朝食休憩後、東征大の部員たちはロッカールームにてユニフォームへと着替える。
その間、手持無沙汰な京太郎は食堂で治也と会話に興じていた。
現役高校生プロ、能海治也。静岡の強豪プロチーム、草薙ウィード・キッズの先鋒を務める彼は、国内トップレベルのランカーでありながら盲目の雀士。
目が見えないというハンデを負いながら、高校進学と同時にウィード・キッズ傘下のプロユースに入団、僅か三か月後にプロリーグの先鋒を務めるまでに至った超絶ルーキー。その戦績は凄まじく、デビュー時から黒星は一切ついていない。個人収支も全てプラス、十万点持ちの団体戦においてもトバして終了させることが八割以上という異常極まる成績を残している。
一年目の成績はリーグMVP、
そして、信一と命を含めたインターミドルの決勝卓を囲んだ一人。つまり、彼らの親友に他ならない。
「……じゃ、佐河先輩がプロユースのままって、弱いわけじゃないんだ」
「存外、君も辛辣な。信一にとっても良い薬になるだろうから聞かせてやろう」
「じょ、冗談ですよ。ただ、何であんなに強いのにプロユースのままなんだろうって。我の強いプロって何人もいるはずなのに」
「アイツの性格も半分だが、フェレッターズの
話の話題は、プロの世界について。やはり京太郎も、麻雀をやる身。天上の世界であるプロの世界に憧れもある。
そしてそのプロが、しかも現役の高校生のトップランカーが目の前にいる。調べればわかることかもしれないが、やはりプロの生の声で聴いてみたいものだ。
「やっぱり団体によって方針に違いがあるんですね」
「では、ウィード・キッズの方針は?」
「実力主義」
「正解だ。強ければ若手だろうとシニアだろうとアマチュアだろうと採用するところだよ。華がない、と言ってしまえば終わりなのだが」
草薙ウィード・キッズは選手の移り変わりが多い団体である。憂き目、落ち目の選手は即座に切り捨てる、超実力主義。逆に、上り調子の選手はその実力がプロの世界で通用するようであるのならどんどん取り入れる。
無論、プロというのはそういう世界なのだが、ウィード・キッズに関しては度を超している。
団体戦のメンバーがシーズンの始めから終わりになるとそっくりそのまま変わっているということも珍しいことではない。上がり調子を経験したことのある男子プロは、ほとんど必ずウィード・キッズに所属していたこともあり、プロ麻雀せんべいカードの製造会社泣かせのプロチームである。
よって、このチームにはこの選手、というチームの華、目玉選手がいない。……否、いなかったというのが今は正しい。
裏を返せば、このチームで選手を続けていられる選手は間違いなく時代を代表する超一流であるという証拠だ。
現に白水浬と能海治也の二大若手選手で売り出しており、今までになかった人気とファンを獲得していっている。
「ウチのフロントは博打打ちだ。大穴だけを狙っているので、どれだけ稼いでもいつも赤字だ。ここ、笑うとこだぞ」
「あ、アハハ……」
「……受けが悪いな。やはり俺には笑いの才能はないな」
やれやれ、と肩をすくめる。本気なのか冗談なのか、京太郎は治也がわからない。
良い人、だと京太郎は思う。
ただ、感情の起伏がないと言っていいくらい少ない。表情の変化が、まるで見られなかった。
機械、というのは言い過ぎだろうが……その一歩手前に感じた。
「反応の薄いヤツ、と思ったか?」
「……!」
「何、気にするな。慣れている。こういうタチだと、既に納得している」
そして何より、この異様な読心能力。京太郎は信一と初めて出逢った時を思い出したが……あれは勘と言っていた。
治也のソレは、根拠がある。心音脈拍その他諸々……常人には察知できない情報を察知し、推測立てて悉くを当てている。
見えてはいないが、視えている。そう、治也が言った言葉を理解した。
目は使えなくとも、目では見えないものが視えている。
視覚を除く四感、聴覚嗅覚触覚味覚……その四つを統合して、視覚以上の性能を発揮させている。
