様が亡くなられて、残されたお母様は止むに止まれぬ事情から、私か弟のどちちらかを家から出さなくちゃならなくなったの。それで、私が出ていくことに決まったのよ」

 

 こんなこと、今まで誰かに話したことなどなかった。

 

 王宮では誰でも知っていることだったし、リン自身も、取り立てて話すようなことじゃないと思っていた。

 

 けれど不思議と、このネルという少女には話したくなった。

 

 話して、自分のことを彼女に知ってもらいたいと思った。

 

 それは、ネルと友人になりたいという、無意識からの想いだった。

 

「………」

 

 ネルは裁縫の手を休め、リンを見つめていた。

 

 そのネルの真摯な態度に促されて、リンは続きを口にした。

 

「私が家を出ていく日、お母様は私を抱きしめて“愛してる”と言ったわ。でも、私はとても悲しかったし、寂しかった。どうして私なの、って何度も思った……」

 

「………」

 

「……仕方なかった、と理解しているつもりだけど、それでも、お母様にとって私はいらない子だったのかなって、そう思っちゃう時が今でもあるの」

 

 話しているうちに、リンは自分がいつの間にか鼻声になっていることに気づいた。

 

 いけない、泣きそうだ。

 

 自分から勝手に話しだしたのに泣き出すなんて、まるで同情を買おうとしているようで、

 

 だから、リンは慌てて笑顔をつくろって付け加えた。

 

「あ、でも、今は弟とちゃんと暮らせているのよ。まぁ、それもお母様が亡くなられたせいだけど――」

 

 あぁ、しまった。

 

 勢いに任せて、言わなくていいことまで言ってしまった。

 

 そしてその言葉が、誰よりもリン自身を傷つけた。

 

 視界が歪み、

 

 目を開けていられなくなり、

 

 こらえきれずに涙がこぼれた。

 

「ご、ごめんなさい…泣くつもりじゃ……そんな、つもりじゃ……っ」

 

 そんな言葉さえ、こみ上げる嗚咽に塞がれてしまう。

 

 ネルと友人になりたい。

 

 そんな甘えにも似た想いが、リン自身でさえ気づかずに押さえつけていた感情をあふれさせてしまった。

 

 私は捨てられたのだ、という思いを抱いたまま、母と死に別れてしまった。

 

 死に目さえ、立ち会えなかった。

 

 一瞬でもいい、もう一度、母に会いたかった。

 

 会って、訊きたかった。

 

 お母様、

 

 お母様、

 

 どうして私を捨てたの?

 

 本当に私を、愛していたの……?

 

 涙で滲んだ視界の中、リンは嗚咽を隠すように顔を伏せた。

 

 そんな彼女を、ふわり、と柔らかい温もりが包み込んだ。

 

 ネルが、リンを抱きしめてくれていた。

 

 リンの耳元に、ネルが優しい声で話し出す。

 

「なぁ、リン。私の親もさ、昔こうやって私とネロを抱きしめてくれたんだ。

 …ウチも色々あってさ、家も、食べ物も、毛布さえも失くしちゃって、家族揃って路上に放り出された。

 ……真冬の、一番寒い日だったよ。暖をとる火もない路地裏の、雪さえも吹雪く夜の中。父さんと母さんは、ネロと私に自分の上着を着せて、両側から抱きしめて風と雪から守ってくれた」

 

「………」

 

「私たちを守りながら、父さんと母さんは死んだよ」

 

「……っ!?」

 

 胸に顔をうずめながら震えたリンを、ネルは優しく撫でた。

 

 幼子をあやすようにリンを撫でながら、ネルは続けた。

 

「なぁ、リン。親が子供を抱きしめるときってさ、その子供を心の底から大切に思っていて、守りたいって思うときなんじゃないかな。……だからさ、アンタの母親が抱きしめてくれたって言うなら、それはきっと、大切に思われていたってことだと思うよ」

 

 リンの耳に、ネルの静かで優しい声が降り注ぐ。

 

 その声に、在りし日に聴いた母の声が重なった。

 

 

――愛してるわ、リン。

 

 

 本当に?

