作者自身、それを十分に承知しての本作ですので広い心で読んでくださいね(笑
暖簾をくぐれば、なんとも香ばしい皮の焼ける臭いが炭治郎一行に襲い掛かってきた。
決して高級料亭などではなく、庶民がたまの外食を楽しむような一般的な食堂だ。お嬢様を地で行く久遠が入るにはある意味、不釣合いと言わざるをえない。久遠が、ではなく店が、だ。炭治郎の想像では物静かな個室に通されて、緊張感で喉も通らない食事になるのではないかと危惧していたのだ。そういう意味では助かったというのが本音である。
「へいっ、らっしゃ――いっ!!」
江戸っ子らしい豪快な口調で迎え入れられた久遠一行は、個室に通された。他は立ち食い場しかなかったからだ。これが洋食のレストランなどのハイカラな食堂ならばテーブル席などもあるが、昔ながらの下町食堂にはそんなものはない。炭治郎にとってもまさか、お嬢様である久遠に立ち食いなどという行儀の悪い真似をさせずに済んでほっとしていた。
ここは鰻一本で勝負する食堂であるようだ。見上げても、「うなぎ 並・上・特上」という札が一枚でかでかと下げられている他は何もない。
「お嬢さん方、なんにするね?」
不必要なほどに大きな声で大将が注文を聞いてくる。うら若き女の子二人を前にして、野郎である炭治郎は視界に入っていないらしい。
「そうですね、では。特上を三つ、一つは少なめでお願いできますか?」
「あいよおっ! 特上みっつ、一つはお嬢様仕上げでぇ!!」
別にからかっているわけでもないのだろうが、大将の一声で久遠のお嬢様っぷりが店中に広まった。熱気に包まれた店内において、この個室だけは花の香りがするかのようである。
馴染みの客が見ても、久遠のような存在は珍しいのだろう。数多くの視線が炭治郎達の顔に突き刺さる。だが当の本人は平然として顔色一つ変えることはない。炭治朗は、これが本物のお嬢様なのだと感心していた。それと同時に、こんなお嬢様がなぜ自分のような田舎者と結婚したいのかワケが分からない。
どう考えても
そんな苦悩に浸る炭治郎をよそに、禰豆子は店内に蔓延する香ばしい臭いに耐えられず口元から涎を垂れ流していた。どうやらよほどこの店が気に入ったらしい。
「禰豆子、はしたないぞ? ああもう、畳にヨダレがたれるっ!」
「……う?」
今の禰豆子に兄の言葉は届いていない。視線と思考はひたすら厨房の方へと向けられているのだ。しかして、手拭いなどという気のきいた持ち合わせなどあるわけがない。炭治郎は仕方なく自らの手で禰豆子の涎を受け止めようと差し出すと、純白の絹によって遮られた。他でもない、久遠が手拭いをもって受け止めたのだ。
「うひゃあ!?」
一体、おいくらなのかと聞くのも怖いほどの白さに禰豆子の涎が染み渡る。洗えば元の白さに戻るのだろうか? もし戻らなかったら弁償だろうか? そんな恐怖が炭治郎の脳裏を駆け巡った。
「……くっくっく。炭治郎君、顔が百面相をしているよ? だいじょうぶ、手拭いはこういう時に使うものなんだから」
炭治郎の庶民すぎる感覚が面白くて久遠は笑いを堪えきれない。まるで庶民をからかう上流階級だ。まあ、真実その通りなのだが勘弁してもらいたいのは確かである。
「……むぅ」
「ごめんごめんっ、馬鹿にしたわけじゃないのよ。ただ、炭治郎君が可愛くて……ね」
何の弁解にもなっていない言い訳である。十五歳の少年に向かっての可愛いは、決して褒め言葉ではないからだ。
「炭治郎君は本当に、禰豆子ちゃんが大切なのね」
「そりゃあ、まあ。妹ですし?」
「うん、当然だよね。私だってずっと抱き締めていたいくらいだもん。だからこそ禰豆子ちゃんは肉ばかりを食べていてはいけないの、分かる?」
食卓に膝をつき、頬に手をあてる久遠の仕草は上流階級として無作法なのかもしれない。だが、悪戯好きの猫のような表情には炭治郎の心を躍らせるものがあった。
「今の禰豆子ちゃんはね、大好物がお肉しか知らない赤子のような状態になってるの。だからお肉しか食べないし、他の食べ物にも興味をもてない」
「それは他の存在にも言えることなのですかな?」
鱗滝が真実を知ったとでも言いたいように口をはさむ。育手という役職に至るまで数多くの鬼を斬ってきたのだ。もしかするなら、久遠と珠世の研究は新たな世を到来させる陽光となるかもしれない。
「もちろんですわ。世の中に色んな美味しいものがあると知らせることは、私の研究課題の一つでもあり、更生にも繋がると確信しております。……他の皆さんも、禰豆子ちゃんのように興味をもってもらえたら良いのだけど……」
