時は、東征大における一日目の合同練習が終了間際の頃にまで遡る。
京太郎が倒れた後、練習は通常通りに続いた。午後五時頃に招かれた三校は今日分の練習は終わるが、東征大の部員たちの部活はまだまだ続く。遠くから遠征でここに来て宿を取っている者たちと、すぐ近くで寮生活をしている者たちとでは、活動が許される門限が違うのだ。
とはいえ、練習こそ終了したが彼女らは東征大にいる。
東征大麻雀部校舎、ミーティングに使われる大会議室。元は校舎であった頃の面影が保健室の次に残っている場所である。そこに、彼女たちは集まっていた。
学校ごとに長テーブルで区切られており、手元には数枚のA4用紙で印刷された資料が彼女たちに配られていた。
「……あー、どうも。弘世の代わりに説明を務めさせていただく白水浬です」
彼女たちの前に立ち、この説明会の講師をするのはここの出身者である浬。
対京太郎のエキシビジョンをする条件であった、オカルト共有の秘法の教授。その説明役を浬は請け負ったのだ。
「質問ええ〜?」
「どうぞ、赤坂監督」
「何で約束した弘世監督やなくて、白水プロが説明役をしとるの〜?」
「私が買って出ました。彼、感覚論で物を言うタイプなので、理屈立てて説明をするのなら私が適任かと。それに……」
「それに?」
「アレは加減を知らないもので、全員に理解させるまで全力で叩き込みます。最低二回は、全員が雀士として壊れる覚悟は出来ているのなら今にでも交代しますが」
浬の言う壊れる、という言葉には異常なほどの説得力がある。
雀士として壊れるということは、牌すら見たくない、牌を見た時点で震えが止まらないなどの症状を起こすほどのモノを指している。
弘世命は加減を知らない。インターミドルからああなって以来、やると約束したら必ず実行する。そこに配慮や教わる側の心情など一切考慮しない。
命に容赦という言葉は知らない。それは、浬が身をもって知り尽くしている。
もし約束通りに命が説明役を務めていたら、インハイ優勝候補の三校が欠場という事態になりかねない。そんな最悪は防がねばならないのだ。
実際、東征大の部員たちは十回以上は誰しも壊され、同じ数だけ命に蘇えさせられている。OBの浬すら、例外ではない。
──同じ途を、辿らせる意味はないのだ。
「以上でよろしいでしょうか、赤坂監督」
「え、ええ」
郁乃の、いつもの飄々とした態度が消え失せるほどの迫力が浬にはある。
若年とはいえ、余計な茶々は挿ませない凄みがある。プロの風格、現役の最前線で戦う一線級の選手、単身ヨーロッパで一年勝ち続けた紛れもない超一流の、確かなオーラが纏っている。
忘れてはならない。白水浬もまた、化け物の一人であることを。
「では、大前提として。麻雀において、超常的な打ち方や現象が起きるというのは……皆さんは周知の通りということで、よろしいですね?」
全員は、頷く。麻雀における超常、つまりオカルトは実在すると、誰もが信じている。
それが大前提の共通認識。この場にいるための、最低条件。空気も読まずSOAと言ってしまったら即座に閉め出されるだろう。
そういう現象を見てきて、使ってきた。名門校という環境の高さが、誰もが納得してしまっている。
口では決して説明できない何か。それが、能力。それが、オカルト。肉眼で見えるだけの理屈だけで証明することの叶わないモノが、この世に確かに実在する。
「それじゃあ、一つ聞いてみましょう。オカルトとは、何ぞや?愛宕監督、わかりますか?」
「そりゃ、わからんからオカルト言うんやないか」
「はい、その通り。オカルトとはわからないもの。わからないから、我々が勝手にオカルトと称しているに過ぎません」
オカルトという言葉すら不理解の存在に無理矢理型に嵌めるために存在する言葉だ。
わからないからオカルトと呼ぶ。理屈がわからないからオカルト扱いをする。しかし、使えてしまうために
証明のしようのない理屈。だからこそ、オカルトとは誰もわからない。そしてその大半は、わかろうともしなかった。
