四人乗りの人力馬車に揺られることしばらく。
浅草寺の喧騒が嘘のように静まり返った住宅街に炭治郎達はいた。確かに周囲を盛り上げるような喧騒は皆無だが、その代わりに荘厳さという点においては天地ほどの差が存在する。この静けさが、審判の時を待つ囚人のような緊張感をもたらすのだ。
魔都東京ならではの巨大な石造り西洋建築物が炭治郎の心に無言の威圧感を放っていた。
「どうぞ、お入りください」
「入れと、言われましても……。このお城に?」
先ほど出会ったばかりの神藤久遠と名乗ったお姉さんに、屋敷の中へと入れと促される。
しかして、どうにも気圧されてしまった炭治郎の足は言うことを聞いてくれなかった。かつて藤襲山で相対した数手の大鬼でも跨げないほどの、巨大な鉄格子の前に炭治郎達は立っているのだ。田舎者の目から見れば地獄へと繋がる門としか映らないが、どうやらこれは個人宅の正門なのだと言うのだから恐ろしい。お姉さんの言葉がなければ、とてもじゃないが入り込む勇気はなかっただろう。更に門の奥には、巨大なお城に相応しいほどの小間使いらしき方々が整列して待ち構えていた。
「う――……」
禰豆子が怯えた表情で炭治郎の裾を掴んでいる。もし自分に兄や姉が居るならば、同様に助けを求めただろう。今までの生活風景とはあまりにも違いすぎる。
「お城なんて言われるほど大きくはありませんよ。貿易商をしているだけの、一般市民の家に違いはありません。それにどれだけ見た目が違おうとも、これとて人の住処には違いないのですから。それと母上は私の主治医のところへ運びましょう。大丈夫、先生も事情をよくご存知ですから」
そんな竈門兄妹の反応を見て、苦笑しながらも謙遜するお姉さん。鬼と化した母の対応まで至れり尽くせり、だ。普段であれば大事な家族を他人に委ねるなど決して許さない炭治郎だが、十五年ものあいだ身体に染み付いた田舎者根性が都会のご令嬢の前ではなすがままの人形とさせている。
久遠と名乗ったお姉さんは、まるで自分が人ではないかのような口ぶりだ。確かに、この女性からは鬼の臭いがほのかに感じられる。だがそれと同じくらい人間の臭いも感じるのだ。
どうやら、浅草での自己紹介を信じるほかないようだ。この人は本当に、人間と鬼の血を併せ持った、世にも珍しい半人半鬼の女性なのだと。
改めて前を向いてついてゆけば、なるほど。実にお嬢様らしい堂にいった態度である。玄関口まで続く小間使いのお姉さん方が作り出した花道を、久遠さんは悠然と歩いてゆく。正直、この場の雰囲気に圧倒されっぱなしの炭治郎はこんな異次元空間に入り込みたくはなかった。だが躊躇なく進む鱗滝にくわえ、先ほどまで怖がっていた禰豆子も好奇心を抑えきれないかのようについて行ったのだ。
妹の前で情けない兄の姿を見せるわけにはいかない。
炭治郎はそんな無理矢理作り出した兄の矜持に頼りながら一歩、足を前へと踏み出した。
◇
「粗茶ですが……」
「あ、はいっ!」
何が「はい」なのかと、炭治郎の言葉に茶々を入れる者はいなかった。決して茶器を傷つけないよう慎重に持ち上げ一口、紅茶を飲み込む。味なんて分かるわけがなかった。ただ一言、感想を述べるとするなら「高そう」これにつきる。かつての竈門家で淹れていたお茶は、山の麓にある農家さんからお裾分けを頂いたものが殆どだ。つまりは
しかして、緊張しっぱなしでは進む話も進まない。先陣を切ったのは頼れる師、鱗滝だった。
「詳しい自己紹介をお願いできますかな? 神藤久遠というお名前は伺ったが、我等の事情をご存知の様子。さりとて此方はお嬢さんの事情はとんと知らぬのです」
決して無礼にならない程度に年長者の貫禄を言葉に乗せる鱗滝師匠。さすがの一言である。声も出ない竈門兄妹は事の成り行きを見守る他ない。
久遠は鱗滝の言葉にニッコリと笑顔で返すと、少しずつ語り始めた。
「まず、初めに。私という存在の説明をせねばならぬでしょう。皆様お疑いなのではありませんか? 私が人なのか、それとも鬼なのかを」
自らの胸に手をあて、久遠は語りだす。なぜ自分という存在が此処にあるのか、どうして自分のような存在が生まれてきたのかを。
「浅草で口にした通り、私の母は人間。そして父は鬼となります。わざわざ私の屋敷までお越しいただいたのは、あの場で詳細な説明をすると無用な誤解を生みかねなかったからです」
「……その時点で、懐疑的な視線を向けられる覚悟はおありだったのでしょうな。そもそもが鬼が子を作れるなど鬼殺隊の文献にも記述がない」
「はい、『普通の鬼』には到底無理な芸当でしょう。ですが私の父は、……父とも呼びたくはありませぬが。普通の鬼ではなかったのです」
久遠と鱗滝の会話を聞きながら、炭治郎は己の頭脳で内容を噛み砕いていた。
炭治郎の知識で普通ではない鬼と言えば、まず禰豆子。鬼の身でありながら「全集中の呼吸」を見につけ、人ではなく鬼を喰らって生きる異端児だ。以前の騒ぎで多少なりとも人肉が必要なことも判明したが、今のところ栄養は足りているらしい。これならば再び重傷を負わない限り、当面は問題ないであろうとは鱗滝の言である。
次にあげるとするならば、あの男の腹心である十二鬼月だ。鬼でありながら主人を仰ぎ、強大な力を見につけた難敵。もしあの場に富岡義勇という水柱が居なければ、間違いなく炭治郎達はこの場にいない。炭治郎を鬼殺隊への道へと導いてくれた花柱:胡蝶カナエも上弦の手によって命を落とした。つまりあのような化物が十二匹も居るのだ。
そして、最後に。竈門家の平穏を地獄へと変え、今も必死で生きる炭治郎達を嘲笑っているであろう鬼の頭目にして「原初の鬼」。
その名は――。
「皆様もご存知かと思います。祖父を欺き、母を騙し、この宮藤家の資金を思うがままに活用した極悪人。その名は「鬼舞辻 無惨」。私は千年もこの国に害を成し続ける鬼の種から生まれた半端者なのです」
最後までお読み頂きありがとうございました。
前話の後書きでもお話した通り、神藤久遠というキャラには原作でのモデルが存在します。アニメでいうところの第八話で無惨が抱いていた女の子。自らの娘のように大切にしていた子を成長させ、色々な設定を付け足した存在が久遠です。
原作ではそれ以降なんの出番もなかった子ではありますが、もし「無惨が人の世に潜むために産ませた子」であるならば。
少なくとも無惨様には生殖能力があるということになります。
まあ十中八九、洗脳やらなにやらで仮初の家族として生活していたのでしょうが、この作品では半人半鬼の存在として久遠が誕生しました。
そんな彼女が何を思って炭治郎達に近づいたのか。
また明日の更新をご期待ください。
ではではっ!