SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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 インターハイ長野県予選男子個人戦、最終戦。その火蓋が落とされた。

 卓には、最盛最高潮の状態にある『怪物』佐河信一。最初から全戦力寸前まで解放し、この東一局で勝負を決めようとしている。

 卓には、この大会の台風の目にある『魔王』須賀京太郎。選手たちは、彼を根源として限定的に対等に戦う権利を得た。

 卓には、『魔王』に対峙し対抗存在となった『勇者』……男子団体戦優勝校である松代高校の三羽烏、遊楽清治と山科圭吾。彼らもまた、決して無視できない存在である。

 この卓に、誰一人として弱卒は存在しない。誰であろうと、勝利を掴む資格を持ち合わせている。

 頂点に立つのは、ただ一人。それが麻雀という競技の根幹である。

 誰もが、最強が欲しい。一番が、欲しい。そう想い続けながら、そう想い続けたから、彼らはこの大会でここまで到達した。

 そしてそれ以上に……楽しい麻雀が打ちたいがために。打って良かったと、終わった後に思いっきり悔しがれて、思いっきり笑えるような、心躍る麻雀が打ちたいがために。

 この卓には……この大会には、そういう奴ばかりが集まっている。

 信一が、賽を回す。カラカラと鳴る音が、妙に心地いい。

 東一局、0本場。親は佐河信一。

 

 信一:{一}{九}{①}{⑨}{1}{9}{東}{南}{西}{北}{白}{発}{中} {②}

 

 配牌の時点で、まるで当然のように揃う国士無双十三面。異常過ぎる光景だが、佐河信一であれば何ら不思議ではない。彼以上に、国士無双という役に寵愛された人間は他に存在しない。

 故に、彼を知る者は、彼を知っている程に国士という役を避けたがる。最たる親友である男神蘇芳に至っては、決して和了しないと決意している程に。彼以上に、国士に相応しいという自信が持てないがために。

 

「……ハハッ」

 

 笑みが、浮かぶ。可笑しくて仕方ない、信一の笑みだ。

 自分の支配に、手を抜いたつもりは一切ない。ここで天和国士無双をして、次もまた同じように繰り返す。それが信一の胸の内に抱えていた、必殺プランだった。化物同士の対局に、しかも開始直後であっては直撃はあり得ない。ツモ和了こそが、得点源である。

 繊細な技術を要する一人遊び(ソリティア)であり、化物と言う支配力を持つ者相手には全く向かない技ではあるが。信一の国士無双は例外であり、国士に寵愛された彼は思いのままに国士無双を操ることが出来る。

 冗談抜きで、殺すつもりで呼び寄せた配牌であった。しかし、ツモった牌は和了ならず。

 ……その原因も、すぐに察した。

 

「九種九牌」

 

 手にした国士を、あっさり捨てた。国士に並ぶ、信一の代名詞たる九種九牌。その気になれば、十回二十回、何百回何千回と繰り返すことの出来る絶技であり、起家を獲得してしまったら手もつけられない。永遠と、100点棒の本数を増やすだけ増やすことが出来てしまう。

 信一が持つ、退く権利。それをここで行使した。

 

「本気の俺に、それが出来るようになったか」

 

 目を向けたのは京太郎。そして……松代の二人。彼ら三人の手牌が、信一には透けて見えるようにわかってしまう。

 ……それは、自分の物であるのだから。

 

 京太郎:{一}{九}{①}{⑨}{1}{9}{東}{南}{西}{北}{白}{発}{中}

 

 清治:{一}{九}{①}{⑨}{1}{9}{東}{南}{西}{北}{白}{発}{中}

 

 圭吾:{一}{九}{①}{⑨}{1}{9}{東}{南}{西}{北}{白}{発}{中}

 

 全手牌、国士無双十三面。絶対に和了することの出来ない夢幻の国士。かつて清澄の部室で見せた信一の児戯が、結果的にこの卓で現れていた。

 信一は、徹底して幺九牌が彼らの手牌に行かないように操作をした。直撃を取れると思うほど、思い上がってはいない。ツモで抉り殺す。最初からそうする狙いだった。

 一牌だけであろうとも幺九牌が山に眠っていれば、確実に信一の手に渡る。それほどにまで、信一の国士は完成され尽くされている。

 ……故、勝負は配牌時に決定付けられる。

 

