食事を終えると、今度は入浴。
更衣室でメードに服を脱がされ、下着を脱がされ、少しふらつきながらもバスルームに入る。
人に服を脱がされるというのは、なんとも愉快でありながら奇妙な体験であった。
リンス家の別荘でも小さいほうだというバスルームは、はたしてこれをバスルームと形容しても良いものか。下流の庶民であるアーシェにしてみればプールと見違うほどに広かった。
目測でもおおよそ五メートルはあろうかという浴槽があり、満たす湯には薔薇の花弁が美しく浮かんでいる。
もちろん湯は底が見えるくらいに透明で、壁側にある合金製のシャワーヘッドにも水垢ひとつ見当たらない。
清掃の手間を考えれば、手放して称賛できるほどにここは手入れが行き届いていた。
二人に続いて入ってきたのは四人のメードで、彼女らは袖のなく、スカートも短い服を着ており、それぞれが持っている籠の中には石鹸やタオルが収められている。
アーシェが疑問に思って問いかけると、シェーンは「洗ってもらうのよ」なんて云うのだから驚きである。
「前から思っていたけれど、やっぱり君はお嬢様なんだね」
「何よ、いきなり」
シャワーヘッドの前に座ると、二人のメードがアーシェに付いた。アル、メルという少女で、アルはそばかすが特徴的な茶髪の子、メルはアーモンド形の目が可愛らしい赤毛の子だ。どちらも真っ白なエプロンドレスを身に着けていて、幼さに似合わぬ聡明な印象を与える。
「それでは、お身体を洗わせていただきます」
「何かありましたら、どうぞ遠慮なくお申し付けください」
「えと……よ、よろしくお願いします?」
一礼する二人に、アーシェは勝手がわからず引きつった笑みで答えた。
人に身体を洗わせるのは怖いものではあったが、同時に中々に愉快で得難い体験であった。
二人は分担して彼女を洗いながら、適度なマッサージを施してくれたのだが、これがまた非常に心地良い。
少女の手のひらの暖かさと、ちょうど良い力加減で全身の筋肉を揉み解されていく感覚は、まさに至福の一言だ。
髪の洗い方も非常に丁寧で、ケア用のハーブとはちみつを混ぜて作られた香油も良い匂い。
終わってみれば、頭の先からつま先まで、いつもの数十倍はスッキリした感覚がある。
ただ。
どうやらこの二人もシェーンと同じく、そちらの気があるようで。
「髪、さらさら……」
「ずっと触っていたいです」
「そ、そうかな」
「お肌も、綺麗ですね」
「すべすべで……羨ましいです」
「へ? あ、ちょ、くすぐった……、ぅひゃん!?」
必要以上に髪や身体を弄られたのは、ちょっとだけ不満であった。
アルとメルが全身を洗い終えると、アーシェはやっと湯船に浸かることができた。シェーンも湯に入ると、二人は並んでほうと長い息を吐く。
薔薇の花弁が浮かぶ湯には、どうやら香油が混ぜられているらしく、しっとりとした花の香りが肌に馴染んで気持ちが良い。
全身の疲れが湯に溶けていくようだ。アルコールでふわふわとした頭が、さらにふわふわしてしまう。
「うぅ……ン、君のメードも、なんだね」
「何が?」
「ほら、その……ええと、そう。君と同じってこと」
一礼してからバスルームを出て行った双子を見送りながら、微妙に呂律の回っていない舌足らずな言葉で云えば、シェーンはクスクスと笑って、柔らかくて肌触りの良いすべすべとした肌を密着させる。
眼前に妖しく光る碧い瞳が迫ると、アーシェは僅かに後ろへ頭を引いた。
「あの子たちで練習したのよ」
「キスの練習とか?」
「ファーストキスはまだ。でも、いろんなことは練習したわね」
「へ、へぇ……は、ははは……」
「ふふっ、安心して。初めては貴女に上げるって、決めてるんだから」
そう囁いた彼女の唇が迫ってきた時、アーシェは諦観にも似た感情を抱いた。
数時間後、アーシェはシェーンの寝室で目を覚ました。シェーンと抱き合ったまま、アルとメルに挟まれたまま、裸でベッドに寝ていた。
