どうぞゆっくりと時間の取れる時にお読み下さい。
「そんな……御館様が……、血気術を使っている?」
漆黒の鬼殺隊本部に、呆然としたしのぶの声だけが響いている。そして、その対面ではカナエが怒り狂う炭治郎に声をかけていた。
「気持ちは十二分に理解できるけど、無理矢理にでも心を静めなさい。過ぎた怒りは冷静な判断を阻害するわ。炭治郎君はこの場を私に預けて、禰豆子ちゃんを連れ久遠ちゃんのもとに向かうのよ」
「カナエさん……、でもっ!」
「いくら鬼とはいえ、不死ではないわ。今の貴方が一番すべきことは大切な人を救い出すこと。けっしてこの場に居る者への意趣返しではない、……分かるわね?」
沸騰した炭治郎の意識にカナエが冷や水を浴びせかけた。
ここは鬼殺隊本部、今となっては敵地のど真ん中だ。怒りのままに行動してはあっという間に窮地へ追い込まれる。竈門兄妹が成すべきは、今も苦しみに耐えているであろう久遠を一刻も早く救い出すことなのだ。
「……はい」
「うん、良いお返事ね。さあ、行きなさい。お姫様が炭治郎君の助けを待っているわよ」
初めてきちんと名を呼ばれた気がする。そんなどうでもいい感想を抱きながら短く答えると、カナエは少しだけニコリと笑って前へ進みでた。
竈門兄妹は地を蹴り、耀哉や二人の柱の横を通り抜け、廊下の奥から漂う懐かしい臭いへ向けて一目散に走り出す。二人の柱はそれを妨害するどころか視線さえも移さず、ただ正面に対峙したカナエを警戒していた。
二人とも自覚しているのだ。この鬼殺隊本部で、たとえどれだけの犠牲が生まれようとも守らねばならぬ人物が此処に居ることを。あの兄妹が向かった先には産屋敷あまねが居る。もちろん、奥方も柱にとって守らねばならぬ存在であることは間違いない。だがしかし産屋敷輝利哉という跡取りが成長しつつある今、残酷ではあるが産屋敷あまねの役目は終わっている。
更にいえば、
そうなれば風柱にとって第一に守らねばならぬ存在は産屋敷耀哉であり、第二に守らねばならぬは産屋敷あまねではなく、この先の展望に光を照らす胡蝶しのぶなのだ。
竈門兄妹が廊下の奥へと消え、
それまでの常闇にそぐわぬ騒音も消え去り、今はこの時間帯に相応しい静寂が支配している。そんな中、いち早くカナエの言葉を理解したしのぶだけが、舌の上で転がすようにその意味を噛み締めていた。
血気術とはそもそも、鬼舞辻 無惨の血を色濃く受けた鬼のみが使える異能の力である。そんな事を今更言われるまでもないし、柱ほどの手練れならば目の前の人物が鬼か人間かなどという判別を間違えるはずもない。何よりも自分達の敬愛する御館様から鬼の気配など感じるはずもないのだ。
「胡蝶、裏切り者の言葉になんぞ耳を貸すんじゃねえ。……何だと? よりにもよって御館様が血気術を使っているだと? 元花柱さんよ、いったい御館様のどこから鬼の気配が漂っている? 未熟な俺に教えてくれよ、なぁっ!!」
鬼のような瞳をまん丸に見開いた風柱は、自らの敬愛する主君の侮辱に身体を震わせていた。今すぐカナエに飛び掛りそうなほどの形相を浮かべながらも、唸るように問いかける。
「だから産屋敷耀哉殿は人の身だって言ってるでしょう? しのぶちゃんには聞くなって言っておいて、みーちゃんは問いかけてくるの? まあ、いいわ。産屋敷殿、ここに居る皆に説明しても?」
カナエの耀哉に対する一人称が、もはや「御館様」ではなくなっている。その事実だけでもカナエが鬼殺隊ではない、どこか別の組織に属している事実を示していた。
「……二人にどころか、私にも説明してほしいね。いつ、どこで私が血気術を使ったと言うのかな?」
