シティの中心からほど近い場所にある郵便局は、夜ということもあって人が少ない。表通りには人がまばらにいるくらいで、郵便局は静まり返っていた。人狼が現れる時、辺りから人がいなくなる。
ならばまだ、人狼はここにいないのだろう。
郵便局に入ると、しんと静まり返っていた。受付に人はいるものの、カリスらしき人影は見当たらない。
受付に訊いてみると、それらしき人物が電報を送ったそうだ。内容はさすがに教えてもらえなかったが、入れ違いになったのはわかった。
「カリス……、どこへ行ったんだ」
焦燥感ばかりが積もっていく。こうしている間にも、人狼は彼女に迫っているというに、何もできていない。
とにかく動かねば。次に彼女が向かうのは、はたしてどこか。
「いったん、クラブに戻りましょう」
シェーンの意見に頷いて郵便局を出る。
その時にちょうど、アーシェの通信機が鳴った。彼女の通信機の番号を知っている人間はそう多くないから、誰がかけてきたかは想像がつく。
「デュオロンへインか?」
『いかにも』
はたして電話の主は彼だった。
『そろそろ人狼に心当たりが着いた頃だろう。誰かわかったか』
「ずいぶんなタイミングじゃないか」
『君たちの動きは、ある程度観測している。アーシェリカ・ロゼッティ、不安定だったようだが今は落ち着いている。シェーン・リンスが精神の安定を促しているようだな』
「そこまで知ってるなら、あたしたちが今、急いでいるのも知ってるか」
『シェーン・リンスと一緒にカリス・ゴールドスタインを追っているのだろう。も知っているとも。彼女の動向も、我々は把握している』
動向を知っていながら何もしていないということは、組織はカリスを保護するつもりは微塵もないということだ。
餌として泳がせているのかわからないが、とにかくも薄情な奴らである。
「彼女がどこに行ったか知っているのか」
『教える前に、ひとく聞かせてもらおう。すでに人狼の正体を察しているならば、その名を答えてもらいたい』
「……アルトリウス・ヴィーラント」
『正解だ』
何でもない風に、彼は肯定する。
『彼の家はジェヴォーダンの獸の正体であり、多くの人狼を輩出してきた家だ。人を喰らい、時に人を狼へと変貌させる呪われた血筋そのもの。本来ならば根絶やしにするべきなのだが、ヴィーラントの血筋すべてが人狼になるわけではないゆえ、選別が必要だった』
「その選別にあたしを使ったのか」
『然り。アルトリウス・ヴィーラントが君を好いていたの知っていたので、使わせてもらった』
嫌な奴らだ。
アーシェは舌打ちしたい気持ちを抑え込んだ。臆面もなく餌として利用していたなどと云われれば、誰だって良い気分はしない。合理を求めて道理を弁えていないのも癪に障った。
しかし、今は彼らだけが頼りだ。
「役に立てたなら良かったよ。それで、カリスの居場所は」
『クラブに戻っている。アルトリウス・ヴィーラントも、彼女を追ってクラブへ向かっているだろう』
「ああ、ありがとう。ついでに手助けも欲しいんだけど」
『ブラッドが近くにいる。彼を向かわせよう』
「あの男か……」
『粗暴な男だが、実力はある』
「カリスに怪我がないことを祈るよ」
電話を切って、すぐにクラブへと向かう。
組織の人間がいるのは心強いが、完全には信用できない。人狼を斃している場面を見てないから、アーシェは彼らを信じることができないでいる。シェーンも同じ気持ちのようで、どこか嫌な顔をしていた。
「本当に、大丈夫なのかしら」
「さあね。そこは彼らの実力次第だ」
クラブのあるビルディングに近付くにつれ、辺りから人の姿が消えていく。ビルディングに着くと人が完全に消えて、血腥さが通りを満たしていた。
人狼が現れたのだ。
シェーンが唾を飲む。
