SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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「スー、ハー……」

 

 吸って吐く、深呼吸。全力を引き出すために、巳の全てを調整し、完全戦闘態勢へと移り変える。心音、脈拍、体温、表情、眼球運動、エトセトラ……全て制御下に置き、鋼のポーカーフェイスを作り上げていく。

 目を閉じ、瞑想。想像し、創造するのは黒い鎧を纏った暗黒の騎士のイメージ。不撓不屈の『魔王』須賀京太郎の姿を象っていく。

 最強と描く己。それをさらに追い抜いていく自分自身。描いては追い抜くという自己進化を続けながら、最適化を繰り返していく。

 十秒の後、開眼。ビリビリとした覇気が、開眼と共に発せられる。彼の周りの空気は熱くなり、陽炎のように歪めている。

 今の彼は、紛れもない全力。全国区に名を連ねる十代男子の化物たちを脅かす、新たな化物。

 その彼は、使える力を惜しまずに、眼前の相手に立ち向かう。

 ディスプレイに映る、顔もわからない対戦相手へ──。

 

「……牌が、見えねえ……」

「そんなオカルト、ありえません」

 

 傍らにいる彼女、原村和の的確な否定に、京太郎はうなだれた。

 県予選が間近に迫った今日の、放課後の清澄高校麻雀部部室。一台しかない全自動麻雀卓を今、咲と優希とまこと久が打っている最中、京太郎と和はパソコンの前でネット麻雀をやっていた。

 自分のスタイルを確立するために、京太郎は模索のためにネット麻雀を。常軌を逸した京太郎から少しでも吸収出来るモノを探そうと、和もそれに付き合っている。

 あの対局の翌日、彼らは和解することが出来ていた。

 京太郎は頭ごなしに彼女を否定していたことを気にしており、和もまた彼の言うことも間違いではないと認めていた。雨降って地固まるという結果に収まった。

 今ではもう、京太郎合流前以上に会話をする仲になっている。下手をすれば、幼馴染である咲以上に。

 麻雀そのものに真摯で諦めを知らない京太郎と、負けず嫌いで勝利主義者(デジタル)の和とは、元々相性が良かったのだろう。

 そのせいか咲も優希も、以前より距離が接近した彼らの間に入れないでいた。というより、変わり過ぎた京太郎に適応することに、戸惑っていた。

 

「いやいや、普通に打ってたら見えるんだよ。なぁ、咲」

「え、あ、うん。曖昧な感じだけど、一応。京ちゃんも見えなかったんだ、それ」

「何気に二人ともめっちゃとんでもないこと言ってるじぇ」

 

 傍から見れば突飛な内容である彼らの会話に、打っている最中の他三人は苦笑いを浮かべている。言っていることはオカルトチックでありながら、言っている人間が人間なだけに、信憑性が強いのだ。

 牌が見える。京太郎も咲も、その域にまで到達している。どの牌がどこにあるのか。咲は限定的ながら、京太郎は支配されていなければ全てハッキリ見えるという違いこそあれど、感じだけで見分けることが出来る。

 しかし、打って変わってネット麻雀では同じように上手く行かない。

 何故だと、京太郎は考える。今まで、何気なく打ってきたネト麻が、現実の麻雀と全く違うように感じてしまう。

 顔が見えず、鼓動が聴こえず、画面越しの相手の想いがまるで感じられない。そして、機械に自分の力を叩き込められず遮断されている。

 麻雀には違いはない。麻雀であれば、自分の力が通じないわけがない。だが根本から違う。

 

「確かに須賀くんや咲さんは現実の麻雀で考えもつかない力を使えるのは、あまり認めたくはありませんがあると仮定します。しかし、それがネト麻に通じるとは考えられません」

 