「いつ、どこって……。今さっき、ここで炭治郎君に使っていた洗脳術ですよ。もしかして自覚がおありでない?」
「私はただ、自らの言葉をもって炭治郎を説得しただけだが……」
今度はカナエが驚く番だった。一瞬これも演技かと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「……ああ、そういうこと。どうりで千年もの間、同じ失敗を繰り返してきたわけね。……お気の毒に……」
だがその驚きも一瞬のこと、逆に納得したとばかりにカナエはうなずき、続けて語り始めた。
「産屋敷耀哉殿、貴方は――いえ、この場合は代々の当主達はと表現するべきでしょうか。九十七代続く産屋敷家の当主達は自身の人格と威厳だけをもって鬼殺隊を率いてきた――というのは残念ながら間違いです。今代も含め、全ての代の当主達は『血気術による洗脳術』をもって隊士を操り、鬼を狩ってきたのですよ」
斬新な仮説だった。当然、耀哉や柱達が受け入れられるものでもない。
「しかし私は実弥の言う通り自身が鬼ではないと確信している。鬼殺の呼吸ならともかく、なぜ血気術を使っていると?」
「そもそもの前提が間違っているのです。産屋敷耀哉殿は正真正銘の人間ですから間違いはそこじゃあ、ありません。
鬼ではないから血気術を使っていない、ではなく。そもそも血気術とは無惨の、鬼だけの専売特許ではないのです。
それでは誰の専売特許かと言えば――」
ここまで語れば、誰であろうともこの先は察せられる。
血気術とは文字通り、自らの血肉を犠牲にして超常たる現象を発現させるものだ。本来、人では扱いきれぬ邪法であるこの
鬼だけにしか使えないのではない。危険すぎて、鬼しか使わなかっただけなのだ。
だがそれでも鬼に対する憎悪をたぎらせ、この邪法を今に伝える一族がいた。
それが――。
「平安の世から大正の世まで、血気術は本来一つであった道を二通りに分けて辿りました。
一つは皆様がご存知の通り、鬼舞辻 無惨からなる鬼達の系譜。そしてもう一つは産屋敷家の秘伝として、代々の当主が受け継いだ系譜。
鬼ならばともかく、産屋敷家の系譜はよく繋がったものです。おそらくは余人の半分も生きられなかったでしょうに」
「……歴代の当主が、三十年も生きられぬ身であることは隊士の皆とて承知している」
カナエの問いに、耀哉は躊躇いながらも答えた。だがその答えだけでは不十分だ。
「それは単なる結果にすぎません。重要なのはその理由、なぜ三十年しか生きられないのか? です」
「…………」
「言えませんか? ならば代わりに私がお答えしましょう。代々の産屋敷家の当主が短命なのは、決して呪いなどではありません。『ゆらぎの声』と称される血気術を隊士達に使い、洗脳し続けた結果。……自身の血肉を使い果たし、道半ばで力尽きているのです。すべては一族から鬼舞辻 無惨という鬼を生み出してしまったという責任を取り続け、戦い続けるために」
元花柱:胡蝶カナエの独演は終わりを告げた。
これだけの内情を一体、この人はどこから得たのか。二人の柱はカナエへの怒りも忘れ、話に聞き入ってしまっていた。
風柱は無言でカナエを睨みつけ、蟲柱は両手で口を覆いながらも震え、瞳を見開いている。嘘だと、適当な虚言で鬼殺隊の結束を乱すなと本当なら怒鳴りつけたいのだろう。だがまっさきに否定すべき御館様が沈黙を守っていることが、何よりカナエの言が真実であると認めていた。
「私が、知らず知らずのうちに子供達を洗脳していた……?」
「……残念ながら。そうでなければ千年のもの長い時を一つの戦いで
カナエの言葉には暗に「華族としての立場を利用し、戦費さえも洗脳術を用いて捻出したのだろう」という意味がこめられている。隊士達はこれまで、その点について何の疑問も抱かなかった。
