SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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 ──唐突に、一斉に対局の手が止まった。

 このホールで打つ全員が、彫像のように固まるような錯覚を覚えたのだ。

 寒いものが通り過ぎて、骨の髄まで凍らされた感覚。むせ返るような鉄の味の空気。女子たちはともかく、東征大の面々はそれが誰のものかの検討がついていた。

 その出所、ホールの一番端の卓に、全員の目線がいく。

 

「……なんや、あの面子」

 

 船久保浩子は、あの卓についている面々を見て唖然とする。

 能海治也、白水浬、そして佐河信一と須賀京太郎。この合同練習におけるそうそうたる面子が揃っている。

 能海治也と白水浬は言うまでもない。方や現役高校生プロにして、プロにおける数々の賞を総なめし、男子の国内最強候補の一人にたった二年で駆けあがった盲目の『天才』。方や高校卒業後、裸一貫でヨーロッパリーグに殴り込み、欧州における並み居る強豪たちをねじ伏せ、たった一年で世界ランク9位にまで登りつめた新時代の神風。どちらもプロの年数が一年二年と著しく若いものの、国内トップレベルの打ち手であることは誰もが認めるほどの雀士たちだ。

 そして佐河信一。未だユースチームでくすぶっているものの、それはフロントとの不和であることは事情通であれば知っていること。数多くのプロを再起不能にしたという噂もまことしやかに囁かれており、プロに昇格すれば唯一能海治也と渡り合える存在であるということは、一部のプロや玄人であれば知っている事実だ。現在における麻雀界の最大の『怪物』である。

 最後に、須賀京太郎。あの四人が目をかけたとされる、超新星。プロですら注目する高校女子最強、宮永照を筆頭とした女子トップクラスの打ち手たちを手玉に取り、さらなる経験値を得て進化を続ける未完成の『魔王』。実績こそ数少ないが、今一番勢いがあり、波に乗りまくっている男である。何せ、打ちながらにして成長をし続ける化物であるのだから。

 普通だったら客を呼んで金が取れるマッチングだ。それがこんな練習の中で実現するなど、詐欺に等しい。

 見たい。とても、見たい。

 牌譜として残されるデータでは不足している。実際にこの目で見て、わかることがあるのだ。

 

「見たいか、アレ」

「いえ、しかし……」

「俺たちのことは気にすんな。俺らも見たい。なあ?」

「おう。あんなの黙って始めるなんざ、ずるいったらありゃしねぇ」

 

 浩子と同卓していた東征大の部員たちも、気になって対局どころではない。

 一人は自分たちの偉大な先輩。一人は同じ高校生でありながらプロの最前線で戦う化物。一人は最強に最も近い位置にいる怪物。一人はそれら化物たちに果敢に挑もうとする最たる成長株。

 視るドラッグと同じだ。あんなものを見せられたら、目の前の対局に集中することなど出来ない。

 生温い麻雀を打つくらいなら、打たない方がいい。それよりももっと有意義なものがあるのだから。

 

「では、お言葉に甘えさせていだだきます」

 

 浩子たちは卓から立ち、彼らの座る端の卓の方へと歩く。

 それとほぼ同じく、他の卓の面子も同じように席を立って同じ方へと歩いていく。

 東征大の部員も、白糸台も姫松も千里山も。示し合わせたかのように、ぞろぞろと同じ方へ。

 一分もしないうちに、ホールにいる全員が彼らの卓の周りを囲んで集まっている。

 これには彼らも苦笑いを浮かべてしまう。

 

「……いや、お前ら練習しろよ。知らないぞ、命にどやされても」

 

 怒ると凄まじく怖い(オニ)がいないことをいいことに練習をサボる東征大の部員たちに、浬はそう言った。

 鬼が居ぬ間になんとやら。命が怒ると怖いのは、浬は良く知っている。

 彼らに下る処分は、決して軽いものではないはずだ。

 

「いいじゃないですか白水先輩。対局を見るのだって、練習でしょ」

「そうだそうだ。そんな面子でやってたら金払ってでも見たくなるっての」

 

 東征大の部員たちのブーイング。処分上等、怒られることを覚悟していなかったらこんなことしていない。

 