 ネト麻で伝説の連勝記録を残したかつての機械天使(のどっち)はそう言う。

 京太郎も咲も、デジタル派ではなく感覚派。己の感性を頼りに打っていくスタイルだ。

 オカルトやそれに伴う非効率的な打ち方に、多少の理解は得たもののそれでも抵抗は拭えなかった。

 とはいえ、オカルトだろうがデジタルだろうが……行くところまで行き着いてしまったら、大差は無いことも理解している。

 五感を張り巡らせた先の、予感とも言える六感を駆使する。牌を感知するというのは、第六感に頼る所がある。妥協を許さないデジタル打ちは、それすらも己に取り込んだ。

 人間の感覚。その言葉を思い浮かべた京太郎は、そこからある人物を連想させた。

 人間性能の極致。全盲の全知全能。『天才』と称されることを許された唯一。オカルトを超えた最強の絶対勝利主義者(デジタル)

 ──能海治也は、膨大なアナログ情報を全て数字化されたデジタルの情報に変換している。それを思い出した。

 

「……規格が合わない」

 

 画面と向きあった時、噛み合わなかった。卓についた時に、牌に己の意思を注ぎ込むことが出来なかった。

 京太郎がたどり着いた結論は、それだ。アナログに特化した自分が、デジタルの情報に満ちたネト麻の規格が合うわけがない。

 たとえるならビデオテープをDVDデッキに入れようとするような暴挙だ。出来るわけがなかった。

 

「じゃ、逆も無理じゃないはずだ」

 

 アナログ情報をデジタル情報に変換出来るのであれば、デジタルをアナログに変えることも不可能じゃないはず。

 この仮説が間違いでなければ、ネト麻の世界であっても自分の力は通用するようになる。

 ……しかし。

 

(それは『天才』だから出来るわけであって)

 

 必ずしも自分の手で証明できるものと決まったわけではない。

 須賀京太郎は才に恵まれていない。天才と呼ばれる者達には遠く及ばない。生まれながらの天才たちとは隔絶した差がある。

 彼らの麻雀に、才能の有無は差にはならない。だが、出来る事の数の差は歴然である。

 そういった意味では、まだ隣にいる原村和の方が才に恵まれていると言っていい。

 

「ちょっと聞いてみるか」

 

 そう言って、京太郎は携帯を取り出した。電話帳に登録されている番号にかけ、相手が出るのを待つ。

 

「誰にかけてるんですか?」

「白水プロ」

「え?」

 

 咲を除いた全員が、その名前を聴いた瞬間に京太郎の方へと振り向いた。

 何の間違いか。現役のトッププロの名前が彼の口から出てきた。

 数回のコール音の後、電話がつながる。

 

「あ、もしもし須賀です。すいません、お忙しい中」

「いいよ、後輩に頼られるのが先輩の冥利だ。丁度暇だったしね。どんな用?」

「実は……」

 

 京太郎は浬に、ネト麻では実際に打つようにできない事、その理由と出来るようになる方法……京太郎が辿りついた仮説を話し、その方法は自分に可能であるかどうかを尋ねた。

 京太郎と浬が通話している中、部室は静かであった。麻雀を打つのも忘れ、彼らの会話に耳を傾けていた。

 電話越しの浬は黙ったまま。だが時折、京太郎の耳には向こう側の牌を打つ音が聞こえていた。

 全て聞いた後に、浬はこう切り出した。

 

「では、結論を言おう。ネット麻雀でも『麻雀の接続』……能力の類を使う事は可能だ。無論、天才に分類される治也や信一だけでなく、俺や君もね」

「……おおう」

「といっても、少しコツが要るものだが。聞くか?」

「いえ、大丈夫です。自力でやってみます」

「……君も大概なんだけどね。才能に代わる力を持ってるだけで脅威だし、下手に才能持ってるヤツよりずっと怖いわ」

「俺は、浬さんも強くて怖いと思ってますよ。ありがとうございました」

「どーも。……ああ、今日の夜に試合なんだけどさ、お礼ついでにちょっと頑張れって言ってくんね?」

「浬さん、頑張れ!」

「オッシャア!もう負ける気しねぇ!!」

 

