「紗枝さん、あれからお体の調子はいかがですか?」
畳座敷でお茶を煎じながら、珠世先生は優しい笑顔で紗枝に語りかけてきた。
「……はい、今のところは。先生にはいくら感謝しても足りないくらいです」
そう言って、竈門兄妹の母である紗枝は頭を下げている。
この大正という時代、医者にかかれる者といえば裕福な家庭のみである。治療も、薬も、高額な代物が多くとてもではないが庶民に手を出せるものではない。だからこそ世の中には、大麻などという一時の悦楽を求められる薬が出回るのだ。一般庶民にとって、それだけ病という代物は魔物そのものであった。
聞けば、この屋敷で治療を受けている者は一切の医療費が不要なのだという。神藤家の財力がよく理解できる一例だ。当然のごとく、竈門一家は医者になどかかった経験はない。その日暮らしな生活では贅沢と分類されるからだ。紗枝がこれほど珠世に感謝するのも無理はなかった。
「どうぞ、御気にせずに。昨日もお伝えしましたが相互に利益のあるお話なのです。紗枝さんだけではなく、私やおひいさまにも」
なんとも暖かい空間だ。
炭治郎は落ち着きを取り戻しつつも目の前に出されたお茶を手にとると、ふと思い立った疑問を口にしていた。
「あの……、おひいさまって?」
「私のことです。仰々しいから普通に久遠と呼んでいただきたいのですけどね。それよりも、疑問に思うところがそこですか?」
「へっ?」
ジト目で桃色の瞳に見つめられた炭治郎は、確かにと自分の発言を思いなおした。珠世先生の言葉には呼び名よりももっと聞かねばならない点がある。……相互に利益のある話というのはどういうことだろうか? 炭治郎と鱗滝は、目線のみで問いかけてみる。
「この神藤の屋敷内にある診療所は、研究所でもあるのです。鬼化した人々を助けると同時に、詳細な変化を調べ研究する場でもあります。……見る人が見るなら、人体実験場だと非難されるかも分かりません」
「まあ、きちんと理解してくださる方であれば大丈夫なんですけどね。そんな理由で、この診療所は一般には開放されていません。ここは『鬼の為に存在する診療所』なのです」
炭治郎一行の誰もが、開いた口が塞がらないようであった。
鬼は傷を負っても医者を必要としない。なぜなら人間の肉を食べ続けるかぎり、無限に再生できるからだ。病にかかるかどうかは定かではないが、病床にふせる鬼など鱗滝の経験をもってしても例がない。
鬼殺隊にとって鬼は見つけ次第斬るものだ。今まで決して捕らえて研究しようなどと思い至った事例などあるわけもなく。
この診療所はまさに、鬼研究という新境地を開拓したと言っても過言ではなかった。
「ところで炭治郎君、何か違和感は覚えませんか?」
少しだけの含み笑いを浮かべながら、久遠が炭治郎に問いかけてくる。
「違和感、ですか?」
「はい、私もそうですが。何よりも先生を見て」
「……?」
こういう謎かけは苦手だとばかりに、炭治郎は情けない顔を見せる。
「綺麗な女性だと、思いますけど……、ひぃっ!?」
ギロリ。
炭治郎がそう言った途端、となりの部屋に控えた
「あらあら、炭治郎君は年上好みなんですね。先生といえども、彼はお譲りしませんよ?」
「おひいさまはまたお戯れを。私は外見年齢であっても、この子より一回りほど年増です。お世辞を真に受けるほど若くはありません」
「先生は十分にお若いですよ~」
「あの、息子をからかうのはその辺で……」
さすがに息子が気の毒になったのか、母である葵枝が場を納めようと奮闘している。
少しだけ、炭治郎は非難の視線を久遠に向けた。自分に学がないことを重々に承知している。それなのに悪戯っ子のような問いかけを久遠は仕掛けてくるのだ。そんな仲睦まじいやり取りが面白かったのか、珠世はクスリと微笑んだ。
「私も、鬼ですよ。隣の部屋に控える愈史郎も。炭治郎君であれば、気付けるはずです」
確かに不思議な人だとは、炭治郎とて感じていた。この珠世という女性は自身の存在が酷く希薄なのだ。例えるなら、まるで幽霊であるかのように。それに鬼特有の人肉を喰らった臭いがまったくと言っていいほどしない。