集団が動くかぎり、那田蜘蛛山での討伐隊本部に運び込まれたような沢山の物資が必要になる。鋼鐵塚が打った炭治郎の日輪刀とて刀鍛冶の里から接収しているものであろうが、全てが無償の奉仕から成りなっているはずもない。
そもそもが鬼殺隊の施設は鬼に見つからぬよう、すべて隠れ里に存在しているのだ。それでは商売すらままならない。
千年もの間、鬼殺隊という組織が存在しつづけた裏には鬼と戦いつづける隊士達の知らぬ「何か」が暗躍していることは明らかであった。
「君は一体……何者だ?」
普段から笑顔を絶やさぬ耀哉が、この時ばかりは厳しい表情を見せた。カナエはそんな表情に怯むことなく、この場の全員に宣言する。
「産屋敷殿、貴方の『財布』は私が抑えさせていただきました。これ以上、民の血税を裏で使い込むことも、無用な『我が国の民』への乱暴狼藉も許容できません。改めて名乗りましょう、私の名は胡蝶カナエ。鬼殺隊の元花柱であると同時に、大日本帝国陸軍特殊遊撃大隊隊長であり、陛下より少佐の地位を拝命しております」
この瞬間、千年続いた鬼殺隊と鬼達の歴史は大きく変革することとなる。
それは国が鬼の存在を認め、それと同時に「鬼という存在」を国民として受け入れたということに他ならなかった。
◇
産屋敷家はこの大正の世において「華族」としての地位を確立していた。
平安の世より貴族として名を残す氏は一つだけ、藤原氏の血脈を受け継ぐ公家のみが明治から始まった華族の中で爵位を与えられている。産屋敷家もその一つである。だがその爵位は男爵、それは華族の階級としては最下級であった。
勿論、華族の中でも最大の爵位である公爵の地位にある公家も存在した。ならばなぜ、産屋敷家はこれほどまでに没落してしまったのだろうか? それは千年もの間、鬼狩りのみに心血を注いできた徹底振りが原因だ。
華族とは天皇を補佐し、国へ貢献する義務を持った特権階級を意味する。
新しくは近年の戦争によって功をあげた家、古くは江戸時代に領地を与えられていた大名達や貴族、神職達。だが今の軍国主義による政治で一番の発言力を持つのは、何よりも明治維新を成し遂げた武家達だ。
つまりは「いかに表立って御国のために戦い、天皇陛下のために貢献したか」が重要なのであり「軍国主義の時代に貴族や神職の地位は華族の中でも極めて低い」のだ。
特に千年にわたり鬼と戦い続け、決して表舞台に出てこなかった産屋敷家は公家であっても末端である男爵の地位に一応の記載がある程度であった。
これがもし鬼との戦い以外に国の政治へと目を向ける余裕があったのであれば、また未来は違っていたのかもしれない。もしくは「ゆらぎの声」に頼らずに代々の当主が長い寿命を有効活用できていれば……。だがそんな仮定もはや何の意味も持たない。
歴代の当主はあくまで鬼舞辻 無惨の打倒だけに心血を注ぎ、寿命を削りつづけてなお血脈を絶たぬようにするだけで精一杯であった。
結果、華族であるとはいえ。
今の産屋敷耀哉が持つ華族としての権力や「血気術:ゆらぎの声」は銃刀法に違反した隊士達のお目こぼしや、現状でもギリギリな隊の運営資金のみに発揮されているのである。
「政府はきたる諸外国との戦を想定し『鬼』と呼ばれる者達の人権を認め、迎え入れる決定を下しました。……安心なさい、人の道から逸脱した鬼殺隊士も同様です。近い将来、国全体に国家総動員令が下るでしょう。もはや国内で騒乱を起こしている暇などないのです」
元花柱あらため、陸軍特殊遊撃隊隊長である胡蝶カナエ少佐はそう宣言した。それはつまり鬼も鬼殺隊士も、陸軍の兵士として徴兵することを意味する。