 

 お母様、本当に私を愛していたの?

 

 

「大丈夫、アンタはちゃんと、愛されていたよ……」

 

「…ぁ……ぁう」

 

 うわあぁ、とリンはついに声を上げて泣き出した。

 

「お母様ぁ……お母様ぁ……」

 

 よしよし、とネルの手がリンの頭と背中を撫で続ける。

 

 その優しさの中に、リンは身も心も投げ出して、泣き続けた―――

 

 

――それにしても、いったいいつから自分はこんなに泣き虫になってしまったのだろう。

 

 泣くだけ泣いたあと、ようやく落ち着きを取り戻したリンは、ハンカチで涙を拭いながらそう思った。

 

 一日のうちに二度も大泣きしたことなんて、今まで一度もなかった。

 

 それも、両方とも他人の胸に抱かれてだ。

 

 カイトの胸にすがりついたときは、緊張状態が極限に達したが故の生理的な反応だった。

 

 だけど今は、ずっと心にのしかかっていたしこりを溶かすための涙だった。

 

「リン、落ち着いた?」

 

「うん。ありがとう、ネル」

 

 涙を拭っていたハンカチは、ネルがくれたものだった。

 

 ネルのファミリーネームの刺繍が入ったそれは、きっと大切なものに違いなくて、

 

 だから、

 

「洗って返すね」

 

 そう言うと、ネルは首を横に振った。

 

「いいよ、アンタにあげる」

 

「え? で、でも……」

 

「アンタに持っていて欲しいんだ。その……と、友達……」

 

「友達……私が…?」

 

「あ、いや、ゴメンっ。迷惑ならいいんだ!」

 

「ううん、迷惑じゃないよっ、私も、ネルと友達になりたい!」

 

「ほ、ほんとに?」

 

「うん。それより、いいの? 私なんかでいいの?」

 

「いいよ、いいよ。やった、うわ、なんかすごい嬉しい」

 

「うん、私も。ふふ、私たち、友達なんだね」

 

「そうだよ、あはっ」

 

 あはは、と二人は声を上げて笑いあった。

 

 そうしたら不思議と、落ち着いたはずの涙がまた出てきた。

 

 泣いたり、

 

 笑ったり、

 

 笑いながら泣いたり、

 

 忙しい日だった。

 

「なんだよ、リン。嬉しいなら泣かないでよ」

 

「嬉し泣きなんだもの。ネルだって泣きそうよ」

 

「え? う…り、リンにつられたんだよ」

 

 リンとネルは、一枚のハンカチお互いの涙をぬぐい合う。

 

 そこに、部屋の扉が静かに開き、ひとりの女性が入ってきた。

 

 メイコだった。

 

 メイコは、二人の様子を見ると、微笑ましそうに目を細めた。

 

「あらあら、随分と仲良くなったのね」

 

 そう言われて、二人は照れ笑いを浮かべる。

 

「リンさん、手伝ってくれてありがとう。でも、直に日が沈むわ」

 

 そう言ったメイコの手には、火の灯されたロウソクがあった。

 

 リンは窓の外に目を向ける。

 

 気がつけば、差し込む西陽で部屋の中は赤く染まっていた。

 

 陽がもう少し傾けば、もう陽光も差し込まなくなり、部屋は暗がりに包まれるだろう。

 

 夜がふける前に、王宮に戻らなくてはいけない。

 

 リンは席を立った。

 

「リン…帰るの?」

 

「うん、レン――弟が待ってるから」

 

「そっか、そうだよね」

 

 ネルが寂しそうに笑った。

 

 リンも、同じ気持ちだった。

 

 だから、

 

「また、来るね」

 

「本当?」

 

「うん……今度は、弟も連れてね」

 

 そんなことが可能なのか。

 

 昨日までの自分なら、確実に否定していただろう。

 

 考えもしなかったに違いない。

 

 けれど、今はそれができるような気がする。

 

 何よりも、リン自身がそうしたいと望んでいた。

 

 ネルの寂しげな笑みが、喜び一色に染まった。

 

