SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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 『Weekly 麻雀 today』は、麻雀人口数億人のこの世界の日本において広く知れ渡った麻雀雑誌の一つだ。

 この雑誌に限らないが。全力で麻雀を打ち、そしてプロを目指す者。プロにおいてもトップを目指す者たちには、雑誌に載るほどの知名度と実力を持つのはある一定のステータスとして示されるものだろう。

 インターハイ長野県予選男子個人戦の翌日に退院し、その日のうちに部活にも参加した須賀京太郎は、その雑誌の最新号を見る自分以外の部員たち……五人の女子たちに対し、居た堪れない気持ちになっていた。

 

「『先日行われたインターハイ長野予選男子個人戦は、陳腐な言い回しであるが死闘であった。筆者にあるまじきことであるがそれ以外の表現が思い当たらない。写真からも窺える文字通りに対局者たちが命をすり減らしているようにしか見えない表情と必死さ、それが表れた異様な卓と牌勢、どれもこれもが私たちが知る麻雀ではなかった。』」

 

 雑誌の文章を読み上げる竹井久と、半眼でじっと京太郎を捕らえて離さない宮永咲、原村和、片岡優希の一年組。睨まれて目を逸らした先にいた染谷まこからも、眼鏡越しから半眼のじとっ、とした目線を向けられる。

 

「『二日目最終戦は対局後に選手が救急車で運ばれるという事態になり、表彰台に立つ選手が一人欠けた結末となった。』」

 

 読み終えた雑誌を京太郎の足元へと投げ捨て、バサリと音を立てる。窓からビュッと吹く風にページが捲れ上がり、久が読み上げていたページが表になる。

 そこには、卓から崩れ落ちて倒れ伏せた京太郎が写る写真が載っていた。面を上げられないままに下を向いているため、事実として直視せざるを得なくなっている。

 この状況でなければその雑誌を読んでも、『あー、派手に負けたな。悔しいな。よし、次は勝つぞ』としか京太郎は思わないだろう。別に負い目など微塵もない。悔しくはあるが真っ当に全力以上を尽くして負けたのだ。恥じることなど何一つない。

 ……それでも、彼女たちに対しては悪気があったのだと感じており……。

 

「……あの、その……すみませんでした」

「何に、謝ってるの須賀くん?」

「えと……心配をおかけして」

 

 大会からこの雑誌が発売した四日後の今日。京太郎のメンタルはすでにボロボロであった。

 怒りと呆れと悲しみと……何より心配だと思う気持ちがこれでもかと込められた視線を、京太郎が大事と思う彼女たちからずっと向けられ続け、参っていた。

 精神の強固さは化物最強、そうであると自他認めていても、これには勝てなかった。勝ってはいけなかった。

 京太郎が倒れて病院に運ばれ、彼女たちがどれだけ彼を案じたか。あんな魂を削るような麻雀をやって、どれほど憂慮したか。

 ……その翌日に、何食わぬ顔で部活に出てきている彼にどれほど怒りを覚えたか。

 鈍感が売りのような須賀京太郎であっても、気付かないほど阿呆ではない。

 

「……須賀くん。もう二度とあんな麻雀を打つなー、なんて言わないわ。言っても無駄だから」

 

 血で血を洗うような死闘こそ、化物の本懐。本気の先、全力以上を、自身のすべてを擲った渾身を出すことのできる場所に飢えている。

 気持ちでは納得はいかないが、理解はした。京太郎を相手に、麻雀を全力でやるななど彼女たちは言えはしない。

 だから、久からは伝えたいことはたった一つだけ。

 

「ちゃんと、ここへ戻って(●●●●●●)

 

