結局のところ話し合いは夜にまで及び、何の宿の予約も取っていなかった炭治郎達はそのまま久遠のお屋敷にご厄介となった。
これほどの豪邸ともなれば二階の客室とて片手では足りないほどにある。炭治郎達にはそれぞれ個室が与えられ、柔らかすぎるベッドに包まれることとなった。しかしてとても眠れる気分じゃないことも確かである。今だに目蓋が降りてくる気配を見せなかった炭治郎は、休憩所に隣接されたベランダへと足を運んでいた。
「どこへ行っても、星は変わらないな……」
なんて情緒じみた台詞を口にする炭治郎。普段の彼ならこんな弱音とも取られる言葉を吐きはしないが、なにしろ今日は色々ありすぎた。
とつぜん半人半鬼の少女が現れたと思えば、竈門兄妹の仇である鬼舞辻 無惨の娘であるとのたまうし。鬼が人の世に居続ける手段が見つかったかと思えば、自分から妹を遠ざけねばならない。
竈門炭治郎の行く先は
それでも妹は、決して兄の傍を離れようとはしないだろう。そもそもこんな理屈を説明したとしても、幼女となった禰豆子に理解できるとも思えない。もし、炭治郎が禰豆子を此処に置いてゆくと言ったら。一体、どれだけ泣き叫ぶことだろうか。竈門兄妹は二人で一つ、今まで別れるなんて考えたこともなかったのだ。
だがそんな現実が今、ここにこうして差し迫っている。
頭では理解しているのだ。妹や母は鬼のいない世界で暮らした方が安全だし幸せだ。傷さえ負わなければ人様を害することもない。そういう点でいえば富豪の邸宅など最高の条件であるだろう。お嬢様と一緒に自分の家族も守ってもらえるのだから。
でも、それでも。
「俺ってけっこう寂しがり屋だったんだな。……禰豆子が居なくなったら泣いちゃうかも」
「それは家族として当然の感情だと思いますよ?」
独り言を聞かれた炭治郎の顔が真っ赤に染まった。とっさに振り向けば、夜間着の久遠が微笑しながらそこにいたのだ。この人の臭いは微小すぎて嗅ぎ取れないからこその失態である。
「私に背後を取られたのがよほど不覚でしたか?」
まるで悪戯に成功したイジメっ子のように微笑む久遠。
「人の弱音を盗み聞きするなんて、趣味が悪いです……」
「ごめんなさいね。昼間の雰囲気とはあまりにも違ったものだから」
炭治郎の苦情もどこ吹く風。久遠はゆっくりと進みだすと、炭治郎の隣に陣取った。
「私もね昔、自分に自信が持てなくて母と距離を置いたことがあるの」
「それって」
「ええ、もしかしたら狂った私が母を食べちゃうんじゃないかって」
フワリと、夜風にのった久遠の長髪が横にたゆたう。炭治郎の顔は違う意味で赤く染まり始めていた。よくよく考えなくとも今の久遠は薄着だ。ある程度は隠れているとはいえ、夜風で夜間着が張り付き、身体のラインがはっきりと見てとれる。
急にドキドキとした始めての感情が胸中にこみ上げたのだ。今まで一家の長男としての仕事に邁進していた炭治郎には、女性に対する耐性などあるわけもない。
「でもね。母に、私が距離をとっていることがバレちゃったの」
今度は久遠の桃色な瞳に釘付けとなった。禰豆子と同じ、心の中に優しさを持つ色合いだ。
「えんえんと泣かれたわ。例えどんな血が流れていようと久遠は私の娘だって……。結局、私までもらい泣きしちゃって二人で泣きじゃくったってお話ね」
「……お母さんが大切なんですね」
「そりゃそうよ。世間知らずだからあんな男にコロッと騙されちゃったけど、それでもお腹を痛めて私を生んでくれた人には違いないもの。炭治郎君だってそうでしょ?」
「はい」
答えなど分かりきっている。俺達兄弟は、あの優しい母が大好きなのだから。
「でも、炭治郎君の事情は私以上に複雑だわ。神藤家で鬼の血を引いたのは私一人、だから私だけが居なくなれば元通り。それとは違い炭治郎君は人間で、守るべき人が二人も居る。いくら守り抜くと誓ったところで必ず岐路に立たされるわ、妹と母どちらを優先させるかという二択にね」
「…………はい」
それしか返事の言葉がなかった。
心のどこかで考えるなと叫んでいた問題でもある。下弦の伍・上弦の弐による襲撃でも痛感したことだ。あの時は無意識に妹を選択していた。どんなに心が痛もうとも、張り裂けようとも自分達二人が生きていれば母は喜んでくれる。そう確信していたからこそ、あんな行為をしてしまったのだ。
