ホントね、卒論てクソだ。いや、題材は好きなんだけどね、近代文学。
作業が……めんどい。
県予選、女子団体戦決勝の先鋒戦が終了した。
開戦直後に、戦意が充実した優希によって一気に流れを自分の物にした。
高打点に高速。速くて重い一撃という、
東場での強化。それ以外の特殊な条件を必要とせず、単純かつ特異な力でない分、対策する方法は非常に限られている。小細工では意味が無く、力には力で対抗するしかなかった。
龍門渕の井上純は、優希の方に向いている流れを曲げるべく、亜空間殺法を駆使して、勢いを削ごうとした。だが今日の優希は最高峰の絶好調。普段であれば乱れる調子と流れも、氾濫した大河の激流の如く人力で御することは適わず、そのまま呑み込まれた結果となった。
完全に、
並の相手では為す術もなく点棒を毟り取られ続け、十万点持ちでなく通常の25000点持ちであれば他家全員が飛んでいただろう。
……だが、芝棒が五本積み上がった所で、それを止めた者がいた。
風越女子、福路美穂子。長野の名門校のキャプテンにしてエースを務める彼女は、紛れもなく全国区の実力者だ。
見に徹していた彼女は、この時動いた。観察は完了したことを表すかのように、閉じていた虹彩異色の眼が開く。
鶴賀の津山睦月を誘導して利用し、優希の勢いを止める。単独では止められない流れも、二人でなら止められる。他家の扱いに長けた彼女は、異能の力とは違えど卓の支配している。
やはりこうなったか、と京太郎は映像越しの彼女を見て呟いた。優希とは、役者が違う。単に勢いだけなら比べるべくも無いが、福路美穂子は例外であると確信していた。
技量は、東征大で出会った姫松の愛宕姉、千里山の江口セーラに比肩する。スタイルが確立された雀士だ。京太郎といえど同じ土俵で戦えばまず負ける相手。支配を布いて圧倒するしかない相手である。雀士としての完成度で言えば、京太郎の遥か上を行く先達である。
巨大過ぎて未完の大器である『魔王』の京太郎は、完成型の先達たる彼女をよく観察し、吸収できるところを探した。
実際に打つだけでなく、傍観者の位置に立つからこそ得られるものがある。
ここに来て、本当に良かったと京太郎は思う。力の問題ではない。力ではない何かを持ち得ている人たちがいる。
そういう人たちと打ってみたい。同じ土俵で打てば恐らくは負けるだろうが、だからこそ超える価値のある。混ざって打ちたいと、完全麻雀体質の体が疼いて仕方ない。
今の京太郎が欲しているのは、経験値だ。強い弱いは関係なく、様々な
近く迫る、個人戦に向けて──。
「……ただいま、だじぇ」
控室に優希が帰ってきた。その表情は、泣きそうな顔をなんとか我慢して平静を装っていた。
啖呵を切っておいて、結局はこの体たらく。彼女自身は納得出来ないものだろう。
しかし一位を風越に譲ったものの初っ端の勢いを保って守り、原点を割らずに二位で繋いだ。決勝四校に残った、エースが位置付ける先鋒というポジションで、一年生の彼女が二位に繋げたのは上等な結果だ。
褒めこそすれ、責めるべきではない。帰ってきた彼らは、笑って迎えた。
「よくやったな、頑張ったぞ」
試合前の調子に乗った発言は、今回ばかりは忘れることにした。
和は京太郎に目くばせし、彼もその意図を酌み取った。
「宮永さん、仮眠室に行きましょう」
優希が帰ってくる前に久が提案した、副将大将の二人の仮眠。長く続くだろう対局に、待ちぼうけて疲れて、本来の実力を発揮できないでは元も子もない。和は応援出来ないと一度は反対したが、今の優希を見てそれを受け入れた。
優希は強い子だ。同級の自分らがいる中では、泣くことは出来ないだろうと、中学の頃からの親友である彼女は知っている。
「部長、電話鳴ったんで一旦失礼します」
「…………ん、わかったわ」
京太郎もまた、席を外す。携帯が鳴ったというのは嘘だ。
和の意図を酌んで、京太郎もまたここから離れる。応援は控室でなくとも、大画面の観戦室でも出来る。
久もまた、京太郎と和の考えを読み取って、それを許可した。
「……この結果に満足できなかったら、次に活かそうぜ。皆が必ず
優希の頭を撫で、仲間を信じて待とうと諭す。挽回の機会が潰えたわけではないのだから。
「……ああ、染谷先輩」
「どうした?」
