地球が隕石で吹き飛ぶまで24時間を切った頃。
 絵を描きたい僕こと田中とバ先にポテトを食べに来たあたしこと西川さんは、

 「あたしは、田中好きだよ」
 
 「はい!?」
 
 「田中の絵、好きなんだ」
 
 「あ……そっかぁ……なるほどなぁ……」
 
 微妙に噛み合わない会話をフードコートでしていた。

※カクヨムにあげてます

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空が僕らを押しつぶす前に

 

 

 

 「ね、田中」

 

 「……えっと、なに、西川さん」

 

 閑古鳥が鳴いてるフードコートに、クラスで一番ギャルな西川さんの声が響いた。ちょっと、反応が遅れたのは、ぼーっとしてたから。それに田中ってよく居るし? 勘違いとか恥ずかしいじゃん。手を振られてると思って、振り返したら後ろの人だったやつ。まあ、振られたこと無いけど。そもそもここ僕と西川さんしかいなんだけど。

 

 「……なんだか他人行儀じゃね? さん付けとかさ。クラスメイトじゃん? もっと仲良くしてこ。ていうか遠くね?」

 

 おいでおいでと手招きする西川さん。ついたてを背中にしたソファ席のテーブルを一つ挟んだくらいの距離だからそんなに離れてないし、

 

 「今日ついさっき初めて話したじゃん……」

 

 「いやいやいやいや。結構話してるって私ら。覚えあるでしよ? いや、絶対ある。あんだけ話したんだもん」

 

 「多分それ。誰かと間違えてるよ、西川さん」

 

 なんだ。言外に僕の影が薄いと言ってるのか。煽ってんのか? 嫌がらせか? そうなのか? いじめか? 確かに田中ってクラスに五人いるけどさ。三人陰キャで、もう二人は陽キャ。絶対他のやつでしょ。サッカー部のかバスケ部の陽キャ田中でしょ……。そういう糠喜びさせる発言、ぼかぁ良くないと思うな! いけない! とってもいけない!

 

 「はあ? そんなことないってー。思い出せよー」

 

 「ええ……?」

 

 結構頑固。認めない。ていうか、なんかナンパされてるみたい……されたことないけど。はあ?でちょっとビビったのは内緒ね。ギャルとかヤンキーのああいうやつって、どうして怖いんだろ。陰キャの運命か? 習性か?

 

 「だって、去年の文化祭で絵書いたの田中でしょ?」

 

 それは、確かに。

 

 「僕だな、うん」

 

 美術の評価は、五段階で上の方だから絵は上手い方だとも思ってる。描くのも好きだし。投稿サイトのランキングも一瞬だけ乗ったこともある。素人に毛が生えたくらいには上手い自信があって、その絵も結構力作だったんだ。

 

 「……やっぱ、写真とか撮っとくんだったなぁ」

 

 文化祭で僕は、自分の絵、お化け屋敷の壁に描いた大きながしゃ髑髏を見れなかった。だって描き終えたら知らない天井だったもの。高熱を出して、倒れたらしい。嘔吐とかで絵を台無しにしなかっただけましかな。流行りのインフルエンザを患った上、無理をし過ぎたのが祟って、二週間入院コース。学校に来てみれば当然お化け屋敷は、形もなかった。いつもどおりのつまらない教室だけ。

 

 「あ、撮ってるよ。見る?」

 

 「え、なんで」

 

 「え、すごかったから。はい」

 

 ずいっと距離を詰めてくる。近いから一瞬で距離が縮ま――……。

 

 「近くない……?」

 

 「そう? そんなことよりほらほら。チョーうまく撮れてるでしょ。最近のiPhoneほんとカメラすごい」

 

 「確かに」

 

 よく撮れていた。ちょっと癪なくらい。集合写真だ。もちろん僕はいない。僕の描いたがしゃ髑髏を中心に、知ってるやつから知らないやつまで集まって撮っている。満足度高めな笑顔だし、お化け屋敷が大成功したのはわかった。

