悪ノ王子――ボカロ(悪ノ娘)二次小説――   作:PlusⅨ

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第八話・レン~粛清、逆らう者たち~

 翌日の朝、リンは、レンの朝食の席にある物を出した。

 

「これは?」

 

「ブリオッシュよ」

 

「これが?」

 

 首をひねったレンの前には、小皿に乗せられた小さな黒パン。

 

 食べてみたが、やたらと固く、表面がほんのりと甘い以外ほとんど味は無かった。

 

「ふむ……」

 

 もそもそと、口の中にいつまでも残るそれを水で無理やり飲み下して、レンは言った。

 

「街ではこれをブリオッシュと呼んでいるのか?」

 

「ええ」

 

 リンは頷き、街に出てから孤児院に行きつくまでの顛末を掻い摘んで話してくれた。しかし、レンに心配を掛けさせまいと思ったのだろう。市場で騒ぎが起きたことは話しても、そこでさらわれ、襲われかけたことは話さなかった。

 

 リンは市場での騒ぎの最中、偶然知り合ったメイコに誘われて孤児院を訪れたと話した。

 

「孤児院の子供たちはこれを大喜びで食べていたわ。ひとつまみの砂糖がかかっているだけでも、民衆にとっては高級品なのよ」

 

「そうか……」

 

 レンは頷き、それ以上は何も訊かなかった。

 

 リンが話さなかったことを追及する気もなかった。

 

 既にオリバーから聞き及んでいたこともあったが、何より、リンは自分の身に起きた不幸よりも、民衆の不幸をレンに知ってもらいたいのだ。そんな気持ちをレンは汲み取った。

 

 リンが街で見てきたこと、

 

 聞いてきたこと、

 

 感じたこと、

 

 そしてリンがレンに伝えたいことは、全てこのブリオッシュに込められていた。

 

 だけど、そのブリオッシュはもうひとつあった。

 

 別の皿に置かれたそれは、少しだけ食べかけのブリオッシュ。

 

 レンはその意味に大方気づいていたが、確認のために、リンにこう訊いた。

 

「なぁ、リン。子供たちは、このブリオッシュをどんな風に食べていた?」

 

「大勢で集まって、楽しそうに食べていたわ。みんなで一緒に食べるのがいちばん美味しいんですって」

 

「そうか……じゃあ、リン。一緒に食べようか」

 

「ええ」

 

 豪奢な国王の私室の真ん中で、レンとリンは、黒パンふたつだけの質素な朝食を済ませた。

 

 けれど、それは不思議と、本物のブリオッシュのようにとても甘く、柔らかいものに感じられた。

 

 

 

 朝食を終え、部屋を退いたリンと入れ替わりに、レオンとアルが、朝の挨拶にやってきた。

 

 レンはレオンに、オリバーの様子を訪ねた。

 

「傷のために熱を出して寝込んでおりますが、命に別状はないでしょう。しかし、あの左目はもう使い物にならんでしょうな」

 

「申し訳ないことをした。お前たちにまで内密でオリバーを遣い、あげく重傷を負わせてしまった。すべて僕の責任だ」

 

 うなだれるレンに、レオンは言った。

 

「陛下、一国を治める者ともあろうお方が、そう軽々と謝るものではございませぬ」

 

「レオ……しかし」

 

「己の決断に後悔はせぬ事です。でなければ、せっかく得たものでさえ、失うことになりますぞ」

 

「得たもの……そうだな」

 

 確かに、リンとオリバーは多くのものを、レンにもたらしてくれた。

 

 しかしそれは、姉の身を危険に晒し、部下の片目と引き換えにしてまで手に入れる価値があっただろうか。

 

「……迷うまでもない、か」

 

 レンのつぶやきに、レオンがかすかに笑みを浮かべた。

 

 親衛隊に内密で事を運んだことへの不満は当然ある。

 