「馬鹿なっ!? 鬼が、あの鬼舞辻 無惨が人と馴れ合う存在であるものかっ!!」
「それは貴方がた鬼殺隊の考えです。千年もの間、鬼は人から隠れて日陰者としての生涯を強要されてきました。人を喰らうがゆえに人里で暮らせず、常に鬼狩りの脅威に怯えていたのです。
……確かに平穏な人の世であれば、許されざる悪となるでしょう。ですが戦争でならこれほど優秀な兵士もありません。超人的な身体能力で戦場を駆け、自前の爪や牙にて
耀哉の必死な反論にも、陸軍少佐であるカナエは動じない。
改めて考えてみれば、胡蝶カナエの行動は最初から不可解であった。竈門兄妹が鬼殺隊への道を歩み始めた鬼舞辻 無惨による襲撃にも、カナエは戦闘が終わってから現れた。まるで、鬼舞辻 無惨と戦えないかのように。
最終選別においても、カナエは監督官と言いつつも数手の大鬼や藤華の殺戮に介入しなかった。まるで別の方向から選別しているかのように。
更には鱗滝家に上弦の弐・下弦の伍が来襲した際にも姿を見せず、人知れず葵枝に成りすました。まるで竈門兄妹に戦争の厳しさを味わせるかのように。
東京ではそれまで敵であった鬼の少女:久遠との和解を見届けた。まるで将来、鬼と共に戦う前準備であるかのように。
そう、カナエは決して鬼とは戦わず。鬼殺隊とは違い、人と鬼の両方で人材を求めていた。
それらは全て、「人と鬼の混成軍を作り上げる」という究極の目的のためであったのだ。
最後までお読み頂きありがとうございました。
今回のお話で産屋敷家の秘密と、カナエ姉さんの正体が明らかになりましたね。
第一章の頃から不思議な行動が目立つカナエさんでしたが、実はこういうことだったのです(滝汗
そもそもこの設定の始まりは「千年もの長きに渡って続いた鬼殺隊と鬼の戦いが、なぜ終わりを見せずに続いたのか?」というテーマから端を発します。
世界の歴史を振り返っても、これほど長期間にわたって二つの集団が争ったというのは例がありません。もちろん戦乱の時代が長く続いた古代中国などの歴史は存在しますが、それだって数多くの国が数多くの戦を繰り返した結果でしかないのです。
産屋敷家から生まれた全ての当主達が異常なカリスマ性を持っていた、なんて事実も考えられるかもしれませんが、まぁ無理でしょう^^;
ならばそこには、何か特別な理由があったはずなのです。本作では「無惨が産屋敷家の先祖である」という設定に注目し「血気術とはなんぞや?」という疑問に作者なりの答えを提示したお話となります。
それともう一つ。
胡蝶カナエさんの設定は当初「便利に動く不思議キャラ」としか考えていませんでした。ですが上記の設定を思いついた際、「いやいや、さすがに国の諜報機関だって無能じゃないんだから鬼と鬼殺隊の存在に気付いているだろ!」と思ったのです。
それに加え、かなり前の感想の返信にも書いてしまいましたが「鬼の兵士としての適正」があまりにも高すぎるため、軍人化という道を進んでしまいました。
原作があくまで「鬼と鬼殺隊の戦いのみ」で終わらせたのは、国が絡んでくるとこうなるだろうな、という考えからであると作者は確信しております。
もしこの章で終わらせずにお話を続けるとするなら、確実に戦記モノへと方向転換してゆくでしょう。それもまあ、どうなんでしょうかね(笑
さて明日からの更新ですが、今回のお話で書き溜めていたストックが消滅しました(泣
この土日でどれだけ書き進められるかが勝負になりますが、最後まで書ききってから更新を再開したいと思います。
またあらすじで状況を報告していきますので、しばらくの間お待ちくださいな。よろしくお願い致します。