アーシェは冷や汗を拭った。
恐いという気持ちはあるが、それ以上に、カリスを心配する気持ちの方が大きかった。
ビルディングの窓には明かりが燈っていない。まだ外にいるようだ。懐から拳銃を抜いて、シェーンの傍を離れないように歩みを進める。ビルの入り口付近に来た時、裏の路地から聞こえてきたのは怒声と衝撃音だった。
「シェーンはここにいて」
「でも……」
「あたしは大丈夫だよ。君がここにいてくれるだけで、充分すぎるくらいさ」
心配そうなシェーンに微笑みで返す。彼女が近くにいるだけで、気持ちは随分と楽なるものだ。
アーシェは、戦々恐々としつつも、陰の滴る裏路地へと足を踏み入れた。暗黒が音を飲み込んでいる。断続的に響く戦闘の音は、街灯の明かりもなく、誰もいない闇色の世界では、くぐもった音として反響していた。
機関ランプの明りが欲しいと思いつつ、銃を構えて路地の奥へ。ちょうど中ほどまで進んだところ、開けた場所に出ると、不意に戦闘の音が止んだ。
直後、目の前に何かが落ちてきた。
鈍い音を立てて地面にたたきつけられたそれは、おそおらくは成人男性の腕であった。
わずかに悲鳴が口から洩れた。
おそるおそる腕に近付くと、今度はさらに巨大な何かが落ちてきた。
人間。ブラッドと呼ばれていた男だった。
傷だらけで右腕のない彼は、少しだけ痛がる素振りを見せた後、すぐに立ち上がって自分の腕を拾って付け直す。どうやら義手であったらしい。
「クソ、舐めやがって……っと、オマエか。あぶねえから退いてな」
毒づいてからアーシェに気付き、左手のナイフを構える。
続いて、人狼が下りてきた。
腕には気を失ってぐったりしているカリスを抱えており、人質にしているのがすぐにわかった。
「カリス!」
アーシェが叫んで、銃の照準を人狼に合わせる。
対して人狼は低く唸ってから、ひどく下卑た笑みを浮かべた。
「アーシェ、来ると思っていたよ」
「アーサーなんだろう、カリスを離すんだ」
「嫌だね」
「化けもんが、ふざけんじゃあねえぞ」
カリスが人質にされているから、ブラッドは攻めあぐねているらしかった。アーシェはそれを察して、なんとかカリスを助け出そうと対話を持ちかけた。
「アーサー、君はどうしたいんだい」
「そうだね、ひとまずはそこの男に死んでもらいたいかな」
とぼけた口調でアーサーは云う。ブラッドは不愉快を隠さずに舌打ちをするが、対応をアーシェに任せて口出しはしなかった。
「ねえアーサー。君は人狼みたいだけれど、まだ話し合いの余地はあると思うんだ。少なくとも殺したり殺されたりはしなくて済むんじゃないか」
「ここに至ってはもう話し合っても無駄だ」
「そんなことない。わかりあえるはずだ、そうだろう」
「どうしてそう思う」
「君はあたしを、好きだからだ」
少しの沈黙。
理性があるのならと声を上げたが、その選択は間違っていなかった。
好いた女に云われたのも大きいだろう、彼はアーシェの言葉に耳を傾けていた。
「あたしは君と争いたくないんだよ。君と、カリスと、三人でいつもみたいにクラブで……今までのような日常を送りたい」
「ああ、わかるとも。君との日々は実に楽しい……、君を食べてしまいたいと何度思ったことか!」
「あたしを仲間にしたいなら、まずはカリスを離すんだ。そんなことをしていたら、おちおち話もできやしないだろ」
「それは嫌だね。こいつを手放したらすぐに、そこの男が殺しに来る」
アーサーを刺戟してはいけない。意思を籠めてブラッドを見やれば、彼はやれやれと溜め息を吐いて背後の闇に消えていった。
「へえ、あっさりと消えるんだな」
「彼はもういない。これでいいかな」
「あとは君が銃を下ろしてくれれば、ね」
少しだけ迷ってから、銃を下ろす。