 しかし、そこまでされた上に得るものが何も無いでは話にすらならないのだ。

 

 己の行動に覚悟を持ち、迷わず進む姿こそ、臣下が主に求めるものだった。

 

「陛下、ご報告いたします」

 

 レオンはそう言って、アルから報告書を受け取ると、それをレンに渡した。

 

「例の件に関してですが、反主流派の狙いが見えてきたようです」

 

「ふむ」

 

 レンは報告書に目を通し、そこに有力商人の名がいくつも記載されているのを認めた。

 

「反主流派の裏に、大手の貿易商どもが?」

 

「アル、私の代わり説明を」

 

「ハッ。彼らの狙いは、緑公国への輸出業への参入と思われます。輸入に関しては彼らのほぼ独占状態にありますが、輸出に関しては大臣をはじめとした有力貴族が直接に緑公国と交渉を行っているので、彼らとしてはそこに食い込みたいのでしょう」

 

「だから反主流派を使って、緑公国に働きかけているわけか。貿易商の連中、てっきり主流派だと思っていたんだがな」

 

 レンのつぶやきに、レオンが答えた。

 

「利と見れば敵も味方もないのが商いというものです。ま、それを言えばこの国の貴族連中も似たりよったりでしょうがね」

 

「その利が国家全体に行き渡るなら別に構わないさ。だけど、そうなっていないから問題だ」

 

 やれやれと溜め息をつくレン。

 

 レオンが言った。

 

「もうひとつ、ご報告がございます。陛下」

 

「なんだ?」

 

「刑務所の囚人たちの状況についてです」

 

 レオンは、アルからさらに新しい報告書を受け取り、それをレンに渡す。

 

「ずいぶん分厚いな。たった数日で、よくここまで調べたものだ」

 

「さほど苦労はしませんでしたよ。短期間の受刑者なら街にはゴマンとおりましたから」

 

「逮捕者がそれほど出るなんて、街の治安はそんなにひどい状況なのか」

 

「逮捕者といっても、そのほとんどは例の店税に関わるものです。他の軽犯罪などは、むしろ放置されている有様で」

 

「捕まえても罰金刑じゃないから金にならん、とかいう話じゃないだろうな」

 

「さすがは陛下、慧眼にございます」

 

「褒められても嬉しくない」

 

 レンは報告書をめくりながら、レオンの説明に耳を傾けた。

 

「陛下のご懸念通り、各地の刑務所は軒並み収容過多の状態です。ゆえに居住環境は極めて劣悪。最もひどいところではベッドも置けず、囚人は床に寝ています。しかしそれでも足さえ伸ばせない有様」

 

「その最もひどい所は何処だ?」

 

「我が城下街の刑務所にございます」

 

「お膝元でそれか」

 

「食料も満足に行き渡ってるとはいえず、衛生状態も悪い。その上、暖房燃料も足りず、真冬には毎年多くの凍死者まで出しております」

 

「………」

 

 レンは報告書を閉じると、指で額を抑えた。

 

 その目が、無意識に窓に向いている。

 

 冷たい風がカタカタとガラスを揺らし、その外には葉を落としきった枝と、どんよりとした灰色の空があった。

 

 冬が、始まろうとしていた。

 

「このままでは、また犠牲が出るな」

 

「畏れながら、法務大臣に改善するように命じなされてはいかがでしょうか」

 

「改善する気があるのなら、命ずるまでもなくやっているさ。この分じゃ無理矢理やらせても効果はあるまい。……それにそもそも、それは表面的な対処でしかない」

 

「と、申されますと?」

 

「囚人を生み出す社会そのものを変革しなければ、解決にはならない。城下の刑務所の囚人のうち、店税未払いと闇市の摘発で捕まった者たちの割合はどのくらいだ?」

 

「およそ八割に達しております」

 

 この質問が来るのを予期していたのだろう、答えはすぐに返って来た。

 