 須賀京太郎がここを帰る場所とするのであれば、自分たちは迎える。

 だから何も言わずに、どこか遠い場所に行かないでほしい。

 京太郎は非常に危なっかしい。下手しなくとも、咲の迷子よりずっと目が離せない。ふとした瞬間に消えてしまうような危うさを常に感じている。

 化物と呼ばれるくらいに強いはずなのに、どこまでも頼りなく、幽霊のように存在が薄い。

 歪そのものだ。矛盾の塊だ。目を合わせていなければ、触れていなければ、ここにいるのだと認められないくらいに。

 

「……はい!」

 

 自分の性分として、麻雀のスタイルとして。全力を出さないということはまずありえない。渾身を出し続けなければ勝てない。過去の自分を振り切り続けなければ勝てない。そういう性質であり、そういう相手なのだ。

 自分がどこまで進化し、成長していくのか。それは京太郎本人でさえ予想がつかない。辿りつける場所があるならどこまでも走る。壁があるなら踏み越えて、断崖があるなら飛び越える。無心でここまで来て、そしてこれからもそうであるだろう。

 そして、その果てに須賀京太郎がどういう変化を遂げることも、まるでわからない。

 それでも、ただ一つ。譲れないたった一つ。変えてはいけないたった一つを、この胸に置いておく。

 それさえあれば、自分はここへと帰ってこれる。

 最愛の仲間たち、清澄という場所。それさえあれば、どんな目にあったとしても須賀京太郎は須賀京太郎のままにいられる。

 まっすぐ、久の目を見て京太郎は答えた。

 澄んだ、眩く輝く目に、久は思わず顔を赤くして目を逸らしてしまう。

 

「な、生意気よ須賀くん」

「えー」

 

 理不尽な、と嘆く。女子とは理不尽の権化とはわかっていても、そう思わずにはいられない。

 他の四人も、幾分か溜飲が下がったのか。一息つくといつものような目で彼を見た。

 優しく格好良く、少し頼りない、自分たちが信望する最強の仲間を。

 

「じゃあ、今日も練習を始めましょう!」

 

 

 

 

 

 そこは地獄。そこは蠱毒。そこはヴァルハラ。そこは、修羅道。

 属する雀士すべてが鬼。属する雀士すべてが最精鋭。属する雀士すべてに凡愚はなし。

 日本における高校麻雀最強校──東征大学付震洋高校。

 一線級のプロすら敵わぬ魔人の巣窟である。

 

「……では、団体戦のオーダーを発表する」

 

 麻雀部部室、屋上ホール──旧東征大校舎を改装し、元は屋上プールだった面影は微塵もなくなったこの場所に。雀鬼どもは集っていた。

 壇上に立つ部長兼監督の弘世命を除いた511人は、そのオーダーを待つ。

 彼らは全員、息絶え絶えで肩で呼吸していた。最強を証明する黒地のユニフォームを纏いながらも、発する雰囲気は弱弱しい。

 それもそのはずで……彼らは三日間に及ぶ徹麻雀を行っていた。

 一校に限られた個人戦出場枠を争う……校内予選を。

 名門校となれば部員数も大所帯となり、特に国内最大規模の東征大ともなれば共に鍛えてきた部員同士こそが最大の宿敵となる。

 骨肉の様相、正しく蠱毒を執り行っていた。鬼が鬼を殺し、喰らい合う……現世の修羅道そのものだった。

 勝ち星が多かった者、それが個人戦出場の選出基準。単純かつ、わかりやすいルールである。

 ……そして、上位五名が団体戦の代表として選ばれる。

 

「先鋒、三年、長谷智成(はせ ともなり)

「はい!」

 

 凛とした、張り上げた声で呼び上げる。

 

「次鋒、二年、稲垣礼司(いながき れいじ)

「はい!」

 

 選ばれてる人間は既に決まっている。

 

「中堅、一年、武田隆(たけだ たかし)

「はい!」

 

 全国最強校のトップ5。それはすなわち、化物を除けば全国最強の五指に選ばれたということ。

 

「副将、三年、羽原洋介(はばら ようすけ)

「はい!」

 

