風をきりながら地を駆ける。
周囲の光景が次々と後ろへ消えてゆき、体に触れた葉の音さえも置き去りにする。
それでも行く道の先から聞こえる悲鳴が、私の気をはやらせる。
もっと、もっとだ。
もっと己の足に元気を送り込め。
私の命を救ってくれた人の願い。この先から感じる悲痛な願い。
本当のお母さんが泣き叫ぶ声。
すべてが失いたくないと思う、大切な人の想いだ。
禰豆子は心の中で叫び、伝える。
大丈夫、あの時もお兄ちゃんは聞き入れてくれた。
だからもう一度、思いっきり禰豆子は叫ぶ。
お兄ちゃん、避けて――と。
狭霧山で会得した「先の極地」。
それはこれまでの旅時の中で、そして己の心に住む「もう一人の私」の助力を得て、ついには究極の壱へと昇華していた。
両手に握る二本の小太刀を逆手に握り、その一瞬のみに全てをかけ、両の刃を交差する。
鬼の呼吸:壱ノ型、――
最近仲良くなった、変な被り物の人から真似た型なのは私達だけの秘密だ。
あの勢いならお空の向こうまで飛んでくと思ったのに。意外やいがい、どこかで見たことがあるようなお兄さんは後ろに下がりながらも、その場に留まっていた。
けど、怖いなんて気持ちはこれっぽっちもない。
なぜか分からないけど目覚めた私は絶好調。今ならどんな鬼が相手でも負ける気がしないのだ。それにお兄ちゃんと一緒に戦うのも久しぶりで気分がこーよーしている。
「…………っ、うー!!」
振り返れば、久しぶりに見るお兄ちゃんの姿がある。我慢できなかった私は、返す身体でその大好きな胸に飛び込んだ。ちょっと勢いが過ぎたのか、そのまま地面に倒れ込んでしまう。
「ちょっ、禰豆子!?」
「……うー。(ごろごろ)」
まるで飼い猫が主人に臭いを
「……ごめんな。寂しい想いをさせて」
「うっ!」
お兄ちゃんの謝罪に、まったくだと言わんばかりに私は声を張りあげる。
日にちにすれば、わずか二日少々といったところではある。けど旅を始めてこの方、これだけお互いの顔を見ないなんてことはなかったのだ。しばらくはこの臭いを堪能する権利が私にはある。
けど、そうもゆったりはしていられないみたい。
さっき私が吹き飛ばした男が、まるで何かに引っ張られるかのように身体を持ち上げた。何あれ、お人形さんかな?
「あの男は、……竹雄・茂・花子・六太の仇だ。だが俺達の命を救ってくれた恩人でもある。だから、今は助ける。――いいか?」
おぼろげながらに思い浮かぶ昔の光景。
けど、今の私はお兄ちゃんさえ居ればいい。なら、私は三人で。うううん、あそこに居るお母さんと四人で、笑いあう明日を目指すだけだ。
「う――……? うっ!」
その言葉は良く分からなかったけど、とりあえず声を張り上げて答える。今は目の前に居る敵をなんとかしないと!
「……ありがとう、禰豆子。行くぞっ!!」
「う――――っ!!」
兄妹二人、肩を並べて天高々と日輪刀を持ち上げる。私達兄妹の絆は、こんなところで終わるほど柔じゃないのだぁっ!!!
◇
「うおおおおおおおお――――っ!!」
「ううううううううう――――っ!!」
周囲の山火事が勢いを取り戻す。それはまるで、竈門兄妹の闘気に呼応するかのようだった。
パチパチと木々が燃え盛る音に混じりながらも、四本の日輪刀が衝突音を
前衛を禰豆子が、自慢の足をもって義勇をかく乱する。そして後ろの炭治郎が隙をみつけ、気熱の呼吸:弐ノ型 天雷刀をもって襲い掛かる。気熱の呼吸:壱ノ型と弐ノ型の型にほぼ違いはない。ただ留め置くか、放つか、だ。義勇が致命的な隙を見せたその時、炭治郎は最後の一撃を放つ。
一方の義勇は、累の血気術である操糸術によって強化された身体能力をもっての力技だ。自らの意志もなく、ただ累に操られた葵枝によって動かされる人形と成り果てている。頼みの綱は鍛え上げたその肉体だけである。
こうして並べれば、圧倒的に竈門兄妹が有利にも見えた。
だが状況は基本的に先ほどと変わってはいない。母:
「…………」
あいも変わらず、無言の無表情で。義勇は竈門兄妹の日輪刀を片腕で受け、いなし、隙あらば反撃を繰り出してくる。
義勇の操り手が代わったのだ。これまでの余興は終わりとばかりに、直々に累が指を動かしていた。
十二鬼月の血気術は、たとえ呼吸を封じられた義勇であったとしても十分に脅威である。
もともと人間は、自らの身体を破壊しないように五割の力しか出せていないといわれている。鬼となった者は、その特色となる再生力をもって十割の力を引き出すからこそ、驚異的な戦闘能力を発揮するのだ。
累の血気術は、自らの糸をもって十割以上の力を強制的に引き出す。それこそ操る媒体が人間なら、この場で死んでも構わないというぐらいに。
義勇は鬼化していない。人間の身体のまま、累に酷使され続けているのだ。
「「炭治郎(君)っ、禰豆子(ちゃん)!」」
「……雑魚が。一匹から二匹に増えたところで、何も変わらないんだよ」