「まったく、店税とはまさに悪法だな。こいつを引き下げるか廃止するかして、その上で闇市の合法化を図り、かつ有力貴族、商人の独占状態を解消する必要がある」

 

「法改正には議会の承認が必要です。しかし現状では支持を得ることは難しいでしょう」

 

「言われなくともわかってるさ。僕の一存で改正できるものなら、リンの出したいくつかの法令だってすぐに廃止してやるんだが」

 

 レンのボヤキに、レオンとアルは思わず吹き出しそうになった。

 

 レンとリンの結びつきを強めるためとは言え、リンのお節介のような法律には、レンもほとほと参っているらしい。

 

 それでも、リンの法律の全部を廃止してやる、と言わないあたりが微笑ましかった。

 

「陛下、今少しの辛抱にございます」

 

 そう、レオンは言った。彼は、

 

「ミク様との婚姻によって緑公国の後ろ盾を得て、そして陛下もご成長あそばしたならば、大臣どもも勝手はできなくなりましょう」

 

「成長か。……僕がそれだけの力をつけるのに、あと何年かかると言うんだ」

 

「早くとも、五年」

 

 レオンは言い切った。

 

 あと五年あれば、この少年は黄王国史上もっとも偉大な国王となるだろう。

 

 それは、レンを幼い頃から見続けてきた男の確信であった。

 

 しかし同時に、奇しくもカイトも同じ見立てをしていたとは、誰にも想像できないことであった。

 

「五年、か……」

 

 まだ年若いレンにとって、五年は短いようで、長い。自分の人生の三分の一に当たるのだから、無理もない。

 

 しかし、若さだけでなく、レンには五年を長く感じる別の理由があった。

 

「なぁ、レオ。この国は……五年も持つのか?」

 

「………」

 

 沈黙をもってしか、レオンは答えられなかった。

 

 レンは席を立ち、窓辺に佇む。

 

 窓を開けると冷たい風が部屋に吹き込んで、レンの髪を揺らした。

 

「僕が未熟なのは、よく自覚しているつもりだ。だが、今何とかしないと、この国に明日はない」

 

「……賭けにございますぞ」

 

「お前たちの命も賭けることになる。ついて来てくれるか?」

 

「答えるまでもありませぬ」

 

 窓の外を眺めるレンの背中に、親衛隊を率いる男の、覚悟の声が届いた。

 

 レンは振り返り、告げた。

 

「まずは反主流派と、それを操る有力商人どもを潰す」

 

「御意。しかし、いかにして?」

 

「主流派の連中を動かす。奴らも反主流派の息の根を止める機会を伺っていたからな。必要なのはきっかけだ。だったら、僕らでそのお膳立てをしてやろう」

 

「主流派はうまく乗りますかな。また、それで恩を売ったところで、奴らが陛下の意のままになるとは思えませぬ。あのような輩には、恩を売るだけでなく、弱みも握らねば」

 

「当てがあるようだな」

 

「法務大臣にございます」

 

「なるほど」

 

 刑務所の囚人たちの酷い暮らし。

 

 城下街の治安悪化と、警備兵たちの恣意的な取り締まり。

 

 職務怠慢と切ってしまえばそれまでだが、恐らく、根はもっと深いところにある。

 

 レオンは言った。

 

「まずは店税未払い者に対する罰金の収集額と、国庫への歳入との関係を徹底的に洗います。以前から警備兵による横領が噂になっておりましたし、おそらく相当の差額が出てくることでしょう」

 

「その弱みを握って、法務大臣を押さえるか」

 

「主流派でも中核に位置する重要人物です。その効果は大きいかと」

 

「………きっと、今の法務大臣をクビにして、お前たちを据えたほうがよっぽど話が早いんだろうなぁ」

 

 だが、大臣職は悲しいかな世襲制だ。個人の能力よりも家格が絶対的にものをいう。

 

 世襲制の利点は、その役職の家に受け継がれた膨大な経験値が、個人の資質を補うところにある。

 