「……俺に追いつくまで、それを繰り返す気か?お前ら」

 

 じんわりと、京太郎を始めとした彼らは額に汗を滲ませていた。

 国士十三面に対するカウンターは、国士十三面である。それを足並み揃えて全員が国士を張ってしまえば、完全に無力化することになる。

 時間が経過すればするほどに京太郎と……そして京太郎に繋がった『勇者』たちは力を増していき、信一は(ねつ)が回る。一巡たりとも、京太郎たちに回すわけにはいかず。信一が取れる手段は、九種以外にあり得ない。

 ……だが、信一の支配に対しての抵抗、それは生半なものでは達成しえない。

 手牌という自分の支配が最も強い場所であっても、圧倒的実力を持つ信一の支配力は凶悪なものだ。

 現に、東一局0本場という最序盤で。彼らは体力(スタミナ)の半分を持って行かれたような気分にさせられた。

 だが、彼らは屁でもないと笑っている。むしろ体力の半分程度で済んで良かった。

 その程度、いくらでも費やせる。彼らは限界の一つや二つ、超えることを前提にここへと臨んでいるのだ。

 東一局、1本場。大会ルールでは、九種をしても親は流れない。継続して信一の親である。

 

 信一:{一}{九}{①}{⑨}{1}{9}{東}{南}{西}{北}{白}{発}{中}

 

 変わらず、国士無双十三面。連続してのこの配牌は、観戦する者らには騒然となっただろう。

 彼は『怪物』佐河信一。またの名を、『国士無双(ならびたつものなし)』。この程度は、平然と容易くやってのける。

 何回でも何十回でも何百回でも。国士に寵愛された彼は、配牌国士無双を何度でも永遠に繰り返す。勝つまで、ずっと。

 ツモで和了して、全員トバして殺す。試合前に定めた初志を、貫徹し続ける。

 

(……退けないのは、俺もコイツらも同じか)

 

 信一 ツモ:{八}

 

 伏せていた最後の一牌を表に上げた瞬間、躊躇いなく手牌を晒しあげた。

 

「九種九牌」

 

 和了ができなかった時点で、この国士は意味がない。

 ツモして他の幺九牌が来なかった。つまりそれは、そういう意味だから。

 

 京太郎:{一}{一}{一}{九}{九}{九}{1}{1}{1}{南}{南}{南}{①}

 

 清治:{⑨}{⑨}{⑨}{9}{9}{9}{東}{東}{東}{白}{白}{白}{①}

 

 圭吾:{西}{西}{西}{北}{北}{北}{発}{発}{発}{中}{中}{中}{①}

 

 全員、幺九牌を占めた四暗刻単騎待ち。信一の国士十三面を完全に封じる、もう一つの布陣である。

 退けない、退かない。信一と同じように、京太郎たちも一歩たりとも譲れない。突っ張っり続けることしか能がない。突っ張り続けることでしか勝機がない。前へ、前へ、身を削ってでも進むしか出来ないし、そうしたい。

 体力は尽きた。100メートル走の10セットを全力疾走でこなした程の疲労が伸し掛かっている。

 呼吸は荒く、心肺が伸縮と脈動を繰り返す度に鈍痛が走る。全身に汗がびっしりと噴き出していく。がくがくと、体の末端は震えており、立ち上がることすらままならない状態だ。

 たった二度。たった二度、信一の和了に抵抗しただけで満身創痍。ただ牌を動かす程度の動作を要しないこの麻雀に、ここまでの負担がかかるというのは非現実的だ。だが彼らにとって、信一の支配に抗う行為は大河の氾濫に呑まれまいと必死に踏ん張っているも同然だった。ほんの僅かの気の緩みが足を掬い、流され碎かれ肉の一片も残らない。

 それでいい。体力が潰えようと、まだ気力が残っている。気力が無くなろうとも、魂をすり減らせばいい。

 ……たった、それだけのことである。何も、難しいことではない。

 

(やっぱ、根競べになるか)

 

 信一と彼らとでは、大きすぎる実力差がある。それを自覚していれば、示し合わさずとも一対三の構図となる。

 数の上の優位は、決して侮れない。今の彼を相手に、勝てはせずとも負けないように立ち回ることは可能である。

 

(『怪物』退治も『勇者』の役目だわな。同類だから連携に穴は無い上、根本では京太郎と繋がっている)

