今回は少々長めです。ごゆっくりとお読みくださいな。
「ごはんがぁ、あばれちゃダメなんだよー。こんどは、こっちのばん!」
元々小柄な身体を更に低くして、藤華は戦闘態勢に入った。
両手の先、十本の指先から藤色の爪が長々と伸びている。そんな姿とは裏腹に、藤華の口からでる言葉は鬼ごっこを始める子供のような陽気さだ。
だが炭治郎が恐怖した数手の大鬼を抵抗もさせずに食い殺した実力は本物である。
藤華の真っ赤な瞳が一瞬、月明かりを受けて
だがその
キィン、という鬼の爪と日輪刀が激突した甲高い音が周囲に鳴り響く。
なぜか、目にも追えない速度だったというのに。炭治郎の日輪刀は、少女の爪をはじき返すことに成功していた。だがそんな偶然は二度もおこらない。
炭治郎は身体の力を抜き、転ぶ寸前の体勢で横へと跳んだ。これも無の型の基本である「脱力初動」だ。人は筋肉の力で動くよりも、物が地に落ちる力に任せた方がはるかに素早い動きを体得できる。
「てりゃあぁ――っ!」
「――――ぐっ」
なんとも緊迫感のない、可愛らしい声で藤華の爪が炭治郎の肩を切り裂いた。
脱力初動のおかげで致命傷とはならなかったが、その代わりに傷口からは血とはまた違う紫色の液体がべた付いている。見るからに禍々しく、それでいてつい先ほどまで見かけていたような、そんな色。
――毒だ。
直感的に、炭治郎はその液体の正体を推測した。
もちろん何の毒かなんて瞬時に理解できるほど炭治郎は毒物に精通してなどいない。しかし解毒や毒が身体に廻らないような処置は精通していた。
山育ちならば、持って当然の知識だったのだ。
だが今ならばもっと簡単で、確実な方法がある。
(……気熱っ!)
身体の中に巡る血を熱し、全身の毛穴から蒸気を上げる。
これは比喩ではない。実際に炭治郎は、常人ならば耐え切れないほどの熱を身体中にめぐらせることができるのだ。
病原菌や毒といった人の身体を害する成分の弱点は熱だ。炭治郎は「気熱の呼吸」を修得して以来、自分の身体の中で体外からの異物を熱処理できるようになっていた。
すでに炭治郎の身体の中に毒はない。
逆を言えば、すでに毒を消し去ってしまったため特定も出来ない。手掛かりと言えば、炭治郎の肩から見えていた紫色の液体のみだ。
誰もその正体が分からずじまいになってしまうかと思われた時、鬼殺隊候補生の一人が口を開いた。
「あれは……、藤の毒」
「はぁ? あれがかっ!? なんで鬼が藤の毒なんか使ってんだよ!!? 藤なんてむしろ、俺達より奴ら鬼の方がっ!」
「私も信じられない。でも、間違いない」
「なんだぁ、そんなに珍しいのかあ?」
「……そういう問題じゃない。でもたぶん、あの鬼は元々この藤襲山に居なかった個体。……藤の花を克服した鬼」
無表情な少女の言葉を猪頭の少年は理解できなかったようだったが、モヒカン頭の少年はその特異性に気付いたようだった。
最終選抜の監督官である白黒人形双子が言ったように、この藤襲山の中腹から下は鬼にとっての
それを今、目の前の鬼が克服している。克服しているどころか、武器にまで昇華させている。
「なら、決まりだな。あんな鬼は、今のうちにぶった切っておくに限るぜ」
結局やることは変わらないとばかりに、猪頭の少年が鼻を荒くしている。
見たところ、まだまだ鬼としても若い個体だ。成長して更に危険な存在となる前に斬らねばならない。
反対する者は、誰もいないように思えた。
しかし、藤華が異端の鬼であるならば。
炭治郎とてまた、異端の剣士である。
今現在、何人の鬼殺隊士が居るかは不明だが「気熱の呼吸」は炭治郎だけの呼吸だ。体内に侵入した毒を熱処理できるのもまた、炭治郎だけであろう。
この鬼の少女は強い。だが炭治郎との相性は、決して良くはなかった。
鬼殺候補生達は動けない。
感情では動こうとしていても、理性がこの戦いは彼に任せるべきと訴えていたのだ。
更に言えば、この時点で候補生達は炭治郎の実力を認めていたことになる。
◇
炭治郎は不思議な現実に困惑していた。
自分より藤華という鬼の少女の方が圧倒的に素早い。素早さは己を優位な位置に運び、相手の隙をつくり、必勝の一撃を与えられる戦闘において重要な要素だ。炭治郎は剣士として自分が素早さより力、一撃の重さを重視する人間だと自覚していた。
本来ならば即、死角に入られて急所を刺されてしまいそうなほどの実力差があるはずなのだ。
炭治郎の力と藤華の素早さ。
それは狭霧山における修行の日々で、毎日のように繰り返した組み合わせ。
炭治郎と禰豆子の組み手とまったく同じ相性であった。
(毒を受けても消せる。不思議と彼女の動きについていけてる……。まったく、この子はどこまで禰豆子に似ているんだろう?)