 だが、肝心のその経験値が、国家観を無視して己の利益のみを追求することに特化してしまったような家柄ばかりなのが、現在の黄王国の有様だった。

 

 だから、今の、そしてこれからの黄王国には、家柄にとらわれない幅広い人材徴用が必要なのだ。

 

 それを可能にするためにも、今は汚い手を使ってでも改革を進めなくてはならない。

 

「レオン、親衛隊は引き続き反主流派と、そして法務大臣の身辺を徹底的に洗い出せ。この二つをもって主流派の動向を僕に従わせる。……この国を、変えるぞ」

 

 そして、歴史の歯車が動き出す……

 

 

 

 

 レンの決意から、わずか一ヶ月後、事態は早くも動き出した。

 

 きっかけは、ある事件だった。

 

 反主流派の背後にいると目されている貿易商。そのなかでも最も中心的な人物とも言われていた大商人の邸宅で、パーティーが開かれていた。

 

 そのパーティーは、主要各大臣や、有力貴族の多くが招待された大規模なものだった。レン自身も内務大臣に名代を託していたほどだから、このパーティーがどれほど盛大かわかる。

 

 そんな場で、殺人事件が起きた。

 

 しかも殺されたのは、招待客の一人である法務大臣の従者だった。

 

 その従者とは、いつぞやリンが街へ偲び出たときに遭遇しそうになった、あの使用人の男である。

 

 日頃から女癖が悪いと噂されていて、いずれ女性問題で痛い目を見るだろう。と、いうのが彼を知る者たちの共通の見解だった。

 

 そしてその見立て通り、彼の命を奪ったのはやはり女性だった。

 

 容疑者として逮捕されたのは、大商人のメイドだった。

 

 名を、リツという。

 

 この従者が殺された当日、パーティー会場でこのメイド――リツにしつこく言い寄っていたのを多くの人間が目撃していた。

 

 そのさまが如何にも強引であったため、刺し殺されても文句は言えないだろう。と、目撃者の大半が、そんな感想を抱いたほどだったという。

 

 したがってそれだけなら、この事件自体、男女の個人的な問題で済まされていたところだが……

 

 ……事件がパーティー会場で起きたこと、

 

 そして、その従者の遺体が屋敷内の茂みに隠されていたという事実が、この事件を大きくした。

 

 パーティーがお開きになる寸前に“偶然にも”遺体が発見されたことにより、この殺人事件は露呈した。

 

 このとき現場に居合わせ、そして当事者ともなった法務大臣は目覚しい働きを見せた。

 

 法務大臣は事件の捜査を名目に、パーティー出席者を全員その場に足止めし、配下の司法官を大量動員して徹底した捜査を行ったのだ。

 

 その徹底ぶりは、大商人の私室に司法官が強制的に立ち入るほどだった。

 

 いくら事件捜査のためとは言え社会的にも大きな影響力を持つ人物の私室に、その日のうちに強制的に押し入るなど、まず有り得ないことである。

 

 だが、法務大臣は従者を殺された立場でもあるし、そして大商人側は、容疑者が自分のところのメイドで、しかもその事件が隠蔽されていたという負い目がある。

 

 結果、大商人はこの強引な捜査に従わざるを得なかった。

 

 この捜査により、容疑者リツは事件が発生したその日の内に逮捕された。

 

 従者殺害の事件はこれにて一見落着したが、事態はここからさらに大きな展開を見せた。

 

 この捜査の過程で、大商人から反主流派への莫大な収賄が行われていた証拠が大量に見つかったのだ。

 

 これにより、事件は一大政治スキャンダルへと発展しつつあった………

 

「また随分と都合のいい展開だよな」

 

 例によって朝の報告により、レオンとアルから事件のあらましを聞き、レンは呆れたようにそう言った。

 

「むしろ、強引というべきでしょう」

 

 と、レオンが答える。彼は続けた。

 

