あの惨劇からはや、週が二度ほど巡っていた。
竈門兄弟は今だ狭霧山の麓にある鱗滝邸に居座っている。炭治郎も禰豆子も、最終選別で身体を酷使しすぎたのだ。今はこれから迫りくる鬼殺隊士としての任務へと体調を整える時期であった。
鬼である禰豆子はそれほどでもないが、人の身である炭治郎は今だに身体の節々が痛んでいる。それでも自分達のために片足を捧げてくれた師のため、せめて日常生活において苦の無い程度まで回復するまでは支えてあげたかった。
禰豆子は夜の間に山へこもって猟をこなし、炭治郎は鱗滝邸の家事全般を請け負う。
昔話に出て来るお爺さん、お婆さんとは正反対の立ち位置だ。だが夜目の効く禰豆子は、毎夜のように鹿や猪などの獲物を食卓に提供してくれる。もしかしたら狭霧山での食物連鎖の頂点に立っているのは禰豆子なのかもしれない。そう思えるほどに、竈門家の長女は鱗滝邸の食料事情に貢献していた。
今日も今日とて、炭治郎は毎夜のように土煙をかぶって帰宅する禰豆子の着物を河原で洗っていた。
男尊女卑という思想が根強く残っている大正の世で、主婦のような役割を担っている炭治郎は他の男衆から見れば軟弱であると捉えられるかもしれない。だが本人はこの生活を十分すぎるほどに満喫していた。
何と言っても、数年前の平穏とした生活が戻ってきたかのような温もりを感じるのだ。炭治郎は元々がそれほど気性の荒い性格ではない。むしろ、今は亡き父の穏やかな性格を兄弟の中で一番受け継いでいた。
もちろん、家族の仇討ちという使命を忘れたわけではない。むしろ毎日のように実感させられるくらいだ。
なぜなら。
「……薪、とってきた」
「ああ、いつもの所に置いておいて?」
「…………(コクン)」
なぜか竈門兄弟にとって仇の一人である冨岡義勇も、今だ鱗滝邸の座敷に居座っているのだから。
◇
まがりなりにも、継子として指名してしまった隊士を放置しておくわけにはいかない。
義勇の言い訳としては、そんな理由だった。
だがどう見ても竈門兄弟以上に平穏な日々をめいいっぱい満喫しているようにしか見えない水柱は、今日も今日とて薪拾いに精を出す。本来ならそれは、炭屋としての経験を持つ炭治郎の方が適任だ。だがそうすると、この水柱様に家事を任せることになる。これがまた、壊滅的な才能を存分に発揮したのだ。
鍋を持っては鍋を焼き、皿を持っては皿を割る。
ダメだ。コイツに任せては、遠くない未来に鱗滝邸は灰燼に帰す。
年下の炭治郎にそう思わせるほどに、冨岡義勇という人物は生活能力が皆無であった。必然的に難しい仕事は任せられない。ならばせめて、家から離れた仕事を担ってもらおう。今や鱗滝邸の主夫と化した炭治郎は、そういう結論に達した。まさか山火事までは起こすまい、と。
「アンタ、いつまでここに居るんだよ? 禰豆子を継子にしてくれたカナエさんはもう、自分の任務に戻っているんだろ?」
「……その花柱からの指示でもある。お前達の傷が癒えるまでの護衛役」
「とは言っても、こんな田舎に強い鬼なんて出るわけが……っ!?」
そんな義勇の言い訳に炭治郎が呆れて言葉を返した頃。鱗滝邸の外から、自然界にはありえない音色が聞こえてきた。
チリーン、チリン。……チリーン、チリン。
なんとも懐かしい音だった。
懐かしの竈門家にも夏場にはぶら下がっていた風鈴の音だ。標高が高いわけでもなく、それでいて低いわけでもない山の中腹に位置していた竈門家は、とにかく夏の暑さが厳しかった。それに加え、虻や蜂にも悩まされつづけていた。伐採の作業中に刺されたことなど数を数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいだったのだ。
竈門一家にとって、風鈴の音はそんな過酷な夏を乗り切るための癒しであった。
臭いからして人間のようだが、その顔を伺い知ることはできない。被り傘で顔を隠し、そのふちには沢山の風鈴をつけた変わった格好の人だ。
鬼ではない。あの独特な、口周りから放つ血の匂いをこの人からは感じない。だからと言って味方とも断定できない。鬼とはある意味単純な生き物だ。腹が減れば人の肉を喰らい、自らの命と力を満たすためだけに生きている。そんな本能的な感情を考察するなら、野生動物とそれほど変わりはない。
だが人には動物にはない「欲」がある。鬼なら敵、人間なら味方などという単純な理でこの世は作られていないのだ。
「失礼ですけど、どちら様ですか?」
見るからに怪しい風貌な人に、炭治郎は慎重に声を投げかける。
「俺は鋼鐵塚という名の刀鍛冶だ。竈門炭治郎及び、竈門禰豆子の刀を持参した」
「あのっ、竈門炭治郎は俺ですっ! 禰豆子は家の中に居ますのでまずは中へ……」
「まったく、太刀の方は打ち慣れたものだがまさか小太刀を二本一組で打てと言われたのは初めてだ。玉鋼の大きさが大きさゆえに足りるかどうかギリギリだったぞ。足りなければ陽光山へ取りにいかなければならなかったところだ。だがそれも本人の選んだ
息継ぐ間もない鋼鐵塚による言葉の連鎖に、炭治郎は圧倒されるほかなかった。
なんとか家の中へと招き入れようとするが、庭先で新しい日輪刀を取り出しながらの説明とも愚痴ともとれる台詞が止まる気配を見せない。
「……無理だ。鋼鐵塚さんは夢中になると人の言葉が耳に入らない」
「うえええええぇ――っ!?」
いつの間にか、ぼんやりとした表情を浮かべた義勇が両肩に大量の薪を担ぎながら現れた。その表情にはまたか、という意思がありありと詰め込まれている。
どうやら日輪刀の事になると、暴走が止まらない御仁らしい。
「それでも目の前に人がいなくなると怒るからな。……お前は茶の準備でもしていろ」
「あっ、ああ……」
どうやら義勇が防波堤となってくれるらしい。
今だけは仇の好意に甘えつつ、炭治郎は家の中へと入っていった。
最後までお読み頂きありがとうございました。
義勇さんの生活能力が皆無という設定はオリジナルです。原作15・16巻辺りのぼけーっとした彼を見ていたら思いつきました。きっと姉の仇を討つために修行ばかりしていたのでしょう。炭治郎との距離も、ちょっとは縮まったのかな?
さて。
次回はちょっとした伏線回です。またまたオリジナル要素が出て来るお話になっていますので、宜しくお願いします。
ではまた明日ー。