「俺の読みが正しかったら、の話なんですけど」
────最悪の場合、次鋒戦で終わるかもしれない。そう京太郎はまこに告げた。
奇しくも四人全員が眼鏡の対決となる次鋒戦。清澄、風越、龍門渕の三選手は安定感のあるタイプだ。高い火力こそないが大きく崩れない。
……だが、鶴賀の彼女は全く別のいきものだ。京太郎ですら、映像越しのその姿を見た瞬間……否、昨日の威圧を含めたソナーを使った際にその存在を感知した瞬間から、彼と間違えたかと錯覚した程であった。
「次鋒戦はある意味において分水嶺です。アレは……」
──妹尾佳織は、男神蘇芳と同じと思って下さい。
彼の名、男神蘇芳を知らない高校生雀士はよっぽどのモグリでない限り、いないと言っていい。
積み上げた実績……インターミドル三年連続優勝と、昨年度のインターハイ優勝。公式戦で確認する限り、彼の戦績において敗北はない。
『奇跡』、十代最強、
誰もが彼に憧憬し、誰もが彼に挑み、誰もが彼に虚しく敗れ去った。
同世代として、メディアの向こう側の蘇芳を見て感じた染谷まこの彼の印象は、麻雀における理不尽と不条理の塊だ。どうあっても、どうやりあおうとも勝てない……始めから決められた通りの筋書きで進む、幕引きの舞台装置だ。
端的に言えば、蘇芳は技術に優れているわけではない。
偶々、配牌に恵まれた。偶々、危険牌が通った。麻雀には、常々そういう幸運が降りかかる。
蘇芳の場合、それが異様に突出している。
無論、運だけではない。運に左右されない化物たちの領域では、運は意味を成さない。運を必要とする段階を飛び越え、意思によって牌と卓を支配の奪い合いの闘争になる。
男神蘇芳に、才能は要らない。神や超常の力を操り、万物を数理に置き換える力は要らない。
男神蘇芳に、能力は要らない。麻雀に接続し、数々の異能を振るうことをしない。
全戦力状態にもなりそうな莫大な力を持ちながらも
そこに小難しい理由付けは無く。理屈や原理を必要とせず。ただ、強い。男神蘇芳が男神蘇芳である限り、男神蘇芳であるため、男神蘇芳は最強である。ただそれだけで、理由になってしまう。
(京太郎は男神蘇芳と知り合っておる。それと同じ感じがしたと言われとったら、無視できるわけがないな)
次鋒戦。まこは、鶴賀の妹尾佳織を要注意対象として認識する。
京太郎が東征大にて急成長を遂げ、目標としてあの四人を見据えた。故、一瞬でも彼らと見紛ったという事実は、京太郎の中では決して小さくない。
蘇芳の万分の一……たとえ、億分の一程度だとしても、同じと感じさせた何かを彼女が有しているのなら、この大会の中で最大の脅威に他ならない。
(……見極めさせてもらうけんのう)
打ち方はまるで初心者。近似のイメージがまるで無い。
だが、その程度は織り込み済みだった。定石も何も無い打ち方は、蘇芳に限ったことではない。
「……ロン、3900」
「は、はい!」
当たり牌を躊躇いもなく出した彼女に、容赦なく打ち込む。
分からないのであれば、理解出来ないのであれば、河を見ずに、表情だけを見ればいい。無論、河を完全に見ない訳ではなく、河の情報と打ち手の表情の情報を、鶴賀だけ一旦切り離す。幸い、彼女はポーカーフェイスというものが出来ていない。ツモる度に一喜一憂して、有効牌が入ったこと、聴牌したことを如実に表してくれる。
妹尾佳織にのみ、別情報として見る。まこにとって慣れない方法を取っているために、いつもと違う変化がまこの表情に自然と表れていた。
片目を閉じて、卓を俯瞰。それはまるで、風越キャプテンの福路美穂子に類似していた。
その姿を風越の吉留未春は内心、憤る。尊敬し敬愛するするキャプテンの……結果としてモノマネになっているソレに、怒っている。
……だが、感情の揺れはリズムの揺れ。そしてリズムの揺れは、調子の揺れである。
調子を乱した兆候は表情に表れ、変化した表情をまこは見逃さない。
「ロンじゃ、7700」
「……!」
続く風越への直撃。先鋒戦の勢いを削ぎ落とし、流れを自分の物にした。
調子も悪くない。決勝という本番においてでは、理想的と言っていいほど。
そして都合よく、親に。このまま流れの勢いに乗りたいと思うところ。
(……いや、乗れん)
……それは、普段であれば考慮に値しない、まこの中の直感。それが、この流れは乗れないと訴えている。