「あー、わかったわかった。俺も一緒に怒られてやるから」

 

 後輩たちの我がままに、しょうがないなと人の良い浬は受け入れた。

 こんな面子で打つ自分たちが悪いのだ。背負った肩書、つけてしまった実力……そのどれもが、人を惹きつけているのだから。

 怒られてやる、と言った瞬間に東征大の部員たちは喜びに沸く。

 

「さすが、元副部長。命が入るまで部長を張ってた器だ」

「ただ甘いだけだって」

 

 治也の世辞に、謙遜するように浬は苦笑する。

 東征大に属していた頃の白水浬の部内での肩書は副部長。しかも当時の三年生が引退し命が入学するまでは、部長を張っていたリーダーの器だ。命の入学後も副部長として厚い人望があった。

 鬼の命と、仏の浬。当時を知る部員の間では、そう囁かれていた。

 プロとなり、二年経った今でも東征大OBの中でも随一の人気と信頼を置かれている。命が片腕として信頼出来て、信一、治也、蘇芳といった我の強い問題児も彼を年長者として慕っている事実が彼の人柄の良さを証明している。

 

「えらい人気ですね、白水プロは」

「ここの出身のプロやからやろ。三年にしてみれば当時の先輩なわけやし、積んだ実績も半端やないからな」

 

 上重漫はここの部員の熱気に押され、末原恭子の説明に得心する。

 姫松にも自校のOGのプロが指導にやってくることもあるが、今のような大きな騒ぎにはならなかった。

 ただ、高校生だった頃の浬を知るのであれば、それは別なのだろう。一緒に打っていた自分の先輩がプロの第一線で活躍して、自校へと戻ってきた。それはとても誇らしく、憧れるだろう。

 

「ただ、あの人望の厚さは凄まじいわ。実力だけやないということか」

 

 ただでさえ、全国から選り抜かれたエリート集団である東征大。我の強い部員たちを統率するのに、実力だけでは不足している。

 浬は弘世命に劣らない魅力(カリスマ)を有している。そう考えた方がよさそうだった。

 

「始まるで。実質、男子プロ最強決定戦が」

 

 ──賽が、回る。

 

 

 

 

 

 起親は須賀京太郎。ドラは{7}。

 

 京太郎:{一}{九}{1}{9}{①}{⑨}{東}{西}{南}{北}{発}{白}{中} {8}

 

「……!?」

 

 配牌、国士無双十三面待ちというデタラメ。後ろから見ていた二条泉が思わず変な声が出そうになる。

 咄嗟に口を噤んでいなければ危なかった。

 

「……なるほど、信一も意地が悪い」

 

 隣にはいつの間にか蘇芳が立っており、泉は思わず飛び退いた。この巨体で完全に気配が消えていたことに驚かないわけがない。

 ここにいる五百人以上いる男子の中で、彼の身長はとび抜けて随一だ。目立つはずなのに、頭一つ飛び抜けて大きいはずなのに、隠れることなどあり得ない輝かしいオーラを放っているというのに。少し目を離すとふと消えてしまう。まるで手品か魔法のように。

 これが神出鬼没の正体なのかと納得してしまう。

 

「な、何が意地が悪いって……」

「見りゃ、わかる」

 

 配牌国士十三面聴牌という超豪運。普通、そんなものに直面したら必死でポーカーフェイスを維持しようと興奮を抑えるのに必死になる。泉自身、自分なら確実にそうなると確信している。

 だが、京太郎の顔は訝しんでいる表情。自分が望んでいたのは、コレじゃないという不満と疑惑。

 だからこそ、これから行うこの凶行にこそ意義があった。

 

 

 

 

 

「九種九牌」

「はい?」

 

 

 

 

 

 晒される、国士十三面の手牌。

 絶好の役満の好機。それを九種九牌で流した。

 普通なら考えられない凶行、愚行。

 泉だけでなく、他の千里山、姫松、白糸台の部員も同じように唖然とした。

 

「……信一先輩、ですよね。コレ」

「ま、一度見せてっからな」

 