満足げに頷いたアーサーは人の姿に戻ると、カリスを抱えたままではあるけれど、アーシェのすぐ近くまで寄って来た。
これで一応は話をする場が整った。あとはアーシェがいかにして、彼の腕からカリスを解放するかにかかっている。
「ねえアーサー、どうしてこんなことをするんだ」
「どうして? おかしなことを訊くな、アーシェ。俺はやりたいからやってるんだ。喰いたいから喰う、殺したいから殺す。そこらの浮浪者程度ならいくら喰っても問題にはならないし、ロンドンも綺麗になる。一石二鳥だ」
「切り裂きジャックの再来は、君の仕業ではないのか」
訊かれて、アーサーは鼻で笑った。
「あんなこと、俺がするわけないだろう。そもそも娼婦の肉は雑味がひどくて食えたもんじゃあない。肉の柔らかさは素晴らしいと思うが」
「人肉の味についてはよくわからないけれど、君があの連続殺人鬼じゃないと知れて、少しホッとしたよ」
わざとらしく胸を撫で下ろせば、アーサーは不気味に笑った。
「それにしてもアーサー、どうしてカリスを追いかけていた。彼女は人狼と動かかわりがある」
「こいつはイーリングで食事をしてた俺を見ていたんだ。目撃者が生きていたら、何かと不都合だろう?」
「それは、そうかもしれないけれど……」
「君がこいつの家にいた時は、随分と焦ったよ。けれどすぐに杞憂だと気づいた」
「人狼に、なりかけていたから?」
「そうさ! 君を好きになった日から、ずっと君を人狼にしたいと思っていた! 食べてしまいたいとも思っていたけれど、そうしたら君に二度と会えなくなってしまう。それに結婚するなら”同じ方”が良いからね」
「あの夜、あたしたちを襲ったのは君だったのか」
「まさかシェーン・リンスと一緒にいるとは予想してなかったよ。あの男が乱入してきたからあの場は逃げたが、本当ならじっくりと君が人狼になっていくところを見たかった……」
「あたしを食事に誘ったのも?」
「人狼になってるかどうか、確かめたくてね。そこらの浮浪者で実験した時は、きちんと人狼になってたけれど、やっぱり不安でしかたがなかったんだ」
アーシェが殺したあの人狼は、どうやら彼が実験と称して人狼にした浮浪者らしい。なんとひどい行いをするものか、胸中でアーサーに対する嫌悪が膨れ上がっていくのを感じた。
「そうか、あたしがあんなに乱暴になってしまったのは、人狼になりかけていたからか。ああ、納得した」
「とはいえ、ちょっとばかし変化が激しくて驚いたよ、アーシェ。でも人をゴミとしか見てない君の目は最高だった」
「そ、そうかな……」
「君は意外と気性が荒いんだね。いや、ますます俺の好みだと思ったよ」
自分に酔ってるみたいな話し方でアーサーは笑う。訊けばどんどん答えが出てくるのが、胸が悪くなってくる。
友人がここまでの外道であったとは知りたくはなかった。アルトリウス・ヴィーラントが人狼であることはわかっていたけれど、それでもどこかで信じていたから話し合いを持ちかけたのだ。
「ねえアーサー、そろそろカリスを離してくれないか」
「どうしてだ」
「君がカリスをどう思っているのかわからないけれど、あたしはカリスを友人として大切に思っている。だから、傷つけて欲しくない」
「こんなのを友人だなんて、君は優しい人間だな?」
「もちろんアーサーだって大切な存在だよ」
これ以上は話し合ったって無意味だとアーシェは思い始めている。どうあっても彼はカリスを離す気はない。
彼女を離せばその時点でブラッドが来るのだと理解していたから、きっとアーシェにどれだけ頼まれたって手放したりはしないのだろう。
だから、アーシェは。
「ねえ、アーサー。あたしはね……」
「ん?」
「君のことが嫌いなんだ」
銃声が、路地に響いた。