SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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今回、ファンタジー色がひっじょーに強くなってます。
……十分ファンタジー?手遅れなのは知ってますとも。


36

 ──本当は、近寄りたくもない場所であった。

 そこは自分にとっての檻で、枷で、鬱陶しく付きまとう鎖が繋がる所だ。

 ああ、ずっと。自分は縛られたままだ。たとえ出ていったつもりでも、脚に紐が縛られていて、満足に飛び立つことも出来やしない。

 真に自由を求めるというのなら、出処を何とかしなければならない。基を断たなければ始まらない。最初から、わかりきっていたことだ。

 自分と向き合い。そして決着させる。その時期が、多少早まっただけ。

 どうせやることだ。なら、早い方が都合がいい。

 

「だからさ、退けよテメェら」

 

 鹿児島入りした昨日の夜が明けて、翌日の朝。目的の場所へと赴こうとする信一の前に、自分の行く手を阻む者らに対して、そう言い放った。

 全員が袴姿の神職の格好。神道に仕える者たちと、一目でわかる。

 数は二十人。たったその程度の数──否、信一に物の数など何の意味もなさない。たったその程度の質で、自分を止められると思った思考に、侮られたものだと自嘲する。

 

「若様。どうか、どうか思い留まって下さい。貴方はこの霧島において欠かせないお人なのですよ」

「氏子の末端の息子に、下手に出るなよ。もうちっと偉ぶれ、タコ」

 

 自分より三倍以上も歳を取っている大人を相手に、若様など呼ばれる筋合いは欠片もない。そんなに偉くなった覚えもないし、そう名乗った覚えもない。

 所詮自分は、末席の氏子の息子。どう足掻こうともそれは変わらないし、変えてはならない。ただ少し、天賦の才を得て、天を超える力を手にした。そうでしかないのだ。

 

「俺はただの悪餓鬼。あの老人共が言うように、『悪童』だ」

 

 自分の根本は、あの頃から何一つとして変わっていない。幼き頃から、神や悪霊を相手に喧嘩(せんそう)に明け暮れた頃と、何も変わっていない。

 この身は悪童で鬼児。神を下し、調伏する、神の弑逆者。人の身の領分を超えた『怪物』でしかない。

 神道における異端。討滅すべき、解りやすい悪。それが佐河信一だ。

 

「悪党相手に、何遠慮してんだテメェら」

 

 この身は、貴様らの敵だ。敵は人ではない。敵は化物で、滅すべき悪。ならば何の遠慮もいらないだろう。

 言うことを聞かせたければ力づくでいい。難しく考える必要など、何もない。話し合いの解決など、実行も考えもしなくていい。シンプルでいいのだ。

 言質は取った。言質は取らせた。

 彼らは諦めたように、懐や袖から札を取り出した。

 そして、この場における集まりの筆頭は竹刀袋から木刀を抜き取って取り出す。

 霊木の枝から作った上等な木刀だと、信一は一目で見抜く。剣道や剣術の稽古用として使うというより、こういう場に相応しい用途目的で作られた代物だ。

 

「……姫様に、傷ついた貴方を見せなければいけないのが、残念です」

「自惚れんなよ」

 

 もう、捕まえた気でいる彼らに、信一は苦笑する。

 相手にしているのが、誰であるのか。それがわからないわけではあるまい。

 バチバチと、この場にいる全員が信一の周りに一瞬紫電が走るのを見る。

 ──斬れ。

 信一のこの一言。それを口にした瞬間、彼らの手にした札は全て刃物で切られたかのように真っ二つに裂ける。

 そして、木刀も縦に裂けて割れる。

 ただ一言、言葉を発しただけ。信一はそれ以外なにもしていない。

 異常極まる現象に、誰もが瞠目する。

 

「俺を止めたかったら、真剣を持ってこい」

 

 武器となる物を全て壊され、棒立ちになった彼らの脇を信一は素通りする。

 力ずくで止めようとすることもできた。超常的な力を使わずとも、数と腕力の差は歴然だ。

 しかしそうすれば、本当に死を覚悟しなければならない。信一の持つ力は、彼らを余裕で一蹴することが出来る。実力差を悟らせたのだ。

 殺す気で来なければ止めるなどできはしない。潜った修羅場が違うのだ。

 信一が何をしたのか。気が付かないほど彼らは馬鹿ではない。

 彼は神を降ろすのではなく、使った(●●●)。しかも、人の手ではどうしても余る力を持つだろう、かなりの高位の神を。言うなれば、神という絶対存在をリスクを冒さずに顎で使うような物。普通なら天地がひっくり返ってもあり得ない。