 それはいい。ただ、絵がよく見えない。クラスの奴らの笑顔なんてどうでもいい。

 僕は、僕の絵が見たい。

 

 「あのさ。絵だけって……」

 

 「あるある」

 

 あるんだ……。正直望み薄だったんだけどなんで撮ってるんだろ。よく分からん。

 

 「はい」

 

 あーーうん…………なんだろうこの。

 

 「思ったより下手くそだな……」

 

 深夜テンションで描いた絵が起きてみるとそうでもない時のだこれ。全体的になんか雑だし、でかいだけだし、何より塗りが雑。雑オブ雑。

 

 「んなことないでしょ。上手いってマジ」

 

 「そうかなぁ……」

 

 お世辞にしか聞こえないから、つい否定してしまう。自己肯定が足りてない。足りてないともっと陰鬱になる。悪い癖だなっておもうけど、治らない。不治の病かもしれない。

 

 「そうだって。田中、これ書いてるときめちゃくちゃ楽しそうだったじゃん」

 

 「そうだったかな……え、いや待って」

 

 いや、なんで?

 

 「なんでそんなこと知ってるの……?」

 

 「そりゃ、田中保健室に連れてたったの私だし? なんなら描くの手伝ったのも私だし?」

 

 「まじか」

 

 「マジ」

 

 

 

 +++

 

 

 

 「やっばい。バイトで遅くなっちった……」

 

 あたしは、廊下を走っていた。パタパタって、上履きを鳴らす音だけ廊下に響いているこの寂しい感じ「ああもうこれ皆帰ってるやつだなー」ってなんとなく察してはいたんだよね。

 文化祭まで後少し。だから皆、休みなのに張り切ってる。だけどちょっと遅くなりすぎたかも。

 

 「ほんとあの馬鹿……!」

 

 思い出したらまたムカムカしてきた。なーんで今日ばっくれるかな! いくら振られたにも色々辞め方あるじゃん!? はーだっさい! まじダサい! いくら顔よくてもあれはない。ホントマジで。前からうざかったけどもう完璧に幻滅したわ。あとでLINEブロックしとこ……!

 あーついてない。iPhone電池切れてるし、電車遅れてるし。LINEも送れないからあたしは走った。走ってる。運動部もいない運動場を走ってる時、教室に明かりがついてるのが見えたから多分いる。点けたまま返ったら怒られるし、間違いない。前、めちゃくちゃ怒られたから消して帰る……はず。

 

 「おっまたせーーーー…………?」

 

 がらっと開けて、あれット首を傾げる。なんか静かだなって。

 

 「誰も……あれ」

 

 いないこともなかった。一人いる。夕日が差し込んでいる教室のど真ん中を陣取って、大きなパネルの前で何かやってるのが一人。

 

 「田中じゃん」

 

 田中。クラスに五人いる。田中。サッカー部とバスケ部以外の、地味な田中。二年連続クラスが一緒の田中。顔は、知ってるけど。あんまり話したことない田中。あんまり何考えてるか分からない田中。あ、でも絵、上手かったな。美術の時の絵すごかった。風景だった。海と浜辺の絵。シンプルだけど奥行きとか色味とかそういうのが好きだった。

 

 「おーい田中ー? 無視は酷くね?」

 

 「…………」

 

 「たーなーかー……うわっ……」

 

 素で引いてしまった。

 

 「いやぁ……やばいでしょ……」

 

 田中の顔は、やばかった。普段大人しく教室で本を読んでたまにくすって笑ってるあの顔じゃない。圧力、迫力、本物の凄みっていくか狂気を感じた。すごい。あんな顔ができる人がいるんだ。

 

 「へえ……」

 

 興味はあった。絵が好きとかたまに笑う顔が可愛いとか。そういうのがちょこちょこあって、話してみたいなって思うけど中々話せなかった。気をくれしてたんだあたし。普段つるんでるのと違うタイプ、カラー。だから、話しかけづらかった。

 けど、いまなら?

