盲目少女がニャルラトホテプを召喚したようです 作:零眠みれい(元キルレイ)
寝過ごしてしまったウェイバー・ベルベットは、腹を立てて階段を駆け降りていた。
サーヴァントは本来、霊体化しているものであり、実体化する時間が長ければ、その分魔力供給の量が多くなる。また己のサーヴァント、ライダーは大き過ぎる体に甲冑を身に付けている。家主や近所に見られたら洒落にならない。
そのため霊体化しろと常々言っているのだが、それを拒んで役に立つどころか煎餅をかじりレンタルビデオを見るという無駄なことをしていた。
なので百歩譲って、ウェイバーが我が物顔で居座る二階の個室から出るなと命じていたのだ――だというのに、今朝起きると姿がなかった。気配すらないので実体化して個室を出た、ということになる。
居場所が外ではなくダイニングキッチンらしいことと、ここに住んでいる夫妻が不在かもしれないのが幸いというべきか。
鉢合わせしていようとしてまいと、連れ戻し怒りをぶつけて問いただす。今回ばかりはこの熱は冷まさせない。
そう決意して、取っ手を握り扉を開ける――。
「ライダーっ! あれだけ部屋を出るな……って……」
「おぅ、起きたか坊主」
「やっほーお邪魔してるよ」
なぜか能力値も宝具も前代未聞の敵サーヴァント、ニャルラトホテプが堂々とくつろいでいた。
「なんでキャスターがいるんだよぉぉッ!?」
度肝を抜かれてあふれんばかりに叫ぶ。
無論、同盟を結んだ記憶はなければ休戦になった記憶もない。
注目すべき疑問――ライダーが胸に世界地図と文字が書かれた特大Tシャツとズボンを着用していることや、ニャルラトホテプが配達員の恰好をしていることはそっちのけになっていた。
怒りと恐怖感は消し飛び、熱だけが残る。
――そんなウェイバーに、ニャルラトホテプは友達の家に遊びに来たかのように落ち着いた態度で接する。
「いやさ、そこら辺をふらふら~と歩いてたら君達の拠点を見つけたから、せっかくだしテレビゲームで対戦しようかなー、と」
「今は聖杯戦争中だろ!? なんで殺し合ってる相手とゲームしようとしてるんだよ!」
怒涛の衝撃のないせいか、ウェイバーは聞き逃した。さらりと自分達の拠点が割られていることに。
「暇だったっていうか何となくっていうか……それに他に対戦相手がいないし」
「はぁ?」
何を言っているのだろう、こいつは。
するとニャルラトホテプは言い聞かせるように「え? だって――」と数えるように指を折りながら、
「うちのマスターは目が見えないからできないし、アーチャーは問答無用で刺しに来そうだし、ランサーは沈んでるっぽいし、セイバーは応じてくれなさそうだし、バーサーカーは狂ってるし、アサシンは見つからないし……相手してくれそうなのライダーしかいない」
「そうじゃない! 暇ってなんだよ! なんでそんなことのためにゲームを……しかも敵サーヴァントと!」
「んぅ? キャスターよ、そのために余を誘ったのか?」
さしもの不服そうに問いを投げるのは、ライダーであった。
「そうだよ、ダメ?」
「うむ……ならば日を改めてくれないか? 余もやりたいことがあるのだ」
「やりたいことって?」
「街を出歩こうと思ってな」
「お前も何やろうとして――遊びに来るよりはマシか……」
いやでも生命を賭した戦いの最中にすることじゃないだろ、と呆れた視線を二人に向けるが、一瞥もされずに話は進む。
「一回やったら帰るよ。ちゃんと本気でやる」
「まぁ、ゲームがちょうど余が目を付けていたもので、ズボンをくれた礼もあるしな。しかし理由がそれでは挑戦し甲斐がないのぅ」
「……じゃあこうしよう。一日一回勝負。私が勝ったら次の日に試合を申し込める権利を、君達が勝ったら聖杯をあげるよ。これなら文句ないだろう?」
「おぉ! それなら申し分ない」
「――え? せいはっ……え?」
待った、何が起きた、自然な流れでなんて言った?
――万能の願望機、聖杯を賭ける?
それはつまり、殺し合いの果てにようやく手に入るものを、たった一度ゲームに勝つだけで貰えるということか?
それをライダーがあっさりと頷いた?