 それに加え、武器だけを狙うという繊細なコントロールを発揮。完全に、神を支配下に置いている。

 生きたまま、神を下においている。神を相手に、どちらが上でどちらが下であるかの、格の違いをはっきりさせている。

 最早、彼は、人ではない。人の祈りの集合体たる神を、たった一個の人間の意思が凌駕するなど、その精神は人のものではない。

 その上で、彼らは膝を着く。ただ力の差があるだけでなく、信一から渦巻く圧倒的なカリスマ性に。

 ソレはもう力を行使する相手(かいぶつ)ではなく──跪き、手を合わせて、祈る対象。

 ──生き神、現人神。彼は既に、そう呼ばれる存在と化している。

 

 

 

 

 

 鹿児島(ここ)における佐河信一の立ち位置は、氏子の末席に置く佐河家の一人息子。

 特殊な力を持つ血脈を引いているわけでもなく、何か特別な業績を立てた家系でもない。ごくごく普通の、古くからこの場所に住む平民の家の出である。

 神を降ろすなど、出来る訳がない。そういう才は、備わる筈はない。血というものはそれだけ大きい意味を持ち、不変の物であったからだ。

 しかし、それを大きく無視したのが彼というバグ。史上に見ても、彼ほどの生来の才能に恵まれた者は皆無。まさに、一時代を築くことすら可能な器である。

 高天原より降りた鬼児というのは、何ら過大評価ではない。むしろ過少評価ですらある。

 最新の神。そう称えられても不思議ではない。

 

「…………」

 

 霧島の、地元民ですら知る者の少ない森の中の秘境。

 その中の一際大きい大樹の幹に背を預けて、座禅を組んで信一は座っていた。

 この場所で一時間瞑想すれば、錆びついた己から全盛期の力を取り戻すことが出来る。

 しかしそれだけでは足りないというのは、信一は知っている。何かをやっていれば絶対に大丈夫だというものが存在しない。彼らと戦うということは、そういう意味を持つ。

 彼らとの戦いは、既に始まっている。ならば、出来る手は全て打つ。全てだ。

 内的要素だろうとも、外的要素だろうと。考えられる不安要素は全て消す。

 その為に、ここに帰ってきた。

 

「若様」

 

 彼を呼ぶ、巫女服の娘。赤髪をポニーテールに結び、眼鏡をかけた彼女は、瞑想をする信一に呼び掛ける。

 彼女の赤髪は彼と似通った色をしている。彼の髪色は彼の家族でも彼だけのものであり、特異である証明となっている。

 信一は片目を開いて、声をかけた方へと視線を動かす。

 

「巴。久しぶりで悪いが、ちょっと後にしてくれ」

 

 狩宿巴。それが彼女の名であり、彼とは古い馴染みである。俗に言う、幼馴染の一人。

 霧島神境の姫を護る六女仙の一席を勤めており、彼とは親戚であった。もっともこれは、互いの家の家系図を見比べてやっと知った事実であったが。

 狩宿家と佐河家は遠い親類同士であり、彼の赤髪もその影響である。

 もっともその血はとうの昔に薄まり切っており、本来ならば異能を発揮するほどの才が備わる筈はない。彼の祖先がそれを証明しており、父の代まで変わらずそうであった。

 

「待ちません。すぐに霞ちゃんも来ますから」

「相手してる暇は無いって言ってるんだ」

 

 そもそも、自分を相手に遠慮する必要はない。今の内に結界でも張って逃さないようにすればいいと信一は思う。

 ここにおける自分は、『怪物』。撃滅すべき異端を相手に容赦は要らない。

 後ろから刺したり、不意を突いたり。取れる行動はいくらでもある。

 自分には時間がない。全盛期の力を取り戻した上で、そのさらに遥か上をいかなければならない。

 彼女たちに構っていられる時間は皆無。

 

「じゃあ、瞑想しながらでいいですから聞いて下さい」

「巴。お前はいつからそんなにへりくだった言い方が出来るようになった?」

 

 お前までそういう態度でいられると寂しい、と言外に告げる。彼女は幼馴染で、姉貴分で……敬語で接しられ、若様など言われたくなかった。

 まるで神を崇め奉るような目で、見られたくなかった。

 あの頃のように……ヤンチャ小僧をたしなめるように、悪戯小僧を叱るように、お姉さんぶってくれないのか。

 

「若様。貴方がやろうとしていることは、迂遠な自殺です」

 

