第7-1話「見限りの瞬間」
――ならばもう一度、その目で拝んでくるといい。人という存在が、どれほど醜く救いがたい存在なのかを、な。
走馬灯の中で聞いた怨敵:鬼舞辻 無惨の言葉は殆どが正解で、ごく僅かは間違っていた。
「禰豆子っ、ああ、……ねずこぉっ!!」
急勾配の、獣道にしても起伏の激しい山道。周囲には燃え盛る樹木がせまり、今にも黒煙が隊士達の肺を焦がすかのようだ。
そんな中で禰豆子の倍は背丈がありそうな、蜘蛛鬼の巨体から繰り出された爪による一撃。その腕は妹の腹を貫通し、背骨を破断し、手首まで突き抜けている。投げ捨てるように振りぬかれた巨鬼の腕から、禰豆子は腐葉土が敷き詰められた道脇の山肌に叩きつけられた。
「……うっ、ああ……あっ――――!?」
普段の禰豆子が口にする可愛らしい声色は見る影もない。兄が耳にする、妹の、始めての断末魔。
腹には巨大な穴が空き、大量に吐いた血は地面に池を作り、小さい身体は細かい痙攣を繰り返す。その光景を目にした隊士達は、誰も動けずにいた。
「誰か、助けてくれっ。……誰かっ!」
鏡と顔面が衝突しそうなほどに近づいた炭治郎が、一里先の光景に助けを求める。
だがあれほど隊士達の解毒に貢献した禰豆子のそばに、誰も近寄ろうとはしなかった。いや、それでも助けに近づこうとする隊士はいた。だが禰豆子の腹に空いた穴が、すこしづつ塞がろうと再生を始める光景を目の当たりにして再び足を止める。
決して人ではありえない光景だった。
穴の周囲から肉芽が盛り上がり、脊髄の神経が生き物のように伸び始め、背骨を繋ぎ。鬼の身体が時を巻き戻すかのように再生を始めている。しかしてその速度は酷く
疑いの声はあった。
だがもし少女が鬼であったとしても大したことではないと、隊士達は
しかして今。
禰豆子が鬼たる証拠を見せつけられて、隊士達の誰もが近寄れない。
自分達の治療をしていた少女が、間違いなく人間ではないと証明されたからだ。鬼殺隊士達は誰でも鬼への憎悪を
ありえない、信じられない。きっと何か企みを持って潜り込んだに違いない。
その場に居る誰もがそう思った。鬼殺隊は鬼を憎み、殺す戦闘集団。そこに鬼に対する慈悲の心など介入する余地はない。
「うう……、アア……」
「誰かっ、禰豆子を安全な場所まで運んでくれっ! 肉をよこせなんて言わない、禰豆子には俺の肉を喰わせるからっ!!」
目蓋を限界まで開き、焦点の定まらない瞳孔をそのままに、禰豆子はただ苦悶の声を漏らす。
炭治郎はなぜそこに自分が居ないのかと呪い、声が届きもしない事実を承知の上で叫び続ける。これほどまでの重傷となれば、かつて最終選別後に禰豆子が鱗滝の左足を必要としたように潤沢な栄養が必要となるはずだ。つまりは人肉である。だがその場には禰豆子の身体を理解するものも、助けようと思う者もいなかった。
隊士達は動かない。応急手当すら施そうとしてくれる者もいない。
自分達の解毒をしてくれていた少女だと認識していても「鬼」だから見捨てる。いや、見捨てるという意識すらないのかもしれない。その場に居るだれもが禰豆子から視線を外し、眼前の鬼へと注目する。鬼なのだから傷は癒えるし、死んだら死んだで厄介払いになる。そう判断されたのだ。
隊士達の警戒すべき脅威は依然として目の前にあった。これまで見た事もない人頭の蜘蛛鬼や巨体の蜘蛛鬼が目の前に立ちはだかり、その後ろには下弦の伍:累の笑みがある。
限界だった。
童磨が作り出した鏡ごしに事実を確認し、憤怒し、炭治郎の脳裏で、何かの糸が一本。
――――ブチンと切れた。
◇
…………………………。
まったく、己の未熟さには言葉もない。
何よりも、久遠との平穏な日々を良いものだと受け入れていた自分に腹が立つ。
何が鬼と人間が共存する未来だ。何が鬼である久遠と共に歩く未来だ。
忘れるな。今度こそ決して、忘れるな。
鬼は仇だ。冨岡義勇も仇だ。
腕を落とし、足を捻じ曲げ。脳髄を引きずり出そうとも気が晴れない、憎むべき怨敵だ。
怒れ、怨嗟の炎を足のつま先から頭のてっぺんまで吹き上げろ。
己の生涯は、鬼を斬り続けるためだけにある。
鬼となり、首を跳ねられた竹雄・茂・六太・花子。あの最後の顔を、決して忘れてはならない。
気熱の呼吸などもういらない。
復讐の鬼と化した者が操るのは怨嗟の獄炎なのだと、自覚しろ。竈門炭治郎――――。
「うんうん、さすがはあの御方が認めた子だね。俺たち上弦の鬼にも負けない、見事な
誰もが声さえ出ないなか、上弦の弐だけは満足そうに微笑んでいた。
竈門家の長男が己を取り戻す。すぐ傍に仲間である伊之助と善逸が居ることも忘れ、ただ目の前の敵のみを視界にとらえ続ける。
新たな鬼が誕生したと表現しても良い。瞳は充血し、瞳孔は縦長の鬼眼となり。「夜叉の子」としての本性が顕現した。少年の身体から湧き上がるのは水でも、蒸気でもなく。まごうことなき「火柱」であった。自分自身さえも焼き尽くさんとする怨嗟の炎はもはや、蒸気を作り出す水分など存在する余地さえない。