「殺された法務大臣の従者ですが、女癖が悪いどころの話ではありませぬ。女を手に入れるためなら犯罪まがいのことまで平気でやる男です」

 

「犯罪まがい?」

 

「というより犯罪そのものですな。朝からお耳に入れるには差し障りある内容ばかりです」

 

「法務大臣もそんな男をよく手元に置いていたものだ。……いや、そんな男だからかな。その男一人が特別だったわけでもないんだろう?」

 

「法務大臣自身が手を貸していた節も見受けられます。表沙汰にできない面で色々と役に立っていたのでしょう。……正直、あの男こそ法務大臣の最大の弱みでもあったのですが」

 

 はぁ、とレオンの口からため息が漏れた。

 

 この一ヶ月、レオンたち親衛隊は法務大臣の身辺を調べ上げ、かなりの弱みを手にしていた。

 

 そしてつい先日、レン自身が法務大臣を呼びつけ、その弱みを匂わせつつ、反主流派が貿易商と手を組んで、再起を目指しつつあることを告げたのだが……

 

 レンもまた、ため息混じりに口を開く。

 

「連中、まさかこんなに早く動くとは予想外だったな。反主流派と貿易商の繋がりを匂わせたとは言え、証拠までは見せていないというのに」

 

「主流派がその繋がりの証拠を掴むのに、この冬いっぱいはかかると踏んでいました。ですが、やはり侮れんものですな。まして従者の口封じまで兼ねるとは」

 

 口封じ。と、レオンは断言した。これは彼の推測で言ったわけではない。レオンは、これが犯人とされたメイド:リツの犯行ではないことを知っていた。

 

 それは、レオンだけでなく、アルも、そしてレンも承知のことだった。

 

 なぜなら、リツは、レンたちが大商人の元に送り込んだ配下だったからである。

 

「しかしまさか――」

 

 と、レン。

 

「――リツが逮捕されたと聞いたときは、肝が冷えたな」

 

「ウタや、テト、モモの三人でなかっただけ幸運といえましょう。彼女たちはリツと違って我が王宮の本物のメイドでしたからな。万一のことがあればリン様に申し訳が立ちませぬ」

 

「かといって、リツはお前たちの部下だろう?」

 

「あれも親衛隊の“男”です。女のような外見とはいえ、覚悟は出来ております。むしろ――」

 

 レオンはそう言って、にやりと笑った。

 

「――法務大臣こそ、濡れ衣を着せた相手がまさか男、それも親衛隊員だとは思わなかったでしょうな」

 

 リツはれっきとした親衛隊の隊員だった。小柄で華奢な身体付きと、女性的な顔立ちながら、剣の腕はオリバーにも匹敵する実力者だ。

 

 本来、調査員として大商人の元に送り込まれるのは、先述の会話に出たウタ、テト、モモという名の三人のメイド達だった。

 

 国王付きのメイドたちの中でも、信用に足ると見込んだ者たちから、さらに志願者を募って選び出した者たちだ。

 

 もっとも、メイド長であるリンには内密の話だ。この件はルカが取り仕切っている。

 

 しかし女性ばかりに危険な真似はさせられない。そのため、護衛としてリツが選ばれ、女装して、三人と共にメイドとして送り込まれたというわけだった。

 

「ところで、レオ」

 

 と、レンが真剣な表情で訊ねた。

 

「主流派の連中、リツの正体を知った上で、僕らへの牽制として犯人に仕立て上げた可能性はないか?」

 

「正体を知っていたなら、逆にそんな真似はできないでしょう。そんなことをすれば、この事件が主流派の陰謀だと我々に確信を抱かせるだけです。現にそうなりました。これはむしろ、我々にとって強みとなります。リツもそれを分かっていたから、あえて無実の罪を着たのです」

 

「僕らがその気になれば、リツの無実を晴らし、主流派の陰謀を暴くことができるということだな」

 