 ……そして、全勝で終わらせたのは、全部員512名の内ただ一人。

 東征大最強、化物、『修羅』──ここにいる誰もが憧憬し、最強と奉じ、何よりも恐れる狂気の鬼。

 彼が一年の時よりそこは定位置であり、そして埃被った椅子でもあり────。

 

「大将、一年、大臣佑之(おおおみ ゆうすけ)

 

 ──その名が呼ばれなかったことに、誰もが動揺した。

 

「……大臣。返事は」

「は、はい!」

「以上だ。以後大会まで練習は休みとする。各自休養に努めるように」

 

 そう言って、命は壇上を降りてホールから出ていく。

 百戦錬磨の彼らは、何も出来ずにいた。受けた衝撃が強すぎて、この場にいた511人がずっと放心していた。

 経って、数分後。我に返った一人が駆け出し、すぐさま命のあとを追った。

 ぞろぞろとそれに全員が続いていき、瞬く間にホールはがらんどうになる。

 

「……やはり、そうなるよな」

 

 ……たった一人、ホールの隅に寄り掛かる白衣の男──能海治也は先の様子を全て見届けていた。

 自分を団体戦に選出しなかった意図とその裏も知る治也と違い、何も知らなかった部員たちにしてみれば……この現実は当然と思っていた。

 

「どう言い訳するのかね、あの中学生(●●●)

 

 

 

 

 

 東征大の部員たちが弘世命の前に追いついた時、彼は自分の車に乗り込もうとしていた。

 ぞろぞろと彼と彼の車を囲むように、511人が集まった。

 

「何の騒ぎだ」

「部長……どうして団体戦のオーダーに、部長がいないんです?」

 

 東征大最強、故に後備えとして大将の位置に不動に君臨していた命が、団体戦のオーダーから外れなければならないのだ。その代わりとして任された大臣佑之は、全員の総意を代弁した。

 団体戦は東征大最強の五人からなる構成だ。それは東征大に黄金期をもたらした十年前より変わらない。学校によっては戦略や方針によって単純な実力順で選出されなくとも、東征大はこれを一貫していた。

 東征大のドクトリンは、絶対勝利。その前提には、最強の雀士とは何でもできなければならない、が根幹にある。オールラウンダー、器用万能、ユーティリティープレイヤーこそが東征大の理想的な雀士である。

 その最たる象徴が、弘世命のはずなのだ。誰よりも深く麻雀そのものへと接続し、こと、麻雀によって引き起こせる事象であれば何でも引き起こすことを可能にした、化物と称される『修羅』だ。

 今の東征大に、彼より前にいる者はなく。彼より後に続かない者は存在しない。誰も彼も最強と認め、誰も彼も心より慕っている。

 だからこそ、その彼のオーダーといえど納得がいかないのだ。

 

「簡単な話だ。大臣、お前が強い。()よりもな」

 

 簡潔に、そう言い切ったがそれで説明がつくわけがない。代表選出のための選考において唯一全勝したのは誰であるのか、聞くまでもない。

 だが、この場全員が、命に違和感を感じ取った。

 一人称がいつもと違う。いつもは()であったはず。その上、感じられる雰囲気がまるで別人だ。

 魂だけ抜き取って、別人の魂を命の体に入れたかのような、そんなちぐはぐさを。

 

「……アンタ、誰だ」

「…………さすが、()が育てた奴らだ」

 

 あれらに及ばずとも、彼らも化物級。選手としてより、指導者としての能力に長けた命が心血注いで鍛え上げた雀鬼共である。

 ありえないと思っていても、違うと思ったのなら容赦なく突き付ける。変化に対する嗅覚はずば抜けている。

 故に。今の弘世命の違いに気づけた。

 

()は弘世命だ。正真正銘のな」

 

