少女のつくり方 〜艦隊これくしょん〜 作:山田太郎
ふぅ。春雨の背中と霞のお腹でご飯食べたい。
「なんなのよ、無茶苦茶だわ!」
そこは、深海棲艦の残骸がそこらかしこに散乱する悪夢のような海だった。
「Oh! これを一人でやったのデスカ」
この海は全てがおかしい。
タフな救出作戦になるものと思っていたが、これは想定外だ。
「暁、反応ある?」
「20度の方向、もうちょっと先ね」
この先に待ち受けているものは、果たして奇貨となるのか。それとも悪貨であるのか。
そこに近づく毎に、空気が澱み沈んでいくような感覚。
覚えがある。これはろくでもないことが起きるときの戦場の空気だ。
空は変わらず晴天で、海も穏やか。にも関わらず、少しも不安感が消え去ってくれない。
ねっとりと絡みつく風にさえ体力が奪われていくようだ。
「──────ッ!」
体が震えた。
突如として戦場に響いたのは獣の咆哮。
視界に捉えたのは海面を駆ける獣。
「なによ、アレ。あんなの危なくて近づけないわよ」
「アレは、本当に艦娘なのかい?」
一早く気が付いたのは暁。そして、響の疑問はここにいる全員の気持ちを代弁しているかのようだった。
重巡リ級の首を片手で持ち上げながら咆哮するソレは、駆逐艦では、艦娘ではなかった。
「金剛、近くの海面に砲撃。水柱と同時に割って入るわよ」
それでも、霞の判断は早い。
異常な光景ではあったが、今しなければいけないのは救出だ。敵艦隊を無力化して夕立を連れ帰るのだけが目的。
「阿武隈は暁、響とともに突入後魚雷戦で残敵を仕留めて」
「アレに加わるのかい? 正気の沙汰とは思えないね」
いつもと変わらぬ冷めた物言いだが、そう言った響の額に汗が滲んでいる。
ひしひしと、空気を通じて伝わるのだ。この海域を統べる暴力と恐怖が。
「対象がどういう行動を取るのか分からないわ、最悪の場合アレとやり合って身柄を拘束。命を絶つ最期の一撃以外の全ての行動を許可、沈められず沈めず、この場を治めるわよ」
「無理な作戦は嫌だわ」
「それ、暁ちゃんのセリフじゃないですぅ」
暁のセリフに阿武隈が突っ込む。
彼女たちは知っているのだ。笑顔の消えた戦場に勝利はないのだと。
何が起こるか分からない、そんなことは戦場では当たり前だ。
雨が降るのか、それとも血の雨が降るのか。その程度の違い。
彼女たちは知っている。
彼女たちは、遙かな過去にそれを体験してきたのだから。
だから、彼女はこう言うのだ。
「無理でも無茶でもやるんだってば、これはアイツの望みなんだから」
静かに霞が口にした一言。
それを聞いて、みな一様に作戦時の顔に切り替わる。
「さて、やりますか」
作戦は順調に進んでいた。
撹乱する必要もないほど敵は浮き足立っている。そこへ突入する阿武隈たち。
問題になると思われた、この海を駆る獣とも共闘できている。
霞と背を預け合い、協力するような態勢で敵の残存艦を迎え撃つ。ぶっつけにしては連携もうまくいっているように感じるが、うなじの辺りがチリチリする。
まるで得体の知れないモノに命を預けているようだ。
「嫌な予感しかしないわね、司令座乗艦の春雨呼び出して。ワタシたちの手に余るかもしれないわ」
海上で対峙していた深海棲艦が、徐々にその数を減らしていく。その半数を夕立一人で沈めていたのだから、その特異性は驚愕に値するだろう。
そして、その最後に残った深海棲艦を、乱れ動く友軍の隙間を通すようにして阿武隈が砲撃で沈める。狙いすまされた文句なしのクリティカルだ。
深海棲艦の姿が海に沈んだその直後だった。突如矛先を変えた夕立が霞に摑みかかるのをギリギリの間合いでかわす。
「なによ! 本能で動いてるとでも言う気?」
動くものに手を伸ばしただけ、それはまるで反射だ。
その血のような赤に染まった瞳に向き合うと足が竦む。接近し過ぎると危険だと経験が警鐘を鳴らす。
「アンタたち、こっち近づかないでよね」
霞自身もバックステップで三歩分ほど距離を取る。この距離が死線、夕立の僅かな挙動に自分が反応できる距離。