 

 小手先の技で崩せる相手ではない。即席の同盟にしては、強固な繋がりだと感心せざるを得ない。

 叩くなら、真正面から力付くで。ダイアモンドのような硬い硬度を持つ物質には、強い衝撃を叩き込めばいとも容易く砕け散る。彼らはまさにダイアモンドで、信一にはそれを素手で砕く力を持っている。

 信一が素手で砕くのが先か、砕けずに手が先に砕けるのが先か。まさに根競べであり、他者との戦いというより、己との戦いである。

 

(……チンタラしてる暇もなさそうだ)

 

 ……そして彼が思うより、残された猶予もなかった。

 ここまで二度、場が流れた。対局を開始してから、時間はそれほど経ってはいない。

 

(左の小指の感覚がない。たった数分でコレかよ……!)

 

 卓の下に隠れて、彼らは見えないが……今の信一の左手の小指は痙攣を起こしていた。信一の意思に関係なくビクビクと震えており、一部とはいえ完全に信一の体の制御から離れていた。

 この症状に、覚えがある。京太郎に喰らわされた、一週間ずっと信一を苦しめ続け、死に至る寸前にまで追い込ませた疼きそのものであった。

 京太郎の(どく)は、着実に信一の中を巡り回っている。下から上へ、末端から内側へ。体内の動脈静脈に乗り、五臓六腑を巡り巡って(あたま)に達しようとしている。

 須賀京太郎を相手に、予測や予想など何の意味も為さない。相手は資質の化物、未完の大器。卓につくだけで勝手に成長を続ける、化物も恐れる化物。わかっていた、わかっていたはずであったのに、信一はそのツケを払わされた。この程度であろうと、勝手に高を括っていた。

 対峙した時点で成長が、進化が確定する。毒が回る速度も、加速度的に増していくのは当然だ。

 頭と右手に毒が達した時点で、信一に勝機は無くなる。そうなれば、自身を制御するのに手いっぱいになり、麻雀どころではなくなってしまう。右手が浸食されてしまったら、麻雀の進行そのものに支障が出てしまう。

 

(……速攻でぶっ倒すってのが、そもそも甘い考えだったのかね)

 

 短期決戦がリスクをなるべく背負わずに勝つ方法であった。京太郎が己に追いつく前に、勝つ。それが一番の理想だった。……所詮、理想であった。

 無傷で、格好よく勝てるなんて思ってはいない。だがそれが一番の最適解であった。

 しかし彼らは、泥臭くともみっともなくとも、必死で執念深くて、今にも喉元に喰らいつく程に殺気立ち、ほんの僅かな隙を見逃さない程の集中力を発揮している。ほんの刹那も切らさずにその集中力を維持するのは、身を削ると同じくらいの苦痛を強いている程だ。

 ──今の自分には、覚悟がない。痛みを伴おうとも……笑って打とうとする、麻雀に対する、彼らに対する覚悟が。

 

(だから……!)

 

 信一:{一}{九}{①}{⑨}{1}{9}{東}{南}{西}{北}{白}{発}{中}

 

 ────一歩踏み出せ、奴らの致死圏内(まあい)へ!

 

「リーチ!」

 

 信一 打:{横⑧}

 

 東一局3本場。当然の如くのように国士を張るが、第一打がリーチ。

 配牌役満聴牌にも関わらず、リーチをするメリットは非常に薄い。配牌時点で聴牌していることも、国士であることも、リーチをせずとも理解している上、大会ルール上複合役満は存在せず、これ以上の点はあり得ない。ただいたずらに千点を場に吐き出した、それだけの無意味な行為である。

 ──だが、これでいい。

 

(んなっ……)

(これはっ)

(……やってくれたな、信一先輩!)

 

 この卓にいる者で、このリーチの意味を理解しない者はない。

 これは、佐河信一の不退転の意思。身を削ろうとも傷つこうとも前進する、自壊を厭わない一手だ。

 リーチをしただけで、左手首から先がまるで言うことを利かなくなった。毒の回る速度がさらに加速し、胸を、喉を掻き毟りたい衝動に駆られる。

 毒といえど痛かったり、痺れたり、体の不調を訴える症状はない。むしろ暖かく、柔らかく、心地よい。故、抗いがたい。麻薬と同じように、中毒(はま)らせるのなら苦痛ではなく、快楽の方が効果が出る。一瞬でも委ねてしまったら、全身が一気に支配下に置かれてしまう。どうしようもなく、性質(タチ)が悪い。

 信一の行ったことは、無意味にリスクを背負った行為である……とは、この場にいる全員は誰もそうとは思わない。むしろ、その無意味さにこそ意味がある。

 次のツモ番、山科圭吾は信一の行為の意味を重々承知し、選択を迫られていた。

 

(ただ点棒を捨てたんじゃない。コイツ、俺の間合いに……同じ土俵に上がってきやがった!)