 

 「田中、なんか手伝うことある?」

 

 田中の筆が止まった。今度は、聞こえたっぽい?

 

 「絵の具……」

 

 ボソボソっていうから、思わず首を捻って考えて。

 

 「ああ!! はいはい。補充な」

 

 私は、側に転がっていた大量の絵の具チューブに指を伸ばす。色んな色。鮮やかなのから暗いのまで色々ある。

 

 「どれがいるの?」

 

 多すぎて分かんないや。

 

 「……緑」

 

 「緑……これとか?」

 

 差し出すと掠め取られる。なんだか遅いと言われた気分。ちょっとイラッとしたけど仕方ないと飲み込む。チューブから出た後、緑を水と捏ねくった筆先がバッと勢いよくパネルの上を滑っていく。

 

 「何ができるのかな……」

 

 ぼそっと私が呟いて、田中の隣にしゃが込んだら。

 

 「……赤、黄、適当に」

 

 「適当ってなにさ……はい!」

 

 私は、勢いよくチューブを手渡した。

 

 

 

 +++

 

 

 

 「というわけ。思い出した?」

 

 「あーー〜〜…………思い出しました……」

 

 完全に思い出した。曖昧な記憶が明確になった。熱でハイになっていたんだ。他にも色々話しかけられた気はする。気がするだけで、思い出せない。多分、無視してる。きっと本人に聞けば思い出すはず。うがが……聞きたくない……。

 

 「それで?」

 

 「その時は、大変ご迷惑を……」

 

 「ちーがーいーまーすー」

 

 「な、何が?」

 

 深々と謝罪をしようとした僕へぶっぶーと効果音付きの大きなばってんが突きつけられる。な、何が望みだっていうんだ……!

 

 「か、体か……!! 僕の体か……!!」

 

 「え、いや。それは要らないけど」

 

 「あ、はい……」

 

 なんだろう、敗北感。

 

 「え? 何か言った?」

 

 「……何も言ってない」

 

 なんでそんなに膨れっ面なの……。

 

 「田中さ。その絵、描いてる時、楽しそうだったんだよね――まあ、あたしから見てだけどさ?」

 

 ぽりぽりと照れ笑いで西川さんは言う。不覚にも可愛いと思ってしまった。ああ、なんて単純なんだって僕は思う。実に遺憾。

 

 「それも思い出した?」

 

 「それは、うん……」

 

 「ならよし」と満足そうに西川さんは頷いて「実はさ、あたし、田中の絵好きなんだよね」と切り出してきた。

 

 「……へ、へえ? そうなんだ?」

 

 何だこの流れ。え、何この流れ。恥ずかしい。顔が熱い。顔がすごく熱い。恥ずかしい。めちゃくちゃ、恥ずかしい。絵を褒められたことなんて、それこそ小学校の時、学校の金賞を取った時くらいだ。昔も昔。大昔。ささやかな自慢。自慢したことないけど。

 

 「あたしさ、結構、美術好きなんだよね。絵が描くのが好きっていうかさ。下手くそなんだけど。ほら、これとかあたしのやつ。高画質だと見せるのも恥ずかしいね……」

 

 「まあね……」

 

 これ率直に言わなきゃだめかな? いや、正直に言ったほうが……というか正直にしか言えない。どうやっても。

 

 「下手くそっしょ?」

 

 にししと西川は笑う。言う前に言われた。なんだかかっこ悪い気がしてならない。

 

 「だからさ。田中が描いた絵を見た時、すげえってなったんだよね」

 

 「……えっと課題で描いたやつ?」

 

 あれ微妙だったと思うけど。

 

 「うんん、捨ててたやつ」

 

 「ええ……」

 

 「あはは、ごめんごめん。美術室の掃除してた時に見つけちゃったんだよねー。あ、撮ってるから探すな。ちょっと待ってて」

 

 全く悪びれた様子がない。別にいいんだけど、うん。ていうか写真あるのね。捨てたやつっていうと……どれだろう。

 