「おい坊主、なにをぼうっとしているのだ」
「……もう、勝手にしろよ」
非現代人と非人間には常識的な理屈が通じないのだと、ウェイバーは悟った。
ライダーを先頭に段ボールを抱えたニャルラトホテプと投げやりとなったウェイバーが続く。
部屋に入り、テレビの前でゲーム機をセットしているニャルラトホテプの隣で、ソフト『大戦略』の説明書を閲読するライダー。その傍らにいるウェイバーは今後の方針を再確認していた。
現状、最大の難敵となっているのは……言わずもがな、ニャルラトホテプである。誰もがそう考えているだろう。
キャスターのクラスで現界したというのに、能力値は三騎士クラスより格上。更に戦い方が判明せず、まだ宝具を隠し持っているかもしれないときた。サーヴァント二体がかりであっても返り討ちになる強さだ。倒すには必然的に三つ以上の同盟が結ばれるだろう。
その三つは、恐らくセイバー、ランサー、アーチャー。アサシンはもう脱落していて、バーサーカーはあの場にいなかったから強さが分からないし、ニャルラトホテプのことを危険視していないだろうから勘繰られるかもしれない。
ライダーは……参戦しようにも戦えない。対魔力能力は低く、攻撃が戦車で轢くやり方なので味方の足を引っ張りかねない。あの触手まみれの姿でも、二人分の近距離攻撃で狙える隙を網羅して突けるだろう。
但し、仮に接近戦が一人、遠隔戦が一人揃っている状態で呼びかけがあったら加入するか参戦する。それ以外では、よほど有利でない限り、令呪を使ってでも止めるべきだ。
自分達で倒す必要はない。待機していても注目はニャルラトホテプに集まっているし、サーヴァントが減ったら戦力が足りなくなり勝てなくなるので、優先的に誰かが倒そうとするだろう。
……それにしても、と。ある疑問を浮かばせた。
(なぜ、このキャスターはこんなにも強いんだ?)
まだ調べていないが、現在の時代より過去の伝説の知識を持つことができるサーヴァント――ライダーであっても知らなかったことから、恐らく未来の宇宙から召喚された。
だが、それだと尚更おかしい。
いくら伝説が強かろうが、知名度なしに限界を超えることはないはず。また限界を超えるのは、その伝説を再現する宝具であって然るべきだ。
そもそも、マスターはどんな手を使って召喚を………そういえば、ニャルラトホテプの出現により頭からすっかり抜けていたが、あの子供はどこに……いや、考えるまでもないか。引き止められずに工房で待っているに違いない。
ウェイバーもライダーに振り回されているせいか同情し、それとなくゲームをしている二人に目をやると――とっさに唾を飲み込み尻込んでしまった。
彼の認識するテレビゲームとは、単なる低俗な遊戯でしかない、ただ時間を浪費するもの。
その対戦ともなれば、悪ふざけを交えて何が面白いんだか騒々しく戯れるもの。
――決して敵意丸出しの、緩めることが許されなくなるほど静かにやるものではない。
「……」
「……」
淡々と機械的な音によって奏でられる曲をバックに。
両者無言でコントローラーを握り、液晶画面に映る動く絵に視線を注ぐ。その真剣さには先程までの和やかさは欠片もなかった。
言葉を漏らすことを禁ずるような重苦しくなる沈黙。積み重なる集中によって張りつめた空気。逃げれることなら逃げ出したい重圧感。
まだ知り得ないが、これがあと三、四時間続く。とてもゲームとは思えないやる気である。
――それを見たウェイバーは思った。
なんでゲームであたかも死闘を繰り広げている雰囲気を出すんだよぉぉ!?
ニャルラトホテプ、及びそのマスターの行動は、工房の中の状況は慎重を期して把握しなかったものの、外での出来事はアサシンの追尾により可能であった。
遠坂時臣は通信機を通じて、冬木教会に身を置く言峰綺礼からの報告を受ける。
余談であるがその間、監督を務める璃正神父も魔術協会へと、三度目にして最後となる報告を試みていた。これでも失敗するのであれば、ニャルラトホテプが関与していると見做し、切り上げるべきだろう。
『キャスターは市内を三時間放浪した末、ライダーの拠点に押しかけ、聖杯を賭けてテレビゲームで競い合いをしています。それ以外に目立った行動はありません』
「聖杯戦争には固執せず、勝負に種類は問わないか…」
策略を失敗に終わらせかねないその要素に、時臣は落胆する。
ニャルラトホテプが根源であることは、時臣と綺礼、アサシンの理解の仕方に差異があったことと、正体がクトゥルフ神話と呼ばれる本の神話生物であることから、あくまでも可能性に過ぎないと推論した。
可能性の上で、勝機がこれしかなく、聖杯が何らかの不具合により機能しないことも考えると――やはり、ニャルラトホテプを根源へと近付く手段に利用すべきである。
まず勝つ方法だが、これは幾ら知恵を絞り束になって掛かったところで、戦って勝てる相手ではない。令呪は三つ使用しても実行されなければ、ただ反感を買う行為となる。だからといってマスターを仕留めては根源へと近付けない。よって――諦めさせることにした。
勝負はサーヴァントであってもニャルラトホテプを負かせることはできない。認めざるを得ないことであるのだと。そうして聖杯戦争への関心を消し去り、自ら退場させる。
聖杯が支障なく起動できると保証があればですぐにでも実行しただろう。だが、今回のイレギュラーは異常だ。どう影響しているか不明瞭――起動できないと仮定する。
退場させるのはある事を確認してからだ。