 どこか、幼い。それが違和感。いつも様になっているレディーススーツに着せられている感がある。

 容貌容姿は一切変わっていないが、振る舞いに僅かな差異が表れている。着慣れていないものを着ていて、動きにくそうにしている。

 

「まあ、()も弘世命に違いないが」

「どういう意味だ?」

「こういう意味だ」

 

 ……指パッチンを命がすると、違和感が途端に消える。否、知っている彼に戻ったというのが正しい。

 立つ姿勢、佇まい、仕草……それらが女性らしく、嫋やかな色気を醸し出す。

 

「部長、ですか」

「ええ。すぐに気づける部員を持って()は幸せです」

 

 微笑みを湛える、いつもの姿へと。『修羅』の化物、悪辣凶手、修羅道の統率者……麻雀のために己を捨てた、悪鬼へと。

 他者を労り、統べ、支配する化物。東征大を修羅道にした張本人を、他の誰かと間違うことはありえない。

 

「教えて頂けませんか!部長が団体戦に出ていない理由を!」

「言ったはずよ。()は大臣くんより弱い……いいえ、この東征大の中で誰よりも弱いわ」

 

 自分はこの学校で誰よりも弱いと断言する。そんな言葉を、彼の口から聞きたくはなかった。

 ここまで強くなったのは弘世命のおかげだ。ここまで心を砕かれたのは弘世命のせいだ。ここまで最強と信望するのは弘世命だけだ。自分たちをこうした張本人が、そんな無責任な言葉を言って欲しくはなかった。

 

「俺たちは部長に勝ったことがありません!それでも弱いと仰りますか!」

 

 ただの一度たりとも、東征大の部員たちは命に勝ったことなどない。先の校内代表選出戦も、入学以後……監督兼部長就任要求のいざこざを含めれば入学以前も無敗だ。

 例外は同格の化物と打った時のみ。その時すら勝ったり負けたりの繰り返しである。

 

「あなたたちは()が育てたのですよ。()が負ける道理がありますか?」

「……そうか、二重人格だったのですか」

「正確には大きく違うのだけれど、そう思っても大差ないわ」

 

 弘世命は二人いる。同一の肉体で、別々の魂が共生している。その仕組みを正しく見破ったのは命以外には治也のみ。二重人格というちゃちなものではないと、治也であれば憤慨するだろう。

 彼らが知る命の『()』と、知らない『()』──性格も在り方も何もかも、容姿は同一であっても別人として受け止めてしまえるほどに違う。

 

()は、弘世命本来の人格よ。失くしたはずの、ね」

「失くした、はずの?」

 

 いつもの女性らしさとは反対の、男性人格とも言うべき雰囲気。

 弘世命元来の姿であり、根底に存在するもの。東征大部員たちも治也以外の化物らも知らなかった、中学時代から時計が止まった人格。

 それが、弘世命(じぶん)を『()』と称する存在だ。

 

「そもそも弘世命という雀士は、主観的にも客観的にもアレらに伍する力はないのよ。多少マシ程度で、凡庸そのもの」

 

 才能はある。能力もある。将来性もあった。だが、それは常人の範囲内の話。精々が、高校最強の女子チャンピオンに勝てる程度。化物という超常の規格外と比肩するわけがない。

 四年前のインターミドル、中学二年生の時に化物に出会った。限界を悟った弘世命は、必要であるのであれば(じぶん)を捨てることに躊躇はなかった。その代わりに、拾い上げたのが(しゅら)であった。

 ────それが何よりの間違いであったのだと、それこそが諦めであったのだと、過ちを認めて納得するのにどれほどの時間が過ぎ去ったか。

 

「言うけど、()じゃ化物(アレ)らには勝てません。京太郎くん……ううん、浬先輩にも勝てないでしょうね」

「んなっ!?」

「どこまでいこうと弘世命(わたし)は凡人なんですよ。信一や治也のように才能はありませんし、蘇芳のようにバグでもない、資質ですら京太郎くんに劣ります」

 