 「って、これ? ほんと? いや、ほんとで?」

 

 「うん、これ」

 

 思わず困惑。いやだってこれ、ええ? ほんとに? 本当にこれなの? もう一回、視線で聞いてみる。こくこくと二回も頷いてくれた。

 

 「ゴミ捨てする時に見つけたんだよな~~。美術の授業で描いてるの見かけてすげーと思ってたんだよね」

 

 「そっかぁ……まあ、ありがとう」

 

 ちょっと気まずい。わざわざ捨てたのを綺麗に広げて……相手によれば怒っているかもしれない。だけどこうも無邪気に褒められるとどうにもできない。

 

 「ていうか、めちゃくちゃ綺麗に描けてるのになんで捨てたのさ?」

 

 やっぱ、聞かれるよなぁ……と、頭をがしがしやってから、なんて言おうか僕は言葉を探して。

 

 「気に食わなかったから、かな」

 

 捨てたのは、風景画だ。ごくありきたりで、ごく普通で、わりと良くできた自信作だった。美術の課題。家、マンションのベランダから見える景色を描いて、良く出来たから提出しようと思った。

 

 「出来は良かった。今まででも結構良い方だったと思う。だけどさ」

 

 ――見ちゃったんだ。美術準備室の提出カゴの中、誰よりも勿論、僕よりも何倍も何十倍も上手い絵を見た。

 

 「知ってる? B組の美術部の子、めちゃくちゃ絵が上手いんだよね。色んな賞とか取っててさ。僕、意識的に避けてたんだけど、ついにそこで見ちゃったんだよね」

 

 「それで、捨てた?」

 

 ははっと自嘲気味な声を出てしまう。なんで僕は、こんな話をほとんど話したことのないクラスメイトに話してるんだろう。センチメンタルだなあ……。でもまあやっぱ、嫌でもそうなるよね。タイミングが悪いよタイミングが。誰だってこんな時は、センチになる。

 

 「まあ、そんなところ……」

 

 「ふうん、そっかぁ……」

 

 会話が止まってしまった。こういうの苦手なんだよね。よく知らない相手との沈黙は辛いよね。辛くない? どうしようかな……。

 

 「私さ、その子と小学校から一緒なんだけどさ。確かにずっと上手かったよ。最初からずっとずっと。校内コンテストなんて片手間で総ナメ。他にも色んなところに出してたりしてさ。すごかった」

 

 だけどさ。西川は、にかっと笑って。

 

 「好きになったのは、田中が初めてだ」

 

 「っ~~~~……!!」

 

 吸い上げていたオレンジジュースを吹き出してしまう。

 

 「げほごほっ……あ、あのさあ……!! 言い方! 言い方あるでしょ!」

 

 「ええ? あたし、田中好きだよ? おかしい?」

 

 「いや、おかしかないけど……。ほら、likeとかloveとかあるじゃん? ていうか、好きなのは絵でしょ?」

 

 「絵も好きだけど、田中も好きだよ?」

 

 「いや、だから…………あーもしかして」

 

 と、僕は思い至った。ああ、そうか。だから、今日、こうして。一緒にいるの? なんだよそれ。聞いてないぞ。

 

 「今日、世界が滅亡するから好きな人と一緒にいるの?」

 

 世界滅亡――ニュースで流れたのは、つい一週間前の事。でっかいでっかい隕石が降ってくるらしい。軌道が逸れるとかは無くて、もうぶつかるコースとか。デマではなかった。世界中の大統領や偉い人々が認めてしまったから、そこそこパニックになった。だけど二日も経つと、皆々、思うように行動を始めた。

 無論、僕もその一人だ。最後の一枚を描く為、僕は、見慣れた街を彷徨っていた。

 そんなこんなで、残り24時間。答えは見つけられてない。

 

 「え? ごめん。それは違う」

 

 「そ、そっかぁ…………」

 

 もう、何も言わない。言いたくない。死にたい……駄目だ……無理……。この場から消えてなくなりたい……無理……。耐えられない……。

 

