「炭治郎、……馬鹿な考えをもつでない」
左手で鞘を握り、今にも震えた右手が日輪刀にかかりそうなっていた炭治郎を一つの手が制した。
「これは儂の罪だと言ったはずだ。不確定な未来を案ずるな。今、この時を喜べ。お前の大切な妹は無事だ。今もこうして幸せそうに眠っておる」
「でもっ、でもっ!」
「片足を失ったことなど大した問題ではない。それよりも……、よくぞ無事に戻ってきた。これまで沢山の子が最終選別へ赴き、そして帰ってこなかった。
齢をとるとな、自分の身体より子供達の悲劇の方がよほどこたえる。数十年前、幾多の同胞と共に死なせてくれなかった仏はなんと残酷なのかと、天に恨みの声を上げた日もあった。
だがお前は戻ってきた。大切な妹を残して、旅立たなかった。儂にはそれが、何よりも嬉しい」
相変わらず鱗滝は天狗の面をかぶり、その表情をうかがい知ることはできない。
だが鱗滝の身体から立ち上る喜びの臭いを、炭治郎は鼻のみならず全身で感じていた。一切の赤みがない、お日様のような白みさえある黄色の臭い。それは鱗滝の告白が心の底から出た本心であると如実にものがたっている。
「それよりも、もう此処は決して安全とはいえぬ。鬼の呼吸に全集中の呼吸まで体得した、禰豆子がここまで傷を負う相手が近くに居るのだ。そうそうに移動を開始しなければ……」
懺悔や告解の時間は終わりだとばかりに、鱗滝は声色を変えた。
過去を悔やんでも現実は何も変わることはない。だが未来は無限に広がっているのだと指摘するかのように。
しかし、炭治郎の中では真実を確信していた。
この付近に禰豆子に重症を与えられる鬼など居はしない。
なぜなら、禰豆子に鱗滝の片足を喰らうほどの傷を負わせたのは鬼ではないのだ。
「……ちがう、違うんです鱗滝さん。禰豆子に傷を負わせたのは……、俺なんです」
懺悔の時間はもうしばし続く。
今度は鱗滝ではなく、炭治郎の番だった。
◇
共食い鬼と呼ぶに相応しい異能をもった藤華は、まだまだ幼かった。
外見の年齢はもちろんのこと、藤華が鬼として生まれ持った天性の才能しかなく、まだまだ己の能力を持て余していたのだ。
最初に喰らった実兄である藤斗以外に、もし沢山の人間を喰らっていたのなら。おそらく竈門兄妹二人はおろか、その場に居た鬼殺隊候補生全員で対峙したとしても敵わなかっただろう。それほどまでに藤華は将来、鬼舞辻 無惨の片腕たる十二鬼月となれるほどの才を持っていた。
先日まで炭治郎が参加していた藤襲山での最終選別。
その終幕となった藤華と竈門兄妹の死闘。炭治郎にとって初めての異能を持つ鬼との闘い。藤の爪を持つ鬼との最終演目。禰豆子が牽制し炭治郎が最大の一撃を放つというあの作戦の中で、禰豆子が一番怪我を負う可能性が高かった箇所はどこだろうか。
気熱の蒸気が周囲を遮るなか、自ら囮となっていた禰豆子がどれほどの傷を負っていたのか兄は知らない。それでも禰豆子は最高の時に、炭治郎の天雷閃を導いた。少なくとも、その時までは禰豆子の身体は五体満足で動いていたことになる。
その先の考察は……、考えるまでもなかった。
藤華の爪を受けた傷口から藤の毒が巡り、後々になって禰豆子の身体を蝕んだ?
