翌日。
炭治郎は一人、那田蜘蛛山討伐隊の大本営に呼び出しを受けた。すでに朝日が輝かんばかりに姿を見せている時間帯であり、伊之助の命を救った禰豆子はとっくに木箱へと退避している。今日も夜には出動がかかるだろう。それまでの間、妹にはぐっすりと休んでいてもらわなければならない。
「階級:
緊張感を漂わせる声を張り上げながら、炭治郎は入室の許可を求めた。大将である蟲柱:胡蝶しのぶは、あのカナエの妹だけあって油断のならない女性だ。姉と違って真面目一辺倒な点もそんな印象に拍車をかけている。
「はい、どうぞ」
「し、失礼しまっす……」
なるべく機嫌をそこなわないよう、慎重に挨拶をしながら大本営へ入室する。そんな炭治郎の印象に反して、しのぶはニコニコと笑っていた。だがその笑顔の裏にどんな表情が隠れているか分かったものではないのだ。
「あの、俺が呼び出されたのって……」
「炭治郎君だって、おおよそは気付いているのでしょう? 報告は受けました。……貴方の妹、禰豆子さんの件です」
しのぶは目の前にある二枚の資料のうちの一枚を手に取り、意味ありげな言葉を漏らした。
やはりそうか、と炭治郎は心の中で舌打ちをもらす。今の今まで、禰豆子が鬼だという事実は隠されてきた。他でもない、しのぶの姉であるカナエが本部に報告しなかったからだ。それが今、ついに鬼殺隊内に伝わり始めてしまったのかもしれない。
特に姉であるカナエを鬼に殺されたばかりの胡蝶しのぶがどのような判断を下すのか、炭治郎の心に緊張が走る。
「まあ、立ち話もなんですから。こちらへどうぞ」
「……はあ、失礼します」
作戦立案のために中央に配置された大机の横には、元々村長宅にあったであろう座敷が隣接されている。その中央には囲炉裏が赤く燃えながらもお湯が温められていた。しのぶの側近であるアオイが茶を入れてくれたのだが、炭治郎としては茶を飲むような気分でもない。
炭治郎の中には疑問もあった。
確かに禰豆子は世にも奇妙な藤の呼吸を体得した。それは大変な奇跡ではあったのだが、別にありえないわけでもない。その昔、鬼殺隊の呼吸法は一つのみだったそうだが何代もの柱が自分に適した呼吸を開発するうち、色々な型に波及していったのだ。現代においては珍しいが、歴史をかえりみれば珍しくもない。
「まずは新たな仲間である伊之助君を救ってくれたこと、討伐隊大将である胡蝶しのぶが全隊士に代わってお礼を言います。……ありがとう」
「いえいえっ、伊之助を助けたのは俺じゃなく妹ですから。禰豆子に言ってやってください」
柱という頂点の地位にあるにも関わらず、しのぶは深々と新人である炭治郎に頭を下げる。そんな姿を見せられたら逆に炭治郎の方が慌ててしまうというものだ。どうやらしのぶにも、そして他の隊士にも悪い印象は持たれていないようである。
……もしかしたら禰豆子が鬼だとはばれていないのではないか?
そんな淡い期待の光が炭治郎の心に照らされた瞬間、次のしのぶの言葉で再び闇へと突き落とされた。
「……そうですね。本来であれば兄である貴方ではなく、当事者である妹の禰豆子さんに感謝の言葉を送るべきでしょう。ですが、禰豆子さんは今。あの木箱からは、出てこられない」
「それはっ!?」
まるで事実を確認するかのように、しのぶは一言一句を強調した。それは彼女が鬼である事実を確認しているのだ。
炭治郎には返す言葉もない。もし下手な嘘をつこうものなら、今すぐ木箱から出て証明してみろと命令されるだろう。それは禰豆子の死を意味するのだ。
疑惑が確信へと至るにあたり、しのぶは大きく一つ、ため息をついた。
「鬼と成り果てた少女が鬼殺の呼吸を会得して隊内に紛れ込む。本来ならば本部まで連行し、柱合会議で裁判にかけるべき事案です」
「……っ!」
無言を貫く炭治郎。そんな新人隊士を見つめながら、大机からもう一枚の資料を引き寄せた。
「さすがは元水柱:鱗滝左近次様ですね。素晴らしい厄除の面です。装着した者の身を守るだけではなく、鬼の気配さえも遮断してしまうとは。この時代においてこれほどの一品を製作できるのは、かの御方以外いらっしゃらないでしょう」
そう、最終選別からこの時まで。
禰豆子の頭には常に鱗滝が作ってくれた「厄除の面」があった。表向きは育手の修行を完了した事実を示す証のように見せているが、炭治郎は自分が受け取るべき面を禰豆子につけさせていた。それというのも、元々禰豆子が受け取っていた面は藤華との一戦で粉々に吹き飛んでいたからだ。鱗滝は代わりを製作しようとしたようだったが、累や童磨の襲撃でその機会すらも失われていた。
