SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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「ん……」

 

 目を覚まして最初に入った光景が、白い知らない天井。

 ここはどこ?わからない。

 どうしてここにいるのか、どういう経緯で自分は寝ていたのか。それらの記憶が抜け落ちており、すぐに思い出せない。

 時計を探すと、すぐに見つかる。午後の三時。どうやら、かなり長い間寝ていたらしい。

 宮永照は、起き抜けで鈍い頭で必死に思い出そうとする。なにが、どうして、こうなったのかを。

 

「おはよう、宮永ちゃん」

 

 親友の声……否、親友に最も近い声。

 凛とした、格好よさこそ共通するものの……厳しさより慈愛と優しさが同居した声質。

 

「命……」

 

 親友、弘世菫の双子の弟。東征大麻雀部部長兼監督。修羅道の統率者。

 菫と寸分違わぬ容貌。身長も容姿も、何もかもが同一。ただ一つ違うのは、男であるということだけ。

 それでも実は女であると明かされたのなら、信じてしまいそうになる。下手すれば、菫よりも女らしいと感じてしまうほど、母性が溢れているのだ。

 

「何か飲む?お茶しかないけど」

「……うん」

 

 保健室の備え付けられた急須へ茶葉とお湯を入れ、手慣れた手つきで緑茶を淹れる。

 暖かい湯呑で、少しずつ口の中で冷ましながら飲んでいく。

 程よい渋みと温かさが、心を解して落ち着かせる。茶の名産地は、やっぱり違う。後輩の尭深だったら喜ぶだろうと、照はしみじみと思う。

 心の落ち着きと共に、ふつふつと思い出していく。

 

「……私、負けたんだ」

 

 この東征大で京太郎に出逢い、練習試合と称して各校の代表と対局し、そして彼に自分の力をもがれ抉られ、圧倒されて敗北した。

 彼の、彼らの、東征大の土俵で戦ってしまったから、負けてしまった。

 

「一矢報いたじゃない。凄いわ、本当に国士の槍槓を揃えるなんて」

「その上を行かれたら、自慢にもならない」

「拗ねないの。信一も治也も、そして私も凄いと思ってる」

 

 京太郎の支配を跳ねのけ、配牌で国士聴牌まで行きつけた照を、心の底から賞賛している。

 先の勝負、京太郎のワンサイドゲームになると、命たちは声を揃えて断言し、確信していた。

 結果こそ、そうなった。だが過程を見れば凄まじい程に拮抗していた。

 江口セーラも愛宕洋榎も国士に迫る勢いだった。京太郎が{⑨}を確保していなければ、カンを封じていたほどに。

 そして照は言うに及ばず。能力を砕かれながら、満身創痍ながら、意地で国士の槍槓を狙っていった。

 あの場に、二流は存在していなかった。全員が輝かしい程に、超一流の勝負師だった。

 

「……鼻歌唄って、余裕で同じことが出来る癖に」

「私たちの場合は、無理に国士を狙わずとも阻止できるから」

 

 その上から目線が、気に入らない。

 同じ高校生なのに。麻雀という競技には男女の力の差はないはずなのに。

 高校女子最強と呼ばれるこの今の自分が、何よりも惨めだと照は感じていた。

 

「……そういう余裕が、菫は嫌いなんだよ」

 

 嘘。自分の嫉妬を、菫のせいにした。

 自分が弱いから、弱かったから嘘をついてしまう。

 自分の力の無さが、とても悔しい。

 相手が弘世命であるとか、佐河信一であるとか、能海治也であるとか、男神蘇芳であるとか……そんなものは一切関係ない。麻雀を打つ以上、誰だって平等であり、やる以上は勝つ他ない。

 そして照は負けず嫌いだ。負けたくないから勝つのだ。負けるのが嫌だから全国の頂点に立っているのだ。

 

「仮にも日本で一番の高校の長をやってるから。余裕を見せなきゃ、皆がついてこないのよ」

 