 「このポテト出してる、そこのハンバーガー屋で、あたし、バイトしてたんだよね。最後に食べたくてなってさ」

 

 「あー……そうなんだ」ちょっと納得「僕も好きだよ。あそこのポテト」

 

 フレーバーが多くて、人気だった。カレーとか明太子、チョコレート。色々珍しいのも。僕も好きだった。今では、誰も居ない。どうやって買ったのかと思ったら、自分で作ったんだ。腑に落ちた。

 

 「田中も食べる?」

 

 物欲しげな視線に気づいたのか、西川さんに訊かれた。恥ずかしい。

 

 「あ、はい。お願いします」

 

 「なんで敬語?」

 

 「……癖なんだよ」

 

 陰キャ特有のやつだ。

 

 「何それ。おっかしーな」

 

 けらけらと笑う西川さんに、僕は、またまた顔が赤くなった。恥ずかしい……。

 

 

 

 +++

 

 

 

 「ね、田中ってさ」

 

 「ん、何?」

 

 ぽりぽりフライドポテト食べてる田中は、なんだか小動物みたい。リスとかそういうネズミみたいな。ああ、うちで飼っていたハムスターみたい。思ったら、もっと可愛く見えてくる。

 

 「なんでここに来たの? あたしは、見ての通りポテト食べたくなったからだけど」

 

 「僕は…………」ぽりぽりと長い長いフライドポテトを一本食べ切り「絵を描こうと思ったんだ。人生最後の絵。地球も終わるらしいし、一枚くらい描いとかないとなって」田中は言った。

 

 「へぇ、いいね。それいい。最高だと思うよ」

 

 言ったのは、本心そのもの。純粋にすごいと思った。だって、最後の最後にこんな事を選べるって、凄いでしょ? 形も残らないはずなのに、意味も無くなるのに、何かを残そうとできる。あたしなんてフライドポテトだ。昨日は撮り溜めたドラマとか動画サイトで映画を見ていた。途中で寝てたから、見てないのも同じだけどね。

 

 「ああ、じゃあ、何描くか探してた感じ? 邪魔しちゃったな、そりゃ」

 

 「うんん。むしろ、ありがと。何も見つかってないから、気分転換になってる」

 

 「ふーん、そっか。よし! じゃあ、」と西川さんは立ち上がって、「このモール、を済から済まで案内したげる」

 

 「このショッピングモールを……?」

 

 「そうそう。描くものが見つからないなら、色々見たほうがいいっしょ?」

 

 「ん、まあ、確かに……」

 

 「ここのモールってさ、結構広いじゃん? 私も全部回って見たことないからさ――な?」

 

 「体よく使われてないかな、これ」

 

 「バレたか」

 

 てへっと舌を出してみたら半笑いを浮かべて、田中は、肩を竦めると立ち上がった。

 

 「まあ、面白そうだし、行くよ。時間、あんまり無いしさ」

 

 「時間……。あっ……、もうそんな時間かー」

 

 忘れてた。もう四時か。フードコートの外は、もう日が傾いていた。茜色に景色は、染まっていて、ビルや家屋の窓ガラスがきらきら輝いて眩い。静まり返った街の景色は、誰もいなくなってしまったみたい。

 

 「あ、これは?」

 

 「地球最後の夕焼け……ロマンチックだけどいいかな。やめとくよ。皆、描いてるだろうし」

 

 「そっか」

 

 良いアイディアだと思ったんだけど。うーん、難しい。唸ってるとリュックを背負って、準備万端な田中が、

 

 「行こう」

 

 って、笑った。 

 

 

 

 +++

 

 

 

 「そういえば、ここって、こんなとことかあったんだね」

 

 「あれ? 知らなかった?」

 

 「存在は知ってたけど、来たことは無かったかなぁ……」

 

 「なるほどねー」

 

 「それでさ」

 

 「うん」

 

 「これってどういう状況?」

 

 「いや、バッティングセンターでやることなんて一つっしょ」

 