並の訓練や努力で到達できるものではない。文字通りの、血が滲む、血を吐くほどの研鑽を積んだ上で得たものだろう。
世間は彼を天才と称した。信一も、命も、そして蘇芳も……彼を本物の天才だと認めていて、信じている。
天才とは、天賦の才を持つものではなく。努力を努力と思わず、研鑽を怠らず、自分の力を信じ切ることが出来る者を言う。
ただただ、敬服に値する。ハンデを負いながら……負ったからこそ、人の性能の極致に到達した彼を、京太郎は尊敬した。
「……凄い人、ですね。能海プロは」
「治也でいい。名前で呼ばれる方が好きだ」
「……言いにくいことをズバズバ言うんですね」
「意思表示はハッキリすることにしている。目で訴えるということができないからな」
本人なりの自虐ネタらしいのだが、京太郎は笑えない。
治也は、やはり自分には笑いの才能がないと一人愚痴る。
「……京太郎。ああ、こう呼んでいいか?」
「あ、はい。どうぞ」
「今、何時かわかるか?」
「えっと……八時五十分ですかね」
そろそろ朝食休憩が終わる時間、またホールで打ちにいく。
充分過ぎる休憩を得て体力を回復させた京太郎はそう意気込むと、治也はふむ、と頷いた。
「体内時計に狂いなし。修正の必要はないか」
……この人、実はロボットか何かじゃないのかとすら、一瞬疑う京太郎だった。
東征大には、制服がない。文化系の部活のユニホームといえば制服であるが、高校生たる身、私服で対外試合に赴くわけにはいかない。
故に、東征大麻雀部には専用のTシャツがある。制服の代用品として、これを使っている。
黒地に、白の筆記体で『Tosei University Sinyo high school』と書かれたシンプルなデザイン。このユニホームは、全高校男子麻雀部の憧れにして嫉妬の対象になっている。
その原因は、後ろの首の襟の近くにある小さくあしらったマーク。慎ましくはあるが、そこに金色の王冠が描かれている。
自分たちこそ、高校最強。その自負を形にしたようなものだった。
対局が終わり、敗北のショックで麻雀卓にうなだれ、去っていった勝者の背中を見る。
そこには爛然と輝く、金の王冠。それをこれ見よがしに見せつけている。
東征大に敗北した学校の生徒が、青春時代の最後に見る風景である。
「雰囲気、あるなぁ……」
京太郎はその王者たちの背中を見ている。
私服だった時も、部員たちのオーラは凄まじいものがあった。だが、ユニホームを着ると段違いに変わっている。
これが彼らの戦闘服。これを着ている限りは、負けは許されない……そういう意識の切り替えを行っている。
傲りなし、慢心なし、油断なし。あるのは不敗を誓った、王者の自負。
弱いわけがない。常に崖っぷちで、常に背水。もう既に尻に火はついているのだ。
「お、来たか須賀。とっとと打つぞ」
「はいっ!」
部員たちに誘われ、京太郎も卓につく。
負けたくないのは、彼も同じ。
敗北の味は、味わいつくした。今度は、勝利の味を知りたい。
王者としての責任とか、名門の自負とか、最強としてのプライドとか、京太郎には決して理解できない。
負けて惨めな思いをするのは、もう御免だ。
だが、それ以上に……力の無さを嘆くのは、もっと嫌だ。
そのためなら──今ここで、負けに塗れ、泥を被ることになってもいい。
(強くなるんだ、今よりも!)
一秒先の自分よりも。一分後の自分よりも。一時間後の自分よりも。一日後の自分よりも。
そして、理想とする最強の自分よりも。
最強を超えて、そのさらに先の最強をも超える。どこまでも、どこまでも、京太郎は自分の中の最強を追窮させ、無窮の果てへと疾走していく。
夢物語と笑うがいい。できるわけがないと失笑すればいい。
あの
(──だったら、もう迷わない!)
もう決めた。後戻りはしないと誓った。
あんな高みにいるのなら、一分一秒が無駄にしていられない。迷う暇などありはしない。
────笑われる覚悟もないヤツが、強くなれるわけがないのだから……!
