固く冷たい石畳に横たわった二人の少女が、抱き合いながらもお互いの瞳を見つめ合っている。
「一応言っとくけど、私の子となったからには人肉なんて絶対に食べさせないからね。腹を空かせてしまったら今度こそ迷わず成仏しなさいよ」
ゆっくりとしのぶのそばから離れて立ち上がり、久遠は親として初めての言葉を口にした。それと同時に下に居る鬼化したしのぶもまた、喰われた箇所の再生を完了させる。その姿は一見、人間であった頃と何ら変わるところはない
今度は子であるしのぶが答える番だ。
「何を言いますか。親は子のしでかした責任をとるものでしょうに。もし大怪我をしてしまったのなら、貴方の腕をもらいますからね。それが嫌ならせいぜい私を守って下さいね? ご主人さま」
「だから、そのご主人さまって言うのやめなさいってば!」
それまでの悲壮な空気が嘘のような騒がしさだった。
久遠が自らの血を与え、鬼の子となったしのぶ。親子同然の関係となった今でもこの悪友っぷりは健在であるらしい。
そんなギャーギャー
「なぜだっ! いくら我が血を引く娘とはいえ、鬼化は私だけが使える秘術であり呪いとも呼べるものだ。神藤家でもお前は肉を喰らったが、鬼化した者はいなかった。それなのに、なぜソレが使えるっ!?」
石畳を粉砕する轟音が、
無惨が自らの拳を地へ叩きつけたのだ。その表情に先ほどまで見せていた余裕は微塵たりとも存在しない。代わりに声を荒げ、激怒に身を任せた原初の鬼がそこにいた。
久遠はそんな父の疑問に答えるべく、一歩前へ進み出る。
「……お父さん。貴方が姿を消した後、一度だけ。十年前に一度だけ、私はこの力に目覚め、使いました。無限城に迷い込んだ野良猫が、子供を出産した時です。他の兄妹より力が弱く、お乳も満足に飲めない。そんな子を生かすため、私は血を与えたことがあるんです」
だがその結果は
久遠の強すぎる鬼の血に虚弱であった子猫は欲望のままに親兄弟を喰らい、周囲の猫達にまで危害が及びそうだったので久遠自身が止めたのだ。心の中で泣き叫ぶ声を聞きながら、命を刈り取って。
当時、八歳の久遠は泣いた。
ないて泣いて、泣きはらして。この呪われた力はもう使うまいと誓った。
これがもし人間であったのなら、もし生活を共にしていたのなら、父である無惨の感覚にも届いていただろう。だがこの時、すでに父たる無惨は神藤家から姿を消しており、己が青い彼岸花計画を進めるべく画策していた頃である。
「この力をみだりに使ってはならない。子供心にも私はそう自分を
「……必ずや、手ひどく裏切られることとなるぞ? 私の呪いが遺伝すると証明された今、軍の人間は諸手を挙げてお前を歓迎するだろう。だが、けっして信用はされない」
「そうなのかも、……しれません! でも、私はっ!!
――――――人間を、――――――信じたいっ!!!」
それは久遠が心の底から思う、魂の叫び。
幾度となく地獄という現実へ片足を踏み入れ、それでも歩みを止めなかった者の決意。
「……愚かな、どうしようもない娘だ。これならば人の世になど戻さぬ方が良かった。
もう一度、我が城で鬼の本能を思い出すか?」
怒りの色に支配された鬼眼を隠しもせず、無惨は一歩また一歩と久遠としのぶの元へ歩み寄ってゆく。
この場で父に対抗できるのは久遠のみ。しのぶはそう信じてくれたが、現実的な問題として柱一人だけしか食べていない久遠ではまだまだ歴然とした差が存在する。
もし、仮に。ここで「久遠が竈門兄妹を喰らった」のなら、もしかすると無惨の域まで到達できたのかもしれない。
だがそれだけはできなかった。それでは本末転倒なのだ。
久遠は己の意思が自己中心的であり、目指す道が世でいう正義に該当しない結果を導くだろうと覚悟している。結局自分も鬼なのだ。人と鬼が共生する世を作り出すなんてお題目を掲げておいて、他人は見捨てられても親しい相手や友は見捨てられない。
それは我欲だ。情という名の我がままなのだ。
久遠はそれを承知の上で、誰にも敵わぬ存在である父に逆らおうとしている。
(倒せはしないけど、時間を稼ぐぐらいなら――!)
