本当はあったかもしれない「鬼滅の刃」   作:みかみ

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第4-8話「変わり果てた母」

「逃げろ」

 

 始まりは、師である鱗滝の唐突な言葉からだった。

 

「……えっ?」

 

 あまりに唐突で簡略化された指示に、炭治郎は師が何を言っているのか理解できない。

 

「なぜかは分からんが、鬼にお前達の居場所が知られた。逃げろ」

 

 二度言われても炭治郎は反応できない。

 そもそも鬼殺隊は鬼を狩るために存在する組織だ。その育手という古老の立場に居る鱗滝が、戦いもせずに逃げろとはどういうことだろうか。

 

「鬼が来るなら戦えば……」

「駄目だ。この匂いをお前も感じぬのか? 片足と失った儂や、駆け出しのお前達では話にならぬ鬼が来る。……この場に義勇が残って居ててくれたことだけが幸いだ。逃げろ!!」

 

 これほどまでに師である鱗滝の緊迫した声色を、炭治郎は聞いたことがなかった。つまりはそれほど凶悪な鬼が来るというのだ。この場に居続けるのは勇敢ではなく、無謀。ならば取るべき選択肢は逃亡の一手しかない。

 鬼殺隊士として初めてとなる炭治郎の戦いは、最悪の結末となる。

 

 その事実を鱗滝だけが予見していた。

 

 

 

 炭治郎と禰豆子が新しい日輪刀を手にしてから三日の時が流れていた。

 怒りと絶望という名の熱に倒れた鋼鐵塚は、すでに刀鍛冶の里から来たという同僚の手により帰還の途についている。その同僚が炭治郎の隊服、そして鬼殺隊本部からの伝令役でもある鎹烏を用意してくれ、いよいよ初仕事への機運が高まっていた時に事件は起こった。

 

 原因など、一つしか考えられない。

 

 間違いなく、あの男の差し金だと考えてよいだろう。

 あの時、鬼達の首領である鬼舞辻 無惨は竈門兄弟に対して妙な執着を見せていた。それなのになぜ、あの鬼は自分達兄妹を放逐したのか。その理由は今だに分からない。何しろ、あの最初の惨劇からすでに二年以上の月日が流れているのだ。

 

 そして今、鱗滝でさえ恐れるほどの鬼が明確な殺意をもって襲来しようとしている。

 

 今更、なぜ? そう思わずにはいられなかった。

 

 鱗滝邸の庭先から、赤い闘気のような臭いが漂ってくる。赤くはあるが決して嫌な匂いではない。

 

「……鱗滝さんと妹を連れてさっさと逃げろ。足手まといになる気か?」

 

 そこには、最近のボケっとした表情が嘘のように引き締まってた義勇の顔があった。悔しいが今の竈門兄妹は戦力にならないらしい。ならば今の最優先は妹を連れて生き延びることだ。仇に助けられるなど業腹だが、背に腹は変えられぬ状況だ。

 複雑な顔を浮かべつつ、炭治郎は横を通り過ぎた義勇に声をかけた。

 

「こんなところで死んだら許さないからな。……お前の首は俺のモノだっ」

「お前にも、ましてや鬼に取られるほど俺の首とて安くは無い。――――行けっ!」

 

 覚悟を決めた義勇の言葉に頷きながら、炭治郎は右手で禰豆子の小さな手を握り締める。そして背中には鱗滝を乗せようと玄関先で膝をつく。

 だが鱗滝は片足で胡坐(ざぜん)を組み、その誘いに応じようとはしなかった。

 

「儂はよい」

「鱗滝さんっ!」

「この中で一番の足手まといは儂だ。もはや老骨、この場で鬼に喰われたとしても大した力にもなるまい。……置いてゆけ」

 

 師として弟子に迷惑をかけ、若い命を危険に晒すなど問題外。鱗滝の温かい背中が無言の言葉を放ってくる。だからと言って、置いてけぼりにするほど二年と言う月日は短くない。

 竈門兄妹にとって、師であると同時に家族でもあるのだ。これ以上家族を失うことなど、炭治郎と禰豆子には耐えられるはずもなかった。

 

「いやだっ! 無理矢理にでも連れて行きますからっ、禰豆子ぉ!!」

「うーっ!」

 

 炭治郎の思惑を敏感に察したのか、禰豆子がひょいと鱗滝の身体を頭上まで持ち上げる。こういう時だけは鬼の常識外な力が役に立つ。

 

「こっ、これ禰豆子。降ろさんかっ!?」

「…………」

 

 鱗滝の叫びに一切の聞く耳を持たず、禰豆子は炭治郎の元へと戻ってゆく。禰豆子とて理解しているのだ。この二年間、親のように接してくれた第二の父たる存在を。

 

 そんな一悶着は時間にすると、一分少々。

 

 普段の生活であればあっという間に過ぎ去る短い時間だが、この場においてはそうではなかった。

 いかに鱗滝の鼻が優秀であるとはいえ、鬼の俊足もまた驚異的であった。

 

 ひょっこりと、鱗滝邸に広がる庭先の更に先。樹齢百年は数えようかという大樹の陰から一人の鬼が顔を覗かせる。

 

 その鬼の顔は、竈門兄弟にとって。

 

 二年ぶりに見た、懐かしすぎる顔だった。

 

 ◇

 

 その顔は、燃え尽きた灰であるかのように白かった。

 