仕方がない。どんなオカルトでも、所詮は偶然と片づけられてしまう。オカルトの研究など、正気の沙汰じゃない。
「もうええやろ、本題に入ってくれんか?」
「そうですね。能力の共有……まあ、ここじゃ『麻雀の接続』と言ってはいるんですが。実は能力の共有というのは正しくないんです」
「正しくない?」
「一部だけ例外は存在しますが、正確には誰も
浬が語ったのは、世間がオカルトと呼ぶモノの真実。しかしそれは、あまりにも荒唐無稽な論だった。
意思が麻雀に作用する?ああ、確かに。
勝利すると強く願っているだけで勝てるというのなら、苦労はしないのだ。
そもそも、能力など持ってはいないというのも眉唾だ。彼女たちにとっては、持っている者たちにとっては、自分の中に有るのだと確かな実感があるのだ。
──ただし、宮永照、江口セーラ、愛宕洋榎には……京太郎と打った者たちには、引っかかるものがあった。
「質問、ええか?」
「はい、どうぞ。千里山の園城寺怜さん」
挙手をしたのは怜。彼女もまた、特異なオカルトを保有している。
一巡先を見る力。未来視とされる、彼女が生死の境をさまよって戻ってきた時に得た力だ。
怜自身、この力の由来や出処などはどうでも良かった。気になりはするが、重要ではない。
「なら、どうして私らは一つの力しか使えへんの?」
一つ、ないし二つ。それがオカルトを持っている雀士の能力の数だ。それが常識だと疑わなかった。
一つ持っているだけ上等。二つ持っていたら奇跡。三つ持っていたら
東征大の面々のように無限の数の能力を使う彼らとの差はなんなのか。それが怜の疑問である。
彼女にとって、未来視の能力はアイデンティティだ。この力があるからこそ、自分は千里山の一軍レギュラーで、エースとまで呼ばれるようになったのだ。
それが喪失した自分は、三軍の平凡な雀士に過ぎない。能力の使用を封じられたこの練習において、この場における最弱は自分であると自覚していた。
違いが知りたい。才能と断じられた能力の有無の差。持つ者と持たない者との差とは、一体なんなのか。
「意思の力というモノは水素以上にふわっふわしてるものでして。気体以上に不安定なんですよ。能力使いというのは、その意思力を
冷気で凍らすのか、電気を使うのか、焼いて固めるのか、薬品による化学反応を使うのか……方法は千差万別。ほんの僅かな違いで全く違う反応が起きるため、それは一つの学問分野として成り立つ程だ。
だから、同じ能力というものがない。現れる結果が限りなく似たものがあろうとも、使う人間が違うのであれば違うのである。
──それが、俗に才能と言われるものである。
浬が明らかにした、オカルトのメカニズム。何気なく使ってきたものの真実は、才能による差異で間違いはないなかった。
「と、いうのが今のあなた方のいる場所ですね。仮にこれを以後レベル1と仮称します」
「その先が、あると?」
末原恭子は問う。まさにそこが、自分らにとっての天蓋。
その先こそが常識外の化け物たちが棲まう地。ここの雀鬼たちがしのぎを削る修羅道に他ならない。
「私たちは『あっち側』と呼んでいますが、わかりやすくレベル2、とでも呼びましょうか。弘世が部長に就いてからの東征大部員は、全員がこの場所にいます。意思力がある一線を超えるほどに密度が高まると、麻雀そのものに繋がります」
「それが能力共有……」
「いいえ、ここに至ると能力云々は意味はありません。単純な、意思力のぶつかり合いに発展します」
この領域に来てしまえば、オカルトなどただの結果に過ぎない。勝ち負けを決めているのは、意思力のぶつかり合い。想いの強度の比べ合いでしかない。
意思力がここまで着てしまうと、オカルトの全てが理解できるようになってしまう。だから、全てのオカルトは無意味に終わる。
レベルが同じかそれ以上でなければ……対抗は不可能。
「意志力の、ぶつかり合い?」
「須賀と打った宮永さんと江口さん、愛宕のお姉さんの方は肌で理解しませんでしたか?