そう考えると不思議と笑みがこぼれる。
殺し合いの最中で笑うなど不真面目極まりない。師匠である鱗滝ならそう叱責しただろう。炭治郎はどこまでも、藤華と禰豆子を重ね合わせてしまう自分に呆れ果てていた。
「なんでっ? おにいちゃん、なんで
敵である藤華はどこまでも子供だった。
楽しければ笑い、悲しければ泣く。もしくは炭治郎の、今だくすぶり続ける迷いに気付いているのかもしれない。どこまでも炭治郎は兄で、そして父でもあった。
そんな優しさという名の感情は、藤華にとって鬼となってから貰ったことのない感情だ。
この藤華と言う名の少女は決して、自分の妹ではない。優位な状況とはいえ、未熟なこの身に不相応な望みを持てば行き着く先は破滅以外にありえない。
「ごめんな……。俺は、君を斬る。俺の、禰豆子の願いを叶えるためにっ!」
泣きじゃくっているためか、速くはあるが藤華の動きは滅茶苦茶だ。
炭治郎の瞳に一筋の糸が映り込む。それは刀の先端から、藤華の首へと繋がっていた。
これこそが「隙の糸」。
無の型の先にある、確定された未来視。
炭治郎が足の遅さを克服するため、鱗滝の下で得たもう一つの力だった。
◇
決して、刀に力を籠めず。
ただ骨身に染み込んだ型の通りに糸の上を滑らせる。
刃は川に流れる枯れ木のように運ばれ、ゆきつく先へと到達する。
炭治郎は鱗滝の教えどおりに、日輪刀という船を隙の糸という川へ浮かばせた。この運搬船の終着点は藤華の首である。
(…………ごめんっ!)
非情になりきれない炭治郎が、心の中で藤華に謝罪する。
もし自分がもっと強ければ、禰豆子のみならず藤華まで救えるほどの力を持っていたならば。最良の結果が未来に用意されていただろう。だが禰豆子は炭治郎の生きる意味そのものなのだ。彼女を失った時点で、炭治郎もまた生きる意味を失ってしまう。その危険だけはどうしても犯せなかった。
吸い込まれるように、日輪刀が藤華の華奢な首へと導かれてゆく。
彼女の柔らかい皮膚を裂き、血を飛ばし、骨を断ち、両断するはずだった。
それは藤華の死を意味する。
「……いや。いやっ! おにいちゃん、やめてよ。なんで藤華をたべようとするの? 藤華、いいこにしてたよ? なんで、なんで!? いやあああああああああ――――――っ!」
(俺は……、この子を斬れるのか――?)
目の前で泣きじゃくる、鬼の少女の顔に。
禰豆子の顔が重なった――――。
炭治郎の日輪刀は首の皮一枚のところで止まっていた。
別に藤華が避けたわけではない。他でもない、炭治郎が己の手を止めたのだ。
外野から見物していた三人も、信じられない物を見るかのように絶句している。
「なんだぁ? ……斬れたじゃねえか。なんで斬らねえんだ!?」
猪頭の少年が吼える。
「甘ちゃんなんだよ。この選抜に受かったとしても、ありゃあ早々に死ぬぜ」
モヒカン頭の少年が悪態をつく。
「………………」
無表情の少女は相変わらずの沈黙ぶり。だが少しだけ悲しい表情を見せているような気もする。
将来の同僚となる候補生達の声は、炭治郎の耳には届いていなかった。
言われなくとも、そんなことは炭治郎自身が一番理解している。鬼とて被害者、鬼舞辻 無惨に否応なく鬼にされた存在である。そんなことなど十分に理解しているのだ。
だからこそ。
炭治郎は刀を止めてしまった。千載一遇のチャンスを自ら棒にふってしまった。
その代償は反転し、己の身に襲い掛かってくる。
「お兄ちゃんなんか、お兄ちゃんなんか。だいきらあああああああああああいっ!!!」
誰もが口を塞ぐなか。鬼の少女だけが泣きじゃくり、狂ったように声をあげている。
彼女の真意を見抜き、共感してくれる人物は。
残念ながらこの場には誰一人として存在しなかった。
最後までお読み頂きありがとうございました。
さて、明日からのお話は外伝と言う名の回想シーンに突入します。
完全オリジナルですが、お付き合いいただければ幸いです。