春雨に声を掛けてもらうことで正気に戻ればいいが、そうでなければ、少しやっかいな方法でこの場を治めなければならない。
何度か襲撃の気配はあったが、距離を保ちながら同航し時間を稼ぐ。霞の技術と、なにより胆力がなければ不可能な綱渡りのような芸当だ。
「ワタシが分からない!? 助けにきたのよ!」
赤い瞳が爛々と輝いたかと思うと、獣の咆哮を上げた夕立が海面を蹴り、わずか一歩で距離を詰められた。それはほんの一瞬、まさに瞬きの間の出来事。気付いたときには猛禽類のような指が目前に迫っていた。
咄嗟にスウェイバックし、首を引くことでその禍々しい指先を避けるが、引っ掛けられた制服の一部が引き裂かれて空へと舞い上がった。
霞の反射速度と動体視力がなければ一撃で致命傷を負うところだ。アレに捕まれば皮膚の一枚や二枚では済まなかっただろう。
しかし、夕立の獣の如き本能はそれを許しはしない。さらにそこから一歩を踏み込んだ夕立が深々と霞の間合いに押し入り、凄まじい速度で放たれるのは純粋な暴力。
かわしきれない。どこか冷静に、自らの命を刈り取る鎌のような指を視界に収めながら思った。
鈍い金属音が響く。
霞の前に滑り込むように割り入った金剛。その砲塔に爪を喰い込ませて、それでもがむしゃらに前へと押し進む夕立を見て思う。これは獣なんて生易しいものじゃない、バケモノだ。
皮膚どころではない、あんなものに首を掴まれれば、そのまま捥ぎ取られてしまうだろう。
「カスミが判断ミスなんて珍しいネ」
いつも通りの落ち着いた台詞だが、金剛の表情は強張っており、片時も視線を夕立から外さないでいる。
指を喰い込ませた艤装を力業で弾き、がら空きとなった金剛の胸目掛けて再び腕を振るう夕立だったが、金剛はそれをすぐさま抱きつくようにして無理やり動きを封じた。
「これでも戦艦デス、ワタシは食らいついたら離さないワ」
「ガアアアァァァァ!」
「sit!」
金剛の肩口から鮮血が吹き出す。捕らわれた夕立は本能のままに、捕らわれた状態でも使える武器を
原初の武器とも言える噛みつき。強靭な
艦娘の戦闘なんてものじゃない。これではまるで生物の食物連鎖だ。
あまりの状況に、阿武隈たちもどう援護していいのか分からず手を出しかねていた。
直後、ゴンっという衝撃と共に夕立の首が落ちた。
霞の渾身の力を込めた右ストレートが夕立のこめかみを貫き、その一閃でケダモノの意識を刈り獲ったのだ。
ガッチリと金剛がホールドしているところへ衝撃を逃がさない極大のインパクト。夕立の頭は金剛の肩にしっかりと噛み付いていたので、その破壊力を逃げ場なく側頭部で受けることになった。
「今、マズイ音がしました」
肩口を抑えながら片手で夕立を支えた金剛が、グッタリと意識をなくした夕立の側頭部を確認する。
「ついてるでしょ、それに息もあるんじゃない?」
「粉砕されたかと心配シマシタが、大丈夫そうですネ」
「砕くつもりで殴ったんだけど、えらく堅い頭ね。こっちのほうが痛いわよ」
「噛み付いたままの頭を横から殴るのはやめてほしかったデス」
見れば金剛の肩に付いた噛み痕は横に大きく抉れ、内面の肉を外気に晒していた。
傷口を見るに、殴られた勢いのまま首元にスライドしたようだ。
「アナタの首もついたままのようで良かったわ」
「夕立姉さん!」
「落ち着いて、気を失っているだけですー」
阿武隈に背負われた夕立を連れ、一応は無事に司令官の艦に戻ってこられた。
二人とも助けられて本当に良かった。
「金剛と霞が負傷してる。先に処置を」
響がそう報告した。
救護対象の夕立は完全に気を失っている。金剛の首元には派手な鮮血が飛び散っており、出血は今も続いている。霞のほうは一見無事そうだが、お腹から首元まで引きちぎられたかのように制服が破られ、まるで肩から羽織りものをしているようだ。
「とにかく基地に戻るぞ、ボイラーいっぱいまで回せ」
指示だけ出して、金剛に肩を貸そうとしたが出血だけだから大丈夫だと言われた。
心配そうに見送っていると、その場に残った霞から声を掛けられる。
「ちょっといい?」
「普通じゃなかったわ」