根拠は無い。だが、積み上げた経験が訴えている。この対局は、凌ぐのが最善であると。
次局。その直感は正しかったと証明される──。
まこ:{1}{1}{1}{④}{赤⑤}{⑥}{五}{六}{七}{八}{白}{白}{白} {5}
(この{5}……多分)
まこ 打:{5}
「……あ!それ、ロンです!」
(やはりな)
佳織:{2}{2}{2}{3}{4}{4}{6} {5}
{発}{発}{横発}
{6}{横6}{6}
「……えーっと、発混一……でしょうか?」
「「……!?」」
あわや、緑一色。何故その手牌で和了してしまうのかと、吉留未春と龍門渕の沢村智紀は理解ができなかった。
彼女が初心者だということは、こうして打っていて理解できる。しかし、役の種類くらいはわかっているはずだと思っていた。
そしてまこは、固唾を呑む。京太郎の言っていたことは真実であり、何ら間違いではなかった。
(……よりによって、その役か)
緑一色はまこの一番好きな役満であり、染め手は十八番である。
それを知ってか知らずか……偶然だろうが、お株を奪われたことによって与えた精神的動揺は小さくない。
こういうことなのか、と納得出来てしまう。
勝とうとするために戦うのではなく、戦ったら勝っている存在。そういうデタラメの類であると。
妹尾佳織が役を覚えきれていない初心者であるのが救いで……あとほんの少しでも男神蘇芳に近いものであったならば、彼女たちではどう足掻こうとも抵抗すら出来ずに点棒が残らず消し飛んでいた。
(……恐らく、この場ではわしは勝てんじゃろう)
この場において、染谷まこは妹尾佳織に遠く及ばない。実力云々ではなく、この場の勝者は決定付けられている。
負けを確信、しかし悲嘆には暮れず。むしろ笑みを湛えて迎える。
自分の負けは、清澄の負けではない。勝てずとも、打てる戦い方はいくらでもある。
(わしがすべきことは、局を重ねずに素早く流すこと。そして失点を最小限に抑えることじゃ)
それは決して、楽なことではない。それでもやらなければならないし、出来なければ全国に行くなど出来はしない。
強かに、打つ。諦めるなど、もっての外。
勝てないとわかっている相手に、打ち続けるという苦行に、染谷まこはへこたれない。
それもまた、ある意味では才能であり、資質であり──輝きである。
「ツモじゃ!」
諦めこそが、真の敗北。抵抗こそが、勝利につながる。
苦境の中で足掻けるか。それが一流とそれ以外を分ける差になる。
染谷まこの場合……紛れもない超一流である。
「食い下がってる……いや、押してすらいる。凄い、染谷先輩……!」
闘牌が繰り広げられている様子を映した大モニターがある観戦室の一席に、京太郎は座っていた。
妹尾佳織は、場合によっては京太郎も負けかねない相手である。それと彼女は渡り合えている。
最終的な点数の収支では劣るかもしれない。だが、彼女が今抗っている今、次鋒戦で終了するという最悪が回避されている。
自分の先輩は、こんなにも強い。それがとても誇らしい。
「──!」
パチっ、と首筋に静電気のようなものを感じた。
産毛が逆立ち、思わず
不意の触覚の衝撃に、続くのは嗅覚が嗅ぎ取った獣臭……いや、むせ返る程の草木やそれに滴る水、根深く支える土壌、虫や動物など、生命と野生が一個人に集約した何かがいることを感じ取った。
そんな濃密な気配が存在しておきながら、この場にいる全員が察知出来ない巧妙な隠密性が何よりも京太郎は恐ろしく感じた。……否、本人してみれば、これが自然体で気配を消している自覚などないのだろう。
「……信一、先輩」
「よう、京太郎」
着流しを着て、所々に包帯を巻いた姿の佐河信一が、京太郎が振り向いた先にいた。
空いていた隣の席に腰掛けると、同じように彼も観戦をする。
漂う雰囲気は、東征大からの帰りの電車から、何も変わっていないと感じさせた。
それが何よりも怖い。佐河信一は佐河信一のままに、その存在感に厚みが増していた。彼の輪郭が、濃く太くはっきり見える程に。彼と彼以外の境界が、あまりにも隔てていた。
錆びついた自分を鍛え直すと言っていた。ならばこれが、本来の信一の姿なのだろうか。
「────ほぅ、やるじゃないか染谷ちゃん」