 平静に、しかし卑下せず、淡々と自己分析している。自分が何が出来て、何が出来ないか。化物らと対比して、勝てるかどうかを身をもって知っている。

 

「わかっていたことでしょう?弘世命は化物だ。だが…………最強ではない」

 

 ……そう。本当であれば、わかっていたはずのことであった。わかっていて、目を背けていた。

 弘世命こそが最強、彼らは心からそう思っていて慕っている。そう信じ続けている。

 だが、公式の場にて彼らに勝ったことは一度としてない。その最強の証明が為されたことはない。

 東征大に進学してからはもっと酷い。化物と戦うことを避け、蘇芳が決して出場しない団体戦にのみエントリーし続けた。個人戦にて、蘇芳と打つことを逃げていた。

 こんな男が全国最強?滑稽にも程がある。

 

「──今は、ね」

 

 しかし命に絶望はなく、むしろ光明が差している。

 平静に戦力差を語るのもまた、余裕を感じさせるほどに。

 

「あるんですか、勝ち目が」

「ようやく拾えたのですよ、それを」

 

 そして再び、指パッチン。その動作が弘世命の中に存在する二人の切り替えになっているのだと気付いた。

 

「それが、()だ」

「……お前が?」

 

 この中で誰よりも弱いと自称した彼が、己こそが勝機であると自信を持って言い切った。

 改めて、東征大の部員たちは彼を覗いた。姿形や外見だけでなく、内面を。化物級の能力を総動員させ、弘世命(ぼく)を暴き立てる。

 弘世命の中身を視るのは、自殺行為も同然だ。たちまちに膨大な情報量に押しつぶされて、壊れ果てる。深淵の中にあるモノであり、覗き見るモノは同時に覗き見られている。

 それでも彼らは恐れない。命によって壊れた回数など、覚えていない。今更であり、その程度の危険性に頓着しない。

 目視して、目が潰れない。脳が、軋まない。能海治也ほどの読心能力こそないが、命が心を開いて招いているために、奥底まで潜り込めた。

 それによって、知ることができた。今の弘世命の、勝機を。

 

『──は?』

 

 一斉に、そんな言葉が出てくるほどに彼らは目を疑った。 

 今の命は本当に凡人……運に縛られた常人でしかなかった。

 しかしそんなものはどうでも良かった。問題なのは、今の命が立っている場所だ。

 弘世命の心の内は、変わらず暗黒。一切の光が差し込まない、深淵の宇宙。

 ──この暗黒に、見えず蠢く存在がいる。それはきっと、凶悪凶暴な悍ましき化物だ。もし目にしたら自死する衝動に駆られるほどに狂気的で、死すら生温く思えるような体験をさせられる。

 そんな場所で、確かに弘世命は立っている。正気を失わず、恐怖と闘い、やっとの思いで自意識を保ち続けている。

 この暗黒世界こそが、弘世命(わたし)の根源、『修羅』を構成する狂える全戦力の正体──麻雀という、小宇宙そのものなのだと。

 弘世命(わたし)とは、麻雀という概念が生み出した総和、そのほんの上澄みでしかなった。そこに彼自身の意思の力はなく、ただ力を暴走させていただけだった。

 

「……どうだ?()を見て、何を思った?」

「……よく狂ってませんね」

 

 思わず、敬語が出てしまう。敬愛する『修羅』でなくても、今の彼には謙らなければならない。

 認めざるを得ないのだ。彼が今、この東征大で最弱であろうとも。自分たちの知る弘世命(しゅら)でなくても──。

 

「ついこの間まで狂いっぱなしだったよ。言っただろう、失くしたとね」

 