 この国士が信一によって掴まされたものだと、京太郎は察知した。

 清澄で見せた信一の九種の連発と配牌国士十三面四家聴牌。その神業を見て知っている京太郎にしてみれば、信一は相手に国士を掴ませるくらいは容易くできると思っている。

 

「俺が狙ってたのは{発}無しの緑一色四暗刻単騎だったんですけど、丸々違うモノ掴んだら疑いますって」

「なるほど。俺らの戦い方がわかってきてるじゃないか」

 

 運の奪い合い、牌の奪い合いこそが、次元を超えた先の麻雀。そこに運や偶然という甘えたモノは存在しない。

 京太郎はソリティアで得た経験と実際に今彼ら対峙している状況で、それを肌で感じ得た。

 卓が体になり、牌が指となった今──{2}{3}{4}{6}の暗刻と{8}の頭による緑一色四暗刻単騎を、京太郎は確かに掴んだ感触があった。

 だが、思惑外れた国士を引き当てた瞬間、自分の指がぶった切られて挿げ替えられたのをようやく察した。

 いくらなんでも指を斬られて気付かないなど、鈍感が過ぎる。しかも別の指に挿げ替えられる始末。

 ──否、自分が鈍感ではない。気付かせないほどに、自分と信一との差が大きいのだ。

 

「まあ、なんだ。合格だ。俺らとやりあえる実力があるのは確かだ」

 

 

 

 

 

 信一:{2}{2}{2}{3}{3}{3}{4}{4}{4}{6}{6}{6}{8}

 

 

 

 

 

 必要もないのに晒された信一の手牌は、京太郎の懐から丸々奪った{発}無し緑一色四暗刻単騎。そのまま国士を目指していたのなら無警戒に{8}を出し、直撃の憂き目になっていた。

 しかも、{8}を出さなければ良いというわけではない。

 

「まあ、コイツの戯れに付き合った甲斐はあったか」

「わりーな、須賀くん。試すようなことしてよ」

 

 

 

 

 

 治也:{一}{九}{①}{⑨}{1}{9}{東}{南}{西}{北}{発}{白}{中}

 

 浬:{②}{②}{②}{③}{③}{③}{⑦}{⑦}{⑦}{⑧}{⑧}{⑧}{8}

 

 

 

 

 

 

 治也の手牌もまた、国士十三面。そして浬の手牌は{8}単騎の四暗刻。全てが当たり牌で、どの牌を切っても即死。トビ無ルールとはいえ、初っ端からの役満直撃は京太郎も勘弁願いたかった。

 戦わないことこそが最良の選択肢。そんな麻雀がある。

 見ているギャラリーは、全身の肌が泡立ち、逆毛立つ。

 

「言ったろ、意地が悪いっつーのはこのことだ」

「い、いやいやいや……」

 

 ほら見ろと言わんばかりに鼻を鳴らす蘇芳に、泉は目の前のあり得なさすぎる光景に青くなる。

 全員が配牌時点で役満を揃えている現実。下手をすれば、先の地和三連発よりも恐ろしい。

 配牌時点で国士十三面もそうだが、それを躊躇いもなく切り捨てる決心。泉にはとても……否、この場に居る女子の誰であろうとも真似はできそうにない。死ぬとわかっていても、目指したくなるのは自分が凡庸な存在だからなのか。それとも、卓にいる彼らが別次元に腰まで浸っていて認識そのものから違うからなのか。

 

「俺が一番嫌いな役は国士なんだよ。天和地和で出ても俺は九種で蹴ってる」

「へ?」

「だってアイツのパクリになるし」

 

 佐河信一の麻雀を知る者であれば、国士無双と九種九牌は彼の代名詞であると誰もが納得する。

 蘇芳も国士という役は信一に譲るほどに。自分に相応しくない、信一よりも似合う自信がまるでなかった。

 信一を良く知る者ほど、彼から国士を和了することをしない。

 そういった意味では、彼もまた並外れたカリスマの持ち主だということになる。

 

「アイツは一番かっけぇ渾名付けられてっからな」

「男神先輩の『奇跡』や『King of Kings』、『0%(ゼロ)の隣に居る男』みたいなのですか?」

「やめて二条ちゃん、恥ずかしくて俺死んじゃう。……まあ、『怪物』なんて呼ばれる前は、『今韓信』なんて呼ばれてたしな」

「韓信?」

国士無双(ならぶものがいない)って言われた程に才に溢れた古代中国の武将だよ。いーよなー、『今孔明』みたいで。俺みたいな恥ずかしいのじゃなくて」

 