 巴は。いや、ここの関係者一同は、信一が霧島に帰ってきた理由と目的を知っている。

 おそらくは、鹿児島入りした時点で彼女(●●)が察したのだろう。佐河信一という巨大過ぎる存在であれば彼女ならここへと帰ってきたことを神を通して知覚するくらい出来るだろうし、その目的も教えてくれる。ここの神は、彼女に対して甘い所があるから。先の手勢と巴も彼女が頼んだことなのだろう。

 彼がここへと帰ってきてする目的を、実行させるわけにはいかない。

 説得を続ける巴を横に、信一は瞑想を続ける。

 無音、無色、無識、無心。全力の闘牌の時と同じような、凪いだ境地。波音波紋何一つ立てない、静の極。

 すぐ側にいるはずの巴の声は、何も聴こえていない。五感の総てを遮断した上で、五感以上の集中の域に達している。

 それはすなわち、異界のモノを感じ取る感覚。この世には無いものを、たぐり寄せる力。神をこの身に降ろすための、器を形作っている。

 ……そこから、もう一つ上を行く。

 風も波も無い凪いだ水面から、永遠に溶けず砕けることのない氷の境地へ。一切不純物を取り除いた、ガラスのように透き通り、鋼の如く固き不動──明鏡止水を超えた先へ。

 全盛期の自分が到達した最高峰。己の中に秘めた、如何なる荒神どもを切り伏せてきた(こころ)を手にした。

 

「……ん」

 

 ──整った。

 目を開けた信一は、手を二三度握っては開き、感覚を確かめる。

 問題はない。錆びついた自分を脱却し、過去へと立ち返り、ここへと置いてきたものを取り戻した。

 それが鋼の境地──人生変神(じんじょうへんか)。信一の秘奥にして、全盛期の象徴。

 別の言い方をすれば、悟りや解脱とも言う。人のまま神の領域に立つという、人の夢想をそのまま具現化させたような現象。かの宗教の開祖はいずれもこの境地に立ったとも言われている。

 人の域に立ちながら、人のままの心を持ちながら、神と同程度の精神と力を一身に集中させる。文字通りの現人神と化す業である。

 並大抵の才能では当然辿り着けず、不世出の才覚を持ち合わせ、それを完全に支配下におく器量を持ち合わせ、ようやく資格を得る。その後、常軌を逸した修練の果てを積み、刹那の彼方の確率を掴んで到れる。

 史上到達した人物は片手で数えられるこの場所に、信一は、神々との闘争(けんか)が修練となり、いつの間にかこの境地に至っていた。

 

(半分、全戦力状態にいるようなもんだからな)

 

 当然、リスクも大きい。強大なこの力を、鹿児島から去る時にここに置いてきた理由がそれだ。

 この状態は、信一を全戦力状態へと繋げる回路を接続するようなものだ。火薬を叩く撃鉄、その安全装置を切った状態だ。

 今まで信一は、これを封印することによって全戦力状態のリミッターとしていた。いくら力を出そうとも、全戦力に至らないように。

 しかし、人生神変の状態は半全戦力状態といってもいい状態である。かつて、京太郎が信一と治也を相手取った時とほぼ同じで、特に信一の場合は命すら危うい。

 全戦力の寸前まで常習的に至るのを繰り返すと、全戦力に至る引き金が緩くなる。かつて信一自身が京太郎へと言った言葉であるが、それは信一本人が証明している。七歳の頃からこの境地に至り、中学卒業の頃に封印するまで常にいた状態である。つまり、引き金はとても緩く、ふとした衝撃で炸裂しかねない。

 今の信一は、ニトログリセリンと同じ。衝撃厳禁、火気厳禁。扱いを誤れば廃人に一直線だ。

 爆弾を背負った状態で、あの御敵共と戦うなど……考えたくもない。

 ──あくまで、コレを取り戻すことは準備段階に過ぎない。

 

「おはようございます、若様」

「置いてきたものを取り戻したのはいいですけど、これ以上は勝手にさせませんよ」

「……見逃せない」

 

 耳が聞こえるようになり、新たに三人の新しい声が聞こえる。

 懐かしさと、そして寂しさ。同居する感情は、不動なはずの信一の心を少し揺るがす。

 もう誰も、気安く『信一』と呼んでくれない。誰も、悪ガキのように扱ってくれない。わかっていた。わかっていたことだった。

 その揺らぎを呑み込み、信一は声のする方へと顔を上げた。

 

「よう、霞、初美、春。久しぶり」

 