そう思い、炭治郎としのぶを守るべく対峙した久遠の考えは甘かった。
「相変わらず、思考からの行動が遅い。お前を生ませたのは只の気まぐれだ。やはり、同じ存在は二人といらぬ――――!」
久遠めがけて右腕を振りかぶる無惨。
それは炭治郎に対して用いた小指ではない、拳全体を使った暴食の牙だった。視界の全てを遮るほどの
(拙い、多少なりとも力を得たと慢心した私が間違っていた。これでは鬼人化する猶予さえ――――っ!)
自らの死を覚悟した久遠は、とっさに今だ父の左腕に抱かれた禰豆子に目を移した。
その扱いはなぜか、大切な宝物のように優しい。無惨の青い彼岸花計画の全容は、さすがの久遠であっても把握できてはいない。だがその扱いから、父にとっても禰豆子は欠かせない存在なのだという事実は察せられる。
久遠は回避を選択せず、無惨の
衝突の瞬間、久遠の身体にこれまで感じたことのない激痛が襲い掛かる。
「――――――――ぐっ!! ああああああああああああああああっ!!!」
改めて見るまでもない。久遠の左半身が、父の牙によって喰われたのだ。
いっそ意識を失えた方がどれだけ楽であろうか。それでも久遠は止まらない、止まれない。
目の前に、愛する炭治郎が何よりも大切に思う妹が居るのだ。せめて、彼女だけでも父の魔の手から救わなくては。
彼に会わす顔さえ、……ないっ!!
久遠の右手が伸び、もう少しで禰豆子の顔に届くところまで迫る。
だが――――。
「盛り上がっているところに申し訳ないのですが……、時間ですよ。我が主、鬼舞辻 無惨さまぁ」
まるで奇術師のように突然、一人の鬼が戦場に現れた。
「我が呪いを恐れずにこの名を口にするのは、お前くらいのものよな。……童磨」
「はぁい、お褒めに預かり恐悦至極。ですが今言ったとおり、時間です。……そうですよね、少佐殿?」
童磨は不敵な笑みを絶やさずに、一応は臣下の礼をとるべく頭をさげた。だがこの場に現れたのは童磨だけではなく、しのぶと共に先行したはずの人物が炭治郎の前に立っている。
「ええ、これ以上は軍の権力をもってしても
童磨とはまた違う笑みを浮かべながら、陸軍少佐:胡蝶カナエは炭治郎の具合をうかがっている。
「うん、命に別状はないようね。よかった良かった♪ でも、もう少しだけ眠ってなさいね」
炭治郎の周囲に眠りの花粉が舞い散った。目覚めかけた炭治郎の目蓋が閉じ、再び深い眠りへと誘われる。
「……遅いですよ、カナエ姉さん。何処で道草を食っていたんですか?」
場の緊張感などまるで気にせぬ姉ののんびりとした声に、脱力しながらもしのぶが苦言をていした。
「あらあら。しのぶちゃんったら、鬼になっちゃったの?」
「ええ、姉さんが共に戦ってくれればまた違う結果になったかもしれませんが」
「まぁまぁ。しのぶちゃんだって、もう私の立場を理解しているでしょうに。無理を言うものではないわよ?」
胡蝶カナエは軍人だ。上官の命があらば人の命さえ捕るに
「今日のところは私の顔をたて、双方矛を収めてもらいましょう。日本国民同士で殺し合いなどするものではありません」
「それは軍部の命か?」
「さあ? どうでしょうかね??」
無惨の激怒した面貌とはまたちがった、迫力のある笑顔であった。
常人であれば目にしただけで意識を失いそうな無惨に対し、カナエは真正面から受け止め、それでも笑顔を崩さない。
「……承知した、と言いたいのだがな」
無言の対立は意外にも、すぐに決着をみた。あろうことか無惨が腕を下ろし、わずかなりとも停戦の意志を見せたのだ。
だが話は、それだけでは終わらない。
