盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです 作:零眠みれい(元キルレイ)
雨生夢月(ゆづき)、八歳です。
ピンク一色で全てが塗られている、変な建物の中で彷徨っています。
床から生えている木、無造作に散らばっている机と椅子、ピンク色の空にたった一つだけ黒色をした月――。
角を曲がったところで熊に会い、大きい虫に会い、次の角には何があるだろうと曲が――ろうとしたら、視界が昨夜読んでいた本のページで……現実で埋まった。
……はい、夢でした。夢オチです。
「……」
無言で毛布にもぐる。
特に友達との約束はないし、二度寝しよう。学校は知らない。
……けれど結局、全く眠れそうにないので起きた。
まず最初に、散歩に行けるかどうか、学校に行くかどうかを決めるため、本をどかして時計を確認する。
七時半……散歩には行けないけれど、学校には行ける時間帯…。
とりあえず遅刻はしたくないので、目を閉じて杖を持ち、ランプを消して朝ごはんを食べにリビングへ向かった。
わたしの家の食卓はいつも静か。
朝も昼も夜も、休みの日でも平日でも変わらない。
今もわたしが朝ごはんを食べている音と、聞き耳をたてたら鳥の鳴き声が聴こえるだけの――とてもとても、静かな食卓。
そしてこれも多分、いつものことだけど、ここにわたし以外の人はいない。
居たとしても、それは目を開けない限り把握できない。
把握できたのはおはようが聞こえなかったこと。気配を感じないこと。お母さんとお父さんはほとんど家にいないこと。お姉ちゃんはもう学校に行っている時間だということ。
一人は別に構わない……というか、お姉ちゃんとお母さんとお父さんの三人のうち誰かがいたら、空気が重く感じるから居てほしくないとすら思う。
でも、誰か居てほしい。
家族以外の誰かに。
食べる音と鳴き声だけじゃ、音の重なりが薄くて、せっかく好きな音聴きに物足りなさを感じてしまうから。
話し声とかでいいから、そこに存在している証明になる音が欲しい。
そう思うくらい、この『音楽』に飽きていた。
朝ごはんを食べ終え、再び真っ暗な自分の部屋へ戻った。
どこからも光が入らないようにして、とてもやさしく、やわらかいランプをつける。
そして、普通ならか細い、しかしわたしにとっては十分な光で物を照らす。
時間割表を見ながら、必要な物をランドセルに入れた。
制服に着替え、他にも歯磨きやトイレなど登校する準備を全て終わらせ、玄関で靴を履く。
最後に視界が暗くなるメガネをかけてから外に出た。扉をスライドさせて閉めて鍵をかける。
すると小さな物音が聴こえた……ような気がした。
「?」
不思議に思ったわたしは、聴こえた方向へと歩いた。歩いたとは言っても、その音ははすぐ近くのところからだったけど。
たどり着いた先は――自分の家の倉だった。
「??」
なぜここから音が聴こえてくるのだろう。
週に一度くらい何かないかと探しに来る時には物の位置は全く変わっていないし、埃をかぶっている時もある。だから倉に出入りしているのはわたしだけと思っていたけど…。
さらなる疑問が頭に浮びつつ、わたしは倉の出入り口を開けた。
「あっ」
するとそこには電気の付いた懐中電灯を口にくわえ、箱の中に両手を入れてしゃがんでいる横姿。
「お兄ちゃん」
歳が離れている兄――雨生龍之介だった。
お兄ちゃんは気付いたようにこちらを振り返り、懐中電灯を口から手に移しながら言う。
「ああ、夢月じゃん。久しぶり」
「うん、久しぶり…。こんな所で何してるの?」
お兄ちゃんは基本的に家に帰らない。一か月とか二か月とか、そのくらいの頻度で気まぐれにわたしを誘いに来てくれるくらいだ。
本――ましてやここに置いてある古文書に関心があるなんてこと、聞いたことがない。
「いやー、最近殺しても殺しても研究が進歩しなくってさぁ、儀式殺人ってのをやってみようかなーって。夢月はそういうのが書いてるやつ知ってる?」
儀式ってことは、誰かを生贄にして召喚とかする殺し方……だよね?