 スイッチが入って気炎を吐く浬の咆哮に、京太郎は思わず携帯を耳から離す。その叫びは会話が届かない彼女たちにも届いたほどだ。

 再度恐る恐る携帯を耳にあてると、通話はもう切れていた。

 頼られることが大好きな浬に、応援をすればたちまち絶好調になる。期待を背負えば背負う程に、力を増していく天性のエンターテイナーと言えるだろう。彼もまた、化物に数えられる素養を秘めているのだ。でなければ、裸一貫でヨーロッパリーグに殴り込んで、世界ランクを一年で9位まで昇り詰めることなど出来はしない。

 後輩思いの良き先輩。東征大の生徒でもない自分にここまでのことをしてくれた。後輩だと思ってくれた。浬には、感謝が絶えない。

 あの自我の塊のような四人が慕うわけだと、京太郎は思う。あんな良い先輩は他にいない。

 大人になるならああいう男になってみたい。密かな憧れを、浬に抱いている。

 京太郎は携帯をポケットにしまって、和に向き合った。

 

「出来るって」

 

 フフン、と鼻を鳴らした。自分の中の仮説は間違いではなかった。

 どうだ参ったか、と京太郎は胸を張る。まるで小さい子供が自分が正当であったと得意気にしているようだ。

 

「……もう、好きにしてください」

 

 そんなオカルト、ありえません。そう言う気力は、彼女の中にはもう残っていなかった。

 

 

 

 

 

「……久しぶりに感じるよ」

「何が」

「こうやって、京ちゃんと一緒に帰るの」

 

 部活終了後の、下校途中。日は暮れ、空は(あお)く深くなっている。

 須賀京太郎と宮永咲は肩を並べて帰路についていた。

 そう言えば、咲と一緒に帰るのは久しぶりだと京太郎は思う。

 

「……やっぱ、戸惑ってるか?」

「えっ……」

「俺がここに帰ってきてから、なんかずっと遠慮がちだったからさ」

「……う、うん」

 

 京太郎が長野に帰ってきてから……信一についていってから、咲と話すことは少なくなった気がしている。むしろ和といる時間が長いという方が、ちょっと前までであればあり得ないと思っている。

 東征大合同練習後の、京太郎の劇的な変化に咲はついていけなかった。幼馴染という間柄だからこそ、雀士としても人としても、一皮も二皮も剥けた彼についていけないままであった。

 男子3日会わざれば刮目して見よ、とは言うものの……生まれ変わったかのような変化ぶりで、どう接すればいいのか解らなくなってしまった。

 

「京ちゃんは気づいてるの?」

「何が?」

「原村さんと一緒にいてもデレデレしなくなったし、優希ちゃんのスキンシップもぞんざいに扱わなくなったよ」

 

 京太郎に起こった変化の数々を、咲は目敏く見ていた。特に合流してからの和への怒りを剥き出しにした態度は、驚かない方がおかしかった。

 言葉に挙げた物だけでなく、まだまだある。久が買い出しを頼もうとしたら既に物が用意してあったり、まこと共に牌譜の討論をしていたり……練習にだけでなく、雑用にも精力的だ。

 雀士としても、男としても、随分魅力的になった。今の麻雀部で京太郎を好意的と思わない女子はいない。咲も含めてだ。

 こんなの京太郎ではない、とは彼女は言わない。そこまで傲慢ではない。

 ただ、何が原因でここまで変わったのか。それを知りたいのだ。

 

「やっぱり、変わってるよ。京ちゃん」

「……俺は変わった自覚はないんだけどな」

 

 同じようなことを、合同練習後の最初の部活の日に言われた覚えがある。

 咲がそう思うのなら、自分は変わったのだろうと京太郎は素直に受け止める。自分を見続けてきた幼馴染の言葉は、信用できるものがある。

 東征大に行く前と行った後の今。京太郎から見れば、麻雀が強くなったくらいの変化しか思い浮かばなかったが──。

 

「──ああ、確かに変わったかも。あの四人に、出会えたことが最大の変化だ」

 

 思い当たる原因が、頭に過った。

 佐河信一に、能海治也に、弘世命に、男神蘇芳に出会えたことが変化の原因と確信している。

 彼らは、須賀京太郎の憧れだ。天上で瞬いて輝く星々たちだ。

 必死に手を伸ばさずにいられない。走って駆けて、跳んで飛んで、なんとしてでも掴んで追い越したい。そういう魔力が、彼らにある。

 