 本当は命も、そうしたくはない。姉の親友で、そして自身とも親交のあって口が堅い照だからこそ、こうして自分の弱音を吐くことが出来る。

 東征大麻雀部部長兼監督という役職。得られる権力こそ絶大なものの、しがらみも多く、降ってくる心労は多大なものだった。

 そして、姉である菫との不和も、命は何とかしたいと思っている。

 

「けど、それに見合う成果は得られたわ」

「……京ちゃんのこと?」

「そうそう、須賀くん。あなたと知り合いだったというのは不思議だとは思わなかったけど……ちょっと驚いたわ」

「私はすっごく驚いた。京ちゃんがここにいるなんて、思いもしなかった……」

 

 照にしてみれば不意打ちだった。戦地へ赴くと意気込んでいたのに、長野にいるはずの旧友がここにいた。

 そしてその彼が麻雀を始めていて、あの四人に一目置かれている。一体何の冗談かと思ったほどだ。

 対局してみれば、自分を含めて全国区の打ち手を手玉に取る始末。小説より、夢よりずっと奇怪な事が現実になっている。

 自分の中にある力を壊される……そんな目に遭うとは思わなかった。

 

「オカルトとか能力とか、そういう言い方を本当はしたくないけど……大丈夫?何だったら、『破片』から新しく形にしてあげるけど」

 

 照の内にある力の消失。それに気付かない命ではなかった。

 オカルトの元締めのような立ち位置にいる命は、能力の修復が出来る。東征大の誰よりも、世界中の雀士の誰よりも、麻雀の深淵に至ってしまった命だからこそ出来る術だ。

 能力を壊されると、方向性のない力の塊となる。これを命は『破片』と呼んでいる。

 この破片をかき集め、組み上げ、形成すことによって力に方向性が出来て、オカルトと呼ばれるモノが出来る。

 東征大の部員や命の場合は少し勝手が違うが、元来持つ才能によってオカルトを得た者たちは皆そうである。

 このオカルトの仕組みを解明させたのは命と治也の両名。目に見えない、説明のつかない領域のモノを、明らかにさせた。

 そして壊れた能力を寸分なく同じように組み上げることが出来るのは、命だけだ。

 照の持つ『鏡』も、『連続和了』も、『扉』も。京太郎によって仕掛けられた地和爆弾によって破壊されたそれらを直すことができる。

 

「……いい、大丈夫」

 

 その申し出を、照は断る。

 

「────その必要は、ないから」

「……へぇ」

 

 命の背後には……『鏡』があった。照、命、そしてオカルトの才がある者にしか見えない鏡が浮かんでいた。

 プロの誰かがこう称した──照魔鏡と。人の本質を映し出す鏡で見られた気になるのだと。

 照の『鏡』を知る者がいれば、それが以前のモノと少し形状が変化していることに気付く。映し出す鏡面が大きくなり、装飾も豪奢になっている。

 

「凄い、自力で組み直したの……まあ、不思議じゃないか。鏡で自分を視ていれば、どういう形をしているのか覚えているはずだし。しかも以前よりずっと洗練されている」

 

 一度壊されたことによって、性能が段違いに向上しているのを命は察した。

 筋繊維がズタズタになって、それを治そうと超回復が起きるように。骨が綺麗に折れてくっ付くと、前より丈夫なるように。彼女の力も、格段に上がっている。

 

「今なら、命だって見れる……!」

「どうぞ」

 

 視れるものなら見てみろ。照の挑戦を、命は快く受けた。

 鏡で、命の奥深くを覗く。

 ……だが、視ても見えるのは闇ばかり。黒一色。無限に暗黒ばかりが映っている。

 何かに遮られているわけではない。この闇が遮っているわけではない。この闇そのものが、命の本質として映し出している。

 この闇から照は命の本質を読み取ることができない。漠然としていて、曖昧で、闇の奥に何があるのかわからない。闇の奥に何かを隠しているのか、それとも闇しかないのか。そもそもこれが闇なのかすら──。

 

「……!」

「見れないようね。視れるはずがないもの。──私自身ですら、視ることができないのだから」

 