 どこまで広いのかわからない、この暗黒の中で。悍ましい化物が闊歩する、この宇宙で。失くした自分を拾い上げるのはどれだけの勇気がいるのだろうか。

 無理だ。東征大の部員たちは心の中で諦めた。諦めこそ人を殺す。それがわかっていても、この暗黒(ぜつぼう)には膝を屈する他ない。

 それに対して立ち向かえた気力と勇気。敬服する他ない。彼こそが東征大を率いる者だ。彼だけが、この修羅道を率いる器だ。

 ────弘世命は、最強だ。弱いままに、凡人のままに。暗黒の世界を歩く強い心を持っている。

 それは他の化物に……佐河信一にも、男神蘇芳にも、須賀京太郎にだって劣りはしない。否、圧倒すらしうる。

 何せ彼は……麻雀という概念そのものに繋がっているのだから。

 

「ブランクが酷くてな。この状態でのやり方を習熟しなきゃならん」

 

 有体に言って、時間がない。それが団体戦を辞退した理由だ。

 無論、東征大の部員たちを大いに信頼しているからこそ出来た手段だ。常勝が義務付けられた東征大に、万一の敗北の可能性はあってはならない。彼らであれば、まず間違いなく優勝ができる。

 自分はようやくスタートラインに立った時点であり、大きく出遅れた。その上、才能もないから短期間での会得などまずありえない。

 

「部長と監督職に就く以来のわがままだ。頼む」

 

 そう言って、命は頭を下げた。

 ──()にこそ、勝機はあり。可能性を提示し、勝利への展望を見せた。

 勝ちたいのだ、あの親友たちに。あの化物たちに。今度こそ、自分の力で臨んで戦いたいのだ。

 部長としての、監督としての立場を抜きに、一人の雀士として勝負を挑みたい。その願いを、わがままを、自分を信じてくれる部員たちに吐露した。

 

「…………ダメって言ったら、俺ら全員ぶっ壊してでも通すつもりだったでしょうに」

「バレたか」

 

 舌を出して、悪戯っぽく笑う。

 反対の声が上がったのなら、部員全員を再起不能になるまでぶっ壊すつもりであった。命本人が、元に戻すこともできなくなるまでに。

 ────かつて、中学時代にやった時のように。骨も残さず、潰すつもりだった。名門東征大が無くなっても、どうでも良かった。

 雀士など、所詮そんなもの。結局は自分本位で、自分のことしか考えない。何せ麻雀という競技は、他者の懐にある点棒を奪って一位を目指す競技な故に。

 麻雀そのものに繋がる弘世命は、雀士としての純度は凄まじく高い。どこまでも容赦なく、どこまでも冷血非道に徹することができる。

 今、ここで、手塩にかけて育て上げた部員たちを、一切の表情を変えることもなく鏖殺し尽くすだろう。命が頼み事をした時点で、そうする気配が見えていた。

 弘世命は『()』にしろ『()』にしろ、その本質に大きな違いは存在せず……やっぱり『修羅』なのだと納得させられた。

 そして命に連なる彼らもまた同様に……修羅道の悪鬼共だ。その気持ちも理解できないはずがない。

 

「行ってらっしゃいませ、部長」

 

 命を囲んだ511人は、車の通る道を開けた。

 どうせ言ってもきかない。止めようがない。だったら大人しく行かせた方が吉である。

 

「予選までには戻る。しっかり休養しておけよ」

「失礼ですが、どこまで?」

「東京」

 

 ────誰よりも()を待ってた人に、会わなくちゃいけないんだ。

 

 

 

 

 

 ────その時の記憶を、今も鮮明に覚えている。

 熱したアスファルトに横たわっていた自分を抱え上げ、全速力で走る彼の姿を。

 揺れる体、汗のにおいと湿り気、火照った体温、心臓の音……そして泣きそうなほどに必死な、彼の顔を──。

 ……こうしてまた、夢に出るほどに。

 

「あ……」

 

