蒸気人狼黙示録   作:四十九院暁美

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死臭の悪夢・2

 シティの中心からほど近い場所にある郵便局は、夜ということもあって人が少ない。表通りには人がまばらにいるくらいで、郵便局は静まり返っていた。人狼が現れる時、辺りから人がいなくなる。

 ならばまだ、人狼はここにいないのだろう。

 郵便局に入ると、しんと静まり返っていた。受付に人はいるものの、カリスらしき人影は見当たらない。

 受付に訊いてみると、それらしき人物が電報を送ったそうだ。内容はさすがに教えてもらえなかったが、入れ違いになったのはわかった。

「カリス……、どこへ行ったんだ」

 焦燥感ばかりが積もっていく。こうしている間にも、人狼は彼女に迫っているというに、何もできていない。

 とにかく動かねば。次に彼女が向かうのは、はたしてどこか。

「いったん、クラブに戻りましょう」

 シェーンの意見に頷いて郵便局を出る。

 その時にちょうど、アーシェの通信機が鳴った。彼女の通信機の番号を知っている人間はそう多くないから、誰がかけてきたかは想像がつく。

「デュオロンへインか?」

『いかにも』

 はたして電話の主は彼だった。

『そろそろ人狼に心当たりが着いた頃だろう。誰かわかったか』

「ずいぶんなタイミングじゃないか」

『君たちの動きは、ある程度観測している。アーシェリカ・ロゼッティ、不安定だったようだが今は落ち着いている。シェーン・リンスが精神の安定を促しているようだな』

「そこまで知ってるなら、あたしたちが今、急いでいるのも知ってるか」

『シェーン・リンスと一緒にカリス・ゴールドスタインを追っているのだろう。も知っているとも。彼女の動向も、我々は把握している』

 動向を知っていながら何もしていないということは、組織はカリスを保護するつもりは微塵もないということだ。

 餌として泳がせているのかわからないが、とにかくも薄情な奴らである。

「彼女がどこに行ったか知っているのか」

『教える前に、ひとく聞かせてもらおう。すでに人狼の正体を察しているならば、その名を答えてもらいたい』

「……アルトリウス・ヴィーラント」

『正解だ』 

 何でもない風に、彼は肯定する。

『彼の家はジェヴォーダンの獸の正体であり、多くの人狼を輩出してきた家だ。人を喰らい、時に人を狼へと変貌させる呪われた血筋そのもの。本来ならば根絶やしにするべきなのだが、ヴィーラントの血筋すべてが人狼になるわけではないゆえ、選別が必要だった』

「その選別にあたしを使ったのか」

『然り。アルトリウス・ヴィーラントが君を好いていたの知っていたので、使わせてもらった』

 嫌な奴らだ。

 アーシェは舌打ちしたい気持ちを抑え込んだ。臆面もなく餌として利用していたなどと云われれば、誰だって良い気分はしない。合理を求めて道理を弁えていないのも癪に障った。

 しかし、今は彼らだけが頼りだ。

「役に立てたなら良かったよ。それで、カリスの居場所は」

『クラブに戻っている。アルトリウス・ヴィーラントも、彼女を追ってクラブへ向かっているだろう』

「ああ、ありがとう。ついでに手助けも欲しいんだけど」

『ブラッドが近くにいる。彼を向かわせよう』

「あの男か……」

『粗暴な男だが、実力はある』

「カリスに怪我がないことを祈るよ」

 電話を切って、すぐにクラブへと向かう。

 組織の人間がいるのは心強いが、完全には信用できない。人狼を斃している場面を見てないから、アーシェは彼らを信じることができないでいる。シェーンも同じ気持ちのようで、どこか嫌な顔をしていた。