 西川さんは、隣のバッターボックスで、のりのりにバットをぐるぐる肩と一緒に振り回したり、片足で構えたり、ユラユラさせたり、ピッチングマシンの方に先を向けてバットを回したり、バットを掲げて、袖をクイクイと引っ張ったりしていた。なんだか妙に様になってる。

 

 「あー西川さんは、結構来るの?」

 

 「うんん。ここに来たことは無いし、バッティングセンターも昔行ったきりーー」

 

 ずれるヘルメットに苦戦して、持ちなれないバットの重さと手触りに困惑しながら聞いてみると意外な答えだった。

 

 「へ、そうなの?」

 

 「そうだぞー」

 

 うーん、素振りの鋭さは、どう見ても常連なんだけどなぁ。まあ、いいか……。

 

 「じゃあ、どうしてまたバッティングセンターなの?」

 

 「田中、あんま運動してなさそうじゃん? 休みも部屋に引きこもってそう」

 

 「ぐっ……当たり……当たりだけど。だからなの?」

 

 「イエース。インスピレーションって、普段と違う事すると出たりするらしいじゃん? だから、丁度いいかなって。あたしも打ちたかったしねー」

 

 「後半が本音じゃないの……?」

 

 重いな……バットの収めどころが分からない僕と真逆に西川さんは、とっても楽しそう。

 

 「あ、ほら! 始まるぞ!」

 

 歯を出してきらきら笑う西川さんに言われたその時、ぼふんとカキン、二つ別の音がした。先が僕の目の前を白い何かが通り過ぎる音、後のもう一つは、

 

 「おお……」

 

 西川さんがネットへ叩き込んだ音だ。ぼすんっとまたボールが僕の横を通り過ぎていくけど、気にせず拍手。カキンッ! 心地の良いバッティング音に、耳は心惹かれてしまう。

 

 「すごい……!!」

 

 ぶんっと風を切ったバットに合わせて舞い揺れる茶髪とスカート。僕の二つの目は、西川さんから逸らせない。また一つ、白い影が僕の側を通り過ぎていった。

 

 「田中も打ちなよ!」

 

 「え!? で、でも……」

 

 「ほらっ!」ぶんっ!「気持ちっ……」ぼすん「ぬっ……!」

 

 空振った西川さんは、ぐっとバットを構え直すとピッチングマシンの方を睨みつけて。

 

 「気持ち――いい!!」カキンッ!!「ようっし……!」

 

 ガッツポーズ。飛び跳ねて、嬉しそうな西川さん。これはなんだか負けてられない気がしてきた。

 

 「僕も……!」

 

 見様見真似に、バットを構えてみる。ぼすんっとあっという間にボールが後ろに消えていく。早い……え、これ何キロ? 早くない? いや、早いでしょ。

 

 「振らなきゃっ」カキン!「当たんないよ!」

 

 「分かってるよ! だけど……!」

 

 ぶんっと振ったは良いものの出遅れてた。その上、バットに振り回されて、

 

 「うわ!」

 

 バランスを崩しそうになる。

 

 「難しいなぁこれ……」

 

 「バット、長く持ち過ぎ。短く持ったほうが良いよ、多分」

 

 「短く……」手を上に、根本の方にやって「こうかな……?」構えてみる。

 

 「ははっ、そうそう! じゃあ、後は、ボールにタイミングを……!」

 

 ぐっと僕は、西川さんの真似をして。

 

 「合わせて――」

 

 バットを振った――確かな手応えが僕の掌に伝わる。押し負けない。このまま、振り抜いて……っ!!