 いや、顔だけではない。腕も、足も、胴体も。そして腰まで伸びる髪さえも。顔色を心配するまでもなく、死人のように白かった。

 唯一の彩りと言えるのは、ぽたりと顔に落ちたようにも見える、まん丸な血の痕だ。唇の両側と額、その二箇所だけに十余りの赤い円が描かれ細い線で繋がっている。

 

 だが、それ以外はあの平穏だった頃を思い返す懐かしくも優しい表情だ。

 

 そんな鬼が、竈門兄妹の前でニコリと笑う。

 

「…………………………かぁ、ちゃん?」

 

 炭治郎が呆然としながらも、そう呟く。

 

「………………うっ?」

 

 兄とはちがって事態をうまく飲み込めないのか、禰豆子は不思議そうに目の前の鬼を見つめ続けている。

 

「久しぶりね。……元気そうでよかったわ。炭治郎、禰豆子」

 

 間違いない、あの時から時が止まったかのような存在が目の前にある。

 二年前の惨劇。禰豆子をはじめとした兄弟達が鬼へと変えられ、四人の兄弟を失った時。なぜかあの家には居なかった母。

 

 竈門 葵枝(きえ)の顔がそこにはあったのだ。

 

 

 

「かあちゃんっ、かあちゃん!」

「う? ……うえっ??」

 

 炭治郎の瞳に涙が浮かぶ。

 久しぶりの温もりを感じるため、フラリと母の元へ歩み寄らんと炭治郎の身体が動いた。禰豆子は今だに瞳をまん丸にしたまま動かない。どうやら突然すぎる出来事に理解が追いついていないようだ。

 

 目の前に奇跡がある。

 この二年間、決して実現しないであろうが心の中で望み続けた現実だ。あの頃にあった幸せの一欠けらが自分の元へと帰ってきた。興奮するなと言う方が無理な話なのだ。

 今の炭治郎に変わり果てた母の姿は映っていない。あの頃のままの、自分達兄弟を暖かい眼で見守ってくれていた母の姿が虚構となって映りこんでいる。

 

 そんな炭治郎を制したのは、鬼殺隊の頂点の一角たる水柱だった。

 

「……待て」

 

 相変わらずな、感情のまったく見えない声で冨岡義勇が立ちはだかる。

 

「よく見ろ……、お前の母らしきモノは鬼だ」

「それがどうした!? 間違いない、かあちゃんだ。あの人は俺達のかあちゃんだ!!」

 

 義勇の制止にも炭治郎は聞く耳を持たない。ありえない奇跡が目の前にあるのだ。これを逃したらもう二度と起こりえない奇跡が。

 だが、夢見る少年と化した炭治郎の眼を覚まさんと義勇が残酷な現実を突きつける。

 

「人ではない。……鬼だ、鬼は斬らねばならない」

「ふざけるなっ!!」

 

 どこまでも冷静な義勇。そんな彼へと怒りをぶつけるように炭治郎が怒鳴り散らした。今にも新しい日輪刀を抜かんばかりの形相だ。

 本来、鬼殺隊では決してありえないことが起きている。

 もうすでに、炭治郎は正気ではないのだ。これまで鱗滝の元で学んだ知識も忘れ去り、自分に都合の良い妄想を目の前の母に映り込ませている。義勇は悲しそうな瞳をしつつも己の使命を果たそうとし、炭治郎は二度も大切な家族を斬らせてなるものかと激怒する。

 そんな少年を正気に戻したのは、鬼と成り果てた葵枝だった。

 

「いいの、炭治郎。その剣士様の言うとおりよ。……私は、鬼に変えられてしまった。こうなればもう、斬られなければならないの」

 

 敵意のない証明として、両手を挙げながらゆっくりと近づいてくる葵枝。鬼狩りとしての使命を叩き込まれた義勇でも、こんな鬼と遭遇するのは始めての経験だ。

 

 この()は、自らの死を望んでいる。

 

 本当に斬っても良いのか? それとも禰豆子という前例があると言うなら、この女性も鬼殺隊士として鬼と戦う運命を選択できるのか? あまりの異常事態に、義勇は判断がつかない。そんな水柱の横をゆっくりと通り抜けた葵枝は、炭治郎と禰豆子の二人を胸の中へと迎え入れた。

 

「…………えっ?」

「…………」

 

 ぎゅっと抱き締められた母の胸の中。だが二人が期待したような温もりは一切感じられない。

 むしろ、生命活動の終わった死体に抱き締められたかのような冷たさだ。なぜ? なぜなんだ?? と炭治郎は心の中で疑問の声を繰り返す。だって、俺の妹は。禰豆子はこんなにも暖かいのに。

 瞳孔が開きかけた炭治郎の瞳が、ゆっくりと正気の色を取り戻した。

 

 やはり、この世に奇跡なんてないのだ。

 どうしようもなく、自分達の母は生命活動を停止している。そんな残酷な現実を否が応もなく突きつけられてしまった。

 

 どんなに切望しても、竈門紗枝は死んでいる。

 

 あの暖かい家庭が戻ってくることは、もう二度とないのだ。 




最後までお読み頂きありがとうございました。

ようっ……やく、出せました!

序盤から考えていた構想「母の鬼化」です。
一章で無惨によって鬼と化し、義勇によって首を跳ねられたのは兄妹達のみです。あの場には何故か、居るはずの母の姿がありませんでした。

その理由が今回のお話からようやく活用することができます。
原作を読んでいる皆様なら姿形の描写で予想がつくかと思いますが、母の葵枝はもう竈門家の母だけではなくなってしまっています。

作者にとっても最初から思いいれのあるお話ですので、今後ともお付き合い頂ければ幸いです。

宜しくお願い致します。

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