「勝ちたいんだ、あの人たちに」

 

 理屈じゃない、男の本能。超えたいと願い、渇き、疼いている。

 あの人たちに勝ちたい。あの人たちに負けたくない。誰に言われるまでもなく、強制されるまでもなく。己のまま決めて、己のまま考え、己がそうしたいのだとワガママに、己の意思のままに麻雀を打っている。

 それがたまらなく嬉しく、たまらなく楽しい。

 自分で決めた目標に向かって、他に目もくれず邁進することが、こんなにも充実している。

 

「具体的な目標があるんだ。精神的な余裕が出来たんだと思うぞ」

 

 麻雀を楽しみたい、そのために勝ちたい。力が欲しいと足掻いていた頃より、今は心にゆとりがある。

 目標の確立と、心の余裕。力を得てからは、京太郎は落ち着いた態度を取るようになった。

 それが咲の目には変わったように映ったのだろう。大人びた、目標にストイックに向かっていく姿は、精悍で男らしく、格好良い。

 以前よりずっと、一回りも二回りも大きく見える。頼りたいと、甘えたくなる。隣の彼の腕に、ギュッと抱きしめたくなる程に……。

 

「……おいおい咲、どうしたんだ?急に優希みたいに抱きしめてきて」

 

 ──気付いた時には、もう遅かった。

 完全に、無意識の行動だった。

 自分は彼に寄りかかって、腕を抱きしめていた。

 暖かくて、固くて、大きくて。寄りかかっても微動だにしないしっかりとした支えに、自分の体を預けていた。

 

「……は……ひへっ?」

 

 変な声が漏れた。顔が、異様に熱い。

 何故、どうしてこんなことを自分はやっている?……そういった疑問が生まれる前に、彼女は彼から離れることが出来ないでいた。

 ……正しく言うのならば、離れたくない。そんな気持ちが、咲の中に確かにあった。

 

「何だ、ずっと構ってもらえなくて寂しかったのか?」

「そ、そそそんなこと」

 

 

 

 

 

「……可愛いな、咲」

 

 

 

 

 

 

 さらに近くに抱き寄せられ、体がもっと密着した状態で……そんなことを耳元で囁かれた。

 ボンッ、と顔が爆発したように真っ赤になる漫画的表現を……咲は身をもって知った。あれは比喩でもなんでもなく、本当に爆発したように熱くなるのだ。

 相手は京太郎なのに。幼馴染の『京ちゃん』なのに。こんなにも、心を乱される。

 心臓が破裂しそうなほど、胸が痛い。たった一言、甘い言葉をかけられただけで舞い上がってしまうなど、自分はどれだけちょろいのだ。

 …………この後、自分はどうやって帰っていったのか記憶にない。気付いた時には、制服のまま自分の部屋のベッドの上で枕を抱きしめて寝転がっていた。

 心臓はうるさいまま。顔も真っ赤なまま。頭に浮かぶのは、京太郎のことだけ。

 

(……もう……もう、もう!京ちゃんの癖に!京ちゃんの癖に!!)

 

 枕を叩いて八つ当たり。ポスポスと音を立てても、ここにはいない京太郎には何の効果もないだろう。

 愛しくて、恋しくて、そして少し寂しくて。心も体も騒がしくて。こんな思い、したことがなかった。

 

(京ちゃんの……バカ!)

 

 ……彼女が今、自分の顔を鏡で見なかったことは幸運だったのだろうか。それとも、不幸だったのか。確かめる術は、ない。

 彼女の顔は恥ずかしさに塗れていながらも……口元は紛れもなく笑っていた。

 

 

 

 

 

 ──僅かな間の、準備期間は過ぎていき……インターハイ長野県予選が幕を開ける。

 暑い夏の、熱い戦いの舞台への切符を手にすべく。目指すは全国一万人の頂点。高校生雀士たちは、最強へと手を伸ばす。


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