「本当に、大丈夫なのかしら」

「さあね。そこは彼らの実力次第だ」

 クラブのあるビルディングに近付くにつれ、辺りから人の姿が消えていく。ビルディングに着くと人が完全に消えて、血腥さが通りを満たしていた。

 人狼が現れたのだ。

 シェーンが唾を飲む。

 アーシェは冷や汗を拭った。

 恐いという気持ちはあるが、それ以上に、カリスを心配する気持ちの方が大きかった。

 ビルディングの窓には明かりが燈っていない。まだ外にいるようだ。懐から拳銃を抜いて、シェーンの傍を離れないように歩みを進める。ビルの入り口付近に来た時、裏の路地から聞こえてきたのは怒声と衝撃音だった。

「シェーンはここにいて」

「でも……」

「あたしは大丈夫だよ。君がここにいてくれるだけで、充分すぎるくらいさ」

 心配そうなシェーンに微笑みで返す。彼女が近くにいるだけで、気持ちは随分と楽なるものだ。

 アーシェは、戦々恐々としつつも、陰の滴る裏路地へと足を踏み入れた。暗黒が音を飲み込んでいる。断続的に響く戦闘の音は、街灯の明かりもなく、誰もいない闇色の世界では、くぐもった音として反響していた。

 機関ランプの明りが欲しいと思いつつ、銃を構えて路地の奥へ。ちょうど中ほどまで進んだところ、開けた場所に出ると、不意に戦闘の音が止んだ。

 直後、目の前に何かが落ちてきた。

 鈍い音を立てて地面にたたきつけられたそれは、おそおらくは成人男性の腕であった。

 わずかに悲鳴が口から洩れた。

 おそるおそる腕に近付くと、今度はさらに巨大な何かが落ちてきた。

 人間。ブラッドと呼ばれていた男だった。

 傷だらけで右腕のない彼は、少しだけ痛がる素振りを見せた後、すぐに立ち上がって自分の腕を拾って付け直す。どうやら義手であったらしい。

「クソ、舐めやがって……っと、オマエか。あぶねえから退いてな」

 毒づいてからアーシェに気付き、左手のナイフを構える。

 続いて、人狼が下りてきた。

 腕には気を失ってぐったりしているカリスを抱えており、人質にしているのがすぐにわかった。

「カリス!」

 アーシェが叫んで、銃の照準を人狼に合わせる。

 対して人狼は低く唸ってから、ひどく下卑た笑みを浮かべた。

「アーシェ、来ると思っていたよ」

「アーサーなんだろう、カリスを離すんだ」

「嫌だね」

「化けもんが、ふざけんじゃあねえぞ」

 カリスが人質にされているから、ブラッドは攻めあぐねているらしかった。アーシェはそれを察して、なんとかカリスを助け出そうと対話を持ちかけた。

「アーサー、君はどうしたいんだい」

「そうだね、ひとまずはそこの男に死んでもらいたいかな」

 とぼけた口調でアーサーは云う。ブラッドは不愉快を隠さずに舌打ちをするが、対応をアーシェに任せて口出しはしなかった。

「ねえアーサー。君は人狼みたいだけれど、まだ話し合いの余地はあると思うんだ。少なくとも殺したり殺されたりはしなくて済むんじゃないか」

「ここに至ってはもう話し合っても無駄だ」

「そんなことない。わかりあえるはずだ、そうだろう」

「どうしてそう思う」

「君はあたしを、好きだからだ」

 少しの沈黙。

 理性があるのならと声を上げたが、その選択は間違っていなかった。

 好いた女に云われたのも大きいだろう、彼はアーシェの言葉に耳を傾けていた。

「あたしは君と争いたくないんだよ。君と、カリスと、三人でいつもみたいにクラブで……今までのような日常を送りたい」

「ああ、わかるとも。君との日々は実に楽しい……、君を食べてしまいたいと何度思ったことか!」

「あたしを仲間にしたいなら、まずはカリスを離すんだ。そんなことをしていたら、おちおち話もできやしないだろ」

「それは嫌だね。こいつを手放したらすぐに、そこの男が殺しに来る」

 アーサーを刺戟してはいけない。意思を籠めてブラッドを見やれば、彼はやれやれと溜め息を吐いて背後の闇に消えていった。

「へえ、あっさりと消えるんだな」

「彼はもういない。これでいいかな」

