第二章六幕でございます。
今回も鱗滝師匠の独り言。原作でもこんな事を考えていたのかなあ、とイメージした回でもあります。
もちろん、そのままではありませんが……はてさて。
鱗滝の受けた第一印象とは裏腹に、夜叉の子と表現した少年はまだまだ凡庸だった。
日頃の労働で鍛えてはいたものの、特別際立った才能の片鱗はうかがえない。それは一日中、少年が引きちぎられるギリギリの速度で走ったうえでの素直な感想だった。
だが鱗滝の中の少年の評価が変わることはない。
息を盛大に切らしながらも、汗が全身を濡らしながらも。少年はその苦しみを楽しんでいた。
まるで苦しむその先に、自分の叶えるべき願いが見えているかのように。少年の心が折れる兆しはまったく見えなかったのだ。
再び日が沈む頃。
ようやく狭霧山の麓にある自分の住処が見えてきた。
体力・走力は凡庸。ならば危険を察知できる素質はあるのだろうか? 鱗滝の、この少年に対する興味が尽きることはない。
「休む暇などない。……このまま山を登るぞ」
「……はいっ!」
また、コレだ。
普通の人間ならば疲労と苦痛に顔をゆがめそうな言葉にも、少年の顔には喜色以外の臭いがない。努力を楽しめる才能。普通の師匠ならば、そう評するのだろうか。
だがこの少年に関して言えば、決してそんな一言では表現できない何かがあった。
「……背中のモノは、置いていけ」
それは少年の命よりも大事なモノだ。今晩の修行で傷つくかもしれない。そう思っての発言だったのだが、少年は不思議な顔で問い返してきた。
「どうしてですか? 禰豆子を担いだままの方が修行になるでしょう?」
「……大事な妹が箱の中で転げまわるハメになるからだ。あた――」
当たり前のことを言わせるな。
そう言葉を続けようとした鱗滝だったが、少年はあっけらかんと答えを返す。
「だって、大事な禰豆子を置いていくわけにはいかないじゃないですか」
ふむ。
相変わらず、その心持ちだけは立派な鬼殺隊士だ。と鱗滝は苦笑した。
当然と言えば当然の話。この少年はまだ、自分のことを信用していない。もっと言えば、鬼殺隊のことを信用していない。
妹は鬼だ。自分の小屋に鬼が来ることはないだろうが、他の鬼斬りは来るかもしれない。自分が罠を張っているかもしれない。そんなところだろうか。
今、この兄弟には。お互いの存在しか味方が居ないのだ。敵しか居なくとも、自分達の目的を達成できるのが
鱗滝はその心持ちに感心すると同時に、この兄弟は最悪の悲劇を経験してきたのだと同情せざるを得なかった。
驚いたことに、竈門炭治郎という少年は鱗滝左近次と同じく「鼻」が秀でている少年だった。
鬼殺隊士には必須となる「呼吸法」は、五感が優れている人間ほど習得しやすい傾向にある。何故かといえば、自然界に内包する「呼吸の流れ」が優れていれば優れているほど感じやすいからだ。
特に育手とその弟子の感覚が同一の場合は特に修練が進みやすい。教える側と教わる側、二人の感覚が同調しやすいためだ。
鱗滝左近次は「水の呼吸」を扱う育手だ。
当然のごとく弟子である竈門炭治郎にも、「水の呼吸」を見につけるよう教えていった。しかし、当初は順調に進んでいた修練も、途中から雲行きが怪しくなってくる。
最初の二月ほどはまだ良かった。
基礎体力の向上と鼻の感覚を鋭敏化させるため、ひたすら炭治郎は罠が無数にある山を走りつづけていたからだ。
だが修練を始めて三月。
鱗滝が「全集中の呼吸」を授け、十ある水の呼吸による型を覚えるにあたって。
炭治郎は、壁にぶち当たった。
「水の呼吸の型」を中々習得できない日々が続いたのだ。
◇
「お前には、『水の呼吸』を覚える素質が、ない」
鱗滝は一通り教えた後、キッパリと炭治郎にそう宣告した。
やる気はある。それを土台にした過酷な修練にもついてきた。だが致命的なまでに、炭治郎の心の中は「水」という存在が希薄すぎたのだ。