 立ち上がり、服に付いた土や落ち葉を払う。そして、自分を囲む彼女たちを見据えた。

 石戸霞、薄墨初美、滝見春。彼女たちもまた六女仙の席を預かる者たちであり、信一の幼馴染だ。

 中学を卒業してここを離れてから一度も帰ってくることはなく、彼女たちに出会うのも久しぶりだった。

 時を経て、彼女たちは女性としての魅力を増し、美しくなっていた。

 本当……巴を含めて皆、綺麗になった。こんな用事がなければ、そして昔に戻ることが出来たならば……一緒にお茶でもしたかったなとしみじみ思う。

 それが嬉しくもあり、少し寂しさもある。

 

「で、何の用?俺、結構忙しいんだ」

「その用事を、止めに来ました」

「ハッハッハ、何様だよ」

 

 ──退()け。

 ……たった一言、力を込めて発した信一の言葉は、神の(のろい)となる。

 その効力は凄まじく、抗える者はほぼいない。皆等しく、彼の前で跪く。

 それは巫女である彼女たちでさえ例外ではない。いきなり四肢の力が弛緩し、立ってもいられずにペタリと座り込んでしまう。

 神にも等しい存在である今の彼に、この世にて凌駕する存在は希少である。

 ……そう、いない(●●●)わけではない。

 そしてこのままでは──。

 

(アイツらに、勝てない)

 

 それを、信一は熟知している。

 神の力では、彼らには到底敵いはしない。

 信一の心は半分神になった。でも、それでは勝てない。強大な神の力といえど……いや、神になったからこそ、彼らには勝てないと知っている。

 神とは、人の祈りの集合体。想いの塊だ。それを一個で凌駕する精神を持ち、如何なるをも神を従わさせる信一は規格外と言っていい。

 そして今の人生変神の状態は、信仰がある限り不滅である。信一が信一自身を信じ続ける限り、その精神は屈することも滅びることもない。

 精神の固定化と言えるものだ。生きた概念、歩く現象、人型の災害。そう称しても過言ではない。

 故、不変。故、無敵。──普通なら。

 ……アイツらは普通じゃない。普通じゃはかれない、規格外どもだ。そんなことは百も承知。

 命なら、蘇芳なら、京太郎なら……神と化した自分にすら、勝ってくる。

 何故なら、アイツらは神に負けるなど、決して納得するはずがないのだから。負ける相手はいつだって、(とも)でなければいけない。勝ちたい相手は(てき)でなければならない。神が相手では話にならない。

 どうしてそれが信一にわかるのか……彼もまた、同じ思考をしているから。

 だから、まともな方法に意味はない。まともじゃいられない。

 ……だから、一時この身を狂気に委ねる。

 

「……信一、くん」

「……すまん、お前ら。迷惑をかける」

 

 一言、膝をつく彼女たちに詫びる。

 彼女たちは、佐河信一の大切な宝だ。決して失いたくない(えにし)で、自分の命を秤に乗せても釣り合う事は有り得ない。

 だから(●●●)、信一は鹿児島を去った。大切と思うからこそ、遠ざけた。

 ここは、信一にとっての鳥籠。しかし、大切なものたちを守るには最高の守護となる場所だ。

 自分は『怪物』で、化物。時には神にだってなれる。人の領分を大きくはみ出した力を持つようになった。

 今までは良い。力を自分の手で制御出来ている。だがこれからの成長を考えたら?年老いて、衰えたら?考えただけでも恐ろしい。

 

「今までの佐河信一(おれ)に、決着着けなきゃならん」

 

 遅かれ早かれ、やらなければならないこと。

 ならば今回は都合が良い。するべき機会であると受け止めたのだ。

 身を翻して去っていく彼に、彼女たちは力の入らぬ手で追い縋ろうとする。行かせてはいけないと、言うことをきかない体に喝を入れて。

 それでもその手は空を切り……歩き去る信一が木陰に入って彼女たちの視界から隠れると、彼の気配がふと消え去った。

 

 

 

 

 

「……ここならいいか」

 

 森の中で、幾分か開けた場所に信一は足を止めた。

 これから行う儀式に、十分な場所。多少暴れても、大した被害が起きないだろう。

 自分の目的を、ここで果たす。

 信一を中心点とし、半径十五メートルの円の結界を張る。単純な術であるが、それ故に術者の技量が問われる。自分の力ならば、これからする儀式にも耐えうると踏んでいる。

 もういつでも始めてもいい。終わった後で、生きているか死んでいるか。結果は二つに一つ。

 だがその前に──。

 

「……お前がここに居たらいけないだろう」

 

 ──信一が知る誰よりも頑固な彼女を、何とかしなければならない。

 呼び掛けられて、結界内の木陰から出てきた少女。信一を止めようとした彼女たちと同じく、巫女服を着ている。

 おさげに纏めた黒髪に、可愛く愛らしい童顔。しかし幼さを残す容姿に反して、たわわな母性を胸部に持つ。

 

