第三幕でございます。
サクサク読んでもらうため一話の文字数は2000文字程度としておりましたが、少々読み足りないとの意見も頂きましたので、第四話は本日22時に投稿し一日2話体勢にしてみます。
初日からたくさんの方に見ていただいているようで嬉しいかぎりです。
今後とも本作を宜しくお願いします。
「こりゃっ! 炭治郎!!」
真っ暗な山道で月明かりだけを頼りして進んでいると、道脇にポツリとたった小屋から男の声がした。
炭治郎が振り向くと、小屋の中から壮年の男性が此方へと顔を向けている。その人は「元猟師」で今は傘職人の三郎爺さんだった。
「おめえ、こんな夜更けに山へ帰るつもりか。危ねえからやめろ」
ギラリとした視線が、炭治郎の瞳から身体の芯にまで入り込むような気がした。両手を振りつつ、慌てて謝辞の言葉が口をつく。
「熊避けの鈴も付けているし、十分に気をつけるから大丈夫だよ」
「最近は冬熊もでるって話だ。泊めてやっから戻れ」
それでも三郎爺さんは引かなかった。別に炭治郎とて本気で怖がっているわけではない。そりゃあ、目付きも悪いし昔は少しばかり怖がっていた思い出もあるが、今ではこの人なりの心配りだと理解している。
何よりも、今の三郎爺さんは「黄色い人」なのだ。
炭治郎の中にあるのは、迷惑を掛けちゃいけないという遠慮のみ。
「でもぉ……」
「いいから来いや! それかもっと恐ろしい化け物、……鬼が出るぞっ」
「……はぁい」
少々強引なところは昔から変わっては居ない。でも、確かに少々風が吹いてきたのも事実なのだ。しかも炭治郎の家に向かっての追い風である。こうなると自慢の鼻も効果が無い。自身の背中から風が吹き、臭いを彼方へと持ち去ってしまうからだ。そうなると腰の鈴だけではどうにも心元ない。
「丁度よかった、傘の納品が明日でな。飯代がわりに手伝え」
「え~っ、けっきょく人手が欲しいだけじゃないか!」
ニヤリと三郎爺さんの口元が上向きになる。あ、ちょっとだけ赤い臭い。けど、これくらいならへっちゃらだ。
そんな思惑に呆れつつも、炭治郎は囲炉裏の熱がこもった小屋の中へと入っていった。
◇
「――よし、お前はもう良いから寝ろ。明日もどうせ早いんだろう」
「まだ大丈夫だよ。このくらいの時間なら、まだ六太を寝かしつけている頃合だ」
「餓鬼が大人に遠慮するもんじゃねえ」
晩御飯を食べ終えてから黙々と、炭治郎は傘造りを手伝っていた。
だが、その作業も小一時間もしたところで三郎爺さんから終了の合図が入る。奥の押入れを空ければ客人用の布団一式。どうやら勝手に敷いて寝ろ、とのことらしい。
やはり傘造りの手伝いは、この人の照れ隠しだったようだ。自宅までまだまだ遠いとはいえ、お隣さんとの付き合いは大事にするものだと母から言われていた炭治郎は、それでももう少し手伝おうとしたのだが逆に雷を落とされてしまった。
造りかけの傘に未練は残ったが、三郎爺さんの言葉に甘えさせてもらうことにする。
布団を敷き、自分用のロウソクの火を消した炭治郎は大人しく床に入る。眠気が到来するまで時間を持て余した炭治郎は、ポツリと口を開いた。
「なあ、三郎爺さん。鬼っているのか?」
別に鬼なんて架空の存在を信じている訳じゃあ、ない。村の老人達が子供達に言うことを聞かせるための方便だと思っているくらいだ。それでも、この暗闇に包まれた雪山では不思議な事が数多く起きる。十三歳の少年が不安を感じたとしても無理はなかった。
「昔から人喰い鬼は、日が暮れると人里に降りてくる。だから夜なんて歩き廻るもんじゃねえ」
煙管から煙を立ち昇らせていた三郎爺さんは、囲炉裏の灰の上でトントンと灰を落としながらボソリと答えた。
やはりどこか迷信じみた物言いに、炭治郎は納得がいかない。でもまあ、こんな夜更けに話す話題ではないことも確かだ。そう自分に言い聞かせ、布団の温もりに意識をゆだねていった。
外からは風の音がビュービューと音をたてている。これは明日、荒れた天気になるかもしれない。ならば、尚更のこと……しっかり、ねむらないと……。
「だから鬼狩り様が来て、鬼を退治してくれるんだ」
布団の中で眠気に襲われた炭治郎は、まるで子守唄のように三郎爺さんの言葉を受け入れながら、目蓋を閉じた。
◇
翌日の朝方。
布団の温もりという、離れがたい誘惑を跳ね除けられないでいた炭治郎の鼻に突然、微かばかりではあるが異質な臭いが飛び込んできた。
「炭治郎、そろそろ起きねえと山仕事に遅れちまうぞ」
そう言った三郎爺さんが、小屋の窓を開け放ったのだ。
何時もの朝ならば、外の空気は多少の獣臭があったとしても平穏な木々や風の臭いしか感じない。そこに意思はなく、只々自然が送ってくれた平穏な風景が広がっているだけのはず、……なのだ。
だが今朝に限って、炭治郎の鼻は違和感を感じ取った。色で言えば……、間違いなく赤だ。つまりは欲望や恨み・憎しみの臭いが織り成す負の感情。だが、昔の三郎爺さんから臭ってきたような赤ではない。ドス黒く、それでいて粘っこく、まるで鼻奥に「血」を塗りたくられたかのような。
……、血――――――!?
頭が真っ白になりながらも、炭治郎は小屋から転がるように飛び出した。
やはり間違いない、これは。
竈門家の方角から、血の臭いが流れてきている。
先ほどまでの微かな臭いは、こちらに流れてきた血の川の末端にすぎなかったのだ。炭治郎は無我夢中で自宅へと続く道を駆け出した。
「炭治郎っ! 何があったんだ!!」
突然の奇行に、三郎爺さんが心配して追いかけて来てくれる。その肩には炭治郎が幼少の頃によく見た猟銃が掛けられている。この時代、一見平穏に見えて何が起こるか分からない。
「俺の家の方角から、ちの……、血の川が流れてきてるっ!!」
「なんだと!? 炭治郎、やっぱ……おめえ」
他の誰かが言ったのなら、三郎爺さんも戯言として片付けていただろう。実際、この少年が言うような血の川など何処にも存在しない。だが昔、山の中へ猟に連れて行った時の言動が彼の脳裏に去来したのだ。
やはり炭治郎は人並み外れて鼻が良い。この少年が言う川とは、臭いの川なのだと瞬時に理解する。
そうと決まれば、三郎爺さんの決断は早かった。
「急げっ! 冬熊かもしれねえぞっ!!」
「わかってる!!」
元猟師の足腰は伊達ではない。
炭治郎とて毎日の炭売りで歩きなれた道だったが、先日の快晴で積もった雪が底でグチャグチャに溶けており、獣道とも言えるような山道が泥で溢れていた。藁で編まれた冬靴が足を踏み出す度に重くなり、速度が落ちる。
それでも必死に走る炭治郎を置き去りにするかのように、三郎爺さんの姿が山の上へと消えていった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
第4話は本日22時に更新予定でございます。
すこしづつ、原作にはない要素が入っていきますので、お付き合い頂ければ幸いです。