「お、おう、なった」
「うんうん」
「……」
照も頷き、彼女たち全員が同じ症状が出たことを明らかにした。
照に関しては倒れるほどに。身を顧みないほどに京太郎の敷いた支配に抗った結果だった。
彼女たちは、そのレベル2の領域に京太郎に引っ張られた形でその末端に触れた。
「……やっぱ天才だ。そこに行くまで俺は五回はぶっ壊されたんだけどなぁ……」
今の若き天才たちと、当時の自分を比較してしみじみと懐かしむ。
オカルトの有無は関係ない。彼女たちは才能に恵まれ、そして聡い。
……そして、だからこそ理解できるだろう。
「せやけど、そこに行くのは……負けすら良しとせなあかんやろ?」
「行き方はわかるわ。それでも、今は辿り着きたいとは思わんな」
「ええ。それが賢明と思います」
納得のいく勝負であるのなら、敗北すら良しとする。それは、勝つことを求められる彼女たちにとっては許容することのできないものであった。
やるからには勝つ。考えていることは、それだけだ。いくら納得のいく勝負だったとしても、
そこまで彼女たちは麻雀に純粋になりきれない。麻雀に、狂うことができない。
そして、その選択をした彼女たちを、浬は何も咎めない。むしろ、勇気ある選択をしたと讃えた。
「……え、主将わかっとったんですか?」
「そりゃな。あーなるんは、負けが許されん今なるもんやないからな」
「で、でもお姉ちゃん。強くなれるんやろ?」
「絹。ウチな、ボロボロに負けてヘラヘラ笑いたくないねん。想像できひんし、想像させへんけど……負けて笑うなんてゴメンや。どうせなら、勝ってみんなと笑いたいんや」
レベル2から上の領域は、個人の領域だ。そう洋榎はわかっていたからこそ、そこから上へと昇ることを拒否した。
麻雀は、所詮は個人競技なのだ。団体戦という競技内容があろうとも、卓についてしまえば戦うのは一人で、他は敵。孤独な闘いには違いないのだ。
それでも今の自分は、姫松の主将だ。個人の勝ちが皆の勝ちに繋がるのは百も承知。しかしそれは、姫松の勝利ではない。愛宕洋榎の勝利でしかなく、そんな勝ちなど彼女はお断りだった。
団体戦に出たがらない蘇芳の気持ちが、良くわかる。彼もまた、この領域の遥か彼方にいる。だからこそ、たった一人での勝利というものがひどく虚しく感じるのだ。
個人の勝ちも、十分に惹かれる。満足のいく激闘も、味わってみたい。納得のいく敗北というのも、京太郎と打って中々に心地は良かった。
しかし、それは今じゃなくても知る事ができる。未来への楽しみにすることができる。
愛宕洋榎はもっと上へと行ける。それを知れただけでも大収穫だった。
それはセーラも同じで、照も同じ。この今のメンバーで一緒に勝ち上がって笑いたい。そして、みんなで負けて泣きたい。
身勝手かもしれない。それでも、譲る気は毛頭ない。
一人ぼっちの勝ちは、皆と共に味わう勝利に比べればつまらないものなのだから。
やれやれと、彼女たちは納得する。そう決めてしまったのなら、仕方のないことだと。
後悔のない選択さえしてくれれば、何も問題はないのだ。
「──では、話を続けますが、よろしいですね」
(そう、あの時にオカルトの真実を私たちは知ったんだ)
時は、戻る。
東一局2本場。ドラは{5}。
亦野誠子は、東征大での浬のオカルトに関する講義を思い出していた。
レベルが違うものが打ち合ったら、低い者が高い者に引っ張られる。京太郎と打った彼女たちは、レベル2の末端に僅かながら触れたことが証明している。
須賀京太郎は、淡を導くつもりでいる。照が昇ることを拒否した、レベル2へ。