久遠が自信たっぷりに言い放つ。これが人と鬼の未来に繋がる架け橋の一つなのかと、炭治郎は聞き入っていた。だがその望みがまだまだ遠いこともまた、事実として指し示している。
鬼殺隊はあくまで、非政府組織。世の中に認められていない集団である。
もし鬼を狩っているところを目撃され、殺人だと誤解されたのならば。隊士は問答無用で牢屋にぶち込まれるだろう。多くの人は鬼などという存在を信じてはいないし、被害にあうなど考えてもいない。
だからこそ、このような一般の食堂では間違っても「鬼」という単語を口にしないのだ。狂人だと思われるならまだしも、危険人物だとして目を付けられようものなら文字通り目もあてられない。
鱗滝と久遠は、世の渡り方というものを十分に熟知していた。
うなぎ料理は時間がかかる。
だからこそ、じっくりと腰をすえるには格好の食堂だ。炭治郎達はご馳走を待つ間、お互いの齟齬を少しでもなくすよう語り合いを続けていた……。
◇
「へいっ、特上三人前お待ちっ!!」
一通りは語りつくしただろうか。そんな風に思っていたところへ、大将のかけ声がかけられた。
蓋が閉まったどんぶりに、味噌汁と漬物の付け合わせ。炭治郎達には見慣れた光景ではあるが、やはり久遠の前にあると違和感が拭えない。お嬢様には箸より、ナイフとフォークの方が似合うのだ。だが久遠はそんな炭治郎の心持ちなど知ることなく、ウキウキとしながら蓋を開け放った。
炭治郎の気熱とは正反対の、生き物に活気を与える湯気が立ち上る。これまで悲惨な死ばかりを見続けてきた炭治郎が、他者を生かすための死に対面していた。隣を見れば、もう辛抱たまらんとばかりに禰豆子がどんぶりに顔を突っ込んでいる。
それは完璧だと目を覆いたくなるほどの犬食いであった。拳を作るかのように握った右手の中にある箸は、もはや補助的な役目しか果たしていない。
「うっ…、うっ……、うう――っ♪」
「ちょっ、禰豆子っ!? もっとゆっくり味わって食べるんだ!」
そのあんまりな食べ方に慌てて炭治郎が注意する。個室とはいえ、別に
「おいおい、嬢ちゃん。良い食べっぷりだな! さては江戸前うなぎ初体験だな?」
「う――――っ!」
「ここの大将はな、元は料亭の板前だったくせしてわざわざクソ汚い食堂を始めた大馬鹿野郎だ! どうだ、うまいだろう!!」
周囲の客が禰豆子の食べっぷりを見て声をかけてくる。これが江戸っ子の気質というものであろうか。細かい作法などに気を使う者など居はしない。たとえ顔中に米粒を付けていようが、美味さの証明だとばかりに受け入れてくれている。
「はいよ、水と手拭いだ。妹の顔を拭いてやんな」
妹によるあまりの惨状に気付いたのか、大将が気を使ってくれる。反射的に炭治郎は謝罪の言葉を口にしていた。さすがにこれはあんまりだ。
「……お騒がせしてすみません」
「別にかまわねえよ、騒ぎっていうなら周りの連中の方が大概だ。それによ、こんなに美味そうに食ってくれる嬢ちゃんなら大歓迎だぜ」
「なんだよ大将! 俺達だって美味そうに食ってるぜ!?」
「うるせえっ! テメエらはくうもん食ったら、さっさと居酒屋にでも行きやがれ!!」
なんとも男臭い会話の応酬である。でも炭治郎はなんだか、無性に懐かしくもあった。
竈門家の麓にある街も、こんな風に炭治郎を迎え入れてくれていたのだ。籠いっぱいの炭を背負い込み、通りを歩く炭治郎に誰もが笑いかけてくれた光景が思い出される。
もう、あの頃には戻れない。だが同じくらい幸せにはなれるはずだと思いなおす。回りの誰もが笑顔に満ちた、こんな光景を取り戻すのだ。
どんぶりの底にある米粒一つまで嘗め回す妹を見守りながら、炭治郎はもう一度決意を改めた。
最後までお読み頂きありがとうございました。
前書きでも言いましたが、この五章は独自改変の連続です。今回は特に、禰豆子が普通の食事を口にしました。
細かい設定はあれど、本音は「禰豆子に人間らしい食事をさせてやりたかった」という親心(作者ごころ?)でございます。
鬼も人間でいうところの三大欲求は確実に存在すると考えています。
食欲はもちろんのこと、睡眠欲も昼のうちに満たしているはずですし。性欲は……どうだろう。もし描写したらR18になっちゃいますね^^;
今回のお話を一言でいえば。
「鬼に人間らしい食事の味を思い出してもらう事こそ、食肉衝動克服の第一歩である」という久遠さんの研究テーマでした。
医療的な方向からは珠世先生にまかせ、人間学的な方向から攻めているわけですね。
こんな解釈もアリかと思っていただければ幸いです。
それではまた明日、朝7時にお会いしましょう!