一目見て、信一は次鋒戦の様相を掴んだ。下手すれば試合を終わらしてしまう妹尾佳織というイレギュラーを相手に、染谷まこは足掻いている。
役満の一つや二つが顔を出しても不思議ではない。しかし、まこは差し込みを駆使し、大量失点の重傷を軽傷で済ませている。
これが、麻雀における技術だ。常識を凌駕した化物たちも、羨む代物である。
力に特化した彼らは、自分らにない要素である技術というものに憧れる。無くても力で補えるから要らないのではない。無いからこそ欲しい。得られるのならば、妥協なく求めるのが彼らである。
「柔よく剛を制す。俺はどうしてもそうはいかないから、憧れますよ」
「そこはもう経験が物を言うからな。
「治也先輩は含めないんですか?」
「アレはもう
どの口言うんだと、京太郎は呟く。天才なのはお互い様だろうと。
治也の技術は、
同じ
故に、信一は治也を最も理解しているが、逆に最も理解し難い。この矛盾が成り立ってしまう。
「例外と言えば」
「蘇芳か。あれはバグだが……まさか、似たようなもんがいたとは」
──驚きだ、と感嘆。改めて、彼らは妹尾佳織を注視する。
京太郎も、蘇芳と同じ感じをしたが……信一と治也と同じように、本質はまるで別であった。
男神蘇芳は唯一無二。それは永遠に変わらないと信じていた。彼に取って代わるような存在など、それこそ世界が一回滅びないと現れないだろうと本気で思っている。
だが、性別を変えて彼の色をそのまま薄めたような存在が、この世にいた。
ビギナーズラック、などではない。アレはそのまま、男神蘇芳になり得る存在だ。
「……あの、信一先輩」
その先からの言葉を、京太郎は詰まった。
そして、激しく後悔する。血を吐きたいくらいに苦しく、喉をかき切りたい程に己に憤っている。
言える訳が、なかった。その発言は、彼らの信頼を裏切ってしまうことそのものなのだから。
──とても、『先に妹尾佳織と出逢っていたら、俺に出逢おうと思わなかったですか?』など、決して言えるわけがない。
そうなってしまえば、自分は目もくれずに、燻ったまま消え去っていただろう。麻雀を楽しむことを知らずに……。
順序の問題ではない。ただ一瞬でも、彼らとの信頼を裏切った。絆を、切ってしまった。
「…………京太郎。お前が言わんとしていることはわかってる」
「……」
「命だったら喜々として対蘇芳用の雀士に作り上げるし、治也の場合は興味を持たず、当の
信一は、もし彼女と出逢った場合の仮定を述べた。彼ら付き合いの長いからこそ、その行動や対応が予想できる……否、断定できると言っていい。
弘世命であれば彼女をスカウトし、徹底的に育て上げて蘇芳に成り代わる存在を作り上げようと試みる。能海治也は彼女の力自体には興味を持たず、一人の先達として指導する程度に留める。男神蘇芳は、麻雀だけでなく様々な博打を彼女に仕込むに違いない。
「俺は……まぁ、治也と同じか」
「そう、ですか」
「だが、
だが、それだけである。確かに、少なからず興味は持つだろう。しかしそれ以上ではないのだ。
疼かせるものが無い。突き動かすモノがない。故、違うのだ。
「断言していい。俺たちが揃って
信一も、命も、治也も、蘇芳も。須賀京太郎という新星に、心底痺れ、心底驚き、心底憧れ、心底恐怖し……心底勝ちたいと思ってしまった。
自分たちの、
実力でも、能力でもない。力の差も、本当は関係ない。
勝てば雄叫びを上げたくなるくらいに歓喜できて、負ければ大泣きできてしまうくらいに悔しくなれる。剥き出しのままで、そのままの自分で、戦える数少ない相手だ。
だから、全力になれる。誰もが、本気になって勝負に挑もうとする。己の用意できるもの、総てを総動員させてまで、執着する。
「……まあ、何だ。後輩の可愛い嫉妬くらい、受け止める度量くらいはあるさ。俺にだって」
「なあっ!?そ、そんなつもりじゃ……」
強引に、京太郎の頭を乱暴に撫でた。
皆、年上だ。伊達に一年二年長く生きてきたわけではない。
「照れんなっての、そういうこったろ?」
「違いますって!」
──そんな他愛のないじゃれ合いをするうちに、次鋒戦は終了。一位に鶴賀が躍り出て、二位を清澄がキープ。三位に風越と順位を落とし、四位の龍門渕が徐々に点数を詰めていく結果となった。
昼休みを挟み、午後には中堅戦に突入する……。