「あとは君が銃を下ろしてくれれば、ね」

 少しだけ迷ってから、銃を下ろす。

 満足げに頷いたアーサーは人の姿に戻ると、カリスを抱えたままではあるけれど、アーシェのすぐ近くまで寄って来た。

 これで一応は話をする場が整った。あとはアーシェがいかにして、彼の腕からカリスを解放するかにかかっている。

「ねえアーサー、どうしてこんなことをするんだ」

「どうして? おかしなことを訊くな、アーシェ。俺はやりたいからやってるんだ。喰いたいから喰う、殺したいから殺す。そこらの浮浪者程度ならいくら喰っても問題にはならないし、ロンドンも綺麗になる。一石二鳥だ」

「切り裂きジャックの再来は、君の仕業ではないのか」

 訊かれて、アーサーは鼻で笑った。

「あんなこと、俺がするわけないだろう。そもそも娼婦の肉は雑味がひどくて食えたもんじゃあない。肉の柔らかさは素晴らしいと思うが」

「人肉の味についてはよくわからないけれど、君があの連続殺人鬼じゃないと知れて、少しホッとしたよ」

 わざとらしく胸を撫で下ろせば、アーサーは不気味に笑った。

「それにしてもアーサー、どうしてカリスを追いかけていた。彼女は人狼と動かかわりがある」

「こいつはイーリングで食事をしてた俺を見ていたんだ。目撃者が生きていたら、何かと不都合だろう?」

「それは、そうかもしれないけれど……」

「君がこいつの家にいた時は、随分と焦ったよ。けれどすぐに杞憂だと気づいた」

「人狼に、なりかけていたから?」

「そうさ! 君を好きになった日から、ずっと君を人狼にしたいと思っていた! 食べてしまいたいとも思っていたけれど、そうしたら君に二度と会えなくなってしまう。それに結婚するなら”同じ方”が良いからね」

「あの夜、あたしたちを襲ったのは君だったのか」

「まさかシェーン・リンスと一緒にいるとは予想してなかったよ。あの男が乱入してきたからあの場は逃げたが、本当ならじっくりと君が人狼になっていくところを見たかった……」

「あたしを食事に誘ったのも?」

「人狼になってるかどうか、確かめたくてね。そこらの浮浪者で実験した時は、きちんと人狼になってたけれど、やっぱり不安でしかたがなかったんだ」

 アーシェが殺したあの人狼は、どうやら彼が実験と称して人狼にした浮浪者らしい。なんとひどい行いをするものか、胸中でアーサーに対する嫌悪が膨れ上がっていくのを感じた。

「そうか、あたしがあんなに乱暴になってしまったのは、人狼になりかけていたからか。ああ、納得した」

「とはいえ、ちょっとばかし変化が激しくて驚いたよ、アーシェ。でも人をゴミとしか見てない君の目は最高だった」

「そ、そうかな……」

「君は意外と気性が荒いんだね。いや、ますます俺の好みだと思ったよ」

 自分に酔ってるみたいな話し方でアーサーは笑う。訊けばどんどん答えが出てくるのが、胸が悪くなってくる。

 友人がここまでの外道であったとは知りたくはなかった。アルトリウス・ヴィーラントが人狼であることはわかっていたけれど、それでもどこかで信じていたから話し合いを持ちかけたのだ。

「ねえアーサー、そろそろカリスを離してくれないか」

「どうしてだ」

「君がカリスをどう思っているのかわからないけれど、あたしはカリスを友人として大切に思っている。だから、傷つけて欲しくない」

「こんなのを友人だなんて、君は優しい人間だな?」

「もちろんアーサーだって大切な存在だよ」

 これ以上は話し合ったって無意味だとアーシェは思い始めている。どうあっても彼はカリスを離す気はない。

 彼女を離せばその時点でブラッドが来るのだと理解していたから、きっとアーシェにどれだけ頼まれたって手放したりはしないのだろう。

 だから、アーシェは。

「ねえ、アーサー。あたしはね……」

「ん?」

「君のことが嫌いなんだ」

 銃声が、路地に響いた。

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