「……!」

 

 信一は一瞬、彼女に見惚れる。しばらく会って無いことも、六女仙の皆が美しく成長していたことも含めて、彼女もまた綺麗になっていることは覚悟していた。

 それでも、想像以上。頭をガツンと殴られた衝撃に似ている。

 揺るがない心を持っているんじゃないのかと、内心自嘲する。だが、これには勝てない。勝っちゃいけない。

 ──ああこれが、惚れた弱味というものか。

 霧島の、九面を降ろす姫君。神代本家の血筋を引く娘。

 …………そして、佐河信一の許嫁にして、彼の最愛の女性(ひと)。親友たちにさえ口に出したことは無かった、彼の大切(たから)────。

 

「久しぶり、小蒔。綺麗になったな」

 

 神代小蒔。彼女がこの結界の内に入ったことは信一にとって少し予想外であった。

 だが、あり得ないことではないと、頭の片隅で想定はしていた。

 他の人らに頼んでおいて、自分は動かないなど絶対にしない。動かずにはいられない。そういう性格だということは信一もよく知っている。

 

「……信一様」

「様はやめろって、言ってるだろ」

 

 変わらない、昔から変わらないやり取り。様付けで呼ぶ彼女に、様はやめろと返す彼。初めて出逢った時から、何も変わらない。

 年の変わらないのにも関わらず、敬語口調で喋るのをやめない。

 いつもの小蒔と違うのは。彼女の顔は悲しげで、今にも泣きそうなほどに目に涙を溜めていた。

 

「お願いします、信一様。どうか、思い留まってください」

 

 信一が行おうとする、儀式の内容。それがわかってしまった故に。

 史上において、そのような儀式を敢行した記録は一切無く。そんなことをするのは佐河信一以外にあり得ないが故に。

 その儀式を行える資格を持つ者は信一以外に存在せず、そしてそれをすれば、ほぼ間違いなく信一は死ぬとわかっている。

 

「……まともじゃ、ありません。神様の蠱毒など!!」

 

 溜めた涙が決壊し、彼女らしからぬ悲鳴の訴えで止めようとする。

 蠱毒の呪。それは瓶に多種多様の虫を入れ共食いさせて、最後に生き残った蟲を呪詛の道具に使った術。古代中国において横行した代表的な呪いの術であるが、信一の行うソレは規模がまるで違う。

 虫の代わりに、神を使った蠱毒。いわば、神のバトルロワイヤル。神話の終末戦争の再現である。

 今までに信一が調伏し、彼に追従してきたありとあらゆる神を使い、戦わせる。その中には、名だたる軍神や荒神も多く名を連ねている。

 無論、『最新の神』たる佐河信一も。人間の体から脱し、神として参戦する。

 神道の冒涜そのものというべき儀式。それを行おうとしているのだ。

 

「……その最後に残った神を、『人間』佐河信一が打倒する」

 

 神として名を連ねた『佐河信一』から解脱し、残った『人間』佐河信一が、蠱毒の神を調伏する。

 神の域に至った信一ではなく、絞り滓の、何の力も無くしてしまった信一がだ。

 蠱毒により、何倍どころか何乗にも強大凶悪になった神を、ただの人間が戦うという。

 それが信一の目的。今まで積み上げてきたものを、総て捨てた上に死ぬ行為に等しい。

 

「まともじゃ、勝てないんだ。アイツらによ」

 

 ──天才だと言われても、根っこは子供でバカだから。勝ちたいと思える、(とも)に出逢っちまったから。

 これくらい狂えなきゃ、勝負にならない。

 これくらいやらなきゃ、納得がいかない。

 そしてまだまだ、彼らに程遠い。

 

「……悪い、小蒔」

 

 彼女の方へと歩み寄り、抱き寄せる。

 そして躊躇いなく……彼女の唇を奪った。

 

「…………!?」

 

 突然の信一の接吻。抵抗らしい抵抗は、彼女には出来なかった。

 甘く、熱く、そして口の中から入ってくるものに……小蒔は意識が遠くなっていた。

 ……そして、彼女の内に宿る神が目覚めようとするが……。

 

「──失せろ、九面(アマ)共。戦いてえならかかって来いよ」

 

 信一の恫喝に、彼女から走る神気は霧散する。

 眠る彼女を、結界外の木の幹に背を預けて座らせ、信一は蠱毒の儀式を敢行する。

 

 

 

 

 

「……やろうか、神ども。人間舐めんなよ」




神の蠱毒の発案は結構前からあったんですが……甘粕大尉ぇ……。
うん、自分立派な中二病だ。

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