「待ってるよ、待ってるからね」

 

「うん」

 

 リンとネルは抱擁を交わしあった。

 

 リンにとって、初めて出来た友達との抱擁だった。

 

「リンさん、日暮れ時の街を女の子ひとりで歩くのは危ないわ。だから帰り道は、彼と一緒にお行きなさい」

 

「彼?」

 

 メイコは頷くと、部屋の外に向かって手招きした。

 

 それに応じて部屋に姿を現したのは、カイトだった。

 

 カイトの姿を前にして、ネルが「ひゃっ」と上ずった声を上げた。

 

「か、カイトさん。お久しぶりです」

 

「二ヶ月ぶりかな、ネル。元気そうでなによりだ」

 

 カイトは笑みを浮かべてそう言った。

 

 リンは、カイトの柔い表情を初めて見た。

 

「ネル、しばらく見ないうちに雰囲気が変わったようだね。前よりも落ち着いて、少し大人びたようだ」

 

「えっ、そ、そうですか」

 

「以前の君は、弟や子供たちの面倒を見るのに一生懸命で、自分のことを省みている余裕もなさそうだった。でも、今はそうじゃない。君を理解してくれる、いい人と出逢えでもしたのかな」

 

 カイトのその言葉に、ネルは、リンと目を合わせ、互いにクスリと笑いあった。

 

「はい、出逢えたみたいです。良い友達と」

 

「そうか」

 

 カイトの青い瞳が、リンに向いた。

 

 心なしかその時だけ、カイトの瞳が冷たく輝いたように思えた。

 

「カイト、“このお方”をよろしくね」

 

 メイコに促され、カイトの瞳が一瞬、動揺したように見えた。

 

「ちゃんと、お送りするのよ」

 

「ああ、わかっている。……そうだ、これは確か君のものだったろう」

 

 そう言ってカイトがリンにあるものを差し出した。

 

 それは、闇市で失くしたフード付きマントだった。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 そういえばカイトは教会につくと直ぐにいなくなっていたが、もしかしてマントを探しに行ってくれていたのだろうか。

 

 リンがそう思ってしまったのも無理はない。

 

 だが実際は、本音亭にたむろする娼婦の一人が、闇市の騒ぎのあとから拾ってきたものだった。

 

 本音亭で、そのフード付きマントを拾ったと得意げに吹聴する娼婦を目にしたカイトが、金を払ってそれを引き取ったのだ。

 

 その直前までカイトが、四人もの男の処刑に立ち会っていたなどという血生臭い現実は、リンには想像も付かない話だった。

 

 リンは受け取ったマントを羽織り、カイトともに教会を出た。

 

 ネルとメイコが、見送りに出てくれる。

 

「またね、リン。約束だよ」

 

「うん、約束したよ。またね、ネル」

 

 お互い、姿が見えなくなるまで、手を振りあった……

 

 

 

 

 

……黄の国で起きたかの革命において、その歴史に名を刻んだ三人の人物がいる。

 

 一人は当時の現国王であった少年、レン。

 

 そして、革命の引き金となった男、カイト。

 

 残る一人が、革命を率いた女性指導者、メイコである。

 

 革命前のメイコは、城下街の片隅の教会で、孤児院を営む一介のシスターに過ぎなかった。

 

 しかし実際は、その頃からすでに国内の革命組織の実質的な指導者の立場にいたと噂されている。

 

 メイコとは何者か。

 

 彼女はその出自から不明確だった。

 

 そもそもが孤児院育ちである。

 

 カイトが親と死別して孤児院に拾われる前から、そこにいた。

 

 メイコはその後、カイトが貧しさに耐えかね、野垂れ死に覚悟で国を出た後も孤児院にとどまり続け、そのまま教会のシスターとなって孤児の面倒を見続けた。

 

 だがそれは表向きの話だった。

 

 声楽士として名を馳せ凱旋したカイトが、メイコと再会したとき、彼女もまた別の形で社会に名を馳せていた。

 

 赤い女。

 

 革命の火を灯す女。

 

 全ての導火線を握る女。

 