昨晩に焚かれた香木の甘ったるい臭いが、脳を覚醒させていく。
彼女には四度も求められた。彼女の寝室の入り口で一回、長椅子の上で一回、ベッドで二回だ。
どこかのタイミングでメルとアルも加わったような気もするが、いかんせん、記憶がイマイチはっきりしない。憶えているのは、とにかくシェーンに情熱的に求められたということだけであった。おかげで全身汗でべとべと、シーツだってびしょびしょだ。
上体を起こして、前髪を指先でもてあそぶ。
時刻は既に昼のようで、耳を澄ますとビッグ・ベンの鐘の音が聞こえた。
アルコールのせいだろうか、ひどく頭が痛い。アーシェは呻きながら目頭を指先で押さえる。
昨日のワインは非常に美味ではあったけれど、もう二度と飲みたくはないなと思う。飲むのならジンが良い。前にアーサーが酔った勢いで、ジンを健康飲料で割ったという妙なものを飲んだことがあるけれど、あれは実に美味しいものだった。確か名前は、そう。”ジン・トニック”だとかなんとか。
彼女たちを起こさないよう慎重にベッドから抜け出して、丁寧に畳んであるタオルを一枚手に取って、汗やらなにやらでべたつく身体を拭う。
鏡を見れば、身体の至る所にキスマークがあり、まったく昨日はとんでもない夜だったのだなと改めて思った。まったくこんなことはもうこりごりだ、アーシェは肩を大きく落とした。
身体を拭き終えると、テーブルの上に放置された服を手に取る。
新品と見違うほど綺麗に選択された服は、着るだけで実に気分が良くなるもので、アーシェはちょっとだけ格好つけた様子で襟を正した。同時に扉がノックされて、昨日にも聞いた老執事の声が響いてきた。
「おはようございます。昼食のご用意ができましたが、いかがいたしますか」
「んぅ……いまいくわあ」
彼の声で目を覚ましたらしいシェーンは、目元を擦りながら身体を起こすと寝惚けて間延びした声で答えた。
「おはよう、シェーン」
「くぁあ……あふぅ……おはよう、アーシェ」
緩慢な動作でシェーンがベッドを抜け出すと、釣られるようにしてアルとメルも目を覚ました。
身体を拭いてメード服に素早く着替えたアルとメルに手助けされて、シェーンもまた身支度を整えると、全員で部屋を出て食堂へ向かう。
廊下に出ると、朝からメードやランドリーのスタッフたちが忙しなく動き回っていた。別荘とはいえそれなりの数の使用人が生活しているのだから、洗濯物の量も相当なのだろう。
各部屋の掃除や、シーツの取り換えだってしなければならない。使用人とは実に大変な仕事なのである。
部屋を汚してゴメンナサイ。
彼らに対し、アーシェは心中で謝罪した。
食堂に入ると、テーブルの上には二人分の朝食が用意されていた。
食事は見慣れたフルブレック・ファストで、ベイステッド・エッグと厚切りのベーコン、それにマフィンと紅茶が付いている。アルとメルが一礼して下がると、二人は席に着いてまずは紅茶を飲み、それから食事を始めた。
「フゥ……紅茶のおかわりを貰えるかな。どうも、アルコールが抜けてなくてね」
「ブラッディ・メアリーは飲まないの?」
「迎え酒は好きじゃないんだ」
肩を竦めて、アーシェは注がれた紅茶を少しだけ口に含む。
英國では二日酔いの迎え酒として、ブラッディ・メアリーというウォッカをトマトジュースで割ったカクテルを呑むけれど、そもそもアーシェはトマトが嫌いだから飲んだりはしない。
苦手なのだ。
あの赤々とした色の食べ物は、どこか血液のようで。昔からどうにも好かない。
「午後はどうするの? どこか出かけるかい?」
「シティでお買い物ね。貴女、女の子らしい服持ってないでしょう?」
「着る必要がないからね」
「だめよ、そんなんじゃ。可愛いんだからオシャレしないと、わたしも楽しめないわ」