 園城寺怜は、目を覚ました。

 場所は自分の部屋……自分の能力の未来視の特訓のため、二巡先や三巡先を見る無茶をやっていたのだが……案の定倒れたようだった。

 この能力は、自分の負担が尋常ではない。だが、これを抜いた自分は三流雀士でしかない。であるのならば、無茶だろうと何だろうと、一芸を極めることしか頭にない。

 

「今、何時や……」

「午後七時だ。全く、遊びに来たらぶっ倒れてて心配したぞ」

「え」

 

 携帯を見て時間を知ろうとしたら、その独り言に返す声が。

 驚いて、声のした方に振り向くと見知った顔が。

 男神蘇芳が、この部屋にいた。自分の寝ているベッドで座り込んで、この部屋の漫画本を読みながら。

 まるでここが自分の部屋のようなくつろぎ様である。

 

「よう」

「……なんでここにいるん?」

「遊びに来たっていったじゃん」

 

 乙女の部屋に、無断侵入しているこの野郎。一体どうしてくれようかと処分に困る。

 いくら思い人とはいえ……いや、思い人だからこそ、自分の部屋に勝手に入られるのは腹が立つ。

 ここは一つ、我らが監督へと通報するのが適切と思い電話をかけようとするが……。

 

「あっ」

「雅枝にかけられると困る。ちょいと大会まで大阪から離れるつもりなんでな」

 

 携帯をひょいと取り上げられる。取り返そうと怜が手を伸ばそうとするが、身長が二メートルオーバーの蘇芳が高く伸ばした手に届くわけがない。

 それでもじたばたと足掻く怜は蘇芳に体重をかけ続けて──。

 

「お」

 

 蘇芳がベッドに倒れこみ、怜が押し倒した形になった。

 今、どういう姿勢でどうなっているのかを把握した怜が、真っ赤にした顔を隠すために彼の胸の中に埋まる。

 ──心臓の鼓動を聞いた。

 トクン、トクンと、あの時と全く変わらないリズムと音。

 憎たらしいほどに、何も変わっていない。体が大きくなっただけで、この暖かさもにおいも音も。何一つ、変わっちゃいない。

 

「元気、出たか?」

「……うん」

 

 元気が出た。力が漲る。蘇芳の有り余るエネルギーを、貰っている気分になる。

 未来視の特訓で無茶をした気だるさなど、簡単に吹っ飛んでしまった。

 心地いい。ずっと、こうしていたい。

 親友の竜華の膝枕と同じくらいに、蘇芳に触れるのは好きだ。心が安らぐ。

 そしてこんなにも近く、密着することはそうそうない。

 もっと、触れたい。もっと、近くにいたい。

 ────もっと、深く繋がりたい。

 大きい彼の体の上を這い、肩を掴み、頬に手を添える。

 彼の瞳に、自分だけを映す。吐息がかかる距離まで、顔を近づける。

 自然と、唇を落としていく。もう止められない。止まらない。

 

 

 

 

 

 ──カチャリ、と金属が擦れる音が鳴る。

 

 

 

 

 

「っ!」

「──わっ」

 

 唇が触れる寸前に、怜を押しのけて蘇芳は起き上がった。

 いつも首に掛けてある金のロケットを握りしめて……今までに見たことがないほどに、殺気だった表情をしていた。

 その殺意は怜に向けたものではなく、この場にいない誰かでもない。

 

「…………わかってる、…………忘れるもんか」

 

 小さく、小さく呟く言葉は怨嗟のように深く、悍ましく。言い聞かせている言葉は刃物のように鋭く。

 誰でもない、自分自身を自傷し続けているように、怜は見えた。

 

「…………悪い、怜。帰る」

「え、あ、ちょっと!?」

 

 取り上げた携帯を置いていき、ベッドから立ち上がって、蘇芳は部屋から出ていく。

 一人、部屋に取り残された怜は……ぼーっと寂しさに打ち拉がれる。

 火照った熱は冷めていき、やるせなさがこみ上げてくる。

 

「……もう、なんやねんそれ……」


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