バットマン:アイ・アム・バットマン・ウィー・アー・バットマン 作:一条和馬
「おはようございます。ブルース様」
ブルース・ウェインの1日は、執事であるアルフレッド・ペニーワースのモーニングコールから始まる。
「……おや?」
「やぁ、おはようアルフレッド。見てくれ、綺麗な朝日だ!」
大富豪ブルース・ウェインの朝は、早い。
「朝日なんて見るのは何十年ぶりかな……美しい。アメリカの、ゴッサムの夜明けだ」
「……ブルース様。実は折り入って話がございます」
「話?」
「えぇ。実は昔からずっと言おうとはしていたのですが、なにぶん機会に恵まれず……」
「……何か深刻そうだな。どうした?病気でも見つかったのか?」
「いえ、実は……」
「勿体ぶる必要はない。僕とアルフレッドの仲じゃないか!」
「……では、僭越ながらブルース様」
「なんだい?」
「そちらの窓は西側でございます」
「……そうか。うん、知ってたよ。ちょっとアルフレッドをからかってみただけさ」
訂正。
大富豪ブルース・ウェインの朝は、遅い。
「10年近くも朝日も夕日もご覧になっていないのですから、無理もございません。それはさておき、朝食のご用意が出来ております」
「……わかった」
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「アルフレッド。今日の予定は?」
「18時半からウェイン・テックの定例報告会。20時から俳優のドウェイン・ステイサム様と会食がございます」
「ありがとう」
『夕方の朝食』を終えたブルースが、日課のトレーニングを中断し、アルフレッドに笑みを見せる。わざわざ目を見て話すなんて、最近のブルース・ウェインにしては珍しい事だった。
「……ブルース様? 今日はやけに元気ですね? 何か良いことでも?」
「良いことなんて何もないさ。……ただ、久し振りに“あの夜”の夢を見たんだ」
そう言って遥か遠くを見つめるブルース。
彼の両親が路上で強盗に襲われ、目の前で殺されてから、既に20年。
「悪夢を振り切るための空元気ですか。私も悪夢をよく見るので、心中お察しします」
「そんな話初耳だぞ」
「えぇ。毎晩見るんですよ……ブルース・ウェイン様がコウモリの衣装を身に纏って夜のゴッサムに消えていくという悪夢を、かれこれ10年毎日見ております」
ブルースが悪を滅ぼす『戦士』として立ち上がってから、既に10年。
ゴッサムの人々は彼の事を尊敬や畏怖を込めて『バットマン』と呼んでいた。
「悪いなアルフレッド。それは現実だ」
「えぇ。悪夢の方がまだマシです」
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「今日はバットシグナルはなしか……」
『パトカーの無線も大人しいですな。こんな日があるとは……』
時刻は日本で言う所の、草木も眠る丑三つ時。
ゴッサムで一番高いビル、ウェイン・テック本社ビルの屋上からバットマンは『夜も眠れない街』を眺めていた。
が、今日はやけに平穏だった。
まるで本当に、静かに眠っているかのようである。
「何かが水面下で動いている可能性がある。アルフレッド、ジョーカーの行方は分かるか?」
『先週アーカム・アサイラムに収監されてから大人しくています』
「そう言えばそうだった。じゃあ、トゥーフェイスは?」
『4日前にブルース様がゴッサム市警に送り届けたでしょう』
「スケアクロウは?」
『3日前に毒ガスの逆流に飲み込まれアーカムで静養中です』
「リドラーは?」
『ブラック・ゲートで屈強な看守と仲良くしております』
「アイビーは?」
『2週間前に森林浴に行くとゴッサム郊外へ』
「フリーズ」
『奥さまとご一緒に南極へ旅行に』
「ベインは?」
『昨日病院に送られたので、まだ手術室の中の筈ですが?』
「……誰もいないな」
ゴッサムの静かな街を見渡す。
待ち望んだ、平和な夜。
その筈なのに、ブルースは胸騒ぎがしていた。
嫌な予感、というものではない。
今の彼にはその正体は分からなかった。
『そういう日もあるのでしょう。ブルース様も今日はお休みになられては?』
「しかし……」
『10年の節目にやっと街に平穏が戻ったのです。1日くらい休んでも誰もお咎めしないでしょう』
「そうか?」
『そうです』
「そうか……いや待て。大型トラックが一台裏路地を通っている。こんな時間に妙だな……」
『ブルース様?』