 

 「おっ~~!!」

 

 カキンッ!! と心地のいい感触の後、白い影が勢いよく飛んでいくのを僕は見た。

 

 「どうよ。田中?」

 

 「……え?」

 

 「ほら、感想! 初めてのバッティングセンターの感想だよ!」

 

 「えっと……気持ちいい。楽しかった」

 

 「ならば、よし!!」

 

 あっ……。僕は、気づいた。ひりついて、痺れる掌。駆け抜ける達成感。この瞬間、この目に映る光景。そうだ、これだ。

 

 「西川さん」

 

 「何ー田中」

 

 「僕さ、描きたいもの、決まったよ」

 

 「へっえ! 良かったじゃん! 何を描くの?」

 

 バットを構え、タイミングを計るように先を揺らして、最後の一球を待つ西川さんに、僕は、ごく自然と言った。

 

 「西川さんを書かせて欲しい」

 

 「………………へ?」

 

 ぼふん。ボールが通り過ぎて、間抜けに受け止められる音と西川さんの声が出たのは、同時だった。

 

 

 

 +++

 

 

 

 「ほんとにあたしでいいの……?」

 

 絵のモデルなんて初めて。どうしたらいいんだろう。フードコートの、クッションはあんまり良くない椅子の上で、あたしは、所在なさげな指を太ももの上でくねくねと絡ませる。真剣な視線。真っ直ぐな視線。じっと田中は、あたしを見つめてくる。見られてる所が熱くなるような錯覚を覚えた。ああ、もう、恥ずかしい……。でも、こう……。

 

 「西川さんがいいんだよ。西川さんを描いてみたいって思ったんだ。それに、夕焼けと違って、今、僕にしか西川さんは描けない」

 

 ――嬉しい。向けられた言葉も真っ直ぐ。嘘偽りの無い本音というのがあたしにも分かる。鏡を見たらきっと顔の隅々まで、真っ赤だ。多分、ううん、絶対。間違いないんだから。

 

 「…………田中って、案外、恥ずかしいこと言うんだな」

 

 「ん……あ、そのまま。横と、前……どうするかな…………」

 

 鉛筆とスケッチブックを持った田中は、集中しきってる。自分の世界にどっぷりだ。

 

 「はは、聞いてない」ああ、やっぱり「絵、描くのやっぱり好きなんだなあ」しみじみと思う。

 

 「あんまり動かないでよー?」

 

 「あー、はいはい」

 

 それはそれで、難しい。動かないなんてあんまりしないんだ。しかもこんなに見られながら。……とっても落ち着かない。

 

 「うーん、落ち着かないぃぃっ!?」

 

 「うわぁっ!!」

 

 暗いっ! 暗っ!? え、なになに!? 真っ暗だ! 何にも見えない。突然だったからあたしは、声も出せず、驚きで右往左往してしまった。

 

 「停電……! 発電所……電線とかかな? でもこういうとこって別に電源があるって、聞いたことあるけど……」

 

 「た、田中! 原因は、とりあえず良いから明かり……って、そうだ」

 

 「んっ……!」

 

 「スマホがあるじゃん……パニクってた」

 

 眩しげに目を細めてる田中の前で、あたしは溜息をついた。それから、周りを見渡してみる。もちろん明かりは消えていて、戻ってこない。窓ガラスから見える街並みも真っ暗、真っ黒。街全体が停電なんだ。

 

 「んーこれは、酷いね」

 

 スマホの電灯を点けてやってきた田中。あたしと感想は同じ。

 

 「直るかな?」

 

 「どうだろ。発電所の人達も今更仕事なんてしないと思うし……多分、それも停電の理由じゃないかな」

 

 「なるほど、確かに……」

 

 納得してしまう。あたしだって、学校しばらく行ってないし。大人だって、仕事なんてしたくないよね。

 

 「灯りが欲しいね」

 

 スマホだとちょっと暗い。

 

 「まあ、そうだよなー。暗いと何かと怖いし……」

 

 「絵、描けないし」

 

 あ、やっぱりそこなんだ。あたしは思わず苦笑い。

 

 「そういえば確かバ先のバックヤードに懐中電灯あったんだ。持ってくるから田中は待ってて!」

 

 

 

 +++

 

 

 

 「え、あっ、僕も――もう居ない……」

 

 たったったっ……と軽快な足音が僕から遠のいていく。足が早いんだな……。と感心してから外を見て。

 