「暴きますか?」

 

「リツの身に危険が及ぶようだったらな」

 

 レンにとって、それが一番の不安だった。

 

 親衛隊には、命をかけてもらう、と言ったものの、進んで捨て駒にする気はさらさら無い。

 

「レオ、リツとの連絡手段はまだあるか?」

 

「しばしお待ちを。……どうなんだ、アル?」

 

「通常の面会と意味以外でしたら、差し入れに忍ばせた暗号文による交信、留置所や刑務所の刑務官への買収、脱出経路の確保などの行動を既に開始しております。ぬかりはございません」

 

 と、アルが胸を張って答えた。

 

「というわけです、陛下。いざとなればリツを脱獄させることだって造作もありません」

 

「頼もしいというか、なんというか……まぁ、いい。リツには自分の正体を明かすように伝えろ。こちらの手の内を晒すことになるが、法務大臣に釘を刺しておく必要がある」

 

「リツの身に何かあったら分かってるな、という脅しですな。ついでに囚人生活を快適に送れるよう、刑務所の改善要求も出させましょうか?」

 

「それは名案だ」

 

 レンは、笑った。だがその答えに含んだ気持ちは、本物だった。

 

 

 年が明けた。

 

 王宮で催された新年賛賀会の場は、明るい雰囲気に包まれていた。

 

 新年とはいえ真冬の最中であったが、主流派の各大臣や有力貴族たちにとっては、まさに我が世の春も同然だった。

 

 弱体化したとはいえ、それでも一定の勢力と影響力を保っていた反主流派を完全に駆逐することに成功したのだ。笑いが止まらないはずがなかった。

 

 しかし、そんな雰囲気のなかで、ただひとり青ざめている人物がいた。

 

 法務大臣である。

 

 今回の主流派大勝利の立役者であり、今後の栄達も約束された彼だったが、その影には思いもしない落とし穴があった。

 

 若き国王、レンの存在だった。

 

 あの陰謀で罪をなすりつけたメイド。しかしその正体は国王直轄の親衛隊員だったという報告を聞いたとき、法務大臣は部下の正気を疑った。

 

 親衛隊員が、どうして女装してメイドをしているのか?

 

 正気とは思えないその主張は、しかし、事実だった。

 

 新年賛賀の宴の席で、法務大臣は国王に謁見した際、その口から直接、

 

「そういえば、うちのリツが世話になっていたな。元気にしているか?」

 

 そう訊かれたのだ。

 

 ここに至って、法務大臣は自分が見えない糸に絡み取られていることを悟った。

 

 思えば昨年度から自分の身辺を探られているらしいという報告はあった。国王からも、何かと後ろ暗い部分を遠まわしに指摘されてはいた。

 

 しかし、そんなものは些細なことだと思っていた。

 

 腹の探りあいなど彼らにとっては日常であるし、不正や専横など、国王に指摘されたぐらいで大した影響になるわけでもない。

 

 操り人形同然の少年国王など飾りであり、そんなものよりも反主流派こそが恐ろしい。

 

 これが、法務大臣をはじめとした主流派の大臣や有力貴族たちの見解だった。

 

 それが間違いだと思い知らされた。

 

 気がつけばレンは、侮りがたい男に成長していた。法務大臣は、自らの首元に、ひっそりとその牙を突きつけられた思いだった。

 

 賛賀会から一週間後、この年最初の国政会議が開かれた。

 

 レンはこの会議に、三つの案件を出した。

 

 ひとつめは、店税の全面廃止。

 

 ふたつめは、闇市の公然化。

 

 みっつめは、有力貴族や大商人への優遇政策の廃止である。

 

 この案件に、議会は騒然となった。

 

 支配層の持つ特権を奪うに等しいこの案件が、通るはずが無かった。本来ならば案件として出てくることさえあり得なかった。

 

 しかし、事態は予想外の方向へと動き出すこととなる。

 