ありえるのかもしれない。だがそれは、本命たる真実にはなりえない。鱗滝は言っていた「重傷である箇所を再生するだけで、限界であったのだろうよ」と。内部の毒ではない、身体の外側から負った裂傷が原因なのだ。
鬼の身体による脅威の再生力を持つ禰豆子にそこまでの怪我を負わせる要因など、あの場には一つしかなかった。
「妹は……、禰豆子は。俺に鬼を狩らせるために、自らの身体をもって鬼を拘束し、俺の気熱をまともに受けたんです」
それだけしか、炭治郎の思考によって道び出される結論はなかった。そうに違いないと確信もしていた。禰豆子はどちらかと言えば、力より素早さに特化している。あの藤華を恰好の標的とするには、禰豆子もその場に留まらざるをえなかったのだ。
そしてそのまま、炭治郎の全身全霊を込めた一撃を全身に受けた。
倒すべき鬼、藤華を拘束しながら。
その場の空気が冬の季節に相応しい寒さに染まる。
もとより屋内に温かさをもたらす囲炉裏の火などついてはいなかった。なのに身体がどうしようもない熱を籠らせていたのは、これまでの道程で身体を酷使したというだけの理由ではない。この惨状によってどうしようもなく心拍数が上昇し、感情の熱が身体を火照らせていたのだ。
「………………」
冨岡義勇は何も言葉を発しない。生来の寡黙ぶりとは関係なく、この場の主役は鱗滝と炭治郎にあると弁えているからだ。
ならば。炭治郎の懺悔に言葉を返すのは一人しかいない。
「……そうか。だが炭治郎、それはお前の罪ではない。禰豆子の、優しさと言うものだ」
気持ちよさそうに眠る禰豆子の寝顔を眺めながら、鱗滝はポツリと呟いた。
「禰豆子は兄であるお前を守らんがために身体をはった。……それが真実であり、この子が望む結果であったのだ。お前が背負い込むべきものではない」
「でもっ、それで鱗滝さんはっ!?」
「儂とて二年もお前達と生活をしていれば情もわく。言っただろう、それが望む結果なのだと」
「…………」
師である鱗滝にそこまで言われてしまえば、炭治郎とて言葉がでない。
自らの中でこの結果を悔やみ、なぜそうなってしまったのかを消化し、次に繋げろ。そう、言っているのだ。だが言葉の上では反論できなくとも理性の上ではなんとも飲み込めない。
禰豆子は自分に残された最後の家族、大切な妹で。
そして。
「そもそもが禰豆子とてもう、お前に頼るばかりではあるまい。この子も、お前と同じくらい狭霧山での日々で成長した。……守りたいのであろうよ。お前が守りたいと思うほどに、兄の未来を」
自分の、自分だけの相棒。
藤華との闘いの中で、炭治郎は妹をそう認識した。自分が信じているのと同じくらい、禰豆子も自分を信じてくれたのだ。
ならばもう、妹は兄にすがるばかりの存在ではない。
玄関先の乾ききった土が丸く、影を差されたかのように変色する。
ひとつ、ふたつ、みっつ……。
それが自分の瞳からこぼれた涙であると認識した炭治郎はもう、感情の波を抑えきれなかった。愛する妹と同じように、第二の父であるとまで慕った人物の胸へと飛び込む。もう何もかも、我慢の限界であった。
「ごめんなさいっ、鱗滝さん。本当にごめんなさいっ!」
「……よい、よいのだ。儂は今、初めてこの時まで生きてきて良かったと思えるのだ。お前達を助け、導き。これまで先を逝かれた友に、ようやく胸を張れる。……これまで生き恥をさらしてきて、本当に良かった」
炭治郎は鱗滝の胸の中で存分に泣いた。
妹の問題は何一つ解決してはいない。今後も重傷を負った場合、誰かの人肉が必要になるのだ。それでも、妹の人生を肯定してくれる存在が此処に居る。炭治郎の生きる意味を肯定してくれる人が此処に居る。
今だけは鬼殺隊士でもなく、竈門家の長男でもなく。普通の十五歳の少年へと戻ることができたのだ。
本当はもう無くしてしまったはずの、父の温もりを感じながら――。
最後までお読み頂きありがとうございました。
心配ご無用。
竈門家第弐の父、鱗滝左近次は死なへんでぇ~!
少なくとも、……今は。
タイトルにある「命の代償」とは肉を提供した鱗滝さんではなく、喰わねば死んでしまっていた禰豆子ちゃんの方でした。
ホラー系小説を書いていると「このキャラはいつ殺そうか」と殺伐な事ばかり考えている自分にビックリします(笑
さて本題です。
禰豆子さん実は身をていして炭治郎を守っていた、の巻。
これは裏設定なのですが、禰豆子は鬼としての顔と、天真爛漫な幼女な顔の二つを併せ持っています。
原作でも鬼の顔と愛らしい顔を使い分けています。その切り替えのスイッチは「飢えと兄の危険」の二つと考えており、明確な敵意を炭治郎に向けた藤華を見て禰豆子の「鬼スイッチ」が入ったと思っていただければ良いかと。
この当たりの禰豆子ちゃんの心情は描写するのが難しいですね。原作では詳しく書かれてなく、二次創作として設定を付け加えるのも違和感がないようにしなくてはなりません。
タグの通り「飛影はこんなこといわない」状態にならないよう、気をつけたいと思います。
それではまた明日っ、朝にお会いしましょう!