事実、炭治郎が斧で叩きつけ続けた時も母の口元は笑っていた。母である紗枝は、自分の命よりも炭治郎と禰豆子の命を何よりも優先してくれた。
そんな慈母愛が、いまさらになって炭治郎の心へ重石を乗せている。
「…………炭治朗君は優しい男の子だね」
「そんなことないです。鬼だから、禰豆子のためだからって酷い事も沢山してきました。どんな理由があれ鬼は元人間です。そんな人達を、俺はっ」
「ストップ」
久遠の人差し指が炭治郎の口元に触れてきた。自らの心に鉈を振り下ろす行為を、この久遠という少女は止めてくれたのだ。
「炭治郎君は、原罪って言葉を知ってる?」
「いえ」
「元々は西洋の宗教に描かれた「最初の人が犯した罪」って意味なんだけどね。それを転じて、人は生まれてから死ぬまで常に罪を犯し続ける存在という意味にも使われるの。生き物は食事をしなければ生きていけない。それには、他の命を摘み取る必要がある。じゃあ、死ぬまでにどれだけの命を私達は食べているんだろうね? はい、算数の問題だよ? 仮に一食を一つの命として、一日三食を60年続けたら人は何個の命を食べているかな?」
「えっ、えええっ!!?」
勿論、炭治郎は寺子屋などには行っていなかったし勉強を教わる相手もいなかった。算術を修得した人には単純な暗算でも炭治郎にとっては膨大な数字だ。
「……はいっ、時間切れー。正解は六万五千七百個。それが一人の人間が一生において命を奪う回数だよ。それを全ての人間で数えたら、想像もつかないよね。それが自然の摂理ってもので、それに比べたら禰豆子ちゃんの食べた数なんて少ないすくないっ」
久遠は満面の笑みで炭治郎の沈んだ顔を覗き込んだ。まるで炭治郎達がこれまで犯してきた罪が少ないかのように、あるいは罪ではないと言うかのように。
自然と瞳から涙が垂れ落ちる。こんな風に年上の子から慰めてもらった経験さえ、炭治郎にとっては生涯始めてのことであった。
「……良いんですかね。母ちゃんも、禰豆子も、俺も。生きていて良いんですかね?」
「もちろんっ、この世に死んで良い人なんて……割といるかもしれないけどっ! 少なくとも炭治郎君達はその中にはいないよ。私でよければ保証してあげるっ!!」
そう言うと、炭治郎の視界が真っ暗になった。
視界がなくなった代わりに、妙にふわふわとした感触を顔に覚える。始めてのような、もしくはかなり久しぶりのような感触だった。
それが久遠の胸の感触だと理解するに至り、今度は別の意味で慌てふためくハメになったのである。
「ちょ、ちょっと――っ!」
「良いからいいから。今だけは、お姉さんに慰められておきなさい。これでも炭治郎君より二つは上のお姉さんですから♪」
炭治郎が長男でなければ、上に姉が居たのなら。母や姉はこんな感じに抱き締めてくれたのだろうか。ふわふわで暖かい感触に包まれながら、炭治郎はそんな別の世界を見続けていた。
「炭治郎君はやっぱり優しい子だね。人にも、そして鬼にも。これは私、がんばっちゃおうかな?」
夢見心地な炭治郎の耳に、そんな久遠の呟きが届いていたかどうかは。
二人を見守るお月様でさえ、定かではなかった――。
最後までお読み頂きありがとうございました。
突然のラブコメ要素、驚かれたかもしれません。当然です、なぜなら作者とてビックリしたのですから(汗
これは私の書き方で、他にもっと方法あるでしょとツっこまれそうなのですが。
せっかくプロットを書いてもキャラが暴走し、あさっての方向へと突き進んでしまうことが多々あるのです。
もっと困るのが、そちらの方が面白そうだと思えてしまう事ですね。(汗
それとお話の中で、久遠さんが「原罪」という言葉についての講釈をたれています。
一応調べてはみたのですが、本来の意味でしか書かれていない記事ばかりなのですよね。作者的には「こんな意味もあったよね?」くらいで書いてしまったのですが、もし「違う」というご意見があれば感想にてつっこんでください(笑
さあ、次回から久遠さんの攻勢が始まります。押して、押して、押しまくる久遠さんに炭治郎君は貞操を守れるのでしょうか!?
明日の更新をお待ちくださいな。