──そして、その先の……彼らが居る場所、レベル3へ。
「……大星、もうやめにしよう」
「イヤ」
「淡ちゃん、もう……」
「私はテルーみたいに臆病じゃない。もっと先へいってやる。独りになるなんて、へっちゃらだ」
嘘。そんなことはない。孤独になって天蓋の向こうへと行くことと、強くなれずに皆と一緒にいることを天秤に掛けたら、絶対に後者を選ぶ。
淡の心の内を京太郎は知っている。彼女はまだ、そこまで麻雀に狂うことはできない。
「リーチ!」
淡 打:{横三}
そんな彼女を壊さず、そしてこちら側に招かずに、麻雀楽しませる。
いきなり高難易度じゃないかと京太郎は苦笑が浮かぶ。こっちはまだ、手加減にも慣れていないというのに。
ああ、分かっている。難しいのは初めてじゃない。この程度の無茶振りは、今日だけでいくらでも潜り抜けて来た。
これくらいでいい。これくらいがいい。須賀京太郎が歩む麻雀道とは、険しいものではなくてはならない。
「そらよっと」
京太郎 打:{北}
「……!」
「何だ、当てないのか」
京太郎が切ったのは、淡の当たり牌。
リーチ後の見逃しはルール違反になってはいない。淡は、ダブリーをしたらカンをする前に当たり牌を出されても狙い撃たない。
わかっていて、出した。ダブリー手牌を完全に読むなど人間業ではないが、東征大部員の基準、レベル2の領域に達せば不可能ではない。
当てたければ当てろ。京太郎のわかりやすい挑発に、淡は笑いが込み上げてくる。
「たったダブリー一発だけで満足出来るわけないじゃん」
その傲慢なほどの、自分の力を信じている姿勢。自力でツモると信じ切っている。
かつて自分が持っていなかったその有り余る自信、京太郎は羨ましく感じていた。
今でこそ自信をつけることができた。今の自分が強いのだと、自覚をしている。
だが彼女は、天然でそこまでの自信を得ている。ここまでの強気は、才能どうこうだけでは説明がつかない。
次巡、京太郎の手番。
京太郎 打:{北}
「当てない?」
「当てない」
「そうか」
当たり牌の対子落としにも、興味を示さない。
そして、また次巡。
京太郎 打:{北}
「……じょーとー」
当たり牌の刻子落とし。京太郎は全て手出しだったため配牌時点で三つ抱えていたのだろう。
ああ、コイツは私を存分に試しているのだなと淡は受け取った。
餌をチラつかせて、それに食いついてくるのか。本当に自信があるのかと試したいのだ。
残念だったなと、彼女は得意げになる。
「私はそんなに安くない」
その程度では揺れない。この程度で、大星淡は負けたりしない。
最後の当たり牌であろうとも、それを当ててしまえば負けを認めることになる。その牌を当てるわけにはいかない。
この力は大星淡の誇りである。カンをしてツモって裏ドラが乗る。これこそが自分の黄金パターンだ。譲られるなど、あり得ない。
巡目が進み、最後の角にさしかかってパターンにはまる。
カンはできた。しかし、する意味はなく、ツモ切りをする。
「テンパイ」
「ノーテン」
「ノーテン」
「ノーテン」
結局は、流局。聴牌は淡のみ。
罰符を彼女に渡し、京太郎は思案する。
「……いやー、どうしよ。まいった。惚れていい?」
「ふふん、もうちょっといい男になったら来な!」
どこまでも高潔。どこまでも傲慢。どこまでも誇り高い。
京太郎は思う。ただ勝つのは簡単だ。自分の力を少し解放するだけで、彼女の力を上回ることができる。
だが、それでも……。
「……勝てない、かもな……」
こう思わせるほどに、彼女はある意味において……強敵であった。