「……怖いな。そう思うのは、何時振りだ?」
ホールの外。麻雀部校舎の屋上のベンチで、治也は空を仰いでいた。
青い空を見ることはない。が、視えぬものが彼には良く視えている。
目を通して視るのではなく、視覚を除く四感を統合させてイメージを脳内で具現化させて視ている。
無論、人間の極致の性能にある治也といえどもイメージのずれは存在し、その都度修正をしている。
だが、それは視覚を補うものだけのもの。治也の真価は、そこではない。
能海治也を真に天才と足らしめているのは、そのイメージを脳内に微細に再現させる情報処理能力。
人間は脳の性能をほんの数割程度しか発揮していないといわれている上、視覚に割り当てられている情報量は膨大である。が、こと能海治也にはそれが当てはまらない。
視覚が機能していないので割り当てられたはずの部分、そして徹底的に苛め抜かれた脳の処理能力は、常人には考えも及ばない数々の能力を彼に与えた。
……その一つとして、感情を色や形として視ることができる。
「資質に恵まれているとはいえ、俺を竦ませるか」
信一のような、漠然とした勘ではなく。治也にはイメージを感じ取って心を読む。
京太郎の前では心音や脈拍などで読んでいると誤魔化したが、流石にそれだけでは限界がある。
「……まだ、震えが止まらないか」
京太郎の、その資質に中てられた。
目が視えない分、感情をダイレクトに受けてしまう。無論それは、時として凶器として治也を傷つける。
しかしその程度であれば治也は動じない。暴力的な危害を与えようとするだけの感情では、治也を動じさせることはない。
彼が機械的な印象を与えるのは、そういうものに慣れ過ぎたせいである。イメージをくらいすぎて、反応が乏しくなりがちになったのだ。
しかし、彼の指は細かく震えている。
食堂で初めて会い、話して、京太郎の感情に触れた。
……凄まじい、その一言に限る。
ここの部員と打って昂ったせいもあるのだろうが、その闘気はプロの治也を震えさせた。
そして今、ホールの外でも感じる京太郎のオーラ。
この東征大麻雀部の面々に埋もれることなく、強く主張する未完の波濤。しかも急速に、完成に近づこうとしている。
「早くしないと、完成してしまうぞ」
信一に、命に、そして蘇芳と浬に。そしてここへと集う、名門校の女子麻雀部員たちへと語りかける。
須賀京太郎という魔物の完成。雀士としての一次成長をこの場所で終えようとしている。
その光景を、自分だけが目撃するのは惜しい。ギャラリーは多いほどいいのだ。
「……来た」
校内に入ってくるセダン、そして駅に迎えに行った東征大のマイクロバスのエンジン音。
そして車から発せられるオーラ。セダンのものは治也が知る者たちのもの。
マイクロバスからは女子部員たちのもの。ここの部員たちに比べると未熟に映るが、彼女たちの存在がきっかけで京太郎はさらなる躍進を見せるに違いないと治也は見ている。
ゲストが来た、そのことを伝えるため治也はホールの中へと入っていく。
折角、わざわざここまで来てくれた。出迎えなければ礼儀に欠ける。
「客が来た」
それだけを伝える。麻雀部員でない彼は、彼らに指示を飛ばすことはできないが、連絡くらいはできる。
命からの指示もある。来客は、出迎えるものであると。
部員たちはすぐさま対局を中断、校舎を下り、彼女らを歓迎しに向かう。
「京太郎、お前も行くぞ」
「行くって……確か、他校の部員がここに来るんですよね」
「そうだ。女子の最高クラスの打ち手が、ここにやってくる」
白糸台、姫松、千里山。この女子トップレベルの三校が、東征大との合同練習に参加する。
その情報は京太郎も聞いていたが、他人事のように思っていた。彼女らの目的はあくまで東征大部員。余所からの預かりの身になっている自分には関係のない話だと思っていた。
「打たせてやる、って言ったらどうする」
「へ」
「ここの部員は強いだろ?だが、強すぎるせいか差異がない。最強の雀士とはこうあるべきと、パターンが決まってしまっている」
東征大麻雀部の部員の実力……命を除いた511名は、凄まじいほどに拮抗している。
序列最下位の部員と、レギュラーの序列二位が対局をやっても、トップ率は殆どと言っていいほど拮抗している。
既に型にはまってしまっている。王者東征大の雀士としての理想形に、なってしまっているのだ。
ここの部員と打つだけでは、京太郎は完成しない。地力こそつくが、切っ掛けには程遠い。
京太郎は、ここの部員と打つことにより、命の打ち方……雀士としての色を、様々な可能性を垣間見た。
彼女たちは、その使い手。
彼女たちとの対局こそ、インターハイのリハーサルになる。京太郎の完成の一助になるのだと、治也は信じている。
「だが、余所はそうじゃない。自由な型で、各々の力を磨いている。ここで身に着けた力、余所で振るってみたくないか?」
「実戦、ですか」
「そうだ。相手も全国屈指の名門で、個性溢れる雀士だ。興味が無いなど、言わせないぞ」
「是非!」
京太郎は、治也の手を取る。
心臓が高鳴る。血が騒ぐ。頬がひきつって、笑い顔がやめられない。
──こんなにも、ああこんなにも……今日はとても素敵な日だ。