 敬虔で、物静かで、慈しみを持って子供たちを育てるこの修道女が、一体どのような経緯でこのような二つ名を持つに至ったのか、それは誰もわからない。

 

 彼女がその地位に至った訳については、諸説いろいろある。

 

 曰く、彼女はもともと裏社会のマフィアのボスの隠し子で、その存在を隠すために孤児院にいた。それゆえ彼女は裏社会に顔が効くのだ。

 

 曰く、彼女は本当は外国の諜報部員で、この国に革命を引き起こすために隣国から送り込まれたのだ。

 

 曰く、彼女は実はかつての王位継承者争いで敗れた“リン派”の貴族の娘で、彼女のバックには再興を目論む“リン派”の者たちがいるのだ。

 

 曰く、彼除は実は………

 

 曰く、彼女は実は………

 

 曰く、彼女は実は………

 

 メイコに関しては、後世、このような噂が大量について回る。

 

 そのどれもが胡散臭く、同時に、そのどれもがまた真実を含んでいるのではないかとも思わされる。

 

 メイコという女は、それほど謎に満ちた女だった。

 

 ただ数少ない確かなことは、メイコが教会を引き継いでからというもの、そこは孤児だけでなく、街中の貧しきものや苦しむ人たちからも頼りにされるようになっていたということ。

 

 そして、“本音党”をはじめとした数々の革命グループ――当時、黄国内には数十以上の革命グループが存在したとされているが、その全てが、確かにメイコの意思に従っていたということだった。

 

 メイコと革命をめぐる逸話に、こんなエピソードがある。

 

 革命グループのひとりの青年が、教会の近くで立派な身なりの者と出会い、こんなことを言われた。

 

――何処へ行くんだね、君?」

 

――失礼だが、僕はあなたを知らない。何者ですか」

 

――私は君をよく知ってるよ。心配しなくてもいい、私は彼女の使いだ。君に彼女からの伝言を伝えよう。君は警備兵に目を付けられている。なにか漏らしたら、仲間が君を殺しに来るから気をつけるといい」

 

 青年は真っ青になって、本音亭へかけ戻ったが、後日、娼婦の一人が彼のそばによってこう耳打ちした。

 

――メイコから伝言です。明日、教会にブリオッシュを食べに来るようにと」

 

 青年は困惑しながら教会へ行き、メイコに誘われるがまま、孤児とおやつを共にした。

 

 メイコは特になにも言わず、最後まで彼を「いつものお客様」として扱ったが、最後の最後に、彼が帰ろうとした時に、あるものを手渡した。

 

――この帽子とコート、このあいだ来た時の忘れ物でしょう?」

 

 そう言って渡されたそれは、青年のものではなかった。

 

 だが、見覚えはあった。

 

 先日の、立派な身なりをした、彼に警告を与えた男のものだった。

 

――最近、こんな格好をした兵隊さんがいるらしいの。間違われないように気をつけてね」

 

 数日後、街の両側を流れる大河に、例の警告をした男の死体が浮かんでいるのが発見されたという。

 

 当時の革命に参加した一人は、こう語った。

 

――あの頃は、この国一体いくつの革命グループがあるかなんて誰も知らなかった。ただ、誰もが、誰の指示に従えばいいか知っていた。来るべき日になると、娼婦が横にやってきて、怖いくらいの冷たい声でこう囁くんだ。“メイコからの伝言です”ってな」

 

 メイコに関する資料が乏しい理由の一つに、彼女自身が残した文字資料が皆無だというのがある。

 

 彼女は、革命組織を動かすのに、手紙を使わなかった。

 

 計画や、構成員の名簿、そういったものさえ文字には残さなかった。

 

 全ての情報は、メイコ一人の頭脳の中に収められ、その命令は、娼婦たちだけが知る謎に満ちたネットワークを介して行われた。

 

 赤い女、メイコ。

 

 革命の火を灯す女、メイコ。

 

 全ての導火線を握る女、メイコ。

 

 黄の国の運命を握っているのは、レンでも、カイトでもなく、正しく彼女だった。

 

 

 

 

 

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