鱗滝の「厄除の面」は特別製だ。一度だけではあるが装着者の命に関わる衝撃を身代わりとして受け止めてくれるほか、顔を隠すばかりでなく己の気配さえも遮断してしまう。元々はといえば自らの気配を消し、狩るべき鬼へと接近するためにある機能なのだ。だが禰豆子の場合は、自身が発する鬼の特性までも遮断することで人の世に溶け込む奇跡を実現させている。
本来、鬼である禰豆子が藤襲山に入ってこれたのも。他の隊士の鋭敏な感覚に正体を悟られなかったのも。
禰豆子の鬼たる気配を遮断し、装着者を守る「厄除の面」のお陰だったのだ。
「他の隊士の目は誤魔化せても、蟲柱たる私の感覚までは誤魔化せません。それにある意味、私の蟲の呼吸と禰豆子さんの藤の呼吸は似通っているとも言えますからね。更に言うなら藤の呼吸は私も試行錯誤を繰り返していた理想なのですよ」
自らの手にある禰豆子の面を見つめながら、しのぶは事実を指摘する。鬼殺隊士にとってこれほど強力な呼吸もない。鬼にとっては死を告げる毒であっても、人にとっては希望の光となりえるのだ。
「禰豆子は確かに、あの鬼舞辻 無惨の手によって鬼へと変えられてしまいました。けどっ、心までは変わっていません!」
「……心は、ね。それを証明するにはきっと、長い年月が必要でしょう。今の鬼殺隊はあまりにも多くの命を鬼に奪われすぎている。もし今この事実を公表するなら、確実に禰豆子さんを迫害する動きがでてきます。勿論、兄である貴方に対してもね」
それは予言であった。
予言ではあるが、確定した未来でもあった。
東京は浅草。あの城のような屋敷で久遠が語った、「差別と区別」が炭治郎の脳裏に去来する。
鬼になった禰豆子が人を襲ったことなどない。師である鱗滝や兄たる炭治郎が見守っていたというのも大きいが、禰豆子は自分の意志で人は味方であると認識しているのだ。これより先の未来においても、人の血さえ久遠に供給してもらえるならば。よほどの重傷を負わないかぎり、禰豆子が人の肉を喰らうことはないだろう。
だが、それでも。
鬼である禰豆子を隊士達が受け入れてくれるかと言えば、まったくの別問題だ。
人は誰しも、自分の経験からくる知識を一番に重要視する。皆、家族や友人を殺された過去をもち、一匹でも多くの鬼を殺してやるという殺意を覚えたからこそ入隊しているのだ。そんな状況の中で「人の味方をする良い鬼です」などと言ったところで誰も信じない。
他ならぬ、炭治郎自身も鬼に憎悪を燃やしつつ此処まできたのだ。苦渋ではあるが、そんな隊士達の心も理解できてしまっていた。
「……反論もないようですね。とりあえず、禰豆子さんの身は私が保護します。伊之助君を助けてくれた事実は事実です。悪いようにはしません」
「でも、禰豆子には。俺が、兄である俺がいないとっ!」
「炭治郎君、貴方はもう鬼殺隊士なのです。自ら望んでこの道を選択した。……違いますか?」
「…………」
「ならば私の言葉も理解できるでしょう。鬼殺隊は鬼を斬る組織、そこに例外があっては秩序を乱します。……花柱である姉は信用したようですが、私は、そこまで信じることは出来ません」
最後の言葉には自嘲のような意味合いも含まれていた。
姉にできることが妹にはできない、そんな葛藤を含んだ声色だ。それでもしのぶは隊士二百人を従える大将である。自分の判断一つで取り返しのつかない惨事となる、そんな未来の悲劇をこの場に居る誰よりも警戒していた。
炭治郎は無言でしのぶの提案を受け入れる。
どちらにせよ、これ以上禰豆子を戦場に立たせるわけにはいかない。自分が妹を守ればいいだけの話だと楽観的に考えていたのがそもそもの間違いだ。
ならば、この本部こそが。
自分の隣より安全な場所であると、炭治郎は己の心を無理矢理納得させる他なかった。
最後までお読み頂きありがとうございました。
またもや竈門兄妹に不穏な空気が漂っています。果たして二人は隊士達の信頼を勝ち取ることが出来るのでしょうか?
そして前話に引き続き、第三章の伏線が回収されました。そう、厄除の面です。
この面を被っていたからこそ禰豆子は藤襲山になんとか侵入でき、その場にいた伊之助や善逸、カナヲにも正体を見破られずに済んでいたのです。
正直、かなりの便利アイテム設定なので採用するか作者も悩みました。ですがあの局面で禰豆子を登場させるにはコレしか手段がなかったのです。
禰豆子が特別な鬼だから藤も大丈夫。なんて無茶苦茶設定よりマシだと、それくらいに考えてあげてください^^;
さて、明日の更新ですが。原作を一足飛びに省略した関係で未登場の人物が出てきます。AM7:00をおたのしみに。