「例の三つの案件が、今期中に成立の見通しである、と?」

 

 黄王国城下郊外の館で、緑公国特命全権委任大使であるキヨテルは、驚きと関心の入り混じった表情でその話を聞いた。

 

「はい、レン国王の出された案件に対し、内務大臣、法務大臣をはじめとして、執政権を持つ重臣達がこぞって前向きな態度を見せております」

 

 そう語るのは、緑公国と黄王国をつなぐ貿易商人の一人である。

 

 昨年の事件で、緑公国の後ろ盾を得ようとしていた反主流派と大商人達は放逐されたが、緑公国にとってはその程度は大した問題ではなかった。

 

 黄王国にとって大国である緑公国は欠かすことのできない貿易相手だ。

 

 主流派、反主流派の関係なく、貿易商という業界自体が緑公国と密接な関係がある。そのため一部が放逐されようとも、こうして黄王国の内情を知るための人脈が途切れるという心配はまったく無かった。

 

 この貿易商人も、権力争いではなく商業上の事務的な手続きのためにキヨテルの館を訪問し、そのついでにキヨテルと世間話に興じているに過ぎない。

 

 だがその内容は、緑公国と黄王国の今後の外交政策にも大きな影響を与えそうなものであった。

 

 キヨテルはしばし考え込み、言った。

 

「国王が自ら国政会議に案件を出されるということは、執政権を持つ重臣達もあらかじめ了承済みと考えてよろしいですね」

 

「ええ、そう思います。しかし他の貴族たちにとっては寝耳に水であったとか。ここ一週間、国政会議は相当、紛糾しておりましたよ」

 

「あなた方にもかなり影響が出るのでは?」

 

「主流派につながる大商人にとってはそうでしょうが、私どものような中小の輸出商人にとってはむしろチャンスだと捉えております。店税廃止と闇市の公然化は、わが国の産業の復活を感じさせる政策ですので。しかし、それを主流派自らが推し進めるとは思いませんでしたよ」

 

 世の中わからんものですなぁ。貿易商はそういって、愉快そうに笑った。

 

 貿易商が帰った後、キヨテルはすぐさま本国へ、手紙をしたためた。

 

 黄国内で昨年起きた事件の追加報告と、今年に入ってからの国政会議の動き。そして、黄国内で静かに拡がる革命勢力の動静。

 

 貿易商との世間話以上に、あらゆる諜報手段を通じて調べ上げた事実に付随して、キヨテルは最後に一文、こう付け足した。

 

 ――レン国王、動く。

 

 その手紙を密使に託した後、キヨテルはポツリと、こう呟いたと。

 

「……早すぎますね。いや、それも致し方ないのでしょうか」

 

 手紙を本国に送ってから、しばらく時が過ぎ……

 

 暦は、二月へと変わった。

 

 それは、黄王国でも最も冬が厳しい月だった。

 

 晴れる日はめったになく、朝から晩までどんよりと重い雲が国中の空を覆い尽くす。

 

 雪が降る。

 

 豪雪とまではいかないものの、朝晩と粉雪が吹き荒れ、日が昇ってもそれは氷雨やみぞれとなって、大地をぬかるませる。

 

 空は灰色で、大地は黒い泥濘のところどころに溶け残った雪が染みのように残っている。

 

(陰鬱な景色だ)

 

 と、キヨテルは自らの館の部屋から、城下街郊外の景色を眺めてそう思う。

 

 この国の冬には、いつも胸を塞がれるような気持ちにさせられる。それほど冬は長く、暗い。

 

 だがそれだけに、春の歓びが増すのも、また確かなのだろう。

 

 今、この国は季節だけではなく、人心においても長い長い冬の中にあった。

 

 季節以上に辛いこの冬が、けれど今年は、ついに終わるのだろうか。

 

 つい先日、黄王国の国政会議において例の三案件が、正式な法案となって施行されることが決定したとの報告が、キヨテルの元にも届いていた。

 