ある事――肝となる部分、どのようにして根源へと近付くか。
マスターはサーヴァントと契約、魔力供給のパスで繋がっているため、サーヴァントの過去を夢として見ることがある。それがニャルラトホテプともなれば…根源に関するものか、そうでなくともこの世の始まりといった、魔法の域に達しうる知識が含まれていることだろう。
それを記憶した脳を傷付けることなく確保して、正確に掘り返し永久に保管するため、そのマスターを魔術協会で『保護』する。
神秘性のある過去を見たかどうかは、異様な言動を取り始め、揺さぶりをかけて反応があればほぼ確定だろう。日常に支障をきたさないのであれば、その程度の過去しか見れなかったということだ。
今はとにかく、ニャルラトホテプにサーヴァントを戦わせて、次こそは負かしてくれるかもしれないと思わせることで滞留を長引かせる。
ゲームについては下手に干渉しない方がいいだろう。
「マスターはどうだった?」
『少々問題を抱えた家庭というだけの、ただの一般人でした。本人曰く巻き添えであったと』
それを聞いて、時臣は驚くどころか腑に落ちていた。それなら一般人が偶然にサーヴァントを召喚することもあるだろうと。
魔術師であれば、子でなく親が介入するだろう。できない状況に陥ったとしても、子孫を残すことを重視する。
魔術に何ら関わりのない者であっても、普通なら方法を知ったとしても実践しようと思わない。が、人としての欠陥があるか、そういうものに縋りたくなる何かがあれば――あり得ることだ。
依然として、なぜ神と同等の存在を召喚できたのかは分からないが。
『キャスターと共に実家に戻り、襲撃され怪我を負った場合に令呪で呼ぶように言い付けられ、そこからは完全に別行動を取っています。学校へ向かい、特別何かをするわけでもありません』
サーヴァントの攻撃を凌げるだけの術をかけている……死ぬことはないと見てよいのだろうが、ニャルラトホテプの過去が保存されている状態でなければ意味がない。負傷させないに越したことはないだろう。アサシンに護衛を兼ねさせて正解だった。
――しかし、そういう安心材料だあるとはいえ……
「……そのマスターは、これが血で血を洗う戦いであり、命を落とすこともあると自覚していないのか? それとも……通常の思考ができていない?」
霊体化したサーヴァントを傍に置くならまだしも、それすらしない。ある種常軌を逸した振る舞いに、時臣は愕然として語勢を強めた。
『いえ、認識はしていました。キャスターのマスター……夢月という少女は、凛のクラスメイトらしく――』
「凛の? ……友人か?」
予想外な人物の名前が挙がり、反射的に聞き返した。
『分かりません。ですが、座席は隣り合わせています』
娘の知人を殺すのみならず、標本にしようとしている事実に、時臣は平静さを失う。
だがそれも束の間、元より私情は挟つもりはない。凛には今後、自分から包み隠さず説明する。
――これは是非もないことであり。運が悪かったことであり。無意識にこちら側に踏み込んでしまった――マスターとなった少女の、自業自得なのだ。
「すまない。話を続けてくれ」
『凛は右手に浮かび上がっている令呪を見て取り、別の教室で詰問したそうです。その会話を盗み聞いていたアサシンによれば、自らの生を半ば諦めているようでして。サーヴァントを自害させて脱落する、我々と協力するという選択を、キャスターを殺したくない、拘束したくないといった理由で拒絶したと』
「実にサーヴァントの扱い方を弁えていない者が考えそうなことだな。だがこれで、キャスターがマスターのことで気分を害することや、マスターが棄権することはないと見ていいだろう。ひとまずは安泰だ。引き続き、監視するように」
『はい。……ところで、その後ギルガメッシュの様子は如何ですか?』
その問いに、時臣は眉を顰めて深く嘆息する。
「……変わらず断たれたままだ」
アーチャーは大泣きしたあの時、時臣が令呪を一画消費したことにより、遠坂邸へと強制的に送還した。
症状が始まってからきっかり一時間。収まると、何も言わずにパスを断ち霊体化した。
それはさながら、「外来者のやることは全く気にも留めていない。だが用事ができた。暫くは帰らない」と見栄を張るような書き置きを残すかのように。
「全く、何日かかるのやら……」
時臣が危惧していたのは、マスターが過去を見る前に、ニャルラトホテプが挑戦者がいないと思い込んで退場してしまうこと。
アーチャーが万全であれば、今朝届いた便箋――ランサーを使役するケイネス・エルメロイ・アーチボルトからの、ニャルラトホテプを討つためとされた共闘の申し入れを受けるつもりであった。
八百長も同然であることを記述されていなかったのは、ケイネスの理解したものが違ったからなのだろう。
サーヴァントなしで交渉するわけにはいかない。時間までにアーチャーが立ち直らなければ、指定されていた場所に使い魔を放ち、後日に延ばすよう伝達する。
元々アーチャーの扱いに気疲れしていたこともあり、加えて想定が狂わされてばかりのせいか、時臣はため息をついて綺礼に愚痴を零しだした。
ライダー陣営はキャスター陣営の妨害により。
アーチャー陣営はサーヴァントが回復せず。
アサシン陣営は遠坂時臣からの指示を待ち。
ランサー陣営は共闘の申し入れの返事を。
バーサーカー陣営はマスター、間桐雁夜が動けずして――停滞。
それは――悩みを抱えてしまったセイバー陣営も同じであった。