 これが至ってしまったモノの末路。麻雀の深淵に踏み込み過ぎて、『自分』を無くしてしまった姿。

 在るのは力の塊。麻雀そのものへと繋がる、ナニモノにもなれない不定形の何か。

 命自身ですら、弘世命のことがわからない。自分で自分の本質を鏡で覗こうとも……今の照よりずっと次元の違う性能の鏡で見ようとも、映るモノは照と同じだ。

 東征大の部員たちは向こう側へと立つことができるが、自分の姿を見失うほどではない。いつでも元居た場所へと戻ることができる。しかし、命は戻れない。自分の形を、自分の姿を、無くしてしまったのだから。

 人でなくなってしまったモノ。自分を見失ってしまったモノ。故に『悪鬼』、故に『修羅』。

 今の弘世命は、かつて人であった頃の記憶から人格を再現しているに過ぎないのだ。

 優しかった頃の弘世命を。思いやりのある、麻雀が大好きな男子だった頃の弘世命を、演じているだけだ。

 だからこそ、菫は今の彼を嫌う。大事な弟の皮を被ったナニかは、自分の弟ではないのだ。

 

「宮永ちゃん。あなたは、間違ってもこうならないで。こうなるのは、私だけでいい」

「……京ちゃんは、どうなるの」

「それは須賀くんが決めること。だけど、彼は私以上に資質に恵まれてる。こうなる必要はないわ」

 

 資質のない自分と違って、京太郎は修羅に堕ちる必要はない。そうしなくとも、自分を超える雀士へと大成するのだから。

 もし、京太郎が修羅へとなるのなら。同じ領域へと至るのなら。

 その時は、どんな手を使ってでも命は阻止するつもりでいる。

 

「命は、やっぱり優しいよ」

「そんなこと無いわ。だって……」

 

 ──本当に優しいなら、『鏡』で見返したりしないもの。

 

「!?」

 

 命がそう言って、やっと照は自分が『鏡』で覗かれていることに気付く。

 今の照の鏡よりずっと巨大で、豪奢で、絢爛で、神々しい鏡。

 いつから、などそんな野暮なことは聞かない。見返すということは、自分が鏡を使ったのと同時に見られたのだろう。

 

「深淵を覗いているのなら、深淵もまた同じようにおまえを見返している──誰の言葉だったっけ?忘れちゃった。宮永ちゃんなら覚えてるよね、読書家だから」

「……ニーチェの言葉」

「そうそう、フリードリヒ・ニーチェ。思い出した思い出した」

 

 ドイツの哲学者の言葉を引用し、自らを深淵と喩えた。

 間違いどころが、命はまさに深淵そのものだと照は納得している。

 覗いたのなら、逆に覗かれている。特に弘世命であるなら尚更。そう考えなかった自分が悪い。

 

「そうそう、宮永ちゃん。妹さんがいるなんてどうして教えてくれなかったの?」

「────!?」

「須賀くんの中を視たら宮永ちゃんと似たような波濤を感じたからもしかしたら……って思ったけど、本当だったか。須賀くんの中で、根幹となっているようなモノだったから気になったんだけど」

「私に妹は──」

「峰の上で咲く華のイメージが見えて、とても綺麗だったわ。私が言うのもなんだけど、姉妹仲良くね」

 

 命に嘘は、ごまかしは通用しない。知っていた。知っていたつもりだった。隠し事をしようとも、切り開かれるように暴かれることくらい、わかっていた。

 

「じゃ、宮永ちゃん。十分休んだと思ったら、屋上のホールで打ちましょう?待ってるからね」

 

 そう言い残して、命は保健室から去っていく。

 手に握る湯呑は、もうすっかり冷めていた……。

 

 

 

 

 

「えっと、須賀くんだったか?少しいいか?」

「……?はい」

 

 屋上のホールでは、東征大部員たちが打っていた。その中に京太郎と、合同練習に来た女子たちも混じり、いつもの練習より賑わいを見せている。

 そんな中、半荘を終えた丁度に京太郎は浬に声をかけられる。

 姫松が呼んだ外来のプロ。京太郎は浬のことをそう聞いていた。

 

「悪い、ちょっとコイツ借りてくぞ」

「オス、白水先輩。須賀、白水先輩はいい人だけど、あんま失礼のないようにな」

「は、はい」

 