その理由を鱗滝は察していた。この少年の中にあるのは「水」ではなく、鬼に対する憎悪という名の「炎」が燃え盛っていたからだ。始めにもらったカナエと義勇からの手紙には「炭治郎の兄弟は鬼舞辻 無惨によって鬼にされ、義勇が斬った」と記されていた。
炭治郎の心の中は、鬼だけではなく兄弟を斬った「水の剣士」である義勇への恨みが今だ荒れ狂っている。
これが鬼だけを憎んでいるとするならば、まだ習得のしようがあったのかもしれない。だが炭治郎は心の中で「水の呼吸は兄弟を斬った憎むべき剣」として認識してしまっている。いくら表面を誤魔化そうと、少年の中にくすぶった本心が邪魔をしていた。
「……どうする。今からでも育手を変え、炎の育手の元へと行くか?」
そう鱗滝は少年に問う。
おそらく、そちらの方がこの少年の願いが叶うまでの道のりは短い。
「いえ……、なんとしても『水の呼吸』を習得してみせます」
「……なぜだ? 妹の身を案じているのならば心配いらん。この鱗滝左近次の名に賭けて守ろう。鬼からも、そして鬼狩りからも、な」
「…………」
暫くの間、炭治郎は沈黙した。
その表情は迷っているような、もしくは言い辛そうにしているのか。
やがて、炭治郎は口を開いた。
「多分、なんですけど。これからの自分に「水の呼吸」は必ず必要な気がするんです。それは鬼を斬るためでもあるけど、むしろ。……自分の中で燃え盛る劫火を冷ますためにも」
「…………」
炭治郎の答えは、なんとも抽象的な言葉で表現されていた。
こんな時、他の育手ならなんと答えるのだろうか。師匠の質問に曖昧な答えで返すなと怒るのだろうか。それとも……。今度は鱗滝が沈黙する番となってしまう。
しかし鱗滝は完全とは言わずとも、理解できる気がした。
炭治郎の中には夜叉が居る。それは初めて出会った時から鱗滝の中の認識として変わってはいない。一度はこのまま鍛えてしまって良いものかと、悩んだこともあったのだ。
この少年の「火」は強すぎる。
その心のままに剣を握れば、誰彼構わず切り捨てる狂人となる可能性すらある。その心を唯一押し留めているのが、鬼となってしまった妹の存在だ。
鱗滝の元で修行を始めてから早半年。その間というもの妹の禰豆子は時折、姿をくらます日があった。昼間は眠り、夜は炭治郎の修練を眺めたり真似したり。声は出さずとも、そんな無邪気な一面を見せる禰豆子。だが姿をくらませた次の日に見れば、必ずと言っていいほど口から別の鬼の臭いがした。
この狭霧山周辺には基本、鬼殺隊士が来ることはない。
育手は基本、鬼殺隊としての人生を生き抜き引退した老兵の務めだ。周辺に姿を見せた鬼は育手が斬る、それが暗黙の了解としてある。だが竈門兄弟が弟子入りして以降、鱗滝は一度として鬼狩りを行なってはいなかった。
ここまで言えば理由など語るまでもない。
禰豆子が自身の食料を得るため、影ながら鬼を狩っていた。そういうことだ。鱗滝はこの行動をあえて黙認していた。予め周囲に強い鬼がいないか確認していたのもあるが、禰豆子にとっては「生きるための食事」に他ならない。その行動を諌めるならば、鱗滝自身が禰豆子に向かって死ねと言っているのと同義なのだ。
「ううぅ――――っ!」
炭治郎の横で、禰豆子が励ますように両腕を振っている。
「禰豆子も協力してくれるのか? 禰豆子はホントにいい子だなあ~」
「うう~……♪」
兄想いの妹が励まし、感謝する兄が妹の頭を撫でる。こうして見ていれば、どこにでもある仲の良い兄弟の風景だ。もしかすれば戦いなど知らずに、平穏な日常を送れていたのかもしれない。
そんな考えを頭の中で思い浮かべたところで、鱗滝は何を今更と首を振る。
あの神社で出会った時に、自分はこの兄弟と運命を共にすると決意したではないか――。
最後までお読み頂きありがとうございました。
「水の型」を会得することが出来ずに苦しむ炭治郎君。
そんな彼に更なる出来事が襲い掛かります。
次回更新を楽しみにお待ちくだされば幸いでございます。