 「あっ」

 

 思わず、目を見開いた。

 

 

 

 +++

 

 「ありゃ、居ない……」

 あたしが戻ってきたら田中が居なかった。どこだろ。バックヤードにあった懐中電灯は、結構いいやつだった。明かりがすごい。フードコートの端まで明かりが届くらい。誰かの私物かも。どうでもいいけど。

 

 「たーなーかー? どーこー?」

 

 呼んでみる……反響するだけで返事なし。

 

 「やめてよー?」

 

 こう、急に一人になると心細くなっちゃうよね。夜の停電したモールとか洒落にならないし。普通に怖い。いや、怖いでしょ。

幽霊とか出そう。いや、今更だけど。あー、でもどうせなら出ないでほしい。あたし、ホラー苦手なん――コンコン。

 

 「ひっ!」

 

 なな、なに!? 情けない悲鳴とびくっと飛び上がってしまって、音の方へと反射的にあたしは、懐中電灯を向けていた。

 

 「…………なんだー田中じゃーん……。驚かせるなよぉーー。もぉ、めちゃくちゃ驚いたんだからなあ?」

 

 音の方、窓ガラスの向こうには、さっきも見た眩しそうな田中の顔があった。

 

 「はは……ごめんごめん」

 

 テラスに繋がってるドアから戻ってきた田中に非難を込めて、視線を送ってやると苦笑い。ほんともう、勘弁して欲しい。寿命縮まったじゃん。

 

 「あ、そうだ。外凄いよ」

 

 「外?」

 

 「うん、外。ほら、行こ」

 

 なんて言うと田中は、あたしの手を自然と握って引っ張った。ここのフードコートは、モールの三階にあって、眺めのいいテラス席がある。さっき田中が出てきたドアをくぐるとそこに出れるんだ。開けて、吹き込んできた秋風に、あたしは体を震わせ、

 

 「あれ、見て」

 

 「わあ……すごい……」

 

 田中が指差したのは、空。真っ黒い空に、星が散りばめられている。これも普段は見れないから、少し感動した。だけど本命は、そこじゃない。

 

 「あれが降ってくるのかな」

 

 「多分、そうだよ」

 

 赤く輝く、大きな大きな星があたし達を見下ろしていた。

 

 

 

 +++

 

 

 

 「あたしに、隕石。両方描きたいなんて我儘だな、田中」

 

 「今しとかないと我儘なんてもう出来ないからね」

 

 「はは、言えてる」

 

 星明かりと懐中電灯、スマホの灯りを頼りに、僕は、鉛筆をスケッチブックに走らせる。

 空に空いた大きな穴。じりじりと隕石が空を飲み込んでいく様子と僕に微笑む西川さん。二つの輪郭をスケッチブックに描く。こう書いてみると隕石が落ちてくるより、まるで、空が落ちてくるみたい。

 

 「ね、田中」

 

 「なに、西川さん」

 

 消しゴムを丁寧に擦り付ける。角が取れて、使い古した消しゴム。お気に入りのブランド。これもまた、消しゴムで消すより荒々しく。僕らと地球と一緒に、消し飛ぶ。

 

 「あたしのこと、また描いてよ」

 

 「うん、もちろん」

 

 「にひひ、ありがと」

 

 また、鉛筆を走らせた。髪の毛、まつげ、眉の一本一本、輪郭、瞳、耳、鼻。体に刻み込むように、僕は、必死に鉛筆を動かす。

 僕は、西川さんの笑顔を、僕の描いた西川さんを決して忘れたくない。ううん、違うんだ。この一瞬を僕は、忘れない。

 いつの間にか明るくなっていた。スマホや懐中電灯の灯りが意味が無くなるくらいに、明るく。

 

 「……待ってるから、田中」

 

 今、この世界で、なによりも綺麗な景色を、

 

 「うん、絶対に。またいつか、必ず」

 

 僕は、忘れない――この空が押しつぶす前、君と居た時間を忘れない。

 

 

 

 



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