大通りが込み合っているという訳でもないのに、道幅がギリギリの所を通る一台のトラックを発見したバットマンは嬉々としてマスクに内蔵したスコープでトラックの追跡を始めた。
「あの方角は……アイスバーグ・ラウンジか。アルフレッド、ペンギンはどうだったか?」
『オズワルド・コブルポットなら、アイスバーグ・ラウンジに来ていたパーティー客を帰した後かと』
「ならあの荷物は怪しいな。追跡する」
『ちょっと! ブルース様!?』
一人の男がビルから飛んだ。
普通の人間なら、それはただの自殺行為だろう。
だがバットマンは、飛べるのだ。
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「おい」
「うわああぁぁバットマン!?」
トラックの積み荷を降ろしていたチンピラの一人に声を掛けたバットマンは、そのまま彼を組み伏せ、頭を地面に叩きつけた。
「貴様、ペンギンの手下だな? このトラックには何が積んである?」
「ピザとコーラだよ!」
「目的は何だ?」
「ホームパーティーだよ悪いか!?」
「信用ならんな。嘘をついても良い事はないぞ」
『ブルース様。積み荷のスキャンを完了しました。……ピザとコーラです』
「こんな時間に開いている働き者のピザ屋はゴッサムにはない。ペンギンに直接問い質す」
いつも通りチンピラの背中に肘打ちを一発入れて気絶させたバットマンは、黒いマントをなびかせながらアイスバーグ・ラウンジの入り口を目指した。
彼の言う『入り口』とは、世間一般には『天井』や『通気口』と呼ばれるモノである。
彼専用の入り口で入り、彼専用の通路で進み、そして彼専用のドアから直接ペンギン……オズワルド・コブルポットの前に現れた。
「なんだ、バットマンだと!?」
「コブルポット! 何を企んでいるんだ!!」
「企む? 企むだって? パーティーを無事成功させてくれたスタッフにピザとコーラを振る舞う事がか!?」
「中身も怪しい。危険なものでは無いだろうな?」
「あぁ危険さ。疲れた身体にアツアツのチーズをトッピングしたピザに、キンキンに冷えたコーラ!! この組み合わせがドラッグより危険なのはアメリカ人のDNAに刻まれているとばかり思っていたがな!!」
「……」
コブルポットの言葉に、バットマンは閉口する。
彼はゴッサムの大富豪のブルースだが、同時にアメリカ人でもある為にジャンク・フードがいかに危険で魅力的なのかも充分に理解出来てしまったのだ。
「なぁ、バットマン。あんまりプライベートの話に突っ込んでやるつもりはないが、お前にだって家族や友人の1人くらいはいるだろう? 信頼出来る友と肩を並べてメシを食う事が、そんなに悪いか? ん?」
「……それは、悪かった」
バットマンにはアルフレッドという家族がいて、ジム・ゴードンという友人もいた。
だが彼らとは共に戦ってはいても、共にパーティーをする様な仲では無かった。
そこを突かれたバットマンは閉口し、素直に謝罪の言葉を述べる。
悪事をしていない悪党を裁く事は出来ないのだ。
「分かれば良いんだ、分かれば! 所でバットマン。折角来たんだ。お前もパーティーに参加していきなよ。生憎ピザとコーラは人数分しか予約してないからやれねぇが……鉛弾ならたっぷりあるぜ!! 遠慮せずたらふく喰らっていきな!!」
ペンギンの一声で、ピザやコーラを手に持っていた彼の部下達が一斉にバットマンに銃器を向けた。
ここは武器商人ペンギンの巣。銃火器が転がっているのは日常茶飯事である。
「そうか……そうくると思っていた!!」
バットマンの一声で、アイスバーグ・ラウンジの照明が落ちる。
「で、電気が!?」
「ボス!」
「構うな! 撃て! 撃ちまくれ!!」
闇に紛れたとて、バットマンは所詮コウモリのコスプレをした生身の人間である。
銃弾に貫かれてはひとたまりもない。
だが、バットマンにとって『暗闇』は銃火器以上に頼もしい彼の武器だった。
「ぐわっ!」
後ろから殴り飛ばし、一人。
「ぎゃっ!!」
上から吊るして落とし、更に一人。
「おのれバットマン! 今日の俺が何したってんだ畜生!!」
ペンギンの悲鳴が響く中、一人、また一人と部下達の声がしなくなり。
そしてまた、ゴッサムは静かになった。
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「……アルフレッド」
『はい、ブルース様』
「今日はもう、帰るよ……」
『そうなさって下さい。御夕食は?』
「……ピザと、コーラ。身体に悪そうなのを」
『そんな日も必要でしょうね。デリバリーしましょう』