「ご協力、感謝します♪ ですが、鬼舞辻殿にも面子というものがありましょう。此処はお互い『一人ずつ』保護するという事で、妥協していただけませんか?」
カナエの発言により、再び双方に緊張がはしる。
この場合においての「一人ずつ」とは、鬼殺隊側と鬼舞辻 無惨側、双方が竈門兄妹のどちらかを預かるという意味に他ならない。
鬼舞辻 無惨にとっては兄である炭治郎を喰らった妹の禰豆子が欲しく。鬼殺隊側にとっては兄妹揃って初めて使える日の呼吸がほしい。
情という感情を抜きにして考えれば、お互いが牽制するという意味でも不利がない提案である。
「そちらも、それでよろしいですかね? 産屋敷殿」
「「……え?」」
場を仕切るカナエの空気の呑まれた久遠としのぶが突拍子もない声を上げた。
いつの間にか、あれほどの騒ぎを轟かせていた外が静寂に包まれていたのだ。警鐘を鳴らす鐘の音もなくなり、鬼と隊士の怒号も聞こえなくなっている。
入口から現れたのは風柱と、違和感に気づき駆けつけた隻腕の冨岡義勇を供にした産屋敷耀哉だ。
耀哉の本音を言えば、今こそ鬼殺隊の総力を結集してでも襲い掛かりたかった。
何せ全ての元凶であり、千年もの間追い続けた鬼舞辻 無惨が目の前に居るのだ。事実二人の柱はギラギラと瞳を光らせ、耀哉が止めていなければ今にも飛びかかりそうな勢いである。
「……仕方、ないだろうね。今、貴女に逆らえば完全に立場が逆転してしまう。そうなれば鬼殺隊は今後、人の軍と鬼の両方に追い立てられるだろう」
「ご理解が早くて助かります♪」
「だが、お互いが共存の道を歩めるかと言えば話が変わる。我等は千年もの間、道半ばにして力尽きた者達を見送ってきた組織なのだ。その無念は晴らせずして終わりにはできない」
理性と感情は別の生き物だ。
ましてや親兄妹を殺されて以来、ただ鬼を滅するためだけに生きてきた者からすれば。これで終わりですと言われて納得がいくはずもない。
だがそれは、鬼側の理屈でもあった。
「それはこちらとて同じ事。平安の世より千年、鬼狩りが常に我等を殺すべく追い回していたからこそ。夜であっても眠れぬ生活を強いられ続けてきたのだ。人を喰らわねば鬼は死ぬ。生きるために命を奪う、そこに人と何の違いがある」
たとえ国が仲介に入ったとしても、権力で抑えこんでは感情が圧縮され爆発するだけだ。双方が納得の行く形へ落とし込むことが、カナエが成すべき使命でもある。
鬼が本当に軍を通じて人間社会への参入を果たせるのか?
人間は本当に偏見を捨て、鬼という異種族を受け入れられるのか?
これより先の激動の時代。
日本という国が、世界の騒乱に巻き込まれながらも生存の道を模索する。その最初の試練が今、始まりを迎えるのだ。
最後までお読み頂きありがとうございます。
鬼殺隊と無惨様の戦いは、国家という名の横槍をもって終結しました。
もし仮に童磨とカナエが仲裁に入らず、戦闘を継続したとしたら。
おそらく久遠は殺され、この後に集結した柱達との乱戦の末に共倒れとなっていたでしょう。
それはどの陣営にとっても最悪の結果です。カナエさんはその先まで見据えての「妥協案」を提示したのです。
今の炭治郎君や禰豆子ちゃん、久遠さんには鬼舞辻 無惨を打倒できません。
同時に柱達の猛者をようする鬼殺隊にも敵わないでしょう。
この「竈門兄妹を両陣営に分ける」という妥協案は皆を納得させ、生かすことが出来る唯一の策だったわけですね。
さてさて、
次回からは空気だった主人公、炭治郎君の出番がようやくやってきます。どうぞお楽しみに。
ではまた明日っ!