「楽しむって、いったい何をさ……」
「昨日みたいに、ってことよ」
呆れた顔で問えば、シェーンは悪戯娘の顔をしてウィンクした。
彼女がこうしてあざといことをすると、文句のひとつも云えなくなってしまう。自分の魅力を熟知して、前面に押し出してくる。ずるい女だ。抜け目のない女だ。だから嫌いになれない。
アーシェは彼女のそういう部分も含めて──もちろん、かけがえのない親友として──好きだった。
「ハァ、お手柔らかに頼んだよ」
「まかせて、とびっきり可愛くしてあげるからっ」
朝食を終えて、シェーンが外出用の服に着替えると、リンス家が所有する高級ガーニーに乗って二人は、シティの商業エリアへと向かった。
シティでも随一の活気を誇るこのエリアは、一本の大きな通りを中心にたくさんの店が並んでいて見ているだけでも随分と楽しい。
政府指定の商業エリアともなれば、その規模はメインストリートと比べても数倍は違う。
向こうは生活に必要な消耗品や食糧なんかを扱う店が多いけれど、商業エリアは主に娯施設、とりわけ有名なカフェーやレストラン、国内外を問わず高級ブランドのアンテナショップが多く入っていて、夜になればパブやプールバーなんかも開き始める。
観光向けの施設が多いからロンドンで遊ぶとなれば大抵の人々はここへ来るだろう。
「さて。まずはどんな服を買うんだい、シェーン」
「ドレスね。贔屓にしてる服屋さんがあるから、そこで貴女のドレスを買いましょう」
「あまり派手なのはやめてよ?」
腕を組んで通りを歩く。傍から見れば、二人は何の変哲もない──というには少しくっつきすぎな気もするが──カップルだ。
シェーンが贔屓にしている服屋は、通りの最奥、アーシェみたいな貧乏人はまず立ち入ることのない富裕層向けのエリアにある。
店の中には煌びやかな宝石で飾られたドレスや、見惚れるほど美しいデザインのアクセサリーなんかが並んでいて、迂闊に触ったりもできない。
小市民のアーシェはここにいること自体が窮屈に思えてきて、気を逸らすように前髪をいじくった。
「さ、どれがいい?」
「どれが良いって、云われても……あたしにはわからないよ」
訊かれて、アーシェは小さく肩を竦めた。
生まれてこの方、ドレスなんて着たことすらないから、良し悪しなんて判断できるはずもない。
ただ……。
「ああ、でも。この白いドレスは、綺麗だね」
ちらと横目で、人形に着せられたドレスを見る。
白を基調として、青いリボンとサファイアの飾りで綺麗に装飾されたそのドレスは、とても美しくて、アーシェは太陽を見るみたいに目を細めた。
「あら、そのドレスが良いの?」
シェーンの問いに数瞬遅れて、「うん。着るのなら、このドレスが良いな」
「ふぅん……なるほど、なるほど。アーシェはこういうのが好きなのね」
「かもしれないね。一度でいいから、お姫様になってみたいと思ってたんだ」
「もう、可愛いこと云うじゃないっ。ダーリンったら!」
「だ、だーりん……?」
ご機嫌にシェーンは近くの店員を呼び止める。
「そこの貴方! ええ、そう貴方よ。このドレスを頂戴。……いつも通りカードでね。あとでウェストミンスターの別荘に送っておいて」
「なんか、ごめんね。催促しちゃったみたいで」
申し訳なさで謝ると、シェーンはやれやれと首を振った。
「なに謝ってるのよ。最初に云ったじゃない、貴女のドレスを買うって。……これはね、アーシェ。わたしからの気持ちなの。だからどうか、断らないでね」
これはプレゼント、愛しい君に送る自分の愛なのだと。そう云われては、アーシェも口を噤んでしまう。気持ちの良い笑みを浮かべる彼女が、そこらの男よりよほど男らしく見えた。
「……そうだね。ありがとう、シェーン」
「ふふっ、どういたしまして。次の夜も、また一緒に楽しみましょう」
「そ、そうだね。うん、楽しもうか……あ、あはははっ……」