 信一は、正しく国士無双だ。故に、その役に溺愛されている。

 才能に溢れ、それだけで世の頂点に立てる器を持っている。時代が違えば、一国の王になっていてもおかしくない傑物だ。

 

「けどま、本物の『天才』は別にいる」

 

 ──その信一の才をも凌駕する、本物の天才。

 

「この卓で、一番怖いのがアレだ」

 

 前座は終了。この闘牌、ここからが本番。

 超常の麻雀は、ここから始まる。

 

 

 

 

 東一局1本場。九種によって流れた場であるが、先ほどは彼らも本気ではなかった。つまり、ここからが本当のスタートだと京太郎はさらに気を引き締める。

 今度は横から掻っ攫われないように、牌に意識を素早く注ぎ込む。指を斬られないように、懐から牌を取られないように、手の内へと収める。

 

 京太郎:{東}{東}{東}{西}{西}{西}{南}{南}{南}{北}{北}{北}{北} {東}

 

 思い通りの、手牌。他の三人の介入はない。

 起親になったのだ。彼らを相手に、守勢に回っていられないと果敢に攻め上げる。

 

「カン」

 

 {裏}{東}{東}{裏}

 

「カンッ」

 

 {裏}{北}{北}{裏}

 

「カン!」

 

 {裏}{西}{西}{裏}

 

「カンッ!」

 

 {裏}{南}{南}{裏}

 

 瞬く間に、四連続槓。四槓子大四喜四暗刻単騎が確定する。

 大会ルールであるため、本当はダブル以上は意味はない。しかし、見栄えがいいことからダブル以上の役満を京太郎は狙っていく。

 この三人を相手に一人遊び(ソリティア)で挑む。一切の手抜きなく、全力で叩き潰す気概で。

 もう、誰にもツモらせない。そのつもりでいかなければ京太郎は彼らに勝てないと踏んでいる。

 

「来いっ」

 

 最後の、嶺上牌は──。

 

 

 

 

 

 {4} {五}

 

 

 

 

 

(ズレ、た……!?)

 

 京太郎は間違いなく、最後の嶺上牌を{4}にした。

 まだ未熟だったからなのかと、不慣れな四連続槓などしたせいなのかと頭を捻るが、和了できないものは仕方なかった。

 

「……嶺上ならず」

 

 嘆息して、京太郎は牌を切る。

 盲目の治也の配慮のため、切り出す牌は発声しながら出す。

 

「{五}」

 

 

 

 

 

「ロン」

「えっ」

 

 治也:{5}{6}{7}{二}{三}{四}{⑥}{⑦}{⑧}{五}{赤五}{4}{4}

 

「タンヤオ赤一、2900だ」

「{4}-{五}のシャボ待ち!?」

 

 手持ちの二種類とも当たる。今度こそ正真正銘、逃げ場は存在しなかった。

 否、正確には逃げ場を塞いだのは己自身だ。あの四連続槓で、手を狭めたのは己の失態だ。

 

「京太郎。ソリティアを攻略するのに、国士など必要ない。牌を一つ崩せば、容易に崩せる」

「だからって……」

「次やってみろ、今度はぶち抜くぞ」

 

 サングラス越しの、盲目の威圧。京太郎は心臓を直接握り込まれているような錯覚を覚える。

 ソリティアは、圧倒的な実力差があるからこそ成り立つ戦術。ただの一牌の狂いがあるだけで成り立たなくなってしまう。

 彼ら相手に、通用する理屈はない。

 次につまらないことをやってみろ。こんな安手で終わらせないという脅しだ。

 

 

 

 

 

「──本物の『天才』は、心すら計算する」

 

 男神蘇芳は語る。

 能海治也の、『天才』と並ぶ中学時代のもう一つの渾名。

 ──『数理の魔術師』

 

「オカルトも、運も、偶然も、思考すらも。アイツにとっちゃ、数の羅列さ」


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