葵枝と久遠の悲鳴が重なり、同時に累の
局所を論じず、全体を見るなら竈門兄妹の立場は絶体絶命と言ってもよかった。
「禰豆子、後ろに下がれ。……俺が必ず、好機を作り出してみせる」
「……う」
それまで後衛を務めていた炭治郎が交代して前へ出る。
もはや殺さずに義勇を助けることなど不可能に思えた。だが一つだけ、奇跡のような打開策がある。
他でもない、禰豆子が編み出した「藤の呼吸」だ。
二日前、伊之助が兄鬼による奇襲によって受けた蜘蛛毒を浄化したように、もしかすると義勇の身体に張り巡らされた操糸術も消し去ることができるかもしれない。それは確信に近い予想だった。血の繋がった兄妹独特の感覚共有が、未来の真実を教えてくれているのだ。
前衛として牽制していた時にも、禰豆子の小太刀二刀は確実に義勇の肌に届いている。だがそんな掠り傷では、藤の力が全身に行き渡るわけもない。兄鬼の毒と十二鬼月である累の血気術とでは解毒の難度が桁違いなのだ。
(……決定的な一撃が必要なんだ。鬼となっていない義勇に対して、致命傷を与えずに禰豆子が藤の力を全身に巡らせられる。……決定的な隙が)
そんな都合の良い箇所があるのだろうか。
日輪刀を構えながら、炭治郎はひたすら考え続けていた。義勇の全身に藤の力を巡らせるには血液を勢いよくながす動脈が最適だ。だが同時に動脈とは人体における急所でもある。義勇が自由を取り戻したとて死んでしまっては意味がない。それではお礼の言葉も文句の言葉も伝えられないではないか。
「……冨岡義勇、これからアンタを累の呪縛から助け出す。……だから、死ぬんじゃないぞ」
「………………」
決して、後ろの累に聞こえない声で炭治郎は声をかける。
返事はない。
だが義勇の首がわずかにではあるが、縦に振られたような気がした。
最終局面を迎えた戦場に、ひたすら日輪刀をぶつけ合う音が鳴り続ける。
冨岡義勇は極限にまで引き出された肉体を用いて。炭治郎は防戦一方となりつつも水の呼吸における回避の型を駆使して。ただひたすら、戦い続ける。
時間にすれば数分。だが炭治郎にとっては、無限に近いほどの長い時を感じていた。
累が操る以上、冨岡義勇に手加減の二文字はない。ないはずなのだ。
しかして炭治郎が己の隙を理解し、死を覚悟するたびに、なぜか水の呼吸による回避が間に合ってしまう。炭治郎は理解した。例え足のつま先から頭のてっぺんまで累に支配されていても、水柱である冨岡義勇は必死に鬼と戦っているのだと。
長期化する戦い。
それは炭治郎が疲労する以上に、義勇の肉体が崩壊に近づいていることを意味する。己の意志がなくとも荒い呼吸を繰り返し、無茶な全力行動の代償とばかりに全身の筋肉が赤く腫れ上がる。
このままでは仮に救い出せたとしても、全身疲労で命を落としてしまう。そんな危惧の想いが炭治郎を逸らせていた。
「何か、手はないのか。何かっ」
「……何やってんだよ、それでも鬼殺隊の柱なのかよっ!」
二人の声が重なった。
炭治郎が苦渋の声を漏らすと同時に、子供が癇癪を起こしたような声もまた義勇の背中に浴びせられたのだ。この現状に業を煮やしていたのはむしろ、炭治郎ではなく義勇を操る累であった。
相手は鬼殺隊に入りたての新米兄妹。更に水柱を人形にし、人質は二人も居る。累にとってこの戦いは、もうすでに終焉を迎えていなければならないはずだった。
だったのに――。
なぜこんなにも、自分は手こずっているのか。カナエの頭部を喰らい、下弦の壱となった自分がこの程度の子供に苦戦するはずがない。
「ない、はずなんだっ!!」
心の苛立ちが声となって累の口からも飛び出す。
累は正真正銘、無惨が認めた十二鬼月だ。その血気術も、実力も異論を挟む余地はない。だがその性格はまだまだ、身の丈に相応しい子供そのものであった。
累が用いた策は童磨に与えられた義勇や葵枝の身体を操り、人質として戦わせていたことのみ。久遠を捕らえたのも、同じ策の延長線上にすぎない。
まだまだ経験が、場数が。竈門兄妹と同様、致命的に足りていない。
だからこそ焦り、悪手に悪手を重ねるのもまた、子供ゆえに仕方のないことなのかもしれない。
「久遠姉さん。姉さんなら弟である僕のお願いも聞いてくれるよね。……さっさとあの兄妹を殺してきてよっ!」
ギロリと狂気に満ちた下弦の瞳が、自らを抱き締めさせている姉鬼へと突きつけられた。
更なる人質兼、戦力である久遠の投入。
これこそが竈門兄妹にとって、状況を打開する光明の灯火となる。
その未来を累は知らない。知るはずもなかったのだ。
最後までお読み頂きありがとうございました。
活動報告でもお伝えしましたとおり、この第七章は全18話構成としてお届け致します。
これからは最終章となる第八章のプロット製作に時間を使っていきます。
おそらくはまたしばらくお時間を頂くことになるかと思いますが、よろしくお願い致します。