「…………、う――……」
氷鏡の向こうから、妹の寂しげな声が篭って響く。だが最愛の妹の声さえも今の少年には届かない。溢れんばかりの怒りを、呪いを。全て自身の身体の中へと溜め込んでゆく。己への戒めとして、少年自身がそれを望んだのだ。
「あっ、ああああああああああああああああ――――――っ!!!」
己の中に溜め込んだ心情を溢れさせるかのように炭治郎は吼えた。
もはや周りの状況など少年の視界には入れど、知覚はしない。ただただ燃え盛り、己の欲望を撒き散らし、ただ暴れまわることで僅かに残された正気を保もとうと試みる。
遅すぎる救援は地の底よりやってきた。
「婿殿、お急ぎを。我等が妹君の元へ、お送りしますゆえ…………、ヒィ!?」
余りの事態に慌てたのか、久遠が応援でよこしてくれた沼鬼:
だが狂気に身をやつした炭治郎の前に姿を現すのは愚策でもあった。もはや敵も味方も区別がつかないような敵意、いかに元十二鬼月である響凱であっても鳥肌がたつほどである。
「あれれぇ? 響凱君ったら裏切っちゃったのお??」
「……連れて行け、早くしろっ!」
この場で唯一平静を保った童磨がからかいの声をあげる。だが低く、冷徹で、それでいて憤怒の篭った声の方へ二人は反応した。
普段であれば縮み上がっていたであろう声も、今の響凱達には届いていない。それは上弦の弐よりも、「夜叉の子」として覚醒した炭治郎の方が恐ろしいという証明に他ならなかった。
「たっ、ただちに!」
慌てふためいた泥穀が炭治郎の足元に沼をつくり、響凱の「迷宮屋敷」へと送り届ける。迷宮を媒介にして空間を歪ませ、一瞬にて遠方の地へ輸送する。無惨が一度は認めた便利極まりない血気術である。
本当であれば数人を輸送することも可能だったが、今の炭治郎に意見を具申するのは鬼舞辻 無惨よりも怖かった。響凱と泥穀はただ、指示された命を遂行するだけで良いと己に言い聞かせる。
二匹の鬼と共に、炭治郎の身体が泥沼と化した地の中へと沈んでゆく。
それを邪魔する者は、――――誰もいなかった。
「……ふぅん?」
自分がかけた声を無視され、不快になるかと思われた童磨。だが面白くなったとばかりに、炭治郎が消えた地面を見つめ、笑顔を保ち続けている。この状況を、竈門兄妹が織り成す物語を心底楽しんでいるのは明らかだった。
やがて、泥穀の作り出した沼も消えうせた頃。同じく取り残された伊之助と善逸へと視線を移すと、更に満面の笑みを浮かべながら言い放つ。
「君達の出番も終わったわけじゃないよね? ……急ぎなよ。演者が全員揃ってこそ、舞台は
「……鬼に言われるまでもねえ。いくぞ、子分その二」
「お、……おぉ」
自らの足で戦場へと駆ける新米隊士を見送りながら、自然と笑みはドス黒く、醜悪な笑顔に変化した。
童磨は思う。
これまでの戦力で言うならば鬼殺隊の勝ちは薄かった。那田蜘蛛山は守りやすく、そして攻めづらい。それは童磨が手を貸さず、蟲柱である胡蝶しのぶを自由にしたとしても変わらないだろう。だがなりふり構わず山火事まで引き起こし、蜘蛛鬼達が逃げ道を失ったこの状況なら五分といったところか。
だが更に状況は変化した。
竈門禰豆子の「藤の呼吸」、竈門炭治郎の「夜叉の子としての覚醒」。
それは鬼殺隊側でも鬼側でもない、「第三の勢力」が介入したことを意味する。
もうこの戦いの果てがどう結末を迎えるのか、童磨にさえ分からなかった。
だからこそ笑みが零れて止まらない。
たとえ未来なんてモノが血気術で読める時代が到来しようとも。その場、その時でいくらでも変化するなら読むだけ野暮というものだ。
歓喜・快楽・絶望・苦悩。
それら全てを
ならば、
時には当事者、時には傍観者となってこそ。
最高の喜劇を楽しめるというものなのだ。
「……どれだけ楽しませてくれるのかな、君たちは。まったく、これだから人間という生き物は見るに飽きない」
童磨は笑い続ける。
主の代わりに、まだまだ終幕にも入らない劇を、その結末を。
最後まで特等席で観賞するために――。
最後までお読み頂きありがとうございました。
第七章:那田蜘蛛山編の後半へと物語は突入していきます。
六章で散々いじめられた炭治郎君の逆襲がはじまります。六章の頃から鬼殺隊士の皆さんを悪し様に描いているわけですが、決して彼等の人間性が崩壊しているわけではありません。
人食い熊が殺処分されるように、人間に害を与える(かもしれない)生物は厳格な対応をしなければ被害は拡大しつづけるという当然の話であったりもします。
人間と鬼が共存する未来。そんなありえない絵図を描く久遠と、互いに争い続ける人間・鬼の両者。
よろしければ結末まで見届けていただければ幸いです。それでは今後とも、どうぞよしなに。