少し離れたところまで連れてこられると、背をもたれさせた霞が開口一番にそう言った。
「駆逐艦が一人で相手にできる数じゃなかったし、海上であんな接近戦してるのも初めて見たわよ」
数時間のこととはいえ、酷い戦いだったのだろう。憔悴している霞を見ただけでそれは分かる。
「目覚めるのを待つしかないけど、場合によっては拘束隔離する必要もあるわ」
「基地に戻れば時雨もいることだし、相談してからでもいいだろう?」
拘束隔離。霞にそこまで言わせる何かが現場ではあったのだろうが、彼女は敵ではなく救護対象だ。
「せっかく拾った芽だ、余計な不信感は抱かせたくない」
ここには春雨もいるのだ。対応は慎重に行いたいと思う。
「アナタの判断は分かる。分かるけど、お願いだから」
提督の目を真っ直ぐに見据える霞のそれは憂慮。心配を隠すつもりもない。そんな顔で見つめられた。
「帰投して時雨が同席する場まで、アナタは近づかないで」
言うとおりにしよう。
霞を不安にさせる行動を取るつもりはないし、同じように、彼女の心配を無碍にするなんて選択肢は存在しないのだから。
まずは、無事に帰ってきてくれたことへの感謝だ。
霞を引き寄せて優しく包み込むように抱く。嫌がられるかなとちょっと思ったが、背中に腕を回してくれた。
「お帰り。無事で良かった」
「うん」
たまに顔を出す素直でかわいいバージョンの霞だった。つい嬉しくて笑ってしまう。
「なによ」
「いや、でもとりあえず着替えないとな」
中身に傷が付いていないことに安堵しつつ、セクシーすぎる姿の霞を見る。上はもうこれでもかと豪快にはだけている感じ。
制服だったものに指を掛け、ちょっと開いて言ってみる。
「もう少しで見えちゃいそうだ」
少し身を引いて、それからニッコリ笑った霞の顔を最後に、それ以後の記憶はない。
いつかの執務室。
提督は散歩中なのかまたぞろ不在だった。
時雨と霞が書類の受け渡しや伝達事項を伝え合っていたときに、ふと時雨が言った。
「そう言えば、夕立が霞のことを怖い怖いって言うんだけど、なにか心当たりでもあるかい?」
「まさか覚えてるんじゃないでしょうね」
眉をしかめて霞が返答する。これは、心当たりがあるんだろうなと時雨は思った。
「あの子が前後不覚になって暴走してたって話したでしょ」
「本当に迷惑を掛けたね、金剛さんが取り押さえてくれたって聞いてるけど」
「本当に迷惑だったわよ、危うく首を捥がれるところだったからね」
口ではそう言っているが、霞は仲間を責めたりしない。彼女は時に難しい言語を使うが、これは気に病む必要はないと言っているのだろう。
で、あらば。その心遣いはありがたく受け取っておかねばバチが当たる。
「霞の首がついていて僕も嬉しいよ」
「取り押さえたのは金剛だけど、それでも暴れに暴れて肩に噛み付いたのよ」
「うん、酷い怪我だった。金剛さんは気にしないでいいって言ってくれたんだけど」
「場合が場合だったからね、それでいいと思うわよ」
「それで?」
「……場合が場合だったからね」
言い訳のように視線を合わさないまま、霞が素っ気なさを装って言った。
「金剛の肩に噛み付いてたあの子のテンプルに思いっきりの一発を叩きつけてやったわ」
一瞬書いていたペンが止まる。
そして恐るおそる霞に尋ねてみる。
「全力で?」
「全力で。頭蓋を叩き割ってやろうかと思ったくらいよ」
霞が全力と言うのだ。
本当に本当。渾身のフルパワーを側頭部目掛けて振り抜いたのだろう。
「……夕立の頭がついていて僕は嬉しいよ」
「もしかして、帰ってからしばらく霞が休みをもらってたのって」
「拳が割れてたから仕事になんなかったのよ」
ぶっきら棒に、霞がそう言い放った。
自分のことかのように身が震える。
僕の首だったら、保たなかったんじゃなかろうか……。ともあれ。
「夕立が君を怖がる原因はソレだね」
あれれ〜。夕立と春雨を見捨てる判断をした元の艦隊の司令の話が入りきらなかったぞ?
いずれそのうちどこかに挿入しよう。
とりあえず、件の司令はパレンバンに設営された基地に着任している。