 

 たとえるのなら。先ほどまで、信一は爆撃機で空から一方的に、爆弾を投下していただけであった。空を飛ぶ爆撃機に攻撃する術を彼らは持たず、ただ耐え忍ぶばかり。爆弾(ちから)燃料(たいりょく)が尽きるまで何もできない。しかし、それらが尽きた瞬間が、信一の窮地……のはずであった。

 力と体力を残したままに、信一は爆撃機から降りた。そのまま彼らが立っている彼らの土俵に立とうとしている。

 ──信一にとっての毒であると同時に、力の源となる京太郎たちの間合い(エリア)へと。

 敗北するリスクを高めようとも、自身を如何に苦しめようとも。対等の相手に全力以上を揮う覚悟を、信一は決めたのだ。

 

 圭吾:{一}{九}{①}{⑨}{1}{9}{東}{南}{西}{北}{白}{発}{中} {4}

 

 彼もまた、国士。そしては今、この卓にいる全員が国士を配牌で張っている。全員の手牌は既に死んでおり、進めることに意味はない。

 時間を稼ぐなら、ツモった牌をただ場に出すだけでいい。誰も上がれない、そんな場なのだから。そうするだけで、あの信一を、あの『怪物』を、時間の経過と共に着々と追い詰めることができる。

 ……だが、それでいいのかと彼は……否、松代の彼らは自問する。本当に、それで後悔はしないのか。それで本当に、勝った後に笑えるのか。

 ──愚問だったな、とすぐに表を上げる。臆すな、退くな。俺たちが欲しい勝利というものは……。

 

「リーチ!」

 

 圭吾 打:{横4}

 

「リーチっ!」

 

 清治 打:{横7}

 

 ──コイツらを真正面から打倒した先に、存在するのだ。

 そして、この男もまた言うまでもなく──。

 

「リーチ」

 

 京太郎 打:{横二}

 

 当然のように、リーチ棒を場に放る。動きに淀みはなく、逡巡がまるで存在していない。

 これで四家立直で流局。4本場へと移行する。

 

「……ハッ、お前らバカだろ。付き合う理由は無いだろうに」

 

 バカと言いながら信一も、彼らの意思を理解している。そうするべき、そうしたい、そうしなければならない。立場が違っていたならば、自分も同じことをしていただろうから。

 彼らのリーチに何の意味もない。ただ、点棒を場に納めただけの行為である。

 それでもそうした訳は、そうでもしなければ勝てなかったのは自分だと本能的な部分で理解していたから。

 信一は退かず、前に進んだ。リスクを背負って、戦いに来た。

 であれば、同じリスクを背負わずには勝てない。勝ったことには、ならない。

 後悔しない対局にする。それが彼らの誓いだ。自分のやりたい意思に少しでも反してしまったら、それこそ一抹の後悔を残してしまう。それは絶対に許したくはない。

 やって当然、これが当たり前。そういった澄ました顔で、彼らは笑みを浮かべる。

 たとえその顔の裏が満身創痍で苦痛に満ちていようとも、精神をすり減らしてここにいようとも、対局中ずっと変わらず笑みを湛え続けるだろう。

 ────ああ、最高だ。たまらない。こんなギリギリの対局は久しく感じる。

 

「4本場、付いてこいよ」

 

 新たに100点棒を一本乗せて。どこまで続くのかがわからない東一局を続行する。

 付いてこいという信一の言葉に、眼を鋭く光らせる。

 彼らは虎で、信一は狩人。そしてここは、彼らのエリア(ジャングル)。そういう状況には変わらないのだから。

 

 ────付いてこい?笑わせる。

 ────どこまで逃げ切れるか、見物だ。

 ────やろうか、麻雀を。

 

 東一局4本場、最序盤。

 勝負は、続く。


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