 卓から席を立ち、浬の行く方へとついていく。

 そして着いたところは、ホールの端にある卓。

 

「よう、京太郎」

「待ってたぞ」

 

 その卓には、信一と治也が既に座っていた。

 

「自信、ついてるじゃないか。視ただけでわかる。女子の全国区と打って、自分の居る場所がわかったのが良い経験になったな」

「ここの練習も、もうほとんど負け無しだ。ここの面目丸潰れだぞ」

 

 ここの練習を経て、京太郎はここに来る前とはもう別人そのものになっていた。

 純度の高い、高品質な経験値を大量に積み、京太郎は進化を続けている。その進化速度は加速を続け、東征大の部員が相手でも、優位な立ち回りができるようになっている。

 女子たちと打って、自信を得たことも大きい。照たちだけでなく、この練習の間に他の女子たちとも打っていた。そしてその全てに打ち勝ち、自分が全国級の雀士なのだと納得することが出来た。

 強くなれた。そう自覚することは、とても大きい要素だ。成長の実感は、更なる向上の糧になる。

 

「今度は、先輩らとですか」

「おう。勝ちたいだろ、俺らに」

「すっげえ、勝ちたいです」

 

 京太郎は思わずニィっと笑う。笑いがこみあげてしまう。表情を戻そうにも、湧き上がってくる歓喜が表情筋が釣りあがって出来ない。

 佐河信一は、ここへと招いてくれた大恩人で麻雀の真理を説いてくれた、眩いほどの輝きそのものだ。

 能海治也は、同じ高校生であり大き過ぎるハンデを負いながら、プロの最前線で活躍する、神々しいほどの憧れだ。

 その二人を超える。超えられる喜びを、栄誉を。それを想像しただけで、脳内麻薬がドクドクと染み渡る。

 ただでさえ、打ち続けで興奮しっぱなしの状態で。アップも万全なこの状態で。そんな状態で彼らから招かれたら、滾らないヤツは男じゃない。

 

「よし、今回に限ってトビ無だ」

「え、どうして?」

「お前がすぐトんで泣いちまうからさ」

 

 信一からの安い挑発。しかし、そんな言葉でさえ、京太郎は熱くなってしまう。

 トビ無、結構。長く長く遊べるのは、実にいいことだ。

 点棒など、所詮は目安。勝負の優劣を決めるのは点ではないことを京太郎はもちろん、信一も治也も、浬も知っている。

 

「だったら、俺がトバしてあげますよ」

「──威勢がいいな、オイ。いいぜ、かかって来いよ」

 

 ──そんなヤツが、俺は大好きだ。

 清澄の部室では感じられなかった、信一のオーラ。それを、京太郎は向こう側の次元に達したことによってようやく感じ取ることが出来た。

 感じられるはずがなかった。何故ならこのホールを埋め尽くすほどの密度、空気に味がついているのかと錯覚するほどの濃度がある。

 常人では、強烈すぎるほどの感度。故に、あの時は全員が、体の感覚を無意識に遮断していたのだ。

 

「あまり、無視してもらいたくないのだが」

「そうだぞー、お兄さんは寂しがり屋だからなー」

 

 治也も、食堂で見せた空白のオーラ。ホールの部屋の空間が信一のオーラに埋め尽くされている中、治也の周りだけが正常な空気であった。逆に、異質な空気が大部分を占めている今、正常な所こそが異質に見えていた。

 浬はオーラを発しているようには見えなかったが……圧されているように見えなかった。良く視ると、薄皮一枚だけオーラを張り、信一の発している空気を上手にいなしている。

 三者三様の、雀士の姿勢。そのどれもが次元を超えた先に立ち、今の京太郎にとって雲の上であることを認識させられた。

 

「負けるかよっ……!」

 

 京太郎もまた、卓と牌へと意識を伸ばす。136、全ての牌を手足と思い、卓を己の体と信じ込ませる。

 至ったモノたちの麻雀とは、運の……支配の奪い合い。

 超常を超えた先の、麻雀が──間もなく、開局する。


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