混乱する頭を今だに整理しきれない炭治郎。さすがに気の毒かと思ったのか久遠が正解を語りだした。
「珠世先生こそ、未来における人と共存しうる新たな鬼なのです。彼女はここ数十年、人の肉を一欠けらも口にしてはいません」
久遠の言葉に驚いたのは炭治郎ではなく、鱗滝だった。
「その件に関しては久遠殿から昨日、聞き申した。鬼は栄養源となる人を喰らわねば塵となって滅びる。しかして人の血を摂取するなら成長は見込めずとも命は維持できる。だが食肉衝動だけはどうしようもない、でしたな?」
「……はい。ですが私はこれでも四百年以上の時を鬼として過ごしております。けれども、明治の世になってからは肉を口にしておりません」
「どうやって……、むしろ何故秘密にしていたのですかっ!」
唐突に、鱗滝の語尾に怒気が混じり込んだ。
「鬼を諌める方法があるのであれば……、儂ら鬼殺隊が斬らねばならぬ鬼の数も減っただろうに……っ」
自分の意思で鬼へと変貌した者など数少ないのだ。むしろあの、鬼舞辻 無惨の戯れによって生まれた被害者の方が圧倒的に多い。それを知りつつも、鬼殺隊士達は鬼を斬り続けてきた。鬼となった者の悲しみまでも背負い込んで。
そんな鱗滝の気持ちが痛いほど理解できるのか、珠世は悲しそうに顔を伏せながら口を開いた。
「残念ながらまだ、食肉衝動を抑えられた成功例は私と愈史郎しか居ないのです。おひいさまがおっしゃったとおり、鬼となった者は潜在的に人肉を求めます。その狂おしいほどの欲求を耐え抜くことこそが、第一歩なのですが……」
その後の言葉は久遠が受け継ぐ。
「悲しいことに、鬼となった者の理性では食肉衝動に耐えられないのです。むしろ何を我慢する必要がある、と襲い掛かってくる鬼が大半。珠世先生は私と出会うまで、危険と隣り合わせでしか研究を継続できませんでした」
鬼の誰もが人との共存を望むわけではない。むしろ人ならざる力を得たとして酔い、欲望のままに力を振るう者がほとんどだ。珠世と久遠はそんな鬼達の中でも必死に可能性を探していた。それが今、この診療所で治療されている鬼達である。
「失礼いたした……、少し昔を思い出してしまいましてな」
「いえ、心中お察し致します……。生きるにも戦うにも鬼と人間はきっても切り離せない関係にありますが、そんな運命を打開するために研究を続けている次第です。」
そこまで言われては鱗滝とて怒気を鎮めざるをえない。だが聞かねばならぬ事もあるのは確かだ。
「して、その方法とは?」
「それに関しては炭治朗君にも鱗滝様にも、実際に私達の活動を見てもらった方が早いでしょう。ねっ、珠世先生?」
「そうですね……。おひいさま、お願いできますでしょうか」
鱗滝の問いに対して、ここからは自分の仕事だとばかりに久遠の声が割って入る。鬼が人の世に溶け込む為の研究は何も、珠世だけで行なっているわけではない。久遠もまた自身の中に生まれ持った鬼の地を克服したいと切望しているのだ。
「そろそろ夕餉には丁度良い時間帯ですね。……炭治郎くんっ!」
「はいっ?」
そんなかけ声に慌てて炭治郎が返答を返す。しかして久遠が一体何を考えているのか、見破ることなどできる筈もなかった。
皆の注目を集めるなか、悪戯好きの半人半鬼のお姫様は。
こう、言葉を発したのだ。
「お姉さんと、逢引でもしませんか?」――――と。
最後までお読み頂きありがとうございました。
原作とは違い、珠世先生の研究は「鬼という存在を人の世で生きられるようにする」というものです。もちろん人に戻せるのであればそれにこした事はありませんが、その研究を進めるためにはまだまだ大きな障害があります。
そちらのお話は今後、また別の章でのお話となる予定です。
次回は久遠さんと炭治郎君のデート回です。
とは言っても、この二人のことですからまともなデートになるかどうかは分かりません。
また明日の更新をお楽しみに~。