うーん、あんまり召喚する方法が書いてある本って少ないんだよね…、しかもほとんど解読できてないから本当にその内容なのかも…………! あった、一冊だけ。読める日本語で丁寧に書いてあったのが。
「知ってるよ! わたしの部屋に来て」
わたしはお兄ちゃんを連れて早歩きになりながら自分の部屋に駆けた。
お兄ちゃんにも見えるよう電気をつけて、散らばったり積み重なったりしている書物の中から探し物をあさる。
去年使っていた教科書、怪異を扱う小説、ファンタジー漫画、辞書に図鑑に写真集ばかりが出てきた。数日前に読んだばっかりだから、そう奥底にはないはずなんだけど……あった!
後ろで待っていたお兄ちゃんに、「これだよ」と言いながら渡す。
「どれどれ……あーなるほどねぇー確かにそれっぽいけど……ここががわっかんないな」
お兄ちゃんが指していたのは題名の部分。召喚方法の上に位置する、名前であろう文字。
ぐちゃぐちゃに落書きしたようにも見えるし、文字と言われれば文字と見えなくもない。
「まぁいっか。人の血でも代用できるっぽいし悪魔っぽいし……ありがと、これからやりに行くつもりだけど、夢月も来る?」
わたしは間髪置かずに頷いた。理由はとても簡単だ。
召喚できる何かは、『這い寄る混沌』という異名を持つらしい。
どんなことをしていたのかはあまり理解することができなかったけど、その姿はとてもこの世の生物とは思えない、醜く冒涜的。顔の輪郭がなく、触腕鉤爪肉塊で構成されている。
それを認識した者は狂気に堕とされ、一生トラウマとして刻まれ二度と忘れることができない。
初めて読んだ時、すごく興味を惹かれた。
会ってみたい。触ってみたい。声があるなら聞いてみたい。
血を抜くの難しくてできなかったから諦めていた……でもお兄ちゃんなら上手くやってくれるだろう。
この話を断る理由は一つもなかった。
「行きたい!」
「オーケー、じゃ下で待ってるから。着替えて降りてこいよ」
「うん!」
お兄ちゃんが部屋から出た後、制服から私服に着替えてメガネを外して、持っていて損はない杖を取る。
学校はいつも通りサボろう。
お兄ちゃんに手を引いてもらってついていき、二日にわたって、合計三回儀式を行ってみた。
三回とも、失敗に終わった。
原因は未だに分からないけど、一度目はお兄ちゃんがいい加減な魔法陣でいい加減に詠唱したからだと思う。
お兄ちゃんは殺人鬼モードに入ったからか、毎回楽しそうにしている。
対してわたしは、やっぱり召喚は空想ものだったのかと内心ため息をついていた。本気で信じてしまっていた分、ショックが大きい。
今回でできなかったら諦めよう。血を取る音を聞いて、楽しんで、学校に行こう。
そう思いながら、とある家のリビングの床の上に血で模様を描いていた。
廊下から少しだけしか光が入らないようにして、なんとか視界が見えるようにしている。
お兄ちゃんは横で今回生贄にする男の子と上機嫌に一方的に話していた。
「――でさー、これから呼び出す悪魔って、腕とか全部触手でできてるらしいよ。きっと人間には真似できない殺し方とかするんだろうなぁ。オレ的には触手で身体を絞ったりすると思うんだよねぇ。それか解剖してオブジェにしちゃうとかさぁ。はははっ! 悪魔に殺されるってどんな気持ちなんだろうね!」
「……これでよし」
暴れている男の子を嘲笑っているお兄ちゃんを放置して、本を一瞥しながら詠唱を唱える。
「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
「お、始まった」
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する――告げる。汝の身は我が下に、我が運命は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば応えよ――え?」
今までと違い、模様の血が光った。喜びと驚きが混ざりながら、慌てて目を閉じて覚えているかぎりの詠唱を続ける。
「ち、誓いを此処に。我は常世総ての善と成るとかなんとか…我は常世総ての――汝三大? の言霊を纏うなな……だっけ、抑止の輪より来たれ! 天秤の守り手よ!」
投げやりになりながらもなんとか言い終える。
同時に、右手にピリッと刺激が走り、正面から風が吹いてくる感覚。
しかしそれもたった数秒のことで、すぐにピタリと風は止んだ。
そして――
「やーっと参加できた。まさか三回も強制終了するとは、聖杯を過大評価しすぎたかな?」
聞こえた声は女の人のような、男の人のような、そんな声だった。