 現在はその法案策定の最中だそうだ。

 

 黄王国が国王の名の下に改革に動き出した。

 

 これは一見とても喜ばしいことに思えたが、キヨテルはそう思っていなかった。

 

 改革を目指すこと自体は良いことであると思っている。

 

 黄王国の改革は、緑公国の不利益になるどころか、むしろ両国にとって共通の利益の拡大をもたらすだろうとさえ思っていた。

 

 現状のように、片方のみが収奪され続けるような関係など長続きしないものだ。

 

 しかし、それは改革が上手くいった場合の話である。

 

 レン国王は優秀だ。

 

 人格、知性、決断力、個人として持ちうる資質の全てに秀でている。

 

 だが、君主としてはまだ未熟だった。

 

 あの国の国王であるにもかかわらず、いや、あの国の国王であるがゆえに、ともに国を支えるべき家臣団から軽んじられ、挙句に利用されようとしていた。

 

 権力争いと私腹を肥やすことのみに血眼になっているのが黄王国の大臣や有力貴族たちだ。

 

 優秀な国王など、むしろ彼らの利権の邪魔にしかならない。

 

 そんな彼らが、レンの改革の足を引っ張りこそすれ、その意思に従うとは、キヨテルにはどうしても思えなかった。

 

 しかし現実は、主流派の全面的な支持のもとに、改革が進められようとしている。

 

 なにか裏があるとしか思えなかった。

 

 その裏を仕掛けたのは、はたしてレンか、主流派か。

 

 どちらにしろ、この改革は危うい。

 

 政道とは、本来は正道であるべきだ。謀略などという奇策を用いては、正しき改革などできるはずがない。

 

 まして、レンは若い。

 

 賢い彼のことだ。黄国があと数年もたないことを、誰よりも自覚しているだろう。

 

 ゆえに強引な手法に打って出てしまったのかもしれない。

 

(あの少年が、あと五年早く生まれていれば……)

 

 惜しい。

 

 キヨテルは心中でため息をついた。

 

 その気持ちは、彼のみならず、彼の主君である緑公国大公もまた同じ思いだった。

 

 しかし、その思いは同情であると同時に、諦めでもある。だからこそ、緑公国はこの事態を静観する構えでいた。

 

(この国の冬は、いったいどのように終わるのか……)

 

 本国が予想しているであろう暗い未来を思い描き、重いため息を一つ吐いたとき、

 

 キヨテルの自室に従者が現れ、使者の来訪を告げた。

 

「早馬であると?」

 

「はっ、本国より緊急の使いであるとのこと」

 

 キヨテルが急ぎ使者が待つ控えの間に駆けつけると、そこには十数人の男たちが待っていた。

 

 緊急との口上に加え、これだけの人数を一度に寄こすなど、まずありえない。

 

 キヨテルはすぐにこれが尋常の使いではないことを悟り、自らの従者やメイド達をすべて退出させた。

 

 彼らは相当の強行軍だったのだろう。氷雨と泥にまみれ、まだ肩で息を切らせていた。

 

 しかもその男たちの中には、あのガクポの姿まであった。

 

 昨年、レン国王の下からミク公女の護衛についた彼が、なぜここにいるのか。

 

「キヨテル卿、一大事にございます」

 

 使いの代表が、鬼気迫る表情で告げた。

 

「ミク様が、お行方をくらまされました」

 

「何っ!?」

 

「御部屋に書き置きがございました。そこには短くただ一文、“カイトのもとへ行く”……と」

 

 代表が告げる後ろで、ガクポが、冷え切った表情をさらに凍りつかせながら、俯き、肩を震わせていた。

 

 

 

 

 その夜。

 

 粉雪が舞う暗闇の中、キヨテルの館から幾人もの男たちが、夜陰に乗じて城下街へと潜入して行った―――

 

 

 

 

 

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